読書録 2003年9月後半(敬称略)

Jump to [読書録(月前半)] [トップページに戻る]
[特集] [盗聴法問題] [安田弁護士問題] [石原慎太郎1] [石原2] [石原3]
[石原4] [反戦日録] [備えあれば戦争] [強制連行の朝鮮人遺骨]
* 過去の読書録の検索への手がかりは[読書録人名索引] [読書録月別索引]へ。

  • 9月30日 承前、津村喬「日中関係の基本問題 8・15集会での発言」〔1971〕。【文化戦争は、ヒットラーがそうだったように、しばしば広告的言語を主要な武器として展開されるとさきに申しました。毛沢東が、原爆というのはハリコの虎なのだというのは、核兵器のもっている広告的言語のことを言っているわけなのです。核兵器が「死よりも秩序を!」という叫びそのものとして「戦後」世界をおおうにはヒロシマ・ナガサキという「実例」で十分だったのです。/この抑圧の構造は、国内的にもあらわれます。われわれの周囲にたいする権力の弾圧をふりかえってみれば、「戦前」のように組織を壊滅しつくすという弾圧よりは、一方で「実例」による脅迫、他方で人民間の分断・分裂策動という、いっそう複雑な形態をとっていることがわかります。〔…〕/このような核抑止という「文化戦争」の中にあって、「戦争が来る」と問題を立てるのは全然意味のないことです。〔…〕しかし少くとも戦略論的なレベルで、いま現に進行している日本帝国主義の対アジア・日本人民の反革命戦争の只中にあるわれわれが、これをどうしていくかという問題は、端緒的にであれここで立てられるし、立てなければいけないと思うのです。/8・15反戦といった視点からはそれは困るということにあるいはなるかもしれませんが結論からいえば、われわれはわれわれの戦争を準備しなければならないということです。「反戦」のスローガンは、われわれに勇気を与え、われわれの力を一定程度解放してきました。それはまた「平和と民主主義」を守れといった視点と反対に、いわゆる「加害者の論理」と結びついており、自分自身の形態との闘争という意味でははるかにプロレタリア的なものでした。しかし他方で、それは戦争にたいする合理的認識を放棄してきました。〔…〕/一部の諸君は、爆弾をつくるかつくらないか、と問題をたてています。彼らによれば、いま爆弾をつくる者だけが革命派だというのです。冗談ではない。それは「四次防」の思想です。武器さえあればという帝国主義の、スターリニズムの、戦争観です。〔……〕せまい意味での武器を使うか使わないかは、この論理の平面ではあまりたいしたことではありません。それはもっと具体的な条件の問題です。しかし、敵階級が「四次防」をやり、武器に頼って彼らの危機をのりきろうというなら、われわれは「人の要素が第一」という視点から、われわれの隊列の内部に巣食っているドレイの心性、帝国主義的感性をまず徹底的にたたきつぶしていく、そういう国民的規模での整風運動を展開していくこと、それをつうじて、偽善的な言辞にごまかされない、真の戦略的理性、戦線の中に生きてうごく戦略的理性を構築していくことが、勝利の道であり、戦争を最終的に葬り去っていく唯一の道であると考えるわけです。】。

  • 9月29日 「日韓代表団浮島丸討論会で訪朝」03.09.28共同、【【北京・共同】北朝鮮の朝鮮中央通信によると、1945年8月の「浮島丸事件」の真相を究明するための討論会に参加する日本、韓国などの代表団が27日、平壌に到着した。空港で「日本軍慰安婦および強制連行被害者補償対策委員会」の洪善玉委員長らが出迎えた。討論会は29日から行われる。】。「浮島丸事件で賠償拒否方針 半世紀前の政府内部文書で」03.09.27京都新聞。03.10.01追補:「浮島丸事件:外務省が報告書公開 50年時点で賠償拒否方針」03.09.28毎日 / 「浮島丸:真相究明求める南北合同シンポ開催」03.09.29毎日。▼亀和田武「偽の60年代モードが主流だなんて」〔『朝日新聞』03.09.28「亀和田武さんのマガジンウォッチ」〕。【60年代ブームは思想や批評など特定ジャンルの現象ではない。この冬のモードも主流は60年代だ。それを受けて、「ハイファッション」10月号は〈目覚める'60年代。〉の特集を組んだ。〔…〕/60年代風に決めた外国人モデルの姿を見て、私は「懐かしいな」と思う。そしてすぐに気づく。私たち日本人はこんなスーツやクチュール風のミニドレスを間近に見ていない。パリコレ情報を伝える写真の中にしか存在しなかった60年代ファッション。それを洗練させたこの冬のモードを「懐かしい」と感じるのは記憶の錯誤だ。橋幸夫と舟木一夫で育った世代が、いま自分を根っからの「ビートルズ世代」と思いこんでいるのと、それは似ている。/63年、ジャッキーの時代が終わり、代わってビートルズが台頭した。異なる価値観を表す固有名詞が並ぶ不思議さ。でも「ハイファッション」のグラビアが美しいのは、そんな記憶の混淆が生んだ幻の60年代を再現しているからだ。63年にケネディが暗殺されず、ベトナム戦争も泥沼化しなかった。もうひとつの世界。ヒッピーがブームになってもドラッグ渦は免れ、しかもサイケデリックが流行した60年代。そんな偽の歴史がモードの主流だなんて。私たちはフィリップ・K・ディックの小説を、デビッド・リンチが映画にしたような奇妙な世界に生きている。】。

  • 9月28日 承前、津村喬「日中関係の基本問題 8・15集会での発言」〔1971〕。【敗戦というのは、何が終ったことだったのか?/中国人民の反撃に耐え切れずに、言いかえれば日中戦争の高度の構成に耐え切れずに、日本軍は敗退せざるをえなかった。ここにはもともと、アジアを英米から解放するためにアジア人民と戦うという決定的な欺瞞というか、アポリアがあったわけですが、その自己矛盾にかたちを与えることによってしか、この敗戦を引きのばす途はなかった。それがつまり、12・8の、対米英通常総力戦への後退です。8・15という時点で終ったのは、この、中国にたいする「引きのばされた敗戦」が対米英通常総力戦のかたちをとるという、そのことだけです。この敗戦はなお引きのばされて現在にいたっている。「戦後」とは、「引きのばされた敗戦」のことにほかならなかった。〔…〕アジア人民の方は、反米帝というかたちをとった、またはそれと並行した反・大東亜戦争をずっと展開している。それを日本の方で勝手に終ったといって、アジアの主要な国々との国交を拒否し、入管体制をつくって日本人民とアジア人民を分断することで、「戦後」の繁栄を築きあげてきた。一口で言ってしまえば、「戦後」という考え方ないし言葉自体が、新しいかたちの文化戦争の武器であったわけです。/近代国家の崩壊過程で、その表出=構造としての近代戦は、自らのうちにその否定者をうみだした。それが超=戦争ないし間=戦争というべき、「文化戦争」である。「文化戦争」とは、新資本主義社会あるいは国家独占資本主義体制の必然的な表出構造である。そしてこの「文化戦争」は、二つの、まったく逆の、ブルジョア的な、そしてプロレタリア的な方向づけを与えられる。一方で、戦争はいまや人民の手にわたり、居住の内存在としての革命戦争、つまり持久戦が形成される。永続的・文化革命戦争が形成されるわけです。そして他方で次第に、いわゆる抑止としての戦争がうまれた。日中戦争における日本軍の全体的破壊への志向を第一歩とし、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下を第二歩として、抑圧的テロルへの歩みが、近代戦の自己否定としてなされるわけです。/核=抑止あるいは「冷戦」といわれる新しい戦争は、こうして「文化戦争」の完成としてあらわれます。〔…〕アメリカは、対日戦終了の儀式を、自身の対ソ対中文化戦争の開始として行う。そのことによって、「日中戦争のアポリア」を引きつぎ、全世界的な核=抑止帝国主義体制へと拡大したのです。】。

  • 9月27日 承前、津村喬「日中関係の基本問題 8・15集会での発言」〔1971〕。【一律で言えるかどうか断言はできませんが、ふつうの、まあ「生活大衆」の中では、反戦とまで明確に分節化しない厭戦意識が、実は日常性へのしがみつきの心情として、いまある生活を守りたいという秩序意識と結びついたものとしてあって、逆にそのなんとはない戦争への郷愁といったものが、日常性から離脱したいという反秩序エネルギーの表われとしてある、という逆転があるように思われるわけです。こうした状況にたいして、戦争=悪といったことで問題をたててみても、これは全然どうしようもないことです。】とする津村は【ぼくの考えでは、日中戦争と日米戦争というものは、まったく性質を異にしていたのではないか、〔…〕日中戦争はひとつの「文化戦争」としてはじめからあって、そしてその文化戦争の敗北の結果として、通常総力戦に後退した日米戦争がそれに重なって展開されたのではないか〔……〕日中戦争というものは、従来世界のどこにも見られなかったような、近代総力戦をひとつ超えた段階の戦争としてあった。それは、たんに国家と国家の戦争ではなくて、内乱を鎮圧にいったのだともののべさんが表現されたけれど、そのことを含めて、軍隊間の戦争ではなかった、ということです。相手の軍隊を武装解除しただけでは片づかない、相手の文化を消滅しつくすことなしには勝利というものはないという性質をもっていた。通常の総力戦というのは、すでにこうした「全人民的」な性格をもっていたわけですが、敵の文化を制圧するということ、しかもそれを主要に広告的言語によってやっていくということが出てきたのは、これは一九三〇年代の新しい特徴です。その意味で、ナチスの用語を借りて、「全体性」、ないし「文化戦争」という言い方をここでしておきたいわけです。/日中戦争のこの戦略構造、その高度の構成というものは、おおまかに言ってしまえば、三〇年代にその形成過程をもった日本の国家独占資本主義の構造性と、毛沢東が一貫して彼の中国革命論の基底に置いた、中国の不均等構造とに相互的に決定をうけていたといえます。〔…〕三光作戦〔…〕の中にすでにこの戦争の全体性と永続性が、歪曲されたかたちで表わされていました。全体性というのは、生活空間全体の破壊・制圧ということ、永続性は、戦時と平時の区別がなくなる、宣戦布告なき戦いというかたちで、現われていたわけです。戦争のこの性格を本当に解明することができたのは、防禦の立場からこの戦争を指導した毛沢東によってでした。それは、根拠地革命路線と持久戦論というかたちで与えられたのです。日中戦争のこの高度の構成こそが、中国革命に初期から永続的文化革命戦争としての形態をもたらしたのではあるまいか。〔…〕それでは日本の方はどうでしょうか。】と述べている〔つづく〕。

  • 9月26日 「市民殺傷は嫌と空爆拒否 イスラエル軍パイロット」03.09.25共同 / 「イスラエル軍:自治区での作戦飛行を拒否 パイロット27人」03.09.25毎日。10.03追補:「「新年のすばらしい贈り物」 空軍兵士達からの作戦参加拒否 ギラ・シヴィルスキーからのメールによる」03.09.25パレスチナナビ。▼津村喬「日中関係の基本問題 8・15集会での発言」〔『情況』1971年10月増刊号 所収〕。当時(1971年)の「中国ブーム」と「大東亜共栄圏」論の対応について【こんにちの言論の主要な性格としての「均衡化」ということ〔…〕ここでは一見進歩的な言論と一見反動的な言論が相互に補いあって、現実の革命への事態の展開を妨げるという均衡化の構造が成り立っています。】と指摘する津村は【この、均衡化言論抑止の中の朝日の性格をもっともよく表わしているのが、編集委員でもあり、自身探検家として知られている本多勝一記者の仕事であるとぼくは考えます。彼は最近『殺される側の論理』という本をまとめましたけれども、この問題のたてかたはおそろしい偽善をふくんでいると思うわけです。第一に、ベトナム戦争なりに関して、実に簡単に「殺される側」に身を擬してしまえるということの誤り。むしろベトナム人民と「われわれ」の歴史的に形成された差違をひとつまたひとつとつかんでいくことこそが真の出会いへの道であるはずなのに、その距離をとびこえてしまうということです。そして第二に、それでは果してベトナム人民や中国人民に「殺される側」としてレッテルを貼ることができるかということ。彼らだって殺しているし勝利もしている、という相対論だけではなしに、われわれ日本人が、アジアにひどいことをしてきたからと「殺される側」に逆に追いつめていったときにどんな「論理」を吐けるのか、ということでもある。/本多さんの文脈の中では、「殺す―殺される」という二項が、まったく無内容なメロドラマとして成立してしまう。自分の足許を見ないでアジア人民との同化が可能だと思うのは、以前の大陸浪人的な感性である。それが実際に国際政界で動けるような情勢では今はまったくありませんから、していることといえばアジア人民の偉大な解放闘争を、お茶の間的同情の論理へと翻訳し衛生無害な情報におとしめることだけです。本多さんの気持がどうあれ、そういう役割しか果していないことの思想的根幹は、彼がしばしば、自分はベトナムへ行って変った、完全にではないが、ベトナム人民の立場に立てるようになったと書いているその自己了解にあるように思われます。/つまりこれは、もう少し一般化して、この会場でもいくつか提出されたようなアジア人民の指弾・告白をわれわれはどのように受けとめうるかという問題になってくるはずです。贖罪とか、そういった「謝る」ようなことでアジア人民の立場に立てるという幻想こそが、われわれとアジア人民の隔たりの小さくない要素でもあるわけです。/さきほど申しましたような均衡化の構造のひとつのかたちとしてのメロドラマ意識の解剖は、この構造を解除していく決定的な緒口になるものではないでしょうか。〔…〕】と述べている。

  • 9月25日 「『私の人生返して』 優生保護法 被害者の訴え」03.09.24東京(特報)。▼「特別企画:外食産業の倒産実態調査 外食産業の倒産、2003年は過去最悪のペース」2003.09帝国データバンク(TDB Watching)。▼安川寿之輔『福沢諭吉と丸山眞男 「丸山諭吉」神話を解体する』2003年7月、高文研。【福沢が「教育勅語」にも賛同していたという(福沢研究史上からは衝撃的な)事実の本格的な論証・解明は、(福沢没後百年以上にもなるのに)じつは本書が日本ではじめておこなうこと】(まえがき)とする安川は、福沢が主宰し論説主幹にあたった「時事新報」に教育勅語発布直後に積極的な賛意の社説を掲載させている事実を指摘、具体的に論証によって【丸山の福沢研究が明らかにしたのは、作為的な引用と、不都合な部分は引用しないというご都合主義によってつくりあげた「丸山諭吉」像そのものであるといわざるをえない】と断じている。1890年代の「教育と宗教の衝突」論争事件や久米邦武事件について【丸山真男は、帝国憲法と教育勅語の発布の大事件の場合と同様に、二つの事件と「当時の大問題」に論説主幹福沢諭吉がどう反応し、なにを書いたのか書かなかったのかを、問題にする意思や気配はまったくない〔……〕丸山の福沢研究は、いつも歴史の現実の展開とは無関係に、まるで真空の中の福沢の思想を考察・把握するという、思想家福沢諭吉の主体的責任を一貫して無視・たなあげするという手法そのものではないか】とし、福沢のアジア観についての丸山研究に対して【『すすめ』で建前としての国家平等観を紹介していた福沢が『通俗国権論』で帝国主義的な主張をするようになったのは国際環境が悪かったせいであるというこの場合の丸山の論法は、福沢の保守化をもっぱら国際環境のせいにすることで、思想家福沢の主体的責任をすべて棚上げし免責する手法そのもので、明らかに思想史研究からの逸脱である。アジア太平洋戦争敗戦にいたる近代日本の「カタストロフ」は、「国内構造の特質」と「国際環境」のせいであるという説明も、帝国憲法=教育勅語体制に賛同し、「教育と宗教の衝突」論争事件や久米邦武事件への沈黙で国家主義の確立に追随・寄与するというかたちで、福沢が近代日本のカタストロフへの道のりに積極的に加担したのではないのか、という問題の考察に封印をする論法といえよう。】と指摘し、【日本最大のこの保守主義者福沢諭吉に対抗し、私たちが、彼をどうのりこえどう克服するのか、またそうすることによって、戦争責任問題を放置してきた日本の戦後民主主義の再生をどうはかることができるのか。それが私たちに残された課題である。】と提起している。歴史研究における立場の問題の重要さを再認識させてくれる好著!

  • 9月24日 「静内でシャクシャイン法要祭 「共生の道」呼び掛け」03.09.24北海道新聞。▼ACA(Anti Capitalist Action 反資本主義行動)のサイトに「9.22 IMF/世界銀行総会に反対する申し入れ行動への機動隊・公安警察の不当弾圧・逮捕に抗議する声明」03.09.23、【9月23〜24日の日程でアラブ首長国連邦のドバイで開催されるIMF/世界銀行の総会に対抗する反グローバリゼイションの行動として、2003年9月22日(月) 午後、ACA(Anti Capitalist Action 反資本主義行動)呼びかけによる申し入れ行動を行いました。日比谷公園横の富国生命ビルにあるIMFアジア大平洋事務所にたいする行動にたいして、参加した10名の10倍はくだらない公安警察・機動隊の異様な弾圧シフトにより、参加した仲間1人が不当にも暴行を受け、逮捕されました。この言語同断な弾圧、警察による「特別公務員暴行陵虐罪*」に十二分に相当する暴虐を糾弾し、即刻解放するよう強く要求します。/当日の申し入れ行動は、逮捕された当人が事前にアポイントをとり、礼を尽くして申し入れを行うものでした。にもかかわらず、10名による申し入れ行動にたいして、新橋駅前の集合場所から富国生命ビル内外にかけて多数の公安警察が配置され、警察機動隊数十名が配置されているものものしい状態でした。/申し入れ行動にたいしては、たった数分で「推進」という合図とともに、機動隊の盾にパックして強制的に排除するものでした。血税によって運営されている公的機関への市民的な申し入れに対して、あまりにも不当な規制です。暴力的な排除により隣の日比谷公園内に強制的に押し込められてから、警察機動隊の横暴にたいして当然の抗議を行い、当日の行動を終えようかというまさにその時、1参加者を機動隊は蹴り倒し、公園内になだれ込み、参加者を次々と上から組み伏せ、傍若無人の振る舞いでした。/逮捕された仲間は、日比谷公園入り口を封鎖する機動隊にたいして、ジュラルミンの盾越しに、申し入れ書すら出させない強制的な連行に声を大にして抗議しただけです。この正々堂々たる抗議にたいして、いきなり暴力的に蹴り倒し、組み伏せて拉致し、近くの丸の内署に監禁するなど断じて許されない権力的な暴挙です。/市民的な申し入れ、抗議や表現の自由がここまで暴力的に侵犯されている事態にたいして、多くの方々が抗議の声をあげ、また逮捕されている仲間の即時解放を求め、反弾圧救援活動をご支援下さるよう心からお願いいたします。/皆様の相互扶助、連帯・友愛を求めて。】。「緊急声明:IMF抗議申し入れ行動への弾圧に反撃しよう」。▼「読書の秋、図書館は冬 削られる都内の資料費」03.09.23東京(特報)。

  • 9月23日 ▼四方田犬彦「聖地ウルルから戻って(1)」03.09.23週刊ドドンパ。▼インタヴュー・小熊英二「“保守”に吸収されゆく“普通”の市民」(インタヴュー・渋谷陽一)〔『SIGHT』Vol.17 2003年10月 所収〕。【「〔…〕日本で言えば、六〇年代の高度成長期に、無党派化よりも先に多党化が進んだ。〔…〕そうやって多党化しても、それでも吸収されない層が出てくるようになる。そうなったときに起きたのが、全共闘運動だったと思うんです」「全共闘はノンセクト・ラディカル、つまり『無党派ラディカル』が支えていた。既存のすべての政党にNOと言ったわけです。その際にNOを表現する媒体になったのがマルクス主義だったわけですが、必ずしもべったり信じていたわけじゃない。〔…〕」「高度成長で社会が変動してゆく中で、それまでのものに飽き足らない人、どの共同体からもはみだしてしまった人が増えていた。その不満を惹きつける吹き出し口を作ったとき、その表現手段がたまたまマルクス主義だった、ということだったと思うんです。/私が思うに、この状況はいまも続いていて、飽き足らない層は増えている。やはり近代化なりグローバリゼーションが進めば、ムラの共同体も崩れる、会社の終身雇用もなくなる、労組も当てにならない、自分で判断せざるを得ないという形になっていく。これは近代化というか、資本主義化が進めば大体そうなる。すると、それまで会社なり学校なり親が与えてくれていた価値観が当てにならなくなる。当てにならないどころか、信じてやってきたのに約束されたはずの結果が出ない、裏切られた、じゃあブチ壊してしまえ、という反応が出てくる。これが全共闘時代のアナーキーな反権力意識の背景だと思う。いまでもこの構造は、進行こそすれ変わっていない。ところが、マルクス主義の失墜も一因ですが、吹き出し口のほうが機能していない」】【「左派は『普通』に逃げられないから、思想や運動へのニヒリズムの風当たりをより強く被りますね。保守はもともと思想不在というか、『思想や理念なんて嘘だ、伝統や現実が大切だ』とか言っていれば済んだわけですから」「〔…〕ただ私が『つくる会』や小林よしのりさんの著作を見ていて、時代が変わったなと思ったのは、アンチニヒリズムというか、モラルとか公に尽くすとかいう主張が受けるようになったんだなと認識したこと」「これは七〇年代、八〇年代にはあんまり考えられなかったことです。理想とかモラルへの冷笑的な姿勢がトレンドだった。そのひとつの極限が、九五年のオウム事件に対する反応ですね。あのときは、これは理念で世の中をどうにかしようとする運動の究極のパロディだ、という批評が多かった。/その数年後に出てきた『つくる会』や小林よしのりさんの『戦争論』は、そういう潮流への反動と考えていいと思う。ニヒリズムやエゴイズムに飽きはじめる傾向が出てきた。これは大学で学生に接していても感じます。/原因のひとつは、景気の低迷でしょう。経済成長期には各自が自分の利益を主張していれば右肩上がりだったけれども、それではもう立ち行かない。『自分のために』でモノをひたすら消費するのも、バブル期まで一度やってみたら、空しいというのもわかった。そこで何かオルタナティヴなものや、社会や政治との関係を探りなおそうという気運は高まってきていると思います」「もうひとつの原因は世代交代。今の若者は八〇年前後の生れですから、七〇年代を知らない。連合赤軍事件なんて知るわけもない。だから政治に対して素直です。だから、『つくる会』にも人が集まるんだけど、イラクの反戦運動にも五万人が集まったりする」】。

  • 9月22日 ▼『SIGHT』Vol.17(2003年10月、ロッキング・オン)に、ニール・ヤング「インタビュー」、【ロックが巨大なビジネスだっていうことは知ってるし、本来の理想からかけ離れてしまったものであることも知ってる。ネットのファイル交換にしたって、ただ音楽を聴いてるだけなのに、全米レコード協会から訴えられる。〔……〕曲をちょっと使われたぐらいで、ふんだくれるだけ金をふんだくろうなんてほどケチじゃない。アーティストなんだから音楽を作っていればいいんだよ、権利主張なんかするヒマがあったらな。】。▼嘉瑞工房のサイトの「最新NEWS」03.09.11に【9月10日 「本とコンピュータ」秋号のコラム欄「Bocom」に、『古くて新しい「欧文活字」の魅力』として、嘉瑞工房が収集した欧米活字書体のパンフレット数種が紹介されています。/当社では、欧米の活字鋳造会社が制作したリーフレット、カタログ、ポスターなどを収集しています。19世紀末から1970年代までの活版印刷が盛んだった頃の貴重な資料です。新しく発売する書体を宣伝するために、その書体の使用事例がのせられているものも多数あり、グラフィックデザインとしてもレベルの高いものです。/来春から資料の一部のWebでの公開を予定しています。】。他、「小林章のドイツ日記」が新着(03.09.11)。

  • 9月21日 ▼久保隆「「反戦・平和運動」とはなにか」〔『図書新聞』第2647号 2003年9月27日付 掲載〕は、瀬戸内寂聴・鶴見俊輔・いいだもも編著『NO WAR!』社会評論社の書評。【「反戦・平和運動」とはなにか。わたしは、誰でもが当たり前のように思うはずの「反戦・平和」という言葉に、長い間、釈然としない思いを抱いてきた。「反戦」と「平和」は、けっして並立されるものではないという考えを、わたしはもっている。〔……〕「反戦」をいうのはいい。しかし、それは、同時に「反国家権力」という視座をもたなければ意味はない。】と正しく指摘する久保は、【「(略)イラク攻撃を止めようといてもたってもいられなくなって動いてみた。(略)そんな中で気になることがあった。『非暴力で行動しよう』という言葉を参加者から幾度となく聞いた。『平和を守ろう』『罪のない人を戦争で殺すな』というシュプレヒコールも聞いた。平和じゃないからデモに参加している。罪のある人だって戦争で殺してはいけない、そもそも罪とはなんなのか、そんな思いを抱かずにはいられなかった。/非暴力でも合法的でないこともあるし、目の前の理不尽な暴力に対応しなければならないことだってあるかもしれない。(略)非暴力を貫くことは、とても難しい技術がいるはずなのだ。それをすっとばして非暴力を安易に言えばどうなるのか。」(106〜107P)】という岩沼るるの報告を引いて、【岩沼が感じた、「非暴力」や「平和」を安易に主張することにたいしての疑念や戸惑いを、わたしたちは、真摯に受け止めなければならない。「Part4」で、いいだももが、ベトナム反戦運動とイラク反戦運動を混在させて自伝風に、悦に入って語るほどわたしたちの現在は、反権力闘争・反戦運動が真に高揚しているわけではないのだ。】と書いているが、同感。▼東北大学有朋寮のサイト、「中野さん奪還報告!&8月14日第一回公判」 「デッチ上げ逮捕を許さない!無実のAさんを直ちに取り戻そう!6・15緊急集会報告!」。豊島耕一「東北大学が一市民を告発した問題」03.09.19。▼「琉球新報110年の歴史」03.09.17琉球新報。▼「韓統連代表団の韓国訪問のご報告」03.09.13。

  • 9月20日 『東京新聞』03.09.19付(特報)に「あす総裁選 野中氏もう過去の人? 一体その『本音』はどこに…」、【■権力志向と底辺への共感混在/月刊誌でノンフィクション「野中広務研究」を連載するジャーナリスト魚住昭氏は、どうとらえているのか。〔……〕/自民党的なるもの、つまり田中角栄(元首相)的なるものは、利権の側面が強調されるが、富の再分配というプラスの面があり、野中氏にもそういう側面がある。野中氏は弱者に政治の気遣いをし、弱肉強食へのアンチテーゼを徹底してやってきた。そうした政治行動は評価するし、「日本は危険な方向に向かいつつあり、その警鐘のために辞めた」というのは本音であり、正しいと思う。/ただ、危険の流れのもととなったガイドライン法案などを通したのはあなたではないか。小泉政権が長く続くのは公明党と結んだからで、その連立を組み、基盤を作ったのは、あなたではないかと言いたい。権力志向と社会の底辺層への共感が混在し、時において彼が出すものが違う。表に出てくるのは彼の政治的な擬態でいろいろ変化していく。その実態がとらえづらく、理解しづらい人だ。(談)】。「野中広務独占手記」〔『週刊文春』03.09.25号 掲載〕、【〔…〕弱肉強食の市場原理が剥き出しになり、大変な数の失業者、ホームレス、そして自殺者が出ています。それに伴う社会不安の増大も著しく、陰惨な少年事件や外国人犯罪、一昔前では考えられなかった特異な犯罪が急増しています。「小泉改革」の結果として、一部の富裕層がさらに富み、持たざる者はますます貧しくなっている。日本社会の人間不信は極限に達しつつあります。〔……〕「改革派」vs「抵抗勢力」という安直な色分けで善玉・悪玉を仕立て〔……〕自分に反対する者には「抵抗勢力」のレッテルを貼って、あとはテレビが徹底的に叩き潰してくれる。ある意味、非常に危険な政権です。/とりわけ危険だと思うのは、内閣に設置される審議会、審議機関です。こうした機関は首相に直結していますが、ここに集まる学者や経済同友会系列の財界人がすべてを決めてしまうことが、いいことであるかのような風潮、論調になっています。〔…〕/これでは議院内閣制が完全に否定されてしまう。規制緩和も同様で、委員の人たちの関連企業が新たな仕事を受注したり、あるいは委員の人脈に連なる人たちが規制緩和の新たな仕事につく例が頻繁に見うけられる。既得権益を潰すと言いながら、新たな既得権益を作り出しているのです。「小泉改革」の最も恐いところはここにあります。】。

  • 9月19日 「日本植民時代に強奪された「北関大捷碑」靖国の森に放置」03.09.18中央日報。▼小田マサノリ・イルコモンズ「ぼくらの住むこの世界ではデモに出る理由があり 犬は吠えるがデモは進む」〔『情況』2003年10月号所収〕。【〔…〕僕らは「敷石の下にビーチがある」という六八年的な想像力やロマンを共有してないし、花森安治みたいに焼け跡の「記憶」もなければ、谷川雁のように農民という「原点」も持っていない。「路地」も「基地」も知らない。僕らはアスファルトの上で生まれ、そこをすべったりころんだりしながら、資本のダンプとブルドーザにきれいにならされ、いまや完全にスーパーフラットになった資本主義の花園で育ち、いつもつるつるぴかぴかしたものがやってきては消えてゆく「明るい廃墟」(平井玄)の中でジャンクを拾い集めながら、ときどきモノをつくったり、こわしたりすてたりすることを覚えた世代だ。/〔…〕まるで遅れてきた反抗期のこどものようで恥ずかしいけど、それが僕らだ。つまりガスでもなくゲロでもなくデモというかたちで路上に流れだし、いまそこで僕らは息をしはじめているのかもしれない。オウムの失敗した革命と岡崎京子の予言の後で、そこからやや遅れて、ね。/〔…〕僕なんかは、渋谷のデモは、RTSよりもむしろ、フォークゲリラが約三〇年のブランクを経て、不気味なものとして新宿の地下から渋谷の路上に位置を変えて甦ってきたという風に考えてみる方がおもしろいと思うし、強制排除によって中絶されてしまったフォークゲリラの問いや課題を、このサウンドデモが一部ひきつぎつつ、なぜ路上なのか、なぜ踊るのか、という問いを、まだ答えのない半開きのままの問いとして、それをそのまま路上にぶつけてゆくことを期待したくなる。】【〔…〕僕は矢部史郎が書いた次のエクリチュールに、文学にも映画にも音楽にも表象できない、そのつど路上で生きられるよりほかない分子革命的な解放というか、その炸裂の瞬間を見る思いがした。〔…〕/「四月某日。晴れ。〔…〕体に打ちつけられるアスファルトの路面、そのきめ、拡声器と怒号、盾、旗、警官とたくさんの仲間の手と足が、折り重なって目の前を塞ぎ、全身を包み込み、そのほんの少しのちいさな隙間から、一瞬だけ現れる青空。ゴージャス! 思考が頭蓋を抜け出して、さまざまな事物に接続する。冷たくよそよそしかったマテリアルがいきいきとした脈動をもって皮膚に伝わってくる。私は駅前のアスファルトです。検挙される安全靴です。戦争に反対する青空です。世界のすべて、肯定するかも!」】。

  • 9月18日 塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』2003年9月、ちくま学芸文庫。1988年刊の旧版の全面改定版。「文庫版への序文」で塚原は【私たちにとって、現代という場面は、いったい「いつ、どこ」からはじまっているのだろうか。〔…〕/二一世紀はじめの現時点からふりかえるなら、「世紀末」や「ポストモダン」という発想は、私たちの二〇世紀が〔…〕回帰不能点としての意味作用を意識的あるいは無意識的に維持していたことの裏返しだったという状況が実感される。そこから先には、いったい何が待ち受けているのか、〔…〕/〔…〕本書初版刊行から現在までの十数年間は、二度目の世界戦争以後数十年間の時代の流れとはきわだって異質な出来事が集中して起こった時期だった。〔…〕/こうした一連の出来事があらわしたのは、主体と客体、現実と幻想、オリジナルとコピー、文明と未開などの二項対立とその止揚という、ヨーロッパ近代型の思考形態が失効する時代のおとずれだったといってよい。その結果、人間対自然、権力者対大衆、男性対女性、超大国対弱小国等々の対抗的関係のなかで、前者の系列による支配と管理が、後者の側の異議申し立てを回収しながら貫徹されるという、ある意味で予定されたとおりの世界の構造が劇的に揺らぎはじめる事態が出現して、確実性から不確実性へ、必然から偶然へ、人びとの思考や感性の方向は大きく変わっていったのではないだろうか。/この変化は、当然、あの回帰不能点の意識の変容に結びついている。〔…〕/この実感を芸術と思想の創造に結びつけるとき、そこには回帰不能点を超えた新しい現代性が生まれるだろう。〔…〕/〔…〕ヴィリリオの発想は、「進歩とカタストロフィーは同じコインの表と裏」というハンナ・アーレントの言葉をきっかけにしていることからも確認されるように、文明の進歩という歴史観そのものへの根源的な懐疑から生まれている。速度の増大によって発展してきた文明が速度の過剰によって自滅するという新たな段階がおとずれたという時代認識は「速度の美学」と「事故の美学」を決定的に切り離すものであり、ヴィリリオはこの段階を「自殺的進歩」の段階と名づけるが、それが、あの新しい現代性を意味することはいうまでもないだろう。】として【最初の世界戦争から次の世界戦争へとつづくヨーロッパという時空を生きた人びとの、けっして党派的ではない自由な集合を「ダダ・シュルレアリスム」と呼ぶことにしよう。そして、彼ら(ツァラ、ブルトン、バタイユ、ルーセル、……)が実践した多様な企ての織りなす時空を《ダダ・シュルレアリスムの時代》として、もう一度プレイバックしてみよう。そこには、いったい何が見えてくるだろうか?/本書は、この問いかけからはじめられる。】と書いている。

  • 9月17日 アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名運動のサイト(イラク戦争被害の記録)に、トーマス・ヘレン「イラクにおける死者、誰がカウントしているのか?(Who's Counting the Death in Iraq?)」03.09.05 Miami Herald。【〔…〕イラク人死亡者のカウントの試みは、不可能な取り組み(mission imposible)であることを証明している。/私はペンタゴンの高官に、「戦争によってどれだけのイラク人が殺害されたのか?」を訊ねた。ペンタゴンの報道官たちは匿名であることを求めながらも、その答えは「背景」を与えている。その報道官たちは素直だったのである。イラク人死亡者の総数は関心外であると回答した時、彼らは明らかに、政治家たちの指令に従っているに過ぎないのである。/私のペンタゴンへの最初の質問への回答は、「(イラク人死亡者を)追跡していない」といったものであった。/数週間後、私は回答を追い求め、国防省の高官から次の言質を得た。「彼らはカウントしない。それは重要な事柄ではない。」それは犠牲者の数に関してである。/その後も私は、戦争によるイラク人死亡者の数を明らかにする試みが皆無であることの理由についての説明を求めた。ペンタゴンの高官は、根気強く答えた。「作戦中において、我々は目的を持っている。人々を殺害しようなどの目標はない。我々の目的は、イラクからサダム・フセインを排除することであった。」/さらに彼を次の言葉を付け加えた。「仮にイラク人が降伏したならば、問題ではない。しかし彼らを殺害するために武力をもって攻撃を仕掛けなければならないとしたら、その数は、相違を生じないであろう。我々が懸念すべきものは何もない」。彼はさらに、米軍は犠牲者を最小にするために精密誘導兵器を使用してきたと述べた。/「我々は軍事目的を達成した。我々は(敵の死亡者の)カウントしない」と彼は述べた。「地上軍の兵士が戦闘中において、誰が殺されたのかといったことを明らかにすることは、最善の状況でも困難なことである。」/様々な情報組織は、イラク人の犠牲者が1700人〜3000人であるとする推定を行っている。イラクに落とされた大量の爆弾は、おそらく民間人犠牲総数をさらに上昇させているであろう。〔…〕/戦争における勝者と敗者の人的な損出について知らず、関心を持たなければ、米国は世界の視線から永遠に、消え去ってしまうことになるであろう。】。関連:「バグダッドで今、なにが起こっているか」〔『ダ・カーポ』523号 03.09.17発売〕

  • 9月16日 スラヴォイ・ジジェク、鈴木晶訳「「静かな革命」が進行している」〔『みすず』第509号 2003年9月 所収〕。【二〇〇三年三月五日、NBCのニュース番組「ブキャナン&プレス」で、最近身柄を拘束された、「アルカイダのナンバー3」といわれたハリド・シェイク・モハメドの姿がテレビ画面に映し出された。たちの悪そうな顔に口ひげをはやし、どこのものともわからない寝間着風の囚人服の前をはだけ、そこから打撲傷のようなものがかすかに見えた(すでに拷問を受けたということか?)。パット・ブキャナンは早口で、「アメリカに対する今後のテロ攻撃の詳細な計画と実行犯の名前をすべて知っているこの男から情報を引き出すために、彼を拷問にかけるべきでしょうか」とまくしたてたが、恐ろしいのは、細部まではっきり写っているその写真がすでに答えを示唆していたということである。他のコメンテーターの反応や視聴者からの電話が圧倒的に「イエス」だったことは不思議ではない。アルジェリアの植民地戦争では、フランス軍による拷問が汚らわしい秘密とされていた。あの古き良き時代がなつかしい。いや実際、これはジョージ・オーウェルが『1984』で想像した「二分間憎悪」がそっくりそのまま実現したようなものではないか。「二分間憎悪」では、裏切り者の写真が見せられ、市民はそれに向かってブーイングと悪口雑言を浴びせる。だが話はこれで終わらない。翌日、今度はフォックスTVのコメンテーターが、この囚人には何をしても許されると主張した。眠らせないだけでなく、指を折ってもいい、なぜならこの男は「いっさいなんの権利ももたない、人間の姿をしたゴミ」なのだ。これこそが真の大災厄だ。今日、公にこのような発言ができるということが。/〔…〕サダムがいかに悪い奴かとか、戦争にどれほど費用がかかるかといった議論は偽の議論だ。われわれの社会では今実際に何が起きているのか、「対テロ戦争」の結果、いかなる社会がここに生まれようとしているのか。そうしたことに焦点を当てなくてはならない。隠された陰謀計画について語るのではなく、今ここで何が起きつつあるのか、どのような変化が起きているのか、に焦点を移さなくてはならない。戦争の究極的な結果とは、われわれの政治秩序に変化がもたらされることである。】。