読書録 2005年9月前半(敬称略)

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  • 9月15日 企画展「李禹煥 余白の芸術」2005年9月17日(土)−12月23日(金・祝)、10:00−18:00(11/4を除く金曜は20:00まで、入館は閉館30分前まで)、横浜美術館とグランモール公園(予定)=横浜市西区みなとみらい3-4-1(TEL045-221-0300、FAX045-221-0317)。【李禹煥は、韓国や日本の伝統あるいは西洋の文化を深く学びとりながらも、そのいずれともつねに一定の距離をたもってきました。そうすることで、近代の美術がはらんできた問題点を見きわめ、創作を通して、いかにしてこれをのりこえるかということを活動の大きな課題としてきたのです。その課題へたち向かうために、決してでき合いの表現をたよりとせず、自らの表現の起源を問いつづけてきた李禹煥の姿勢は、高く評価されてよいでしょう。/とくに、90年代以降の作品は、その構成が整理され、素材の選択がシンプルになり、李禹煥の問題意識がよりあざやかに読みとれるようになってきました。/この展覧会では、そうした90年代以降の作品に注目し、新作をふくむ絵画・彫刻、合計36点を紹介します。日本では12年ぶりの大規模な個展となりますし、90年代以降の新作・近作で構成される大きな個展も日本では初めての試みです。〔……〕/李禹煥の芸術は、「作る」ことにおいて最小限でありながら、最大限の交感をもたらす余白の芸術です。これが、いま、とりわけ重要性をおびるのは、西洋や東洋といった区別をこえた立場で、近代が抱える問題に制作を通して鋭い批判の眼差しを向け、これを乗りこえるための答えのひとつを示し得ているからにほかなりません。李禹煥の作品は、この展覧会と同じ時期に開催される横浜トリエンナーレ2005「アートサーカス[日常からの飛躍]」(9月28日−12月18日)の作品群を観る際にも、大きな手がかりとなることでしょう。】。

  • 9月14日 レーバーネット05.09.14付に、チャムセサン「[論評]二人の労働者の死が残したこと 労働者分割統治の秩序を破る元下請の労働者団結を」。【資本と政権の労働者分割統治は、ますます緻密で狡猾な様相を帯びてきた。大企業労働者高賃金論攻撃、労組不正企画攻勢、危機助長による民主労組運動の根元を動揺させるなど、立体的なイデオロギー攻勢をかける一方、第2、第3の下請け構造の温存と、下請け労働者の弾圧、間接雇用体系による中間搾取、派遣先の使用者性否定による非正規労働者の労働基本権抹殺基調を強化している。/二人の組合員の死は今日の資本と権力が、すべての労働者に行使する暴力に始まる。「労組員の拉致と拘束、日常的な警備隊の暴力、損害賠償と仮差押さえ、立入禁止・業務妨害・集会禁止仮処分、解雇、懲戒」に続く下請け労働者への暴力に従ったのだ。二人の組合員は、社内下請労働者と特殊雇用職労働者という身分で暮してきた。労働三権も、最小限の人間としての人生も保障されない 87年以前のような劣悪な現実に耐え、まさにその現場で殺された。正確に盧武鉉政権の労働者分割統治秩序の中心で形成されたという事実を忘れてはならない。/さらには故リュギヒョク組合員の死は、現代自動車労組の賃団闘の末に起きた。現代車労使は急いで暫定合意案を発表し、これに対して非正規職労組は「9か月近く展開してきた不法派遣元下請連帯会議による不法派遣撤廃闘争が、05年賃団闘空間で『1カ月以内の特別交渉実施』という不渡り小切手に向かっている」と批判した。正規職労組がいくら努力しても、1か月以内に不法派遣撤廃を引き出すと思う人はいない。したがって、今は暫定合意案の成果を語る前に、不法派遣撤廃闘争に対する確固たる意志の約束が優先されるべきで、正規職労働者と非正規職労働者が不法派遣撤廃のための実質的な連帯実践を準備しなければならない。/繰り返し強調するが、二人の組合員の死は資本と政権の非正規職量産政策と、労働者分割統治が呼んだ悲劇だ。これ以上の死を防ぐためにも、労働者分割統治の秩序をうち破り、非正規職を量産する政権の新自由主義労働政策を中断させる粘り強い抵抗を準備しなければならない。抵抗の前提は、すべての労働者の団結であり、正規職非正規職労働者の連帯の力を育てるところに始まらなければならない。烈士の悲痛な死を迎える元下請労働者すべてがつらくても互いに肩を組むことを放棄してはいけない。二人の烈士が死で訴える最後の希望だ。】。

  • 9月13日 このほど開設されたブログ「「共謀罪」反対!(『The Incidents』期間限定版)」の9月12日付に、寺澤有「「捜査費」で宴会は年間1億円以上!」。【会計検査院も、警察幹部らが「捜査費」(国費)で宴会を開いていることは問題視している。浅尾裕会計検査院司法検査課長が言う。/「(マスコミや市民オンブズマンなどの)情報公開請求などから、激励慰労費が多額に上っていることが明らかとなり、昨年(2004年)、会計検査院はその執行状況を検査しました。/すると、1998年度から2003年度までの6年間で、約5億円(全国・以下同)が支出されており、2000年度から2002年度までの3年間では、毎年1億円以上も支出されていたことがわかりました」〔……〕/「警察庁は『激励慰労は、事前に本部長の決定または承認を得て、幹部職員を参加者とし、1人あたり3000円以内で、警察の庁舎内で行う』としているにもかかわらず、本部長らの幹部職員が出席していなかったり、1人あたりの金額が過大となっていたり、警察の施設外で行われていたりするなど、全体的に適正な執行が行われていませんでした」/警察幹部らが「捜査費」で宴会を開くこと自体がおかしいと思うが、「激励慰労」という名目にさえ値しないものがほとんどだったということである。浅尾課長が続ける。/「激励慰労は、警察官が税金で飲み食いするわけですから、国民の理解が得られるとは考えにくいのですが、警察庁は『捜査を円滑に進めるため、激励慰労は必要』としています。/会計検査院では、激励慰労を続けるとしても、真に必要なものに限定するなど、その予算の執行について、再検討が必要と考えています」/今どき、「業務を円滑に進めるため、宴会は必要」などと主張する会社があるだろうか。上司から無理やり飲まされる酒が部下の士気を向上させるとは思えない。/「会計検査院では、激励慰労などということは行っていません」(浅尾課長)というのが正常な組織であり、「捜査費」で宴会を開くことは直ちに禁止するべきだ。】。

  • 9月12日 WTO/FTAを問う9・9東京集会(東京・文京区民センター)におけるチョジュノ(趙俊虎)「講演の概要」「日本に強制連行された中国人労働者の記念碑調査、駐日中国大使館 」.09.01。【今年は中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利60周年にあたるが、駐日中国大使館は中国から強制連行されて日本各地で働かされた中国人労働者の記念碑の建立状況を調査し、かなり詳しい一次資料を得た。/日本の中国侵略当時、約4万人の中国人労働者が強制連行され、日本各地の135カ所の鉱山、港湾、建設会社で過酷な労働を強いられ、苦しめられ、わずか数年のうちに数千人が死亡した。戦後、日本各地の友好団体および一部の地方自治体は「侵略を反省し、歴史を忘れず、友好を促進する」精神で、さまざまな困難を乗り越え、自ら資金を集めて、日本で犠牲となった中国人労働者の記念碑を建てた。また極めて厳しい条件の中で、毎年あるいは不定期にさまざまな形の記念行事を行っている。大まかな集計によると、こうした記念碑は20都道府県に36ある。これらの記念碑は生きた教材として、日本軍国主義による中国侵略の犯罪行為を明らかにし、日本の人々が歴史的事実を知るよう促すうえで積極的な役割を果たしている。しかし、さまざまな原因で、多くの記念碑は管理者の高齢化、情報の不足、資金の不足、長年未補修のままといった解決すべき問題を抱えている。/抗日戦争勝利60周年にあたり、当時、日本で犠牲となった中国人労働者を追悼し、歴史の悲劇を繰り返さないため、王毅・駐日中国大使は、これらの記念碑を建立し、長年守ってきた友好団体と地方自治体に特に書簡を送り、感謝の意を表した。大使は書簡の中で、今後も歴史と子孫に対する責任感から、歴史の真実を教えているこれらの記念碑を維持、保存するよう希望するとともに、歴史を直視し、歴史に正しく対処し、平和の道を堅持し、両国間の長期的友好を実現しなければならないと強調している。】。

  • 9月11日 「横井山泰個展:すがた見」2005年10月6日(木)−18日(火)、12:00−19:00、Gallery Barco。→公式サイト。▼再掲、「長谷川桑知子展」9月26日(月)−10月1日(土)、12:00−19:00(最終日は17:00)、Space Kobo & Tomo(巷房、Tel03-3567-8727、東京都中央区銀座1-9-8奥野ビルB1F)。→公式サイト

  • 9月10日 『日刊スポーツ』05.09.04付に、インタビュー日曜日のヒーロー第480回「清水ミチコ 清水ミチコのマネはできない」。【「昔は自意識過剰であれもこれもシャットアウトしてた時期もあるんですけど、40超えておばちゃんになって『いいじゃないですか、私は私で』って楽になった。昔はおしりを出せる男の芸人さんをうらやましく思ったけど、この年になるとおばちゃんの方が楽しそう。男性は自分の世界を作るばかりで、おじさんご一行を見ると『死にに行くの!?』って雰囲気だもん」。/若手お笑い芸人に「目標にしている人」を聞くと、決まって男性は「高田純次」、女性は「清水ミチコ」と答える。小劇場っぽい雰囲気と、独自の芸風による立ち位置があり、肩の力が抜けてみえるのだろう。/「本当に? あんな無責任な人と並べられてうれしい」。/今後について聞いた。/「いつまでもふざけていたい。怖いのは、高齢のタレントさんがふざけると周りが『笑おうよ』みたいになるあの空気。あれを察知したら、とにかくとっとと辞めようと思います」。】。

  • 9月9日 「印刷解体Vol.2 失われゆく活版印刷、その「技術」の魅力」2005.09.30(金)−2005.10.17(月)※会期中無休、10:00am−9:00pm※最終日は3:00pmまで、LOGOS GALLERYロゴスギャラリー(渋谷パルコパート1/B1)、入場無料、お問い合わせ03-3496-1287(ロゴスギャラリー)。【昨年9月、「印刷解体」と題し、活版および写植に関する物品の展示販売企画を開催いたしましたところ、たくさんのお客様にご支持いただき、またマスコミを通じての話題化もあって、予想を超える盛況をみることができました。これまで長い間、私たちの生活の中に欠かせぬものとして存在していた印刷周辺のモノや技術が、いま、一般にはほとんど知られる機会もないまま失われつつあること、それをもう一度見直そうという企画主旨に多くの方の共感が得られた結果だったと考えております。/会期中から今日まで第二弾をというご要望も多く寄せられており、本年は、昨年関心の高かった「活版印刷」に絞り、「印刷解体Vol.2」を開催いたします。/本年度の開催では、特に「技術」の部分について光をあて、活版印刷を支えてきた「技術」、或いは新しい楽しみ方を見つけた方の姿を、「人」を通じて伝えることができればと考えております。/日本の文字印刷を支えてきた「活版活字」を中心に、活版印刷に関わるモノすべてを販売いたします。/そのほか印刷とグラフィックデザイン、タイポグラフィーに関わる書籍・雑誌や、印刷技術の変遷を伝えるような紙モノも販売。さらに今回は実演を多数企画いたしました。熟練の職人技を、文選・植字ライブ(組版作成)や活字地金彫刻で、また活版印刷によるポストカードの作成過程をお目にかけます。また、昨年ご要望の多かった名刺のフルオーダー受注会も開催いたします。】。▼「関東大震災虐殺82年に際し、強制連行被害者ら談話発表」.09.03朝鮮新報 /「〈月間メディア批評〉歴史認識に「折り合い」はつかない」.09.02朝鮮新報。

  • 9月8日 魚住昭「メディア時評107 ムネオ氏が立ち上げた「新党大地」。地域エゴ政党だって?そうかもしれない。でも、それがいいのだ」〔『ダカーポ』568、2005.9.21〕。【「小さな政府」路線の生みの親は米国発のグローバリゼーション(思想的には新自由主義)である。グローバリゼーションの大波は地方の自営業者や店員、農民らに襲いかかり、彼らの暮らしを根こそぎ破壊している。それに対抗するには、地元住民の利害を前面に押し出した地域主義しかないのではないか。/ムネオ氏は戦うべき敵の正体がグローバリゼーション=新自由主義だということをきちんと見据えている。彼のホームページに連載されている「ムネオ日記」を読むとそれが分かる。たとえばこんなくだりだ。/「今回の総選挙が日本の進路を決める国民投票になりうるというのなら争点は郵政民営化の是非ではなく日本が新自由主義政策を継続するか否かだ。新自由主義とは『強い者を優遇してもっと強くしそれで日本経済を活性化させる』という考え方だ。社会的弱者や首都圏以外は切り捨てられる」「小泉・竹中流の新自由主義をあと十年続けると階層分化が進んでしまい、親の所属する階層によって子供たちの可能性が制約されてしまう」/これは「公平配分を担保し」「親の経済力や地位、生まれ育った地域に関係なく平等なチャンスを与え」ようという機会平等主義の表明である。同時に彼は憲法九条の「絶対堅持」も掲げている。〔……〕/私には今のムネオ氏の姿が若かりしころの田中角栄と重なって見える。田中は新潟の貧しい農村からはい上がってきた男だった。山間部は世界有数の豪雪地帯として知られ、冬に病気になると町場の医者にそりで急いでも間に合わないという悲劇が日常的に繰り返された。/こうした政治の恩恵にあずかれない辺境に彼は地下足袋、脚絆姿で分け入った。そこに道路やトンネルや橋をつくり、貧しい人々の生活基盤を改善していくことで支持を集めた。つまり公共事業を通じて地方に雇用とインフラをもたらし、その見返りに票を集めることで彼は自らの政治基盤を強固なものにしていった。〔……〕/田中の政治思想は生まれた土地で人並みの暮らしをという庶民の切実な願いを結実させたものだった。もちろんそこには人間の欲やしがらみが絡み合ってくるからきれい事だけでは済まされない。清も濁も併せのんだ、泥まみれの民主主義だったと言っていいだろう。/時代は移り変わり、田中型政治システムは機能不全に陥った。だが、それで田中の思想が無効になったわけでは決してない。いや、格差が果てしなく広がる今だからこそ新たな形で復活させなければならないと私は思う。/田中の血を引くムネオ新党の課題は二つある。それは泥まみれの民主主義から派生する腐敗をどう防ぐかということと、かつての田中が描いたような、新たな時代を切り開くグランドデザインをどう構築するかである。/この二つをクリアできれば、新党大地はさらに大きな共感を呼ぶだろう。頑張れ、ムネオ。】。

  • 9月7日 仲正昌樹『デリダの遺言』(10月20日発売予定)の序文〔双風亭日乗.09.03付〕。【〔…〕「生きた言葉」にもとづく「生きた思想」というイメージは、「生き生きした言論」の場からすこしだけ引いて考えてみれば、かなり怪しいものであることがわかる。第一に、あらゆる人間の言葉は、自分で発明したものではない。どんな庶民の“人間味あふれる言葉”であっても、自分以外の誰かから教えてもらったものであり、自分のオリジナリティなどごくわずかである。他人から教えてもらい、型にはまった言葉ではなく、私の“心の叫び”を“自然”と伝えるものこそが、「生きた言葉」であるとすれば、「生きた言葉を語る庶民」など、この世界のどこにも存在しない。〔……〕「生きた言葉」として認定され、メディアに記録されるのは、一定の決まった型にハマっている言葉、つまりすでにエクリチュールに登録されている言葉である。〔…〕「死んだ文字」からなる活字が、「生きた言葉」を「再現=表象」するという逆説が生じているわけである。それが、デリダが問題にしている「音声中心主義」のおおよその本質である〔…〕。エクリチュールが、生きた「語り言葉(パロール)」の「再現=表象」様式を根底において規定しているにもかかわらず、エクリチュールによる支配が見のがされ、あたかも「生きた言葉」がいかなる媒介もなしに、“自然発生”するかのように見なされてしまうことを、デリダは問題にしているのである。/では、「生きた言葉」のエクリチュール性が隠蔽されてしまうことは、なぜ問題なのか? その理由を、デリダ自身はそれほど具体的に語ってくれていないので、それを「私」なりに「補う」――デリダの重要なキーワードのひとつに、(エクリチュールによる「自然」の)「代補」というのがある――かたちで書いたのが本書である。/とりあえず、生き生きした左翼な人向けの事例として、「小泉さん」や「真紀子さん」たちの、庶民の心に響く言葉のことを考えてみたらいいだろう。彼らを嫌っている左翼の人たちにとっては、彼らの言葉は空疎きわまりない騙しの言葉であっても、それは彼らの信仰者にとっての「心に響く生きた言葉」なのである。〔…〕】。

  • 9月6日 「京都裁判所、ウトロ強制撤去に突入」.09.01中央日報(再掲)。関連:「所有者が明け渡しを求め執行手続 宇治市ウトロ地区の土地建物1軒」.08.30京都新聞、【在日コリアンが住む京都府宇治市伊勢田町のウトロ地区で、所有者が土地建物1軒の明け渡しを求め、京都地裁が民事執行法上の公示を行った。/執行官がこの日、建物に掲示した公示書では、現在の土地所有者が木造平屋建て1軒とその土地の明け渡しを求めた。法的にはこの日から1カ月以内に強制執行される。/ウトロ住民によると、明け渡しを求められた家屋の住民は長年住んでおらず、空き家状態になっている。強制執行されても他の住民の生活には直接の影響は及ぼさないと見られる。/ウトロ地区の土地をめぐっては、町内会が先月下旬に買い取りのための同意書を住民から集めた。所有者と折衝が行われ、買い取り支援の募金活動も国内外で始まっている。こうした最中に所有者が明け渡しを求めたことについて、町内会や支援者からは「唐突だ。このままで円満な交渉ができるのか」と不信の声が上がっている。】。/「京都・ウトロ問題 発端は日本による植民地支配 日本政府は歴史的認識を」【そもそも「ウトロ問題」は、日本の侵略戦争の産物として発生した問題だ。太平洋戦争を目前に控えた日本は、この地に飛行場建設を計画した。旧陸軍の要請を受けた業者と土地買収や設備工事を請け負った府の3者によって1940年4月、2000人の労働者を動員して工事が始まった。/約100万坪(現在の陸上自衛隊大久保駐屯地)に飛行場、乗員養成所、航空機製造工場を建設するという大規模な工事に、多くの朝鮮人が動員された。41年頃には飯場が作られ、約1300人が暮らした。証言によれば、住居は骨組みで、古いトタン、木の皮を屋根にした。13、14時間の労働はあたりまえで、「ボロボロになるまで働かされた」。/戦後は、同胞が集まり強固なコミュニティが形成され、在日朝鮮人運動の拠点になっていたこともあり、各地の在日同胞の「駆け込み寺」になっていたが、その分、GHQの乱暴な強制捜査の餌食にもされた。平等な社会保証も得られず、2重3重の苦しみを背負わされた。/ウトロの所有権は戦後、日産車体に移された。住民らは70年、土地売却を求めたが、同社はこれを拒否し、87年に住民へのきちんとした説明もせず「自称住民」に売却。さらに西日本殖産に転売された。水道設置要請がようやく認められたのが87年ということを考慮すると、「土地転がし」「地上げ」という単語が関係者の頭をよぎっても、まったく不思議ではない。】「同胞住民たちの声」.08.30朝鮮新報 /「忘れない、歴史の負の遺産 宇治のウトロ土地問題 戦後60年「平和への道」探ろう」.08.16洛南タイムス /「戦後60年、新しい未来へ 宇治のウトロ土地問題 15日にチャリティーイベント」.08.12洛南タイムス /「水面下で揺れる土地交渉 宇治のウトロ町内会 韓国総領事館に交渉仲裁を要請」.07.28洛南タイムス /「ウトロ地区同胞…戦後60年 解決へ動く/立ち退き迫られるウトロ地区同胞 土地買い上げへ自主募金」.08.17民団新聞 /「【コラム】日本政府、ウトロ強制徴用朝鮮人問題に誠意を見せよ」.08.15中央日報 /「国連、在日韓国人差別問題について初訪問調査着手」.07.06中央日報 /「社説:ウトロ買収 行政は住民を支援せよ」.07.26京都新聞。関連読書録:05.04.30付

  • 9月5日 「かつて八路軍に参加した旧日本軍兵士の座談会」.09.04チャイナネット。【9月3日、中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利60周年記念行事のニュースセンターは北京飯店で座談会を催し、かつて八路軍に参加した旧日本軍兵士の前田光繁氏と小林寛澄氏がこれに出席した。/前田光繁氏(88歳)は1939年10月20日に自ら志願して八路軍に参加し、八路軍に参加した第一陣の日本国籍の兵士となった。1939年11月、前田光繁氏らは八路軍根拠地における最初の日本反戦組織である「日本兵士覚醒連盟」を発足させ、1942年に同連盟の華北連合会の会長に選ばれた。帰国後、引き続き日中友好のために努め、東京都日中友好協会の理事を務めたこともある。/小林寛澄氏(86歳)は1941年に自ら志願して八路軍に参加し、反戦連盟浜海支部の支部長を務め、1955年に帰国。/前田氏は次のように語った。「午前(9月2日)、胡錦濤主席の演説を聞き、深い感銘を覚えた。現在、中国の人々が平和な暮らしをしているのは、中国が世界各国と友好関係を結び、発展させているからである。胡錦濤主席は特に日中関係の「政冷経熱」(冷え込んだ政治関係、熱い経済交流)の現状に触れ、事実、多くの日本国民は日中友好を願い、日本では数多くの有識者が日中友好の大業に取り組んでいるが、しかし、日本を軍事主義の方に引きずっていこうとする勢力もある。これは、日本を含む世界各国の人々にとって注意しなければならないことである。日本は中国と友好関係を保っていかなければならないと考える。そうしなければ、日本は発展することはできず、存在しつづけることもむずかしい。胡錦濤主席の演説を聞いて、大いに奮い立たせられた。今後も引き続き努力し、極端な思潮に反対し、日中関係の友好的発展のために努めると思う」と語った。/前田氏と小林氏は記者の質問に答え、「今から見れば、60年前の戦争は中国人民に非常に大きな損害をもたらした侵略戦争である。60年前に中国侵略に参加した日本軍兵士の多くは農民であり、その中の数多くのものが死傷した。この面から見れば、日本は加害者であるとともに、被害者でもある。最初に反戦連盟が発足した時は、わずか三人であったが、1945年8月15日の日本の敗戦の時には、反戦連盟にはすでに1000人以上のメンバーがいた。これから見ても、かなり多くの日本人が戦争の罪悪を意識しており、かなり多くの人たちが平和と正義の側に立っていたことが分かる」と語った。〔…〕】。

  • 9月4日 「京都裁判所、ウトロ強制撤去に突入」.09.01中央日報。▼「ハリケーン大災害、ニューオリンズに戒厳令:ライス国務長官はNYのフェラガモでお買物!」.09.03暗いニュースリンク。「04年の米貧困率、4年連続で上昇=国勢調査局」.08.31ロイター、【米国勢調査局は30日、2004年の国内の貧困に関する年次報告を発表し、白人の貧困増加により4年連続で貧困率が上昇したことを明らかにした。報告によると、04年の米人口に占める貧困層の割合は12.7%で前年の12.5%から上昇。貧困層は前年から110万人増加して3700万人となった。/国勢調査局の定義によると、貧困ラインは世帯年収が4人家族で1万9037ドル、3人家族で1万5067ドル、2人家族で1万2334ドル、個人で9645ドル。/ブッシュ政権は貧困率上昇について、「小幅」とした上で、景気後退(リセッション)後は、貧困率の改善ペースが失業率や景気全般の改善に比べ遅れるため、それほど予想外ではないとしている。/国勢調査局も、90年代初頭のリセッション後にもこうしたタイムラグがみられたと指摘している。/しかし一部のエコノミストは、今回の調査結果が予想以上に悪く、景気回復が大半の米国人に恩恵をもたらさなかったことを証明していると批判している。】。

  • 9月3日 正岡容『小説圓朝』2005年7月、河出文庫。巻末に桂米朝「解説」、【正岡容とい人は、小説家ではあるけれども学者的な面があった。浪花節に関する研究なども残しているし、圓朝についても、当時既に世に出ていた伝記を読んだり、全集を調べたり、実際に圓朝を聞いたことがあるという、“大根河岸の藤浦さん”という方をたびたび訪ねたりしておりました。/圓朝の切り場のうまさについて話をしたのをよく覚えています。/圓朝の噺は続きものですから、次の日も寄席にお客を引っ張るために、その日の噺の「切り場」がひじょうに大事なんですよ。/たとえば「乳房榎」という噺。絵師・菱川重信のかみさんを、重信の留守に弟子の浪人・浪江が口説く場面がある。女が拒むと、横で寝ている子供に刀を突きつけて、「言うことを聞かなければ、子供を殺す」と脅す。/そこで圓朝、「こんなふうに、子供の命を形に取られたら、どうなさいますか」というのが、切り場なんやて。つまり、お客さんに問いかけを残して、高座を降りるんやな。/もうひとつ。同じく「乳房榎」で、寺にこもって天井画を書いている重信を連れだし、浪江が重信を殺す場面。ところが寺に戻ってみると、未完成だったはずの天井画が完成している。落款まで押してある。そして、「落款の朱肉がまざまざと濡れております」……、ものすごい切り場やね。/この二つが大変うまいと、正岡先生が力説されていたのを覚えています。〔……〕/先生は、辞世のような歌を残しています。/打ち出しの 太鼓聞こえぬ真打は まだ二三席やりたけれども/不思議な人やった……】。書評:平岡正明「柳枝一門との衝突白眉」05.08.28北海道新聞、【「次郎、お前(めえ)、筋がいい」。住みこみの小僧次郎吉(のちの三遊亭圓朝)に声をかけたのは、放り出した反故紙の黒旋風李逵(こくせんぷうりき)の絵に色をつけたのを見た一勇齋国芳(いちゆうさいくによし)だった。師匠がほめるなんてことは滅多(めった)にないことだ。がんばんなよ、と言ってくれた兄弟子二人は、月岡芳年(よしとし)と落合芳幾(よしいく)だった。/うわっ、こりゃ豪勢な配役だ、とゾクッと来たのは書評子で、この小説、正岡容の「圓朝」が発表された一九四三年(昭和十八年)四月に、ゾクッと来た読者が何人いたことやら。/だって太平洋戦争下だ。空襲はまだなかったが、そんなときに交戦国中国の「水滸伝」や武者絵の国芳やこの二人の弟子、江戸の沼の底に細っこい足をつけている徒弟時代の圓朝なんてどうでもいい。/しかし正岡容の反骨は、戦時下の江戸趣味などというとるにも足らぬ、軍部からお目こぼしにあずかった地点にしっかとかみついた。/小説の最後に、どしゃ降りの雨の中、上野彰義隊と官軍の、銃声、砲声を耳にしながら、薄黄色の蝋燭(ろうそく)の灯を前にして、派手な芝居噺(はなし)はもうだめだ、御時世が変わったら、扇一本舌先三寸の素噺(すばなし)に転じようと圓朝がうなずく。このとき三十歳。この上野の山の戦闘で、芳年は江戸侍のむごたらしい死体を見て狂い、芳幾と組んで血糊(ちのり)の浮世絵「英名二十八衆句」を描くのである。/小説の白眉(はくび)は、隅田川川開きの夜の、当時江戸一の落語家春風亭柳枝一門との鞘(さや)当て場面だ。「牡丹燈篭(ぼたんどうろう)」の大当たりで人気沸騰した、花火の影咲く川面へ圓朝一行の屋根船が出ると、柳枝一門を乗せた船と鉢合わせした。圓朝の高価な縮緬(ちりめん)の浴衣を柳枝の弟子がからかった。なんだこんなもの。圓朝は水に飛び込み、一泳ぎし、舟に上がると、寸分たがわぬ同じ浴衣を出させて背にひっかけた。役者のように傾(かぶ)いている。この年、二十九歳。今の立川談志も圓朝ほどは生意気ではなかった。そして江戸が終わって、正岡容はおそらく、江戸の終わりと、日本敗戦の漠たる予感を重ねている。傑作である。】。

  • 9月2日 道場親信「「敗戦六〇年」以後の歴史意識」〔『一冊の本』2005年9月号掲載〕。【「敗戦六〇年」を控えた今日、とても気になるのが、日本社会における歴史意識のゆくえである。〔……〕あえてこの「戦後」という時代意識にこだわるのは、いま進められつつある「憲法改正」の動きが「戦後」社会の中で重要な意味をもった価値に変更を加えようという動きとしてあらわれているからである。その第一は、憲法九条にあらわされた平和主義の修正であり、第二は、第二十四条にあらわされた両性の本質的平等の否定であり、さらには憲法の目的を国家権力の制限に置く立憲主義の否定、行政効率や「セキュリティ」などを名目とした基本的人権の修正などが、あたかもアップ・トゥ・デイトな「改革」であるかのように喧伝され、「戦後」の諸経験があたかも「時代遅れ」であるかのように、自分と関係のない否定的なものとしてイメージ喚起されている。/「戦後」を陳腐なもの・取るに足らないものとして眺める視線は、右に述べたようなさまざまな限界をはらみながらも「戦後民主主義」がそれ以前の国家社会体制に対してもっていた画期性を消去する。「戦後」は学ぶに値しない時代であるとされ、つまみ食い的に都合の良いエピソードがつなぎ合わされて、それが「歴史」としてばらまかれる。「国権の発動」に懲りて国家的「公」のことあげに距離を置いた「国民」たちの記憶が、その記憶をもつ者たちの減少とともに存在を否定される。国家と国民の一体性に酔う言論が横行し、「国民」外からの批判はすべて安逸を妨げる「反日分子」の陰謀として、耳を塞いでいく。こうしていまや、ひとつの歴史的時代としての「戦後」が忘却されると同時に、他者の声に耳を塞ぐことで「現在」からも撤退するという無残な没歴史意識が露呈しつつある。/歴史から目を背ける者は、現在をも見失うという趣旨の、かつてのヴァイツゼッカー西独大統領のことばは、歴史認識をめぐる議論においてしばしば引用されてきたが、いま私が痛感しているのは、一九四〇年代に至る戦争や植民地支配の事実のみが忘却へと誘導されているばかりでなく、現在に至る同時代に対する意識もまた、「戦後」という時代の忘却とともに希薄化させられ、かくして批判的な公共性を形成する上で不可欠な歴史意識そのものが蒸発させられようとしているのではないかということである。】。

  • 9月1日 宮崎哲弥「論壇時評:私たちの「戦後60年」 体制に依存した日本の護憲/独「憲法愛国主義」と好対照」〔『東京新聞』05.08.30付夕刊〕。【日本を代表するアニメーション作家の押井守氏の小説「TOKYO WAR」(エンターブレイン)にこんな台詞が出てくる。/「かつての総力戦とその敗北、米軍の占領政策、ついこの間までつづいていた核抑止による冷戦とその代理戦争。そしていまも世界の大半で繰り返されている内戦、民族衝突、武力紛争…そういった無数の戦争によって合成され、支えられてきた血塗れの経済的繁栄。それが俺たちの平和の中味だ。戦争への恐怖に基づくなりふりかまわぬ平和。その対価をよその国の戦争で支払い、そのことから目を逸らしつづける不正義の平和…」/強烈な、しかし的を射た戦後批判である。/戦争から目を逸らし続けること、戦時への想像力を封じることこそが、平和の実現に繋がるという特殊戦後日本的なイデオロギーが、いつの間にか平和を「嘘つきたちの正義」に堕落させてしまった。/井筒和幸、井上ひさし他『憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言』(岩波ブックレット)を一瞥すれば、この期に及んでまだ嘘の上塗りをしようとする、無自覚な「平和主義者」「護憲論者」が少なからずいることが確認できる。/だが、この六十年を冷静に、誠実に振り返れば、それが惰性に過ぎないことは誰の目にも明らかだ。〔……〕/社会思想家の仲正昌樹氏は、第二次世界大戦の敗者である日本とドイツとの戦後思想を比較した著作で、ドイツのリベラル左派が提唱した「憲法愛国主義」と日本の革新勢力が掲げてきた「護憲平和主義」の差異を明らかにしている(『日本とドイツ 二つの戦後思想』光文社新書)。/その整理によれば、ドイツの「憲法愛国主義」の場合は、文化的、伝統的な共同性に対する「愛国」ではなく、憲法という、現在の国民が自ら選択した規範性に対する忠誠に力点が置かれているという。一般にネーションが含意している文化や伝統ではなく、それらから分離された憲法という仕組み=体制への「愛国」なのだ。/これに対し、日本の「護憲平和主義」には、ドイツのような深い方法意識も鋭い緊張感もみられない。/仲正氏は日本の護憲論の特徴として、文化的共同性、伝統的アイデンティティーの要たる天皇制度の存続を容認した点、内外の情勢に応じた国民の選択こそが憲法の規範性の根拠なのに、いかなる場合においても「一言一句たりともいじってはならない」という態度を採った点を挙げている。/「たとえ日本の伝統的な『国のかたち』を温存することになったとしても、結果的に戦争に巻き込まれなかったら、それでいい」という退嬰的な一国平和主義が日本の護憲派の本音だったというのだ。/だが、これは屈折したナショナリズムに他ならないのではないか。〔……〕/誰が、この六十年を総括し、それを乗り越えるのか。】。深く同感!