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鋭い批判精神に満ちた,タイポグラフィの実践的教科書 市川崑の明朝体表現は邦画史上類をみない卓越したデザイン
書評:小谷充『市川崑のタイポグラフィ 「犬神家の一族」の明朝体研究』
2010年9月
前 田 年 昭
思想誌『悍』編集人
『図書新聞』第2981号 2010年9月11日付掲載 |
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横溝正史原作『犬神家の一族』は市川崑監督が映画化,大ヒットを記録し,日本映画の金字塔,日本映画史上最高のミステリー大作と呼ばれた。七〇年代の金田一耕助シリーズは極上のエンタテインメントとして人びとの記憶に刻まれた。映画の顔としてのタイトル,スタッフ,キャストのクレジットに使われた,画面いっぱいにL字型に配置された巨大な明朝体は,以降の映像に大きな影響を与え,今なおことあるごとに模倣されている。
本書は,この“市川崑明朝体”の来歴を丹念にたどっていく。そこから「文字を主体としたヴィジュアル表現,すなわちタイポグラフィの視点を明らかに」し,「制作者の意図や手法の背景をプロファイルしていくことが本書の目的である」(序章)。
「太い明朝体の写植を注文したら,活字見本を用紙いっぱいに刷り付けてきたので,これは面白い,このまま使おうってことになった」という市川崑自身の残した言葉に対して,著者は「本人や当事者の証言を鵜呑みにしないのは調査の鉄則」というのだ。そして「監督本人すら気づいていないコンテクストの深みを探」るという懐疑精神をもって探究を開始する(被差別者や少数者が声を上げはじめた全共闘運動以降,当事者優位の正しい主張は今,行き過ぎてはいないか。当事者へのインタヴューで綴った物語を歴史とするのも行き過ぎれば誤りに転じ,自慢話と言い訳に終始し,つまらないからだ)。
まさに金田一耕助スタイルで縦横無尽に迂回して検証を進めていく。探究の過程で,明朝体史,活字−写植−デジタル…からバウハウス,歌舞伎,無残絵等々,自在に参照されていくが,その蘊蓄がけっして衒学的でないのは「デザイン言語による映画評論の可能性を見出すこと」という目的意識に貫かれているがゆえのことであり,読者は著者に導かれて謎解きを心地よく読み進むことができる。このグルーヴ,ノリは文字好き,映画好きのみならず,多くの本好きを魅了するであろう。読書の醍醐味がここにある。
著者は「ものづくりのプロセスにおいて(中略)“完全なるオリジナル”などというものはほぼありえない」とする立場に立って,映画と文字の置かれた時代と社会を考察しており,背後に膨大で緻密な研究がなされたであろうことが,削り込み抑制のきいた文章と巻末の絞り込まれた参考文献の配慮ある配列からうかがうことが出来る。
「「書体―組版―レイアウト」のそれぞれの段階(中略)伝えるべき意味内容を表現するための(中略)技芸がタイポグラフィであり,言語を伝えると同時に,目的にあわせて連想性を呼び起こし,視覚的意味を伝達することが最大の使命であるといえるだろう。市川崑の明朝体表現はそうしたタイポグラフィの特質を最大限に活かした,邦画史上類をみない卓越したデザインである。クレジットのヴィジュアルが脚本や音楽と共鳴し合い,うねりのようなコンテクストとなって物語の世界観を創出しているのである」(第II章)
本書は映画と文字の教科書であり,ブックデザインとものづくりを志す者の“風姿花伝”である。とくに,さまざまアプリケーションソフトの操作技法は教えてもデザインの基本を教え得ていないデザイン教育者は襟を正して読み,またタイポグラフィの教科書として使えばよいと私は考える。また,本書のデザイン・フォーマット設計もまた著者自身の手になるものであり,とても読みやすく美しい。本書で文字とデザインの基本を学んだ読者は,本書のフォーマット,書体を分析することでいっそう楽しめるにちがいない。
“すべてを疑え”というニヒリズムではなく,“すべては疑いうる”という懐疑精神と強い目的意識に裏打ちされ,考えに考え抜かれた著者の研究は,市川崑の映画と同様に時間を超えて人びとを動かす力を持つ。ぜひ一読をすすめたい。
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(おわり)
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