WEB版 永瀬唯の「エラソーを斬る!」
第 1 回


大間違いだらけの「痴」政学――テクノエリートを気取る『知政学のすすめ』の正体

米本昌平『知政学のすすめ―科学技術文明の読みとき』中公叢書,本体1700円


1999年9月

永 瀬  唯
tad-nang@tokyo.email.ne.jp


吉野作造という政治学者をご存知だろうか?
 1878年(明治11)に生まれ,1933年(昭和8)に物故した彼は,戦前,植民地主義時代末期の日本におけるリベラル派のホープだった。
 その吉野作造の業績を記念し,彼の活動の拠点でもあった中央公論社によって制定された吉野作造賞の今年後受賞者が,8月の末に決定した。
 受賞作品は『知政学のすすめ』。著者は米本昌平。三菱化学社会生命科学研究室長。生命倫理の専門家として,ナチスにおける優生学を扱った著書もあり,また,環境保護問題の研究者として,マスメディアに珍重されている人物だ。
 で,この本が,トンデモないのである。
 まずもって本書は,科学史家による科学技術論から想像されるのとはかけ離れた,戦後史見直しをコアとするリヴィジョニズム的な視点からの警世の書である。
 オウム事件は,医者や科学者に本来要求されるはずの倫理を維持すべきギルド的共同体が日本に存在しないためにこそ深刻な事態となった。
 なぜ,職能集団内のモラルは喪われたのか? 社会的責任が官僚に集約される国家的パターナリズム(父権主義)と,マルクス主義を方便とし,政治や経済から離れた研究ほど良しとする“退行的な心理”が支配する悪しき象牙の塔イデオロギーに,これまた反体制を気どればすむところの“「口うるさい叔父」”たるジャーナリズムとの三つどもえの共犯関係が,冷戦=核戦略体制の空白地帯である日本の1955年体制を維持してきたからだ。
 しかし,冷戦構造が終わりをとげるとともに,そうした神話もまた崩壊することとなった。
 いまや,核戦略体制における,科学や医学,工学の国家動員システムは,地球温暖化,酸性雨,遺伝子工学といった問題への,“拡張された安全保障概念”のもと,“良質な危機意識が持続的に共有されるような,社会的な仕掛け”へと転化されなければならない。
 軍事機密という,社会の認知了解をはばむもう一つの壁に守られるのではなく,危機意識の必然を社会に説得するための,科学や医学といった分野の専門家と有益な NGO を中核とした“認識共同体”の構築と,国内,国際の両分野における,こうした認識共同体への“権威の再配分”,さらには“開発独裁型”官僚システムの解体や,“社会的な課題志向型”への大学の解体再編へ向けた“革命”が,今こそ必要とされている。
 非合理的な官僚主義を打破し,エキスパートによる,危機克服を核とした目標獲得型の合理的な組織論にもとづき,社会を再編成する……。
 やれやれ,著者がいきごむほどには,こうした思想は新しくもないし,“革命”的でもない。
 1888年,アメリカのエドワード・ベラミーが発表したユートピア小説『かえりみれば』は,産業を基盤とした未来像の新鮮さから広い注目を集め,類似した技術ユートピア文献の小ブームをもたらした。ベラミーの未来社会には議会も民主主義もなく,貨幣もなく,合理主義にもとづくエキスパート,すなわち職能により細分化された技術者の集団,すなわちインダストリアル・アーミー(産業軍)によって,効率的に運営されている。この理想社会では,ごく少数の異端者は病んだものとして断種処分の対象となる。
 それは,急速な産業化に抗して世紀後半のアメリカで大きな影響力をもった農本的なポピュリスト運動が,都市と産業(工業)を核とした近代的なものへと変容するきっかけとなった。事実,ベラミーはその後,この小説による名声をてがかりとして,産業の国有化をうたうナショナリスト・クラブのもとで,現実の政界への進出をこころみている。
 産業の専門家による社会システムの管理運用をうたう,こうしたテクノクラシー思想の起源は,フランス革命後のサン・シモンにあるとされる。ベラミーは,こうした潮流がアメリカに根付くにあたっての最大の功労者となったのである。
 行政管理システム(官僚機構)や,立法機関(民主的議会)の外側で,技術者や科学者によって,都市計画や科学技術振興といった施策の骨組みを決めるという諮問制度,諮問委員会制度は,ベラミーらの技術ユートピア主義の影響のもとで,世紀の変り目あたりになってから確立されたものだった。国家規模の実例として,まず挙げられるべきは,NASA(国家航空宇宙局)の原型となった NACA(国家航空諮問委員会)だろう。
 ベラミー的思想はその後,社会学者ソースタイン・E・ヴェブレンによって,エネルギー本位の経済システムのもと,技術者による政治の一元管理という形で理論化される。際限ない消費という文明の頽廃に抗して,社会を効率的に運営しうるのは,国家や社会を論理的に運営しうる技術者イコール技術官僚(テクノクラート)だけというわけである。
 それ自体は傾聴に値いするヴェブレンの思想は,1930年代のアメリカで,テクノクラート運動の名のもとに展開されるにおよんで,果てしなく,ファシズム思想へと接近してゆく。プロレタリアートならぬテクノエリートによる独裁万歳というわけである。
 反体制,社会改革運動としてのテクノクラート運動はその後,瓦解するが,第二次大戦下における軍事技術開発は,軍人と科学者技術者による,一種のテクノクラート軍閥体制を,同じアメリカにおいて完成させることになった。
 マンハッタン計画は,また,これを受け継ぐ形で戦後巨大化することになる,核戦略体制を方便とする産軍複合体制は,米本氏がポスト核戦略体制のかなめとして称揚するテクノクラート・イデオロギー(テクノクラシー思想)によってこそ生まれ,支えられていたのである。
 では,氏が称揚するありうべきテクノクラシーと過去の産軍体制とを分けるものは何か?
 米本氏が言うところの,職業集団が自律的にすべきところの倫理だろうか?
 だが,マンハッタン計画をささえたのは,科学者や技術者が共通にいだいいていた崇高な倫理そのものだったのではなかったろうか?
 米本氏が説くところの職業倫理なぞには,アラマゴードや広島,長崎の核の閃光を防止する役割を果たすことは,はなから不可能だったのである。
 いや,彼らはまさにそうした倫理にもとづき,あの虐殺兵器を完成させたのだ。古色蒼然,国を運用する貴族の義務を語る「ノーブレス・オブリージ」の焼き直し,裏返しのエリート意識の発露によって,彼らはアラマゴード,広島,長崎,ヴィキニ,テキサス,カザフスタン,新疆と続く核戦略体制を作り上げたのだ。
 かつて,大陸の覇権を「地質学」にもとづき理論化した「地政」学は,脱モラル,脱イデオロギーをよそおった,一見,科学的な地理的要素にもとづき,帝国間の覇権の構図の上に立って,戦争の必然とその勝敗を読み解いてみせ,よって,列強帝国主義の自己正当化の道具となった。ならば,地球的環境危機をもって新たなテクノクラシー支配を正当化しようとする米本氏の「知政」学は,ファシズムとテクノクラート主義とのハイブリッドという点からしても,地政学の正嫡の子たるにまさにふさわしい「新」思想といえるだろう。
 にしても,該博と思える知識や豊富としか見えない情報のすき間のそこここに,ちょっと目を疑う過誤や,納得しかねる記述が散見されるのはどういうことだろうか?
 米本氏は,弁護士会により自治的な綱紀の粛正がなされる弁護士と対比させつつ,わが日本でオウムにかかわった医師たちの逸脱が“プロフェッションとしての自治との見合いの関係にある”,懲罰規定を持つ強制参加の身分組織がなかったからだと論断する。しかし,医者はともかく,筆者の知る限りでは,欧米の弁護士制度のうち,少なくともアメリカに限れば,弁護士会に類する組織はなく,弁護士の資格の認定ならびにその監査の権限は,それぞれの州法にもとづき,原則として司法機関に帰属しているはずである。
 つまりここでは,欧米と比べると日本は,という論脈の,その欧米における実体が存在しないのである。
 オウム関連の記述にはまた,“レーザーは,兵器としての破壊力が小さすぎ,アメリカの SDI(戦略防衛構想)研究でも途中で研究対象から外されている”とある。
 なるほど,SDI 計画の末期に,ミサイル迎撃システムの柱と目されたのは,宇宙配備で物理的破壊弾頭を用いるブリリアント・ペブル案ではあったが,レーザー兵器が SDI の研究対象から外されたことは,一度たりともない。
 それどころか,SDI 構想に関係した兵器の中では数少ない,野外での遠隔破壊実験に成功したシステムの一つがレーザー兵器であることを,米本氏は無視したまま,このような言い切りを行なっているのである。
 また,氏は,“クリントン大統領が就任早々の九三年五月,そのちょうど一〇年前にレーガン大統領がぶちあげた SDI(戦略防衛構想)の打ち切りを決めた”と記している。
 しかし,この文言そのものは正しいものの,SDI を担当した SDIO(戦略防衛構想局)は,その名を BMDO(弾道弾防衛局)と改名,実質的に存命しており,最近さわがれている戦域防衛ばかりでなく,やはり名を国土防衛計画と変えた,かつての SDI プランそのものにも,改名以前とほとんど変わらぬ巨額の予算が投じられている。
 これは,レーザー兵器開発も同じで,SDI 計画の中止後は,戦域ミサイル防衛計画へと引き継がれ,747改造の空中レーザー発射基地によるミサイル迎撃の実証研究が進行中である。
 オウムのレーザー兵器「開発」の荒唐無稽さを笑うこと自体に異議はない。しかし,現実の計画の存在を無知によって否定した上での批判となれば,目くそ鼻くそを笑うに等しい。オウムの愚かしさは,焦点距離数cmでしか役に立たない溶接用,外科手術用のレーザーをそのまま転用すれば,遠隔破壊ができると信じた点にあるのであって,近距離の迎撃用なら,軍用レーザーが有効であることを否定する軍事専門家はいない。もっとも,数百km以上の距離の戦域ミサイル破壊となると,今度は役に立つと述べる筋は,軍産複合体制の買弁的論評家に限られることになるのであるが……。
 つまり,氏の指摘とは裏腹に,米国の軍産複合体制は,冷戦崩壊後もなおしぶとく,末端肥大のバロック的延命をはたしつづけているのである。
 また,米本氏は,SDI 計画について,“レーガンは「スターウォーズ計画」と名づけた”と明記している。しかし,「スター・ウォーズ」と命名したのは,あくまでジャーナリズムである。ために,自分の映画のタイトルが,このような野蛮な計画の呼称に使われることに怒ったジョージ・ルーカスも,法的な処置をとれなかったと記憶する。米本氏が,レーガン大統領が,ジャーナリズムでの使用よりも先に,スター・ウォーズなる呼び方を用いていたという歴史的事実をご確認ずみなら,ぜひともご教示ねがいたい。
 ついでに言えば,レーガンがソヴィエト連邦になげつけた悪罵は「悪の帝国」(イーヴル・エンパイア。1983年3月8日の演説より)であって,氏が記す“「悪魔の帝国」”ではない。
 SDI については,専門外だからという弁護もありうるかもしれない。しかし,米本氏の専門テーマが,生物学倫理(バイオエシックス)である以上,石井部隊や生物兵器という氏自身の専門分野における,職能にかかわる間違いは,それこそ,氏の理想とする社会において,職能集団による“懲罰”の対象となることだろう。
 氏は,オウムの生物学兵器「研究」にまつわる形で,“歴史上唯一,公式に確認されている生物学兵器研究施設は,戦前の中国東北部にあった日本軍の七三一部隊で”あり,アメリカは七三一部隊の研究を,“参考にして体系的な研究を行ったのだが,「実戦的価値なし」との結論に達したものと思われる”と断じている。
 ナチス・ドイツの人体実験についての著書もあり,最近明らかとなった,戦後米軍部によるプルトニウム投与人体実験についても著書で触れている同じ人物が,石井部隊のみが,歴史上確認された唯一の生物兵器研究機関であり,アメリカ軍は戦後その研究を受け継いだが放棄したと明言しているのだ。
 確かに,石井部隊が実戦に投入した生物兵器の「戦果」についてはきわめて疑わしい。しかし,石井部隊はあくまで実戦を目的とした研究開発機関であり,純然たる研究機関ではなく,さまざまな証言からしても,中国大陸において,実戦への使用がおこなわれたことは間違いない。また,日本陸軍は,石井部隊以外にも,動植物を対象とする生物学兵器を研究開発する関東軍第100部隊(若松部隊)を「満州国」に配備していた。
 アメリカが石井部隊の研究資料を入手したことは公式に確認されている(筆者はアメリカの旧生物兵器研究施設フォート・デトリックから,分析レポートをとりよせたことがある)が,戦後アメリカにおける生物兵器の制式採用をうながしたのは,日本からの技術移転ではなく,有害な病原体のほぼすべてを空気感染させることができる,エアゾル散布技術である。
 細菌の培養液の霧状散布実験は石井部隊でも行なわれていたが,散布時の物理的衝撃で病菌が死ぬなどの障害により,実用レヴェルには達していなかった。
 その米国では,1969年から1970年にかけて,ニクソン大統領が,生物学兵器の以後の使用を行わないまた製造しない旨を宣言し,さらに,既存の生物学兵器の廃棄を命令,フォート・デトリックの研究所も非軍事目的に転用された。
 これを言い換えれば,それ以前において,生物兵器を開発,配備していたことを,アメリカは公式にみとめているのである。
 1950年代のアメリカでは,殺人を禁止する教義ゆえに軍医・衛生兵としての従軍をめざした第七日再臨派の青年信徒たちを用いた病菌の感染実験が実施されたし,大腸菌などの雑菌を蛍光剤処理し,戦時の感染状況をシミュレートするため,東西の大都市の地下鉄トンネル内への大量散布が何次にもわたって実行されている。
 また,ロシアにおいては,1992年にエリツィン大統領が,公式に,過去,生物学兵器の開発が行われたことを認め,以後の開発配備停止を宣言した。ただし,同国の計画発の中枢にあった元幹部により,最近になってから,その後もひそかに研究開発がなされていたことが暴露されている。
 現在では,ソ連の生物兵器研究が,1920年代末から1930年代にかけてのナチス・ドイツとの軍事協調路線のもとで開始されたことや,その研究施設のカスピ海の孤島における所在までもが明らかとなっている。
 完全に計画が放棄されたとは言えないという点では,ソ連とほぼ同じ時期に生物兵器研究を本格化したアメリカも同様で,ニクソンの宣言以後も,防衛のためという名目での研究は継続されており,致死性の微生物に対する遺伝子組み替え実験さえいまだに行われていることは,周知の事実である。
 米ソ以外では,英国陸軍が生物兵器開発のためのポートン・ダウン研究所を運用していたことが確認されており,1962年には,施設からもれでた病菌による肺ペストで,研究員一名が死亡している。同様の事故は,1979年にソ連のスヴェルドロフスクの研究施設周辺でもおきており,100人以上とも言われる人間が炭疽病により死亡している。この事件については,自然流行との説もあり,議論がわかれていたが,これまた近年の情報公開により,やはり生物兵器施設からの事故による流出だったことが確認されている。
 スヴェルドロフスクでもれでた炭疽菌の兵器利用を最初に本格化したのはイギリスで,散布実験に用いられた無人島は,土壌汚染により,現在もなお立ち入り禁止の状態にある。
 さらに,湾岸戦争後の国連チームによる査察によって,イラクが生物学兵器研究を行っていたことも確認されており,1995年には,内部からのリーク情報暴露にあったイラク政府は,炭疸菌兵器研究開発工場が存在したことを自ら認めている。
 731一部隊が唯一の,公式に認知された生物学兵器研究施設だという米本氏の主張は,となれば,いかなる歴史的認識にもとづくものなのか?
 また,氏は,アメリカが軍事大国になったのは,第二次大戦以後のことであるとして,“一九三九年の戦争直前のアメリカは,兵力十八万五○○○人,予算一四〇億ドル(九〇年ドル換算)の国でしかなかった。どこの国とも同盟を結ばず,海外駐留もいっさいなかった”とする。氏は別の箇所で,“一九三〇年代までのアメリカは,モンロー主義の大国であり”とも記している。
 しかし,アメリカのそうした国際的な立場は,欧州の先進諸国(帝国主義列強)との間でしか成り立たなっていなかった。
 どうやら,氏の視野からは,米西戦争をはじめとした,ラテン・アメリカ諸国やフィリピンなどへのアメリカ合衆国による帝国主義的侵略という史実がすっぽり抜け落ちているらしい。
 1832年のジェイムズ・モンロー大統領の演説から始まるモンロー主義とは,アメリカ合衆国が,「西半球」,この時点では南北アメリカ大陸の利権を維持し,欧州列強の侵攻を排することを意味しており,南北アメリカ諸国の独立を尊重するとのお題目こそ語られているものの,国境の外側への軍事・非軍事的干渉を行なわないなどというおめでたい意味合いは,まったく含まれていない。
 しかも,1898年の対スペイン戦争勝利を機会に,モンロー主義的なアメリカの覇権領域は西端で中国に接する太平洋全域にまで拡大された。1904年の演説において,セオドア・ローズヴェルト大統領は,モンロー主義の名のもとで,極東,南北アメリカへの軍事介入が正当化されると断言している。
 米西戦争までに限っても,アメリカが軍事介入をおこなった国々は,キューバ,プエルト・リコ,ギリシア,フォークランド,スマトラ,アルゼンチン,ペルー,,メキシコ,フィジー,サモア,中国,トルコ,日本,ニカラグア,ウルグアイ,パナマ,アンゴラ・コロンビア,ハワイ,朝鮮,ハイチ,チリと枚挙のいとまもないほどである。
 米西戦争における勝利によって,さらに,フィリピンやキューバ,パナマやグアム,プエルト・リコなどが,米軍の直接間接の支配下に置かれることとなった。
 軍事力を基盤とした,こうした植民地主義的支配は,国内にわきおこった,マーク・トウェインら同時代の知識人による反対の声を圧殺することで実現した。
 中でも重要なのは,1900年に併合されたハワイはもちろん,パナマ(運河全域を軍事支配),キューバ(グアンタナモ湾海軍補給基地),フィリピン(クラーク空軍基地の前身フォート・ストーツェンバーグやスービック湾海軍基地など),グアム(軍政),さらにはプエルト・リコにも設置された米軍事基地の存在である。
 上記のデータは,ごく一般的で安価な CD-ROM 百科事典複数にあたった結果である。同じ百科によれば,米国は1912年から1933年にかけてはニカラグアに,1915年から1934年にかけてはハワイに,1916年から1924年にかけてはドミニカに海兵隊を駐屯させていたという。ハワイの真珠湾に海軍基地が設置されたのは1911年のことであり,フィリピンやキューバなどのそれと同様,太平洋戦争勃発まで確実に維持されていた。
 戦争というと帝国主義列強間の争いにしか目がゆかない,帝国主義的歴史観からすれば,18万5000の戦力は無に等しいであろう。しかし,植民地の支配と抑圧とのための軍勢としては,それは十分すぎる兵力だったのである。
 いや,ここでまたしても新たな過誤についてふれねばならない。米本氏があまりに自信を持って断言しているために,この18万5000人という数字を確認するのを忘れていた。
 本棚の奥に眠っていたアメリカ商務省の独立革命から1965年までの統計集成(より近い年次までのものが原書房より翻訳,刊行されている)によれば,1939年に現役勤務についている将校兵士の総数は,陸軍,海軍,海兵隊をあわせて33万4473名。陸軍にしぼっても18万9839名で,将校をのぞいた陸軍兵士総数も17万5353名であり,順列組合せにより,いかにおかしな算出基準を採用したとしても,米本氏の述べる18万5000という数字とはいずれもまったくくい違っている。
 ならば,1938年にはどうだったかというと将校兵士の総数は32万2932名,1940年は45万8365名となっており,これ以前に米軍が18万程度の少数で構成されていたのは,17万9376名に達した,一次大戦中の1916年以前のことであった。
 とするなら,1939年に18万5000人の兵力という米本氏の主張は,いったい,いかなる根拠にもとづくものなのだろうか?
 数字の間違いもさることながら,“海外駐留もいっさいなかった”というのも,は実にまったく恐れいった発言ではある。ここまで来ると,『知政学のすすめ』で語られている世界の歴史は,妄想の産物としか思えなくなってくる。
 同様の信じられない間違いは,地球環境観測研究の元祖ともいえる,“一九五七年六月一日から一九五八年十二月までの十八ヵ月”にわたって,東西をこえた全世界の国々が協力して行われたとの,地球観測年(IGY)についての記述にも含まれている。
 氏は“IGY が計画されたのは,表向きはこの年に太陽黒点が活発になることが予測されたからである。/だが,もう一つの理由は,世界初の人工衛星スプートニクに対抗して,アメリカが科学衛星を打上げることにあった”と断言している。  しかし,スプートニク1号が打上げられたのは,周知のように,1957年10月4日。IGY の計画が提案されるよりも前どころか,米本氏が記している IGY 開始の日時よりも4箇月ものちのことである。偵察衛星なぞ存在していない時代のこと,アメリカは,同じ1957年の8月にソ連が ICBM 打ち上げ成功を世界に報じたのちになってさえ,スプートニク打上げまでの動きをまったく探知できていなかった。
 しかも,だ。
 地球観測年が開始されたのは,1957年の6月1日ではなく,7月1日である。堂々たる言い切りに幻惑されて,この批判文の初稿時には気がつかなかったのだが,計画が終了した翌1958年12月31日までの日にちも,氏の記すとおりなら19箇月でなければならない。年表的なこの事実の確認にも,ぼくが用いたのは,前記の百科類だけである。該当章初出の「国際環境」誌編集部や,中央公論社内の単行本担当部局では,まともな校閲作業をいっさいがっさい放棄していたのだろうか?
 また,事の真偽をこえて,氏のこうした記述は,科学的知識拡大のため,思想体制国境をこえて世界的に協力してゆこうという IGY の理想,それこそ,氏が記すごとき“哲学的”理想をおとしめるものではないだろうか?
 厳密な事実確認こそできていないものの,同書におけるあやしい記述はまだまだたくさんある。
 だが,その中でも,一箇所だけ,米本氏が友人の,オウム・シンパとして糾弾された島田裕己氏を擁護している部分の記述だけは,省略するわけにいかない。
 問題なのは,“教え子疑惑”の渦中にあった,島田氏告発側の学生の家族に関する発言だ。
 “島田氏に直接の責任はないのだが,私の体験から言っても,危機的状態にある家族が身内だけで語るとどうしても出口のないグチになりがちであり,あの先生さえいなかったらという思いがつのり,それが島田氏と学生の家族とのミゾを大きくしてしまったことは想像に難くない”と米本氏は記している。
 当事者の家族が島田氏に抱いた感情は,危機的状況による,出口のないグチにすぎないと,氏は言うのだ。
 この言説は,当然ながら,冷静に状況判断をしうる第三者たる自分という存在を前提としている。
 患者は,あるいは患者の家族は,危機的状況ゆえに,また無知なるがゆえに,冷静な判断はできない。だから,私イコール医者が情報と事態への対処方法を代わって担当するのだ。いかなる「告知」も,無垢で無知なペイシェント(いたいけな患者)には行なわなくともかまわないのだ……。
 裏返されたエリート意識にもとづく,こうした傲慢な発想を,パターナリズム,すなわち,父権主義と,現在の医学界では言う。
 氏は,国家権力によるパターナリズムこそが日本を駄目にしたと説く。だが,悪しきパターナリズムの持ち主は,オウムに娘を奪われた家族の怒りと苛立ちとを“出口のないグチ”と断じて恥じない,学者ギョーカイの友達思いたる米本氏自身ではないだろうか?
 “思い上がり”や“無神経”,“知的鈍感さ”ゆえに糾弾されるべきは,象牙の塔にこもるおめでたい学者連中ではなく,三菱という旧財閥資本の研究所の中で,間違いだらけのお説教を書きつづって恥じない米本氏の方ではないのか?
 吉野作造賞の授賞式典は10月におこなわれる。
 おせっかいを承知であえて言おう。吉野作造賞選考委員会と中央公論新社は,こうした間違いだらけの著作を選んだことについて公式な弁明と謝罪をおこなうべきであろう。


(本稿の短縮版は,1999年9月末発売の「日経Win PC」連載コラム「エラソーを斬る」にも掲載される)。

    (おわり)


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