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攘夷論
〈序論〉武装された攘夷――太平洋戦争について
1974年11月
片 岡 啓 治
〔『攘夷論』イザラ書房 1974年 から抄出〕 |
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攘夷論
〈序論〉武装された攘夷――太平洋戦争について
第一章 〈近代化〉史観の虚偽〔略〕
第二章 前提としての日本儒学〔略〕
第三章 易姓革命論の逆説〔略〕
第四章 国家論としての〈攘夷〉論〔略〕
第五章 攘夷のための開国〔略〕
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〈序論〉武装された攘夷――太平洋戦争について |
これは,一つの試論である。本来の主題は,太平洋戦争とはそもそも何であったのか,という疑問から出発している。
敗戦を〈第二の開国〉とする見方を,戦後私たちはうけとった。それは,過去をふりかえる一つのまなざしのあり方だった。そのまなざしが,さかのぼって歴史のすべてを規定する。太平洋戦争を規定し,日本の近代史を規定し,明治維新を規定し,幕末期を規定する。だが,そのようにさかのぼってゆくとき,どうしても了解不能なものとしてあらわれてくるのが,〈攘夷〉の論である。少なくとも維新の前夜,〈攘夷論〉は,政体の変革をもたらすにたるだけの力をそなえた政治的思想であったとみえる。だが,明治政権の成立とともに,一朝にして〈開国論〉への逆転がおとずれる。その逆転が,〈攘夷論〉にたいする規定を定め,その論が時代のなかでもった意味を消失させてゆく。
同じことが,太平洋戦争についてもある,と私にはおもわれる。同じ〈開国論〉が,この戦争にたいする視点を定めた。だが,戦後もたらされたこの視点の説くところは,戦争のなかで,私が感じ見たものとあまりにもくいちがう。少なくとも,戦争のなかで,そのような戦後,そのような戦後的視点は,予感としてありえなかった。もちろん戦後の〈開国〉は意図された戦争目的ではありえなかった。その意味で,あの戦争は一つの〈攘夷戦争〉,いわば〈最後の攘夷戦争〉だった。そのことの当否は,ここでの問題ではない。当否の判断が先にたてられれば,戦争はもっぱらその道徳性で裁かれ,戦争そのものの実相と内在的意味,何よりも戦争が私たちにもった主体的意味をあかすゆえんとはならないからである。
その主体的意味をたずねてゆくとき,二度にわたる転回〈開国〉が内在的に予感としてさえなかったこと,それがいずれも武力によって他から強制される形でおとずれている,ということは,深刻な意味をもつ。それは,戦争をあらしめたものが,内在的に,それでは生きてゆけないというようにして,私たち自身の手で破棄されたのではない,ことを意味するからだ。自らの依って生きる生の原理の自己破産を自らの目で認識せず,それを自らの手でのりこえた経験をもたないということの意味は大きい。〈攘夷論〉とはそのような〈生〉の原理の表現であり,戦争はその連続の果てにあった。
戦後がもたらした視点は,必ずしも,そのような主体的意味の自己認識をたすけたとはおもわれない。むしろ,それは,そのような自己認識をさまたげた。強制された他者のまなざしをかりることで,戦争における自己責任を免責した,という意味でだ。そこに,私があえて〈攘夷論〉という形でたずねようとすることの意味もある。そのためには,太平洋戦争についてすでに一つの定説となっている見方から,考えてゆきたい。
あの戦争については,すでに次のような見方が一つの定説となっている。
あれは一部の好戦的な軍閥・政治家がおこしたもので,国民大衆はそれに巻きこまれたにすぎない,という見方である。この考え方によれば,責任はもっぱら軍部を中心とする特定のグループにあり,いわゆる国民大衆はそれにたいして受身の客体であったにすぎない,とされる。それによって,国民大衆はもっぱら戦争による〈被害者〉の側におかれ,いうところの戦争責任から免責される。
たしかに,それも一つの見方ではある。だが,それであの戦争がつくされる,とは私には思えない。私が見聞し,私自身が自らのなかで経験したものからいえば,国民大衆がただ受身に戦争にひきずりこまれていった,というようなことはとても信じられない。そこには,何かすりかえがある。それは何か。少なくとも,そうした見方は,あの戦争が私たちにとって何であったか,という自己認識にみちびいてくれるものではない。なるほど,かりに,戦争責任を一部の特定グループの者たちに帰すれば,それで,公的な意味での責任の問題は,形のうえでは解かれるかもしれない。しかし,では,受身にもせよ戦争にまきこまれていったその者たちは一体何なのか,という問いは,その責任論で解かれるわけではない。
私はとくに軍国的な愛国少年だったわけでもないし,特別に戦争に熱狂したわけでもない。にもかかわらず,私は,戦争を喜び,歓迎し,感動さえした。日本軍の戦果を喜び,占領地の拡大してゆくことを願っていた。私は,それがだまされていたため,とは思わない。それは,ごく自然な,内発的なものであったからだ。そのことは,私一人に限ったことではない,と私は思う。目にうつるかぎりのすべての者が,喜び,感動し,興奮していた。それが,心を偽ってうわべだけをつくろったものであるとは,とても思えない。少なくとも,それは心の事実であった。そして,ある意味では,そのことは今も変ってはいない。勝ちにのっていたときに,たとえば満州を建国した段階で,あるいは北支を占領した段階で,さらにはシンガポールを陥落させた段階で,日本が戦争を終息させなかったのを残念がる懐古譚が,今でも日常のなかで熱っぽく語られていることを考えればすぐわかる。あきらかに,この心の事実のなかには,占領が占領された国土の者たちにとって何を意味するか,という考慮ははいっていない。
私がたずねたいのは,なぜそのような心の事実,心のあり方がありえたのか,というそのことである。戦争とは私たちにとって何であったのか。それをたずねることは,私にとっては,私たちとは何者であるのか,私は何であるのか,という自己認識をたずねることに等しい。残りつづけるその問いが,やがてこの〈攘夷〉論というモティーフにゆきついたといってよい。いわば,これは私たちの成りたちを歴史のなかにさぐろうとする試みなのである。
一般に,あの戦争は悪だった,という考え方は,すでに自明のようになっている。そうした道徳的判断をまず先にたてて戦争のすべてをくるみこんでしまうことの是非は別として,ここでまず確認しておかねばならないのは,そうした判断が,内発的に,つまり日本人自身の側から,その道徳の内在的要請としておこったのではない,という事実である。あの戦争を悪とする反省は,敗戦によって,他から強制される形で私たちにおとずれた。
ということは,内在的な道徳律からすれば,戦争は悪とは意識されていなかったことをものがたる。むしろ,それは,私たちのそれによって生きていた道徳律の必然的な延長として,普遍化として意識されていた。つまり,戦争は正義の実現として意識されていた。八紘一宇の大義も,大東亜共栄圏も,そうした意識によってこそありえた。そして,一つの国民がよって生きる道徳律の必然的な展開としての正義の戦さと意識されたそのことによってこそ,戦争はまさに国民的な戦争でありえた。その正義とは,内にむかっては自らの生きる道徳律の発現であるとともに,対他的には,〈攘夷〉である,という二つの意味をもつ。
自らのよって生きる道徳律の延長であり現実化であるというその意識こそが,あの戦争を内在的に悪と意識させず,従ってその戦争が侵される側にとっていかなる意味をもつかをまったく意識させなかったゆえんである,と私はおもう。私が戦争に喜び感動したのもまた,その意識内でのことだった。
一つの国民がそれによって生きる道徳の発展とは,その国民の生活の総体,生きる営みの全体が相い集まって,戦争を構成したということだ。この事態にたいして,一義的に善悪の価値判断を先立てることは,当をえたこととはおもえない。いうまでもなく,それをただちに悪と断ずることは,一つの国民の生存を悪と断ずることにほかならないからだ。
戦争が一つの国民のよって生きる道徳の現実化として意識されたということは,その戦争が必然的なものだったということを意味する。いうまでもなく,道徳は,人がそれによって生きる内的な掟であるとともに,その掟によって生きる人間たちの関係の表現でもある。したがって,一つの国民のよって生きる道徳の発展とは,その国民の生活の総体の発現ということにほかならない。戦争がそのような生活総体の発現としてあったかぎりで,これは必然のものであったといわざるをえない。それは,一国民の生きる営みそのものがもたらした帰結であるからだ。
このように考えるとき,戦争が,たとえば軍閥といった特定の人間の恣意によっておこった〈偶然〉のものとする考えはなりたたない。いうまでもなく,戦争を特定の人間の〈恣意〉に帰する考えは,その恣意がなかったばあいには,戦争はおこらなかったろう,という想定をふくむからだ。そうした恣意がなければ,歴史の歩みはちがったものでありえたろう。とすれば,戦争は,必然にどうしてもなければならなかったものではなく,たまたま不幸な偶然のかさなりによっておこった偶然の錯誤というにすぎなくなる。
このとき,歴史はどのようにも〈解釈〉可能なものとなる。もし軍部がもっと賢明で自重の心があれば,もし某々の政治家の和平工作が成功していれば,もし国民がもっと無知蒙昧でなく主体性があれば,もし支配者たちがもっと庶民の平和への願いをききいれていれば……,無謀な戦争もおこらず,あんな苦しみはしないですんだものを……。たずねさぐってゆけば,やがて歴史は,たんなる個人心理学の問題にさえゆきついてしまう。天皇に平和を愛する心があれば,軍人があんな狂暴で好戦的な心をもっていなければ,民衆にもっと平和を愛する心があれば……。そうした仮定はいくらでもつづけられる。だが,そうした仮定にはそれと同じ数だけの反論がありうる。つまり,たとえば,天皇には平和を願う心があったのだが,軍部がそれを押しきった,軍人が悪い,ともいえるだろうし,いやいや,軍人にだって戦争を回避したい気持がなかったわけではないのだが,心ならずも開戦にふみきらざるをえなかったのだ,そもそもそうした行きづまりを打開できなかった政治家たちが悪い,ともいえる。これにたいしてもまた,いやいや,政治家たちは,それなりに平和への努力と試みをしたのだが,軍部がそれに反対し,何よりも戦争熱にうかされた国民がそれに耳を傾けず理解しなかった,といった反論がありうる。これにもまた,いや,国民はもともと戦争を望んでなどはいなかった,そういう庶民の素朴な願いに耳をかたむけず,それを押えつけて戦争を強行した支配者たちが悪いのだ,という反論がありうる。
たずねさぐってゆけば,責任は無限に追究されて,しまも,すべての者に責任があるかのようでもあり,誰にも責任がないかのようでもある。これをさらに,戦争に少しでも共感し,日本の勝利を願ったことがあるか否か,というような,個々人の心の事実にまでわけいってゆけば,戦時に生きた日本人のほとんど誰一人として,責任を免れるわけにはいかない,ということにまでなるだろう。
歴史をさまざまの仮定によって〈解釈〉することは自由であるし,戦争を偶然の錯誤とすることも一つの〈解釈〉ではありうる。たまたま犯した過ちとするがために,ごめんなさい,もう二度といたしません,といった道徳的反省の謝罪めいたものもありうるのだろう。その一方ではまた,特定の者たちの恣意による偶然の過誤とすることによって,その過誤を防ぎえたばあいの仮定にもとづいて,無限に責任を追究してゆくことも可能であるだろう。だが,もしそれが本当に特定の者たちの恣意によっておこったのであり,その者たちにこそ全責任があるのだとしたら,日本人全体があたかも罪を犯した者のようにして謝罪するなどということがどうしてありうるのか。罪とその過誤の責任が,たとえば唯一もっぱら軍部にのみあるのなら,国民の全体が戦争に関して懺悔しなければならぬいわれはなくなる。本当にそうであるなら,罪を犯したその責任ある者だけが反省し謝罪すればよいだけの話だからだ。とすれば,国民的な謝罪などというのは,身におぼえなく犯してもいない罪をしょってのこととなるわけだから,心にもない口先だけのものということにもなる。それが,本来の道徳的反省とは無縁であることはいうまでもない。
こうして,戦争を特定の者の恣意に帰することと,国民的謝罪とは,どうしても矛盾する。つきつめてゆけば,敗戦によっておとずれた,戦争を悪とする道徳的反省もまた必要なしということにもなる。責任は,その恣意によって戦争をおこなった特定の者だけがとればよいのであって,それは国民多数には無関係のこととなるからだ。とすれば,敗戦による国民的反省とは何を意味するのか,ということにもなろう。いうところの道徳的反省と謝罪とは,たんなる偽善の所作でしかなかったのか。
→#2/2へつづく
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