印刷出版のためのシステム構築法


InDesign による中国語辞典制作の折り返し点で



2003年1月21日

前 田 年 昭
ライン・ラボ

JAGATテキスト&グラフィックス研究会拡大ミーティング「Adobe InDesignを用いたシステムインテグレーション事例」での講演レジュメ(一部加筆訂正)




講演記録完全版「システム決定までの経過と理由」〔JAGATテキスト&グラフィックス研究会会報 Vol.9 No.10掲載〕

1 折り返し点までの基本経過
1. 1 基本システムの決定
1. 2 原稿集約用コンバータの制作
1. 3 データベースという考え方とタグ付け組版
2 「完全原稿」とはいったい何か
2. 1 ふたつの「革命的」な提案
2. 2 「薄塗り」方式という提案
2. 3 チームづくりの基準はどこに
3 出版不況のなかで問われる仕事の喜び
4 引用・参考文献



1 折り返し点までの基本経過

1. 1 基本システムの決定

印刷出版のためのシステム構築法のあり方をかんがえてみます。ここでいうシステムとは目的の出版物をつくるためのハードウェアとソフトウェアの組み合わせを指します。が、決定的なことは物の要素ではなく人の要素であり、チームづくりだということです。組版とは発信側(書き手)と受信側(読み手)との架け橋です。どの基本システムを採用するかはまず出口から考慮します。つまり,最終的に読者のもとへ届ける目標物はどのようなものか,ということです。制作チームはたとえれば,目的地を同じくする山登りのチームづくりのようなものです。だれと組んで,どんな装備を持っていくか,出発前に決めなければなりません。
 今回の場合,ポイントは第1に,日本語と漢語との混植でそれぞれの書体にはそれぞれの言語文化圏で“正統的”な,一定の評価を歴史的に得ているものを採用したいという版元さんの要望があったことです。第2に,日本語と漢語のそれぞれの“伝統的な”行組版ルールに対応し,たとえば横組みであってもしっかりとセンターライン基準で組まれ,行取り組版ができることが必要だったことです。
 さらに,辞書のように編集,制作に要する期間が短くない場合は,出発がいつであり終着はいつになるのか,を考慮することが大切です。先を「読みすぎ」て新しいシステムを選んでもそれがまだ安定していなかったりすると苦労します。かといって用心しすぎて,終着時点で陳腐化してしまうようなシステムを選んでも悲惨です。はじめに決めたOSやアプリケーションのバージョンを途中で変えることはできるだけ避けたほうが無難です。
 また,OSとともに使用する文字集合やエンコードの選択も重要になってきます。辞書づくりの場合,基本の文字集合を的確に選び,そのうえでその集合にない「外字」や,集合のなかにあっても標準で実装されているものと異なる字形を必要とする場合もかならずといってよいほどでてきます。文字集合は大きいほうがいいとはかぎりません。フォントや組版アプリケーションが対応しているかどうか,出力が安定しているかどうかを考慮しなければならないからです。
 検討の結果,一部曲折はありましたがOSはWindows 2000/XP,文字集合とエンコードはユニコード,フォントはOpenType + TrueType,組版アプリケーションはInDesignと決めました。現時点ではこれで最後まで走る予定です。

1. 2 原稿集約用コンバータの制作

出版物の基本仕様が決まれば,ワークフローのはじめは原稿集めです。今回は,多数の執筆者がいてその代表ともいうべき編者がいます。そして編者をささえ,版元としてあれこれを決裁し,制作チームにその意向を伝える担当編集者がいます。
 まず,多数の執筆者から集める原稿は紙に書いたものか,データならどんな種類のデータなのかをきいてもらいました。9割が同一ならそれに揃えればいいとかんがえていたのですが,実態はそんなに甘くはありませんでした。日本で使われているありとあらゆる中国語アプリケーションの「百貨店」状態です。テキストデータにすればいい,とおっしゃる方もおられますが,テキストといってもさまざまな種類も階層もあります。高電社製中国語ソフト「Chinese Writer」をはじめ,シフト符合化方式のエンコードのうえで日本語と中国語とをフォント切換えによって混在を実現するものが多数でしたが,加えてその割り当てが各社とも同一でないのです。
 他方で,集めた原稿を整え,編集するアプリケーションはWordがもっとも編集者に負担にならないということだったので,すべてをユニコードデータとしてWordで作業することにしました。
 結局,中日混在文書ファイルからフォント切換え不要なUnicodeテキストへの変換のためのプログラム「UniChin ver.1」を作りました。ここでは,区切り記号とコンバートテーブルのユーザーによる指定を自由にできるようにしたことがポイントです。区切り記号指定なしで実行すれば全文をシフトJISからユニコードに変換しますし,始めと終わりの記号を改行として指定して実行すれば全文をシフトGBからユニコードに変換します。

1. 3 データベースという考え方とタグ付け

制作チームで自動組版を効率よくなしとげるためにはやはりチームを機能させなければなりません。ポイントはデータベースという考え方です。
 データとは情報とは区別されたものです。あるルールにしたがって数値化し,コンピュータでの処理に適するよう形式化されたものがデータなのです。データベースといっても,デザイナーも編集者もエクセルを使え,ということではありません。原稿からデザイン,組版にいたるまで,原稿の階層性を理解し,規則化するということを自覚する,ただその1点で共にすることなのです。むしろ,編集やデザインは見た目で勝負といのが出発ですから,いつもどおりやりたいことをやればいいのです。
 これは非常に重要なことです。当初の版元さんの社内での内製化をめざして採用しようとしたUrbanPressは,組版機能は表組みをはじめたいへん優れているのですが,どちらかというと原稿も指定も決まったものを組版専任者が扱うのに適していても,内容に手を入れ試行錯誤をかさねるという編集の仕事には負担がおおきいのです。編集者が組版オペレーターになってしまっては,編集の力が弱くなり,よい辞書づくりはできません。
 フォーマット指定にしたがって手で組んだサンプルデータとソースデータとをつきあわせて,両者の規則を見つけ出してタグ付けするのはプログラマーの仕事です。規則化するルールを立てて,例外が出ればそのひとつひとつを検討し,場合によっては,執筆規則や表記ルール,フォーマット・デザインのルールを変えてもらうように,逆提案すればいいのです。何か絶対的なルールの「正解」があるというのではなく,出版までに,ルールをつくってはこわしつくってはこわしということを繰り返していくわけです。  昨年暮れに,一部分だけですがプログラムによってタグ付けしたデータを流し込み,必要な手作業を加えてCTP出力し,本紙本機でテスト印刷して,ほぼうまくいったので,タグ付けによる自動組版と手作業との切り分けなど本番に向けてつめていくことがこれからの仕事です。

2 「完全原稿」とはいったい何か

2. 1 ふたつの「革命的」な提案

西谷能英さんは,執筆者に「文字データ以外のいっさいの付加情報のないプレーンなテキストファイルにしておくこと」[2001, p.23],「ルビや傍点を付けたり欧文特殊文字を入力する必要があれば、特殊な記号の組合せ〔…〕を使って本文中に入力しておけばいい。」[2001, p.23]と提言し,これを「革命的テキスト技法」[2001, 帯]であり「出版業界初の提言!」[2001, 帯]だと書いています。また,紺野慎一さんは作者がInDesignで組版しPDF入稿すれば「出版・印刷史上の「革命」的出来事〔……〕勝利の新システム」[2002, p.32]だと提起しています。どちらも,ご自分の経験に裏づけられているだけにその提起は自信をもってなされていることは確かなようです。
 このふたつの提案は同じではなく,西谷さんが「著者は出版社に原稿を渡す前段階で自分なりのレイアウト・イメージをもちたがる傾向が強い。〔……〕しかし出版を目的とする著者ならばそうしたアマチュア的なレベルからはそろそろ卒業してもらわなければならない。」[2001, p.49]とするのに対して,紺野さんは「「新システム」ならば作家自身が自分の美意識にしたがって版を組むことができます。一度作成されたデータはそのまま著者の指示通りに使用されます。」[2002, p.34]としています。しかし,両者のちがいは,見つけた便利な道具を前にしてそれを誰が使うのかという争いでしかないように私にはおもえるのです。入口の原稿から出口の本まで単線的に,作者の原稿はそのまま途中で引き返すことなく進むことがよいことだと言っている点では共通しています。純粋主義と名づけてもいいかもしれません。
 これまでの編集や出版の歴史のなかでなされてきた仕事におけるプラス価値とマイナス価値との逆転がなされているように私は感じます。活版の時代も写植の時代も,電算写植の時代も「原稿は完全原稿で」とは言われてきましたが,その内容が変わってきているのではないでしょうか。
 引用のつきあわせをしたり,写真の著作権を確認したりする仕事は,編集者の大切な仕事のひとつです。これは単線的に,一方通行で流していくことに対するチェックであり,場合によっては,書き手のもとへ問題を戻す緊迫感とつねに一体です。校正者の仕事も同じように反覆可能性をもったものです。まちがいにも階層性がありますから,あるときには赤字を入れ,あるときには,鉛筆書きで疑問出しをします。それを担当編集者が見て一定の判断をして(場合によっては書き手に問題をかえして),組版担当者に作業指示をするわけです。それぞれの分野の専門家はそれぞれの分野についてはプロだとの矜持を持ちつつ,そうであるがゆえに他の分野については自分以上のプロに対する敬意をもって対しているわけです。
 西谷さんや紺野さんの提起されているやり方ではどうなのか。とりわけ,紺野さんの提起だと「ゲラの赤字(訂正)に関しても,出版社(校正者・編集者)から著者に直接戻されます。著者は必要に応じて(印刷会社のオペレーターになりかわって)自分の手で訂正をするわけです。」とありますが誰が決裁の権限をもっているのか,真っ赤にされた自分の原稿を見て,その指示を淡々とチェックしながら直して行くことができるのは他人ゆえではないか,人間はやはり気分をもった動物ですから,著者が他人の赤字直しを淡々とやるようには,私にはおもえないのです。

2. 2 「薄塗り」方式という提案

鈴木一誌さん[2002a][2002b]は「薄塗り」方式を提起しています。先のふたつの提案は,ノイズはないほうがいい,流れは単線で一方通行がいい,という考え方であり,これに対して,鈴木さんはかねてから校正はキャッチボールであり,ノイズは排除できないと強調していましたから,すこし異なります。しかし,全員が対等に「薄塗り」をすることがルールになりうるのでしょうか。ここに決定的に欠落しているのは,表現はつきつめれば個人のいとなみであるがゆえに,個人の責任は回避できないし,それゆえ,権限をどう持つかというルールをつくらなければ,薄塗りというのは,強大な権限をもった人の責任だけを分散させることになる危険性があるのではないかということです。もちろん,この提起のもととなった『知恵蔵裁判全記録』は私も含め6人の共著者が,素材の配列から表記にいたるまで討議した関係でしたから,「薄塗り」がある程度実現したことは事実です。しかし,これが著者と編集者,校正者,組版者とのあいだでなりたつわけではありませんし,「これは新しい編集の方法だったんじゃないか。」[2002a, p.267]との評価には疑問です。先にも指摘したように,最後は組版オペレーターを兼任した書き手が強大な権限をふるってしまう危険性がともないます。書き手は書くことについてプロであっても,いやそうであるがゆえに,編集や組版,校正についてはそれぞれの分野のプロに,自らの原稿をゆだねるのです。ゆだねるということを通じて自分の書いた原稿を相対化するわけです。
 鈴木さんは「デザイナーは、フォーマットをつくることで、分業や職能間を媒介すると同時に、作り手と受け手の間のきしみを読み、そのきしみを減殺してしまうのではなくて、きしみを演出する職業だったと思うのです。そこに、著者という絶対的な権威者がデザイナーにのしかかってくると、デザイナーのきしみ演出力がなくなってしまう。」と述べています[2002b, 3面]が,組版者からみれば,著者とデザイナーという「絶対的な権威者」が「のしかかってくると」どうなのか,想像していただきたいとおもいます。

2. 3 チームづくりの基準はどこに

ある国語国文学の研究者からうかがったことですが,その分野で研究者はいま,perlの習得が必須になっているといいます。私にはこれはたいへん滑稽なことにおもえます。
 オーケストラで,指揮者もピアニストもみんながヴァイオリンを習得しなければならない,また,習得できるんだ,と言われれば,そんなばかなことがあるか,ということになるでしょう。やりたいことも能力や適性も人それぞれです。ひとりひとりが異なっているからこそオーケストラをいっしょにつくりあげることができるのではないでしょうか。最初の山登りの例でいえば,誰もが同じ体力や技術をつけることはできません。天候や地形などの条件が厳しければ厳しいほど,肩をよせあい,しっかりと隊伍を組みます。全員に等しく「テキスト技法」を求めたり,また,権限と責任のちがいを明確にしない全員参加の「薄塗り」方式では,遭難しかねないとおもいます。そこでは,多数決原理による民主主義ではなく,民主主義以上のあるものがなければチームを保つことはできません。リーダーとサブリーダーが先頭と最後尾につき,技量や体力の弱い仲間をあいだにはさむようにして隊伍を組みます。
 著者,編集者,デザイナー,組版者,製版・印刷者のそれぞれが誰に対しても代理も代行できない自分の仕事,得意な仕事を存分にやれるように,ということがシステムを選択し,運用する基準になるのではないか,これまでの経験にもとづく現時点での結論はここにあります。

3 出版不況のなかで問われる仕事の喜び 出版不況がいわれて数年がたちました。デザイナーはひとりでやっている場合はともかく,人をつかっている事務所ではデザイン・フォーマットづくりだけではとてもやっていけず,しぜん組版オペレーションも含めて請けることになっています。組版専業者は,出力機をもっていないところは厳しい単価競争のなかで淘汰されてしまっています。10年前に全盛だった電算写植も廃れて,ついに昨年は対応の出力センターの多くが転廃業するところまでいたっています。
 本づくりにかかわる仕事の多くは,時間単価やページ単価で測られる賃労働となりつつあるのです。仕事の質がますます賃労働化しつつあるからこそ,いっそうそれぞれの持ち場でのやりがいを求めることになっていっています。DTPのいっそうの完成によって,いっけん誰でもが何でもできるかのような「感じ」が与えられていることが,いっそう欲望をかりたてている側面もあります。人が技術をつかうのであって,その逆ではないことに留意し,技術決定論におちいらないようにする必要があります。
 ひとりではいい仕事はできません。既知と未知を率直に自覚し,むしろ,自分のできないことを知ること,これがチームを求める原点なのではないでしょうか。自分のできないこと,知らないことを教わるためにおたがいが存在するという捉え方がチームの力を有効に機能させます。一流をめざすからこそ,それぞれの分野で一流とおもわれるプロと手を組み,助け合うチームをつくることは中小企業にとってもフリーの人にとっても活路たりうると信じています。
 先人も知らざるを知ることの大切さを強調しています。
 知之為知之,不知為不知(これをしるをこれをしるとなし,しらざるをしらずとなせ)
 さいごに私自身心の励みにしている言葉として,近所で茶館「パレアナ」をやっていらっしゃる浅野比呂實さんから教わった「無為より無謀」を紹介してむすびとしたいとおもいます。

4 引用・参考文献(50音順)
  • 紺野慎一[2002]「京極夏彦――「勝利の新システム」」〔『IN★POCKET』2002年9月号掲載〕
  • 鈴木一誌[2002a]『ページと力 手わざ、そしてデジタルデザイン』2002年11月,青土社
  • 鈴木一誌[2002b]「線という運動」〔『図書新聞』2606号,2002年11月16日付掲載〕
  • 西谷能英[2001]『出版のためのテキスト実践技法 執筆篇』2001年4月,未来社
  • 前田年昭[2001]「書評『出版のためのテキスト実践技法 執筆篇』」〔『印刷雑誌』2001年7月号掲載〕 web版



講演記録完全版「システム決定までの経過と理由」〔JAGATテキスト&グラフィックス研究会会報 Vol.9 No.10掲載〕
(おわり)


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