石原発言は失言ではない





2000年5月11日

松 葉 祥 一
神戸市看護大学

4月9日,陸上自衛隊練馬駐屯地で行われた石原都知事の発言は,きわめて明確な戦略的意図をもった発言であり,けっして失言ではない。
石原発言の真のねらい 「第三国人」という語についても,彼自身,それが明確な差別的意味をもつことをはっきり意識していた。実際彼は,『タイム』誌(4月17日アジア版)のインタヴューで,次のように述べている。「僕の発言のうち,第三国人や外国人という表現は,日本が敗戦後,朝鮮半島や台湾の人を指すというのが正しい。当時,日本にいた朝鮮人,台湾人は強盗をして,時には日本人を暴行することもした。彼らに対する日本人等の恐怖感が,『第三国人』という言葉に表現されたのである」。したがって彼は,「第三国人」という語が,敗戦後の恐怖の対象としての「朝鮮人,台湾人」を指すことを明確に知悉していたのである。
 しかし,「(第)三国人」という語が差別用語かどうか,彼に差別的意図があったかどうか(差別は,意図の有無ではなく効果が問題なのであるが)をこれ以上批判の中心に置くことは,彼の仕掛けた罠に陥ることになる。実際彼は,意図していたかどうかは別として,この点に批判を集中させることによって,真のねらいから批判をそらすことに成功している。それゆえ,彼自身,目的を達したと見るや,簡単に三国人という表現を引っ込めることができたのである(被害者に対して行われたわけではなく,また謝罪ではなく遺憾を表明したにすぎないのだが)。こうした意味で,彼の発言は失言ではなく「確信犯」であり(姜尚中,『サンデー毎日』,5月21日),その核心が「差別ではなく煽動」にある(金子秀敏,『毎日新聞』,4月25日)という指摘は正しい。
 では,石原発言の真のねらいはどこにあるのか。それは,4月9日の発言のなかにはっきり現れている。
 「不法入国した多くの三国人,外国人が非常に凶悪な犯罪をですね,繰り返している(……)もし大きな災害が起こったときには大きな騒擾事件すらですね想定される。こういうものに対処するためには,なかなか警察の力をもっても限りとする。(……)治安の維持も,一つみなさんの大きな目的として遂行していただきたい」(『朝日新聞』,4月12日)。
 すなわち,第一に不法滞在外国人イコール凶悪犯罪者という誤った認識を定着させること。第二にそれを震災の脅威と結びつけ,市民のなかに治安強化への欲求を醸成すること。第三に治安のための「軍」の必要性を認識させ,現在進行中の改憲論議に弾みをつけることである。

「不法」滞在外国人=凶悪犯罪者という虚構 まず第一のねらいは,不法滞在外国人イコール凶悪犯罪という虚偽を「事実」として定着させることである。彼はたんに不法滞在外国人のなかに凶悪犯がいると述べているだけではない。不法滞在外国人はすべて凶悪犯であり,凶悪犯はすべて不法滞在外国人だと述べているのである。「東京の犯罪はどんどん凶悪化している。だれがやっているかといえば全部三国人,つまり不法入国して居座っている外国人じゃないか」。「東京だって不法入国した顔色がそれぞれ違った身元のはっきりしない人たちがいっぱいいる。その人たちが必ず騒擾事件を起こすと私は思うし,だからその事実を考えましょうと言っただけだ」(いずれも4月10日青ヶ島村での記者会見,『毎日新聞』)。
 これがまったくの虚偽であることは,『警察白書』によって明らかである。1999年版の同白書によれば,1998年の凶悪犯のうち,「外国人」は251名で全体の5%,そのうち「不法滞在外国人」は137名であり,全体の2%にすぎない。これは,絶対数としても,人口比率と比較しても,多いとはまったくいえない。また,5年前と比較した場合,凶悪犯が全体で3割増加したのに対して,「外国人」も,不法滞在者も大きな変化がなく,その結果,むしろ全体に占める比率は下がっている。このように,不法滞在外国人=凶悪犯という図式はもちろん,不法滞在外国人による凶悪犯が多いという主張も,それが増加しているという主張も誤っている。
 今回の石原発言全体が,この主張を基盤としている以上,まったく根拠がないことになる。にもかかわらず,彼は,この主張を,二つの(レ)トリックを使って「事実」に見せかけようとしている。一方は,「不法入国者」,「不法滞在者」など不法という語を多用することによって,出入国管理難民認定法という行政法への違反を,刑法犯罪,さらには凶悪犯罪と結びつけるレトリックである。他方は,「日本人」に対する「外国人」という有標項を使ったレトリックである。それに根拠がないことは,例えばパリのメトロで,「黒人はみんな強姦魔だ」と声をかけられたマルチニック出身の青年の,次のような返答によって明らかである。「確かに,新聞にはよく『黒人が強姦』といった見出しが出ますね。でも,これまで『白人が強姦』っていう見出しを見たことがありますか? この場合,『若い女性,変質者に暴行される』ということになるでしょうね。これ,おかしいと思いませんか?」(アルレム・デジール,『私のなかまに手を出すな』,第三書館,1993年)。
 今回の石原発言は,こうしたレトリックを使って,凶悪犯と不法滞在外国人を同一視する謬見を,事実として定着させることを第一のねらいとしている。

予防対抗暴力の論理 石原発言の第二の目的は,この不法滞在外国人=凶悪犯罪者という虚偽の脅威と,現実の震災の脅威を結びつけることによって,住民の不安を煽り,「危機管理」,「有事」体制強化への要求を醸成することである。そしてそのために,安全のはらむ原理的な問題と「予防対抗暴力の論理」を利用するのである(詳しくは拙論参照,「安全は国家のものか」,『現代思想』,1999年10月)。
 そもそも安全とは,「個人,建物,社会などが危険にさらされていない状態」を意味する。つまり安全は,積極的に定義することはできず,危険のない状態としてしか定義できない。そこから,何をどこまで危険とするかという問題と,誰がそれを定義するかという問題が生じる。ところで,この安全を脅かす危険は,それが意図的なものか否かによって二分できる。すなわち,非意図的な危険には天災と過失があり,意図的なものには他国の侵略と私人による犯罪がある。国家や地方自治体は,基本的にこれらすべての危険から個人の安全を保障することを付託されているのであるが,両者は厳密に区別されなければならない。このうち意図的な危険を,それらが意図的であるところから「暴力」と呼ぶとすると,周知のように国家(地方自治体を含む)は,軍隊や警察,監獄など暴力を独占することによってこれらの暴力に対抗する。ただ,法治国家であれば,その手続きは,すべて法の下で行われねばならない。したがって,国家は,この暴力を排除するための暴力を正当化しなければならないことになる。
 この正当化のために使われるのが,「予防対抗暴力の論理」(E.バリバール)である。すなわち国家は,安全で平和な秩序を乱す可能性のある暴力を想定し,自らの暴力をそれに対する抑止力として正当化するのである。つまり,ある個人やグループ,国家を暴力的だと定義し,それらがもたらすかもしれない暴力からの予防のためのやむをえない暴力として,自らの暴力を正当化するのである。こうして,国家は,暴力を独占するだけでなく,安全を,つまり排除すべき暴力とそれに対抗するための正当な暴力を「定義する力」を独占することになる。
 そして,国家は,自らの存在証明と存続のために,家族,学校,企業,出版といった「イデオロギー装置」を通じて,安全を脅かす暴力への恐怖をかき立て続けることになる。すなわち,安全に対する脅威を誇張,あるいは捏造することによって,市民の側から軍備強化と治安弾圧拡大を求める声を醸成する。それは,国家が無力であると感じられる時代ほど大きくなるだろう。こうして国家は,「予防対抗暴力の論理」によって排除すべき暴力と正当な対抗暴力を「定義する力」を独占することによって,「危機管理」の名目で,自らの暴力の範囲と規模を無限に拡大していくことになる。抑止力の名目による軍備拡大競争と治安弾圧による恐怖政治は,例外的な事態ではなく,予防対抗暴力の論理の必然的な帰結なのである。
 この予防対抗暴力の論理が,戦争や治安弾圧を生み,安全保障という前提に反する結果に陥ることは明らかである。それゆえ,市民は,つねに国家の暴力装置の監視とコントロールを続けなければならないのであり,また脅威を拡大再生産する予防対抗暴力の論理を許さず,安全を脅かす危険を「定義する力」を行使し続けなければならないのである。

「三軍」を使った治安演習 石原発言は,まさにこの「予防対抗暴力の論理」に則っている。すなわち,不法滞在外国人=凶悪犯の暴動という「暴力」を名指すことによって,それに対する治安弾圧の必要性を正当化する。そして,さらにこの意図的な脅威を,震災という非意図的で回避不可能な脅威と結びつけることによって,不安を煽り,安全保障=治安のための対抗暴力=軍の必要性を認識させようとしているのである。今年三月のインタヴューでは,ありもしないロサンゼルス地震の際の暴動や,こともあろうに関東大震災の際の朝鮮人虐殺事件を引き合いに出して,次のように述べている。「このところ不法入国の外国人が増えて安全が脅かされています。(……)関東大震災の際,朝鮮の人たちがデマゴーグで殺されたりして気の毒だったけど,今度逆のことが起こるおそれがあると。ロサンゼルスであったように,不法入国の外国人による大略奪が新宿とか池袋で起きるかもしれない。それに対処するデモンストレーションとして戦車とか装甲車で町を封鎖する訓練もしてほしい」(「永田町紳士淑女を人物鑑定すれば」,『正論』,2000年3月)。
 そして彼には,この目的を実現するための非常に具体的な戦略的目標があった。すなわち,今年9月3日,東京都の防災訓練において,「陸海空の三軍を使った」大演習を行うことである。これは一時的な思いつきではない。このアイデアは,中曽根元首相が防衛庁長官在任中に案出したが,美濃部知事の拒否によって実現しなかったという。そして,この中曽根氏の示唆によって,この演習は,彼の都知事就任以前からの宿願だったのである(『VOICE』,1999年8月)。
 実際,彼は,昨年来一貫してこの訓練の重要性を強調してきたが,とくに今年2月23日の都知事施政方針演説では,次のように宣言している。「(……)また,災害の発生直後には,何よりもまず,迅速に初動体制を確立しなければなりません。警察,消防の救助活動に加えて,自衛隊のもつ総合的な機動力を活かすことにより,一人でも多くの都民を助ける体制を確保するため,本年9月3日,陸・海・空の三軍が統合して参加する,総合防災訓練を実施いたします。(……)また,震災復興を円滑かつ効率的に進めるために,私権制限を含め,必要となる法的な課題について,検討してまいります」(http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHIJI
/SHOUSAI/30A2O100.HTM)。
 その後,4月21日の定例記者会見では,治安維持訓練を含まないと軌道修正しているが,この記者会見でも,「最初は小学校レベルのことから始めて,それを積み重ねることで体験も蓄積される」(『毎日新聞』,4月21日)と述べ,将来的には治安維持訓練を含む可能性があること,そしてそのためにまず最初の演習を行うことの重要性を強調している。

改憲と国軍昇格の宿願 そして最後に,こうした発言の最終的な目的は,現在進行中の改憲の動きを加速し,自衛隊を「国軍」に昇格させることにある。
 9月の演習も,東京都の治安を口実にしながら,最終的な目的が北朝鮮や中国に向けた軍事的デモンストレーションであることは,次のような発言から明らかである。「やっぱり陸海空の『三軍』を使った災害時の合同大救済演習をやってもらいたい,東京を舞台に。(……)(その大演習は)絶対日本のためになるし,東京のためになる。そしてそれは同時に,北朝鮮とか中国に対するある意味での威圧にもなる。やるときは日本はすごいことをやるなっていう。だからせめて実戦に近い演習をしたい。」(『VOICE』1999年8月号)
 とりわけ彼の中国に対する敵意はよく知られている。9日の発言と重なったために大きく報道されなかったが,4月10日発売のドイツの週刊誌『シュピーゲル』のインタヴューで,憲法第9条を廃棄して正規軍をもつべきだと述べただけでなく,「いわゆる南京大虐殺は東京裁判でアメリカがでっちあげた冗談だ」であるとか,中国の脅威に対抗するために「巨大帝国の中国が多くの小国に分裂すればもちろん良い。私はそれは大いにあり得ると見ている。日本はそうした展開を全力で促すべきだ」と述べ,中国外交部(外務省)の「この暴言は,白痴が夢物語を語っているにすぎず,その夢は永遠にかなえられない」と「強烈な憤り」(『人民日報』)を引き出している。
 そして彼は,これに対抗しうる「国軍」の創設のために,現憲法を「破棄」し,世界一の軍事国家になるよう提案するのである。「憲法でがんじがらめになってないで,憲法なんて破棄したらいい。あれはもう,絶対に変えられないような手続きになってるんだから,全部基本的に考え直すということで『破棄しましょう』という動議を出したらいい。それが,国会の51%の賛成と49%の反対なら通るんですよ。/新しい憲法をつくったら自衛権だってきちんと定義できる。ぼくなんかが思うのは,日本は世界一の防衛国家になったらいい,と。そして世界一優秀な戦闘機をつくってどんどん外国に売ったらいいんだ。」(小林よしのりとの対談,『SAPIO』,1999年8月25日/9月5日号)
 実際,4月9日の発言でも,「アメリカは,あのいびつな憲法に象徴されるように日本の解体を図り,その結果が今日露呈されている。(……)(自衛隊は)国家にとっての軍隊の意義を,都民に示してもらいたい」と述べ,改憲と軍隊の意義を強調しているのである。

演習の差し止めとリコールのためのねばり強い運動を こうした石原発言が,日本国憲法の平和主義や基本的人権の尊重原則に反するだけでなく,公務員の憲法尊重擁護義務を定めた99条に違反していることは明らかである。また,日本が1979年6月に批准した「国際人権自由権規約」の第20条2項「差別,敵意,又は暴力の扇動となる国民的,人種的又は宗教的憎悪の唱道は,法律で禁止する」という規定や,1995年12月に加入した「人種差別撤廃条約」の第2条項の「各締約国は,個人,集団又は団体に対する人種差別の行為又は慣行に従事しないこと並びに国及び地方のすべての公の当局及び機関がこの義務に従って行動するよう確保することを約束する」という規定,ならびに第4条項の「国または地方の公の当局または機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めないこと」という規定にも明らかに違反している。
 しかし,彼はこうしたことを十分承知している。石原発言はけっして失言ではない。彼の発言は,違法であることを承知の上で,周辺事態法や五〇〇を越えるガイドライン関連法などの軍事立法や,憲法調査会による「明文改憲」への動きを促進するための戦略的行動にほかならない。それゆえ,彼に謝罪を求めても無駄である。もしわれわれが,この国の軍事化を望まないのであれば,また人種差別社会を望まないのであれば,これ以上この人物を都知事の座に座らせておくわけにはいかないだろう。そして,何よりも今年9月3日の演習を許すわけにはいかないだろう。すべては,われわれの〈いま・ここ〉の選択にかかっている。
(まつば しょういち・哲学)






Jump to

[HOME]
ご意見をお待ちしております。 電子メールにてお寄せください。
前田年昭 MAEDA Toshiaki
[E-mail] tmaeda@linelabo.com