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座談会【コンピュータと印刷をめぐって DTP・文字組版・漢字問題 ETC.】
北島町立図書館・創世ホール発行 「創世ホール通信/文化ジャーナル」 40-46号 1998年5-11月 連載(全7回)
出席者
■前田年昭(ライン・ラボ,日本語の文字と組版を考える会)
▲府川充男(聚珍社)
◆小池和夫(聚珍社)
▼横山壽信(聚珍社)
●小西昌幸(創世ホール)
収録◎1998年2月23日,東京神楽坂・聚珍社
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【連載第3回】初出「創世ホール通信/文化ジャーナル」42号(1998年7月1日,北島町立図書館・創世ホール発行)
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| 小西● |
前田さん,組版の仕事でア然とするような依頼を編集サイドから受けたこともおありかと思いますが,そんな体験の実例をあげてください。 |
| 前田■ |
毎日ア然とすることの連続で,たいていのことには驚かなくなりましたが……。そうですねえ,編集者は昔は筆者から原稿を受け取ると内容が企画にそっているかどうか,分量があっているかどうかをチェックするも のでしたが,最近の編集者は内容をみていないように思うんです。極端にいうと編集者の仕事が,作家なりライターに「先生,フロッピーで原稿をください」といって依頼して,筆者から受け取ったフロッピーを印刷所へ運ぶだけになってしまっているという側面がある。その結果,原稿の分量がはかれなくなっている。だから台割りが書けない。台割りは工程の進行表で,全ての設計図の柱なんだと思いますが,それができなくなっているケースが非常に多い。「とりあえず組んでいただけませんか」といってくる。例えば「一応,192ページにおさめたい。四六判でこういうレイアウトだ」というように少しでも具体性があればいいのですが,そうじゃないんですよ。「とりあえず組んでください」といわれるわけです。 |
| 小西● |
フロッピーを届けるだけなら郵便屋さんでもできますね。 |
| 前田■ |
私も組版屋ですから,フロッピーをもらって組んで本になってから誤植に気付いたり,文字の変換ミスが2つ3つあったりする。おそらく編集者は,チェックできずにきた。最終工程の印画紙段階で,青焼になってから差し換えてくれといわれたり,版下の印画紙そのものに赤エンピツをいれてくる奴もいる。写植屋としては身を切られる思いがします。「なんて失礼な」ということになるんですが,それが通じない。ま,通じてやっているのならケンカを売ってきているわけですが。 |
| 小池◆ |
補足的になりますが,生の原稿に編集者が必要に応じて赤字を入れますね。原稿整理というレベルもありますが,ここで改行だとか,ここの文字はこれでいいのか,数字を漢数字にするのか,算用数字にするのかといったような組まれた状態を想像しつつ原稿に赤を入れていく作業,これを編集者がやった。今でも一部の編集者はやっている。
雑誌の場合などはライターが書いてきたものは,データにすぎない。それを素材に編集デスクが最終的な完成テキストを作る。元の文章がどこにあったか分からないほど真っ赤っかな赤字の入った,一体何字あるのか数えるのも大変だというような原稿で,それでも編集者はそれを読みながらカウンターを打って行数を数えて,だいたい何行だからこのぐらいのレイアウトになるということで入稿します。こういうものは活版屋さん,写植屋さんは例え汚かろうと,ほぼ一定の時間で文字を拾って組版します。つまりその原稿ができてからの時間帯は読めるんです。で,きれいに組み上がったものに対して赤字が入ることもありますが,でもさすがに組んでしまったものだからということで,このぐらいの赤字にとどめようとか何行以上の異動はやめようとか,そういう理性は働きましてその後の工程はおおむねスムースに流れるんですよ。そういう風に推移してきました。
ところがフロッピー入稿では,編集者は画面上でチラッと覗いて「ウン,入ってる,入ってる」といって上から下までスクロールする。で刷り上がってきてから「1ページ分多かった」とか半ページ少なかったとか言い出すわけですね。
そもそもいったん印画紙にして出してしまったら,工程の管理はグチャグチャになるんです。それでは印刷屋さんはやっていけないんですが,結局今まで印刷屋さんは紙に刷っていくらとしか考えていなかった。つまり版下を作るなんてのは紙に刷るための材料を作る,殆どサービスでやっていますというお仕事であったと。そこにどれだけ血のにじむような努力があっても,その部分はそもそも見積りの中に入っていなかったりする。……という時代が最近まで延々とあった。ところがDTPというものになって,いきなりその部分が外注になったんですよ。それまではデザイナーがレイアウトの指定をして,編集者が文章を入れたものを印刷会社の内部で形に仕上げると。形に仕上げる部分を印刷会社がサービスでやっていた。ところがデザイナーの方が組んだデータまで作るという,つまり印刷会社がサービスでやっていた部分が,よその人のお仕事になった。しかし全体では「コストが上がってはいけない」という至上命令がある。「その仕事が減ったんだから,もっと安くしてよ」と印刷所にいわれても,そもそもその部分はサービスだったわけで,安くしようがない。一体どこで血のにじむような努力が解消されるかというと,今は若手のデザイナーさんのところに多くの労働がきてますね。
その結果,今まで考えられなかったようなバカな誤植があったり,文章が途中で切れてどこにもなくなった,などという現象が起こっている。デザイナーが組版することで,あり得なかったようなことが発生しているわけですね。 |
| 小西● |
お話を聞いていて感じたのですが,編集者にも言い分があるかもしれませんし,デザイナーも思うところはあるでしょう。ライター,編集者,デザイナー,組版業者,印刷所,製本業者,紙屋さんなど関係者が集まって問題点を協議するようなことをしないと,風通しは良くならないような気がしますねえ。印刷関係は末端ですから,対等にならないのかもしれませんが……。でもどんな原因があるにせよ,文章が途中で切れたままなんていうのは,読者に失礼だと思います。いくら何でもそういう誌面のまま雑誌を店頭に並べたら,編集部は反省しているはずで,それを教訓にして今後の改善努力をするべきですよね,出版人の誇りがあるならば。それがないというのなら,事態は物凄く深刻ではないかと感じました。となると,やっぱりキーワードは謙虚さと向学心と志ですね。 |
| 小池◆ |
やはり編集というのが,要だと思いますね。編集者という仕事の重要性が見失われているような気がします。 |
| 府川▲ |
「編集」と簡単に括れない時代になっているのではないでしょうか。DTP化との関係で言えば,編集者は「企画のシャッター」としての役割から工程の設計・管理までを守備範囲とせざるを得ない。工程の設計ということになると,これは経験的知識を少々持っている程度では歯が立ちません。体系的知識が必要です。「編集者がダメになった」,あるいは「デザイナーのレベルが落ちた」のではなく,かつては組版・製版・印刷に丸投げすることで表面に現われなかった本当の力量がさらけ出されることになったと思います。校正者についても事情は同じです。ディジタルの工程がちゃんと見えている奴は殆どいませんよ。 |
| 横山▼ |
デザインの仕事は,モリス,ラスキンの時代から一貫して専門職だったわけで,やれる人間にとっては今後の淘汰圧もどうということはないでしょう。むしろきついのは,長年の分業の進行によって主だった仕事をほぼ手放し,単なる事務職と化したにもかかわらず,これまで平然とスペシャリストのかんばせで食い繋(つな)いできた編集者,並びに整理・作稿・校閲の分野であろうという自戒はまず必要ですね。 |
| 前田■ | ええ,たしかに皆さんのおっしゃるとおり「編集者莫迦(ばか)論」は事実ですし,うかがっていて日ごろ莫迦な編集者にさんざん苛(いじ)められている私など溜飲が下がる思いです。ですが,ワークフローが完結するためには,何らかの力,権力がないといけません。これまでも少なくない編集者はきっと莫迦だったわけで,にもかかわらず本ができていたわけで,そこに,ブック・デザイナーや組版オペレーター,校正者,さらに製版・印刷における本当の意味でのプロがいたという事実に立ちかえり,そういう人たちに権力をわたすべきではないか,と私は思っているのです。分業はなくすのではなく,再編されるべきということです。(次号に続く)
【一部敬称略/収録:1998年2月23日 東京神楽坂・聚珍社/採録文責:小西昌幸】
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【連載第4回】初出「創世ホール通信/文化ジャーナル」43号(1998年8月1日,北島町立図書館・創世ホール)
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| 小西● |
数年前,朗文堂の片塩二朗さんが2人のデザイナーの方と徳島にやってきたことがあるのですが,その際こんな問題提起をされたことがあります。単行本の本文組版の過程で,たまたま「□□は○○である。」という文章の末尾部分「る。」という文字1つ,句点1つだけが,最終ページの冒頭にきてしまったら君たちはどうするか,という内容でした。その場にいたデザイナーの人たちは,全員文字を詰めて前のページですべておさまるようにするとおっしゃいました。私はワープロでミニコミを作っているのでその経験から,前のページの末尾数行から1字ずつ均等割り付けで後ろへ追い出してきて,最終ページを5つぐらいの文字と句点1つにするという手もあるといいました。そのことを「創世ホール通信」で書いたのですが,それをご覧になった印刷屋さんが,こんな場合我々は前のページを1行減らして次のページにもってくるようにしていますよ,と話してくれました。たくさんの原稿を組版していると,思いもよらなかったような事態が起こると思います。前田さんはどうなさっていますか。 |
| 前田■ |
私の場合は,原則として「追い出し優先」です。この事例では,まず1行だけのページは作らない。「□□は○○である。」がページをめくった最初の1行になるようなら,前のページから1行持ってくる。そしてもしもそれで2行目が「る。」で終わりになるようなら,1行目から1字引っ張ってきて「ある。」とするのが基本的な対応です。 |
| 小西● |
府川さんは『組版原論』の中で,欧文組版におけるウィドウとオーファンという禁則ルールを紹介されて,日本語組版でもそういう発想が必要だとお書きになっています。ウィドウとは段落最後の行が次ページの最初の行にきてしまったもの,オーファンとは段落最初の行がページの最後の行にきてしまったものをいい,そういう組版を避けなければならないということでした。
それから,拗促(ようそく)音・音引きの行頭禁則問題も重要だと思いますが,一般の読者にはあまりなじみがないと思いますので,少し解説をしていただけませんか。 |
| 小池◆ |
「ひゃ」「ひゅ」等の小さな「ゃ」とか「ゅ」が拗音,「行った」等の小さな「っ」が促音,「ダイハード」というような音をのばした「ー」が音引きと呼ばれるものですが,こういうものが行の頭にきてしまうことを一切許さない。なぜそういうルールにしているのかと問われたら,そういう中途半端な文字が頭にくるのは見苦しいとも,それらの文字は上の大きな文字に従属している─つながっている─文字であるからだ,ともいわれています。である以上,分かれてはいけないのだと,こういうプリンシプルというものがありまして,たいていの組版の教科書にはやるべきであると書かれておりまして,では実際にやるかというと,実は殆ど出来ていませんね。 |
| 府川▲ |
殆ど行頭拗促音や音引きの禁則処理をやっていないというのは,編集サイドに組版の仕様に対する見識がないのが最大の理由でしょう。「やらない」「出来ない」のではなく,そういう視点があることも「知らない」。DTP組版用のアプリケーション・ソフトでは住友金属工業の「Edicolor」,それからニッシャインターシステムズの「Urban Press」などでは行頭禁則文字の種類や行末約物処理の方式も細かく設定できます。これらは,もともと欧文を組むためのアプリケーションに機能を追加して縦組みにも対応させたもの──例えばQuarkXpressやPage Maker──とは違って,日本人や中国人によって最初から縦組みを意識して設計されたものです。その意味で日本語の組版ソフトとしては筋が良い。禁則文字のメニューのテーブルを見てみますと写研の電算写植システムに似ていますね。 |
| 小池◆ |
この間出たばかりの軽い読み物の単行本なんですが,ブック・デザインが日下潤一さん,組版が前田さんのライン・ラボ,という本が1冊ありまして,たまたま読んでいたんですが,これが行頭の拗促音・音引きすべて禁則,当然欧文なんかも単語が行をまたがったものにしないという,軽いエッセイ集の割には厳しい組版ルールを適用して作っているという本がありました。やっぱりお2人の仕事となると,それぐらいの凝り様はするんだな,と。日本のそうとうしっかりした文芸書でも,禁則処理というのはそこまでやりません。 |
| 小西● |
横山さん,いかがですか。 |
| 横山▼ |
欧文については,どんなに長い単語でも行をまたがらせない通常設定だと,どこかにスカスカの行が出来るわけで,その処理を考えた場合,個人的には音節の切れ目で行をまたがらせるハイフネーション設定(se-ri-ous)をかけた方がいいのではと考えています。
あと,先ほど改ページ後のムシクイ処理の話が出ていましたが,そのからみでいうと,京極夏彦の講談社ノベルスの小説(2段組)は今,作者自身がオペレーティングしていて,特に5作目以降はすべての段落がページと段をまたがらないように組まれているんですね。読者の圧倒的多数は気づいていないと思いますが。 |
| 前田■ |
いい組版とは,苦労の後が露骨に見えるのではなく,さりげないというところがいいわけです。あまり見破られないものがいいんですよ。 |
| 小西● |
よく,良いタイポグラフィは空気のような存在でなくてはならないという言葉を見かけますね。どんな仕事も一歩踏み込むと実に奥深いものがあって,一見さりげなくシンプルに仕上げられたものの背後に,実は血のにじむような努力や工夫が行なわれれていることがあり,組版も同じだということですね。プロの世界は何でも厳しいですねえ。 |
| 前田■ |
組版ルールのカナメは改行位置の発見と実践です。改行は,行の切断を連続として見せる技術で,パラパラ漫画のように,さりげない読者の視線や思考が引っかからずにサラッと読めるのが理想で,それが難しいところです。
それは府川さんがずっと研究されていますが,日本語の歴史とも関係がある。句読点の歴史もまだ新しいわけですし,候文,文語文は基本的にはっきりしていると。それが言文一致になって,連体形と終止形が一緒だと,記号が必要になってくる。それだけではなくて日本語の場合はリズムというか,リズムをとるためにも読点なんかが使われていくと,そういう流れ がずっとあるわけですよね。そうすると欧米のような分かち書きと清書法とはまた違う組版のリズムが求められる。リズムの方を重視すると,逆に組版の立場から,ここはどうしても原稿をいじって欲しいなあと思う場合が出てくるんですよ。私は出身が新聞なので,新聞の場合は「ちょっとこれ削って」とか「ここ埋めて」とかいえる人がそばにいたり,あるいは自分がそれを出来る権限を与えられていたから,けっこうきっちりと行の区切りをあわせるという訓練をしてたんです。今の組版の現場と著者の関係の中では,なかなかそういうことができないですからね。そうするとギリギリのところで組版の現場で妥協せずに追求するということで頑張るしかないんですよね。でも,本当は著者と良い意味でのキャッチボールが出来ないとだめだと思うんですよ。 |
| 府川▲ |
相当に細かいルールを作りますと,特に多重約物の処理と行の長さを揃えるための調整の間で規則同士が衝突するケースが出てきます。そうするとどちらを優先するのかもルール化される必要がある。これを考えるのがけっこう難しい。私は昔「超報道写真」という週刊誌(『アサヒ芸能』)の連載で,20字以下の字詰めにもかかわらず非常に厳しい規則を貫いたことがありますが,これは原稿整理までまかされていて約物の追加や削除など最 低限度なら原稿に手を入れても良いという権限を持たされていたからこその僥倖(ぎょうこう)でした。 |
| 前田■ |
ただ,いま問題になっているのは,経験や訓練の問題というより,分業における相手への思いやりの欠如じゃあないでしょうか。3行入れるために,近くで3行減らすとか,疑問出しをしてくれた校正者への感謝の気持ちとか,今ではすたれてしまったようですね。(次号に続く)
【一部敬称略/収録:1998年2月23日 東京神楽坂・聚珍社/採録文責:小西昌幸】
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