[号外]週刊宝石2000年6月29日・7月6日合併号
表題「陸海空合同4千人!9月3日石原都知事が“治安出動”大演習!?」
【「自衛隊が結集して、銀座のど真ん中で大訓練が行われることになります」都庁職員がそう言う。/東京都が9月3日に予定している「防災訓練」の話である。しかし、これに関して、都庁で妙な噂が囁かれているというのだ。/防災訓練に名を借りてはいるが、実質的には自衛隊の治安出動訓練が行われるのではないか、と――。……東京都庁に説明を求めた。/「今度の防災訓練の最大の特徴は、陸海空3自衛隊が統合的に活用されること、さらに市街地において訓練が実施されることにあります」力強くそう】
[号外]夕刊フジZAKZAK 2000年6月10日
表題「慎太郎、総選挙でどう動くか?――熱烈なラブコールにも静観保つ」
URL:http://www.zakzak.co.jp/top/top0610_3_02.html
【……衰えを知らない慎太郎人気。出馬した時点から「新債券市場の創設」や「横田基地の返還」「新しい教育のスタート」といった国政レベルの政策を並べてド肝を抜いていたが、現実に大手銀行への外形標準課税を導入したうえ、ディーゼル車の排ガス規制などを打ち出すなど、その実行力は折り紙付き。都市部の保守支持層の受け皿として、永田町周辺では「石原新党構想」までささやかれた。/今春、「三国人発言」で逆風に傾きそうだったものの、堂々とテレビの報道番組などに出演して真意を説明したことで、森首相とは違って多くの都民や国民は石原知事支持に。このため、総選挙を目指す候補者から「並んだポスターが撮りたい」「応援演説に来てほしい」といったラブコールが相次ぐ。中には、無断でポスターに石原知事の写真と名前を刷り込む輩まで現れる始末だ。/こうした熱烈な要請に対し、石原知事は4月時点では「東京のためになる政党や候補者を応援する」などと、脈ありといった雰囲気だったが、先週末には「ほとんどやらない。個人的に親しい人はヒマがあったらしますけど…。私は無党派でございますから。私を利用したってそんな効果なんかありゃしないよ」と語り、選挙応援から一歩距離を置く姿勢を明らかにしたのだ。……】
[号外]asahi.com 2000年6月9日
表題「『三国人発言への外国人らの批判は被害妄想』石原都知事 」
URL:http://www.asahi.com/0609/past/pnational09021.html
【東京都の石原慎太郎知事は9日の記者会見で、知事の「三国人」発言に対する外国人らによる批判行動について「(発言を)いたずらに誤解して、一種の被害妄想だ」と語った。/会見で知事は、「『三国人』発言が波紋を呼び、都内に住む外国人に不利益をもたらしているのでは」との質問に対し、「不利益ってどういうこと」と反問。「彼らがいたずらに人の言うことを誤解して、一種の被害妄想みたいに言っておられる」との認識を示した。さらに、「私は偏見を持って言ったわけじゃない。どの人が不法入国か正当な滞在かわからないが、いずれにしろ東京に外国人に起因した犯罪が増えているのは事実だ」と、これまでの主張を繰り返した。……】
[号外]JCJのページ(リレー時評)2000年6月8日
表題「森、石原暴言・歴史認識・ジャーナリズム、持続的・系統的な批判が必要」〔代表委員・橋本進〕
URL:http://www.tky.3web.ne.jp/~jcj/relay.html#20000608
正論2000年7月号 福田和也「果断と華と垂直の論理――石原都知事が示す指導者の可能性、政治の復活」。【石原慎太郎氏が、東京都知事に就任して一年余りの時が過ぎた。石原都政の一年を想起する時に、ある喜びの感情が――幾分苦さを混じえたものだが――沸き上がるのを否めない。……石原都政はかなり長い間日本の政治において喪失されていたもの、つまりは指導者としての決断と、指導者として国民の前にたつこと、そして指導者としての超世代的な価値観を回復した。】【政治における垂直のベクトルとは、現在という時間を越えた、国のあり方そのものにかかわる超世代的な現実とのかかわりである。吉田路線がもっていた、敗戦という現実からいかに祖国を立ち直らせるかという問題意識のなかでの対米追随と経済立国という戦略は、明瞭に垂直な、現在を越えて未来への責任感にもとづくものである。……こうした現実の狭隘さの中で、ただ今現在を無事にすめばよいと、憲法に関わる議論を先送りし、安全保障の問題を先送りし、財政の問題、金融や経済、不良資産の問題を先送りにしてきた果てに、今日の国政の惨状があるのだ。その視野の狭さは云うまでもなく、権力の構造はただただ、水平的なバランスにおける収まりのよさによって決定される。/「真空総理」といわれた小渕政権、その小渕政権をすら懐かしく思わせるような森政権の無内容ぶりは、いかにこの水平化が徹底し、のっぺりして、均され、圧縮された「現在」の「現実」にのみ政治が対応しているか、ということを示している。/かように徹底的に水平化された日本の政治に、垂直的な方向性を復活させたのが石原都政にほかなるまい。】【石原都知事は、まさしく国民の前に、垂直に存在している。その垂直なあり方こそが、われわれに忘れかけ、諦めかけていた政治の可能性を想起させるとともに期待させるのだ。…都政の問題は国政の問題である、とはすでに候補時代から石原氏が喝破するところであった。国政に垂直の論理が復活するのは、一体いつの日だろうか。】
読書録6月1日付 [aml 17913]に「緊急出版・石原発言批判本のPR」。【緊急出版!! 6月5日刊行予定『石原都知事の「三国人」発言の何が問題なのか』四六版並製 240頁(予定)/予価1,700円+税 ISBN 4-87714-272-XC0036、内海愛子・高橋哲哉・徐京植 編
《本書の主な内容》緊急座談会:「三国人」発言で何が問われているのか? 内海愛子・高橋哲哉・徐京植/執筆者:山田昭次、梓澤和幸、鵜飼哲、梶村太一郎、金石範、金子マーティン、駒込武、コリン・コバヤシ、徐翠珍、慎蒼健、鄭暎恵、中西新太郎、前田朗、目取真俊、劉彩品、吉成勝男、渡辺英俊、長沼節夫/資料:石原慎太郎発言録、海外のメディアの反応、各団体・グループなどからの抗議声明・アピール、参考文献リスト/影書房 tel03−5907−6755 fax03−5907−6756】
[号外]JCJのページ(視角)2000年5月23日
表題「青嵐会から四半世紀、今と世界を学ばない人物」 〔無署名〕
URL:http://www.tky.3web.ne.jp/~jcj/view.html#20000523
【一九七三年七月、「自主憲法制定」「教育正常化」「自由主義擁護」などを掲げる石原慎太郎、渡辺美智雄、中川一郎、藤尾正行ら約三十人の議員が集まり、趣意書に血判を押し、「憂国」の組織を結成した。三十代だった若き森喜朗、山崎拓、野田毅議員も参加した。「青嵐会」だ。/結成の基になったのは、マスコミの中国報道と沖縄密約を暴露された政府が弾圧を加えた西山事件を契機に、自民党議員が集まった「マスコミの自由を守る会」。そのアクティブなメンバーが、青嵐会の母体だった。渡辺ミッチーも三塚博氏も首相の座を目指したが果たせない中で、ご存じのような経緯でも初めて生まれた総理が森首相だった。/「日本が侵略戦争をしたかどうかは歴史の中でみんなが判断すること」「教育勅語には良いところもあったはずで、全部悪いというのは良くない」「日本の国、まさに天皇を中心にしている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知していただく」…立て続けに出た森さんの発言は、ずっと思ってきたことを実現させようと張り切った結果の「本音」だろう。/当時出版された「青嵐会―血判と憂国の論理」に森さんの発言が載っている。「人間として当たり前のことばかりが『教育勅語』には書かれている。戦後の教育はそうした理念を捨てることによって、共産主義者やその陣営の思うつぼにはまっていった」「日本の国はいまや日本の日本たる所以の精神的基盤が何もなくなってしまい、民族の理念も失われてしまった」。/それから四半世紀。問題はその間、憲法の精神も歴史の重みも、何より日本の今と世界を全く学ばない人物が首相になったということである。】
[号外]毎日Interactive 5月21日
表題「石原都知事:台湾を武力併合しようするなら江中国主席はヒトラー」
URL:http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200005/21/0521m072-400.html
【【台北20日清水忠彦】台北市で行われた陳水扁・台湾新総統の就任式に出席した東京都の石原慎太郎知事は20日、市内のホテルで記者会見し、陳総統の就任演説について「非常に冷静でスマートだった」と称賛した。一方で、新総統との関係が注目される中国について触れ、「台湾を武力併合しようとするなら、江沢民(国家主席)はヒトラーと同じだ」と激しい口調で持論を語った。中国との協調路線を打ち出した陳総統の就任演説とは対照的なトーンだった。……その上で中国批判に話を転じ、「彼(陳総統)が台湾を自由な国家として守ろうとする盾は人権だが、中共(中国共産党)・北京の政府は人権を守ってなんかいない」と語った。/石原知事は続けて「共産党の独裁政権が何をできるかといったら、結局軍の力を借りた拡張主義しかない。(中国が批判していた)ソビエトがエンパイア(帝国)として崩壊してしまったとき、自分たちも同じことをやっている。チベットで150万人を殺し、核を搭載したミサイルをインドに向けて配備した」とまくしたてた。/中国への経済援助をしている日本政府についても「馬鹿な政府が、外務省の腰抜けで金を出す」と述べた。/そして、台湾への中国の圧力を分析しつつ、「仮に江沢民が軍をそそのかして台湾を合併する戦争を始めたら、彼はヒトラーですよ」とけん制した。】
[号外]『週刊宝石』2000年6月1日号(光文社)
表題「戦記、石原慎太郎の67年(宮田諭)」 〔記事は、特集グラフィティとしてカラー8ページで組まれ、中見出しは“太陽の季節に放たれし獣一匹…”“言葉の戦士、永田町に参上!!”“慎太郎、東京から日本に宣戦布告”〕
【…石原の「三国人」発言を聞いたとき、彼はいま東京にあの焼け跡を見ているのではないのか、フッとそんなことを思った。そして、焼け跡からもう一度、東京を、日本を復興させようと。もはや死語と化した言葉を、傍若無人に振り回す神経は責められるべきかも知れないが、差別というような単純な話でもあるまい。驚くべきことに、文学界、政界という魑魅魍魎の世界を生きてきた67歳の石原が、いまも強靭に言葉の喚起力を信じている。いや、より一層その確信を深めてさえいる。まるであの発言は、死語であるからこそ、死語と化したかつての言葉たちに生命を吹き込もうとしているかのようだった。その昔、生きていた言葉たちを呼びもどすために。/……石原は1年の総括はと聞かれ、「焦り」と答えた。彼はいま時間と戦っている。『太陽の季節』からまたたく間に時が過ぎ、そして石原慎太郎がまた戻ってきた。そして、彼は今日も、あの頃と同じことを言い続ける。老いたぶん、リアリストに磨きをかけ、政治手腕を見につけ、言葉の力で挑発し、議論を巻き起こし、国に挑む。/そして、こう広言する。/「いつでもケツをまくるよ。議会を解散するなど、何の恐れもないし、解散によって、僕が失うものなどぜんぜん関係ないね」と。かつて、「太陽作家だのへちまだの阿呆をさらすような呼び方などどうでも良い」と牙をむいた青年の彼そのままに。そう、まるで子供のように。石原慎太郎は今日もただひたすら石原慎太郎の戦記〔ルビ:ものがたり〕をしたため続けている。】
[号外]石原都知事にノーを言う万国人のリレートーク(新亜のページ)
表題「石原は植民地帝国主義の残滓(姜尚中さん)」
URL:http://www.sin-a.co.jp/hatugen4.htm
【……石原の父は清という人物で、戦前、山下汽船の重役をしていました。この山下汽船は、商戦三井、日本郵船などにはハンディを持っていましたが、1905年の日露戦争を契機に新興財閥として肥え太った会社です。石原は重役の息子として小樽で生まれました。彼の移動は神戸と小樽と湘南です。湘南は日活のすがすがしいイメージとまったく違うのです。はっきりいってこのルートは戦前のコロニーでした。
1920年代、当時の大阪は東洋のマンチェスターと言われ、東京より人口が多かったのですが、そこには済州島などから多勢の労働者が移住していました。故郷との行き来のために、これら労働者たちはみんなで金を出し合って、安い運賃で故郷を往復できる船会社を作ろうと頑張りました。その会社を叩き潰し、彼らが集めた資金まで横領したのが山下汽船です。
彼は、戦前の植民地帝国日本の海のルートを渡り歩いています。彼は、植民地の中で肥え太った人間のごう慢さをシンボライズしている人物です。差別と植民地と正義を信じている、改造不可能の人間なのです。
なおかつ、自殺した新井将敬代議士、最終的にやばいことで自殺しましたが、新井が立候補したとき、品川大田区の選挙区に「元第三国人」「北鮮人」のビラを大量に撒いたのは石原です。
徹底的な植民地帝国を、戦後すがすがしいマッチョ的な光り輝くイメージにして出した男です。その背景には、日本が植民地政策とキチンと向き合っていなかったことが彼の登場を許しています。だから私は絶対彼を許せないのです。
もうひとつ、課税導入した男と、差別主義者の二つのイメージをどう見るかについて、ハイダーと同じで、オーストリアと日本は似ています。このハイダー現象を都民はなぜ支持するか。
戦後の既得権が崩壊し、不満と不安が充満しています。グローバル化が進展すれば間違いなく中流は崩壊します。日本の8割以上が普通の日本人として中流意識を持つ以上、グローバルになればなるほど足元が揺らぐのです。ファシズムとは、中流層から脱落していく庶民たちの暴力的な表現に過ぎません。今の日本にはその条件が整っています。
石原には間違いなくクーデターの意識がありますが、9月3日、陸海空の三軍を集結させての大演習というスペクタルシーンをメガロポリスでお披露目することは、天皇のページェントでもあると認識して頂きたい。権力は儀式を好み、その儀式に人の意識を巻き込みます。
彼は東京をテコに日本を変えると言っています。満州国を国防国家にして、日本をひっくり返すと言うのが当時の青年将校たちの考えでした。満州こそ国土のモデルになるのだと考えたのです。その時よりももっと危険なのは東京が帝都だということです。
果たして彼が単なるピエロか、それとも東京をテコに日本を変えるのか、いずれにしろ9月3日の大演習に、我々は力を結集し抵抗しなければなりません。】
[号外]『実話時代BULL』2000年6月号
表題「クラブアンダーグラウンド(目森一喜)」
【…石原の年齢で「三国人」が不良外国人の意味であると強弁するのも恥知らずな話で、…石原慎太郎は政治家として無能であるだけでなく、文学者として、あれで終わってしまったというのが感想である。/ただ、少し前まで外形標準課税であまりにも多くの人が石原を支持している姿にうそ寒いものを感じていたので、その点では良かったのかもしれない。/しかし、ここでもう一度外形標準課税の駄目さを指摘する事も無駄ではないと思う。……銀行が悪いというのは倫理である。しかし税は法である。法と倫理を区別しないのは近代法の理念にてらして間違っている。……この悪いからという倫理の対象が、銀行から「三国人」に変わっただけなのが今度の問題の本質であり、流れである。……石原は最初、都の会計を単年度式簿記ではなく複式簿記にすると言っていた。これをやったら大したものだったのに、おそらく官僚の抵抗で出来なかった。そこで馬鹿げた税で人気取りをはかったのであろう。馬鹿だ。/ただ、この程度の誤魔化しにひっかかった者がゴマンといた。外形標準課税に反対する勢力はいなかったのだ。/これこそ大政翼賛であり、ファシズムの風景である。/最初は銀行が悪かった。次は「三国人」だ。そして、その次には誰が悪くなるというのだろう。石原はこの馬鹿の連鎖を続けるつもりでいるのだろうか。そうしたとすると、今度悪いのは一体誰になるのだろうか。/戦前の右翼は支那革命と結び、多くの支那人とつながって活動した。かつての日本人がそれだけの腹と国際性を持っていたのに比べて、石原の小ささ、程度の低さは国辱ものだ。/「三国人」はマッカーサーの言葉から来ている。そこからすると「三国人」を口にする石原の言う保守はたかだか戦後保守、つまりは進駐軍保守でしかない。/アジアを友とし、西欧と渡り合おうという愛国者の姿からすれば、石原慎太郎の向いている方向はまったく逆なのである。】
[号外]aala 第28号(2000年5月20日)
表題「延命した排外主義の再強化――森発言・石原発言をめぐって(天野恵一)」
URL:http://www.shonan.ne.jp/~kuri/aala/aala_28.html#Anchor170856
読書録5月20日付 「対抗言論のページ」に高橋亨「在日に在日を叩かせる理由」。正論2000年6月号掲載の鄭大均『見せかけの怒り 梁石日姜尚中辛淑玉批判』に対する批判、全文必読。【……鄭氏の「批判」なるものは一事が万事この調子であり、一つとして辛さんの主張に正面から向き合ったものはない。まっとうな批判などできはしないのだ。だから「批評家の声ではない」(いつ彼女が批評家を名乗ったのか?)とか、「『世界』のような雑誌に登場すべき声ではない」(いつから『世界』は批評家だけの雑誌になったのか?)といった的外れな論難や、「巫女」、「霊媒」、「パフォーマンス」といったレッテル貼りでお茶を濁すことしかできないのである。/それでは、どうしてこれほど非力な鄭氏が冒頭の3氏への批判者として起用されたのだろうか。/ひとことで言ってしまえば、鄭氏自身が在日だからである。/『正論』の読者は、在日の歴史も、生活も、心情も、何も知りはしない。もちろん鄭氏が書くような「批判」の内容を深く考えたり、検証してみるつもりもない。/重要なのは、辛さんや梁石日、姜尚中といった人々を、同じ「在日」の鄭氏が批判しているという、その事実だけなのである。そうすれば、ああ、同じ在日でさえ彼らを批判しているではないか、やはり彼らの言うことなど「特殊」で「極端」なものなのだ、だから悩む必要などないのだ、と何も考えずに安心できるからだ。/在日自身に在日を叩かせることによって、マイノリティからの深刻な異議申立てに一切向き合うことなく、無視してしまおうとする。真に罪深いのは鄭氏などではなく、氏のような手駒を使うことによって辛さんたちの主張にお手軽に蓋をしようとする、右派マスコミのあざといやり口の方である。/鄭氏は、あえて在日として『正論』のような雑誌に現れ、辛さんたちを叩いてみせることによって、「他者責任には関心を払う」が、「自己責任」に直面させられるのは何がなんでも回避しようとする一部の日本人を喜ばせる役割を忠実に果たしている。そういう意味では、彼こそ実によく「スポンサーの要請」に応えているのである。】
[号外]朝鮮史研究会のページ(2000年5月19日)
表題「石原都知事発言の歴史認識の誤りを批判する声明(2000年5月19日、朝鮮史研究会幹事会)」
URL:http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/database/sengo/seimei.html
【石原慎太郎東京都知事の4月9日の陸上自衛隊記念行事、およびその後の記者会見等における発言は、歴史事実についての誤りを含んでおり、日本社会から未だ払拭されていない在日外国人差別を増幅させるものです。
私たちは、石原氏の発言のなかで、特に在日朝鮮人の歴史にかかわる「三国人」発言、および大規模災害時の外国人による「騒擾」についての発言に対して、朝鮮史研究者の立場から誤りを糾し、正確な歴史事実に基づいた認識の必要性を社会に訴えます。
石原氏は4月9日「不法入国した多くの三国人、外国人」と発言し、この「三国人」という表現に批判の声が上がると、辞書には「第三国人」の第一義として「当事国以外の国の人」と書いてあり、「外国人」の意味で使ったと釈明しました。しかし言うまでもなく「三国人」は「外国人」と同義ではありませんし、そもそもここで「三国人」という用語を使用しなければならない理由は全くありません。
一方で「三国人」という語は、石原氏も認めるように、敗戦直後の時期、日本在住の朝鮮人や台湾人などを指す言葉として使用されました。この語の由来は明確ではありませんが、当時、日本の警察当局などは「第三国人」を、連合国人や中立国人ではないが、日本人とも同一の地位ではない「従来日本の支配下にあった諸国の国民」という意味で用いていました。こうした用法は、第二次大戦後に日本を占領した連合国側が、植民地支配から解放された在日朝鮮人などの法的地位を曖昧に規定したことに端を発すると思われ、日本の政府やマスコミなどを通じて広く日本社会で使用されるところとなりました。
敗戦直後「(第)三国人」という語が、朝鮮人・台湾人に対する侮蔑意識や反感を込めて使用されていたことは疑う余地がありません。そしてこのような意味での「(第)三国人」という語は、戦後長きにわたって是正されることなく使われてきました。たとえば1970年発表の劇画「おとこ道」(梶原一騎原作、『少年サンデー』連載)では、「最大の敵は、日本の敗戦によりわが世の春とばかり、ハイエナのごとき猛威をふるいはじめた、いわゆる第三国人であった!!」「殺られる前に殺るんだ、三国人どもを!!」などと記されています。こうした朝鮮人・台湾人を敵視し、侮辱する文脈で用いられた言葉をいたずらに使用すれば、朝鮮人や台湾人に対して未だに差別意識をもっていると受け止められても、やむをえないのです。
敗戦直後に日本に滞在していた朝鮮人の大多数は、日本の植民地支配の結果として日本に渡航してきた人々でした。しかし敗戦直後の日本政府は、朝鮮人を「日本国籍の保持者」として日本の法秩序に服することを要求し、民族教育運動などに弾圧を加えながら、一方で朝鮮人の基本的人権を制限しようと「外国人」として取り扱うこともしました(参政権の事実上の「剥奪」、外国人登録令の適用など)。日本政府は朝鮮人に対し、このような相矛盾する二面的な態度を取り、日本社会における朝鮮人差別も依然として温存されていたのです。今回の石原氏の発言は、こうした「(第)三国人」という語が持つ歴史的な背景を無視し、朝鮮人があたかも日本社会に敵対する存在であるかのようなイメージを喚起するものであり、とうてい見過ごすことはできません。
石原氏はまた、4月9日の陸上自衛隊記念行事で、「不法入国した多くの三国人、外国人」により「大きな災害が起きたときには大きな大きな騒擾事件すら想定される」と述べ、大規模災害に際しての自衛隊による治安維持の必要性を強調しました。石原氏はさらに、4月12日の都庁での会見で、阪神大震災では騒擾事件の事実はなかったと指摘する記者に対し、「東京の場合にはもっと凶悪な犯罪をたくさんしている不法入国、不法駐留の外国人がたくさんいる」と反論しています。しかし、「不法入国、不法駐留の外国人」が大規模災害に際して「騒擾」を起こすと判断できる根拠はありません。
関東大震災では、朝鮮人に対する差別と偏見から生じた先入観から、まさに「治安維持」の主体であったはずの軍隊や警察が、「朝鮮人暴動」という流言を広めて人々の不安をあおり立てました。その結果、自警団を中心とした民衆による朝鮮人に対する虐殺が発生し、軍隊もそれに加わって、6千人以上とも推定される朝鮮人が殺されました。石原氏は4月12日の会見で「あの時は日本の当局が守り切れなかったから、朝鮮人に被害が出た」と述べていますが、この発言は右の事実に照らせば全くの誤認であって、むしろ実際は、軍隊や警察が危険な朝鮮人という予断を持っていたが故に、このような悲劇が起こったといえます。
大規模災害において、確たる根拠もない予断こそが、不法在留であるか否かを問わず、在日外国人に対する不当な迫害を生む土台となることは明らかです。歴史的観点からすれば、石原氏の発言は、いわれなき在日外国人差別を増幅させ、ふたたび関東大震災の時のような過ちをもたらしかねない危険性を孕んでいます。
なお、石原氏は4月12日の都庁での会見で「北鮮」という言葉を使っています。この言葉は日本が朝鮮を植民地支配している当時、朝鮮北部ないしは朝鮮東北部を指す言葉として使われ、さらに朝鮮民主主義人民共和国の成立の後には、その蔑称として使われてきたもので、石原氏の政治的立場にかかわらず、不適切な言葉遣いであることを指摘しておきます。
以上のように、石原氏の発言は誤った事実認識に基づくものです。これは、東京都知事としての権限と社会的影響力を持つ立場からは、無責任な発言だといわざるをえません。朝鮮史研究会は、石原氏の発言に含まれた事実認識の誤りを糾すとともに、歴史研究の成果を無視した発言に対して強く抗議します。
私たちは、在日朝鮮人が戦前・戦後をつうじて経験させられてきたさまざまな差別問題を正しく認識し、かつ現存する制度的差別(外国人登録証携帯義務など)あるいは社会的差別(就職差別など)の問題を是正していくことこそが、日本社会が取り組むべき緊要な課題であると考えます。この歴史的課題の解決なしには、在日外国人との共存という今日的課題も達成困難であると思われます。今回の事態を教訓とし、都関係当局においても、これらの課題に対して真摯に取り組むことを切望します。
最後に、私たちは、研究活動を通じて在日朝鮮人差別の解消に寄与できるよう、一層努力することを表明します。】
[号外]『朝日新聞』2000年5月19日付“私のメディア批評”
表題「流言飛語許さぬ『真実性』を」(姜尚中)
【東京都の石原慎太郎知事の「三国人」発言は各方面に波紋を呼んだが、わたしが注目したいのは、四月十二日の記者会見での「過去には流言飛語で痛ましい事件が起こった。しかし、今は時代が違う。不法滞在し、犯罪をくりかえしている人が何を起こすかわからない、と言っている」という発言である。/石原氏が言及している流言飛語のまん延には、一般に次のような条件が考えられる。それは(1)〔原文は丸数字、以下同〕社会が深刻な矛盾や不信を抱えている(2)感覚器官の延長ともいうべきメディアの機能が途絶するようなアブノーマルな状況が想定される(3)報道を供給源とする特定のイメージが潜在的な世論と共鳴し合って偏見や先入観を増幅させる(4)メディアへの信頼感が薄れ、メディアと一般の読者や視聴者との距離が大きい、ことである。……この点で(3)の条件を満たしているのは、「何を起こすかわからない」不気味な「潜在的犯罪者」としての「外国人」、とくに「外人」や「ガイジン」としてくくられる欧米人とは違った「アジア出身者」のイメージである。そのようなイメージの喚起に「外国人犯罪」の報道が一役買っていることはないだろうか。……石原氏が十二日の記者会見で陸上自衛隊式典での発言を報道した共同通信の記者を罵倒し、メディア批判に打って出ているにもかかわらず、居合わせた各メディア関係者が徹底した抗議の姿勢をみせてはいないことである。そこにあるのは、メディアが読者や視聴者から遊離し、同時に権力との緊張関係も作りえないまま浮遊している姿である。それは、(4)のメディアへの信頼感の低下という問題とかかわってくる。/このようにみると、流言飛語の発生と繁茂に有利な条件が整いつつあると言えるのではないか。流言飛語に生命を与えているのが「信仰」であり、イメージであるとすれば、メディアに必要なことは、言葉への無神経さをうち破るような報道の「真実性」である。メディアはそれを身をもって示し得ているだろうか。】
読書録5月19日付 JCJのページに「沈黙はやめよう!石原発言に抗議し、都知事の辞任を求める集い」。【石原東京都知事は、確信犯といわれています。これまで彼は許すことのできない、様々な発言をしてきました。憲法の破棄、アジア太平洋戦争の美化、三国人・外国人差別、障害者差別発言などと数えればきりがありません。それらの発言事態絶対に許容できるものではありません。しかし、私たちは、彼は確信犯だから抗議しても効果がないと沈黙してきたのではないでしょうか。/いまその石原東京都知事は、知事という立場から、その暴言を都政で実現しようとしています。暴言は実行への段階へと移りました。/その端的な事例が、三国人発言、外国人犯罪者発言、外国人の騒擾を前提に陸海空の三軍を動員するという防災訓練発言です。なんの根拠もなしに外国人を犯罪者だと決めつけ地震の時は外国人が騒擾をおこすと扇動し、その鎮圧を前提に9月3日防災訓練に陸海空三軍を動員しようというのです。/この発言の意味は極めて大きいといわなくてはなりません。犯罪という点では、日本人も外国人も犯罪件数は増えています。外国人を外国人であることを理由に犯罪者と決めつける根拠などなにひとつありません。神戸の震災のときにも外国人の騒擾などは全くありませんでした。みられたのは日本人と外国人が同じ被災者として助け合う姿でした。/石原知事の発言は、日本人に在日アジア人、外国人に対する脅威、憎しみを煽る、差別的、排外主義的なものにほかなりません。/石原都知事は、就任来、都政から日本を変えると主張してきました。私たちは、石原発言が国政を射程に入れたものであることを考えるとき、その発言の意味をしっかりと受けとめなくてはなりません。/石原発言に沈黙することは、彼が実行しようとしていることに弾みをあたえるだけです。沈黙をやめ、石原発言に抗議し、都知事の辞任を求めましょう。
【シンポジウム】パネリスト/井上澄夫(“東京都は戦争協力するな!”平和をつくる市民連絡会)、朴慶南(エッセイスト)、宮崎学(作家)ほか【リレートーク】石原発言に怒る多くの市民団体から
と き:6月20日(火)18時30分
ところ:シニアワーク東京地下講堂(飯田橋駅東口7分、ホテルエドモンド隣)
主 催:カトリック東京教区正義と平和委員会、無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巌さんを救う会、横浜事件の再審を実現しよう!全国ネットワークほか
参加費:600円】
読書録5月13日付 山崎正和「石原ポピュリズム政治を排す」〔『論座』2000年6月号掲載〕。【正直なところ、石原慎太郎東京都知事の「三国人」脅威論、およびそれに関連した「自衛隊治安出動発言」を読んで、私はあまり実際的な脅威は感じていない。……むしろそれよりも、石原氏の一連の東京都行政を見ると、…二十世紀の世界の各地に吹き荒れた、いわゆるポピュリズム(大衆扇動政治)の戯画に見えるのである。】と指摘する山崎は、その特色として【第一にシングルイシュー(単一問題】運動の形を取る。言い換えれば、社会の中にある様々の問題のうち、単純化しやすいものを一つだけ切り離して、それへの対症療法的な政策を打ち立てるのである。……第二の徴候は、民衆の感性になまなましく歌える問題を取り上げて、扇動を行うことである。文字通り、目に見え耳に触れる問題を扱う。……第三の特色として挙げられるのは、問題を電撃的に提起し、議論のプロセスを短縮することである。】を挙げ、【では、このような政治家がなぜ近代の政治の中で時として現れるのか。…それは民主主義のもっている本質から生まれた病弊……政治が平等を実現すればするほど、残された小さな不平等が大きく目立つのである。…一方でねたみ、他方で不安という二つの感情が盛り上がってくる。…苛立ちと脅威に常につきまとわれているのが、民主主義なのである。】と指摘、【現代政治は決して官僚まかせにすることはできない。そこには政治的リーダーシップが必要である。…しかし、そこで大事なことは、リーダーシップは常にビジョン(状況判断)の提供と政策の提示という形で行われるべきであって、それを受け止めた民衆、あるいは市民が十分に議論ができるような状態にしておくことである。小さな問題を一つとりあげて電撃的に解決してみせるのは、まさにそれとは正反対の営みだと言っていい。他方、私たち民衆の側は、民主主義社会を支えるために、一つの資質を持っていなければならない。それは、賢明さに加えて、退屈とじれったさに耐える能力である。】とむすんでいる。
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