10月15日 新刊! 辺見庸『銀糸の記憶 辺見庸掌編小説集 白版』『闇に学ぶ 辺見庸掌編小説集 黒版』2004年9月、角川書店。関連記事が『東京新聞』10月10日付(この人の本)「死にぞこないは書き続ける」、【講演中に脳出血で倒れ半年あまり。奇跡的に回復し、ひとりリハビリに励んでいる。/「世界というものを制覇しつつある側が〈健常〉を僭称し、言いつのり、我々の多くもその幻想のなかで生きているが、健常じゃないことの公正さってあるんだね。誰しもが次の瞬間倒れるかもしれないんだから。健常幻想のもつ暴力は恐ろしいとつくづく思った。〈健常〉はほとんど暴力と同義なことがある」〔……〕/「残された人生はかなり短いと思う。人を殺すこと。個人が人を殺す、あるいは世界が人を殺す。そんなテーマにますます興味がある。書いては消すというのを繰り返してきて、悔しくてしょうがない。未完になるかもしれない。しかし、僕は死にぞこないだから、書きつづけるしかない」/角川書店・各二六二五円。(中村信也)】。
10月14日 ▼「米軍の組織的欠陥、在沖米総領事が認める」.10.14琉球新報。関連:「米軍ヘリコプター墜落事件に関する情報」沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事件対策本部 /「琉球新報:米軍ヘリ沖国大墜落 ニュース特集」/「沖縄タイムス:特集 米軍ヘリ、沖国大に墜落」。▼『彷書月刊』2004年9月号が“特集・印刷記”。インタビュー・双林プリントと詩人たち――正津勉さんに聞く/シルクスクリーンの最新事情(岡部徳三)/詩、印刷、本をめぐる部屋(未生響)/『單語篇』に見られる活字と印刷(板倉雅宣)/組版印刷の迷宮へようこそ(田中栞)/イラン最古の活版印刷本(内澤旬子)/東京印書館(矢来神三)/インタビュー・神田猿楽町四半世紀――林博雅さんに聞く/或る印刷屋の残影(木村栄治)。▼再掲、「佐藤哲三展」9月25日(土)〜11月7日(日)、月休、10:00〜19:00(平日)10:00〜18:00(土日祝)、東京ステーションギャラリー(JR東京駅丸の内中央口下車すぐ赤レンガ駅舎内)、800円。
10月13日 ▼いがらしみきお『Sink』のサイト(オンラインで読む)に待望の「第二十話」04.10.12公開(無料、shockwaveプラグインが必要)。▼「佐藤哲三展」9月25日(土)〜11月7日(日)、月休、10:00〜19:00(平日)10:00〜18:00(土日祝)、東京ステーションギャラリー(JR東京駅丸の内中央口下車すぐ赤レンガ駅舎内)、800円。▼「村上豊の世界」展10月23日(土)〜12月19日(日)、月火休、10:00〜17:00、講談社野間記念館、500円。
10月12日 『西洋美術研究』no.11(2004年9月、三元社)が“オリジナリティと複製”を特集、加藤哲弘「複製の復権 オリジナリティ神話を超えて」は【〔…〕最近になって「美学」が歴史的に相対化されるようになって、あるいは複製技術の進化によって「オリジナルなきコピーの時代」が到来したこともあって、やっと気が付かれるようになったことだが、どうやらこのような「天才美学の専制」は近代に特有の現象であって、少なくとも前近代の世界においては、必ずしも複製はその価値をいつも低く見られたり、非合法化されていたわけではなかったようなのだ。〔……〕/考えてみれば、美術は、もともと自然をコピーすることから始まった。いかに巧みに、さらにはいかに「独創的」にコピーするかを競ってきたのが美術である。〔…〕/その意味では、本号がテーマとして掲げた「複製の復権」は、あまりにも当然なことかもしれない。しかし近代美学の普遍主義が、このあまりにも当然の事実への理解を妨げてきた。したがって、このごく限られた地域と時代に成立したオリジナリティの美学を不当に一般化しているかぎりは見えてこない複製の意義を取り戻すことが必要なのである。/それでは、複製の意義とは何か?〔……〕ギリシャの大理石像がブロンズに、あるいはロココの人物像が磁器人形に、さらに美術の枠を越えていえば、小説が映画化され、バッハのオルガン曲がオーケストラで演奏されたり、過去のヒット曲が「コピー」されたりと、メディアや技法の差異を横断する複製制作は珍しくない。〔…〕近代美学が追い求めた「無からの出発」ではなく、先行作品に対する尊敬と挑戦の意識に同時に支えられた豊かな伝統受容の一例というべきであろう。/以上に述べてきたように、本号の特集の目的は、オリジナル神話を越えて「複製の復権」ないしは「複製の見直し」を図ることにある。高度な、そして大量の技術的複製が可能になった現代世界では、オリジナルであることの無意味化がすでにかなりの程度まで進行した。本号の視点は、そのような状況のなかで語られる「コピーの時代」というレッテルの持つペシミズムを克服しようとするものでもある。】と特集まえがきとして書いている。
10月11日 「哲学者ジャック・デリダ氏、死去」.10.10 CNN/REUTERS、【パリ――フランス公共ラジオは9日、フランスの哲学者ジャック・デリダ氏が8日に膵臓(すいぞう)ガンのためパリ市内の病院で死去したと伝えた。74歳だった。/デリダ氏はポスト構造主義の代表的哲学者として、第2次世界大戦後の思想界に大きな影響を与えた。中でも「脱構築」と呼ばれる分析法では、文学などの表面的な「テキスト」をいったん言語学的に解体し、作者自身も気づいていない多重な意味を読みとる解読法を提唱した。/デリダ氏死去の知らせを受け、シラク大統領は「彼を通じてフランスは、現代における最も偉大な哲学者のひとりを世界に送り出すことができた。われわれのこの時代において、彼は最も偉大な知識人のひとりだった。その業績においてデリダ氏は、全ての思想活動の根底に通じる自由な活動を命脈を発見しようとしていた」と追悼を発表した。/デリダ氏は1930年7月、アルジェリア生まれ。高等師範学校の哲学科出身で、1960〜64年にかけてソルボンヌ大学で哲学を教えた。70年代以降は米国での活動を増やし、ジョンズホンプキンス大やエール大学などで教鞭をとった。/著作は「グラマトロジーについて」「エクリチュールと差異」「たった一つの、私のものではない言葉―他者の単一言語使用」など多数。】。「仏哲学者のジャック・デリダさん死去」.10.10朝日 /「訃報:ジャック・デリダさん74歳=フランスの哲学者」.10.10毎日。
10月10日 柄谷行人・浅田彰・大澤真幸・岡崎乾二郎「(シンポジウム)絶えざる移動としての批評」〔『文學界』2004年11月号〕。大澤は他の3人との討議のなかで【デュシャンの「泉」なんていうのは、構築主義の究極の姿だと思いますけどね。ジェイムソンが書いているけど、現代においては、あらゆるものが社会的に構成された虚構であって何事にも根拠づけられていないとする構築主義と、絶対的な根拠を信奉し希求する本質主義とが共存している。一方で文化左翼みたいな人たちが徹底的な反本質主義者になって「真理なんか存在しない」と言っていて、もう一方で原理主義者たちが、特殊な真理を絶対化しているように見える。同時代のこの二つの傾向の対立的共存が、いま一つ理論化されていないという気がします。〔……〕/昔は「なんちゃって」と言っているだけでラディカルだったのが、今はもうみんなが「なんちゃって」と言ってるわけで、もはやラディカルでもなんでもない。/先日のオリンピックを見ても、ドーピングだらけです。つまり、人間の肉体が「構築」されているわけで、構築主義的な現実の極みです。長い間、オリンピックでは絶対的な、直接の肉体の能力が競われているとずっとみんな信じていたと思うんですが、いまや肉体だっていくらでも構築できちゃう。だからオリンピックも美術よりちょっと遅れて「なんちゃって」の世界になったと考えるべきでしょう。/恐ろしいのは、究極のシラケと熱狂的な没入とが表裏一体であることです。つまり、別にバカなやつが原理主義者になって賢いやつが構築主義者になるわけじゃなくて、一人でその両方を持っているみたいなね。先に僕がジェイムソンに託して述べた二つの対立的な傾向の間には、通底性があるわけです。「2ちゃんねる」は、ある面ではシラケた連中の集まりだけど、一方で妙に熱が入っているでしょう。つまり、「なんちゃって」と言っていればすべてを相対化できるわけではない。】と発言している。
10月9日 国立国会図書館・東京本館は10月1日から、開館日・開館時間を拡大。土曜が休館から開館へ。開館時間 9:30-19:00(土曜日は17:00)、資料請求の受付 9:30-18:00(土曜日は16:00)、即日複写の受付 10:00-18:00(土曜日は16:00)、後日複写の受付 10:00-18:30(土曜日は16:30)、オンライン複写の受付 10:00-17:30(土曜日は15:30)、総合案内 9:30〜19:00(土曜日は17:00)。
10月8日 『東京新聞』04.10.07付(特報)に、「危うい武器輸出部分解禁/戦中派が苦言 経済同友会・品川終身幹事に聞く」。関連:「公明、MDに限定し武器輸出3原則の例外認める見解」.10.06朝日 /「社説:安保防衛懇報告書 平和憲法に抵触しないか」.10.06徳島 /「野党、武器輸出3原則の緩和を批判」.10.05朝日 /「防衛懇が報告書/日米同盟強化は極東限定で」.10.05河北新報 /「日米同盟、世界規模に 安保懇報告」.10.05中日 /「安保懇報告書 侵される『戦後の聖域』 着々と日米一体化」.10.05東京 /「同盟強化へ安保再定義 武器輸出の一部を解禁 安保懇が報告書」.10.05東京 /「対テロ脅威へ多機能防衛を 新大綱懇談会報告書」.10.04京都 /「武器輸出の部分解禁検討 三原則で政府」.09.12東京。
10月6日 新刊! 安田敏朗『日本語学は科学か 佐久間鼎とその時代』2004年9月、三元社、ISBN4-88303-149-7。丹波明『「序破急」という美学 現代によみがえる日本音楽の思考型』2004年8月、音楽之友社、ISBN4-276-13308-4。
10月4日 企画展「明治維新と平田国学」10月13日(水)〜12月5日(日)、9:30〜17:00、国立歴史民俗博物館企画展示室、月休、420円。【本居宣長に師事し、幕末に広汎なネットワークを駆使して情報収集を行った国学者平田篤胤。国立歴史民俗博物館では、先ごろ、平田篤胤(あつたね)、銕胤(かねたね)、延胤(のぶたね)三代の気吹舎(いぶきのや)史料を入手し、研究を進めた結果、我が国の歴史研究上重要な新事実があまた浮上しました。秘密であったはずのロシアからの外交文書など、これまでほとんど未公開であった貴重な資料をもとに、幕末維新期における篤胤や全国四千といわれる門弟達の政治活動等及び、銕胤・延胤の明治新政府内で果たした役割等を中心に展示紹介します。】。
10月3日 企画展「21世紀の本居宣長 学問・交流・情報」9月18日(土)〜11月7日(日)、9:30〜17:00、川崎市民ミュージアム2F企画展示室、月休、700円。【江戸時代後期、出版というメディアの普及により、それまでの人を介してのネットワークは、出版による不特定多数とのネットワークへと変化していきました。そのような時代に「国(古)学者」として活躍した人物に、本居宣長〈享保15年(1730)〜享和元年(1801)〉がいます。宣長は、出版という新しいメディアの持つ力を知り、活用しました。その姿は、21世紀におけるメディアのあり方や、知のネットワークの原型として捉えることができます。/宣長は、その当時支配的であった、儒教や仏教を基礎とした考えを批判しました。主な業績に、人間の素直な心情を表していることを評価しないと、古代文学は理解できないとする文学論(「もののあわれ論」)。日本語の文法のなかの「係りむすび」の法則などを整理した語学研究。『古事記』などに伝えられる皇祖神を中心とした神々が支配する国が日本である、とする宣長独自の考えなどがあります。宣長のこのような業績は20世紀になり潤色され、また歪曲され、そして利用され、本来の姿ではなく一面的な「本居宣長像」が広く社会に流布され、そしてそのまま放置されてきました。本展では、21世紀の現代人の視点から見た新たな本居宣長像を探りたいと思います。/では本居宣長とは、どんな人物であったのでしょう。少年時代の宣長は、家の中で仮想の町づくりをして、そこに長い歴史をもつという架空の貴族を住まわせるなど、仮想の(バーチャル)世界で遊びました。青年期には、膨大な量の資料収集(データベースの作成)をはじめます。その内容(コンテンツ)は、日本の起源に関わる諸文献をはじめ、日本語の文法の整備、古典の再読など多岐にわたる内容でした。そして宣長はこれを広く書簡などで仲間とやり取りし、(メール上で)活発な議論を展開させました。そして青年期以降は、それまでに蓄積した情報を文章として執筆し、自らプロデュースして出版し、広く自分の考えを流布させようとしました。このようにして宣長は出版や書簡というメディアを介して、自らの知のネットワークを築いていったのです。〔…〕】。
10月2日 「市川雷蔵映画祭 艶麗」11月27日(土)〜12月24日(金)、シネスイッチ銀座、日本映画史上初となる「新・平家物語」のカラー・デジタル・リマスター版上映を含む、全41作品を連続上映! 【市川雷蔵―― わずか15年の映画俳優人生で、実に158本の出演作を残し、37歳の若さで夭逝した不世出の映画スター。没後35年経った今でも、多くの人々を魅了して止まない希代の存在である。1990年代には再評価の流れが活発化し、毎年のように規模を大きくして映画祭が開催された(詳細は後記)。10冊に及ぶ写真集・書籍が出版され、写真展などの催しも行われた。生前の活躍を知らない20代30代の若いファンを獲得し、「雷蔵ブーム」という言葉が頻繁にメディアにも登場した。1999年の恵比寿ガーデンシネマを皮切りに全国25都市以上で全国公開された「RAIZO1999」では、大きな話題をさらった。/デビュー50周年を迎える本年、待望の市川雷蔵映画祭が公開決定! 5年ぶりとなる今回は、『市川雷蔵祭 艶麗』と銘打ち、「和」「艶やかさ」といった本来の魅力に焦点をあてる。梨園の出身であった雷蔵が挑んだ「弁天小僧」「切られ与三郎」などの艶やかな“歌舞伎もの”を多数ニュー・プリントで上映するほか、「眠狂四郎」シリーズ、「大菩薩峠」「薄桜記」など、人気作・定番作をラインナップ。また、巨匠・溝口健二監督と組み、役者・市川雷蔵の出世作となった「新・平家物語」が日本初となるデジタル・リマスター版での上映も決定! 21世紀初となるこの映画祭を皮切りに、今再び、“雷様<らいさま>”ブームが巻き起こる!】。
10月1日 新創刊! 季刊『前夜』第I期第1号(2004年10月、発売・影書房)。中野敏男「「日本の戦後思想」を読み直す 第1回/どこから出発したのか? 小熊英二著『〈民主〉と〈愛国〉』を批判する」。【〔…〕小熊の語りは、新たに戦後日本の復活神話を美しく語ることで、その戦後日本が問題として抱えてきているとびきり大切なことを、とりわけナショナリズム、民族、国民といった主題に関連して考えなければならない中心を、むしろ隠ぺいし置き去りにしてしまうと気づかされた】と指摘する中野は、竹内好の発言をはじめ敗戦直後の言説を引いて【〔…〕要するに小熊は、「第一の戦後」についてあれほど多くを語りながら、とても意外なことに、民族をめぐってこの時期に生じた思想状況の変化、当事者たちが行った思想的転換の模索には概して無関心なのである。というよりもむしろ、「第一の戦後」として五五年までを一括して語るその括り方そのものが、四五年から五〇年前後に至るこの間の状況の変化を覆い隠している。そう思って子細に見ると、「敗戦直後」の愛国言説として小熊が持ち出す例は、実は敗戦直後からではなく、そのほとんどが四九年とか五二年頃から採られている〔…〕。つまり、民族や愛国が盛んに語られた時期が数年前にずらされて重ねられることで、四五年から五〇年前後の間にはいかなる変化もなかったことになってしまったのである。これは、「戦後日本のナショナリズム」を副題に掲げるあれほどの大著にしては奇妙にずさんな仕掛けだし、不可思議な鈍感さだと言わなければならない。/と考えてみると、四五年から五〇年前後までの間には、民族の問題を意識しながら「戦後」を考えるものにとって忘れることのできない重大事件があった。もちろん、四九年に中華人民共和国を成立させるに至った中国革命であり、五〇年に本格戦闘が広がった朝鮮戦争である。すると、小熊の戦後思想史の語りには、同時代のこれらのことがその時に及ぼしている思想的影響への注意深い考察や反省が欠如しているということになる。しかもその欠如は、中国や朝鮮にかかわる話題をあとからいくつか付け加えていけば済んでしまうような単純な脱落なのではなく、「第一の戦後」を一時代として語る物語の仕組みそのものによって、構造的に排除されるがゆえの欠如なのである。】と書いている。同感! →NPO前夜 /前夜宣言 /10・9創刊記念集会。
|