「煽情的」北朝鮮報道のなかから希望を掘り起こそう!


「12・21緊急車座討論集会」に参加して



2003年1月21日加筆掲載(2002年12月22日初稿投稿)

前 田 年 昭
précaire編集者

『メキキ・ネット通信』メール・ニュース vol.11(1) 2003年1月21日付 掲載

「メディアのどこかに希望はあるの?」 メディア批判とは「裏づけがない」と愚痴ることでなく自ら裏づけをとることですし,小さな動きであっても新しく生まれつつある“光”を掘り起こすことで“闇”もより見えてくるものです。あるかないかを評論するのではなく希望は見出すものであり,そこに“目利き”ネットの存在意義があると私はおもいます。
 昨9月17日以来ずっと毎日2時間以上,テレビのワイドショーを中心に北朝鮮報道を(目をそむけながら!)観察し続けてきました。11月下旬からわずかですが問い直しと変化の兆しが芽生えています。その典型的事実は次の三つです。
 第1に,11月22日,参院議員会館で独立系ジャーナリストらによって行われた「これでいいのか!? 北朝鮮報道」という記者会見です。これは,ACT新聞とVIDEO ACT! によって伝えられ,翌23日付『東京新聞』も大きく報じました。
 第2に,『北海道新聞』が11月22日付から始め共同通信や『河北新報』も追った,札幌の西本願時札幌別院で強制連行の朝鮮人遺骨102人分が合葬されていたことがわかったとの報道です。
 第3に,メディア自身の側からの北朝鮮報道の自己検証の動きであり,11月26日付『毎日新聞』は「検証・北朝鮮報道40年」を見開きで特集しました。その後,人権と報道・連絡会編『検証・「拉致帰国者」マスコミ報道』が社会評論社から刊行されました(2003年1月刊、ISBN4-7845-1425-2)。
 私はここにメディアの再生への希望を見いだします。右派言論にうち勝つためには「部分を全体に広げるレトリックがいけない」などという無力な論評ではなく,事実行為としての三つの小さな,希望の光を繰り返し繰り返し全体に広げていきたいと私はかんがえています。

批判精神無き後に残ったものは「おかっ引」根性 現在の北朝鮮報道が「人道」の名のもとに思考停止に陥っているありさまは,北朝鮮への帰国事業をやはり「人道」の名のもとに横並び報道しかしえなかった40数年前の状況と残念ながら酷似しています。
 「重油を止めることによって北朝鮮政権を崩壊させる」とか「食糧を送ることは金正日政権を延命させることになる」という議論は,国家権力の視点であり,かの凍土の国にも日々生き生活している人びとがいるということが忘れられています。これはジャーナリズムだけでなく,日本の左翼運動や社会運動が民衆をどうみてきたのかという問題にも通じるものがあるのではないでしょうか。「選挙の一票」や「市街戦の一兵」としか見ることができない民衆観はまた,呻吟する北朝鮮民衆を「洗脳されたロボット」としか見ることができず,また,日本人拉致被害者家族の叫びは,これまで万余の朝鮮,中国はじめアジアの民衆が日本の国家・企業に対して訴えつづけてきた調査と謝罪,補償,原状回復の叫びと同じであることに想いが届かないのです。
 国家権力の代弁をして“国論”形成に躍起になる「目」にはすでに《モノを視る目,感じる心》は失われ,ジャーナリズムの原点たる批判精神はありません。

第三世界の視点で自らを対象化することから 12月11日のイエメン沖でのスペイン軍と米軍による北朝鮮船への「臨検」事件の際も各紙第一報は公海上での「臨検」は国際法からみてどうなのかという海洋法学者からのコメントすらとることなく,また国際法からも無法なアメリカの海賊行為のねらいは何か(イラク向けというでっち上げにより北朝鮮−ミサイル−イラクという「悪の枢軸」を宣伝してイラク攻撃の口実にしようとしたのではないか)という分析すらありませんでした。韓国のハンギョレ新聞や中央日報は第一報の時点から国際法からも無茶苦茶なものだと批判し,ロサンゼルス・タイムスですら無理無法だと指摘していました。(翌日朝刊でやっと『毎日』が国際法からの問題点を指摘するコメントを載せ,『読売』が上記外電を1段記事で伝えました)。
 国務長官パウエルは昨12月29日、日本近海でも「臨検すべき船はすべて臨検する」と公言,12月30日付商業紙は各紙ともまたまたその発表を垂れ流しています。つまり、すべてとは言いませんが,日本のジャーナリズムのほとんどは,国家権力の直接的圧力によるまでもなく,また「自主規制」に基づくのですらなく(!),権力の後追い報道をするのみなのです。
 いまは幸いなことにウェブ上でも翻訳ソフトで韓国のメディアも読めますし,アジア各国の報道や国内でも『沖縄タイムス』『琉球新報』や『北海道新聞』と比較検証することからだけでも,日本のマスメディアの「異常さ」を対象化することができます。
 「歴史の無視,無知」に対する批判とは,現在とは過去の蓄積であるという視点からの調査報道に徹することでしかなしえないとおもいます。右派言論が「過去の強制連行をもって,現在の拉致と相殺できない」と主張し,『産経』や『文春』が『朝日』や『世界』の「過去」を「断罪」するときに,反論側が腰が引けてしまっているのは,自らも「過去」を現在と切り離されたものと認識しているからです。強制連行も帰国事業も拉致事件も何ひとつ調査公開されず謝罪も補償もされず,つまるところ《いま》のことであり,けっして「過去」ではない!

フジテレビバッシングと週刊金曜日バッシング ジェンキンスさんインタビューをした『週刊金曜日』へのバッシングはメディアの自殺行為です。しかし,『週刊金曜日』自身も含めて反論が及び腰になっているのが現状です。なぜか。それは,先に行われたキムヘギョンさんインタビューをしたフジテレビ他に対する「異様な」バッシングにつづく「異様な」雰囲気にのまれ,萎縮してしまったためです。
 視聴者の「俗情」への媚びという点ではフジテレビの視線は下劣ですし,『週刊金曜日』にも手順などで検討の余地があったかもしれません。それはそれぞれのメディアが今後への反省材料とすればよいことです。恥じるべきは横並びの談合ジャーナリズムの側であって,「北朝鮮当局の許可を受けた」ことをもって取材や報道を色眼鏡で見,権力と一体になって非難するなど本末転倒です。
 この点では,私とは政治的立場はおおきく違う方ですが岩見隆夫氏の次の主張は正しいものだとおもいます。
 左派やリベラルを自認する人びとのなかには,残念ながら,『週刊金曜日』インタビューは擁護してもフジテレビインタビューは擁護しないという主張もありますが,ジャーナリズムにそのような政党政派や企業意識をもちこんではならないとおもいます。ジャーナリズムは在野の批判精神にもとづく調査報道という点で広く手をつなぎ,権力に対峙していってほしいとおもいます。

* 2003.04.03 リンク付けを追加(4つ)
* 2003.07.04 人報連リンク補正、読売リンク切れはママ
* 2004.05.24 前記読売記事も含めリンク切れをInternet Archiveで発掘補正
(おわり)


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前田年昭 MAEDA Toshiaki
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