3月31日 若桑みどり「笑いの美術史」〔形の文化会編『形の文化誌[10]笑う形』2004年4月 工作舎所収〕。【笑いを持つかどうかは、おそらくは究極の人生の最終的なカタストロフ、破局を避けることになる。〔…〕/私が思い出すのは、敗戦直後のことです。日本は食べるものがなくて、餓死者が続出し、私の家から東京駅が見えてしまうほど何一つない焼け野原でしたが、そのとき、ものすごく笑いが流行しました。それから一九五〇年代は笑いの絶頂期です。テレビはありませんので、ラジオですね。三木鶏郎が出てきまして、人々はラジオから聞こえてくる笑いに哄笑しました。世の中の状況は悪い。貧乏で、苦しいんです。でもあれほどに笑いが流行ったことはありません。それは一種のやけくそ笑いであると同時に、笑いながら危機を脱出していく日本人のエネルギーだったと思います。一番笑われたのは吉田茂だとか芦田均とか、そういう人たちです。/ただ一九六〇年の安保闘争以後、笑いがなくなった。戦争に反対した若者たちの死が始まったからです。一九六〇年代、特に一九六八年以降、体制が強化されて全部が反動化したあとに、笑いがなくなりました。昭和三〇年代まで日本人はすごく笑っていた。これは確実なデータがあるし、資料もまだ残っています。一九六〇年代以降、特に浅間山荘事件以後、国民としての笑いというものが消えてしまったと私は認識しています。ただしその後、バーレスクと呼ばれているテレビにおけるお笑い芸人たちの笑いだとか、集団的な漫才の大盛況だとか、お笑いだけを目的とした数々のバラエティの量は増えているとは思います。問題にしたいのは、テレビにおけるお笑いバラエティの量とその質です。それが昭和三〇年代に私たちを心から笑わせた笑いと、どこが違うか。そこから、おそらく一九六〇年代以降の日本人が置かれているある種の政治状況、文化状況が見えてくると思います。】。
3月30日 ▼松浦寿輝「藤田省三あるいは知識人の品位」〔『UP』第378号 2004年4月掲載〕。【〔…〕九七−九八年刊行のみすず書房版『著作集』全十巻の各巻に寄せた藤田の「まえがき」や「追記」を、わたしはあまり好まない。〔…〕わたしが承服できないのは、たとえば第五巻『精神史的考察』の「まえがき」に典型的なように、これらの文章は一見ばらばらに見えるが実は一貫した構成があるのだといった弁明があちこちに散見されることだ。八二年の平凡社版『精神史的考察』に付されていた「いくつかの断面に則して」という副題は『著作集』版では除かれてしまうのだが、むしろ「いくつかの断面」のてんでんばらばらな無方向性と、それら切断面の鋭角的な突出ぶりこそを藤田省三の本領と考えてきた者としては、彼がこの『著作集』刊行を機会に自分の仕事に関して一種の有機的「綜合」の仮構を目論んでいるさまを前にして、あまり良い気持はしない。/なるほど自分はしかじかの論文を完成させずに終ったけれど、よくよく読んでくれれば実際に書いた部分のうちにすべては萌芽のかたちで含まれているはずだ、それを読み取ってくれなかった「他人様」「皆さん」が悪いのだといった、品位を欠いた愚痴が反復されることになるのである。もともと生前に全集や著作集をまとめるのは嫌だったと彼は述べているが、それならその意志を貫徹し、単に「感じ且つ考える者の一人」として、ベンヤミンのように、」あるいはロラン・バルトのように、すべてを書きっぱなしに放り出したまま恬淡として逝くことを選んだ方が、藤田省三は自分自身の言説に対して忠実たりえたのではなかったか。】。▼INTERNET Watch連載中の「小形克宏の『文字の海、ビットの舟』―― 文字コードが私たちに問いかけるもの」で、「特別編18 JIS X 0213の改正は、文字コードにどんな未来をもたらすか(1) 改正の概要1:そのポイントを整理する」04.03.30。
3月29日 3月27日付読書録既報の中国人強制連行新潟訴訟判決について、「中国人戦争被害者の要求を支える会」のサイトに3月26日付「声明」中国人強制達行・強制労働事件新潟訴訟原告団/張文彬裁判を支援する会/中国人戦争被害者の要求を支える会新潟県支部、および「弁護団声明」中国人戦争被害者賠償請求弁護団/中国人強制連行・強制労働事件弁護団全国連絡会[PDF]。前者は【本日、新潟地方裁判所において、「中国人強制連行・強制労働事件新潟訴訟」判決が言い渡された。第二次世界大戦申に中国大陸から新潟に強制連行され、強制労働を強いられた中国人901名のうち代表者である11名が、国及び企業を被告として謝罪と損害賠償を求めていた訴訟において、裁判所は、被害の事実を詳細に認定し、被告国、被告リンコーコーポレーションに損害賠償を命じた画期的な判断を下した。〔……〕強制連行・強制労働事件について、はじめて国と企業の責任を認め、連帯しての賠償責任を認めたことは画期的であり、高く評価できる。〔……〕/これまで国は国家無答責の理論を主張し、責任を認めようとしなかったが、今回の判決にょり国家無答責という戦前の亡霊の法理は、現在の強制連行・強制労働事件において持ち出すことは許されないことが明らかとなった。/我々は、このような重大な戦争犯罪であり、不法行為である強制連行・強制労働の被害者に対する戦後責任を果たすことによって、21世紀の国際社会において日本国家の名誉を回復し、国際社会でのアジア諸国民をはじめとする世界の人々の信頼と友好を深めることができるのである。/本日の判決を受け、我々は、被告国及び被告リンコーコーポレーションがこの判決を厳粛に受け止め、被告らが控訴することなく遠やかに判決に服して、原告らに謝罪と補償を行うことを要求する。/また、この判決によって、国と企業が一体となって強制連行・強制労働という人間の尊厳を破壊する残虐行為がなされたことが認められた以上、国と企業は、日本に強制連行され、強制労働させられた中国人労働者全員に対して、早急に、謝罪と損害賠償金を支払い、この強制連行・強制労働問題を全面解決すべきである。/我々は、本日の判決を受けて、一連の戦後補償事件の早期全面解決を求める中国をはじめとする内外の世論と運動をカにして、強制連行・強制労働事件を含めて戦後補償事件の全面解決を勝ち取るまで戦い抜く決意である。】と指摘。必読!
3月28日 亀和田武「ハルウララ人気の裏側にスポット」〔『朝日新聞』04.03.28「亀和田武さんのマガジンウォッチ」〕。【一時のタマちゃんブームに迫る勢いである。22日の高知競馬場。武豊の騎乗するハルウララが10着でゴールし106連敗を喫したとき、彼女の人気はたぶん久本雅美を抜いた。〔…〕/そのハルウララ人気の知られざる一面を、「週刊アサヒ芸能」4月1日号が“ハルウララ『ゼニ儲け商法』にブーイング「ブーム仕掛け人が新馬主になった」”と記事にした。〔…〕/私もふくめ一部の競馬ファンは、ハルウララの過熱報道と反比例するように、冴えない表情になった。その違和感を、競馬評論家の清水成駿は「ハルウララを映画にしようという人の気持ちは知れない。きっと競馬に救われたことも、泣かされたこともない人たちだろう」(東京スポーツ3月21日)とズバリ簡潔にいい当てた。私は弱い馬も好きだし、観客が千人いない地方の競馬場でのんびり遊ぶのが極楽と思っている男だ。いま地方競馬は次つぎ廃止に追い込まれている。まず話題づくりを。そんな関係者の思いは痛いほどわかる。しかし連敗中の馬しかマスコミが飛びつく話題がない。これはつらい。なのに、映画化、CD発売、東京のデパートでのグッズ販売だのは、あまりにも手際がよいというか、まるで広告代理店なみの商売上手だ。/あざとくはないか。だが高知競馬の窮状を思うと口にできなかった。そんな“美談”の裏側にスポットを当てた「アサ芸」のセンスと取材に拍手したい。ハルウララの記事に公共性があるか、私は興味ない。だが公式グッズの売り上げ配分をめぐる、高知県競馬組合の広報と新馬主の話には食い違いがある。さらにくわしい続報が読みたい。】。
3月27日 「国に初の賠償命令 強制連行で8800万円」04.03.26共同通信(goo)、【第二次大戦中に強制連行され、新潟港で過酷な労働を強いられたとして、中国人の元労働者ら12人が、国と新潟市の港湾運送業「リンコーコーポレーション」(旧新潟港運)に総額2億7500万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決で、新潟地裁の片野悟好裁判長は26日、国と同社に8800万円の損害賠償を命じた。強制連行訴訟で国の責任を認めたのは初めて。/原告は中国人の元労働者10人と、死亡した元労働者1人の遺族2人。判決は国と企業の安全配慮義務違反を認定、元労働者1人当たり800万円の賠償とした。/国は、国家賠償法施行前は国の行為について個人は賠償請求できないとする「国家無答責」を主張したが、判決は「適用することは正義・公平の観点から著しく相当性を欠く」と退けた。】。「被爆と二重苦、張さんも万感 中国人強制連行訴訟」.03.27中国新聞 /「強制連行、国に賠償命令 新潟地裁」.03.27東京新聞 /「社説=強制連行訴訟 国の対応を司法が促す」.03.27信濃毎日。関連サイト:「中国人戦争被害者の要求を支える会」。
3月26日 ▼「文春問題―雑誌冬の時代 疑惑・告発報道に包囲網」04.03.26東京(特報)。▼「迎賓館迫撃弾事件、中核派3被告に無罪判決」04.03.25読売、【1986年の迎賓館迫撃弾事件などで、爆発物取締罰則違反に問われた中核派活動家の須賀武敏(59)、十亀弘史(60)、板垣宏(60)の3被告に対し、東京地裁は25日、いずれも無罪の判決を言い渡した。/木口信之裁判長は「3人が砲弾を開発・製造した証拠は認められない」と述べた。検察側は、須賀被告に懲役15年、十亀、板垣両被告に同13年を求刑しており、控訴する方針。/この裁判は、初公判から判決まで178回、15年6か月に及んだ。〔…〕】。「中核派:迎賓館にロケット弾、「証拠なく」無罪 東京地裁」04.03.25毎日、【〔…〕須賀被告らは86年10月に、岩手県のアジトで爆弾を製造した事件で有罪が確定しており、検察側は「ロケット弾の製造にかかわった」と主張していた。判決は「被告らはアジトに爆発物の部品などを保管していたが、アジトが設置されたのは両事件の数カ月後で、関与を示す証拠にならない。ロケット弾を発射した何者かと共謀した証拠もない」と結論付けた。/判決後、須賀被告らは「02年末に保釈されるまで15年以上も身柄拘束されたのは極めて不当」と話した。この事件では別の中核派活動家(60)が公判中。】。
3月25日 ▼「番組改変訴訟:制作会社に賠償命令 NHKへの請求は棄却」04.03.24毎日 / 「NHK番組の制作会社に賠償命令 「取材先の信頼侵害」」04.03.24 asahi.com 。▼このほど「JIS X 4051:2004 日本語文書の組版方法」が発刊された。【JIS X 0201,JIS X 0208,JIS X 0212,JIS X 0213及びJIS X 0221-1に規定される図形文字を対象とする文字を基本として用いた日本語文書の行,版面及びページについての基本的な組版方法を規定。】、出版年月日2004-03-20(1993-03-01制定、1995-10-01改正、2000-12-20確認、2004-03-20改正)、205ページ、6700円、日本規格協会刊。購入は、日本規格協会のサイト(JSA Web Store−JIS検索)から、閲覧は、日本工業標準調査会のサイト(データベース−JIS検索)から(注意:本文はX4051_3)。▼高野光平「テレビCM史研究拠点」のサイト(データ)の、「CM史の参考文献」が04.03.18大幅リニューアル。
3月23日 ▼「文春問題で出版労連が声明 言論弾圧と批判」04.03.22河北新報。なお、声明全文(JCJのサイトに掲載)は【『週刊文春』出版禁止命令に対する声明/2004年3月22日/日本出版労働組合連合会中央執行委員会/東京地裁(鬼沢友直裁判官)は3月16日、『週刊文春』出版差し止めの仮処分命令をだしました。文春側の異議申立てに対してもプライバシーの侵害であるとして、東京地裁は19日に異議を却下しました。これは出版・表現の自由を侵害する事前規制であり、言論弾圧であると言わざる得ません。私たちはこれに強く抗議し、このような表現の自由を侵害する動きに対しては断固反対していく立場を表明します。今回の記事内容で出版禁止になるならば、週刊誌の大半の記事が出版禁止になるという恐れがあります。/今回の命令は、個人情報保護法、人権擁護法案などメディアを規制しようとする策動と同根のものと考えます。99年の自民党の「報道と人権等のあり方に関する検討会」の報告書には、慰謝料の引き揚げ、謝罪文掲載命令の活発な活動を司法に求めています。政治家の強権的行動やスキャンダルを批判する雑誌を押さえ込もうという意図が露わです。与党議員が直接最高裁に圧力をかけたことも明らかにされており、その結果、名誉棄損損害賠償額の高額化など、雑誌・週刊誌に対する裁判所の判断は極めて弾圧的になってきています。私たちはこうした動きに、今後も反対の取り組みを進めていきます。/また、今回の事件で、田中真紀子議員は「公人」だが長女は「私人」だという意見が一部にあります。しかし、2世・3世議員が極めて多いことからも明かなように、親子を全く切り離しては見ないのも社会の通念であり、むしろ祖父・母が有名であるために、その圧力で今回の弾圧事件が起きたと見るべきと考えます。/メディアがプライバシーの保護を尊重しなければならないことは当然です。雑誌協会は自主規制や苦情対応のための組織をつくっていますが、第三者の意見もいれることを含めて、その機能を強化すべきであると思います。/表現の自由は人が生きていくためには欠かせないものであり、社会を健全に維持し発展させる基盤であると考えます。歴史に照らしても、権力による規制は許してはなりません。今回の出版差し止めは、出版・表現の自由や検閲禁止に関わる重大事であり、断固反対することを表明します。/以上】。▼〔最終回のウェブ公開にともない再掲〕2003年6月のホームレス襲撃事件を取り上げた『毎日新聞』連載“[凍った眼差し]ホームレス襲撃事件”(3月9日付から全8回)、「1 “橋の住人”は重い口を開いた」.03.09付 / 「2 たいしたことないって思ってるのか」.03.10付 / 「3 少年は悔い母に更正を誓った」.03.12付 / 「4 変わり始めた、中2の夏」.03.13付 / 「5 「おやじ」が見てきた風景」.03.14付 / 「6 現場周辺、今も続く暴虐」.03.17付 / 「7 うつ病抱え、鶴に願い込める親子」.03.18付 / 「8 被害者の身内となったジャーナリスト」.03.19付。
3月22日 『ロック画報 15』(2004年3月、ブルース・インターアクションズ)が“遠藤賢司デビュー35周年”を特集、遠藤賢司インタビュー「逃げるな、歌え、自分のステージに立て」(聞き手・文=岸野雄一、脚注作成=田口史人)で一番最初に音楽を意識したのはいつかという問いに【雨だれかも知れない。雨だれの音。小さい市営住宅みたいなのに住んでいて、親父がナベとかあちこちに置くんだよ。なんだろうと思うよね。それがどんどん重なってくと、ピン、ポン、ピン、ポン、ツッツ…って音が聞こえてきて。なんていい音だろうな、って意識したのが最初かもしれない。】と答える遠藤は、学生運動とかフォークゲリラについてきかれ【俺は、一人でやればいいのにな、って思ってた。今でも変わんないんだけど、学生運動やってる人って、何でお前わかんねえんだよ、って無理矢理やらせようとするじゃない? あれがすごく嫌だった。それで女の子が絡まれたり、八つ当たりされたりとか、そういうのを見て、なんでこんなことするんだろうな、って。一人ひとりの本当に歌いたい歌を歌うことが、俺は本当の民主主義だと思ってる。つるむんじゃなく。時にはつるむことも絶対必要なんだけど、自分一人の俺はこうだってちゃんと主張できないんだったら、それはただの独裁国家じゃない? だから、俺は一人ひとり、自分のこと、身近なことをちゃんと歌うことが一番の反体制だと思ってるんだよね。だから、(俺は)やんなくて良かったとは思う。音楽と全然関係ないから。で、ずっとやってればいいのに、やめるじゃない? 音楽もそうだし、運動を今でもやってる人は思うだろうけど、ホントに好きだったら、やるはずだよね。食えなくても、女房路頭に迷わせようが、アルバイトしながらでも、やるんだったらやるべきだと思うし、俺はそういうヤツだったら信用できると思ってる。そこから、国の根幹が出てくるわけだから。一人対国家との戦いのときにどう対処するか、っていうのがね。ホントに運動やってた人には失礼だけど、俺は一人で戦ってるから、なんとも思わない。】と語っている。付録CDは「カレーライス」(未発表ライヴ、1971自宅録音)ほか。
3月21日 高橋敏『博徒の幕末維新』2004年2月、ちくま新書。【〔…〕日本の歴史上幕末維新期は、稗史の主人公が主役を演じた全盛期であった。〔…〕/ところが日本の近代史学は、一貫して稗史を、江戸時代の虚で固められた到底アカデミズムには通用しないものとして排除してきた。〔…〕/一方、人々の歴史意識を考えるとき、稗史は近代史学や科学史観とやらによって決して淘汰されることはなかった。〔……〕博徒・侠客の稗史から歴史を語り直してみたい】とする高橋は、【〔…〕歴史学の土俵でアウトローを取り扱うことが出来るかという難問にぶち当たることになる。アウトローは人々の歴史意識の内部に深く浸透・沈殿しているがそれらは虚実皮膜の混沌の中にある。その源泉となっているものは講釈、浪曲、芝居、大衆小説等で語られ、つくられ、増幅された稗史のヒーロー像である。しかし、これを逆手にとって廃止の虚から入って実に迫ることは可能ではないか。換言するなら国定忠治や清水次郎長等のヒーロー譚から離脱して博徒・侠客の幕末維新史から日本歴史を紡ぎ出そうという冒険でもある。とりあえずまず天田愚庵の名著「東海遊侠伝」を翻刻・分析しつつ、一方で博徒の幕末維新を探訪するフィールドワークに出発した。/こうして清水次郎長の敵役になった甲州博徒の痕跡を訪ねるうちに竹居安五郎の御子孫、中村通久さんに邂逅し、四〇〇点の文書の宝の山に遭遇した。〔……〕/アウトローは正史とは正反対に系統的に生の証しをのこすことはない。まして、現世に思いを刻みつけたにせよ、権力者によって意図的に抹殺される運命にあった。〔…〕/正史によって占拠された一世紀余の近代という時代は、さまざまな媒体によってアウトローは手を変え品を変えいじられいじめられ、幾層にわたって種々雑多な虚が堆積させられてしまっている。/本書は稗史の登場人物を文献史学で掘り起こす作業から生まれた。】と、甲州博徒の典型竹居安五郎、その遺志を継いだ草莽の博徒黒駒勝蔵ら稗史の登場人物を文献史学で掘り起こしている。関連読書録:04.02.05付。
3月20日 『日本経済新聞』04.03.20付(文化欄)に浦田憲治「閉塞の時代再び仰ぐ 坂口安吾」。【『堕落論』や『白痴』で知られる無頼派の作家、坂口安吾が再び、脚光を浴びている。東京で開かれた第五十回「安吾忌」には研究者やファンが集まり、その強靭な精神をしのんだ。いまなぜ安吾なのか。〔……〕/新しい視点からの読み直しも始まっている。安吾は戦時下の一九四二年、日本の伝統美に理解を示すブルーノ・タウトを批判して『日本文化私観』にこう書いた。「我々の生活が健康である限り、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。我々の伝統も健康だ。必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ」/なぜこれが読者の目には戦後の作品と映るのだろうか。立命館大学の西川長夫教授はこう見る。「安吾には戦争中から廃墟のヴィジョンがあった」。すでに戦後の焼け野原の瓦礫のイメージや崩壊感覚を抱いていて、これが戦後の『堕落論』や『白痴』へとつながったというのだ。戦中から戦後へと一貫する強靭な精神が、安吾の最大の魅力なのだ。/〔…〕この二十年間、安吾の作品の女を演じてきた女優の千賀ゆう子はこう語る。「安吾の桜は、西行の見た伝統的な桜とは違う。おそろしく妖しい。絶対的な孤独を感じる」〔……〕/いま時代は閉塞感が漂い、「第二の敗戦」の様相を呈している。戦後の混乱の中で安吾の文学が読者の生きる支えとなったように、人間の実存を見つめる安吾の純粋な魂は、いま読者を励ましているのだろう。】。
3月19日 ▼2003年6月のホームレス襲撃事件を取り上げた『毎日新聞』連載“[凍った眼差し]ホームレス襲撃事件”が3月19日、完結(3月9日付から全8回)、「1 “橋の住人”は重い口を開いた」.03.09付 / 「2 たいしたことないって思ってるのか」.03.10付 / 「3 少年は悔い母に更正を誓った」.03.12付 / 「4 変わり始めた、中2の夏」.03.13付 / 「5 「おやじ」が見てきた風景」.03.14付 / 「6 現場周辺、今も続く暴虐」.03.17付 / 「7 うつ病抱え、鶴に願い込める親子」.03.18付 / 「8 被害者の身内となったジャーナリスト」.03.19付。▼深見史「リンチ社会を導いたマスコミ=麻原世論裁判」〔『人民新聞』第1172号04.03.15付掲載〕。【公安情報を垂れ流し、団体規制法制定のためのオウム排斥運動=住民ファシズムの火付け役を演じ、行政による麻原子女の就学拒否事件をでたらめ報道した朝日新聞は、麻原公判報道でもそのいやらしい体質を限りなく顕わした。/判決公判当日、判決の読み上げがまだ終わっていないにもかかわらず「死刑判決へ」という大見出し記事を載せる、「小心な俗物」などという人格攻撃を平然と書きちらす、小泉首相の「死刑は当然だ」発言を批判なく載せる……これが連中の言うところの「権力チェック機関」の仕事か、二八日の朝日「社説」は、例によって「何がオウムを生んだのか」「教団を生んだ社会の病巣を少しでも知りたい」と悩むふりをしてみせた。本当に「(被告が)法廷で語ることを拒んだ理由はわからない」のか。/弁護団が語ったように、麻原公判は始まる前から「死刑だ、死刑だ」という「世論」に取り囲まれた世論裁判、リンチ公判だった。そんな中で麻原被告が「語ることを拒んだ」のはまさに当然で、問答無用の「世論」を誘導してきたマスコミに彼の沈黙を批判する資格などあるはずがない。そもそも被告が沈黙するのは権利であって理由なんかいらない。「理由はわからない」などと、わざわざ言う必要はない。/マスコミは一貫して麻原弁護団を攻撃してきた。引き延ばしだ、重箱の隅をつつく尋問だとののしり、弁護団に莫大な国費を使っているとその「無駄」を書き立ててきた。「麻原は死刑が当然」という「世論」があったとするなら、推定無罪・沈黙の権利・「疑わしきは被告人の利益に」原則という法治国家の基礎をあらためて提示し、リンチを求める「世論」を批判するのが言論機関の本来の役割ではないのか。マスコミがやってきたことはまさにその逆だ。裁判など無駄、真実などどうでもいい、早く死刑にしろという「世論」を作り上げるためにだけ、彼らはせっせと記事を作成してきた。〔……〕/事件は何ひとつ解明されないまま「麻原死刑」でめでたく終わるのか。ろくな捜査をしていない警察・検察(するとまずいからかも)と、それを全く追及しないマスコミ(みんなグルかも)の責任こそ甚大ではないのか。/「何がオウムを生んだのか」などと気障ってる前にやることはあるだろうが!】。関連読書録:04.03.14付 / 04.03.03付。
3月18日 『CV』vol.00 創刊準備号(2004年3月、太田出版)の「編集後記」に北尾修一は【雑誌という形式を借りなければ伝えられない思い、感情、気分、はあると思う。それを伝えたくて作った、これは完全なるインディペント・マガジンです。で、いろいろ伝えたいことのうち、まずは啓蒙的じゃない感じで“読むことの楽しさ”を伝えてみたかったのがこの号です。〔…〕ネット上で自分とは関係のないことについて長々と話し合い、結局「欠点もあるけど長所もあるよね」という結論に落ち着いた。とかいうのは、我々にとってはつまらないとしか言いようがない(人間関係の内側!)。〔……〕分別があるはずの年齢のオトナたちが集まって一生懸命ミニコミを作る、ということがやってみたかった。だから、自分の周りで声をかけられる人に声をかけた結果が、この号です。】と書き、同誌同号の、赤田祐一「『WET』についてボクの知っている二、三の事柄」は【もし『WET』が、雑誌づくりの教訓として教えてくれたことがあるとすれば、●雑誌に必要なのは、ひとえに自由な遊びの精神である/●現実は、破壊するか、超えるか、どちらかしかない/●そのためには自分のビジョンについて幼児のように忠実でなければならない/という3点ではないだろうか。/コマーシャルに便乗したいとか、お金を儲けたいとか、雑誌をたくさん売りたいとか思って、真実を水で薄めてしまうと、既成概念は超えられないし、もはや自由な精神はありえないのだ――と。】と指摘している。
3月17日 ▼トム・フランク、森亮子訳「アメリカのポピュリズム」〔『ル・モンド・ディプロマティーク』日本語・電子版2004年2月号掲載〕。【右派「ポピュリスト」の意見は一部には正しい。「リベラル」の中にはヨーロッパでバカンスを過ごしたり、カフェラテを飲んだり、ボルボを運転するのが好きな人もいる。しかし、「リベラル」の目立った特徴は、自分たちの同類ではないアメリカの民衆を嫌悪していることだ。動物愛護団体の集会に行ったり、大学のキャンパスを歩いたりしてみると、ある種の政治活動が高等教育を受けた上流中産階級の人々、歴史家クリストファー・ラーシュが貼ったレッテルによれば「少数派文明人」たちの専有物と化していることにすぐ気付くだろう。こういった人々が行う政治は、運動を生み出していくための活動というよりも、個人的なセラピーや自己実現の実践になりがちだ(5)。彼らにとって、左派であるというのは心の安らぎ、貧民や移民の「迫真性」への感情移入、こうした人々をたまには気にかける者がいることを示すための手段でしかない。身に付けたバッジや車のバンパーに貼ったステッカーは、リベラルの善良さを世間に訴えかけようとするもので、「倫理的」と言われる消費を選択したり、ガラス瓶のリサイクルに気を配ったりするのと似ていなくもない。左派雑誌の中には、抗議活動を魅力あふれることとして、スター活動家とともに取り上げるものさえある。「アクティヴィスト(活動家)」という名のオードトワレまであるくらいだ。/左派の家に生まれたから左派という人々もいる。由緒ある家系の者ならば、ご先祖の系図を自慢げに披露してみせるだろう。こういう場合には、社会運動としてのアメリカ左派の破滅的な退潮、その衰退は、たいして重要なことではない。左派であることは十中八九、上流の人間が恵まれない人間に向けた「同情」にすぎず、社会の変革を目指した「運動」ではないからだ。左派の数が減れば、国民的な医療保険や組合活動の権利を勝ち取るのが難しくなると考えられる。ところが一部のアメリカ左派の場合には全く逆に、自分たちが貫こうとする非協調主義の株が上がるとか、自分たちが擁護する「反逆」思想の「創造性」を発揮できるとかいう風に考えているのだ。/つまり、星条旗を振り回すような「田舎者」に対しては、多数派を目指す政治闘争に参加するよう説得するよりも、とにかく対抗して立ち上がるということになる。というのは、ほとんどの場合、左派であるということは、アメリカの民衆と共通の大義を形成していくことではなく、彼らに説教し、誤りを正し、欠点のひとつひとつを指摘するということだからだ。】。▼最近の『東京新聞』特報面。「日の丸・君が代『適正実施』に揺れる都立高 卒業式で光る監視の目」03.13付、「『噂の真相』休刊真意を聴く 岡留安則編集長インタビュー」03.10付、「ポスト『オウム』 カルトは今」02.28付。
3月16日 「全国企業倒産集計2004年2月報」〔帝国データバンク〕、【倒産1208件は、14ヵ月連続の前年同月比減少。依然として減少傾向が続いているものの、わずかながら底打ちの兆しも表れており、変化を見極めるにはしばらく推移を見守る必要がある。倒産が抑制されているのは、「中小企業金融セーフティーネット」が資金繰りを大幅に支援し、「企業間信用の縮小」「事業リスクの回避」が倒産を発生しにくくしているため。〔……〕負債総額は1兆898億3700万円で、前年同月比28.9%減少したが、前月比では140.3%増加し3ヵ月ぶりに1兆円を超えた。月中に大洋緑化(株)(負債1204億4100万円、東京都)をはじめ、新陽環境開発(株)(負債724億円、東京都)など負債100億円以上の大型倒産が23件発生、特にゴルフ場、不動産関連が大半を占めているが、今後も「塩漬け案件」がタイミングを図って法的整理に至るなど、負債1000億円規模を抱えた企業の大型倒産が定期的に発生する状況が続くであろう。巨額の円売り介入による景気下支えの危うさ、米国の景気後退懸念、地域金融機関の再編・淘汰による取引企業への影響など、不安要因は確実に膨れ上がっているものの、超金融緩和による不振企業の延命策が繰り返されるなか、倒産は抑制された推移をたどっていくものと思われる。これにより、2003年度(2003年4月〜2004年3月)の倒産は1万5000件台後半に達するものと予想される。】。
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