“革命犯罪”としての大逆万歳!
奴隷根性を正す文体革命を訴える

前田年昭

『アナキズム』第14号(特集 テロル)掲載〕


百年前の一九一〇年五月二五日、宮下太吉が爆発物製造の嫌疑で松本署に逮捕され、以後八月まで、のちに大逆事件の大検挙とよばれる関係容疑者の逮捕がつづく。事件は“冤罪”だったというのが定説らしい。しかし中心的事実としての宮下による明治天皇暗殺のための爆弾づくりは明らかに当時の刑法第七三条(大逆罪)違反の“革命犯罪”であった。だから名誉回復だの行政による記念行事だのという動きはちゃんちゃらおかしい。当時の国家にとって大逆事件は“犯罪”であり、現在の国家は当時の国家の相続者だからだ。その意味でけっして冤罪などではない。実行犯のみならず国家権力によって縊られた人々は、近代日本の「世間」に屈することなく自らの生き方を貫いた烈士だからである。
 大逆事件の研究者の多くは、烈士たちの思想を「性急」「粗雑」とし、計画を「稚拙」と書く。莫迦言っちゃいけない。彼らはまるで魯迅の『賢人と愚者と奴隷』に出てくる“賢人”のように、現実の解説はできても現実の変革はなしえず、それどころか変革に敵対している。例えば、宮下太吉について田中伸尚は書く。

「爆弾をつくり、天子も我々と同じで血の出る人間だということを分からせて、人民の迷信を打破しなければならない」―。こう思いこんだ宮下は、直情的に一気にテロリストへの道を駆けていく。(中略)自由・平等・博愛、そして社会主義を達成するには天皇迷信の打破によってこそ、という宮下の思いは性急で、天皇制国家の強大な政治システムを冷静に分析した上でたどりついた思想ではなく、いささか粗雑であった。
(『大逆事件 死と生の群像』岩波書店、二〇一〇年、三四ページ)

したり顔で田中がこう書いた章のタイトルは「かなしき「テロリスト」」。「いささか粗雑」とはお前のようなヤカラから言われたくはない。
 かくして本気で自己と社会の変革を志して闘った烈士たちは二度殺される。一度目は国家権力によって。二度目は“左派・リベラル”の能書きによって。かくして“革命犯罪”としての大逆事件は、本気ではなかったものを犯罪にされてしまった冤罪事件だと言いくるめられ、無色無害なものへと書き換えられる。これを歴史修正主義と言わずして何と言うのか。

第一章 流動する流動的下層人民


流動的下層人民は深夜に流動している。夜な夜な新宿駅西口や東京駅八重洲口の対面の路上には各地へ格安で行ける高速バスが何台も連なり、歩道上には日本だけでなく東・東南アジアや中近東の若者が群れをなす。「最近は、乗り場を持たないところがネットで客を集めて、やってるからね」と“正規の”乗り場を持つ大手バス会社の社員は吐き捨てるように言う。「込んできましたが、道路の縁石や植え込みに座り込まないでください」と自らも非正規雇用である係員は声をからす。いろんな言語が飛び交う。「POLICE」のジャケットを着た警視庁六人組がときおり巡回するがなすすべはない。
 朝吹真理子の『流跡』の文体は“幻想的”に見えるが、現実を間近に感じさせる。

この労働をつづけるコツがあるとすれば、自分自身に考えるという機能のあることを放棄させる、忘れさせることにつきる。(中略)この労働をながくつづけるものは極端に少ない。よく、消える。(中略)気の利く人間は疎まれ、警戒され、みないと思えば消えている。殺されたらしいと気色ばむようなやつもいない。しばらくすると似たようなのがこの労働に落ちてくる。(中略)行方をくらますはなしばかりで致富譚はきかない。あったとしてもそういうはなしは秘匿するだろうから出まわらないだけかもしれない。
『新潮』二〇〇九年一〇月号

 星野智幸の『俺俺』もまた、そんな存在意義のうすい、いつでも取り替え可能な若者たちの物語である。ひょんなことから他人の携帯電話を手に入れ、俺俺詐欺に成功、“他の男の母親の息子”になってしまった俺が実家に行くともう一人の俺がいる。周囲に俺が増殖し、デジカメの知識が豊富で家電量販店での存在意義を自認していた俺も、別の俺と入れ替わっても業務が何一つ滞ることなく進んでいく現実を直視せざるを得ない。

入れ替わったって、〔永野〕均だと思う人間がそこにいれば、日常は続くんだ。その程度でしかないんだ。仕事と同じ。異動があっても、担当が俺じゃなくて別の人間に代わっても、業務さえ回ってれば日常は続く。(中略)俺はずっとこのうちで均だったと思い込んでるけど、本当はわりと最近のことで、何て言うか、長い一本道があったとして、実物の道はほんの数メートルで、あとは書き割りとか、みたいな(後略)
『俺俺』新潮社、二〇一〇年、五八ページ)

いつでも取り替え可能な俺。居場所を喪失した「借り暮らし」は「仮暮らし」でもある。現在の、現実の自分自身は「仮」の姿であり、未だ実現していない本当の自分がどこかにいるはずだという思いへ不断に誘い込まれる。

何でこの俺が、虫みたいなの大群のためにこんなに追い詰められなきゃならねえんだよ。冗談じゃねえよ。わらわらとしつこく湧いて来やがって。(中略)人の真似ばっかりでろくに独り立ちもできねえハンパもんのくせしやがって。俺はてめえらとは違うっつうの。こんなんじゃねえよ。こんな二束三文の、大量生産の出来損ないとは違げえよ。てめえらみたいな規格落ちが無数に出てくるから、俺の価値まで落ちるんだ。一緒にされるのはもうゴメンだ。
(同書、一五七ページ)

 奴隷はとかく愚痴をこぼしたがる。奴隷が奴隷であることを拒否し、生きるための武器となる言葉を奪い返すためにはまず、血液型や星座などの占いやもろもろの運命論ときっぱりと手を切り、次に、個人的な努力が足りないせいだと自らをむち打つ根性論とも手を切ることから始めなければならない。惨めさや悔しさを決してなかったことにしたり忘れ去ることなく、闘いの糧として保ち続けることが必要である。

第二章 単調な反復労働に対する二つの態度


単調な反復労働をになう人々が歴史を創ってきた。歴史を創るためにはまず生きなければならない。そのためには衣食住やさまざまな欲求を充足させる手段、物質的生活そのものを生産することが子を産み育てることとともに必要である。生産闘争があらゆる闘いの土台であり、単調な反復労働が世界のあらゆるものをこしらえてきた。
 プロレタリアートの流動はまず外からの強制による流動である。労働力という私的商品の所有者としてプロレタリアートが自分の労働力商品を売って自分の生存を維持するために、自分自身を流動させる。プロレタリアートの流動は外的で盲目的な、外からの強制による流動である。しかし自らのうちに流動する力がない者に対しては流動を強制することができない。「プロレタリアートの流動は、この意味で、かれらだけがもちえた特殊な力量の、その階級的本質の外化である」(藤本進治『革命の弁証法』せりか書房、一九七〇年、一四ページ)。
 いま日本には、「非正規労働、派遣労働は害悪であり、なくそう」という主張がハバをきかせている。ほとんどの左派までがそう主張している。そうではなく、取り替え可能な労働、フリーターこそが社会をつくるという主張は未だ地下深くにあって顕在化していない。本質的に流動的な生産闘争こそが階級闘争の土台であるという思想は未だ、現実のプロレタリアートとは結びついていないのである。
 非正規労働、派遣労働をなくすべきか否か、ではない。問題は厳然としてこう立てられなければならない。フリーター、すなわち流動的下層労働者こそが社会の主人公ということを認めるのか認めないのか。取り替え可能な、誰でもいい労働の担い手であるフリーターこそ、未来社会の人間の姿である。

コミューン社会では、各人は専属の活動範囲を持たず、自分が望むどの部門でも自分を鍛えることができるし、社会が万人の生産を管理している。まさにそのおかげで、私は好きなように今日はこれを、明日はあれを行ない、朝に狩りをし、午後に漁をし、夕方に家畜の世話をし、食後には批判をする。しかしだからといって狩人、漁師、牧人、批評家になることはない。
(カール・マルクス『ドイツ・イデオロギー』、今村仁司他訳『マルクスコレクションII』七一ページ)

マルクスがこう描きだした姿こそわれらフリーターの姿ではないか。フリーターをなくすのではない。みながフリーターになるのである。
 取り替え可能な人々が歴史の前面に、そして全面的に登場するにつれて、取り替え可能な労働とその担い手がいなくなっては絶対困るという資本の立場を代弁する敵の回し者があらわれてくる。杉田俊介「ロスジェネ芸術論・ 加藤智大の暴力(その一・二)」(『すばる』二〇〇八年四月号・二〇一〇年九月号)は巧妙である。杉田は「彼とぼくとの違いは「たまたま」でしかない」という的確な認識から出発しながらも、自身の取り替え可能な労働を「その頃の鬱屈を思い出しながら(そしてその後のぼくの幸運を思いながら)」ふり返ってみせている。その労働観は取り替え可能な労働への蔑視に満ちている。取り替え可能な労働がなくなれば、君の「鬱屈」は解消するとでもいうのだろうか。

第三章 プレカリアート運動に対するコミュニストの立場


辛くても悔しくても目前の現実から眼をそむけてはならない。「今はまだ無名バンドだけどいつかメジャーデビューするんだ」とか「今は孫請プログラマーだけどいつかすごいアプリケーションをつくって世間をあっと言わせるんだ」などと思い込むことは、魯迅が『阿Q正伝』で描きだした阿Q式精神勝利法である。阿Qは「むかしは偉かった」し、ほんとは「完全人間」だと自認し、殴られても「せがれにやられたようなもの」「ちかごろ世の中がへんてこ」だと考え、「われこそ自分を軽蔑できる第一人者だ」と考える。要はすべての事実を自分に都合のいいように強引に解釈して、とりあえず満足してしまうという奴隷根性である。
 問われているのは、個人の力で、上へはい上がろうとするのかどうかである。
 「階級とは過程(プロセス)であり戦略である」とする渋谷望は、ミドルクラスを次のように定義しており、的確だ(的確ゆえに、プチ・ブルジョアジー、つまりブルジョアジーに金魚の糞のようにくっついている物書き論壇では採り上げられず避けられるだろう)。

ミドルクラスとは、資本の圧力、つまり人々から生産手段を奪い、人々を労働者(プロレタリア)にするという圧力から、「個人として」(=個人の能力によって)抜け出すために日々努力をしている人々のこと(中略)ミドルクラスであるということは、資本主義が人々に加える「プロレタリア化」の圧力に、仲間たちと連帯してあらがうのではなく、個人の力であらがい続けることだ。重要なのは、「集団の力で」ではなく「個人の力で」という点である。
『ミドルクラスを問いなおす 格差社会の盲点』NHK出版、二〇一〇年、一八ページ)

そう。この意味では、フリーターもワーキングプアも生き方しだいではミドルクラスなのである。個人の力で、英検がどうのMOS資格がこうの、あがくのはよそうではないか。われわれ取り替え可能な流動的下層人民を苦しめているのは知識の不足ではなく知識の錯覚である。
 九月二四日、主権回復を目指す会は内紛の末、解散した。右翼フリーター運動も結局は消滅するだろう。在特会が警察の手入れを受けたとき、代表・桜井誠のすまいの映像が報じられた。質素なアパートでマンションですらなかった。彼もこの社会では“負け組”の一人だったのだと思った。こういうところから生まれるヘイトとレイシズムは根深い。
 在特会などのいわゆる「行動する保守」に対してどういう態度をとるべきか。「反中嫌韓」一辺倒の新たな民族主義は一面であり、その階級的基盤が下層にあることもまた見落としてはならない一面である。彼らもまた資本による「プロレタリア化」の圧力のなかで零落への不安にかられ、そこから「古き良き日本」という「世間」原理への回帰を求めているのである。彼らの苛立ち、醜悪さは、戦後民主主義の奴隷としてのわれわれ自身の鏡像である。すなわち、より“強者”には媚び、社会が“自分より下”をつくり出すやイジメにかかる。自分自身についての思い違い、およびあきらめの余裕という錯覚に気づかせるよう仕向ける必要がある。観念に観念で対決するような闘いは実を結ばないだろう。
 ここで私は須藤久による六〇年三池炭鉱大争議の話を思い起こす。炭労の住宅街はなぜか一般労働者と被差別部落労働者街、朝鮮人労働者街に分かれていたという。大阪から応援に駆けつけた泉海節一は争議の指導部の会議に被差別部落や朝鮮人の代表の顔がないことを見て“この闘いは負けだ”と思う。そしてピケ破りの一団のなかに同じ部落出身者を見出す。「まともな」職からアブれた彼はわずかの銭で狩り出されていた。泉海は「お前も今夜のメシに困るやろ、仕様ない、適当になぐれや」と言ったという。観念に観念で対決して「裏切り者」「脱落者」と切り捨てるのでなく、“向こう側の兄弟”として対応したのである。
 左右を問わずフリーター運動が直面している基本的で焦眉の課題は、自らの内から「個人の力で、上へはい上がろうとする」意識を洗い流せるかどうかである。仕事のあれこれ、技術を工夫するのがいけないといっているのではない。個人の力であらがっての上昇志向はやめようというのである。
 「学歴主義」といい「成果主義」というが、どちらにしろ能力主義の資本によるたえざる再編強化にすぎない。はたして能力は、個々人の「内」に備わっているものだろうか。生まれつき持っているものか、後から身につくものか、という二択設定に欠落しているのは、能力が歴史と社会における共同体からの借りもの、授かりものだという視点である(渋谷、前掲書、二二二―二二四ページ)。資本によるランク付けと競争への駆りたてを許すことは、能力の源泉である、自身のまわりの歴史と社会からはぐれることであり、「孤独な群衆」として死ぬことである。
 「集団の力で」の抵抗の道すじを見出した側がフリーター運動の最終的な組織者となるだろう。集団の力の楽しさをいかに仲間のものにするかである。集団で、公開で、仕事や社会、自分たちの生き方のことを考えるのは楽しい。このとき「集団で、公開で」に対して刃向かってくる者、それが敵である。
 したり顔して連合赤軍「粛清」を非難する人々は後を絶たない。新左翼の内ゲバ死者数は百人以上という。しかし、明治維新の死者は一万一千人弱である。写本『野分のあと』には凄惨な生首図が集められている。NHKの大河ドラマが明治維新を平和革命(大政奉還)だと言いくるめようとも、明治維新は暴力革命であった。後世の“賢人”たちが、テロリズムという悪とそれ以外の暴力の区分けを試みようが、実態は渾然一体、桜田門外の政治テロをとば口にし鳥羽伏見の内戦を頂点としたまごうことなき暴力革命だったのである。
 乱臣賊子結構、逆賊テロリスト上等。造反有理、革命無罪。大逆の烈士たちの無念を晴らし、執念をいかすとは、仲間たちと連帯して国家転覆のために生きることである。

結語 文体革命を


中国革命は文体革命だった。文体といい文風ともいうがスタイル、風である。五四白話文運動で句読点(中国語では標点符号という)を発明し、分かりやすい文体を広めた。わざと難しい言い回しをする知識人を鼻つまみにし、阿Qたち(流動的下層貧民)は武器になる活きた文字と言葉を取り戻していった。
 毛沢東は、国内「難民」としてもっとも卑しまれ蔑まれた遊民を「兵」として訓練し、社会でもっとも尊敬される人間類型として組織し、また人民公社をつくって食えるようにした。それは、文字と言葉を奪われた阿Qたちが文字と言葉を取り戻す革命だった。三大規律八項注意を歌って言葉を覚え、生活スタイルを変えていった。識字運動であり、訴苦運動という翻身革命だった。
 毛沢東が、近代西欧の個人主義やアナキズム、マルクス主義から出発して「大同」を主張し、社会の最下層の遊民、外村人、工人階級を教育、組織し、強力な解放軍をつくりあげた底流には、墨家の思想があった。墨子は「防禦」から出発する弱者のための軍事論を創り上げた思想者である。永く続いた科挙体制下で抑えられてきた劣等生、ハンパ者の生きる思想として墨侠精神は営々と受け継がれていたのである。
 一九四九年、中華人民共和国成立。しかし革命を政権奪取に切り縮めた輩が特権階級になっていく。“多く早く”という欧米の情報革命の風が吹き、人々は革命の原点を忘れた。毛沢東とその党は農村での教育運動を都市へと文化大革命を起こした。何億冊も刷られた『毛主席語録』を繰り返し読み、読み変え、繰り返し書き、書き変え、繰り返し組み、組み変える文体革命だった。私はこれを日本文化大革命の号砲として受け取り、下放を始めた。世界中の青少年に影響を及ぼしたのである。
 毛沢東の死後、墨侠精神は投げ捨てられ、党は変質し、国家と社会は変色した。第二、第三の文化大革命は必然である。
 現下の切実で焦眉の基本問題は依然、情報処理革命か、それとも文化大革命か、と立てられている。“多く早く”の強迫観念に囚われた情報処理革命は、情報過多と外部メモリ依存によって実のところ“鈍く狭く”なった。目を拡張した結果、目が弱っちまったという訳だ。耳を拡張した結果、聴き取る力が萎え、闇夜を生き抜く五感は衰弱した。モノを視る目、感じる心、考える力を奪い返すためには情報遮断も必要である。情報の海に溺れる前に、時に情報を断って引きこもって自身を見つめ、自身の五感を確かめる時間と空間を持つこと。
 万年野党的な奴隷根性を正し、発想を転換する文体革命は、日本の変革にとって切実で焦眉の課題である。
(二〇一〇年一二月二六日)


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