読書録 2005年7月後半(敬称略)

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  • 7月30日 「強制連行調査団西日本集会 近畿、愛知での活動を報告」.07.28朝鮮新報、【朝鮮人強制連行真相調査団が主催する調査報告集会「今、強制連行犠牲者の遺骨は(西日本)」が23日、兵庫県尼崎市の小田公民館で行われ、調査団日本人側全国連絡協議会の空野佳弘事務局長、朝鮮人側中央本部の洪祥進事務局長をはじめ大阪、京都、兵庫、奈良の調査団メンバー、研究家、活動家らと総聯兵庫県本部の李文伊委員長、民団愛知県本部の姜裕正事務局長がともに参加した。/集会では、洪祥進事務局長が遺骨問題の経緯などについて基調報告を行い、金承鎬氏(兵庫県商工会会長)が日本軍の軍属として強制連行され、インドネシアで命を落とした父の法要と日本政府の不誠実な対応に関して証言した。また集会では、愛知、大阪、京都、奈良、兵庫での遺骨の実態と調査活動について報告された。名古屋市の無縁故同胞の遺骨が、無断で粉砕処理されたことに関して報告した姜裕正事務局長は、「無断で処理したことに怒りを覚える。身元調査と遺族探しに取り組み、供養してやりたい」と述べた。】。関連サイト:「強制動員真相究明市民連帯」(朝鮮語)。【.08.03追補】「身元確認可能な韓半島出身者の遺骨、名古屋市が無断で粉砕」.08.02東亜日報 /「名古屋市での遺骨粉砕処理 労働新聞が非難 徴用犠牲者の遺骨冒とく」.08.01朝鮮新報。

  • 7月29日 「ニート:前年と同数64万人 05年版労働経済白書」.07.22毎日、【厚生労働省が22日公表した05年版「労働経済の分析」(労働経済白書)で、学生ではなく働いておらず、職業訓練もしていない若者「ニート」の人口が昨年64万人だったことが分かった。03年とほぼ同数で、今回初めて地域別に分析したところ、同年代人口に占める割合は、近畿と中国地方が最も高く、北海道が最低だった。/同省は昨年の同白書で、ニートを「非労働力人口のうち15〜34歳で学校を卒業した未婚で、家事・通学をしていない者」と定義、03年は52万人と発表。しかし、不登校の学生らや既婚者も含めるべきと判断して、ニートを「15〜34歳で家事も通学もしていない非労働力人口」として集計した。それによると、03年も64万人だった。/地域別では、南関東17万人、近畿12万人、東海や九州・沖縄は7万人で多かった。15〜34歳の人口に占める割合では、近畿と中国が2.2%、四国2.1%、北関東・甲信は2.0%で、北海道は1.4%だった。/また、04年のフリーターは213万人で前年より4万人減った。ニートやフリーター人口の変化について、同省は「景気が回復傾向にあることの影響ではないか」と分析している。【大石雅康】】。「ニートは64万人、3年連続で同水準 労働経済白書」.07.22朝日 /「労働経済白書 「団塊の世代」近づく退職 企業の負担減、10年で88兆円」.07.23産経 /「ポスト団塊へ雇用転換促す 05年版の労働経済白書」.07.22共同。関連:労働経済白書(05.07.22l発表)、平成17年版労働経済の分析(本文版)/ 平成17年版労働経済の分析(要約版)

  • 7月28日 「インドの生産減は挽回可能、ホンダ」.07.27 TBS /「ホンダ「今期業績に大きな影響はない」・インド工場労働争議」.07.27日経 /「インドのホンダ工場従業員めぐる騒ぎ、駐印日本大使が注意促す」.07.27ロイター /「ホンダ、インド二輪車工場の労働争議で生産落ち込み」.07.27日経 /「負傷者130人に=警察の過剰反応に批判−印ホンダ絡みの衝突」.07.27 Yahoo!(時事)/「負傷者700人、92人逮捕 印ホンダ子会社の争議」.07.26神戸 /「ホンダ系社員と警官隊衝突 インド、数十人負傷」.07.26 goo(朝日)/「ホンダ系社員と警官隊衝突 インド、数十人負傷」.07.26 CNN /「負傷者700人、92人逮捕 印ホンダ子会社の争議」.07.26徳島(共同)/「インドのホンダ二輪工場で衝突・200人以上が負傷」.07.26日経 /「印ホンダ工場で衝突 従業員ら数百人負傷 【写真】」.07.26北海道(共同)/「印ホンダ工場で解雇反対デモ 数百人負傷」.07.26産経 /「ホンダのインド子会社、従業員の復職求め警察と衝突」.07.26ロイター。

  • 7月27日 『東京新聞』が05.03.09付から連載中の“記憶 戦後60年 新聞記者が受け継ぐ戦争”に「加害と向き合う 中国編」、「<上>兵士が背負った“罪”」.07.23付 /「<中>捨てた毒ガス弾は」.07.25付 /「<下>秘密に縛られた半生」.07.26付。

  • 7月26日 承前、文富軾、板垣竜太訳『失われた記憶を求めて 狂気の時代を考える』に関連して、宮嶋博史・李成市・尹海東・林志弦 編『植民地近代の視座 朝鮮と日本』(2004年10月、岩波書店)の版元サイトに「編者のことば」、【「1999年晩秋か初冬のことだったと思う.うすら寒いある午後,『当代批評』の文富軾主幹が研究室へ電話をしてきた.急に会おうという.研究室にかけつけた文主幹は,はずんだ息を落ち着ける間もなく,篤志家が出て来て社会的に意味ある事業を積極的に支援してくれると言うから,『当代批評』が中心になってプロジェクトを一つやろうという./『当代批評』の主要な作業の中の一つは,抵抗民族主義の神話をさらけ出して,支配イデオロギーとしての民族主義を批判することだった.その過程で,われわれは植民地主義の過去を再解釈して,現在に残された植民地主義の否定的遺産をいかに克服すべきか,という問題に直面せざるをえなかった.南北を貫く支配イデオロギーとしての民族主義に対する批判は,朝鮮半島の次元を越えて「東アジア」の歴史的・政治的脈絡の中でその意味を問うしかなかったのだ.帝国と植民地という歴史的経験の非対称性と各国の特殊性に充分に留意しながらも,東アジア共同の次元で民族主義を越える批判言説の構築というプロジェクトを試みることに,われわれ二人は容易に合意した.「政治的プロジェクト」としての「国史」(national history )パラダイムに対する批判を通じて,民族主義的に規律化され,政治権力の「国民づくり」戦略に自発的に包摂されて来た市民社会の歴史意識に,亀裂を入れるところから始めようというところでも,二人の見解は一致した.〔…〕】。うむ、読みたい!高い!

  • 7月25日 『日経ビジネス』05.07.18号が“さよなら総中流 分断国家ニッポン 格差エコノミーはこう生き残れ”を特集。【国民の中での不平等度を示すジニ係数が1995年以降上昇している〔……グラフは略、以下同……〕既に1990年代後半から、国内の生活保護世帯は増加に転じ、かつての日本では考えられなかった「貧しさの拡大」が進んでいる〔……〕/貧しさの拡大の背景には、95年度に14兆2100億円あった公共工事が昨年は約9兆円へ大幅減少し、低所得者層の職が減ったことなどがる。実際、建設業の失業率は94年2月の0.5%から2004年は3.4%に上昇している。/さらに高齢化と世帯人員の減少で世帯所得が減っている点も見逃せない。国民生活基礎調査によると、65歳以上の高齢者の中で単身か夫婦世帯の比率は1986年の31.3%から2003年には47.8%に急増している。年金のみで生活する高齢者単身世帯となれば所得は多くはないだけに、暮らしは厳しくなる面があるのだ。/ただし、貧富それぞれの層が新たな層を抱え始めているように、変化は単純な2極化ではない。かつて、国民の9割が自らをそう言った中流層は崩壊し、「富」から「貧」まで様々な階層が生まれているのである。】【フリーターの数は1992年の101万人から2003年には217万人に増えている〔……〕フリーター拡大の背景には様々な要因がある。デフレ不況とグローバル競争激化の同時進行で企業はリストラと大幅なコスト削減を迫られ、雇用と社内体制の見直しに取りかからざるを得なくなった。/さらには、99年の労働者派遣法改正で製造現場などを除き、大半の業種に派遣が認められ、昨年春からは製造現場も解禁となったことも大きい。/だが、底流にあるのは、フリーター側の大きな変化だろう。それは、ある意味での親の世代の価値観が継承されなくなっていることだ。20代のフリーターの親世代は50代後半から60代、30代なら70代あたりまでが中心となる。末尾を団塊世代とするこの人たちは高度成長期に中核で働いてきた層で、サラリーマンなら「まじめに働いていれば、給料も上がり、今よりも将来の方が豊かになる」と信じることができた時代の人と言える。/だが、こうした“信仰”は高度成長期の終焉とともに薄れ、バブル崩壊後の90年代に完全に輝きをなくした。リストラ、賃金抑制、。下請け・取引先の再編、絞り込みなどの嵐の中で「今日より明日の方が豊かになれる」という価値観が受け継がれなくなったのだろう。〔……〕/親子間の職業階層の継続性について研究をしている佐藤俊樹・東京大学助教授によると、親がホワイトカラー上層(上位者)の場合、子供も同じ層になる「なりやすさ」は、子供が明治末年の生まれから団塊世代まで、一貫して低下していた(親子とも40歳時点の職業)。/つまり、ホワイトカラー下層(下位者)やブルーカラー、自営業者など、他の階層から、ホワイトカラー上層になる階層間移動が活発だったのだ。/ところが、これが団塊の世代の後あたりから、再び階層間移動が減って元に戻り始めた。階層の固定化である。】。

  • 7月24日 「「強制動員真相究明ネット」 日本人活動家らが結成 「加害行為見つめなおす時」」.07.21朝鮮新報、【日本による強制連行の問題などの真相究明を目指す「強制動員真相究明ネットワーク」が結成された。18日、在日本韓国YMCA(東京・水道橋)の国際ホールで行われた結成総会には、呼びかけに賛同した北海道から沖縄までの各地の市民団体代表や研究家、活動家らが参加した。/総会では、立教大学の山田昭次名誉教授らが記念講演を行い、南朝鮮の「日帝強制占領下強制動員被害真相糾明委員会」の崔鳳泰事務局長、朝鮮人強制連行真相調査団中央本部の洪祥進・朝鮮人側事務局長、民団中央本部の李鍾太民生局長をはじめ、日本の国会議員と南朝鮮の市民団体代表らがあいさつした。/「真相究明ネット」は、「日本人自身が、近隣諸国に対して行った加害行為を見つめなおし、真相究明する」ことを目的に設立。各地の研究、活動、調査を集約させ関連省庁に情報提供などを行う。当面は、日本政府の徴用者遺骨調査に協力していく。】。関連:読書録.07.20付

  • 7月23日 『東京新聞』.07.22夕刊に、内藤正典「イスラーム過激派の暴力はなぜやまないのか ロンドン同時テロ事件の深層」。【〔…〕英国の場合、移民であっても経済的上昇の可能性がないわkではない。基本的には平等な権利が保障されているが、現実には、あいかわらず経済的に衰退したリーズやブラッドフォードなどの地域で、将来への希望を持てずに暮らす多くの移民がいる。彼らは生きる糧をイスラームの信仰に求めている。イスラームは信徒の心に平安を与える。イスラーム的に正しく生きることで、現世の栄達よりも来世での幸福を願う心情は、底辺層のムスリムのあいだに根強い。/イスラームは、もともと都市に栄えた宗教文明であり、東西交易を通じてたえず異教徒と接してきた。したがって異教徒との共存を否定する考えはない。千五百万を上回るムスリムが移民としてヨーロッパに渡ったのも、先進国で自分たちも豊かになりたいという経済的な希望からで、異教徒を嫌うなら、そもそもヨーロッパに移民などしない。/その彼らが英国社会で疎外され、名目的な平等と、生活の実態がかけ離れていることを思い知ってから、英国社会と移民のイスラーム社会とのあいだに溝が深まったのである。そのうえ、世界のムスリムが欧米によって虐げられる現実が重なり合った。メディアの発達により、パレスチナやイラクでの悲惨な状況は瞬時に英国のムスリムにも伝わっている。/信仰実践を深めるほど、ムスリムにとって国籍や民族は意味を持たなくなり、信徒の共同体の一体性を重んじるようになる。現在、世界のムスリムのあいだに、同じ信徒が傷つく事態への憂慮と怒りは広まっている。その果てに、テロという暴力へと暴走する人間を生み出しているのである。テロは狂気の沙汰だが、テロを生み出す背景となっている不満そのものには十分な理由がある。】。

  • 7月22日 斎藤貴男・沢田竜夫編著『「治安国家」拒否宣言 「共謀罪」がやってくる』2005年6月、晶文社。なすび「野宿者の路上から」、【生活条件と社会的関係性を奪われた野宿者は、自分たちが野垂れ死をしないために、コミュニティを形成し、団結して「共謀」し、行動するしかない。しかし、その「共謀」の場を解体し、命を守るコミュニケーションと団結を解体しようとする共謀罪は、声を奪われた野宿者を分断し、声なきまま抹殺しようとする稀代の悪法である。】。山の手緑「爆笑と物騒の治安国家」、【今日、ポストにビラを入れたということが「住居侵入」であるとか、学校の前でビラを配って、「建造物侵入」であるとか「威力業務妨害」であるとか、公衆便所の壁に字を書いたということで「建造物損壊」であるとか、妄想じみたことが現に起きている。〔……〕/こんなにぐちゃぐちゃになった法律で、法治される国家の治安を維持するための、戦争や軍事同盟や戦時体制改革を通常業務として遂行するための、ありとあらゆる組織の労働強化と組織化の進行に、対抗できるような組織はどこにもない。へんてこ警察市民の妄想にかかずり合えるスキルとか持ち合わせてないし、そんな組織は作れません。/だったらもう、組織と組織化からできる限り身を引きはがしていくことに、そういう何とも言えない、はっきりしない行動を積極的なものとしてこっそり肯定してみたらどうなんでしょう。組織でないからって、本当になんにもできなくなるわけではないし、他人と一緒に何かしたりとかできなくなるわけではないし。/だいたい「そんなことして何になるの?」とか言われてしまうような、やってる方も何になるのか何とも言えないようなことをすることは、国家がどんなだろうとどうせ難しい。国家の治安に左右されてしまうような「意義のある活動」なんかより、そういうことばっかりできるようにするほうがいい。本当にもうこれ以上労働したくないんだから。】。

  • 7月21日 「朝鮮解放60年−日朝つなぐ人々−(6) 歴史家・奈良女子大名誉教授 中塚明さん」.07.19朝鮮新報、【〔…〕なぜ、明治以降のゆがんだ歴史観がいまだにあらためられないのか。日朝の歴史研究の第一人者であり、近代日本の立ち遅れた朝鮮観を根底から覆す視点を切り開いてきた中塚さんは次のように指摘する。/「日本の近代を考えるとき、客観的に見て、明治以降の朝鮮への侵略の歴史を視野に入れなくて、何が明らかになるでしょうか。政治的、経済的にはいうまでもなく、思想、文化の問題を考える時にも、日本の朝鮮侵略は避けて通れない」〔…〕/「相手を理解し、認め合い、協調して平和に生きていこうとするとき、過去のことを何も知らないのでは、その目的を達することはできない。まして侵略したのにそれを賛美したり、実際にやったことを隠したりするのでは、相手を怒らせ、不信感を大きくするだけだ」/若い世代に向けて3年前に書かれた『これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史』(高文研)は「21世紀を、日本人が、とりわけ、若い人たちが、朝鮮半島をはじめとするアジアの人たちと平和に生きていくうえで、役立ってほしい」という願いが込められた一冊。/中塚さんは01年5月、全羅北道の全州で開かれた「東学農民革命国際学術大会」に出席し、東学農民軍が蜂起した遺跡のフィールドワークにも参加した。感銘を受けたのはそこで見た「無名東学農民軍慰霊塔」である。主塔のまわりに背丈の低い花崗岩の補助塔が立てられ、無名の農民の顔、武器として使われた竹槍や鎌、また大事な茶碗などが刻まれていた。「誰でも近づいて、さわって、あるいは抱きしめたい人は抱きしめることができるようにつくられていた」ことに強い共感を抱いた中塚さん。/過去を忘れない朝鮮半島の人々。侵略の事実さえ知らない日本の若者たち。中塚さんは00年の6.15共同宣言をテレビで見て、「こみ上げる感動を押さえることができなかった」と語る。「外国勢力の侵略に反対してたたかった人たち、戦いの中で犠牲になった人たちはもとより、心ならずも外国勢力に屈した人たちも含めて南北共同宣言に対する感慨が地底から聞こえてくるように思えた」。(朴日粉記者)】。

  • 7月20日 「韓国「真相糾明委」、東京事務所開設へ 朝鮮人強制動員」.07.19朝日、【戦前・戦中に日本の植民地支配で朝鮮人が強制動員された実態を調べている韓国政府の「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会」が8月、東京の韓国大使館内に東京事務所を設け、常駐の担当者を置くことになった。/委員会の崔鳳泰(チェ・ボンテ)事務局長によると、強制動員され死亡した朝鮮人の遺骨の返還に向け、日本の担当省庁などと折衝する。また在日韓国・朝鮮人からの被害申告も受け付ける。/韓国内で約20万件の調査依頼が集まった被害の実態調査には日本側の協力が不可欠と判断し事務所の開設を決めた。/また、日本の市民団体も18日、この活動に協力するために東京で「強制動員真相究明ネットワーク」を結成、内海愛子・恵泉女学園大学教授らを共同代表に選んだ。】。

  • 7月19日 ▼「元陸軍中尉池部良さん 日本人自身で責任追及を(連載・「靖国」合祀問題を語る3)」『東京新聞』.07.17付掲載、【靖国神社は国の伝統といって神道の儀式をやっている。戦死したら神道でおはらいしてもらう必要があるのか疑問もある。小泉首相の参拝は表面的な気がする。やめた方がいい。心情的に参拝した方がいいというのは分かるが、兵隊さんたちが政治の道具に使われているんじゃないかという疑心暗鬼を生みかねない。〔……〕/僕たち国民には、東條大将が本当に戦犯だったのかは分からない。今さらできない相談だけど、日本人自身の手で、戦争を指導した戦争責任者を摘出しなくてはいけなかった。五十年前に議論されるべきでした。】。▼大橋巨泉「日本人は自らの手でA級戦犯を裁くべきだった(連載・内遊外歓 第550回)」『週刊現代』.07.30号掲載、【〔…〕沖縄やサイパンで、非戦闘員の女子供や老人に投降をすすめず、自決しろだの、崖から飛び降りろと命じたのも日本人である。こうした日本人達、或いは彼らにそうするように命じた日本人を、われわれは正当に裁いたか? 今右側の論客は。極東裁判の是非を言う。たしかにあの裁判は勝者が敗者を裁いた、片寄ったものであった(非人道的な原爆投下は断ぜられなかった)。しかし、われわれはわれわれの手で、戦前から戦中にかけてわれわれの父や兄を弾圧した日本人を裁判にかけることはしなかった。〔…〕今からでも遅くはない。A級戦犯などと言わず、自分達で裁いて、弾圧や洗脳をして国民を死に向わしめた人々と、従わざるを得なかった大多数の国民をはっきり分ける事が必要である。そうすれば分祀問題も解答が出るし、何よりも世界中の人々から着せられた、日本人は自分では何も出来ないという汚名から逃れる事が出来る。】。

  • 7月18日 承前、文富軾、板垣竜太訳『失われた記憶を求めて 狂気の時代を考える』2005年7月、現代企画室。【〔…〕一つの運動の実験が失敗したからといって、これに献身した人が傾けた激烈な努力がすべて無意味なものとして取り扱われたり、消されてしまうべきではない。〔…〕この運動の敗北をどう受けいれるのかは、結局各自の領分なのである。〔……〕/絶望は敗北した歴史ではなく、いつも屈折した人間からくるものだ。〔…〕/過去を本当に反省する他人には、むやみに無視することのできない美しい苦痛の痕跡がある。〔……〕/闘いは勝利のためだけに存在するのではない。私たちの初恋の道は、敗北した五月の「光州」にはじまるものだった。一九九一年の冬、監獄で朴ノヘが「私の敗北は本当のはじまりだ」と痛々しく歌ったのは、彼が初恋の道がどのようにはじまったのかを知っていたから可能だったのだ。私たちは敗北したが「大地はそのまま矛盾だらけの大地」なのであり、「根っこは強靭な生命力で変わりなく根っこであるのみ」なのだから、私たちは敗北が再び本当のはじまりとなりうることを信じている。/シュテファン・ヘルムリーンという人がいる。〔…〕彼は東独社会主義が崩壊した後も社会主義の理想に対する自分の信念を曲げず、また自分の過去をみっともなく弁護したりもしない、孤独だが泰然とした態度を忘れない知識人だった。〔……〕一九七二年からすでに自分が属する体制を批判しはじめた彼は、人々がかつての革命に対する記憶を急いで消してしまっていく現在、むしろ社会主義的な理想に存在していた美しい価値と、ここに献身してきた人たちの記憶を復元しようとしている。「いつの頃だったか、ある日の昼食時間にベルリンのどこかの通りで私が書いた署名を、万が一私自身がもはや有効でないと言うとすれば、それはまさに私が大切にしまっておいたもののなかでも最上のものを捨て去ることを意味している。私は私が献身してきた運動よりも立派なわけでも拙速なわけでもなく、運動の成熟さと未熟さとを、その偉大さと悲惨さとを分かち持っている」。ドイツ全体がナチズムの狂気へとどんどん舞い上がっていった時期、ベルリンのある通りの片隅で偶然「共産主義青年同盟」の入党願書に署名した十六歳の頃の選択(約束)を想起した自伝的な散文集『朝焼け』のこの下りは、一つの巨大な理念と体制がいかなる荘厳さもなく没落していく時代にも放棄することのできない、人間的な尊厳と魂の美しさを見せてくれるものだった。/ある時代は、それを記憶する人たちがいる限り、ただあっけなく消え去ることはない。〔…〕歴史において負けるということは必ずしも恥ずかしいことではなく、また絶望しなければならないことでもない。】。

  • 7月17日 承前、文富軾、板垣竜太訳『失われた記憶を求めて 狂気の時代を考える』2005年7月、現代企画室。【〔つづき……〕北朝鮮の主体路線を「田舎くさい」ものとみなしたボルシェビキ系ロシア(ソ連)はあまりに遠い他国だったが、主体思想を支持していた南朝鮮の主体革命家にとって、朝鮮半島の北側の権力は、手をのばせば届く距離にある実体だった。〔…〕遠目に見えるかれらが幸福なのか不幸なのかを判断する根拠を、私たちは持ちあわせていなかった。〔…〕抗日武装闘争、親日派清算と土地改革という北朝鮮政権の業績と、短波ラジオを通じて反復して主張され、いつしか私たちにも伝わってきた反帝民族主義は、分断に苦しみ、民族の統一を熱望していた私たちにとって、あまりにも魅惑的なものだった。北朝鮮の反帝規律社会が、実のところ南朝鮮の反共規律社会と異なるところのない(いやそれ以上の)抑圧的な動員体制であるという事実を認識するのは、前衛の革命を夢見ていた時代の私たちにとって容易なことでなかった。当時、北朝鮮権力の統治理念を、朝鮮半島の住民だけでなく、全人類の未来を明るくする思想だと主張してきたある「主体思想家」が、あの遠い国で現実社会主義が次々に崩壊していった直後の一九九一年、北朝鮮に渡り、金日成の教示を受けて帰ってきた。彼が受けてきた北朝鮮権力の委任状は、当時それなりに何とか脈を維持していた革命的理想と統一に対する熱望を、再び誤った道へと導いていった。/私たちは道の上で、ある瞬間、道を見失った。自らが歩んできた道を私たちがようやく疑いはじめた頃、私たちが歩いてきた道の反対側で、「人民の楽園」から飢えに耐えきれない人々が、むしろこの殺伐とした資本主義の領土を選択し、一人または家族を連れて渡ってきたのを見た。その道が間違っているのを自覚したとき、同時に私たちがあまりに遠くに来てしまったことを悟っていた。私たちは、どこで初恋の道を失ってしまったのだろうか。歩いてきた道を戻れば、私たちはまたその道を見つけることができるだろうか。/対立的な分断構造のなかで、競争における勝利感に陶酔していた南朝鮮(韓国)は、禁忌されていた実践の極端なところまで歩いていった人たちにとって、退路の見えない社会だった。〔……〕あらゆることが風聞にまみれた分断の構造下で、自らが信じた信念と実践の終わりを自らの体と目で直接知るため、禁忌の極端まで歩いていったのだ。その道の、ある瞬間、ある地点で、何かが大きく間違っているということを悟ったとき、彼はどんな選択をしようとしたのだろうか。〔……〕彼はいっそのこと正直に負ける道を選んだ。「広場で負けたとき、人は洞窟へと逃げこむものだ。だが果たして負けない人はこの世にいるだろうか。人は一度は負ける。ただどれだけいやしく負けるか、どれだけ立派に負けるかが分岐点だ」。】。

  • 7月16日 承前、文富軾、板垣竜太訳『失われた記憶を求めて 狂気の時代を考える』2005年7月、現代企画室。【〔…〕そして「一生を低い所で、力なく貧しい人たちのために生きる」と約束した。/それは他の誰に対してでもなく、自分に対する約束だった。〔…〕/道があると信じていたからだ。〔…〕道を行く私たちには羅針盤が必要だと考えるのは、とても自然なことだった。思想と理念と路線と戦略という名の羅針盤は、民主と独裁、資本と労働、帝国と民族を明確に区分し、それにしたがって私たちが進むべきところを指示してくれるものだった。そうして一九八〇年代のある時点において、私たちはある理念を選択した。それは仕方なく外部から、過去の革命の「教科書」から学ばなければならなかったが、権力を批判するどんな「不穏な」考えも容認されない思想の不毛地帯で、それはひょっとすると不可避な選択だったかもしれない。〔…〕/「世界は変えることができ、また変えなければならない」という自覚を実践する道の上で、二十世紀の社会主義理念と出会ったのは必然的なことだったかもしれないが、しかしそれは他方であらかじめ没落に備えることでもあった。二十世紀の革命はほぼすべて前衛による革命だった。「成功した」革命の国の教科書は、私たちに理念の実現は権力のダイナミクスを必要とすると教えていた。図式は、それが単純なものであるほど抜きんでているように思え、見習いやすいとでも思っただろうか。私たちはいつしか教科書から学んだ図式にしたがって考えはじめた。些細な違いでお互いを闘争の対象とみなしたかと思えば、人間的な生の多様な現実に接近しようと努力するよりは、抽象的な理論の尺度一つで人間の関係を敵と同志とに分けてしまった。/それだけではない。私たちは二十世紀の前衛革命の文法にしたがって、同志と民衆まで規律化しようとした。鉄の規律で組織された前衛によって指導される革命のみが成功するという教理は、低い所を志向していた献身の精神を、前衛に対する熱望へと容易に代置させた。一九八〇年五月の「光州」における敗北の歴史の真実から得た自覚とは、したがって「成功の神話」に心の底を明け渡してしまったのだ。/歴史上のあらゆる革命がそうであるように、私たちが夢見ていた革命も、ある瞬間「天才」たちの専有物となってしまった。〔…〕こうした革命のエピゴーネンと風聞の伝達者が首の抜けるほど見上げていたのは「成功した」革命の国を支配する権力の動態だった。ロシア産の革命理論にしたがう者も、北朝鮮産の主体革命理論にしたがう者も、その意味において、内面の追随本能は同一のものだった。/この点で、北朝鮮社会あるいは北朝鮮権力に対する態度の問題は、韓国(南朝鮮)社会での革命運動において、一つのアキレス腱となっていた。】。つづく。