|
復讐と報復をこえる東京裁判批判はいかにあるか
書評・中島岳志著『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』
2007年10月
前 田 年 昭
編集者・アジア主義研究
『週刊読書人』第2707号 2007年10月5日付掲載 |
|
|
東京裁判で被告全員の無罪を主張したパール判事の意見書は,東京裁判を不当であると主張する人びとからパールの“日本無罪論”として利用され「大東亜戦争肯定論」の主張に結びつけられてきた。そのような解釈と利用を危惧し批判する著者は「今こそパールの思想や主張の全体像を提示しなければ」と,パールの生涯をたどり,「パール判決書」に検討を加えた。それが本書である。
パールが「東京裁判を批判した意図」はどこにあったのか? パールは一貫して「復讐」に反対したのであり,決して“日本無罪”と主張したわけではなかった。A級戦犯たちは「法的には無罪」ということであり,指導者たちの道義的責任までも免罪したのではないのである。
パールは,張作霖爆殺事件から満州事変,日中戦争への経過を検証,南京虐殺事件やバターン死の行進をはじめとする日本軍の「残虐行為」を事実と認定,「鬼畜のような性格」をもった行為として断罪した。A級戦犯たちは「過ちを犯した」。しかし,検察が主張した「全面的共同謀議」は立証しえず,また「平和に対する罪」「人道に対する罪」は国際法に存在しない事後法であり,罪刑法定主義の原則に反するとした。パールは,政治的意図が法の原則をまげることこそ「反文明」であると批判したのである。
絶対平和主義者であったパールは,日本は欧米列強の悪しき「模倣者」であって,欧米には裁きえず,その道義的責任は欧米にも日本にも存在すると見ていた。アメリカの原爆投下は「残忍」で「非人道的」で許せないが,「道義的な戦争責任と法的な戦争犯罪は別」という立場から,原爆投下さえ裁きえないのが国際法と国際社会の現状だと指摘し,世界連邦の運動にかかわった。日本の再軍備を批判し,アメリカの朝鮮戦争を批判し,その属国と化している日本を批判した。「法律ではなくリンチ」としての東京裁判に無関心で,アメリカ依存を強める戦後日本に対して,パールの憤りと失望は大きかった。――
著者は,パールの見解や主張に賛同しているわけではないと断りながら,「パールのご都合主義的利用が横行する現代日本において,まずはパールの発言を体系化しておく必要があると考えた」とあとがきに記しているが,その目的はこの労作によって十二分に果たされた。
課題は,報復や復讐ではない戦後処理はいかに可能か,ということである。太平洋戦争と大東亜戦争という二つの名前を持つ戦争は,二重性を抱えたまま,その二重性を明らかにすることなく「戦後」から新たな「戦時」へと移行し,「勝者の正義」による報復裁判はイラクのフセイン裁判として繰り返されている。東京裁判は十五年戦争を「対米英戦争」へすり替え,日本は“アメリカに敗北した”戦争だったと総括した。戦後日本は“中国をはじめとするアジア人民の抵抗戦争に敗北した”事実を認めず,侵略を認罪しえないまま依然,アジアの「反日」に包囲され続けている。
東京裁判は,天皇の戦争責任や毒ガスなど生物兵器使用を免罪した。戦犯たちはだれ一人認罪することなく処刑された。裁判は米占領軍の対日占領政策の一環だったのである。対照的に,新中国は千人を超えるBC級戦犯を教育と説得によって認罪に導き,一人も死刑にすることなく日本に帰国させた。報復ではない戦後処理の可能性を示した戦争裁判は「革命の論理」によるものだった――「法の論理」を拠りどころに報復を超えようとしたパールの無念を思うとき,私はそのようなことを考えた。ぜひ一読をすすめたい。
- ★表題について
掲載号には「復讐と報復をこえて/東京裁判はいかにあるか」との編集部がつけた表題で掲載されましたが、この文章の意図とずれてしまうので、ここでは私が送稿した当初のタイトルに戻しました。
|
|
(おわり)
|
Jump to
|
[Top Page] [BACK]
|
|
ご意見をお待ちしております。
|
電子メールにてお寄せください。
前田年昭 MAEDA Toshiaki
[E-mail] t-mae@@linelabo.com
|
|
|