7月15日 倉橋正直『日本の阿片王 二反長音蔵とその時代』2002年8月、共栄書房。【日中戦争期、占領下の中国で日本が展開した阿片政策は、それ以前に満州国で施行した方策と原理的には同じものであった。すなわち、満州国では阿片専売制をしいたが、それに必要とする原料阿片は、外部から持ち込むのではなく、満州国内で自給しようとした。〔……〕満州国では、満州国の版図の絶対的な大きさを利用する。すなわち、国内の一部の地域(具体的には熱河省および東満地区)に限って、日本側の厳しい管理下でケシを栽培させ、必要な量の阿片を確保する一方、その他の地域ではケシ栽培を厳禁した。/ケシを栽培させる地域として、わざと辺鄙で交通運輸の便が悪い所を選んだ。何本かの鉄道と主要道路を押さえておけば、まず密輸を防止でき、密輸の取締に当たる軍と警察の負担を軽減できたからである。〔……〕/満州国内の阿片中毒者は、他から阿片を入手できないため、日本側が提供する阿片を法外な値段で買わざるをえなかった。このように、日本側は、支配下の満州国の同じ住民を上手に使った。すなわち、労働力(熱河省のケシ耕作農民)、および消費者(満州国全体の阿片中毒者)とに分離して、その阿片専売制のシステムの中に組み込んだ。/このシステムの成立によって、日本側は、日本本土から資源を何一つ持って来ることなく、経常的、かつ、安定的に利益を得ることができた。阿片専売制からあがる利益は莫大なものであって、それは満州国の植民地財政の基幹部分を形成した。〔……〕/日中戦争期、占領下の中国本土で、これと基本的に同じ方式で、日本は阿片政策を展開する。まず、中国本土の軍事占領地域全体では、ケシ栽培を厳重に禁止する。その一方、軍事占領地の中で、辺鄙で交通運輸手段が不便な地方を選び、そこでだけ強制的にケシを植えさせた。それが満蒙地区であった。〔……〕/前述した江口圭一氏の研究によれば、日本は、満蒙地区で銃剣でおどして、有無をいわせず、農民にケシ栽培を強制した。とにかく日本によって、ものすごい量のケシが栽培された結果、満蒙地区は東アジア的な規模で展開する日本の阿片政策の中で、原料阿片の中枢的な供給地に位置づけられる。満蒙地区で生産された原料阿片の量は莫大であって、それは、中国本土の占領地域だけにとどまらず、一部は東南アジア方面にまで配布された。〔……〕/要するに、熱河省が満州国に対して果たしたのと同じ役割を、日中戦争期、占領下の中国本土に対して満蒙地区が果たしたのである。すなわち、満州事変以降、熱河省(当初は東満地区を含む)は、満州国の原料阿片の供給地と位置づけられた。同様に、日中戦争期、満蒙地区は中国大陸・東南アジアにおける日本軍占領地域に対する原料阿片の供給地とされた。結局、二つの地域とも、日本の支配に陥る中で、日本の阿片政策に組み込まれ、次々と原料阿片の供給地にされてしまったのである。〔……〕/もし、この阿片政策がなかったならば、また、阿片政策による恒常的な収益がなかったならば、日本が、一〇〇万もの大軍を八年もの間、中国大陸に派遣し続けることは到底、不可能だったろう。その意味からいえば、阿片政策こそ、財政面で日中戦争を支えていた基本であった。〔……〕/日中戦争の本質は、まさに「片手に剣、片手に阿片」による侵略戦争であった。】。
7月14日 ▼「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」8月19日(木)〜24日(火)10:00〜20:00、江戸川乱歩と大衆の20世紀展/東武百貨店池袋店、旧乱歩邸・土蔵〜幻影城〜公開立教大学旧江戸川乱歩邸、当日券一般1,000円学生800円。【江戸川乱歩。この名前を知らない人は数少ないことでしょう。日本の探偵小説の草分けとして活躍し子供から大人まで幅広い読者層の支持を受け、また日本推理作家協会の設立に尽力し、その初代理事長となった作家です。/乱歩はその創作活動の初期には住まいを転々としていましたが、昭和9年池袋に邸宅を構え敷地内の土蔵を執筆の場とすると、以降亡くなるまでの30数年この地を離れることはありませんでした。/乱歩の生涯が詰まったこの邸宅と土蔵(いわゆる幻影城)は、豊島区の文化財に指定されるとともに、敷地を隣接する立教大学に譲渡されていましたが、立教学院の創立130周年を記念して初めて一般公開されることとなり、併せて収蔵されていた蔵書や草稿類の公開とその生きた時代を検証する展覧会を、ご賛同いただく行政・団体・企業のご協力のもと開催する運びとなりました。/また展覧会の他にも、有名パネラーを迎えたフォーラム、懐かしい原作映画の公開や、新作落語会など数多くのプログラムも行われます。今年の夏は池袋で「乱歩」をご堪能ください。】。→オフィシャルサイト / 関連プログラム一覧(国際シンポジウム、映画祭ほか) / 旧江戸川乱歩邸公開記念サイト。▼「日本漫画映画の全貌展−その誕生から「千と千尋の神隠し」、そして…。」2004年7月15日(木)〜8月31日(火)10:00〜18:00、休館日毎週月曜日、東京都現代美術館、1000円。
7月13日 ▼「「イラクから帰国された5人をサポートする会」主催シンポジウム いま問い直す「自己責任論」」7月24日(土)15:00〜18:00、東京大学本郷キャンパス経済学研究科棟一番教室、500円、主催:イラクから帰国された5人をサポートする会。▼読書録.07.03付既報の中村哲とペシャワール会の20年を取り上げたNHK教育テレビETV特集(毎週土曜日22時〜23時30分)での放送日が変更に。7月17日(土)「戦乱と干ばつの大地から 医師中村哲アフガニスタンの20年」、【アルカイダ掃討を名目に空爆されたアフガニスタン。あれから3年。政権交代後、国連機関と国際NGOの援助による復興が始まり、2004年9月には、和平プロセスの締めくくりとして総選挙が予定されている。しかし、人口の9割が暮らす農村の復興の道筋はいまだ見えず、援助の手もほとんど及んでいない。そんな中、医療NGOを率いてアフガニスタンで援助活動を続ける日本人がいる。中村哲58歳。医師としてアフガニスタンで20年に及ぶ援助活動を続けてきた。その活動は、ソ連軍撤退後の内戦時代、タリバン時代、そして米軍による空爆時でさえ続けられてきた。/中村医師が接してきたのは、つねに戦乱の苦難と飢餓の中を生き抜いてきた市井の人々だ。彼らは、国際社会が押しつけている「復興」とそのあり方を、我々に重く問いかける。異文化の中で見つめてきたアフガニスタンでの生と死。その生と死に向き合ってきた中村医師の思索と言葉は深く重い。番組では、再生へと一歩踏み出したアフガニスタンの村々の現状報告、さらにそのために奔走する中村医師の姿に真の国際貢献のありかたを見る。】。
7月12日 ▼「糸数氏が初当選 翁長氏に9万5000票差」/「「自公への怒り結集」 6年ぶり野党共闘」.07.12琉球新報。「糸数氏が初当選/’04参院選・沖縄 自公体制に痛手」(共闘成功、野党の転機に/波平恒男琉大教授に聞く)(県内政党コメント)([解説]野党新共闘が結実/反自公派造反、自民、深まる亀裂)/「平和の心、届いた/糸数さん圧勝に笑顔満開 「県民の良識」反基地に決意」.07.12沖縄タイムス。▼小松美彦『自己決定権は幻想である』新書y、2004年7月、洋泉社。【自己決定が権利化すると、権力の道具になる】という小松は【私はなぜ自己決定権を認めないのか】として四つの理由を挙げている。【第一の理由は、人が生きていくすべての場面において、個人が何かを決めるということが、個人の問題にとどまることなど、決してないということです。/たとえば、日本ではまだ制度化されていませんが、〔…〕オランダやベルギーでは安楽死が法的に認められています。〔…〕日本でも自己決定権を根拠に安楽死を認めようという議論が、すでに何度か浮上しています。/安楽死はたしかに本人が決定するのでしょう。しかし、誰かが安楽死したときには、当然ながら、周囲の人たちにもその影響が及ぶはずです。〔…〕いずれにしても、安楽死が本人だけの問題だとは誰も言えないだろうし、本人だけの問題ではない以上、本人だけで決めるのはおかしいと思うのです。】【次に、安楽死と自己決定権との関係を歴史的に見てみると、自己決定権がベースになって歴史上最大の災厄が起きているということを見逃せません。最大の災厄というのは、ナチス・ドイツによって、最終的に国家規模の安楽死の実施にまでいってしまった優生政策という悪夢のことです。〔……〕/一つは、すべてがヒトラーの強制、強権的な統帥権のもとに発動されたわけではなく、ほとんどの場合、ドイツ帝国議会で一つひとつの法案を審議し、法律を作って執行していったということです。最終段階の安楽死法だけは、審議中に大戦に突入したので統帥権をもって行いましたが、基本的に、民主的な手続きを経て実行にまで至ったと考えていいのです。/もう一つは、私が知っている限り、結婚統制法を除いたすべての法律に、自己決定権に相当する理念が謳われていたことです。】【三番目の根拠は、一番目の批判の練り直しになりますが、いったん自己決定権を盾にしてしまうと、さまざまなことに関して、自分のこと自分で決めればいいのだから、他人には口を出してほしくないという壁ができてしまい、結果として自己決定権が他者同士のコミュニケーションを遮断・排除する道具として機能する危惧があるのではないかということです。自己決定権には、そういった自閉的な傾向を促進する力があると思うのです。】【批判の四番目は、死は果たして自己決定できるのかという問題です。〔……〕死は関係のなかで成立し、関係のなかでしか成立しないものなのだから、人は死を所有も処分もできないということです。/それを、まるで死が個人の所有物であるかのように捉え、無理に個人の枠の中に閉じ込めようとするのが、死の自己決定権という考え方だと言っていいと思います。所有物ではないものに個人が決定を下すなんて土台無理な話です。ましてやそこに権利概念をあてがうのは、私には、死の本質を根本的に見誤っているとしか思えません。】。
7月11日 「サザンオールスターズ真夏の夜の生ライブ〜海の日スペシャル〜」7/18(日)深夜0:15〜1:50放送予定 フジテレビ系列28局ネットにて生放送!!/以下5局は放送時間が異なりますのでご注意ください/※ 関西テレビ 深夜1:15〜2:50放送予定/※ テレビ西日本 深夜1:09〜2:44放送予定/※ テレビ宮崎 深夜0:45〜2:20放送予定/※ テレビ大分 深夜0:55〜2:30放送予定/※ 鹿児島テレビ 深夜1:09〜2:44放送予定。
7月10日 ▼「中国人元労働者ら逆転勝訴 西松に2750万賠償命令」.07.09北海道新聞 /「中国人の被害実態に配慮 強制労働訴訟で広島高裁」07.09河北新報。関連:「安野発電所への中国人強制連行」〔中国人強制連行・西松建設裁判のサイト〕。▼「荒井虹子展 尹東柱(ユン・ドンジュ)全詩集より」7月22日(木)〜28日(水)、11:00〜19:00(最終日17:00)、GALLERYこまち(電話・ファックス03(5228)0075、新宿区箪笥町25-6ファロス神楽坂1F、牛込中央通りと大久保通りの「牛込北町」交差点すぐ)。尹東柱:1945年2月、日本で獄死を余儀なくされた朝鮮の詩人。享年27歳。死後、実弟達により、残された彼の詩を集めた一冊の詩集「空と風と星と詩」が編纂された。/荒井虹子:女子美術大学洋画科卒。尹東柱の詩に出会って以来8年、詩の一篇一篇をテーマに、さまざまな思いを込めて描き続けていらっしゃいます。6回目の個展にあたります。〔以上、神楽坂まちの手帖 メルマガ版19号、04.07.09付から〕。▼〔再掲〕第三回神楽坂演劇祭、2004年8月7日(土)午後6時、赤城神社境内(雨天決行)、入場無料、バイカル/ひげ太夫/演劇崇拝◎自動焦点/マドモアゼル・シネマ/篠井世津子、主催:神楽坂演劇祭実行委員会、協賛:アグネスホテル/(社)家の光協会/(株)熊谷組/大日本印刷(株)/東京理科大学/トヨタ自動車(株)/法政大学、企画協力:die pratze/セッションハウス、特別協力:赤城神社、問い合わせ:070-5019-2329(かきざき)。
7月9日 アナーキー・イン・ニッポンのサイト(時評)に乱乱「小泉サプライズ!再び」04.06.29。【なんとコイズミ内閣の支持率が下がっていると言うではないの。(*1)飯島ゲッペルス下、あざとい宣撫工作で大衆操作を幾度となく成功させ、(*2)後は国会議事堂にでも放火して、××党弾圧かと思いきや、この突然の失速。国内においては「改革」の名の下に、盛者必勝敗者必滅の政策の数々。「年金」という六文銭(*3)すらもダンピングされ、スローなアウシュビッツ化は進む。国外においては、アメリカの属国として、彼の地の民との友諠信頼関係をも裏切り、自国民の生命すら顧みず、宗主国の利益以外に大義も理由亡き戦争に参加。また「拉致問題」は、これまた支持率アップの道具として利用。嗚呼哀れな民草、踏んだり蹴ったりのボッコボコ。最早、敗者には、自殺かさもなくば自爆的他殺/テロリストへの道しか残されぬはず、と。/イカン!状況はどんどんアナーキーになって行くではないか。これは実に忌むべき事態。浅羽氏の見事なるアナキズム風土記(*4)曰く保守系にも貢献するアナキズムとしては看過も出来ズと老婆心。/そこで、尾羽打ち枯らした小泉ポチ首相に、サプライズ再びとばかりにここはひとつ秘策をさずけん。/ふとア(吾)に思い浮かぶは、ブッシュの親父+窪塚君たち(*5)。彼らにならって、あの「悪魔特捜隊本部」ならぬ東京都庁舎(*6)頂点243.3mから、決死のダイビングはどうだ。当然齢80歳のブッシュ親父の真似をして、「ラストサムライ」たる我らが英雄小泉君が、パラシュート等の卑怯未練な道具を使うことは良しとはしない。ここは、「日本男児」たる気概に溢れた窪塚君にならって、徒手空拳赤心のダイブを試みてもらいたいものだ。なんなら都庁城主の石原と友連れではどうだろうか。恐らく憂国の二人をやさしく「神風」が包み、きっと奇跡の生還を果たすことだろうよ。その時、メディアはここぞとばかりに、「天晴れ!小泉!」「小泉万歳!」「石原万歳!」と大絶賛し、とにかく「低投票率」と祈るように与党勝利を側面支援している某大新聞などは、「神兵天降る!」と大歓喜勇躍しペンも折れよ書き立て、この最大最後のサプライズに、与党大勝利は確実のものになるだろう。/万が一神佑天助なく身は玉と砕けようとも、煩い奴原にとかく言われることなく靖国に「護国の鬼」として未来永劫座を占め得るのである。彼らにとってこんな本望もあるまいて。是非とも敢行して頂きたいものだ。衷心より祈念するばかりである。】。
7月8日 ▼「土本典昭フィルモグラフィ展 特別イベント」記録映画作家・土本典昭とアジアの監督の新作上映とシンポジウム/「S21」(リティ・パニュ監督作品)「送還日記」(キム・ドンウォン監督作品)「みなまた日記」(土本典昭監督最新作)、7月17日(土)14:00・18日(日)11:00、国際交流基金フォーラム、主催:土本典昭フィルモグラフィ展実行委員会、問い合わせ:土本典昭フィルモグラフィ展実行委員会事務局 Tel.03-5343-3101。▼映画『にがい涙の大地から』上映、7月30日(金)18:30〜、東京ウイメンズプラザホール(地下鉄・表参道下車徒歩7分)、1000円。関連:海南友子「ドキュメンタリー映画『にがい涙の大地から』完成」〔JANJAN 04.07.04〕、同「被害は進行中、旧日本軍の大量破壊兵器」〔JANJAN 04.04.09〕。▼吉田敏浩「表現の自由のために声を上げる(1) 「立川反戦ビラ配布逮捕事件と裁判闘争」」〔アジアプレスネットワーク・ウェブジャーナル04.07.01〕。
7月7日 ▼〔再掲〕第三回神楽坂演劇祭、2004年8月7日(土)午後6時、赤城神社境内(雨天決行)、入場無料、バイカル/ひげ太夫/演劇崇拝◎自動焦点/マドモアゼル・シネマ/篠井世津子、主催:神楽坂演劇祭実行委員会、協賛:アグネスホテル/(社)家の光協会/(株)熊谷組/大日本印刷(株)/東京理科大学/トヨタ自動車(株)/法政大学、企画協力:die pratze/セッションハウス、特別協力:赤城神社、問い合わせ:070-5019-2329(かきざき)。▼横浜国立大学教育人間科学部 平成16年度公開講座「二十一世紀の漢字文化を考える」7月31日(土)10時から17時まで、神奈川県民センター402室(横浜駅西口三越うら、〒221-0835横浜市神奈川区鶴屋町2-24-2 TEL:045-312-1121(代))、講師:村田忠禧(横浜国立大学教育人間科学部教授)/馮良珍(横浜国立大学教育人間科学部教授)/岡田健嗣(横浜漢点字羽化の会代表)、受講料3,000円。【日本と中国における漢字をめぐるいくつかの課題(漢字の簡略化、点字と漢字、インターネットと漢字)について紹介し、国際化、情報化の時代に対応した漢字文化のあり方を提起します。/かつて日本や中国で、漢字は近代化、コンピュータ化の足かせと見なされ、いずれは滅びるものと考えられた時代がありました。/しかし現実には漢字は滅びなかっただけでなく、それぞれの仕方で近代化し、コンピュータやインターネットの発展にも対応できるようになりました。ただ近代化への対応がそれぞれの国単位で行われたため、いろいろと混乱や矛盾が発生しています。/本講座では新しいレベルでの東アジアの漢字文化の再統一の可能性という視点から、漢字文化を捉え直すことをします。具体的には大きく分けて三つのテーマで問題提起をいたします。/1)日本と中国におけるコンピュータにおける漢字コード体系の現状と問題点について/2)日本と中国との漢字改革の共通性と個別性、およびその統一化の可能性について/3)漢字を表現できる点字=漢点字とは何か、およびその国際化の可能性について/本講座の内容についてのお問い合わせは下記までお願いいたします。/研究室 240-8501横浜市保土ヶ谷区常盤台79-2横浜国立大学教育人間科学部 村田忠禧まで/電話もしくはFAX045-339-3291電子メール murata@edhs.ynu.ac.jp/受講申し込み先(申し込み期限7月23日):240-8501横浜市保土ヶ谷区常盤台79-2/横浜国立大学教育人間科学部総務係公開講座担当 電話045-339-3255 FAX045-339-3264にお問い合わせください】。
7月6日 ▼〔再掲〕精華大学の「コトバのスケッチ帳」が04.07.04更新、新たな作品を追加。テーマは「毎日の言葉」。本文に游明朝体、見出しに游築見出し明朝体を使用。▼『産経新聞』07.05付(出版インサイド)に「角川春樹氏62歳の復活 「世界最強の出版社にする」」、【元角川書店社長で俳人の角川春樹氏(六二)が活動を再開した。麻薬取締法違反などの容疑で平成五年に逮捕され、最高裁判決で実刑が確定。二年半の服役を経て仮釈放、復帰した。角川春樹事務所特別顧問、幻戯書房会長を努めるほか、先月一日、俳誌「河」主宰を引き継いだ。〔……〕「角川書店では“二代目”の使命感の縛りがあり、幸せではなかった。人間は実はシンプルな生き物で、使命感や大義がなくても、ただ生きられる。角川春樹事務所を十八年春に株式公開し、社員四十七人で世界最強の出版社にする」/獄中での食事への渇望から、十月に「グルメ文庫」を創刊。遊び、活字への渇望から、月刊誌「ランティエ」を年末に創刊する。誌名は“高等遊民”の意味で、季刊女性誌も来春創刊予定だ。】。扶桑社刊『エンタクシー(en-taxi)6』が復活礼賛特集:「角川春樹 慈悲と無頼の栄光の刻」・インタビュー:「過去のように、現在を、生きる」。関連:「角川春樹の「復活」を祝う パーティーに600人」04.06.25産経 / 鈴木冨美子「(角川春樹・実母の手記)我が息子、春樹への「遺言」」〔1994.03「宝島30」〕。
7月5日 ▼承前、内田樹『映画の構造分析 ハリウッド映画で学べる現代思想』。(つづき)【人間がそこから風景を見ている当の場所を肉眼は見ることができない。そこは「権力の座」である、という洞見を私たちに語ったのはミシェル・フーコーである。】として内田はベラスケスの『侍女たち』を見て【このすべての視線を一点に収斂する場所、「パンプティコン」の看守塔に類する場所、それはすべての表象関係の成立を可能にする「空位」である。空位のもたらす秩序制定力は、それが不可視であることに基礎づけられている。厳密に言えば、「ほんとど不可視であること」に基礎づけられている。〔…〕この鏡像の貧相さと不可視の権力の強大さは、おそらく対をなしている。/「自分は見られることなく、すべてを見る」不可視の権力は、「誰からも見られない」青ざめた、生気のないその似姿を、醜い双生児のように同伴する。これがフーコーの知見のうちでおそらくはもっとも重要な点である。/すべての表象秩序を制定する不可視の権力を主題化しようと望むとき――ベラスケスであれ、ヒッチコックであれ――卓越した表現者はおそらく必ず「あらゆる像のうちでもっとも生気のうせた、もっとも非現実的で、もっとも影のうすいもの」を――鏡像として、あるいは「第四の壁」として――画面のどこかに描き込まずにはいられない。/それは、なぜか。とりあえず私たちに思いつく説明は一つしかない。/表象秩序を制定するものの不可侵の権力の座を実際に占めているのは、その表情秩序に映り込んでいる私たち自身だということである。「見られることなく私たちを見ているもの」は私たち自身だということである。/表象の天才たちはその事実を、秘やかな目配せによって、私たちに告知するのである。】と書いている。関連:「内田樹スペシャルインタビュー 構造主義がこんなにわかっていいのかしら」2003.07エキサイトブックス。▼精華大学の「コトバのスケッチ帳」が04.07.04更新、新たな作品を追加。テーマは「毎日の言葉」。本文に游明朝体、見出しに游築見出し明朝体を使用。
7月4日 内田樹『映画の構造分析 ハリウッド映画で学べる現代思想』2003年6月、晶文社。【映画とは「他者の視線から見られた世界の風景」である。/だが、それはいったい「誰の視線」から見た風景なのだろう。】として内田はヒッチコックの『裏窓』を検討、【〔…〕私が誰かといっしょに過ごした場面を回想するとき、そこにはほとんど必ず私自身も映り込んでいる。〔……〕私たちの視覚装置はそのようにつねに「私と誰か」の合作である。その「誰か」は具体的な人間であることもあるし、私を見つめている抽象的で機能的な「視線」である場合もある。/私たちは「自分の肉眼が見ているはずのないもの」を自分の視覚記憶として思い出すことができる。これは厳密に言えば非合法的な記憶操作だが、私たちはみな無意識にそのような記憶操作を行っている。〔……〕『裏窓』のサスペンスは「私の見えないところで、ほんとうは何が起こっているのか?」というジェフの問いを中心に構造化している。〔……〕『裏窓』は「人間は『自分がほんとうは何を見ていないのか』を見ていない」という二重化された無知のうちに観客を追い込む映画である。】として、『裏窓』の視線の問題を分析したミシェル・シオンを引き【「他者の視線が見ているものは現実か妄想か?」〔……〕ヒッチコックは私たちがこの請求な謎解きへの欲望にとらえられる機会をこそ狙っていたのである。「見よう」と願うものは、自分が「見つめつつあるもの」にだけ意識を集中させる。そして、「自分が何を見落とし続けているのか」「自分が何から眼を逸らすように仕向けられているのか」ということには決して気づかない。/ヒッチコックは人間の欲望を熟知している。〔……〕私たちが「隠されているもの」を見ることに夢中になっているとき、私たちは、あまりにあらわになっているために、それを「隠されたもの」であるとさえ思うことのできないものを構造的に見落とし続けることになる。〔……〕私たちが見ることを欲望するがゆえに、決して見ることがないもの。それは「第四の壁」である。】【人間は自分が見ることを欲望しているものしか見ない。〔……〕私たちが見落としたのは「第四の壁」ではなく、「第四の壁を私たちが見落としていた」という事実なのである。〔……〕「この風景を見ているのは誰か?」という問いを、映画を見ている観客に、意識させないように意識させる、という矛盾した要請をすぐれたフィルムメーカーはみずからの技術的な課題として引き受ける】と書いている。
7月3日 ▼復活! 第三回神楽坂演劇祭、2004年8月7日(土)午後6時、赤城神社境内(雨天決行)、入場無料、バイカル/ひげ太夫/演劇崇拝◎自動焦点/マドモアゼル・シネマ/篠井世津子、主催:神楽坂演劇祭実行委員会、協賛:アグネスホテル/(社)家の光協会/(株)熊谷組/大日本印刷(株)/東京理科大学/トヨタ自動車(株)/法政大学、企画協力:die pratze/セッションハウス、特別協力:赤城神社、問い合わせ:070-5019-2329(かきざき)。関連:平松南「坂と路地のまちから〜神楽坂演劇祭のももこちゃん〜」(神楽坂まちの手帖メルマガ版第6号04.03.12付 掲載)。▼新刊! 太田昌国『「国家と戦争」異説 戦時体制下の省察』2004年7月、現代企画室。▼NHK教育テレビのETV特集(毎週土曜日22時〜23時30分)で、7月10日(土)放送予定「海峡を越えた歌姫 在日コリアン声楽家の20年」、【日本と韓国は、来年、国交正常化から40周年を迎える。長い時間を費やしながらも、日韓の文化交流は着実に深化している。一方、北朝鮮と日本は、2年前のピョンヤン宣言以降も拉致問題など解決すべき問題を抱えたままだ。/在日コリアン2世の女性声楽家チョン・ウォルソン(田月仙)さん(46歳)は、分断された「祖国」と日本の間に横たわる複雑な国際政治にほんろうされながらも、20年にわたり一流の声楽家として活躍を続けてきた。日本や祖国朝鮮半島の歌をそれぞれの言語で歌い続けている。〔…〕】/7月24日(土)放送予定(タイトル未定)、【中村哲医師とペシャワール会の20年(80年代から現在の用水路工事まで)を特集した90分間のドキュメンタリー番組の放映が決定しました。】。
7月2日 承前、田川建三『イエスという男 第二版』。【「取税人や売春婦の方があなた方よりも先に神の国にはいる」(マタイ二一・三一)/ここで「あなた方」と言われているのが、直接には誰を指すのか定かでない。マタイの前後関係ではエルサレム宗教貴族〔…〕いずれにせよ、「義人」であることを宗教的に厳格に追求しようとしていたユダヤ教の指導層にむかって投げつけられた言葉であることには間違いない。〔…〕つまり、まず先に取税人や売春婦が神の国にはいって、あなた方はあとまわしになる、という程度のことではなく、むしろ、取税人や売春婦こそ神の国にはいるのであって、あなた方ではないのだ、という主張である。〔……〕/そもそも「義」という概念は法的な発想にもとづくものである。ユダヤ教倫理がモーゼ律法を中心とする法的な体系に基礎をおく、ということはすでに何度も強調した。法が媒介になって民族が国家支配の構造へと吸収され、法が標準になって社会支配の秩序が守られる。ユダヤ教における「正義」は、「法正」と等しいのである。/そういう社会秩序からはみ出させられた人たち、ここで言う「取税人や売春婦」こそがお前らよりもむしろ神の国にはいるのだ、とイエスが頑張って言う時に、それはおやさしいキリスト教的な説教などではありえないので、そのように設定された秩序に対する、そのように「義人」というものの枠組を設定する者に対する、反逆の叫びであろう。だからイエスはまた、自分がやろうとしていることは、義人ではなく罪人を招く行為なのだ、と主張する。「義人」なるものを設定することによって、「罪人」が排除される。そういう設定をこそ転倒せねばならぬ。〔……〕/義人ではなく罪人が救われる、と主張することは、従って、はなはだしい危険をはらむ。これを固定した真理として証明しようとした時には、すでにおかしくなる。しかし、イエスは人類に真理をもたらした人ではない。現状を支配する「真理」を拒否する逆説的反抗者だったのだ。その紙一重があちら側にではなく、こちら側に転がる瞬間は、それを、憤りをもって発言する時である。それを「義人」にむかってたたきつける時である。取税人や売春婦こそが、あなた達宗教的支配階級ではなくて、彼らの方こそが、神の国にはいるのだ、と相手に直接ぶつける時である。】。→「田川建三からのお知らせ」。
7月1日 田川建三『イエスという男 第二版』2004年6月、作品社。【「貧しい者は幸い」とイエスは宣言した。〔…〕キリスト教は、イエスのこの言葉を客観的真理として説教しつづけることによって、貧しい者たちを貧しいままに押さえつけ、結果として金持どもの社会的横暴を正当化する役割を果してしまった。〔…〕とすると主観的にはともあれ、結果としてはイエスはずい分罪つくりな人間だったということになるのか。それとも、逆説的反抗の叫び声を客観的真理に仕立て上げたキリスト教のみが悪いのか。】と問う田川は、マタイとルカの伝える伝承から元来イエスが語ったであろうという言葉を再現、検討し【実際に幸福ではありえない「貧しい者」をつかまえて、「幸い、貧しい者」と宣言してみたとて、何の意味があるのか。しかし、逆説的反抗とはそういうことではないのか。貧困は苦痛なのだ。貧困が幸福であるはずはない。とはいうものの、それだからとて、幸いなのは豊かな者だけであって、金持こそ幸福、と言われてみても、嫌な気分がするだけだろう。そういうことがあってはならない。あの連中だけが幸福なのだ、などと言われたら、貧しさの中で苦労して生き抜いている者の矜持が許すまい。いや、これはやせ我慢の矜持ではない。金持が幸福で貧しい者が不幸だ、などということが当然のこととして認められてよいはずがない。もし此の世で誰かが「幸いである」と祝福されることがあるとするならば、貧困にあえぐ者を除いて誰が祝福されてよいものか。もしも「神の国にはいる」なんぞと言えるとしたら、俺たち貧しさをかかえてすったもんだやっている者たちをさしおいて、誰がそういうことを言えるのか。いや、「神の国にはいる」なんぞとは言うまい。神の国は貧乏人のものなのだ、きっとそうしてやる。/というわけで、イエスは「幸い、貧しい者」のあとにもう一句つけ加えた、「神の国は彼らのものとなる」】と書いている。
|