第8回例会感想




2004年8月

古賀弘幸


屋名池誠氏の『横書き登場』(岩波新書 2003)は新書ながら充実した内容だった。近代の日本語を検証する,という面白さに加えて,とくに「書字方向」という問題設定は,「句読点」という素材を足がかりに日本語を考えようとしてきたわれわれにとっても,「こんな切り口があったのか」という新鮮な驚きを呼び起こした。
「句読点研究会」の例会に来ていただき,熱のこもったお話をしていただいたにもかかわらず,短くない時間が経過しても句読点との関係などもなかなか整理できず,屋名池氏には申し訳ないのだが,新書と「句読点研究会」の例会で話されたことに触発されて,以下に思いついたことを記しておきたい。
書字方向は言語の線条性を視覚化したものである,と氏は強調する。その上で,書字方向は「どちらに書かれてもよいもの」である。実際,歴史上でも文字によっては書字方向は変わることがあるらしい。中野美代子の『チャイナ・ビジュアル』(河出書房新社 1999)では,シリア文字やソグド文字がある時点で横書きから縦書きに変わってしまったことが述べられている……。だとすると,なぜ・どのように書字の方向はある方向に決まるのだろうか? という問いがいっそう頭をもたげる。
それは,文字自身の中にすでに含まれているものだろうか。氏も漢字文化圏の文字が下と右の方向に連続しやすい構造を持っていることを指摘している(岩波新書p.67)。漢字は文字の構成法それ自体に「六書」のようなロジックを内蔵している。つまり,文字のセマンティックスとは別に,文字の内部に意味に深く関与するような構造と順序─シンタックスがあるのである。このことは高度に記号化され,抽象化されたアルファベットのような文字と異なって,文字の構成法と,文字が連続して書かれる際の法則が不可分である,ということにつながるようにも思える。漢字の構成的なシンタックス,それは具体的には「筆順」というかたちで現れる。「筆順」は通常,漢字を美しく合理的に書くための手続きだと説明されることが多いが,それ以上に漢字の構成法の視覚的な反映・表現ではないのか。しかしこれとて書字方向を完全に決めるわけでもないだろう。
現在の漢字の原型だと考えられる甲骨文字は,すでに縦に書かれ,行は左行するのが普通である(右行することもある)。しかし甲骨文や篆書は左右対称の傾向が強く,漢字の書体の中でも,行書,草書,楷書のようには書字方向に関与する度合いが少ないかもしれない。むしろ隷書は右横方向への動きが強い。書字に関わる線描方向が書字方向に先立っているということだろうか?
漢字が単に「音」ではなく,いわば「詞」に対応し,概念を代表しうる記号であることとも関係ありそうだ。屋名池氏も「一字がカバーする言語単位が大きいことも横書き化に有利に働いただろう」と述べている(新書p.67)。
もうひとつ,「書字方向」は「読字方向」と不可分のはずである。つまり「横書き」は「横読み」に貼りついて・支えられているものはずである。ところが,現在のように書字が,たとえばパソコン入力のように,文字に内在する原理とは関係なく行われることが多く,さらに横書きと縦書きがメディアの中で混在するような現在,この読むことと書くことの不可分性は変質しているかもしれない。また,たとえば翻訳の場合では,漢文を訓読するときには,下に下りたり,上に返ったりしながら読むということすら起こる。
取り急ぎ,『横書き登場』の「はじめに」で書かれているように,「書字方向」が「好事家の暇つぶし」などではない,言語についての広範な問題を引き寄せる,興味深い問題提議であったことを報告するにとどめたい。

※ 04.08.31改訂(04.09.01up)



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句読点研究会連絡係・前田年昭
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