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〔書評〕
安田敏朗著 『植民地のなかの「国語学」時枝誠記と京城帝国大学をめぐって』 『帝国日本の言語編制』
1999年6月
鈴 木 広 光
九州大学講師
『国語学』197集(国語学会、1999年6月30日発行)
に掲載されたものを許諾を得て転載
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九〇年代に入ってから、ナショナリズム論やポスト・コロニアリズムの隆盛にともなって、近代日本における「知」の起源をさかのぼり、所与とされていた事柄の恣意性とそこに隠蔽されてきた政治性を暴き出す試みが、思想史の分野を中心に盛んに行われている。俎上に載せられた学術は柳田民俗学や国史学などいろいろあるが、「国語学」もその例外ではなかった。否、公にされた文章の数からいえば、「国語」概念の形成とそれをアカデミズムの側から支えた「国語学」こそ、この文脈で語られている最も中心的なテーマであるといっても過言ではないだろう。それは、これまで自明のものと考えられてきた「国語」が、国民国家形成の不可欠な構成要素として恣意的に構築され、その恣意性ゆえにすぐれて政治的性格を帯びた概念であったことが、先の思潮によって、きわめてわかりやすい形で提示されたからである。つまり、三十年近くも前に亀井孝によって「『こくご』とはいかなることばなりや(注1)」と発せられた問いの意味が、ほかならぬ「国語学」という制度の内からではなく、外部的視線による批判に曝されながら、ようやく認識されるようになったというわけだ。さらにこうした枠組みは、表記法の技術や「国語」認識における「伝統」と「革新」との対抗図式の枠内で論じられる傾向にあった近代日本の「国語国字問題」を、政治状況や国際関係、そしてなによりも日本語と異言語との対峙という、よりダイナミックなバースペクティブのもとに解放して語り直すことを可能にしたのだった。知の分野におけるこのような潮流が、国語学者、日本語学者の間でどれほど認知され、また重要な問題として受けとめられているのか私にはわからない。ある意味では「国語学」という学問制度の存立基盤さえも脅かされかねない批判に対して、当の国語学者からは何の反応も見られないからだ。
こうした状況のなかで、ひとりの自称「元・国語学徒」による痛烈な「国語学」批判の書があらわれた。安田敏朗の『植民地のなかの「国語学」』がそれだ。この本が言わんとしていることは、「一国国語学の呪縛」と題されたカバーの紹介文が端的にあらわしているので、ここに引用しておこう。「国語学者・時枝誠記にとって植民地朝鮮とはいかなる場であったのか。その言語理論『言語過程説』から、どのような『国語政策』が導き出されたのか。『国』の名を冠した学問体系に絡め取られていった一国語学者の時代像を、当時の他の研究者の議論や朝鮮総督府の政策などとともに、総合的に描き出し、『国語学』の構造を浮き彫りにする。」
時枝とその言語論が植民地朝鮮との関わりから語られたのは、この本がはじめてではない。既に九二、三年頃から柄谷行人や川村湊らによって、言語過程説が京城帝国大学赴任時代に形を成してきたという事実がクローズアップされ、この言語理論と言語政策論との関わりについて、いろいろな評価がなされてきた(注2)。安田も同じ問題意識から時枝を語っている。ならば、本書の価値はどこにあるのか。まずあげられるのは、時枝の京城帝大時代の足跡を周辺の出来事と関連づけながら、丹念に追うことによって、直接的ではないとはいえ、彼が朝鮮総督府の「国語」政策に関与したことを実証的に明らかにした点にある。とくに、京城帝大で時枝の教えを受けた総督府学務局編修官・森田悟郎が「国語常用」を推し進めることを主張する文章で時枝の論文を参照していたという事実の指摘(第五章第五節)は、すでに川村湊によって「いわば状況証拠によって時枝誠記の『植民地主義』を批判してきたこれまでの論点を、一歩先に進めたもの(注3)」と高く評価されている。こうした実証はまた、この本の核とでもいうべき、第五章「朝鮮総督府の国語普及政策と時枝の国語普及方針」で展開される、時枝による朝鮮の言語問題に関するふたつの論文の批判的検証をささえるものだ。
まず第二節で検討されるのは、「朝鮮に於ける国語政策及び国語教育の将来」である。日本語教育振興会の機関誌『日本語』二巻八号(一九四二年)に掲載されたこの論文は、時枝と植民地言語政策との関わりについて論じられるときに、必ずといってよいほど引き合いに出されるものだ。時枝は朝鮮赴任当初から、朝鮮語は朝鮮人にとっての「母語」であり、「精神的血液」だが、朝鮮統治においては「国語(=日本語)」普及が重要な課題であることから、この両者の対立をいかに解決すべきか悩んでいたという。「母語」であることを根拠に「国語愛護」の精神を唱える上田の「国語」観では、この問題に対処できないからだ。その解決策の要素として、彼はふたつのものを考えていた。ひとつは、主体の「価値意識」に基づき、それを離れた「日本語」に対して国家的立場からする「国語」の価値的な優位を認めること、もうひとつは「国語の母語化」である。前者の解決策について、時枝論者の多くは、彼が日本語を国家・民族から切り離して捉える必要性と日本が多言語情態にあることを認識し、上田の言語観を修正したのだと解釈した。しかし、このような解釈に対して安田は、「時枝が得た結論である『国家的立場からする国語の優越』では、上田の言語観に対する彼の疑問への何等の解答にもなっておらず、単に植民地の現状を別の言葉で表現したに過ぎない」(125頁)と異を唱える。そして、これまでの時枝論者たちは従来の言語観との変化という点のみに重きを置いているけれども、「国語の母語化」というもうひとつの解決策の方にも注目すべきである、と指摘したのである。さらに第三節では、この見解を実証的に裏付ける資料として、これまで時枝の論者によって参照・言及されることがなく、自身の著作目録からも省かれた論文が発掘・紹介される。雑誌『国民文学』三巻一号(一九四三年一月)掲載の「朝鮮に於ける国語―実践及び研究の諸相―」がそれだ。この論文では「国語」の国家的優位は前面には打ち出されず、「半島人は須く朝鮮語を捨てて国語に帰一すべき」であるという主張が中心になる。それは、朝鮮人が二重言語情態による混乱に陥っているため、「母語」である朝鮮語を棄てて、「国語」に一元化することが彼らにとっての「福利」であるという理由からだった。
このような論理の表明は、時枝や「国語学」を取り巻いていた時局が要請したものであって、彼の本心ではないという反論がなされるかもしれない。しかし安田は、「価値意識」によって朝鮮語に対する「国語」の優位を正当化したのと全く同じ論理で、戦後も「方言」に対する「国語」の優位を説いていった時枝の姿勢のなかに、「国語」を押しつけられ、自らの「母語」を棄てざるを得ない人たちへの無理解を見る。そしてそれは、時枝が「国語学」という「国」の名を冠した学問体系の論理から抜け出すことができなかったからであり、ひいてはそのような学問体系がいかにいびつな構造を持っているかということのあらわれではないか、というのがこの本の主張だ。
ところでこの本を読み終えたとき、安田自身は「露悪的な立場で時枝の業績を批判しようというものではない」(24頁)と明言しているにもかかわらず、その意図に反して、多分に「告発」の書として受けとられるおそれがある、と思ったのは私だけだろうか。実証的であることがすなわち客観的であると私たちは考えがちだが、この本の場合、実証的であるがゆえにかえって、著者の真意が読者、とくに彼が相手にしている国語学者たちにどこまで伝わるのか気になるところだ。もちろん、「戦後の『国語学』『国文学』についての総括が何等なされていないことに筆者はある種の苛立ちを感じる」(225頁)という彼の主張は真摯に受けとめるべきだと思う。しかし、問題はその「語り方」にある。それは、ちょうど十年ほど前にハイデガーのナチ加担問題をめぐる論争で、その事実を実証的なやり方で明らかにしたにもかかわらず、デリダらハイデガー擁護派からの批判を集めることになったビクトル・ファリアスの『ハイデガーとナチズム』の語り方に通じるものだ。もっとも、それが安田の戦略である可能性は否定できないが。
私が先に述べたような感想を抱いたのは、安田が言語過程説を既定のものとして、またそれ自体には深入りせずに議論をすすめているからである(私の言語過程説に対する理解を異なるところも見られる)。この点については、山東功による「言語過程説への切り込みが不十分であるために、あまりにも朝鮮での実体験にのみ仮託してしまい、最終的に『伝統』派の構図の域を出ていない」という批判もすでにある(注4)。「伝統」派の構図の域を出ていないかどうかは別に検討を要することだからここでは惜くとして、時枝の植民地言語政策への加担という結果を問うことよりも、彼の言辞を支えた言語観そのものを問うべきだ、という山東の意見には私も賛成だ。時枝を問題にするのであれば、彼の言語理論の徹底的な検証からはじまって、そこからの内在的な乗り越えの原理を積極的に提示することが必要だと思う。そうすれば、戦後、「国語学」の外で起こった過剰なまでの時枝ブームの意味を問うことも可能になるだろう。この検証を抜きに、問題を「国語(学)」の論理に回収することは、当時の学問を取り巻く状況に責任を転化することと同じ圏内にとどめることになりはしないか。
もっとも、この本には時枝の言語論の本質的な問題点を鋭くついた指摘が随所に見られる。とくに「時枝が『話手』に極端にこだわっていけば、本質的なところで植民地政策に対する批判的言語が可能となった筈であった」(162頁)という指摘は、非常に重要だ。話し手の「価値意識」そのものを問うならば、「国語」の伝統や規範はもはや自明なものではあり得ず、制度としての「国語」を相対化することも可能であったはずだからである。しかし、時枝がそのような言語論を展開することは、ついになかった。この事実を安田の指摘するような「国語」の論理や「国」の名を冠した学問体系に絡め取られた結果とみるべきだろうか、あるいは言語過程説の思考のなかにその必然性を見出すべきなのだろうか。この問いは、時枝を単に植民地における国語学者の在りかたの一例として取り上げるのか、それとも、肯定的であれ、否定的であれ、とにかくその言語理論の意義を認めた上で取り上げるのか、という「時枝の語り方」と密接に関わることだ。そこで安田の「語り」の視点を少しばかりずらすことによって、彼があまりつっこんで「語らなかった」ことの可能性をさぐってみよう。
そもそも、時枝がおこなった「国語」と「日本語」の分離は、ことさら言語過程説のような理論に頼らなければ導き出せないようなものではない。植民地統治上の要請という面からみれば、宗主国の「国語」の優位は至極当然のことだし、それは「近代の国家形態に基づく」という言い方で時枝自身も認めていることだ。むろん、このような論理はあくまで支配者の側の勝手な言い分なので(それどころか、総督府は制度外まで「国語」を強要した)、決して是認できるものではない。しかし問題なのはむしろ、そのような言語の政治性・権力性を前景化することなく、隠蔽する方向に働く力のほうなのだ。「国語の母語化」という言辞は、まさにその隠蔽の構造の発露にほかならない(注5)。ちょっと考えてみればわかることだが、国家的な制度を担う言語としての「国語」を、話し手にとって自然で選択の余地がない「母語」にするというのは、両者の間に論理の飛躍がありはしないだろうか。そもそも「母語化する」という表現からして奇妙ではないか。ところが言語過程説で展開された言語観に照らしてみれば、それは奇妙でも何でもないのである。それどころか「国語の母語化」という言辞は、言語を主体に外在する社会制度とみる近代言語学の言語観に異を唱えた時枝だからこそ言い得たことだった、と私は考えている。「国語」が制度として主体に外在するものである限り、それは真の意味で時枝が考えるところの「言語」ではない。価値意識と技術を論じるときに「標準語に習熟する(注6)」という表現を用いたように(この表現から、じつは時枝自身、言語の外在性を否定しきることはできなかったのではないか、と疑問に思うのは私だけだろうか)、「言語過程」のなかに組み込まれることによって、それは「熟練」されなければならないからだ。「国語の母語化」「国語への帰一」とは、つまるところ主体の意識改革にほかならない。国家的価値を持つことばであれ、そうでないことばであれ、それらはすべて主体の意識のなかに回収されてしまう。主体がその意識において、「国語」を「母語」として表現行為をおこなうようになれば、それは主体にとっての「母語」に「なる」のだ。「国語」は「母語」で「ある」、という上田の「国語」の論理との違いはここにある。したがって、「上田の論に帰っていった」(136頁)と結論づける前に、いま一度、言語の社会的性格を(時枝が考えるところの)「言語」の存在条件である「主体」の意識の中に閉じこめることによって、社会における言語編制(およびそれにともなう言語的差別・不平等)という問題そのものを無化してしまう、そのような言語理論の成り立ちそのものを問い直してみる必要がありはしないか。時枝の言語政策論が結果的に、「一視同仁」という多分に美化された日本の異民族支配の論理に適合するものであったことは、否定できないだろう。しかし、彼が帝国主義的か否か、また朝鮮の言語政策を理論のレベルで正当化するために言語過程説が成立したのか、それとも順序は逆なのかといった議論は、あまり本質的ではない。
このような時枝の言語へのまなざしは、〈内なる視線〉ということばで柳田国男の「一国民俗学」の本質を言い当てた子安宣邦の「それは決して異なる物として事象に突き当たることはなく、事象を見つめることはなく、ただ親しきものとして事象を内部に回収する視線でしかない(注7)」という指摘と重なるものだ。安田が柳田の「一国民俗学」を踏まえたと思われる「一国国語学」という自身の造語を使うことによって、植民地のような異言語・異民族と対峙せざるを得ない状況のなかで、〈他者〉を無視する形でしか対応できなかった「国語学」の閉鎖的構造をあらわそうとした、その意図は大変よくわかる。それだけにその閉鎖性が何に由来するのかを、もう一歩踏み込んで語って欲しかった。
『植民地のなかの「国語学」』でなされたような国語学者や言語学者の言説を批判的に検証する作業は、彼らが抱いていた「国語」観や異言語に対する認識の在りようを浮かび上がらせ、現代においてもしばしば再生産される「国語の伝統」や「日本語の特殊性」といった言説に対抗する手がかりとして、たしかに一面では有効に機能するだろう。しかし、彼らの言語観や言語政策論が直接、「国語国字問題」や植民地・占領地における政策の立案に反映したとはかぎらない。また政策レベルと日本語教育の現場および日本語普及の実態との間の乖離も、当然のことながら予想される。さらに深刻なことは、言説によって規定された視点の圏内で日本の植民地・占領地政策を論じるとき、その視点によって導かれる皇民化や「同化」といった政策的な特徴が、往々にして各地でおこなわれた政策の内実(たとえば、地域的特色や政策がおこなわれた時期などとの関わり)を見えにくくさせているということだ。そのため、植民地政策研究では、「同化」という概念そのものの洗い直しがなされているほどである。かといって、「国語」なる概念とそれを支えた言説への認識論的考察を欠いた、できあいの言語計画論の枠組みでは、近代日本の言語政策の本質を捉えることはまず無理だろう。方法としてこの問題を克服するには、まず「国語」や「東亜共通語としての日本語」をめぐる言説と言語政策の立案・決定のレベルを一旦、区別する必要があると思う。そしてその上で、ふたつのレベルの連関性と差異を明らかにし、さらに日本語と諸地域・諸言語との関係をも視野に入れた「近代『国語』の社会史」とでもいうべきものが描かれることが望ましい。
『植民地のなかの「国語学」』から一年も経たないうちに刊行された『帝国日本の言語編制』は、まず第一に、豊田国夫の一連の仕事(注8)以後、はじめて近代日本の言語政策の様態を克明かつ包括的に記述したという点で画期的な成果だ。この本によって私たちは近代日本の言語政策の在りようの全体を見通すことができるようになった。ただし、私がこの本を高く評価するのは、単にその実証性ゆえにというよりもむしろ、先に述べたような方法論が明確に打ち出されているからである。
まず序論「帝国日本の言語編制」では、異言語・異変種を排除する意図を盛り込んだ「国語」概念を原理とする「国民国家的言語編制」と、異民族・異言語に対して一定の配慮を示してこれを包摂する「帝国的言語編制」という二つの分析概念を設定している。この分析概念は、植民地(主に朝鮮)、傀儡国家(満州国)、軍事占領地(東南アジア)といったそれぞれの地域の日本語と異言語との関係および言語政策を相互に連関させるための基軸であり、本編ではこの枠組みに沿って言説分析と言語政策の記述がすすめられている。「言語編制」(「言語政策」でないことに注意!)という書名からも明らかなように、また冒頭にも述べられているように、その記述の主眼は、帝国日本のあゆみのなかでの日本語の在りようと異言語との関係なのだ。それは、政策レベルでは異言語・異変種を排除し、国家内の言語の均一性=「国語の一元化」を志向する植民地朝鮮を扱った第二部「植民地における『国語』の展開:主に朝鮮」でもかわらない。政策主体である朝鮮総督府側の記述にかたよることなく、植民地化以前の朝鮮語の「近代性」獲得の試みや朝鮮語学会の活動にも多くの頁を割いていることは、この研究の射程の広さを示すものだ。
なかでも、「満州国」における言語政策の展開を克明に描き出した第三部は圧巻だ。民族自決違反という国際批判をかわすために「五族協和」を建前としたこの多民族国家では、必然的に日本語以外の言語にも一定の配慮をおこなう言語政策が採られることになった。先の枠組みにしたがうならば、「国民国家的言語編制」から「帝国的言語編制」への編制替えの時期にあたる。しかし、当初は日本語の普及は積極的に図られず、中国語によって担われていた制度をそのまま利用していた政策も、一九三七年の治外法権撤廃を契機に、中国語が担っていた制度的地位に日本語を位置づけ、さらに制度外にもこれを普及させるという形への方針転換がなされるようになる。結果的にその在りかたは、「諸言語との『協和』ではなく、日本語を『東亜共通語』としてその他の諸言語との階層を図ったもの」(208頁)となるわけだが、そのための制度的なインフラ整備や、制度外への日本語普及をにらんだ「満州語」創出と「満語カナ」制定など、日本側の思惑が反映したさまざまな画策のもようがスリリングに描かれており、ここでの記述はじつに興味深い。
第四部「『東亜共通語』としての日本語」では、日本語の海外進出をめぐる言説の分析に重点が置かれる。東南アジア占領地域では、「大東亜共栄圏」構想のもつ多民族統合の原理に基づいて(その裏には、民族運動の活性化とそれにともなう言語ナショナリズムの自生という地域的事情があった)、「固有語」に対する一定の配慮がなされた。ただしその統合原理が日本を中心に据えた階層秩序に裏打ちされたものであったため、各地域は言語的に多様であるにもかかわらず(政策レベルでいえば、それゆえに)、「全体の『共通語』として日本語を設定し、各々の旧植民地の枠組みのなかでは一地域一言語(その地域の『固有語』)という形で主要言語の普及を図ろう」(204頁)という方針が打ち出された。この点については、「固有語」の尊重といっても、なにをそれと認定し、保証するかは日本側の恣意であった、という本質的な批判が、著者によってなされている。
ところで、本書の「結論」にあたる「今日的問題を考えるために」では、はじめに「本書の限界と論じ残した点」が八箇条にわたって詳細に述べられている。著者自身のこの研究に対する見極めがきわめて的確なものであるだけに、私にとっては批評しにくいこと、この上ない本であったということを白状しておこう。なにしろ、問題点として指摘しようと思っていたことが全て網羅されているのだから。そのなかで安田自身も認めていることを承知の上で、あえて注文をつけるならば、この本は帝国日本の領土・影響圏すべてにおける「言語編制」の在りようを扱ってはいないため、植民地における「国語」への一元化から「大東亜共栄圏」における「固有語」への一定の配慮へと連なる政策レベルでの見取り図が、実質レベルとどのように有機的に関わるのかという問題が把握しにくいことがあげられる。とくに植民地台湾の場合、政策レベルでは「国語」への一元化が図られたという形でまとめることができるだろうが、民族語に「近代性」を獲得させるために「国語」化への試みが始まっていた朝鮮と、多民族・多言語地域であった台湾とでは、宗主国の「国語」として普及が図られた日本語の「機能」が、実態レベルでまったく同質であったという保障はないだろう(そのことは安田自身も十分わかっているはずだ)。したがって、日本語が「超民族語」としての役割を担ったとしばしば指摘される台湾の「言語編制」については、一章を割いて言及して欲しかったと思う。
もうひとつ注文を。註まで含めると450頁にもおよぶ大冊にもかかわらず、この本には索引がない。研究そのものの価値もさることながら、資料整備も十全なので、大変利用価値の高い本なのだが、これではとても不便だ。今後、この分野を志す研究者にとっては避けて通ることができない研究なので、再版の際にはぜひとも、人物、事項、資料の索引をつけて欲しい。
いささか乱暴なまとめ方かもしれないが、『植民地のなかの「国語学」』と『帝国日本の言語編制』で安田が一貫して問うているのは、「国語」「日本語」という概念の歴史性と政治性であるといってよいだろう。同じ意識からこの問題に目を向けていたのは、安田だけではない。そのイデオロギー性を批判するのが比較的たやすい「国語」にくらべると、「日本語」は世界の諸言語のうちのひとつ、あるいは日本で普通に使われていることば、くらいにしか認識されていないが、この概念さえも「日本の近代化の歴史過程において政治的言語をもって構成された(注9)」ものであることを、子安宣邦はいちはやく指摘していた。いわく、戦争の前後、日本語の海外進出にともない、「国語」概念との新たな整合性が問われるようにして、「日本語」概念は登場したのだ。しかし、安田は『帝国日本の言語編制』でこの見解をさらに前進させた。「国語」概念の形成期において、上田万年がすでに国内向けだけでなく、「東洋全体の普通語」を目指すために「国語改良」が必要であると唱えていたことからも明らかなように、この「東亜共通語」概念の形成自体は早い。つまり「国語」と「東亜共通語」は相関する概念なのだ。しかし、「東亜共通語」概念が実体化をともなうようになるのは、「大東亜共栄圏」が設定される一九四〇年代以降であり、この名称が普遍化するまでの間、その実体化に邁進するなかで形成されたのが「日本語」という概念であった、というのが安田の描いた見取り図だ。また子安は「国語」と「日本語」の関係を〈国家内〉と〈国家外〉の分岐という図式で説明するが、安田は、「日本語」という概念の創出によって、「国語」と「日本語」が截然と分かれた、後者の機能が「東亜共通語」という形で明確にされることで、「国語」の持つ役割が強化・再認識されていく、という二つの概念のダイナミックな相互規定のありかたを枠組みとして提示したのである。
この歴史認識はきわめて新鮮であると同時に、すぐれて現代的な意義を持っている。たしかに現代では、「国語」という概念がかつて持っていた国家イデオロギー色を薄めており、「日本語」に「大東亜共栄圏の共通語」という機能を担わせることもないけれども、イ・ヨンスクが「国内向けには『国語』、国外向けには『日本語』、あるいは日本人には『国語』、外国人には『日本語』といういびつな使い分け(注10)」と評したように、これら二つの関係は構造的に以前と何らかわるところがないからだ。このような使い分けが「国語=日本語」という日本近代の国民国家の論理を前提とするものであることは、もはやいうまでもないだろう。そしてこの論理=「幻想」は、いまだに克服されていないように思われるのだ。それはそのまま「国語学」と「日本語学」との関係にもあてはまるのだが、ここはディシプリンの名称を云々する場ではないから、これ以上の言及はひかえておこう。ただし、安田や言語思想史の研究者たちが口をそろえて指摘するように、「国語学」も「日本語学」もきわめて政治的な意図をもって成立した学問であるということは、認識しておくべきだろう。また言語のように一見、政治とは無縁に見える対象(「X語」という形で囲いこまれた言語は、それ自体すでに政治性を帯びているのだが)を扱う学問も、それを取り巻く状況から全く自由であることはむずかしい、ということを自覚すべきだと思う。そうでなければ、繰り返し再生産され続ける「伝統」や「特殊性」という名を借りた排他的言説や「国際化」のかけ声とともに忘却される過去の歴史への無自覚に対して、それらを乗り越えるための視座を失うことになりかねない。
この書評で取り上げた二冊の本が投げかけるもの、それは「国語学」という制度のうちに安住してきた私たちにとって、とてつもなく重い。
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注1
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「『こくご』いかなることばなりや」『国語と国文学』47巻10号、1970年。
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注2
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私の知るかぎり、時枝およびその学問と植民地主義との関わりについて、いちはやく言及したのは村井紀で、それは共同討議「植民地主義と近代日本」(『批評空間』No.7、福武書店、1992年)における彼の発言にみられる。
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注3
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「川村湊が読む」『熊本日日新聞』平成9年(1997年)5月11日。
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注4
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「国語学史批判の陥穽」『江戸の思想』8(ぺりかん社、1998年)、p.155。
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注5
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安田も「国語学者と朝鮮 京城帝国大学教授時枝誠記に関する雑文的考察」『朝鮮史研究会会報』第126号〈1997年3月〉のなかで「一般的な『国語』強制論より隠微」という評価を下している。
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注6
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『国語学原論』(岩波書店、1941年)、p.104。
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注7
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「一国民俗学の成立」『近代知のアルケオロジー』(岩波書店、1996年、初出は岩波講座『現代思想』第1巻、1993年)、p.50。
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注8
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『民族と言語の問題』(錦正社、1964年)、『言語政策の研究』(錦正社、1968年)。
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注9
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「『国語』は死して『日本語』は生まれたか」『近代知のアルケオロジー』(岩波書店、1996年、初出は『現代思想』第22巻9号、1994年)、p.114。
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注10
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「『日本語の国際化』はもうひとつのナショナリズムか?」『日本語学のみかた』(朝日新聞社、1997年)、p.148。
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(『植民地のなかの「国語学」』 平成9年4月28日発行 三元社刊 B6判 245ページ 本体価格2500円)
(『帝国日本の言語編制』 平成9年12月15日発行 世織書房刊 A5判 480ページ 本体価格5000円)
筆者への連絡先は cbf63640@pop02.odn.ne.jp
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(おわり)
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