句読点研究会ニュース第6号(後半)
常識や教育が異なる人の間の理解は今の異文化を知ることと同様の魅力

津田浩
(印刷会社員)
初めて参加させていただき,ありがとうございました。
 小松氏は日本語の研究と書かれたもの(書記)の研究は違いということを強調したいのだと思います。組版とは小松氏の言うところの書記のさらに特殊な一部分なのでしょう。私は書き手の考える文章の構造や雰囲気を伝えることができるのが良い組版と思っています。組版で使える手段というのは人間の生理や紙などの物理的な制約の中でできることは限られるのですが,さらに読み手の中の常識やこれまで受けた教育に引きずられてしまいます。
 今回の議論のように書かれた当時の常識が伝わっていない現代では古典を読むことは不可能なのかもしれません。でも,常識や教育が異なる人の間の理解は今の異文化を知ることと同様,私にとって何か惹かれるものがあります。
問いかけの十字路

鈴木一誌
(ブックデザイナー)
池田証寿の話は,刺激に満ちていた。解決済みの話を語るのではなく,自身がいま考究しつつあることを提出してもらった。わたしは,池田を通して研究の前線の雰囲気を感じる気がした。講演そのものが,ドキュメンタリーなできごととしてあった。多くの宿題をもらったと思う。
 「小松英雄と藤枝晃とを手がかりに」を第1部とし,「古辞書の翻刻」を第2部と,便宜的にしておくが,その両者を貫くテーマは,文字によって記された「書記」を超歴史的に受容することはできない,というものであったろう。当日,受けとることができた課題について記そうとしているので,なるべくその場で渡された資料から読みとろう。たとえば,第七回例会資料から読解できた「小松英雄」となる。
 小松英雄は,書記とは,と記す。
「社会慣習に従って文字を組み合わせ、情報を記録して蓄蔵したものが書記である」(当日資料,『日本語書記史原論』一九九八年,笠間書院,総説6ページ)
蓄蔵するためには,省略と誇張がおこる。わたしは,世界と地図の関係を思いうかべる。ことばが書記に変換されるとき,圧縮が加えられる。「書記テクストに反映された言語は歪んだ鏡像である」(資料,同書帯)。書記の向こうに,ある時代のことばの実状を望見するには,圧縮を解凍しなければならないが,客観的な復元はない。圧縮にも解釈が介入し,解凍にも翻訳が加わる。歪んだ像同士が鏡を挟んでいる。
 書記から情報を引きだすには,歪みの存在を公開しながらの解釈となろうが,その実例が,第2部「古辞書の翻刻」における繊細な手さばきだった。歪みの分布を公開するために,たとえば,漢字の字体に関するJISコードを目盛りとして活用するようすが伝わった。
 書記なる概念についての池田の話を聞きながら,ある文章を想起した。「文学のユートピア」と題されたボルヘス論である(和泉涼一訳)。
「作品の時間とは、書くことの有限な時間ではなく、読むことと記憶との無限の時間にほかならない。書物の意味はその前にあるのであって、後にあるのではない。それはわれわれの内部にこそあるのだ。すなわち、一冊の書物は、すでに出来あがった意味ではなく、われわれが忍従すべき啓示でもない。それは自らの意味を待つ形式の貯蔵庫であり、「いまだ訪れない啓示の緊迫性」、各人が自分でつくりださなければならない「啓示の緊迫性」なのである」(ジェラール・ジュネット『フィギュールI』,原書は一九六六年,邦訳は一九九一年,書肆風の薔薇,監訳花輪光)
書く側から読む側へ,視点の転換がうながされる。小松も,その転換について記している。
「従来は、もっぱら、書く側の立場から捉えられ、恣意的解釈が加えられてきた」(『日本語書記史原論』総説26ページ)
「書記は、書く立場よりも読む立場を優先させて捉えなければならない」(同書第七章274ページ)
書記を,超歴史的ではなく,かつ読む立場を優先させて捉えることはどのように可能なのか。小松は,「目前のテクストが、どういう目的で記されたものであるかを考えること」(資料,同書総説10ページ)が必要だと説く。書記は,情報の蓄蔵なのだから,「所与の書記テクストがどういう目的のもとに作成されたかを見極めること」(同書総説22ページ)がなければ,蓄蔵時の圧縮による偏りが矯正できない。
「歪んだ形で書記に反映された鏡像を適切な方法で補正し、テクストの背後にある言語を可能な限界まで復元するには、まず、当該文献の作成された目的を把握することが先決である。鏡像が歪められているのは、その情報を記録する目的に適合するように歪めて利用されているからである」(同書総説40ページ)
そして,「目前のテクストが、どういう目的で記されたものであるかを考え」,書記テクストを「コヘレント(coherent)なテクストとして包括的に解析」すること(同書第七章274ページ)の困難さが,当然,予測できる。
 作者とは何か,という問題が浮上しているように思う。「書く側の立場から捉えられ、恣意的解釈が加えられてきたこと」を批判するとは,作者至上主義を排することだろう。だが,「目前のテクストが、どういう目的で記されたものであるかを考え」ることは,ふたたび「作者」の影を見ることに接近しないですむのか。
 「『徒然草』第百三十六段をめぐる議論」は,作者とは何かについてのテクストとして読める。『徒然草』第百三十六段には,さまざまな作者が登場する。医師篤成に質問した有房,それを取りまく一座のもの,そして『徒然草』の作者である。さらに,結果的に座を盛りあげた医師篤成もまた作者と言えないことはない。作者は,できごとに方向をあたえる。席上,理解すべきテーマが,たとえば「偏」か「篇」のどちらかだったとしても,それぞれの作者がどちらで事態を理解していたか,順列組み合わせによるおびただしい数のケースが想定される。組み合わせとしては,『徒然草』の作者が勘ちがいしていたことも,可能性としては排除できない。一座のものも,思いを共有していたと保証されているわけではない。作者が無数にいる。
 小松が,「いちばんの問題は、筆録者である兼好が、それをどういう語と理解したうえで書き記したのか、というところにあります」(資料,『徒然草抜書 表現解析の方法』講談社学術文庫,一九九〇年,252ページ)と書き,つづく文章に「作者」ということばが二度にわたって出現するのに接するとき,「書く側の立場から捉えられ,恣意的解釈が加えられ」た「作者」ではないが,あらたな「作者」像が招来されている気がするが,同時に,『徒然草』第百三十六段を,あらゆる作者の層と無関係に受容できるとも思えない。読む行為には,だれかの心理や感情の起伏を理解したいとの欲望が本源的に貼りついているのではないか。一冊の書物は,「各人が自分でつくりださなければならない」覚悟をもって,宙空に浮遊させつづけるほかないにしても,読むことが,はたして他者という人称と無縁でありうるのだろうか。
 ここまで書いてきて,自明であるとは何だろうか,これが池田の言いたかったことではないか,と気づく。
 「表現のレヴェルにおいて、「天地初発之時」という漢字文の解釈は一つしかありえない」(小松英雄『日本語書記史原論』総説31ページ)ということと,組版者やデザイナーが,どのように組むかで「天地初発之時」という文字列の読者にあたえる表現は変化すると思うことは,同居するはずだ。排斥するのではなく複数の視点が共存すると考えることは,同時に自明であることを疑うことになる。単一の本文の内部にいるとき,自明であることを疑えないからだ。
 「宋版というモノの存在感にひかれる」(資料13ページ)池田は,どのように組むかによって表現が変化することを知っており,だからこそ,「『徒然草』の作者、およびその予想される読者たちにとって、部首が自明であったとは、とうてい考えられません」(資料,『徒然草抜書』253ページ)と書く小松に対して,つぎのように述べることができる。
「伝統的国語史研究が「言語を復元しようとつとめてきた」のは、それが自明のことであったからである。なにゆえに自明であったか、それを小松英雄は述べない。その自明性を検証することなしに、小松英雄の提唱する「書記」概念とそれによる日本語史研究にのれない、というのが現在の私の考えである」(資料5〜6ページ)
自明を疑うことが重層していく。どのように組むかどんな紙にプリントするかで表現が変化するならば,デザイナーや組版者,さらには紙の製作者も作者となろう。無数の作者は,作者がいないことと等号で結ばれるのだろうか,複数の本文と作家の関係はどうか,「所与の書記テクストがどういう目的のもとに作成されたかを見極めること」を,首尾一貫,実践できるのかどうか,作家主義はなぜ超えられなければならないのか。
 句読点を研究するとは,本文とは何かを研究することであろう。本文は,テクストや作者といった概念と隣接している。池田の発表は,多くの問題点の渦の中心にボールを置いた。パスはどの方向にもつなげたが,全方向に進めたがゆえに,会場にはあきらめの雰囲気が漂ったように感じられた。句読点研究会の作者はだれか。
 多くの問いが残された。
ほどいてしまって・しまってほどいて

脇田幸子
(翻訳ミステリ読者)
「なぜ「書記」なのか」という池田氏からの問いかけは広範で,もとより単純な解答はない。提示された考え方のどれか一つを受けとめようとするだけでも道のりは長い。ただ無理矢理短く何かを言おうとすれば,キイワードは「自明なものを疑う」になると思う。
 例えば「発展・進歩の歴史」として語られる「国語」表記について「実際にはその時代ごとに最良のシステムが選択されているにすぎない」という新たな視点が付け加えられる。
 すると「最良」とは何か,という次の問につながる。「特定社会の経済的・社会的生存にとって肝要な情報をいかに効率的に貯蔵すべきか」というガウアーが引かれるが,それによってまた何が「肝要な情報」なのかという次の問が引き出される。
 さらに,そもそも我々は肝要な情報を効率的に貯蔵したいと願っているかどうかも怪しいように思われてくる。と,どんどん連鎖して,問うことすら容易ではない。
 そしてこれらはどちらかというと「しまう」ほうの理屈だ。
 逆に『徒然草』第百三十六段についての各論は「ほどく」ほうの実践になる。
 ふつう作者は,どのような読者に向け(どのような常識に立脚し),なにを自明なものとして省略するかを踏まえて書く。また社会的(時代的)制約があり,技倆に限界がある。しかしそういった前提条件はあまり意識化されず,明文化されない。再現するのは困難だ。時間を経ると常識は分断され,変化し,遠のく。さらに時代を経ると,表現の形式もかけ離れる。
 ゆえに『徒然草』第百三十六段をほどこうとしても,畢竟その時代を何を手がかりにどう再現するかというある種の暗号解読めいた作業になってゆく。テクスト自体にテクストを読みとるための補助的な資料,つまりメタテクストのようなものが埋め込まれていない限り,完全な謎解きはありえない。その意味で藤枝氏の「日本語を楷書では書かなかった」は,書体がひとつのメタ情報だったのではないかという興味深い問題を投げかけている(なぜわれわれはそのメタ情報を失ったのだろう)。
 小松氏の解釈には,文章の意味だけを対象にせず,「へん」という仮名表記を謎かけの一要素として見いだすなどの面白味がある。また徒然草全体の段構成から上巻の末尾に相応しい内容が何かということまで考えようとしている目配りの広さが,迫力となって伝わってくる(いかなる解釈であろうとも,作品全体の意味に立ち戻らなくては「森を見ず」となるだろう)。
 一方「宋版というモノ」を鍵にした池田氏の解釈は,『解体新書』が伝わった時の医者たちの興奮を想像させるような面白さがある。新たな知識を印刷本という形で受け取ったとき,その詳細にこだわるのもまたありそうな話だ。
 いずれにせよ,通説と異なるこれらの解釈(=ほどく)の方法はなぜかいつも「しまう」とセットになって迫ってくる。果たして「ほどく」と「しまう」は同時に考えるべきことなのだろうか。
 うまく「しまう」ことなどできるのだろうか。図書寮本『類聚名義抄』翻刻の作業は,「ほどく」と「しまう」を同時におこなう現場を覗きみる興味深い実例だった。どうほどくのか,どうしまうのか。過去と現在と未来を結んで生き物のように動く「書記」を思う。
歴史の大激動期の〈前夜〉を想像することの愉楽

前田年昭
(組版者)
私の感想と意見,反省の結論を先取りして一言でいえば,当日の池田証寿さんによる報告は知的刺激にみちていたが,そのおもしろさをもたらしたところの問題提起の鋭さは句読点研究会のいまの活動スタイルではうけとめることができなかった,という主催者としての反省と責任を痛感したということである。

 第一の問題。池田さんが選ばれたテーマはたいへんおもしろく,転機にある句読点研究会にぴったりでもあった。「句読点を施し、仮名に漢字をあて、〔…〕漢字に振り仮名を施し、会話文であることを示す鍵括弧を加え〔……〕そのようにして作成された本文は、それを作成する者の解釈が示され〔……〕表記の上での非連続性は意識化されない。」との池田さんの指摘〔資料p.06〕から私は学ぶことができた。『徒然草』第百三十六段の「へん」をめぐるさまざまな解釈は,それぞれ一理あるようにおもえるところがいっそうおもしろい,というのは高校時代の古文教育におけるトラウマゆえなのか。
 ここで思い出した余談。昨年,句読点研究会の資料のゲラ刷りに目をとおしていたときのこと。漱石のすすぐという字の書体のちがいに気づいたAが指摘,組版をしていたBは「漱石の漱は“にすい”やから」と返答した。すると,横で校正をしていたCが「漱は“にすい”じゃなくてさんずいよ」と口をはさみ,一瞬,間をおいてAとBが笑い出した,ということがあった。Bのいう“にすい”はJIS漢字の第2水準を指し,やむなく他のフォントを使った理由として,当時まだ第1水準しか揃っていなかった使用フォントの範囲外としての“にすい”だと説明したものだった。これに対しCのいう“にすい”は漢字の部首の“にすい”のことだったのである。なにが正しいのか。ここでいう正しいとはその歴史と社会のなかで規範として一定の定着をみているものをさすが,それすら文脈を離れて論じることがいかにあやういかを示したエピソードである。
 私は,第百三十六段に登場する人びとの「へん」をめぐる暗黙知のありよう以上に,『徒然草』を書きつけた〈作者〉兼好自身の意識はどこにあったのか,をかんがえてみたいのである。第百三十六段の全体のなかでの位置,つまり上のむすびになぜこの話が置かれたのか,ということに関心を向けたのは小松英雄さんだけだったのだろうか。第百三十六段は序段プラス二百四十三段の統一体のなかのひとつ以外ではないはずである。また,第一段で「ありたき事は、まことしき文の道」と書いた〈作者〉兼好の文字と書字とにおける生活史,経験の歴史的蓄積からくる「常識」はどこにあったのか。そして,「つれづれなるままに〔…〕そこはかとなく」独語的に書いたといっても,〈作者〉兼好は読者を予定し,予想しなかったのか。いや,したにちがいない。その読者にとっての「常識」はどこにあったのか。当時の〈読者〉の側では『徒然草』はどのように受け容れられていたのか。そもそも当時の読者とはいったいどんな人たちなのか。読書人たちの「言説の従属の大がかりな手続き」(ミシェル・フーコー)としての,「常識」形成のシステムはどうなっていたのか。好奇心はつきない。
 『徒然草』が成立した14世紀はじめはどのような時代であったのか。亀井孝[1997]は
「日本語という火山は,千数百年の間に3度にわたって大爆発を起こし〔……〕第2の噴火は,平安時代に起こった真の意味の大噴火で,これで日本語火山の輪郭ができ上がった.すなわち,日本語を独自に表わすための文字としての仮名の層があたらしく地表を覆うに至った.〔…〕ここに,日本の古典文語が成立する.いわゆる「文語体文語」,これである.その後,この仮名による古典文語と漢字による“漢字文”〔…〕の層とは,互いに平行しつつ,こもごも多彩に層自体としてのふれあいを重ねて混淆をくり返す.」
と指摘し,石川九楊[2001]は書史の流れのなかで
「〔…〕和歌と漢詩、和文と漢文の分裂と統一の古代から、和歌と漢詩、和文と漢文の混淆と融合の中世が始まった。〔……〕和様御家流とは異なる宋元風の墨蹟の成立によって、日本の中世は、一方では御家流、他方では宋元直輸入型の書という文化の二文化の固定が始まった。それは言語で言えば、漢字仮名交り文の進展と五山文学に代表される宋元直輸入型の中国語への二分化であり、象徴的に言えば、御所を中心とする公家の文化と禅院を中心とする僧侶の文化への二分化であった。」
と位置付けている。その意味でも,報告で紹介された藤枝晃「日本語を楷書では書かなかった」(1996)にはわくわくした。池田さんは「内容の高度さゆえか,論争をよぶことはなかったようだ」と指摘していらっしゃる。日本列島の人びとから書体への意識はどのように消失していったのだろうか。池田さんによる再発見の営為への敬意とともに,新たな興味がわく。
 敬してやまない池田さんからの「伝統的国語史研究が「言語を復元しようとつとめてきた」のは、それが自明のことであったからである。なにゆえに自明であったか、それを小松英雄は述べない。その自明性を検証することなしに、小松英雄の提唱する「書記」概念とそれによる日本語史研究にのれない、というのが現在の私の考えである。」との指摘に対しては,問いかけの姿勢に共鳴しつつ,私はその結論には賛同できない,というより池田さんの問いを小松さんの提起への補強意見としてうけとめた。私自身は小松さんの提唱する「書記」概念,それによる日本語書記史研究を支持する考えをいっそう強めたわけである。言語は表現する言語であると同時に伝達する言語であるという二重性は言語史研究の出発であり,問いつづけてなお〈自明〉であり,言語史の研究の立場と観点については尊敬する亀井孝さんが教えているとおりとおもう。日本語の歴史を日本語でもって記すことに無自覚な傾向とはむしろ,カルチュラル・スタディーズを気取る小森陽一さんらのことではないだろうか。

 第二の問題。問題提起をうけとめることができなかった研究会のいまの活動スタイルの問題とは何か。端的にいえば「句読点研究会」が,同一の業界の専門家集団でなく,さまざまな異業種の寄り合いと交流としてあることの消極面がでたのではないだろうか。この研究会は,毎回の報告者はそれぞれの分野では専門家であるが,「会員」はそれぞれの回のテーマに関心を持って参加したその回の参加者であり「開かれ」ており,そこでの質疑や討論はその領域で専門家と同等の知識はかならずしも要求されず,いわば科学技術論が科学技術である必要はないのと同様,素人と専門家という関係を正面から問う契機をふくんでいた。組版を考えるとか句読点を研究するなどといういわば学際的なテーマゆえに制度化された専門の学会があるわけではないし,制度化されていないがゆえに財政的な自立も容易ではない。しかし,いや,だからこそおもしろくてやめられない。「本職」の忙しさなどおくびにも出さず,労力を提供し議論にくれる,そこには報酬を期待するのでない,新たな「委員会」の論理があるから,楽しくつづくのではないか。だがしかし,予告された要旨案内をひとしく読んで関心を寄せたがゆえのおのおのの参加であったなら,関連文献は自主的に読んでくるべきではないのか。司会を担当しながら,参加者の日常の技術論議に流されてしまった私自身の反省と自戒をこめて思うのは,この研究会と対照的な,固定した「閉じられた」会員組織のいいところ,つまり継続性と系統性が,この研究会では弱いということである。これまでどおり開いた場としてそのときどきで関心のある人がくればよい,とするのか,固定のメンバーで研究をつみかさねるのか,結論は急がないが重要な宿題として残った。

 日本列島の歴史はやがて〈作者〉兼好も「くすし篤成」もまきこんで,大きな激動と転換にさしかかっていく。漢字片仮名交じり文や漢字平仮名交じり文が無文字であった民衆の識字化を促し,文字を読むだけでなく書く人びとが飛躍的に増える。中国大陸から膨大な宋銭が流入,流通し,読み書き算術の発達とともに文字を有することによって武家や商人が力を蓄えていくのである。網野善彦[1997]は指摘している。
「十三世紀後半に入ると、文字の社会への浸透がいちじるしくなり、読み、そして書く文字として発達してきた平仮名を漢字に混じえた文書を、侍クラスの人はもとより主だった平民百姓も書き、同様のクラスの女性たちもまた平仮名の書状を書くようになってきた。」
食事のときに文字の話をやって「才のほど既にあらはれにたり」と人をコケにして笑うなんてだいたい趣味が悪すぎる,と私は当日の討論の席でも発言したが,この感覚は私だけなのだろうか。(鎌倉)幕末である。天皇の住居にゴミをまきちらす「異形」の「悪党」の時代,日本列島の歴史上の一大転換期である14世紀はすでにはじまっていた。そんなときに,後宇多法皇の前で趣味の悪い論議をしている公卿たちの姿を,瑣末な字形に拘泥し庶民の文字と書字から遊離した現代のJISコード批判論議と,重ねて受け取ってしまうのは,私のひねくれた性格ゆえなのか。へへへ,時代は幕末,世紀末,激動はすでにはじまっているのに,と想いながら私はつい,ほくそえんでしまうのである。この公家の時代の「末」にしろ,資本主義の時代の「末」にしろ,そこに生きる人びとは自分の生きている時代が「末」であることに気がつくのは,ずっとあとになってからなのだ。

〔文献〕
網野善彦 1997 『日本社会の歴史』岩波書店
石川九楊 2001 『日本書史』名古屋大学出版会
亀井孝 1997 「日本語の歴史」〔『日本列島の言語』三省堂(編著)所収〕


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