読書録 2004年3月前半(敬称略)

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  • 3月15日 『ぴあ』2004年3月22日号が“KUSAMA”に魅せられた人たちを特集、成宮寛貴、宮崎あおい、フルカワミキ、加瀬亮。草間彌生はインタビューに答えている。【「戦争と社会不安とまともでない社会制度の間でみじめな少女時代を過ごしたので、このような子供時代を送りたかった、という願望をつくりました。絵描きになることも許されなくて、汽車に飛び込もうと考えたこともあります。アメリカにどうしても行きたくて、画家のジョージア・オキーに手紙を書きました。彼女から奇跡的に返事が来て、27歳のときに渡ることができました」。〔……〕当時のコンセプチュアルなアートの中で、彼女は独自の世界をひた走っていた。ニューヨークでは新しい芸術として歓迎された。しかし、特に当時「ハプニング」と呼んだヌード・パフォーマンスは、日本の報道によってスキャンダラスに伝えられた。「父からの送金が止まり、松本の母校で同窓会名簿から私を外そうという運動も起きました。このとき母が取りなそうとしてくれたと聞いてうれしかった。今は松本市美術館に私の作品があり、子供たちがそれを写生しています。きみたちは何になりたい、と聞くと『草間彌生のようになりたい』と答えると聞き、大変うれしく思っています」/状況は変わったが、それでもまだ日本は、アートをはじめ、新しい異質なものに対する扉が固い。〔…〕】。関連:「クサマトリックス:草間彌生展」レポート〔JDNのサイト〕。

  • 3月14日 ▼元麻原弁護団団長・弁護士渡辺脩「2004年2月27日判決後の弁護団最後の記者会見 一審判決についてのコメント」、【この判決は、検察側主張の上塗りにすぎず、絵空事だ。世論裁判・雰囲気裁判であって、「でたらめな事実認定」の一言に尽きる。この判決では、なぜ、どのようにして一連の事件が起こることになったのかが全く分からない。〔…〕】。関連読書録:04.03.03付。▼「第20回参院選沖縄選挙区選挙協力に関する協定書調印式」04.03.13沖縄社会大衆党。▼「釜パト活動家に対する3・9不当逮捕弾劾!」04.03.13釜ヶ崎パトロールの会。

  • 3月12日 字游工房が游築初号かなの販売を2004年3月8日から開始。価格=1ライセンス:¥15,750(税込み価格)。▼『第二回竹尾賞 デザイン史研究論文受賞作品集』(2003、株式会社竹尾/株式会社竹尾研究所、税込み500円)、奥定泰之「タイポグラフィー試論 光朝体について」、添野勉「日刊写真新聞『アサヒグラフ』の挑戦と挫折 「グラフ雑誌」と「グラフ編集」の原像」、薩摩亮治「「起し絵図」 日本の伝統建築における建築図の変遷」、笈川道義「デザインの表層としての書体三十年史」。

  • 3月11日 『図書新聞』第2669号 2004年3月13日付が“追悼 網野善彦”を特集、小路田泰直「網野史学に立ち戻る 人類史に関する逆転の発想を持つ歴史学」、平川俊彦「非農業民とモノの視点に学ぶ」。『週刊読書人』第2529号 2004年3月19日付“網野善彦氏逝く”に、山本幸司「現代の閉塞社会に対する本質的な批判 魅力的な中世世界を描く/自己の認識に責任を持つ知的誠実さ」、【近代へ向かっての進歩に疑念を表する点において、マルクス主義史観から訣別しながら、他方において、なぜ天皇が長期にわたって存続し続けてきたのかという疑問にこだわり続ける点で、網野さんは最後まで戦後の左翼運動の魂を持ち続けていたと見ることができる。「壊れたレコード」と自嘲的な表現を用いながら、「百姓は農民ではありません」などと何度でも繰り返す執念は、自己の認識に責任を持つ知的誠実さの表れだったのだろう。その根底には、認識は力であり戦うための武器であるという信条があったといえるし、それは網野さんが左翼運動の中で身に着けたものだったのではなかろうか。】。関連04.02.27付訃報:河北新報 / 朝日(goo)/ 毎日

  • 3月10日 鷲尾賢也「ポイント世代の編集論」〔『トランスビュー』no.07 2004年1月 掲載〕。【パソコンやワープロによる原稿が圧倒的多数になっている。〔…〕/しかし私には、出来上がった原稿を持ち帰るあの重量感が、忘れられない。ようやく貰えた、どんなデキなのだろうか。気持ちが昂ぶったものである。だから原稿を失くしては大変。どんなに酔っても、網棚に載せてはいけないと先輩によく注意された。いまではバックアップをとってあるので心配がない。実際の重さだけでなく、原稿の扱いのすべてが軽くなってしまった。/手書きの原稿には著者の息づかいや、気持ちの揺れなどがよく見えた。品のない略称「ふんどし」といわれる、挿入の追加原稿がたくさん張られていたり、はげしく削除されていたり、字が乱れていたり、まさにくるしい戦いの痕跡なのである。/原稿をまず読む。もし出来が悪かったら、修正してもらわなくてはならない。だからたのしみでもあるが、不安でもある。これは「いける」と確信できたときの喜びはいわくいいがたい。「まあまあかな」というときもよくある。合格点なのであるが、どこかちょっと気にいらない。しかし、そういう手書き原稿をゲラにしてみると、おもしろいことに「おー、結構いいじゃない」ということがよくおこる。概して平均すると二〇パーセント増しに評価はあがるものだ。おそらく活字の力が加わるのだろう。/ところがパソコンやワープロ原稿にはそういうことがまったくない。ゲラにしてもプラスアルファがない。「まあまあ」の原稿は、ゲラになっても「まあまあ」。「駄目」なものは、ゲラにしても救われない。個性的な字が活字になり、こんなに読みやすくなったのか、といった予想外の感動や驚きが生じない。】。

  • 3月9日 ▼下村健一「鳥インフルエンザの浅田農産会見を敢えて評価する」4.03.03。事実を究明するのではなく、「正義」を振り回すことで事実を隠蔽してしまったジャーナリズムの中で、3月3日の時点でこのような見解が出ていたことはジャーナリズムの希望![04.03.17追記]下村健一「浅田農産会長の自殺と、メディアの自殺」04.03.09 / 「浅田農産会長自殺で、報道批判の声続々」〔下村健一の「眼のツケドコロ」〕。▼『SWITCH』VOL.22 NO.3(2004年2月)が“SPECIAL:少女=純潔”、「岩井俊二「少女の時代、実は……」」(文:湯山玲子)。3月公開の映画『花とアリス』に関連してインタビューに答えて岩井は【〔…〕大変だよね。実際、今、大人になってこの時代とか振り返ると、極論を言うと学校はいらなかった、とホントに思うんだよ。/学校出ると、会社とかに入って、全く別の世界が待ってるって、子供の頃は思ってるじゃない。でも、そんなことはないんだよ。学校と同じようなコミュニティーが社会に存在してて、みんなどっかに所属してるだけであって、たまたま、そういった場所の一つが学校にすぎないということがわかる。だとすると、学校に強制的に行かされるのって、相当気の毒だよね。行かなきゃ、不登校みたいなこと言われててさ。子供は単に教育を受ける権利を持ってるだけで、受けなきゃいけない義務はないのに、そこにずっと押し込められるというか。/全然大人だし、賢いわけだし、それを封印して十年過ごさせてるのってあんまりいいことじゃないような気がする。社会に出ればみんなと、ちゃんと自分の中の利害関係でやってけば、健やかな人間関係になるんだろうと思うよ。だって、撮影の現場来て、ぐれてる奴なんかいないからね。そんなことしてたら仕事になんないわけでさ。そこには正しい社会の関係があるからだよね。だって、社会人でぐれてる奴というのもあんまりいないじゃん(笑)。〔……〕/一日で六個ぐらいのことやるんだよ。しかも、宿題とかもあって、おまけにクラブ活動までやって、塾とかいったりするんだよ。もうさ、その能力を持って社会に出て来てくれよ、って思う。本当に。何やってるのって思うよ。学校なんてもともとさ、百年ちょっとしか、歴史がないようなもので。いらないんだよ、たぶんね。虐めをなくしたいんだったらさ、学校無くせ(笑)。というか、学校をぐるぐる転校させれば良いんだよ。ある町に例えば十校あったら一週間ごとに十校まわるとか。虐めはなくなるし、でも友達は出来るんだよね。だいたい、他のオプションがないっていうのは、しんどいんだよ、人生。】と語っている。関連読書録:昨3.24付 / 昨7.26付 / 昨10.4付

  • 3月8日 ▼増田聡・谷口文和「録音・複製テクノロジーと音楽聴取体験の多層化 オーディオ趣味とDJ文化を中心に」〔『鳴門教育大学研究紀要(芸術編)』第19巻、2004〕、増田聡「音楽「著作権」の誕生 近代日本における概念の成立と流用」〔『鳴門教育大学研究紀要(芸術編)』第17巻、2002〕。▼〔再掲〕「JIS Z 8125:2004 印刷用語−デジタル印刷」04.02.20制定(規格票発行:日本規格協会)。PDF閲覧は、日本工業標準調査会(JISC)のサイト(JIS検索)から「Z8125」で検索。

  • 3月6日 「JIS Z 8125:2004 印刷用語−デジタル印刷」04.02.20制定(規格票発行:日本規格協会)。PDF閲覧は、日本工業標準調査会(JISC)のサイト(JIS検索)から「Z8125」で検索。

  • 3月5日 「立川自衛隊監視テント村への弾圧に抗議する法学者声明」。【2004年2月27日、市民団体「立川自衛隊監視テント村」の市民3人が、自衛隊のイラク派兵に反対するビラを配布するために自衛隊員の住む官舎へ立ち入ったとの容疑で、住居不法侵入罪で逮捕され、さらに団体の事務所とメンバーの自宅等6箇所が家宅捜索を受け、団体に関する書類やパソコンなどを押収されました。/わたしたち法学者は、この事態が、市民の正当な表現活動を抑圧し、民主主義社会を萎縮させるのではないかという危機感を抱いています。/まず、当該行為が刑法130条の住居侵入罪に当たるかどうかについて疑問があります。/近代法は、「公」と「私」の領域を区切ることで、「私」の自由な領域を保護することを主要な任務としてきたのであり、本条の保護法益も、部外者の侵入を許さずプライバシーの享有を期待できる区画された場所内の平穏な利用である、というのが通説的見解です。ここで郵便受けは、私人が住居という本質的に私的な空間を確保しながら、外から内部に向けて発せられる情報を受けとるために自ら設置した限定された空間だと考えられます。つまり、それは、法によって遮断された「私」と「公」の領域をつなぐための通路であり、外部との遮断を目的とするドアや門とは逆に、外に向かって開かれた性質を持つものです。したがって、チラシを郵便受けに配布するために他人の敷地に立ち入ることは、「プライバシーの享有を期待できる区画された場所」の「平穏」を害する行為にはあたりません。/当該行為が刑法130条の構成要件に該当しない上、今回の措置には別の目的があるということを疑うだけの十分な理由になります。考えうるのは、イラクへの自衛隊派兵に際して、市民と自衛官及びその家族との直接的接触を禁じることです。そうであれば、これは、憲法21条で保障される表現の自由の問題になります。憲法21条は、市民の間の自由なコミュニケーションは、正当な手段でなされる限り違法とされることがないことを保障しています。当該行為は、自衛隊のイラク派兵というそれ自体憲法上疑義がある事態を憂慮する市民が、自衛隊員とその家族に対して、市民として共に考えることを直接促すために行われたものであり、その手段も、ビラという通常の媒体を使用して、郵便受けという外に開かれた空間にそれを投函したという極めて穏健なものです。つけ加えるならば、ビラの内容も、自衛隊員とその家族に対して「共に考え、反対しよう」と呼びかけたものであり、その個人的法益を侵害するようなものではありません。自衛隊員とその家族は、市民としてこのような情報を受けとり、その内容について自分で判断する権利があるのであり、「住居侵入」という通常考えられない刑罰をもって両者のコミュニケーションを遮断しようというのは、法の明確性、安定性、予見性を著しく害し、市民の間の自由なコミュニケーションを萎縮させ、ひいては民主主義というコンセプトを傷つける危険性を孕んでいます。/さらに、このような正当な表現行為に対して、当該行為を行った市民団体のメンバーの逮捕、拘束にとどまらず、市民団体の構成員の自宅の捜索、関連するパソコンや書類の押収、という非常に強硬な手段が取られました。わたしたちは、ここで対象とされているのは、ビラの投函という一個の行為ではなく、当該市民団体の活動そのものであると考えざるをえません。もしそうであるならば、今回の措置は、結社の自由という憲法の基本的価値を揺るがす事態であり、市民が自由に結合し、自由に意見を表明できることでなりたっている民主主義社会に対して、深刻な傷を負わせる危険性があります。/以上のように、今回の措置には、自衛隊のイラク派兵に反対する市民団体を狙い撃ちにし、その正当な表現活動を制限することに真の目的があると言わざるを得ません。表現の自由、結社の自由、身体の自由は日本が民主主義国家である限り、最大限の価値がおかれるべきものです。わたしたち法学者は、今回の措置が自由な民主主義社会の基礎を揺るがす深刻な事態と考え、一連の言論弾圧を行った立川警察署および警視庁に強く抗議するとともに、三人の即時釈放を求めます。/2004年3月3日 賛同者一同/声明発起人:石埼学(亜細亜大学・憲法)/賛同者〔………〕】。

  • 3月4日 第21回 VIDEO ACT! 上映会『アリラン峠を越えて』(伊藤孝司/45分/2003年)+同時上映『隣のくにへ〜日本を見つめる韓国の若者たち〜』(湯本雅典/15分/2004年)、2004年3月26日(金)18時30分開場19時00分〜、東京ボランティア・市民活動センター(03-3235-1171、東京・飯田橋セントラルプラザ10階、東京都新宿区神楽河岸1-1、JR中央線・地下鉄飯田橋駅下車徒歩1分)、参加費500円、問合せ:ビデオアクト上映プロジェクト(03-5261-2229,090-3471-7475)koba@pc.email.ne.jp 。▼『現代思想』2004年3月号が“死刑を考える”を特集、森達也・鵜飼哲「討議・死刑文化からの抜け道を求めて」、安田好弘「国家と死刑 オウムという転換点」、池田浩士「死刑と正義とのあいだ 晴らせぬ怨念の行方を考える」、森毅「いくじなし宣言」、松葉祥一「死刑・主権・赦し」、ほか。

  • 3月3日 渡辺脩『麻原を死刑にして、それで済むのか?』2004年2月、三五館。【麻原弁護団のような闘う弁護士とその集団を国民の立場から真に必要とするのかどうかを私は本気で聞いてみたい。そして、権力側からの抑制を一切受け付けない在野の弁護士・弁護人というものの本当の姿を知ってもらいたいとも思う。〔……〕麻原裁判では何が起こり、何が明らかになったのか、また何が隠され、何が真実を見えにくくしているのかをできるだけ正確に伝えたい。/平等原則に一人の例外も作ってはいけない。どんな人にも公正な刑事裁判を受ける権利がある。】とする渡辺は【「オウム」という社会的に異質のものを切り捨てるだけでは、「オウム事件」のような事件を防ぐことができないし、人間の平穏な生存も保障されないのです。/オウム真理教教団と麻原被告は、世間の大の嫌われ者です。/いくら嫌われ者でも、その生存の権利とオブジェクションの権利とを認め、公正な裁判を受ける権利を認めなければ正常に機能する人間社会とは言えないでしょう。】【麻原裁判を歴史的な観点からとらえるという意味では、「被害者感情」と刑事司法の関係も看過できません。「被害者」の報復感情ほど強烈な人間感情はありえませんし、それは非常に自然な感情発露です。/しかし、そうだからと言って、公訴事実を否認して争い「無罪」を主張している被告人の法廷で、被告人の有罪を前提にするような被害者の意見陳述は許されるものではありません。〔……〕「被害者感情」を権利の問題として刑事司法の領域に過度に持ち込むことは刑事司法のあり方を大きく歪めるのです。刑事司法は、本来、「被害者感情」の支配を許さないところで成り立っているからです。/もともと、人間社会は被害者感情をもとにした「報復」で成り立っていました。しかし、「法」によって社会を律することが始まり、裁判が始まりました。文明社会は、犯罪について、被害者感情を離れ、「法の支配」で、問題を処理するように進化してきたのです。それを後戻りさせるわけには行きません。】と書いている。

  • 3月2日 「第11回東京国際ブックフェア」2004年4月22日(木)〜25日(日)、東京ビッグサイト。

  • 3月1日 「「慰安婦徴集、慰安所開設」日本軍が直接管理」04.02.27(韓国)中央日報、【日本の植民支配期に、旧日本軍の慰安所が軍によって直接統制、管理、運営されたことを立証する資料が見つかった。また日本が民間人や軍を動員し、詐欺や暴力などで女性を無差別に強制連行したことを示す慰安婦の身分証明書も見つかった。 同資料は、慰安婦の徴集や慰安所の開設、経営、管理に日本軍が直接かかわった事実を立証できるものとして注目されている。 これまで日本政府は、民間業者が慰安所を運営していたため日本政府と軍隊には責任がなく、軍の慰安婦が生計を立てるため自発的に志願したと主張してきた。/ソウル大の鄭鎮星(チョン・ジンソン)教授と米国リバーサイド・カリフォルニア大のチャン・テハン教授のチームは26日、女性部の調査依頼を受け、米連邦政府記録保存所(NARA)の捕虜尋問資料と、日本防衛庁の防衛研究所図書館にある資料などから関連資料を見つけたと発表した。 今回発見された日本軍付帯施設(Amenities the Japanese Forces)報告書によると、軍慰安所は必ずその地域の日本軍司令官の認可を受けなければ設置できず、閉鎖、臨時営業、中断の際にも日本軍の許可を受けなければならなかったことが分かった。 また、慰安所で働く慰安婦の数字と個人記録、身体検査、慰安所の位置といった慰安所の経営に関する事項も認可が必要だったことが分かった。/慰安所の経営者は、報告書を毎日提出し、月末にも報告書を軍に提出しており、慰安所の使用料(1〜4円)は日本軍司令官の裁量によって日、時間帯別に定められた。/これと共に、第2次世界大戦中の1944年に米軍が作成した日本軍捕虜尋問報告書には、36人の朝鮮人慰安婦のリストが新たに見つかった。 この報告書には、基本的な個人情報と、身長、体重、皮膚、髪の色をはじめ、結婚の有無、教育水準、職業といった事項が細かに記されている。】。