千早町三十番地

千早町三十番地東荘はどこなりや
落合にもなし
長崎にもなし
千川にもなし
そこでまるまる逆もどりして線路を踏み切りて行く
そは新道路にそえる古くさき旧道路
新道は人まだ通らず
白きプラスターに朝の陽てり
あちこちにむしろのきれ敷かれたり
その掘鑿のどろ旧道に積まれ
旧道はでこぼことのぼりくだる
そこをのぼりくる女あり
どこかの掃除婦ならん
鼻より白き息はき
袖にて口もとかけておおう
そこにたたみ屋あり
軒に七輪を置き
朝のタドンをおこすところ
青きほのほの揺れるを
犬二ひき前あしを伸ばして不思議そうに見いる
そこに屑塚のある畑あり
老婆三人 片手にバケツをさげてそれをあさる
そこにアサリ屋あり
ごま塩のおやじ
ぬれた小刀にて一心に剥身をつくる
そこの軒にブリキの手形さがり
この奥東荘と書いて指さす
なるほどそこにあり
崖によせかけ 一つのごみ箱のごとくかなしく

そこに君は

そこに君は棺のなかに横たわる
ローソク燃え
木切れに法名を書いて立ててあり
君の息子制服にて坐り
君の弟も坐る
君の弟は君よりも老けたり
僕は君の細君と話す
君の細君は白ききれいなる歯をせり
たばこを飲まぬならん
僕は線香をさし
線香はどれもこれも脆し
僕は君の細君と話し
わが村の死人が棺おけに入れられるを思い出す
わが村の死人は棺おけに入れらる 手あしを折りて
君の棺を眺め
僕は死にたるとき棺おけに入れられたくなりくる

君の死は何なりや
何なりや
まだ朝の道をかえりつつ
君がやはりのぼりつめたる口して死ねるならんと思う
東荘はきたなく狭し
されど君の死に添いて
君の細君の歯の白くきれいなりしは美し

君は歩いて行くらん

君は歩いて行くらん
おかしなステッキをもつて
途中で自動車が追い越すらん
そして美しい老人が会釈すらん
西園寺公望公爵の車なり

君は歩いて行くらん
きよろりきよろりと
そしてやがて三途の川に着くらん
君は渡し銭を出さねばならぬ
君はにやりとして支払うらん
やがてばばアが着物を脱げという
そこで君がいつそうにやりとして止せよというらん

君は歩いて行くらん
どこまでもどこまでも
そしてとうとう着くらん
大きな門の前に
そこで君は例のステッキをあげ
つぼめた口して開門開門というらん
どうれと中からいうらん
切符があるか
切符はこれだといつて
君が片あしで立つてくるりと一まわりすらん

そしておいおいと
香川不抱などに逢うらん
ポール・フォールにも逢うらん
今野大力にも逢うらん
今野の中耳炎はなおつたか




中野重治「古今的新古今的」



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