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書物をつくったのはだれか
2001年4月
前 田 年 昭
知恵蔵裁判全記録を読む会
シンポジウム「『知恵蔵裁判全記録』を読む 誰が「書物」をつくったのか?」(2001.4.10、東京・青山ブックセンター)資料パンフに発表
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『知恵蔵裁判全記録』は“ありのままの”“すべての”事実を記録したのか。否,そうではない。歴史に残す意義があると編者が考えた事実を記録したのである。では,歴史に記しておくべき事実とは何だったのか。
その最大のものの一つが「かたちと内容は不即不離で一体」との原告側の主張だった。いや内容あっての形式だ,とか,かたちに権利を認めることは「公共の利益」に反する等々との被告側の主張に対して,原告側は正面から問いかけ,抗しつづけたのである。
事件の発端は,『知恵蔵』のフォーマット・デザインはデザイナー鈴木一誌がつくった,という命題だった。書名やデザイナー名を他の固有名詞にした他の個別の命題からでもよかったが,ともかくも知恵蔵裁判は先の,任意の命題から始まった。その背後には「もっとも単純な,もっとも普遍な,もっとも根本的な,もっとも大衆的な,もっとも日常的な,何十億回となく繰り返される関係」が存在していた。個別的なものは普遍的なものであるというヘーゲルの指摘はここでも正しい。なぜならわれわれは,個別の,目に見えるフォーマット・デザインのつくり手たちを離れて,目に見えないフォーマット・デザインの権利一般があるとは考えることができないからである。
個別的なものは一般的なものに対立している。一般的なものとは資本主義社会にあっては商品である。『知恵蔵』を印刷という複製技術によって大量生産し,商品として売る権限のことである。テクストを書き,フォーマットをつくり,組版し,印刷し,製本し,……という個々人は,各自のもっている知恵や力,工夫や創意を商品として売り,印税や賃金や制作費などさまざまなかたちで対価を受け取り,生活している。個別的なものは一般的なものへ通じる連関のうちに存在し,一般的なものは,個別的なものによってのみ存在する。商品としての『知恵蔵』の価値は個別的な知恵と力の提供の集積によってのみ生み出される。すべての個別的なものは何らかの仕方で一般的なものである。すべてが商品として現れる現代社会では,個別の知恵と力,工夫や創意は,労働力商品として,無内容で質のないもの,単なる量として測られるだけである。
電子出版技術の急速な普及はいま,書物をつくる技術を個人に解放しつつある,かのように見せかけられている。書物をつくるために協力しあった諸個人が提供した知恵や力は書物のなかに溶け込んでいる。どこのだれがつくったのか,フォーマットをつくったのは腕のいいデザイナーだったとか,組版したのは下手な組版業者だったとか,そういうことは,技術の解放につれて一般的なもののなかにますます姿をかくしていく。書物をつくる技術の解放の進展と比例して,テクストのつくり手および自身でそれに準ずるとみなす者がこれまで以上に書物の「作者」として特権化されていく,かのように見せかけられる。電子テクストはたいていの場合,作家主義への傾斜をますます強めていく。自らを強者と錯覚するか強者にすりよろうとするデザイナーによる作家性の主張もまた作家主義を補強する。
しかし,すべての一般的なものは,個別的なもの(テクストを書き,フォーマットをつくり,組版し,印刷し,製本し,……)をただ近似的にのみ包括するにすぎない。電子出版技術は,人間の年齢や性,カンやコツなどの経験による制約から本づくりを解放していく。だが,労働は依然として無内容で質のないもの,単なる量であり,知恵蔵裁判の〈原告全面敗訴判決〉が宣言したとおり,本を商品として世に流通させる力を持つ者からみれば,個別のつくり手たちはしょせん「雇われ」でしかない,という関係はみじんも変わらない。ここに日常茶飯の,「もっとも単純な,もっとも普遍な,もっとも根本的な,もっとも大衆的な,もっとも日常的な,何十億回となく繰り返される関係」がある。
物が精神的なものとなり,すなわち資本が精神的なものとなり,人が物となるという逆転がおこる。テクスト−組版,内容−形式,なかみ−かたち等々の対立において,前者がより始源的であり,後者は従属的であるかの観念が強まる。その観念がきわめて歴史的に限られたものでしかないことはおおいかくされている。価値は社会的生産労働が生み出しているにもかかわらず,肉体労働と分離してしまった精神労働を占有する資本によって,作家主義は支えられる。ここでは人間の思想の土台には個別的な社会的実践が存在していることが意図的に忘れられている。
すべてを奪われている者は,すべてを奪いかえすことによってしか,書物をこしらえつづけてきた歴史を発見し,取り戻すことはできない。気づくべきは,最初から失うべきあれこれの権利も持たされていなかったことである。書物をつくっているのはだれか。いままでの歴史観はみな歴史の現実の土台をおおいかくし,書物をつくっているさまざまな個別的な者たちを,存在しない「雇われ」としかみなしてこなかったのではなかったか。
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(おわり)
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