|
戦争を一つの〈偶然〉と解することは,たしかに自由ではある。それもまた,さまざまの自由な〈解釈〉の一つではある。だが,おこったその事を,一つの〈偶然〉と解することによって,一つの解釈には別の解釈が対立し,一つの仮定には別の仮定が対立する。すべての解釈にはそれと同じだけの反証がありえて,しかも,それら解釈のすべては,相い矛盾する帰結のなかでついに一致することもない。しかも現実派それら解釈のどれによっても説明しつくされることなくすりぬけて,その背後に,たたずむ。戦争を〈偶然〉と解することは,戦争が,さまざまの選択可能性のなかの一つの撰択でしかなかった,ということを意味するだろう。そこに〈解釈〉の余地はうまれ,あらゆる仮定が自由となる。にもかかわらず,それら〈解釈〉のすべてをもってしても,あらゆる撰択のなかでなぜそのただ一つ,戦争という撰択がなされねばならず,なされたかについて,ついに解きあかされることはない。
たしかに,未だ開戦をはるかさかのぼった時点で,未来を未知としてのぞみみる諸主観にとっては,あるいは未だ戦争は一つの撰択可能性としてあらわれていただろう。当然,戦争回避の努力と試みもあったことだろう。日本人すべてが戦争を意志し,意図していたというのではない。にもかかわらず,それらさまざまの撰択,戦争回避の試みをもふくめた撰択のすべて,それら意図と反意図のすべてをつらぬいて,戦争は確実に招きよせられおとずれてくる。それを,必然とよぶ以外に何とよべばよいか。ちょうど,敗戦が避けることのできない一つの必然としておとずれてくるのと同じように,だ。
もし,戦争が一つの〈偶然〉であるなら,敗戦もまた一つの〈偶然〉あるいはおこらずにすんだ事態ということであらざるをえない。歴史のなかの,ある出来事だけを必然として,他を偶然とすることはできないからだ。敗戦を偶然とする思考のなかで,勝ち戦のところで,手をうっていれば……,という懐古譚が生まれる。だが,戦争は,そこで止めえず,止まりえず,敗戦にまで至るほかなかった。それがつまり,必然ということの意味なのだ。
だが,それが必然であるということは,べつに敗戦を意図して戦争が闘われたということではない。もし,一にぎりの軍閥が国民多数の反戦的意志を無視して戦争を強行したというのであれば,敗戦はその国民多数の意志によってまねきよせられたということでなければなるまい。だが,事実はそうなってはいない。敗戦は国民の意志によって,意図的にまねきよせられたのではなく,他によって強制されたものだった。もし,そうでなければ,敗戦は喜びでこそあっても,国民の多くが虚脱と混迷のなかをさまよう,というような事態は,ありうべくもなかったはずである。
敗戦は意図せられたものではなく,戦争は戦後を目ざして闘われたのではなかった。戦争はあきらかに勝利を意図して闘われた。にもかかわらず,戦争が一つの必然であったのと同じようにして,戦争は一つの必然として敗戦をまねきよせた。意図と帰結とのこの落差は,目もくらむばかりである。その落差は,〈世界史の必然〉というような言葉でのりこえることはできない。また,のりこえてもならぬ。それがつまり,このことが〈体験〉でありうることの意味であるはずだからだ。
戦争は日本の勝利を目ざしてこそ闘われた。つまり,戦争を闘った主観にとっては,〈世界史の必然〉として敗戦がおとずれてくる,というような認識はふくまれていない,ということだ。いいかえれば,それは,戦争を闘った主観にとっては,そのような,いうところの〈世界史の必然〉なるものは偶然としか意識されぬ,ということを意味する。それはまた,その〈世界史の必然〉なる認識が,いかなる意味でも経験に属さぬ,ということでもある。
いうところの進歩的歴史観の錯誤は,そのことにある。歴史が単純に進歩へとむかうものであれば,そしてその歴史観によって,敗戦と戦後が一つの進歩とされるのであれば,その敗戦と戦後が,日本の勝利を願って戦争を闘った者たちによって目ざされたものではなく,願われたものではない,という事実はどう説明されうるのか。このとき,歴史を進歩へとむかう直線とするこの史観は,仮空の歴史をえがかねばならない。すなわち,敗戦と戦後を,〈世界史の必然〉にしたがったところの進歩として,これを連続性のなかに位置づけうるためには,戦前・戦中にさかのぼって,戦争への抵抗史をつくらねばならず,日本国民の多数は戦争に反対だったという神話をつくらねばならない。いうまでもなく,この連続性を仮構しなければ,敗戦は突発的な〈偶然〉ということになり,したがって歴史を進歩へむかう必然の直線とするその論理を自ら破ることとならざるをえないからだ。
その史観は,一つの出来事の背後に必ずそれに見あった意志と意図のあることを想定し,それによってこの出来事を説明する。その意味で,これは,歴史を目的論的にとらえるものといえる。そのことのために,敗戦と戦後についても,それが一つの目ざされた目的であったとの仮構をたてねばならず,したがって当然,その目的を意図的にになう人間の存在,たとえば反戦的人民といった虚構を想定しなければならない。だが,それは,戦争の必然をあきらかにするために,何ほどの意味ももちはしない。それゆえにこそ,必然の進行と称するその歴史のなかに,一にぎりの軍部・政治家の好戦的な恣意といった〈偶然〉を導きいれて,歴史を説明することにならざるをえなくなるのだ。
歴史は必ずしも目的論的に進行するわけではなく,結果は必ずしも意図せられたものであるわけではない。結果は必ずしも意図をしめすものではなく,意図は必ずしも結果をあらわすものでもない。歴史を一つの結果を目的としてすすんできた運動とするのは,すでに結果をみたうえでの鳥瞰の図としてはいいうることであっても,現実の人間が刻々に生きている歴史はつねに未知であるほかない。であれば,歴史を〈世界史の必然〉の展開ととらえることは,すでにしった結果をそれに見あって想定された動因・意図と直線でむすんで,その因果を説明しうるべき論理をつくりだすという以上のことではない。その論理をさして,人はあるいは合理性というかもしれない。だが,結果は必ずしも意図せられたものではなく,意図は必ずしも結果を語るものでもないことからするなら,その合論理性とは必ずしも現実の人間のものということはできない。
むしろ,〈世界史の必然〉は,意図を裏切って進行する。あるいは,意図を裏切った結果の集積において,〈世界史の必然〉は展開されているといえばよいだろうか。それらもろもろの結果をつらねて,そこにある合理的なるものの展開をみることは,一つの仮構された超越的まなざしをにとってのみ可能であっても,生きた人間の営みを語るものではない。
敗戦は意図されたものではなかった。そのことにこそ,敗戦を〈世界史の必然〉とし,一つの進歩とする論理が,戦後日本にとって一つの超越的論理でしかありえなかったゆえんがある。そのかぎりで,これをうけいれることは,一つの強制された意匠でしかない。敗戦が,まさに戦争において意図されたものとは異なるもの,まったく逆の帰結でしかなかったということが,その戦さを闘った者にとって世界がどのようにみえていたかを端的にものがたる。
まさにこの逆倒にこそ,日本人にとっての世界経験のありのままの姿がある。その逆倒は,そのまま幕末〈攘夷論〉の意味をかたるものでもあるだろう。
戦争がそこに生きた主観にとって,一つの必然,当然あるべき帰結として意識されたということは,それが,一つの主体の行為であり,主体の自己表現であったことを意味する。他者にとってそれがどういう意味をもったかということは,別の問題である。他者にとってそれがどういう意味をもったかということをもって,それが私たちにとってどういう意味をもったかの説明に代えることはできない。いうまでもなく,他者の体験は,私たちの体験であることはできないからだ。そのことが,軍閥を戦争の元凶として,自らを〈被害者〉の位置におくことで,侵された国ぐにの〈被害者〉たちと同じ位相に自らをすべりこませて位置させることのできない理由でもある。
敗戦後,私たちは,〈世界史の必然〉,〈進歩〉といった言葉を,天恵のようにしてもった。もし,〈世界史の必然〉にしたがったのであれば敗戦も止むをえないことであり,軍閥の崩壊も〈進歩〉に役だったのであれば結構なことだ,ということにでもなろうか。だが,ここに銘記すべきは,敗戦は私たちが望んだわけではなく,軍閥は私たち自身がその悪をみとめて自らの手で打ち砕いたのではないということだ。それはつまり,戦争を一つの必然として生み,軍閥を自らの一つの表現として,制度として生みだした原理そのものが,自らの生命を生ききって自己破産したのではなく,その原理によっては生きられなくなって自らの手でそれを破棄したのではないということだ。敗戦をむかえ,民主主義をむかえたのは,まさにそのような経験世界,けっして内在的に自己破産したのではなく,だからその自己破産によって自らを新たに転生させようと願っているそのような世界ではなかった。このために,〈世界史の必然〉も,〈進歩〉の観念も,他者による強制的屈服を合理化するために強いられた意匠としてしかあらわれてはいない。敗戦を一つの〈進歩〉とすることは,裏返せば,〈大東亜共栄圏〉をも民族独立という〈進歩〉のための一寄与とする意匠と同通するものでありうる。
敗戦も,〈世界史の必然〉,〈進歩〉といった認識も,戦争を闘った者たち自身の経験と認識から生みだされたものではない。ということは,それらの認識と言葉は,少なくとも直接的また一義的には,私たちの生きた世界を語る言葉ではないということだ。いいかえれば,それは私たち自身が,自らを表わすべく自ら語り出た私たちの思想ではないということだ。べつに私はそれらの認識と言葉をいたずらに否定するためにいっているのではない。そうではなくて,そうした認識と言葉は,私たちの自己認識のための手がかりとなるものではあっても,自己認識そのものを語る言葉ではない,ということをいっているにすぎない。
しかも,一方に〈世界史の必然〉なるものがあるとすれば,その一方には戦争を生みださざるをえなかった一つの必然がある。それは,一つの道徳によって生き,だからその道徳によってなりたつ〈人間の関係〉によって営なまれる生活の総体の帰結であったことによって,一つの必然とよぶほかないものであった。そして,その戦争は,まさに一つの国民の生きる営みの総体の必然的な帰結であったそのことにおいて,その国民の〈主体〉としての行為とよぶほかないものである。国内において〈被害者〉であると否とにかかわりなく,あるいは自己の心情のいかんにかかわりなく,それが国家というものに属することの意味であった。そのとき問われるべきは,ある限定的なものにすぎない戦争責任,というようなものではない。そうではなくて,まさに戦争が,ある道徳,ある原理にもとずいて生きる営みの総体の帰結として生じているのであるとするなら,その戦争をあらしめたところの生きる原理そのものが問われざるをえぬ,ということなのだ。けだし,まさにその原理が国家において自らを一個の〈主体〉として表出したとき,その〈主体〉の行為が,戦争という形で,他者〈主体〉の侵害と否定としてあらわれたからだ。それが,私たちにとって戦争とは何であったか,という自己認識のもっとも本質的な主題である,と私には思われる。
私たちが,自らを一個の〈主体〉であらしめ,一個の〈主体〉として他者にむかいあおうとするとき,それをあらしめるべき思想は,ついに自らの経験と生活のなかから生みだしてゆくほかはない。
幕末期〈攘夷論〉の悲劇は,異質の世界と直面しなければならなかった一つの文化の,そこに生きる人間たちのみた,目もくらむほどの落差にあった。ちょうど,私たちが敗戦においてはじめて世界と直面しなければならなかったときと同じような,だ。もちろん,その落差とは,むかいあった文化の異質さをしめすものであって,価値の優劣をしめすものではない。このことは,幕末における日本と西欧との出合いをみるにあたって,基本的な前提となる。
片岡啓治 著
『攘夷論』
四六判・198頁・1400円
イザラ書房
1031-0034-0377
|