5月31日 ▼「JR西日本事故を問う緊急集会における立山学さんの発言【動画】」05.05.27東京・中野(レイバーネット)▼奈良県部落解放同盟支部連合会のサイト(05.05.09各界からの声)に、花柳幻舟「大衆運動とは、すべての人が参加しての文化活動」、全横浜屠場労組「奈良県部落解放同盟支部連合会ホームページに寄せて」05.03.25。関連:全横浜屠場労組「第23回定期大会議案書」02.01.11〔『同和はこわい考』通信No.157、02.5.12掲載〕。
5月30日 ▼下村健一「ATC(自動列車制御装置)が壊れた?日本社会」.05.11、【《自分も、石を投げる資格の無い罪人なのだ》と自覚すること。より今回の事件に引き寄せて言えば、「この脱線事故の責任の一端は、私にもあるのだ」と僕ら全ての人が自覚すること。〔……〕少しでもダイヤが乱れると不満を感じていたのは、僕であり、あなたではないのか? ラッシュの混雑を嫌って、通勤時間帯の列車増発(=過密ダイヤ)を歓迎していたのは、僕であり、あなたではないのか? さらに遡るならば、国鉄時代に大赤字を批判して、私企業(利益追求体)JRの誕生を歓迎したのは、僕であり、あなたではないのか?〔……〕/もう一点、このところの糾弾大会ムードで危惧されるのは、息苦しい《相互監視社会》のエスカレートぶりだ。「いいじゃん、それぐらいまでは」という曖昧な許容性がどんどん失われ、いわば"遊び"の無いハンドルのように、ちょっとでも振れるとすぐウワッとそちらにカーブを切ってしまう状態。このまま突き進むと、何か大事故が起きた時には、日本中で"歌舞音曲"が自粛され、開店している飲み屋は「自分の利益だけ考えて、このご時世にけしからん!」と吊るし上げられかねない勢いだ。叩く側にいられるうちは良いけれど、いつ自分も叩かれる側に転げ落ちるかわからぬ緊張状態の中で、全国民が息を詰めて暮らしてゆかねばならなくなる予感。/そんな大げさな、と笑う人もいるかも知れないが、そういう"集団狂気"状況は、既に発現しかかっている。〔…〕】▼「日本の歴史歪曲は左派没落のせい」.05.29中央日報、【「日本が歴史歪曲(わいきょく)を繰り返すのは、日本社会の中の左派没落によるものであり、極右派は歴史のわからない若者を糊塗している」−−。/英国のフィナンシャルタイムズマガジン28日付が診断した北東アジア歴史論争の背景だ。/マガジンは「Sorry State」という企画記事で「日本が過去の歴史問題に対して繰り返し謝罪をするのにもかかわらず、韓国や中国など周辺国との歴史論争が絶えないのは真の謝罪をしていないため」と指摘した。〔……〕/日本の極右派らが消えたのではない。戦争に責任ある右派政治家たちが48年の中国大陸の共産化につながった韓国戦争の渦中に米国の反共第一主義によって復権した。しかし彼らは過去の歴史問題に対する反省を強調する社会的雰囲気では何も言えなかった。】。
5月28日 孫歌『竹内好という問い』2005年5月、岩波書店。【思想史研究者にとって、歴史上の人物を扱うことが避けられないということは、誰もが否定できないであろう。なぜなら、思想という行為は個体から離れては発生できないからだ。〔……〕思想史的に歴史上の人物に出会うというときには、出会うのは具体的人間というよりは、その人間の思考論理の全体像であろう。〔……〕思想はそれが創造的であるためには、歴史にコミットすることを】という立場から孫歌は竹内好の思考を追い、【竹内好の文学の世界は、「出会い」によってはじめて入れる空間である。しかしそれは決して竹内好という人物を調査し、その人となりを理解することを意味しない。「出会い」を現実生活の位相で理解するのは、思想史的な創造性を抹殺することになる。このおとは、竹内本人が魯迅との出会いによって見事に示したことであった。竹内好は「他者」に対して厳格な思想的手続きを踏んでいる。〔…〕「自己否定」の手続きである。この「〓扎〔そうさつ〕」と名づけられた手続きは、ほかでもなく、自己と他者の「出会い」の仕方そのものを暗示している。それは、「近代とは何か」の中で、竹内好が魯迅を通して強調したような「彼は自己であることを拒否し、同時に自己以外のものであることを拒否する」というスタンスとなる。すなわち、他者という媒介によって自己解体が行われながらも、他者に追随しない形で自己を再建することである。かくしてこのような再建が他者を他者としての自足性から解放し、自己を自己としての排他性から自由にする。このような「再建」は、結末のない永遠の革命でなければならない。言い換えれば、自己と他者の出会いは、一つの流動的な「場」として前述の二重の意味での「拒否」を果てしなく生み出さなければならない。】【歴史に入らないことによって優等生ないし先駆者になれる。逆に、歴史に入ることによって先駆者になれない。〔…〕彼は日本の近現代史におけるもっとも混沌たる部分にコミットしようとし、そのコミットによって少しでも歴史を変えようとした。「近代の超克」、日本の「アジア主義」をはじめ、竹内好は歴史的に評判の芳しくない脈絡を掴んで離さなかった。彼は日本の民族独立や民主主義の根元を明治思想(明治天皇の五箇条の誓文までも)の中に執拗に探索しようとした。同時代においても現在においてもこのような発想によっては到底啓蒙的な先駆者にはなれないだろう。現実の結果から言えば、竹内は歴史を書き換えることには成功しなかった。しかし彼が後世に残したもっとも生産的なテクストはまさにこのような不成功な試みそのものであったのだ。】として、【今日、学問が死に瀕している情況の中、本当の意味での「批判」を通して、竹内の暗示した今ひとつの学問のあり方を発掘することが、緊迫した課題になっているのではなかろうか。】と指摘している。
5月27日 ▼『FRIDAY』2005.6.10に「疑惑告発 国民に隠して、いったい何を運んでいるのか!?/イラク自衛隊「真っ黒塗り潰し!記録」の下の“怪しいブツ”」、【〔…〕自衛隊のイラク派兵に反対している弁護士のグループが、情報公開請求によって防衛庁から取り寄せたものだ。この文書は、航空自衛隊の「イラク復興支援派遣輸送航空隊」が、「航空幕僚長」宛に出した「週間空輸実績」の報告書。〔……〕公開されたはずの文書は、軒並み「真っ黒」。〔…〕/わずかに確認できるのは、'04年3月1日から3月7日までの1週間に空輸された、「医療機器」のみ〔…〕。それ以外は、約100回分の報告書が、全面的に塗り潰されている。〔…〕運用実績としては'04年3月3日から'05年5月19日までに147回の輸送を行い、計216tの「貨物」を空輸した。/ただ、その公表情報自体に、民主党の小川敏夫参院議員は首をひねる。/「C-130の輸送能力は、1機で20tもある。それが147回も飛んで合計が216tはあまりにも少ない。それに今年3月には、『貨物0t』で飛行した記録がある。これは何を意味するか、疑われるのは、本当は貨物ではなく、主に米兵をイラクに輸送しているのではないかということです」/実は昨年末、参議院のイラク特別委員会で、今津寛防衛庁副長官が「'04年3月中に米軍をはじめとする多国籍軍1200名を、クウェートから他の場所に輸送した」と答弁したことがあった。実質的に戦闘状態にある米兵を戦地に輸送したとなれば、「後方支援」などという言い訳は通用しなくなる。「日本は戦争に加担した」と国際的に宣言したに等しい。また、米兵を輸送しているということは、同時に米軍の武器・弾薬を運搬していることは確実で、これは「後方支援」に自衛隊の活動を限定したはずの、「イラク特措法」にも違反していることになる。/これはとんでもない事実だが、これに対し大野功統防衛庁長官らは、「米兵を運ぶといっても“非戦闘地域”に輸送しているのだから問題ない」「米兵がその際に所持している小火器などは武器・弾薬にはあたらない」などと、驚くべき詭弁を弄し、追及を逃れているのだ。/ある防衛庁のOBは、「武器・弾薬を実際には輸送しているだろう」と語る。/「防衛庁は、建て前上、運搬する米軍の貨物の“中身”は確認できないとし、それが武器・弾薬かは不明として運んでいるのだと思います。現実には、小火器どころか重武装の米軍兵も運んでいるはず。もともと、米軍が自衛隊に求めているのはそういう任務なのですから」】。▼再掲、「異形の幻視力 小山田二郎展」2005年5月28日(土)〜7月3日(日)、月休、平日10:00〜19:00/土日祝10:00〜18:00、東京ステーションギャラリー(JR東京駅・丸の内中央口下車・赤煉瓦駅舎内)、800円。関連記事:毎日フレンド / artscape。
5月26日 「遺骨調査、寺院や自治体にも拡大 朝鮮人徴用問題」.05.26朝日、【第2次世界大戦中に日本企業に徴用されて死亡した朝鮮半島出身者の遺骨問題をめぐり、日韓両政府の審議官級協議が25日、東京都内で開かれた。日本側は企業108社に対する実態調査で、5月上旬までに100体余りの遺骨が判明した企業側の申告内容を伝達。さらに6月上旬から調査対象に寺院や自治体を加えると表明した。両者は今回を初会合として、次回は7月中にソウルで開くことを確認した。/協議には、日本側から内閣官房のほか外務、厚生労働、総務、文化の各省庁担当者が出席。韓国側は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下で戦争被害の実態調査を進めている「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会」の崔鳳泰(チェ・ボンテ)事務局長が首席代表を務めた。/協議の中で両政府は、遺骨調査に関して(1)人道主義(2)現実主義(3)未来志向の三つの原則に基づいて取り組むことを確認。また、調査対象は、朝鮮半島出身の民間徴用者と旧軍人・軍属で、おおよそ戦時中から帰還までの時期に死亡した人の遺骨と決めた。/調査手法は、これまでの徴用企業に対する実態調査に加えて、遺骨が仮安置されている例が多い各地の寺院や、埋葬や火葬に関する資料を保存している自治体も調べることで合意。日本側は必要があれば、韓国側と協議した上で実地調査を行う方針も表明した。】。関連読書録総集編:「強制連行の朝鮮人遺骨」。
5月25日 「「兄さんを帰して」 朝鮮人強制連行遺族、60年ぶり“再会” 室蘭【写真】」.05.23北海道新聞、【第二次世界大戦中、日本製鉄輪西製鉄所(現・新日鉄室蘭製鉄所)で徴用され、一九四五年七月の米軍の室蘭艦砲射撃で犠牲になったとみられる朝鮮人男性三人の遺骨が室蘭市輪西町の光昭寺に安置されている問題で、このうち二人の肉親が二十三日、同寺を訪れた。遺族たちは「長い間、安置していただきありがとうございます」と感謝しつつも、遺骨を前に泣き崩れた。〔…〕】/「60年ぶり朝鮮人労働者法要 北海道室蘭市で」.05.23徳島新聞。関連:「「朝鮮人徴用犠牲者の遺骨返還方針」 強制連行真相調査団がコメント」.05.10朝鮮新報 /「日本政府の大罪 遺骨は語る〈1〉 遺骨問題とは」朝鮮新報 /「日本政府の大罪 遺骨は語る〈2〉 東京・祐天寺」.05.10朝鮮新報 /「日本政府の大罪 遺骨は語る〈3〉 埼玉・金乗院」.05.17朝鮮新報 /「山口・長生炭鉱フォーラム 謝罪と本名刻んだ碑を」.05.07朝鮮新報 /「総聯代表団 国連人権委での活動 日本の過去清算、差別政策是正 各国参加者に強く訴え」.04.19朝鮮新報 /「朝鮮人強制連行調査団代表 国連人権委で発言 総聯副議長ら国際赤十字に協力要請」.04.12朝鮮新報 /「第3回「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」 遺骨問題など話し合う」.03.10朝鮮新報 /「埼玉調査団代表ら 厚労副大臣、外務省課長らに金乗院の遺骨早期返還を要請」.03.10朝鮮新報 /「埼玉 金乗院で朝鮮人強制連行被害者の追悼会 「ゴミのような扱い、日本政府に怒り」 遺骨131柱を16個の箱に」.02.22朝鮮新報 /「朝鮮人徴用工犠牲者の遺骨 埼玉・金乗院に131柱 19日に追悼会」.02.10朝鮮新報 /「強制連行犠牲者の遺骨問題 真相調査団、協議会(東西)で討議へ」.01.27朝鮮新報。 関連読書録総集編:「強制連行の朝鮮人遺骨」。
5月24日 ▼『情況』2005年6月号(特集・戦後六〇年と日韓 歴史を審判する)が、丸川哲史『冷戦文化論 忘れられた曖昧な戦争の現在性』をめぐって、として、桜井大造・陳映真「東アジア「冷戦」が構成した文化と差異」、早尾貴紀「歴史意識と空間意識の交差点で」、佐藤賢「「内なる冷戦」を問う開かれたテクストとして」。他、安藤礼二・丸川哲史「冷戦以後のこことよそ[上]持続する世界戦争の構図」。▼小路田泰直『日本史の思想 アジア主義と日本主義の相克』1997年10月、柏書房。【アメリカの占領下、ポツダム宣言に基づく民主化の波が日本を襲ったとき、日本の歴史家たちは、それを何とか、ファシズムで断絶させられた自分たちの伝統の復活ととらえようとした。ドイツが、第二次大戦の敗北を、ナチズムの敗北であると同時に、ナチズムの台頭を許したワイマール共和国の敗北でもあるととらえたのとは、対照的であった。〔……〕/しかしこうした問題意識を持ってしまったために、戦後歴史学には、一つの黙契ができあがってしまった。それは、一九二〇年代のデモクラシーと一九三〇年代のファシズムとの間には超えがたい断絶があり、三〇年代のファシズムは二〇年代のデモクラシーの必ずしも必然的な帰結ではなかったと考える黙契であった。〔……〕/では、その黙契は、戦後歴史学に何をもたらしたのだろうか。/一つは、ファシズムと戦争を何よりもまず、「我々」の行為の帰結としてとらえる、主体的歴史認識の欠如をもたらした。それを、世界恐慌の勃発やそれにともなう軍部の台頭といった、「我々」にとってはどこまでも他者である誰かの作為や、状況に帰せて説明する、没主体的な歴史認識をもたらした。〔……〕もし一九三〇年代のファシズムと戦争が、一九二〇年代のデモクラシーの必然的帰結であったとすれば、敗戦の責任は当然「我々」にもあるということになる。逆に、一九二〇年代のデモクラシーと一九三〇年代のファシズムの間に、何らのつながりもなかったとすれば、「我々」には何の戦争責任もないということになる。〔……〕第二に、歴史の発展や変化を内在的にとらえようとする思惟そのものの退化をもたらした。自らの社会の犯した最大の歴史的犯罪を自らの主体的行為の帰結としてとらえることをあえてせず、いとも簡単にそれを国際情勢の変化や天皇制や軍部の作為に帰せて説明してしまったのである。それが歴史の変化を内在的にとらえようとする思惟の退化につながったとしても、それもまた当然であった。】。
5月23日 ▼中条省平(編・監修)『三島由紀夫が死んだ日』2005年4月、実業之日本社。中条は【「こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終はるだらう、と考へてゐた私はずいぶん甘かつた。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。〈中略〉私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら『日本』はなくなつてしまふでのはないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう」(〔…〕昭和四十五年七月七日)/この三十数年前の予言が、恐ろしいほどの正確さで今の日本の姿をいい当てているのを見て慄然としない人がいるでしょうか。三島由紀夫の自決にこれほど遠大な射程距離があったことは、経済バブルの崩壊に帰結した二十世紀が終わった今こそよく実感できることです。〔……〕/アメリカ流の民主主義はけっきょく愚民支配の大衆社会を生みだし、GNPをひたすら追求する経済至上主義ではその空虚さを埋めることはできませんでした。日本のサラリーマンは疲れはて、勤勉と繁栄がけっして生きる目標にはなり得ないことに無意識のうちに気づきつつありました。三島由紀夫の自殺は、こうした日本人の無意識的危機感をもっとも鋭敏に先取りする行為でもあったのです。】と指摘し、【本書は、こうした歴史的・社会的・文化的視点に立って、三島由紀夫の死の意味、一九七〇年という時の意味を再考するためのひとつのきっかけです。/と同時に、戦後文化、いや、近代そのものが終焉したといわれる現在、なにか本当に終わり、なにが始まろうとしているのか。その本質的な問題を考えるためのひとつの契機でもありたいと願っています。】と書いている。他、小島千加子、瀬戸内寂聴、篠田正浩、森山大道、猪瀬直樹、呉智英、鹿島茂。▼沢辺均「自由な社会への道と版元ドットコムとの関係を考えてみた」.05.18版元ドットコム。▼「徹底討論 デザイナーは今どんな場所にいるか」6月18日(土)19:00〜21:00(18:30開場)、青山ブックセンター本店内・カルチャーサロン青山、1000円、要電話予約。
5月22日 続・徴用朝鮮人遺骨調査関連。「民間遺骨:朝鮮人徴用者の調査で、25日に日韓初協議」.05.21毎日、【第二次世界大戦中に日本企業に徴用された後に死亡した朝鮮半島出身者の遺骨返還を進めるため、初の日韓審議官級協議が25日に東京で開かれることが決まった。日本政府は昨秋から朝鮮人徴用者の遺骨の実態調査に乗り出し、100柱以上が全国各地の寺院に安置されていることがすでに判明している。しかし、調査を通じて徴用者の悲惨な労働実態が明らかになり、韓国内で対日補償要求が強まることも予想されるため、政府内では「パンドラの箱を開けてしまうのでは」と警戒する声も出ている。/朝鮮半島出身の民間徴用者については、90〜92年の旧労働省調査で10万8000人分の名簿の存在が判明している。しかし、日本政府は徴用者について「国と直接雇用関係になかった」として遺骨調査を避けてきた。/ただ、05年が第2次日韓協約の締結から100周年を迎えることから、政府は歴史問題に取り組む姿勢を示すため、昨年9月から108社の企業を対象にアンケートを開始した。昨年12月の日韓首脳会談では盧武鉉(ノムヒョン)大統領が民間徴用者の遺骨収集・返還への協力を要請。今年4月の日韓外相会談で町村信孝外相は夏までに調査を完了させる方針を潘基文(バンギムン)外交通商相に伝えた。/5月初旬の段階で調査を依頼した企業のうち約3分の1から回答が得られ、2社の回答で100柱以上の遺骨が寺院などに安置されていることが判明した。政府は今後、全国の寺院や自治体を通じて旧炭鉱など朝鮮半島出身者が働いていた現場についても実態調査を要請する方針だ。/25日の協議会には外務省、厚生労働省、内閣官房などの担当者が出席。韓国側は、政府や民間団体などから構成され、遺骨返還事業を所管する「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会」の幹部らが参加する。現在の北朝鮮出身者の遺骨も多く含まれているとみられるが、多くの遺骨が合葬され身元判明は不可能なケースが大半とみられる。/調査が進めば、朝鮮人徴用者に対する過酷な労働を強いた現実が次々に明らかになる可能性が高いため、政府筋は「植民地支配に伴う補償のやり直しを求める運動が高まる可能性がある」と警戒している。【高山祐】】。【関連読書録(総集編)】「強制連行の朝鮮人遺骨」。
5月21日 鈴木広光「府川充男撰輯『聚珍録』刊行に寄せて」『週刊読書人』第2585号より転載〔字游工房のサイトから〕。
5月20日 「遺骨調査、全国の寺院に要請 徴用朝鮮人、政府が方針」05.05.20朝日、【第2次世界大戦中に日本企業に徴用・雇用されて死亡した朝鮮半島出身者の遺骨の所在を調べるため、政府は遺骨が仮安置されている可能性がある全国の寺院に協力を要請する方針を固めた。戦時中の埋葬や火葬に関する資料を保存している自治体にも協力を求める。日韓両政府は25日に東京で審議官級協議を開くことで合意、日本側はこの場で寺院や自治体に協力を求める方針を伝える。〔……〕/自ら実態調査に乗り出す寺院もある。札幌市の本願寺札幌別院は、99年から院内にある朝鮮半島出身者とみられる「無縁仏」の調査を開始。03年11月にまとめた「遺骨問題調査報告書」によると、42年ごろから終戦直後にかけて当時の徴用企業計11社から「一時保管」の名目で朝鮮人犠牲者の遺骨が預けられ、計101柱分の遺骨の存在が判明した。/見つかった遺骨は97年までに企業側の意向で2度にわたって合葬されており、だれのものか判別が難しい状態だった。別院は調査の過程で札幌医科大にDNA鑑定を依頼したが、101人のうち成人数体分しか確認できなかった。/別院の山内教嶺・輪番は朝日新聞の取材に対し、「11社のうち1社の経営者が当時、うちの門徒総代だった因縁から、『とりあえず遺骨を別院に預けよう』となったようだ。ただ、戦後60年近くも身元捜しをしなかった人道的な責任は否定できない。今後はできる限り遺族を捜したい」と話している。】。「日本政府、強制徴用も縮小・歪曲か」.05.16中央日報、【日本政府が進めている朝鮮人徴用者遺骨調査が、極めて一部の企業を対象に行われており、正確な実態解明にはほど遠い縮小調査だという疑惑が提起された。朝鮮人強制連行真相調査団は16日、記者会見を行い、「朝鮮人徴用者が働いていた企業は、日本政府の資料から確認されたものだけでも400カ所以上にのぼるが、日本政府の調査は100社余にすぎない」と明らかにした。また「日本政府が形式的な調査を行って一部の遺骨だけを返還し、強制徴用問題を早期に片付けてしまおうという意図があるのはでないか疑わしい」と指摘した。調査団は、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の同胞と日本人学者・弁護士などが1972年に組織し、およそ30年間にわたり調査活動を行ってきた。/◇広範囲にわたる強制連行=植民地時代の朝鮮人徴用者の数は少なくとも60万人、多ければ100万人以上と推定されている。日本厚生労働省の集計では、1939〜45年に66万7684人の朝鮮人が日本企業に徴用されたという。うち、およそ1割にあたる6万7609人の名簿が、91年、日本政府の実態調査で確認された。韓国政府もこの名簿を譲り受けた。真相調査団がこの名簿を分析した結果、朝鮮人徴用者は三菱鉱業、麻生鉱業など計406社の502事業場に投入されたという事実を確認した。徴用者1000人以上を雇用した企業だけでも、三井炭鉱(1万989人)など30社にのぼることが分かった。調査団のホン・サンジン事務局長は「算術的には4000社、作業場が重複するケースを勘案しても1000社以上で働いたと推算される」と語った。/◇放置された遺骨=真相調査団は60万〜100万人の徴用者のうち、数万人は日本で死亡し、うち数千人の遺体は縁故者が確認されず、日本各地に放置されていると見ている。日本政府は、強制連行者のうち軍人・軍属として働いて死亡し、遺族が確認できない1136人の遺体を東京の裕天寺に保管中だ。しかし民間企業で働いて死亡した人については「政府が関与する事項ではない」として放置してきた。このため遺骨に関する正確な資料はどこにもない。こうした中、昨年の韓日首脳会談で、日本が縁故者が分からない徴用者遺体の実態を調査し、韓国に返還することに合意した.これを受け、外務省は今年初めから企業100社余を対象に調査に着手した。2社が遺体を付近の寺院に保管している事実が確認され、韓国への返還問題を協議中だ。】/「日本政府の「徴用朝鮮人遺骨調査」構想…実施は一部に限定か」.05.16東亜日報。【関連読書録(総集編)】「強制連行の朝鮮人遺骨」。
5月19日 『日刊スポーツ』05.05.15付に、インタビュー日曜日のヒーロー第464回「反骨のロック人生貫く 忌野清志郎」。【――反骨のロック人生にも重大な危機があったとか/「17年前、カミさんが妊娠した時、本当に焦った焦った。子持ちのロックンロールがイメージできなかった。オヤジになった忌野清志郎が想像できなくて、絶対これはやばいなと。生まれたら、もうロックなんかできないと本気で思ってました。どんどんおなかがふくれてくるし、もうどうしたらいいんだと必死に考えました」。/――結論は/「生まれたことをひた隠しにする(笑い)。それで生まれるまでに思い切りたくさん曲を作る。それを年に1、2枚小出しにして、食いつなぐ(笑い)。本気で思ってました。1カ月間ほとんど寝ないでスタジオにこもり、40曲ぐらい作りましたもん」。/――誕生後は/「こんなにかわいいものが世の中にあったのかって(笑い)。隠すどころか、かわいいんだと自慢したくてしょうがなかった。仕事場にも連れていきました。子連れ狼(おおかみ)みたいにベビーカーをガラガラ押して、子供にはいろいろ教えられました。好きなことはやるけど、嫌なことは泣いてやらない。バンドが解散したり、レコード会社ともめたり、社会や人間の嫌なものをだいぶ見てきたけれど、こいつは何て自由なんだと。価値観が変わりました。音楽への影響? ロックの危機ってことはなかったなあ。一体あの焦りは何だったんでしょうね」。】。
5月18日 承前、(インタビュー)藤木久志「村の暴力のフォークロア 暴力のセルフコントロール−刀狩り・鉄砲・ナワバリ」〔『季刊東北学』第三号掲載〕。【塚本学さんが『生類をめぐる政治』で江戸時代に武士の持つ鉄砲より、民衆の持つ鉄砲の数の方が何倍も多かったと具体的な数字を挙げて実証しています。これが刀狩りの通念に対する最初のアッパーカットだったと思います。塚本さんは、それを紛争解決に武器を使わないという民衆のプログラムと並存していたと、見事に説明されました。つまり、鉄砲は武器であることを封印され、農具として蘇り促進されたと捉えたわけです。】【刀狩り令は武装解除令ではなく、むしろ帯刀か脇指かで武士と民衆との身分を分けた制度だった。社会を育む百姓はせいぜい農具として武器を持つだけで、武器を携帯した武士が平和を守る。「作る人」と「守る人」という身分制のコードをはっきりさせるために行なわれたのが刀狩りだと思います。】とする藤木は【なぜ日本人が憲法九条を受け入れたのか。中世の内戦のような暴力の応酬になぞらえられる、原爆や大量の戦病死など痛切な歴史的体験があったからであり、また現在がそのような時代と感じているからでしょう。ただその時、今までの歴史観のように、民衆が武装解除されて無力であることで平和が維持されると説明してしまうと、それは平和の押しつけでしかありませんし、ありもしない民衆の現実から安直に「導き出された空想にすぎないように思います。/ノエル・ペリンというアメリカの学者が『鉄砲を捨てた日本人』(中公文庫)という面白い本を書いています。それは、僕の解釈では日本人は十六世紀の終わりに鉄砲を知り、それを高度に発展させ、江戸時代に入り鉄砲の数は増えたが、彼らはそれを野獣に向けた農具として使うだけで、武器としては封印した。これは核時代の人類というアポリアを乗り越える歴史の優れた先例になるのではないかというものです。/世界史的な視野から見た時の、日本の江戸の歴史の特異性は、十七世紀から十九世紀半ばまで、国内の紛争に集団的な暴力を使わなかったことです。同じ頃の西洋では三十年戦争が起こったり、内乱や革命が起こったり、紛争が絶える時期がなかった。】と述べている。
5月17日 『季刊東北学』第三号(2005年5月、柏書房)が“暴力のフォークロア”を特集。(インタビュー)藤木久志「村の暴力のフォークロア 暴力のセルフコントロール−刀狩り・鉄砲・ナワバリ」(インタビューアー・六車由実)。【豊臣政権の刀狩りは、そおような管理されていない拡散した暴力を集約するためのものだったのです。〔…〕暴力に自ら封印をした社会が出現した。】とする藤木は【秀吉の刀狩りにより、投じの民衆は丸裸にされ実際に武装解除されてしまったばかりか、心の中まで非武装になってしまったとほとんどの知識人は考えてきました。例えば、黒澤明の『七人の侍』〔…〕堀田善衛に『海鳴りの底から』〔…〕この二つの大作は、太平洋戦争になぜ抵抗できなかったのかを重く受けとめた戦後の知識人が、その原因を秀吉の武装解除のせいだと考えた。それは私たちの歴史への共通の認識だったと思います。/昭和の初期に階級闘争論を展開した羽仁五郎も、秀吉の刀狩りで武装解除されてしまったために、江戸時代の百姓が一揆を起こすには、〓〔竹/方其〕のような特別な準備が必要だったと書き記しています。〔…〕階級闘争を描くのなら、まず刀狩りは、民衆の武装解除だったという通念を根本から疑うことから始めるべきでしたし、克服しなければならないのは、心の中まで丸裸にされたという惨めな民衆像だったはずです。だから百姓一揆も竹槍とムシロ旗で戦うような民衆像しか描けなかったのです。/それほど、歴史的事実として有名であり、日本人のメンタリティーにも並々ならぬ力を及ぼした刀狩りについての本が、日本の歴史学には一冊もありません。戦時中に桑田忠親という人が書いた論文が一本あるだけです。戦後には実証的研究は一本もありません。/にもかかわらず、知識人に代表される日本人の通念として秀吉の刀狩り武装解除論はまかり通っていた。研究者もそれを自明の事実として、まったくその実証を探ろうとしなかった。刀狩りは国民の原理のように日本人にしみ込み、戦争に対する私たちの政治や権力への無力感の源泉を形作ってきたと思います。歴史学の実証的な根拠がない分、奔放にその意味だけが肥大化して、みじめな民衆や東洋的専制国家のイメージを自由に作ってきてしまったともいえるでしょう。】と述べている。つづく。
5月16日 専修大学の授業(総合科目)に出講、前田年昭「アジア主義の過去と現在」5月14日(土)9:00〜12:10、専修大学神田校舎、1.アジア主義とは何か(問題意識、一般的定義、歴史的経緯)/2.孫文とボースの問いかけ(孫文の批判、ボースの苦悩)/3.アジア主義の現在的可能性(竹内好と橋川文三の遺産、松本健一と経済主義、トヨタ広告事件と日中関係、覇道の鷹犬となるかという問い)。→出された質問にこたえる〔土屋研究室ブログ〕。
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