2月11日 「楽園は何処に… 祖国を訴えた日本人」2006年2月12日(日)24:25〜24:55 NNNドキュメント'06(制作=山口放送)。【神奈川の工場で働く山本ノボル(22)。ドミニカ共和国の日本人入植地で生まれた。祖父・福槌は50年前ノボルの父・新ニらを連れドミニカに渡った。当時外務省が作った募集要項は農地18ha、東京ドーム4つ分の無償譲渡を約束。しかしドミニカに渡った1319人のうち約束の土地を手にした移民はいない。祖父の田は未だ所有権がなくあるのは耕す権利だけだ。6年前移民たちは祖国日本に32億円の損害賠償と謝罪を求め提訴。しかし長引く裁判にノボルの祖父母ら16人が他界した。ノボルは言う。「日本は約束を守るイメージがあったのに」移民が祖国を訴えた初の裁判にこの春、判決が下る。/ナレーター:伊藤惣一/=再放送について=CSのニュース専門チャンネル「日テレNEWS24」にて放送 2月18日(土)24:00〜】。関連:ドミニカ移民訴訟が結審/東京地裁 判決は来春以降か(05.10.18南日本新聞)/「棄民」として来年で50年=ドミニカ移民訴訟結審=国策だったかが争点=国側「斡旋しただけ」「時効」(05.10.19ニッケイ新聞)/ そこに楽園は無かった〜ドミニカ移民苦闘の半世紀〜(04.10.15鹿児島テレビ放送)/同。
2月7日 展覧会「発掘された不滅の記録1954-1975[VIET NAMベトナム]そこは、戦場だった」1月14日(土)〜2月19日(日)、月休、東京都写真美術館、一般800円。【ベトナムは抗仏戦争(第1次インドシナ戦争)を戦い、1954年に解放されます。しかし、ジュネーブ協定では南北に分断されました。そこから始まった分断国家の悲劇はアメリカが介入したベトナム戦争へと続き、激しい戦闘が繰り広げられました。1975年、北ベトナムと南ベトナム解放戦線が、当時の南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)に無血入城して終幕を迎え、統一が実現したのです。その間、多くの命が犠牲になりました。米軍の死者だけでも5万人を超えています。ベトナム人にとってもその後の復興の道のりはとても険しいものでした。/しかし、この戦争は戦争報道という面から、歴史上例を見ないほどの量と質の報道がなされました。世界中から多くの報道関係者がベトナムに集まり、命を賭して最前線へ赴き、筆を走らせシャッターを押したのです。そこからピュリツァー賞をはじめ多くの賞を得ました。その作品の数々は30年以上を経ても決して色あせることがありません。それは、ジャーナリストが真正面から戦争というものを見つめ、報道したからにほかなりません。今、改めてその成果を見つめ直し、その後も地球上からなくならない紛争の愚かさと悲惨さを再認識させる展覧会です。/今回の展覧会ではあまり紹介されることがなかった北ベトナムの写真家が撮った写真を多数発掘し展示します。北ベトナム側のカメラマンの死者が200人を超えていたことも分かりました。南ベトナム側の写真の中からは日本人やアジア人の代表的写真家にしぼり写真を展示します。南北両面からベトナム戦争を見つめ直す画期的な展覧会です。戦争とその場に立ち会わざるを得なかった人々の姿を余すことなく伝えます。】。
2月5日 「JR採用差別事件の勝利解決をめざす!1047名闘争団・争議団・原告団総決起集会」2月16日(木)18:30、日本教育会館3Fホール。
2月4日 「堀江氏の拘留とメディアの逆襲 鈴木宗男氏に聞く」.02.03 livedoorニュース。【──今回のライブドア事件に関する一連の報道をどのように捉えていますか。「昨日まで堀江さんは時代の寵児でありヒーローみたいな扱われ方をメディアにされていました。堀江さんはメディアが好きでしたから、そのメディアを上手に活用し、ライブドアの株も上げた。現在、その裏返しがあるのではないかと思います」/──そのメディアの反動はどのようなものですか。「堀江さん自身が、そのようなからくりを一番よく知っているはずですよ。「ムネオハウス」や「疑惑の総合デパート」などの発言でメディアを利用してきた辻本清美さんもそのメディアにやられたように、実際、メディアは昨日まで味方だったのに、手のひらを返すような扱いをするでしょう。例えば、堀江さんが選挙後のときの発言で『選挙に落ちても、株が上がった』などと、わたしは言わなくてもよかった思う発言なども、今になって映像として流されています。これなんかは堀江さんにとっては良くない印象だと思います」/──鈴木さんと堀江前社長のケースを比べて違う点はどのようなことでしょうか。「堀江さんの場合、捕まった容疑と今取り調べが行われている容疑は同じでしょう。わたしの場合は、外務省が流したリークにマスコミが引きずられて報道が始まった。何もないところから作り上げられたわけです。世論のバッシングが行われ『鈴木を捕まえても問題ない』という雰囲気が出来上がったところでわたしは捕まったわけです」/──メディアに対してどのようにあるべきかと考え、また、現状はいかなる状態だと分析していますか。「メディアは本来、国民に真実を伝えるべきものですが、時に、一方的な情報を流してしまう。例えば、外務省や検察庁のリークには裏づけが取れないほかに、記者がどのように与えられたその情報を扱うかによって、次のリークが用意される」「『リークされた情報を大きく扱うことでスクープにした記者は出世し、一方、リークした検事はそのスクープによって受け持った事件がより話題性の高いケースとして、世間から注目を受ける。その結果、一緒に出世するという悪循環を生み出しています』と田原総一郎さんが私との対談で話していました(BS朝日:05年9月19日収録)」/──三浦和義さんに対するインタビューにおいて、ライブドア事件に関する印象を伺ったところ、これまでに起きた大規模な粉飾に比べると、語弊はあるが騒ぎ過ぎで、堀江前社長のバッシングではないかと言っておりますが、鈴木さんの考えはいかかですか。「わたしの視点は違います。粉飾が行われた金額の差異ではありません。私なんか400万円で捕まっていますが、山崎拓さんなんか歯科医師会から医療報酬の請託を受けて3000万円もらっても捕まっていない。私の感覚で言えば、堀江さんのライブドア粉飾疑惑の金額は大きいですよ。一般の方から見ても大きいと思いますね」【つづく】】。
2月3日 すが秀実「ポスト自治空間 2005年12・20早稲田大学におけるビラまき逮捕をめぐって」〔2006年2・4集会「大学改革と監視社会」シンポジウムのための討議資料〕。【確認しなければならないことは、この事件が「1968年」を結節点とする大学の――いや、日本の、世界の――大転換の今日的帰趨としてあるということである。早稲田大学においてもきわめて意義深い闘いが展開された「68年」は、大学という社会的存在の質を決定的に転換する契機となった(「68年」〔時期的には69年〕の第二次早大闘争については津村喬『われらの内なる差別』が、さしあたりのドキュメンタリーになっており、参照されたい)。それは、90年代以降に全面的に顕在化するグローバル資本主義に応接する大学が、そのありかたを模索する端緒であった。今日なお吹き荒れている「大学改革」なるものが、68年に対する「反動」であることは言うまでもない。〔……〕68年の大学闘争が世界史的な文脈のなかで考えられなければならないというのは、おおむね、以上のような理由からであり、それは、この度の早稲田の問題が決して局地的=孤立的事件でないことも意味している。それは、グローバル資本主義下の大学で必然的に生起した事件であり、その意味を問うことなしには戦いえない問題をはらんでいる。それゆえ、早稲田の問題を単に「大学の自治を守れ」といった、68年以前的に古典的=一般的なスローガンに解消してはならないし、ましてや、かつても存在したためしのない「自由な早稲田」へのノスタルジー(早稲田ナショナリズム!)へと矮小化することは許されないのである。〔……〕】。全文必読!
2月1日 太田昌国「憲法問題に触れて、私も一言」.01.26up〔『反改憲運動通信』16+17合併号 05.12.28掲載〕。【久しぶりに「琉球共和社会憲法 私(試)案」を読んだ。川満信一が1981年に発表したものである。/「浦添に驕るものたちは浦添によって滅び、首里に驕るものたちは首里によって滅んだ。/軍備に驕るものたちは軍備によって滅び、法に驕るものたちもまた法によって滅んだ」などの印象的な前文で始まるそれは、国家の廃絶を宣言し、軍隊・警察そのほかの国家的管理機関と官僚体制など権力を集中させる組織の撤廃を謳う。/「夢ばかり見ているから、現実にはちっとも役に立たない」とか「現実から遊離した観念の遊びだ」と嘲笑されるばかりと、川満自らが言う「私(試)案」は、「共和社会人民の資格」「不戦」「女・男・家族」「労働」「商行為の禁止」「自然環境の復元」などをめぐって全56条に及ぶ規定をもつ。/川満の、この極私的な「夢想」を読むと、先ごろ発表された自民党の新憲法草案はもとより、現行憲法が、国家や権力の根源を温存している内実をもつことが、あらためて透けて見えてくる。/この十数年来というもの、自衛隊の社会的露出が始まったころから、私は自衛隊廃絶(国軍解体)の理念がどんな道筋をたどって可能になるかと、いくつもの方法で考えてきた。/その過程で、数年前、キューバのカストロが「軍備全廃・革命軍解体」方針を打ち出すという「夢想」を書いたことがあった。/カストロが知ったら、間違いなく「先進国インテリの、観念のお遊び」と罵倒するであろうその夢想に行き着いて、私は、ブルジョア国家の国軍はもとより、それへの対抗武装力としてのゲリラ・解放軍・革命軍・人民軍を究極的には廃絶すべき根拠に至ったと思った。/馬鹿馬鹿しいこと限りない、空疎で貧しいコイズミ的な言語があふれる時代に、豊かな「夢想」なくして、人は生きられるものか!】。
1月31日 「ホームレスのテント強制撤去」01.31デイリースポーツ、【大阪市は30日、行政代執行法に基づき、イベント開催に伴う公園整備のため、西区の靱(うつぼ)公園と中央区の大阪城公園を占拠しているホームレスのテントなどを強制撤去した。市側が両公園で1000人以上の警備態勢を敷く一方、ホームレス側は大阪市役所前などで抵抗。「必ず大阪市に復しゅうしてやる」「地獄へ落ちろ」などの怒号が飛び交ったほか、もみ合いで負傷者が出るなど騒然となった。/撤去対象は、靱公園と大阪城公園でホームレス19人が寝泊まりする計27のテントや私物。撤去準備はこの日未明から始まり、両公園内には緊張感が走った。靱公園では、公園の出入り口を封鎖する作業を進めていた市職員が、チェーンを持った自称同公園自治会長(55)=傷害容疑で逮捕=に襲われ頭から流血。こんな異常事態の中、午前8時に行政代執行が宣言された。/靱公園のホームレスと支援者ら約100人は、市によって設置されたフェンスを揺らし、拡声器で「テントを返せ」などと声を張り上げた。さらに公園への侵入を防ぐため腕を組み合って「人間の壁」を作り徹底抗戦。小競り合いもあり、数人が病院へ搬入された。タンカで運ばれた男性は「警備員に殴られた」と怒声。付き添いの女性は警備員に向かって「お前ら地獄へ落ちろ。全員恥を知れ」などとまくし立てた。/午後2時半ごろ、ホームレスらが「市役所へ行くぞー」などと声を掛け合い、靱公園から四つ橋筋を北上、土佐堀通を東へ進み大阪市役所へ。一方、機動隊は“進軍”するホームレスをピッタリとマーク。「ワッショイ!」の掛け声で気勢を上げるホームレスの大群と機動隊が市道を歩く異様な光景に、思わず振り返るビジネスマンも。大阪のオフィス街がただならぬ空気に包まれた。/大阪市役所前では、ホームレスらが「市長出て来い」「土下座して謝れ」などと要求。さらに、同市北区の扇町公園を住所とする野宿者の住民登録を認めた大阪地裁の判決を例に出し、「判決を無視してこんなことがまかり通るのは大阪だけや」と怒りをぶちまけた。これにシビレを切らした市の男性職員が「歩行者の邪魔なんじゃ。どかんかい!!」と詰め寄る場面もあった。/市は昨年10月から退去を求めていた。ホームレスのリーダー格の男性は「当分は扇町の公園で待機する。大阪市との戦いはまだ続く」と抵抗していく構えだ。】。関連:釜パトブログ(釜ヶ崎パトロールの会)。
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