読書録 2004年5月前半(敬称略)

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  • 5月15日 田中克彦『ことばとは何か 言語学という冒険』2004年4月、ちくま新書。【〔…〕歴史の中に構造があるという観点や解釈は、ほんとうはソシュールの共時論とは全く相容れない性質のものである。/言語学においては、こうした分野よりはるかに早い時期に、W・フォン・ワルトブルクが「記述言語学と歴史言語学との相即不離の関係」(一九三一年)において、この二つの言語学の方法の「相違は対象じたいにはなくて、考察者の観点にある」という、重要な問題を指摘した。ワルトブルクによれば、ソシュールは「共時的考察法をその老衰から救い出して、これを〔通時言語学と〕同等の権利を有する科学にまで高めた」のである。/日本でこの問題に、するどい問題関心を抱いてたち向ったのは亀井孝の「文法体系とその歴史性」(一九三六年)であった。著者二十四歳のときに書かれたこの論文は、ワルトブルクに呼応したものであるが、ここではとりわけ、ソシュールが、共時論と通時論とをわかつさいの時間が、単に物理的にとらえられた時間でしかないことが指摘されている。/この問題は、主として第二次世界大戦以前に論じられたのであったが、戦後になって「言語変化」の問題にかかわって精密にとりあげたのが、アンドレ・マルティネの『音声変化の経済』(一九五五年)であり、また言語思想史における目的論の復権をめざして書かれたE・コセリウの『共時態、通時態、歴史』(一九五五年、邦訳名『うつりゆくこそことばなれ』、一九八一年)は、今後、あらゆる機会に出発点においてとりあげられなければならない記念碑的著作である。/言語の観察方法が記述的(共時的)であるか歴史的(通時的)であるかは、たしかに、「対象のレベルにではなく、方法のレベルの問題」(コセリウ)であるが、ここで決定的に重要なのは、ソシュールが、言語体系そのものを成立させている「話者の意識」をどう扱ったかの問題である。】。

  • 5月14日 「なぜ ビラ配布で 拘置75日」04.05.14東京(特報)、【東京都立川市内で、防衛庁官舎に反戦ビラを配っただけで逮捕され、拘置が続いていた市民団体のメンバー三人が十一日夕、七十五日ぶりに保釈された。国際人権擁護団体「アムネスティ」が日本初の「良心の囚人」と認定、憲法学者も相次いで抗議声明に名を連ねた。比較は失礼かもしれないが、拘束期間はイラク邦人人質の十倍以上だ。「なぜ」の声も上がる中、事件から透けて見える時代の“息苦しさ”とは−。〔…〕】。▼韓国『中央日報』(日本語版)04.05.11付に、「「捕虜虐待、旧日本軍の蛮行と同じ」NYT」[写真2点あり]。【米ニューヨークタイムズ紙が9日、「米軍のイラク人捕虜虐待は、旧日本軍による韓国人拷問とほとんど変わらない行為だ」と批判した。/同紙は「100年前と今日」と題した記事で、半裸でうつ伏せに縛られた韓国人男性を眺める日本軍人らの写真(上)と、全裸のまま縛り付けたイラク人捕虜らを見る米軍兵士の写真(下)を掲載しながら、このように指摘した。/同紙は「1905年、日本軍人らが、自白させるため韓国人を拷問している」という説明と、「イラク駐留米国人らが捕虜を虐待したとして非難を浴びている」という説明を載せた。/朴素ヨン(パク・ソ・ヨン)記者】。

  • 5月13日 多木浩二『雑学者の夢』2004年4月、岩波書店。【読書には奇妙な性格がある。以前に読んだ書物を何年かの後に読もうとすると、全く覚えていないことがしばしばある。自分がかつて線を引いて読んだ書物を、まるで初めて開くような経験をする。そんなときには狼狽することもある。自分は一体、なにをしていたのか。しかしこんな経験を繰り返していると、読書には忘却がつきものだと覚悟を決めるようになる。われわれの読書とは記憶や想起のみならず、忘却をも構成要素とする経験ではないかと考えるようにさえなる。忘却とはわれわれが現実を生きている証拠かもしれない。なにもかも覚えていれば、そこには未知なる経験の入り込む余地がないかもしれない。しかし最初に読んだときの理解や感動、あるいは理解の困難を克服しようとした経験は無意味だったのか。そうではないということが、読書という経験の不思議なところだ。たしかに細かい意味や個々の文章は覚えていなくとも、ある書物という意味の時空間を通り抜けた経験は無意識のなかに沈殿している。書物とは物体ではない。生きている人間の経験のなかで変質もし、消滅もするテクストなのである。再読することは、埋もれた記憶を掘り起こす行為である。かつて読んだ書物の内容だけを思い出すのではない。忘却のあいだに経験した世界によって、変形された記憶として想起することなのである。読書とはわれわれの生命と離れがたいものであり、世界を認識する知性とも分かちがたいものなのである。】。

  • 5月12日 ▼『東京新聞』04.05.11付夕刊に、姜誠「「不寛容」はね返す知恵ここが踏ん張りどころ」、【〔…〕不寛容でナショナルな言説が目立ち始めたのはここ数年のこと、人々がこの国や自分の未来に不安を抱くようになってからのことだろう。/イラクで人質になった五人への凄まじい批判はこうした風潮と無縁ではない。「我々」と「他者」という選別がガイジンだけでなく、内国民に対しても進んでいる。それは個人という価値観より国家や民族という価値観が重きを占めつつあることの証しでもある。/でも、そんな社会って窮屈じゃないですか? 人質となった五人は帰国後、黙りこくってしまうシーンが多かった。そんな彼らの姿を見るにつけ、この国に暮らすガイジンが常日ごろ感じている息苦しさや圧迫感をいま、多くの日本人がひしひしと感じているのではないかと、僕は想像する。/大きいもの、強いもの、単一なものが尊ばれる時代はとっくに過ぎた。小さなもの、スローなもの、そして多様なものがこれからの日本には欠かせない。そうしないと、社会から活力がどんどん失われてしまうからだ。/なのに、気がつくと、僕たちの周りにはグローバル化の名の下にもたらされた新しい排除や不安、そのもうひとつの表現として急速に台頭しつつある不寛容なナショナリズムが充満している。/だけど、ここが個人の踏ん張りどころである。国家の主人公の座をナショナリズムに明け渡さない勇気と賢明さがいまこそ必要な時はない。/そのうえで多文化共生社会へと踏み出すことができれば、人々はさらに自由になれるだろう。なぜなら、ガイジンが暮らしやすい国とは自国民にもやさしく、生きやすい国と相場が決まっているからだ。】。▼声明「私たち音楽関係者は、著作権法改定による輸入CD規制に反対します」04.05.11。

  • 5月11日 「「イラク日本人人質事件・被害者自作自演説疑惑」の「根拠」を検証するページ」 / 「今井紀明さんが「週刊現代」の単独インタビューに答える」.05.08 / 「マスコミは内藤正典・一橋大学大学院教授のコメントをどう伝えたか」.05.09。▼「枝川の朝鮮学校敷地問題初公判 東京都の要求は不当」04.05.01民族時報1034号 / 「東京第2初級の土地問題、16日に初公判」04.04.20朝鮮新報、【東京都が提訴した東京朝鮮第2初級学校(江東区枝川、宋賢進校長)のグラウンド用地払い下げ問題に関する初公判が16日、東京地裁631号法廷で行われた。公判では、東京朝鮮学園の趙性周理事長が、46年間オモニ会に携わってきた父母の会相談役の金敬蘭さんの手記を代読した。裁判後、記者会見した趙理事長、金さん、新美隆弁護士をはじめ枝川裁判弁護団のメンバーらは、枝川に朝鮮人が住みはじめ、朝鮮学校が建てられた歴史的経緯から見ても今回の都の訴えは不当であると主張した。】。関連:「枝川・朝鮮学校立ち退き裁判 民族教育権を保障し、歴史的経緯を踏まえた解決がされなければならない!」04.05.01全国在日外国人教育メールマガジン48号 / 「都、『明け渡し』求め近く提訴 東京朝鮮第二初級学校」03.12.09東京 / 金東鶴「東京朝鮮第二初級学校(グランド部分)の土地問題に関する経緯 (メモ)」03.10.20 / 「江東区所在の都有地等に関する住民監査請求監査結果(6件)」03.10東京都(報道発表資料)。

  • 5月10日 「それでも消えない米軍誤射説」.05.10東京(特報)。▼『沖縄タイムス』が記事データベースの一般公開を始めた(無料)。検索対象年月日=1997年1月1日〜2004年4月30日付(1ヵ月3回をめどに更新)。▼APN(アジアプレス・ネットワーク)のサイトに連載で、中平真由果「「日の丸・君が代」強制実施問題より「たったひとりの不起立宣言」(第一回)04.04.30、【都立校の卒業式における「日の丸・君が代」問題を考えることは、教育の主体はどこにあるのかを問い直すことでもある。教育委員会からのお仕着せに、現場の教員がたったひとりで挑んだ。】、同「「たったひとりの不起立宣言」(第二回)」04.05.07、【なぜA教諭は不起立を決意したのか/学校行事における「国歌斉唱時の起立」が都教育委員会によって服務規程と決定された。A教諭はこのことに反対し、たったひとり起立しなかった。その心にあったものは何か。】。関連:「日の丸・君が代強制 広がる波紋」04.05.05東京 / 「君が代:斉唱徹底に都教委が入学式“監視”」04.04.06毎日 / 「都立高教員大量処分で悲鳴」04.04.03東京 / 「都教委『日の丸・君が代』手順まで規定 『拒否の現場』に積年の不信」04.02.02東京。関連読書録:04.04.08付

  • 5月9日 ムミア・アブ=ジャマール「アブグレイブ監獄の影の中で」〔04.05.03 Free Mumia Home Page Japan〕、死刑囚監房の黒人ジャーナリスト、ムミア・アブ=ジャマールの、イラク監獄における米兵による拷問問題に関するコメント。【〔…〕「アメリカ人とは本来、こういう人たちではない」と叫ぶ政治家がいる。「信じられない!ひどすぎる」という人たちもいる。/だが、何よりも真に心を凍らせるもの、裸の人間を積み重ねるという光景以上におぞましいもの、それはアメリカ人たちの顔に浮かんでいる、無邪気な歓喜の表情である。/イギリスのタブロイド紙に掲載された、イギリス人兵士たちがイラク人に小便をかけながら嘲笑している写真も、同様におぞましい事実を語っている。これこそ侮蔑と憎悪と人間性の欠如と、そして征服者の行為である。/アメリカ人とイギリス人たちは、解放者なのかそれとも占領者なのか?その答えを知るためには、アブグレイブで撮影された写真の顔を見るだけで十分だ。】。関連:「イラク人虐待で起訴の米兵「任務は刑務所を地獄にすることだった」」04.05.07ロイター。

  • 5月8日 「OLD TIMES BRASS BAND」サイトのaudition roomでは「さらば恋人よ」「よろこびの歌」ほか。▼5月1日、「EGO-WRAPPIN(エゴ・ラッピン)official web site」がリニューアル。SPECIALではMidnight dejavu ライブ映像をスペシャルストリーミング配信。

  • 5月7日 「北川フラム展」5月10日(月)−27日(木)10:00-18:00、日休、無料、INAXギャラリー2「森山大道写真展」5月10日(月)−22日(土)10:00-18:00、日休、無料、INAXギャラリー1。▼ギャラリー5610企画展「文字の文字」平野甲賀と字游工房展2004年5月21日(金)〜6月18日(金)11:00〜18:00(日・月・祝日休廊)、Gallery 5610(港区南青山5-6-10、tel:3409-9496/fax:3406-6300)、協力=川畑直道・向井裕一。【ここ数年来のパーソナル・コンピューターの普及は、われわれグラフィック・デザインの仕事に関わるものには歓迎すべきことだといえましょう。それは、思いかけなかった表現の拡がりを経験させてくれただけでなく、ひと粒のアイディアから大量の印刷物にいたる作業の流れにも大いなる変革をもたらしました。改良に改良をかさねた、グラフィック・アプリケーションは、いままでブラクボックスと化していた専門分野を身近なものにしました。分野をこえて互いの仕事に干渉しあい、その仕事を理解することで透明で平等な関系がうまれつつあります。ここで必要とされるのは他でもない、気負いのない誠実な「デッサン力」だけです。私たちがグラフィック・デザインのすべてのベースである〈文字〉のかたちにこだわりつづける、これが理由です。/平野甲賀】。

  • 5月6日 「第90回訓点語学会研究発表会」2004年5月21日(金)午前10時30分〜午後5時30分、実践女子大学 香雪記念館大教室(キャンパスマップ、JR中央線日野駅下車徒歩15分)。→「訓点語学会」。▼〔再掲〕東京女子大学比較文化研究所創設50周年記念講演会「大印刷時代の展開」講師:樺山紘一(国立西洋美術館長)、2004年5月29日(土)13:30―15:00(開場13:00)、東京女子大学善福寺キャンパス講堂。

  • 5月5日 三浦雅士「モダニズム再考にあたっての一視点」〔承前『「再考:近代日本の絵画 美意識の形成と展開」展カタログ』所収〕。【簡単に言えば、要するに現代芸術なるものは死んだということだ。〔……〕/遺されたのは、したがって、それこそポストモダンの流儀で無数に建てられた芸術作品としての美術館と、優秀で勤勉なキュレーターだけである。美術館の数もキュレーターの数も旧に倍するなどというものではない。世界的に見れば、数十倍、数百倍に達するだろう。むろん、結構なことだ。いわゆる芸術なるもの、芸術家なるものは、この建築物とキュレーターの幻想、すなわち欲望の所産にすぎない。/ユネスコなる機関が世界各地を旅行してはいたるところに世界遺産なるスタンプを捺して回っている図に、それは対応している。世界を健全に維持するためには、その全体を博物館にしなければならないという発想である。これもまことに結構。おかげで、世界は無限に墓地と墓地管理人の空間に近づいてゆくというわけだ。/モダニズム再考の機運は、このような流れのなかに発生したということ。この事実を忘れてはならないだろう。/優秀で勤勉なキュレーターたちが、美術史に準拠して、印象派の次の狙い目としてモダニズムに焦点を当てたということも、あるいはあるかもしれない。印象派へいたる過程として十九世紀美術を捉え、モダニズムからの過程として二十世紀美術を捉えるというのは、それなりにまっとうな視点と言えるかもしれない。だが、そういったたぐいのことはたいして重要ではない。むしろ、彼らの目が、彼ら自身の存在根拠を打ち砕くかもしれない理念をモダニズムに見出し、だからこそ逆にそれに引き寄せられてしまったという事実のほうが圧倒的に重要に思える。自身の幻想と欲望の所在に気づかざるをえなくなったのである。】。

  • 5月4日 きょうは輝かしい五四運動から85周年の記念すべき日! 日本青年学生運動が「1月激闘(東大安田講堂攻防戦)を五四運動の地平とせよ」との旗を掲げて果敢に闘ったあの日々から35年が経った。→「書庫:全共闘運動を再々総括する」

  • 5月3日 昨03年公開された国立国会図書館・電子展示会「日本国憲法の誕生」では04年5月3日、【新たに81点の資料を追加】。概説 / 資料と解説 / 論点 / 文書庫 / 人物紹介 / 用語解説・略語一覧 / 掲載資料一覧 / 年表 / 憲法条文・重要文書 / リンク集 / 参考文献 / ご利用について

  • 5月2日 難波英夫「四角い窓から 辻井喬、J.ハーバーマス、P.ブルデュー、平塚らいてう」〔承前『「再考:近代日本の絵画 美意識の形成と展開」展カタログ』所収〕。【現在の日本はどこか間違っている。それはいつもそうだったのか、そしていつからそうなったのか、それは進行しているのか。】という難波は【〔…〕近代において、科学(学問)、道徳、芸術という三つの価値領域への分化がもたらされ、それぞれの知的集積も、法則性も三者三様の展開を遂げてきた。それは不可侵条約を結んでいるかのような自己保存の仕組をなしており、互いには口を挟まないという自律性を共通の志向としていた。〔……〕しかし自律性の進展に伴って噴出してきたのは、各領域の専門家が内部の知的集積を高めるほどに、一般の大衆(流行的には生活者というようだ)には理解し難い難解さと複雑さを各領域が帯びてきたということである。モダニズムを失敗のプロジェクトと見なす最も怠惰なアイデアは、単純にその難解さと複雑さを指摘することにある。そのアイデアに従って受容者が各領域での平易さを望むなら、たちまち実人生の内容は単純で貧しいものになるだろうし、継続的な未来への発展は望めそうにもない。/問題があるとすれば、それは各領域の行為システムの担当者が自己延命のために技術的自律性を主張して、既得権益を手放そうとはしないことにある。〈征服者〉は各権益者のために合法的な談合の調整役として汗を流す。この既得権益延命システムは、モダニズムの各領域での知的集積とは無縁のものである。その深みを消化し伝統として定着させてゆくことを放棄するならば、私たちの文化は、流行が支配するだけの軽薄な流れになるか、本能的にして自動機械的な反応の軌跡程度のものに陥ってしまうだろう。】と書いている。

  • 5月1日 多木浩二「近代国家とモダニズム」〔承前『「再考:近代日本の絵画 美意識の形成と展開」展カタログ』所収〕。【日本のモダニズムの発端は、封建国家から突然近代国家に変貌しようとした政治過程から分離して考えることはできない。〔……〕日本の近代化を進めようとすれば、前近代的な天皇制を媒介するというジレンマを免れず、しかも郷党意識に結び付けられたので、天皇制は短時間のあいだに明治以後の国民の心情に深く浸透することになった。それは芸術家においても同様だった。〔……〕ずっとのちの時代になって、アヴァンギャルドが流れ込み、それが自覚的な政治性を帯びるまでは、美術の世界で天皇制国家を逸脱する動きは全くなかった。しかもこの心性は思想の世界ほどには露骨に言説のレベルでの紛糾としては現れてこなかいし、体制への順応も、国策との関係が問われるまでは、必ずしも意識されてはいなかった。〔…〕このようにネガティヴな出来事までの一切を含めて、日本という共同体のなかで近代美術は形成されていったのである。この国の歴史に潜在しているトラウマのような力が美術に作用しつづけてきたのである。】【描くということはほとんど意識されないとしても、本来、ある文化のなかで可能になる視覚的表現である。遠近法も「ルネッサンスのパラダイム」のなかでの特殊な文化的要求に応ずる視覚的手段のひとつであった。しかしそれはいったん絵画で成立すると、都市にも、劇場にも、あるいはもっと抽象的な思考にも浸透し、結局は西欧を中心とし、その影響下にある人間の経験を支配する空間を象徴するまでにひろがった。つまり日本の画家が遠近法を学びはじめたことは、その文化の現状がどうあれ、変化して行く先が結局は西欧文化の支配する空間になることを暗示するような意味をもっていた。同時にそれを技法として学ぶかぎり、西欧の画家たちがいかにして「見ること」を探究し、さらに対象を再現する迫真性あるいは仮象性などという考えから脱して絵画そのものの次元を追求している過程を理解するのは困難だった。見ることは身体化された知覚であり、そこから考えると、セザンヌの色彩やクレーの線も、見ることの探究に他ならなかったのである。】。