句読点研究会
第2回例会ご案内




2001年4月

句読点研究会
世話人=郡淳一郎、田中栞、前田年昭

句読点研究会は第1回例会(5月13日)の議論で,日本語の漢字・仮名・ローマ字・数字以外の補助符号,約物(句読点,括弧類,符号,記号)を対象に,その多様なあらわれと用法を研究していくことを確認しました。第2回は,余白や括弧類など文字の周縁を論じることをつうじて,話し言葉に対する書き言葉の意味を探求するジャック・デリダの議論をとりあげ,松葉祥一さん(哲学,神戸市看護大)の報告をもとに論議したいとおもいます。(企画担当・前田)
エクリチュールとしての句読点

――デリダの議論から
子どもたちは小学校で,息つぎをするところに点を打つのだと教わる。つまり句読点は,話し言葉を書き言葉に移しかえるための記号だと考えられている。デリダが『グラマトロジーについて』などで批判するのは,このようにパロール(話し言葉)を一次的な言語と考え,エクリチュール(書き言葉)を二次的な言語と考える言語観である。彼はむしろエクリチュールこそが原初的な言語だとする。もしそうだとすれば,句読点も本来エクリチュールであることになる。このようなエクリチュールとしての句読点という視点は可能だろうか? またそれはどのような射程をもつことになるのか?
 また,デリダは,「句読点〔中断〕――論文の時」や「鈎括弧のなかで」といったテクストでは句読点や約物について,また「余白」ではマージンについて,「シニェポンジュ」では帯や署名について,「有限会社abc」では著作権表示について等々,本文に対して二次的だと見られてきたテクストや記号,空白等を論じている。そのなかでデリダは,句読点やマージンなどが,本文に対して二次的な意味しかもたないわけではなく,それなくしては本文が本文たりえず,その意味で本文と同等の資格をもった「代補」だとしている。このように本文と同等の意味をもつような句読点を考えることは可能だろうか? またそれはどのような意味をもつことになるのか?
 このような問いを,デリダの議論から出発して考えてみたい。(松葉)

とき2001年6月10日(日)午後1時から5時まで
ところ小石川後楽園「涵徳亭」(飯田橋駅東口下車徒歩8分,地下鉄大江戸線飯田橋駅後楽園口下車徒歩4分,「テンとマルの会」で予約,庭園入場料は「涵徳亭」利用と名乗れば無料)
地図をご希望の方は参加申し込みのときにその旨,お書き添えください。
会費ひとり2000円
なお,整理の都合上第1回参加者はお名前を,初めての方はお名前とメールアドレス・ファクシミリ番号およびさしつかえなければご職業を書き添えて,今回はファクシミリで担当世話人・前田あてお送りください。




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句読点研究会連絡係・前田年昭
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