おまえと組んでよかったぜ!

〜 日本語DTPの「新たな始まり」〜


「第9回東京国際映画祭公式プログラム」
付属文書


1996年9月27日

前 田 年 昭
ライン・ラボ代表

日本語の文字と組版はいま「幕末」ともいえる激動にある。歴史が教えているとおり,滅びゆく旧き勢力にとっての「幕末」はまた,興りつつある新しい勢力にとっては「維新前夜」でもある。しかし,「幕末」そのものの真っ只中を生きる者にとっては,いま現在が「幕末」であることは自覚されているとはかぎらず,一人一人にとっては幕末を生きているのか維新前夜を生きているのか,分けることはできない。生身の人間にとっては,そのどちらをも同時に生きているのだから。
 1996年秋,東京国際映画祭は,日本のDTPの歴史年表に記録されるべき重要な事件となった。
 日本のDTPはいま,どういう状況におかれているのか。パソコンやワープロの普及は日本語の文字と組版の歴史にいったいどういう変化をもたらしたのか。一方には,「字を書く」ということを多くの人びとに解放した,という見方があり,他方には「字を書く」ということから人びとを遠ざけた,という見方がある。いやいやこれは次元の違う話であってそもそも噛み合っていない,というほどに激動と混乱の真っ只中にある。活版や写植の職人たちは日本語行組版ルールの乱れを嘆き,DTPを嫌悪し,拒絶する。映画『仁義の墓場』の名惹句「カラスが啄(ついば)む仁義の死骸(むくろ)」にならっていえば「DTPがついばむ日本語組版の墓場」だと。
 パソコンやワープロはまだまだ草創期であり,日本語の文字と組版の長い歴史のなかではまだまだ始まったばかりである。

 1993年12月,日刊アスカが夕刊紙として創刊されたとき,その発行の背景や経緯よりも,私たちはそれがマッキントッシュの完全DTPによる発行だということを新しい時代の始まりとして,感激をもって受け止めた。しかし,連数字が横になったままであったり,行が重なっているのを見ると,最初は微笑ましく,また身につまされ,やがて,誤植を繰り返し見付けるにしたがって,DTPはまだまだ使いものにならないなぁ,と溜め息をついたのだった。しかし,ある哲学者は「何も仕事をしない人は失敗もしない」と教えている。そうだ。それから3年経ち,日本のDTPは数々の失敗を重ねるなかで長足の進歩をとげつつある。まさに失敗は成功の母だった。
 今回の東京国際映画祭において,アートディレクター・鈴木一誌さんをはじめとするDTPチームは,A4判12ページの日報を10号まで,8ページの準備号(no.0)を含め総128ページにわたって出しつづけたのである。巻末の「ドキュメント「日報」の記録」は激動のありのままを描いて,読みごたえがある。毎日,その日の出来事を取材し,写真を撮り,文章を書き,翻訳をし,そうしてまとめたメッセージを,日報という形にまとめ,出し続けた。日本のDTPもこういうことができるようになったんだなぁ,と感慨深い。映画祭にとっても日報は映画祭の顔,すなわち目として,耳として,口としての役割を果たし,人びとをおおいに元気づけたにちがいない。

 仕事としてちょっとでもDTPに取り組んだ人なら分かると思うが,DTPは決して効率化,省力化,コストダウンには直結しない。「早い,安い,うまい」という吉野屋の牛丼とはちがう。
 カルトな伝統的デザイン誌SUPERDESIGNINGの編集長だった柴田忠男さんがかねてから「DTPとはワークフローだ」と力説されていたことを思い起こす。そう,だれとだれがどういうチームを組み,どういう共同作業をつくりあげるか,その工程の基本設計がなければDTPは何のメリットもない。絵に描いた餅におわってしまう。ワークフローなきDTPは吉野屋の牛丼のごとく「早い,安い,うまい」を実現してはくれない。
 何よりも,高品位のよいフォントと日本語の行組版の機能をそなえたアプリケーションがなければならない。そしてまた,いつでもどこでもイメージセッター出力ができる環境がなければ,安心して仕事に使えないのだ。とどのつまり,こうした社会的な環境が整っていなければ,一時の力技としての日本語組版は可能であっても,とても日刊の印刷・出版など実現できるはずがないのである。

 今回,フォントでは,採用されたヒラギノ明朝体,ヒラギノ角ゴシック体が使われている。字游工房がデザインしたこのヒラギノ明朝体とヒラギノ角ゴシック体は,映画『冒険者カミカゼ』の惹句ではないが,「おまえと組んでよかったぜ!」と言わしめる力量をもった書体である。活版や写植の伝統をひきつぐ本文用書体が自由に選択できる状況が実現できるようになったことはまことに嬉しいかぎりである。

 最後に日報第10号の一節を,我田引水ではあるが,日本語DTPへの激励のメッセージとして引用して,結論としたい。
 【本紙の発行も今号で最後になるが,このひとつの「終わり」が,新たな「始まり」となることを願わずにはいられない】


 [参考図書]
『惹句術』
 関根忠郎・山田宏一・山根貞男著
 ワイズ出版

(おわり)


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