座談会【コンピュータと印刷をめぐって DTP・文字組版・漢字問題 ETC.】

北島町立図書館・創世ホール発行
「創世ホール通信/文化ジャーナル」
40-46号 1998年5-11月
連載(全7回)


出席者
前田年昭(ライン・ラボ,日本語の文字と組版を考える会)
府川充男(聚珍社)
小池和夫(聚珍社)
横山壽信(聚珍社)
小西昌幸(創世ホール)

収録◎1998年2月23日,東京神楽坂・聚珍社


【連載第5回】初出「創世ホール通信/文化ジャーナル」44号(1998年9月1日,北島町立図書館・創世ホール発行)
小西● 「漢字コード問題」が議論になっています。私は全く不勉強ですが,昨年3月に筑摩の松田哲夫さんの講演会を創世ホールで開催したときに,東京からジャストシステム出版部長の中尾勝さんもおみえになりました。講演の後3人で打ち上げに行き,そのときの雑談でこの問題も出てきまして「この種の議論は,どうもみんなエキサイトしてしまう傾向があるなあ」と,2人がおっしゃっていたのが印象に残っています。そういう傾向の議論を捉える場合こそ原理原則をしっかり踏まえておくことが大切だと思います。そのことを確認して,まず歴史的経緯をかいつまんでお話しいただけませんか。随分ムシのいいお願いですみません。
小池◆ いわゆるコンピュータ用の漢字規格と,実際に世の中に出まわる漢字の扱いの問題ということでの,この間20年の悲喜劇というものについて,かいつまんでしゃべることができるくらい勉強してしまったので,私からいわせていただきます。(一同笑)
 だいたい20年前に,やっとコンピュータでも漢字が扱えるようになったと。日本語ワープロなんてものも,ついに商品化されることになったと。そうなってきたんで,これは各社バラバラに漢字を扱っていてはまずいだろうというので規格を作ろうということになりました。で,規格を作ろうということになったとき,実は「それだったらこれだけの漢字は入れて欲しい」というものが何年も前から延々と用意されていた。それは何かといいますと,お役所がなるべく仕事をコンピュータ化したい。そのために日本全国の地名は全部出るようにしたいということで,日本全国の地名および日本で普通に使うだろう漢字というのを,ひたすら手書きで集めるという気の遠くなる作業をお役所でやっていたわけです。
小西● その役所の名は?
小池◆ 行政管理庁。今でいう総務庁ですね。ここがやってまして,コンピュータ用の漢字が結び付いたところで国語学者の林大(はやし・おおき)さんという方が最終的なゴーサインを出す形で,とりあえず日本で今使いそうな漢字はこれだけだと。地名はおそらく全国津々浦々の字に至るまで出せる,という形で作ったと。それが6300ちょっとの漢字だったんです。が,作ってみるとやっぱり手書きのカードで作業したもんですから,多少間違いもあった,拾い足りないのもあった,拾い過ぎたのもあった,ということはありました。でも,これはコンピュータで漢字が扱えない時代に手書きでやった作業にしては,非常に大したことであったと思います。
前田■ 5万字の諸橋轍次さんの『大漢和辞典』に入っていない漢字も、100字近く入っていて,それは町や村の字や小学校の漢字だったりするわけです。
小池◆ そう,なかにはナニナニ県ナントカ村字ドコソコっていう,そこでしか使ってない地名の漢字まで入ってるわけです。それが通産省の管轄する工業規格として出たおかげで,それまで独自に漢字を扱っていた各コンピュータ・メーカー,電気メーカーがいっせいにそれに乗ったんですね。「この規格のとおりにつくれば大丈夫だ」といって。ところが,その「規格」というのが,漢字が並んでいて,それに番号というか,コンピュータで処理するためのコードが付けてあるだけ。その漢字が何なのかは規格には書いてなかったわけです。それが地名に使っている国字だとはわからないから,漢和辞典をみて,たぶんこの字だろうとか……。で,この規格を印刷するのには写植メーカーの写研さんが版下を作ってくれたんですが,例えば「拳」という字は,当用漢字ではなくて,漢和辞典を引けば「拳の上が「ハ」の字形」と上が「ハ」になる字しかないのですが,写研は上が「ソ」の字を印字した。行政管理庁が手書きでまとめたときには上が「ハ」の字だったんです。で,規格どおりに「ソ」にするメーカーと,辞書どおりに「ハ」にするメーカーが出てくる。JISでは「字体設計には関わらない」,どっちでも知ったこっちゃないというわけです。ちなみにこの字は,平成2年に人名用漢字になって「ソ」の方に「お墨付き」が出たんですが。
 それはともかく、「漢字コード問題」が一気に噴き出したのはもっと後のことで,1983年に規格の改訂をやったんですが,このときに,わざと字の形を変えたり,コードを入れ替えたりしたんです。
 これは恐ろしいことで,ある人が自分のパソコンで「籠」という字を使って,そのデータを別の人に渡すと「篭」になってしまう。「掴のつくりが國の字形む」と書いた筈なのに「掴む」になってしまう。なんでこんなとんでもないことをやってしまったのか,これには深いわけがあるのです(笑)。なにしろ明治以来の国語国字問題が絡んできますから,府川さんの専門の方の話になります。それにJISが巻き込まれてしまったというか,手を出してしまったというか……。
 ともかくJISだけが悪者というわけじゃなくて,活字,写植の業界全体が漢字を簡略化する,いわゆる拡張新字体をつくる方向に流れていたという背景があるんです。新聞では当用漢字にあわせて「しんにょう」は全部点が1つ,「示すへん」は「ネへん」の活字にしましたし,他の活字メーカーも「鴎」や「掴」といった拡張新字体を昭和30年代からつくっていたんです。ですから当用漢字から常用漢字にかわって字数が増えたとき,その追加された字もいっせいに新字体になりました。それが81年。その流れがあったから,83年のJISは「これからもっとどんどん漢字は簡略化される」というように思ってつくられたわけです。
小西● その漢字の簡略化の流れというのは,当時の日本全国の業界の風潮だったわけですか。
小池◆ 日本全国です。つまり,写研,モリサワ,大日本印刷,凸版,実際に日本に出まわっている印刷した文字を作っている殆どのところが,イケイケドンドンで簡略化をやってました。それがその時代の業界のコンセンサスだったといってもよいかも知れません。ところが,一方ではそうした傾向を苦々しく思う人たちもいて,拡張新字体は辞書にないから使っちゃいかんというわけです。こういうことを言うのは,もともと当用漢字の新字体がけしからんという人たちです。漢字の数を制限したり,歴史と伝統のある漢字の字体を勝手に変えるのはまかりならんというわけです。
 で,常用漢字が出てきたというのは実は,先ほど言った「流れ」が変わったということにもなるわけです。漢字の数は制限しないし,旧字が使いたいなら使ってもいい。拡張新字体は作らない。そういう方向転換が,実はあったんですが,JISの方には伝わっていなかった。いわば2階に上がって梯子を外されたような格好になったんです。
 ところで原稿を書いてそれを売って仕事をなさっている方々,刷られたものを読んで普通に暮らしている方々,つまり業界以外の全ての日本人は,こんなことについて全く知らなかったし,気がつきもしなかったんです。(一同笑)。ちょっと簡略化され,しんにょうの点が2点が1点になっても読めちゃうから誰も気がつかない。
 これに突然気がついたのが,ワープロというものがなんか便利な機械として出まわりはじめて,皆さんが色々な動機で使うようになってそのときふとみると,たまに自分の本を開いて,あるいは好きな作家の本でこれまで活字で見ていた字と違う。「なぜ違うんだ?」。あるいはワープロで画面に表示された字と印刷した字では違う。「一体どっちが正しいんだ?」。それからワープロで印刷されたものも「今までの古い本の字と違う」。それまではミミズの這ったようなものを印刷所や編集者に渡したら,後は野となれだった多くの作家先生が,自分でワープロを打ってきれいに印字された原稿をみた瞬間に「この字は見覚えがない」と思い始めたわけです。(一同笑)。(次号に続く)

【一部敬称略/収録:1998年2月23日 東京神楽坂・聚珍社/採録文責:小西昌幸】




【連載第6回】初出「創世ホール通信/文化ジャーナル」45号(1998年10月1日,北島町立図書館・創世ホール発行)
小池◆ 83年のJISが実際に機械に乗っかって登場し始めたのが80年代の末。ここにいたりまして突然「通産省の外郭団体が何か変なことをやっているぞ」という,そういう噂になって飛びかってしまった。
 そこへもってきて,アメリカからは,パソコンを世界中で使ってもらいたい,そのためには英語一辺倒でコンピュータを使わせるのは無理がある。どの国の言葉でも使えるようにしよう,しかし漢字の数は多いから,せめて漢字を使っている国がそれぞれ思いやりでなんとかやってくれないかと,こういうことを言いだした会社グループがありまして,「ユニコード」というのが出てきたんですが。ただそれに対しては実際に使う側─日本・中国・韓国─からお役所肝いりで代表委員が出まして,「そりゃあ,アメリカがそういう風にやるのは構わんが,こっちが迷惑くらうのは困る」といって徹底的にねじ込んだ結果出来たのが,ユニコードだったんですね。そういう意味ではとりあえずこっちが困らないレベルには,規格としてはできている。今,ユニコードが入ると漢字が減るとかいって騒いでいますが,実際にはユニコードが入れば,使える漢字は倍以上に増えるんです。増えるのに減るといわれるという恐るべき事態が起こっている(笑)。
 そりゃあ諸橋『大漢和辞典』の5万字に比べたら半分もない。でも,今までの6355字に比べたら倍以上というユニコードが,今着々とコンピュータの世界に入って来ている。実は写植メーカーの写研さんが標準で持っている漢字は9000字そこそこでして,とてもじゃないけど2万字もの漢字は持っていない。
小西● 増えるのに減るといって騒ぐということは,基礎調査をやらずに騒いでいるということですか。何かちょっとみっともないような気が……(笑)。
前田■ さっき小西さんが,この種の議論はエキサイトする傾向にあるとおっしゃいましたが,こういうことだと思うんです。ここにいる誰かが別の人に「お前,日本語知らないじゃないか」というと喧嘩になるだろう。「自分はいわれなくても知っている」とみんな思っているんですよ,きっと。ここに感情論の根源がある。「そこに車がいるよ」、「そこに車があるよ」、「そこに犬がいるよ」という例文を出してみます。「いる」とか「ある」という表現にしても,我々は意識しなくても使い分けが出来るわけですが,この言い回しの理屈について説明してみろといわれて明快に即答できる人は,日本語教育の関係者以外にはまずいない。
小西● この種の議論を突き詰めると「オレの方がこの問題ではいっぱいモノを知ってるぞ」という自慢合戦になりかねない側面がどうも出てくるようですね。やっぱり「謙虚さ」がキーワードだと思うなあ。
 乱暴かも知れませんが,漢字問題にしても『字通』『字統』『字訓』の白川静先生からしたら,殆どの日本人はたいしことのないレベルだと思うので、「お互い五十歩百歩だ」ぐらいの認識でいいような気もします。
 日本文藝家協会が「漢字コード問題」で漢字が足りないという問題提起をしています。『電脳文化と漢字のゆくえ』という本も読みましたが,この問題はワープロなどで使える漢字が不足している,不自由を感じているという側の人間が「次の漢字をJISで増やして欲しいんだ」ということで,きちんとリストを作成し,JIS漢字を策定している機関に要求書を提出して,回答次第ではガンガン交渉して要求に近付けるという方法しかないと思うんです。これは物事の改善に取り組む際の基本ですよね。相手がある場合はその相手と交渉しないと何も始まらない。全然違うところでけなしても,具体的に前には進まないと思いました。幸い作家や批評家の方は言葉を日々扱う専門家なので,すぐ取り組めると思うんですが。前田さん,いかがでしょうか。
前田■ 作家や批評家の方が逆に反応は鈍いですね。文字を扱う「専門家」だという意識に首までつかってしまっていて,特権意識そのものが問われていることに無自覚であったり,気づいていても本能的な自己保身に基づいて問題を隠蔽してしまうのだと思います。
 大新聞の記者もそうですが,特権意識はものをみる眼を曇らせ,感じる心を濁らせます。松本サリン事件での河野義行さんを犯人扱いしたマスコミは今,何の反省もなく「反JISキャンペーン」をやっています。JIS規格すら読まず,誤解や曲解は拡大再生産され,読者の側もそれにすぐ同調してしまう。情けない限りです。学問的な論争などとほど遠い「JISいじめ」でしかないですね。
 宇宙から帰った向井千秋さんに取材に殺到した日本のマスコミは,すぐに結果が出ない科学実験の結果について「実験は成功したのか失敗したのか」ときいて,他国のジャーナリストから失笑をかったそうですが,戦後の○×教育は物を考える力を滅ぼしてしまったのかも知れませんね。
 いずれにしても日本文藝家協会の島田雅彦や吉目木晴彦,加藤弘一とマスコミがつるんで行なっている「反JISキャンペーン」には具体的に反撃し,何も調べずにものを言う人たちを「水に落ちた犬を打て」という精神で,徹底的に鼻つまみにしてやろうと考えています。
小池◆ 漢字というのは新しく作ることもできるものなんですね。例えば『さんずいに墨東綺譚』の「さんずいに墨」の字があります。あれは永井荷風の小説を読んでいるとわかるんですが,「〔この文字は江戸末期の文人〕林述斎が墨田川をいい現わすためにみだりに作ったものである」と書かれているんですね。つまりもともと中国にあったような文字ではなかった。ただある作家がこういう風に作れば面白いと言って作ってしまった。その時点で誰にも通じないものだったんですが,永井荷風のような有名な作家がそれをタイトルにしたおかげで『さんずいに墨東綺譚』を読んでいない人でも「さんずいに墨」の字がワープロで打ち出せないとこれはゆゆしきことだとなる。しかもその字が実際に使われているのが,永井の作品の他に太宰治の『女生徒』に「『さんずいに墨東綺譚』の本を読んだ」とか引用されて,つまり『さんずいに墨東綺譚』以外であの「さんずいに墨」の字は使われたことがないわけです。ということは,これはロゴ・マークに等しい。字というものはそういう性格ももっている訳です。要はみんなが使って手垢がついているものだけが,安心して字と呼べるものであると。少なくとも背番号をつけて,みんなが勝手に呼び出せるという字を選ぶときには,相当手垢のついたものでなければ使えないだろう。そういう点を常識として持っていただきたい。その常識がなくて5万字使わせろというのは……。日本語は英語に比べて文書に対する検索の時間が長いんです。それは絶対長いですよ。26文字プラスアルファ全体94文字で構成されている英文を検索するのと,7000字オーダーの文字が並んでいる文章を検索するのとでは検索の時間がはるかに違う。これが2万字になると倍時間がかかるんです。いかにコンピュータの性能が向上したからといったって,アルファベットだけだったら一瞬,でも日本語が混じるとやはり待つことになるだろう。みんなもう少し常識というものを持とうではないか,と。
小西● どこか落とし所を見付けて,頃合のいいところで決着させた方がいいような気がします。府川さんいかがですか。
府川▲ JISに何でも押し付けるのではなく,例えば『国書総目録』中の固有名詞すべての表記のためとか,目的をはっきりさせた各種の文字コードが併存してもよいのではないでしょうか。そもそもJIS漢字を全部読み書きできる人すら滅多にいるものではない。組版業者として経験的に言うと,通常の日本語本文であれば写研の漢字1万字弱で十分と思います。足りないキャラクタは仕事ごとに外字を作ればよい。文藝家協会は漢字にしか目がいってませんが,昔の本を翻刻する場合,変体仮名や記号,約物などの非漢字キャラクタの問題もあります。
横山▼ 今後の流れとしては,83JISで消えてしまったり,第二水準にされてしまった旧78JIS漢字の部分的復権というカタチになるとは思いますが,視点をかえれば,問題の根源は「常用漢字表」(1981)に連なる「当用漢字表」(1946)での漢字の制限と略体化にあるわけで,その意味では,現・新聞協会参加各社が戦後捏造した使える漢字によるさまざまな置き換え語が,少なくとも「代用」されたものであるという事実ぐらいは知っておいて欲しいですね。例えば,私の手もとの『新明解国語辞典』(昨年購入の第四版)では代用語の「選考」は見出し語にありません。無論,正しくは「銓衡」で,語が与える意味合いも少なからず異なります。この際,字形のみならず,用字についても関心を喚起したいところですね。(次号完結)

【一部敬称略/収録:1998年2月23日 東京神楽坂・聚珍社/採録文責:小西昌幸】


Jump to

[HOME] [第1・2回] [第3・4回] [第5・6回] [第7回]
ご意見をお待ちしております。 電子メールにてお寄せください。
前田年昭 MAEDA Toshiaki
[E-mail] t-mae@@linelabo.com