9月15日 再掲、「生活保護世帯、87万世帯で過去最多更新」03.09.14日経、【昨年度に生活保護を受けた世帯は約87万世帯となり、過去最多を更新した。半数を占める高齢者世帯の受給が増え続けているうえ、離婚の増加に伴い母子世帯も5年間で1.4倍になった。中年や若年層が中心の「その他」世帯も同1.7倍に急増、リストラや就職難の影響が出た。支給額の急増に、厚生労働省は半世紀ぶりに制度の見直しを検討し始めた。/厚労省によると、1カ月単位で平均すると、昨年度の受給世帯数は87万931世帯。前年度を8.2%、約6万5000世帯上回り、過去最多を更新した。増加は10年連続。受給者数は約124万人で国民の約100人に1人がもらっていることになる。〔…〕】。補足/関連:「生活保護の被保護世帯、月平均で過去最高 厚労省報告」03.09.11 asasi.com / 「生活費保護削減に批判も 厚労省、50年ぶりの改正作業開始」03.09.11京都。「平成14年度社会福祉行政業務報告の概要」03.09.11厚生労働省大臣官房統計情報部 / 「生活保護法」(法庫)。03.09.19追加:「就学支援制度、利用者増/府内高校生、親の失業などで」03.09.18京都 / 笹沼弘志「生活保護法における生存権保障の原理と構造について」00.06.20林訴訟最高裁への意見書 / 「研究論文 E-TEXTリンク集(社会政策・社会福祉編)」(法政大学大原社会問題研究所)。
9月14日 ▼「生活保護世帯、87万世帯で過去最多更新」03.09.14日経、【昨年度に生活保護を受けた世帯は約87万世帯となり、過去最多を更新した。半数を占める高齢者世帯の受給が増え続けているうえ、離婚の増加に伴い母子世帯も5年間で1.4倍になった。中年や若年層が中心の「その他」世帯も同1.7倍に急増、リストラや就職難の影響が出た。支給額の急増に、厚生労働省は半世紀ぶりに制度の見直しを検討し始めた。〔…〕】。▼世田谷文学館のサイトに「せたがや文化財団設立記念事業 安部公房展[没後10年]Kobo Abe Exhibition」9月27日(土)―11月3日(月・祝)、午前10時―午後6時(入場5時30分まで)、毎週月曜休館、一般500円大学・高校生300円中学・小学生200円65歳以上250円、主催:世田谷文学館、協力:新潮社 特種製紙株式会社 安部公房資料センター。【安部公房(1924−1993)は現代文学の最高峰のひとりとしてノーベル文学賞候補にのぼるなど、世界に知られた文学者です。創作活動は、小説、戯曲はもとよりシナリオ、テレビ・ラジオドラマなどさまざまなジャンルにわたり、多くの優れた作品を残しました。同時に思想家として、時代の先端を駆け抜け、広範におよぶ先鋭な文化論は、今もその読解が待たれています。このような安部公房の全容は、1997から刊行された『安部公房全集』によってはじめて明らかになりました。没後10年を経た現在、その作品と思想の読み直しがまさに始められています。/公房は、第二次世界大戦中、19歳の誕生日に小説『題未定(霊媒の話より)』を起稿し、作家活動を出発させました。満州で終戦を向かえ、その厳しい時代心情を、書簡に添えた詩に語り、それらをまとめた『無名詩集』を自費出版します。しかしその後、詩の形式を捨て、詩は小説の登場人物によってのみ語られるようになります。東大医学部在学中に書いた『終りし道の標べに』が成城高校時代の恩師、阿部六郎によって埴谷雄高に紹介され、この作品で48年にデビューし、衝撃を以て迎えられます。50年の『赤い繭』で戦後文学賞、51年に『壁−S・カルマ氏の犯罪』によって芥川賞を受賞。55年には最初の本格的な戯曲『制服』が上演されました。時の人となった公房はさらに58年にSF大作『第四間氷期』、62年から5年間に『砂の女』『他人の顔』『燃えつきた地図』の長編3部作を立て続けに発表します。なかでも『砂の女』は、映画化に際して自ら脚本を書き、国際的にKobo Abeが広く知られるきっかけとなりました。現在も20数ヶ国に翻訳され、世界中で読み続けられています。また、67年の戯曲『友達』69年の『棒になった男』をはじめ、シナリオ、ラジオ・ドラマなど、同時に多角的な作品表現を数多く手がけました。73年には、安部公房スタジオを結成して、自ら演劇活動を展開、スタジオのニューヨーク公演は大成功し、その後の世界の演劇やダンスに影響を与えました。こうした活動と並行して、新しい小説の方法論を模索するように73年に『箱男』を発表。自身で撮影した写真を挿入して表現の探究を続けました。また、84年の『方舟さくら丸』では日本で最初にワープロを執筆に使用し、91年には最後の長編小説『カンガルー・ノート』を発表します。未完の小説『飛ぶ男』を書斎のフロッピーディスクに遺して、93年に他界しました。/本展は公房の生きた時代の記憶を想起させながら、その作家活動を立体的に表現しようとする試みです。また、公房が残した大量の写真と『飛ぶ男』のテキストを用いた近藤一弥によるヴィデオ・インスタレーションによって、作品創造の瞬間の再現を試みます。】。
9月13日 ▼「どこにもないような音楽を作りたかった 高橋照幸インタヴュー(聞き手・ヒロ宗和)」〔『ロック画報 13』2003年9月、ブルース・インターアクションズ、所収〕。【――「追放の歌」に関して、思い入れはありますか?/高橋 別に(笑)。「第5氷河期」の方がかっこいいと思いますね。ロックっぽくて。「追放の歌」はフォークじゃんっていう。「追放の歌」もライヴではツイン・ギターで間奏を5度違いで弾いたり、ロックっぽくできますけど…。曲自体は「第5氷河期」の方が、絶対ロックです、ノリの状態が。〔……〕/――77年に3枚目の『トーチカ』をリリースされますが…/高橋 このジャケット写真は、ストックホルムの俺が住んでた近所です。上と下、写真をカットしてますが、本当は、一枚の写真をそのまま使う予定だったんです。そしたら上の方に傷があって…。じゃあ、上下を切っちゃえって(笑)。すると、トーチカから覗いた感じになった。トーチカって、戦争の時、コンクリートで作った銃眼です。自分の世界から、外を覗くみたいな…。そんなシチュエーションも含めて、トーチカにしたんです。でも、すぐに渡辺香津美の『トチカ』ってアルバムが出たんですよ。あれには驚きましたね。トーチカとトチカ、どっちか(笑)なんて…。/――そういう、視覚的なイメージが浮かんでから、曲づくりに入られるんですか?/高橋 必ずそうです。まず、最初、静止画が出てきて、そのBGMをつけるって感じで…。それで、目立つリフにどう言葉をはめようかと考えます。「旅するおばさん」みたいに、ハナから書いてっちゃう場合もありますが、だいたい、決めたいとこだけモザイク的に埋めるんです。だから、語り言葉じゃなくて、組み立て言葉ですね、俺の場合。/――とはいえ、サウンド的には、1、2枚目とはいくぶん感じも変わってきてますね。/高橋 ロックをめざしました。こういう方向に行ったのは、自分の中での方便もあったんです。その方がラだとか、合理的であるとか、おしなべて社会性を持つとか…。でも、そういうのは考えない方が本当はいいのかなって…、毎回、アルバムを作るたびに思うんです。】。▼「第18回早稲田青空古本祭」2003年10月1日(水)〜6日(月)、午前10:00〜午後7:00まで(最終日午後5時閉会、初日に限り、午後8時まで営業時間を延長)、穴八幡宮境内(早稲田大学文学部前)。
9月12日 平井玄「バリケードの長い夏休み 「追放の歌」に封印された60年代末のある感覚」〔『ロック画報 13』2003年9月、ブルース・インターアクションズ、所収〕。【アジ演説や立て看板の中の全学連語や全共闘語の硬直したクリシュが指摘され、「自前の歌を持たない世代」などといわれたが、「それがどうした。徹底的に言葉や音楽を喪うこことからこそ、すべては始まる」というのがこちらの気分だった。】という平井は【「休みの国」の歌を、この時代のフォークやロックの隠された名作の一つとして聴くことにもう意味はないだろう。〔……〕しかし、その音と高橋照幸の声が聴く者の脳内の感覚野で受信され連合して立ち上がってくる固有の歌の方法は、今も私たちの辞書に記載されていないものである。1960年代から70年代にかけての、そして現在の日常語の文法とも依然として距離を保っている。】とし、【「バリケードの夏休み」ともいうべき不思議な期間があった。67年から翌年にかけて、羽田、王子、佐世保、三里塚と続いた反戦や反基地の住民運動による春の季節。そして68年後半の日大、新宿騒乱。69年に入って東大安田講堂、さらに4月、6月の大規模な街頭闘争による初夏から盛夏へ。その後に夏期休講と重なって全国の大学や高校が次々とバリケード占拠された長い「夏休み」の時間がやって来る。ヤジ馬群衆が衰退していく11月闘争の秋の季節はまだ少し先だ。冬の70年代がやって来るとは誰も思っていない。/新聞の社会面に「全国大学・高校の紛争状況」が天気図のような地図入りで毎日載る奇妙な日々。学生たちが泊まり込んだ大学構内では、反公害、反戦、科学批判といったラディカルな自主講座が開かれていたが、同時に激しい闘争は一休み、避暑地の退屈にも似た内省の時でもあった。そして見えない所ではゲリラ戦論の学習会と初歩的な軍事訓練が始まっていた。/そんな「夏休み感覚」がここに封印されている。「休みの国」とはそういう意味かな、と思う。だから高橋照幸の歌は、30年以上経った現在も失語症の空間のどこかをさ迷っているのである。】と書いている。
9月11日 宮内勝典「動かない船の中の祝祭」〔『Invitation』No.8 2003年8月 所収〕。フジ・ロック・フェスティバル'03(03.07.25-.07.27)を取材して【気になることもあった。若い人たちが、誰も笑っていないのだ。〔……〕/もうひとつ気になることがあった。参加者たちの年齢層がひどく薄いことだ。〔…〕あの時代、ジョン・レノンを聴いていたはずの世代がまったく見当たらないのは奇妙なことではないか。】という宮内は【あの時代の夢など、もともと日本にはなかったのかもしれない。そう、週刊誌のグラビアにしかなかったのか。淋しかった。夢がとっくに滅びてしまったのなら納得いくが、初めからその夢さえなかったと思い知らされるのはつらいことだ。あの時代、私は鬱屈して群れることを嫌っていたが、それでもニューヨークの片隅の公園で開かれる無料コンサートや、ビート詩人たちの朗読会、反戦デモには、たびたび出かけていった。若者たちは身を乗りだし、互いに深々と眼をのぞきこみながら語りあっていた。よく笑い、よく抱擁した。議論もした。世の中を変えられるかもしれない、泥沼化した戦争を止められるかもしれないという幻想もあった。/私は大学生であったことがなく日本にもいなかったから当時のことに疎いのだが、安田講堂を占拠し、日大闘争を担ったはずの団塊の世代はいまどうしているのだろう。「イマジン」を聴いていた世代、カウンターカルチャーの世代といったものが、もしあったとすれば、かならずフジ・ロックに駆けつけてくるはずだが、もともとそんなものなど実在しなかったのではないか。反乱(?)のキャンパスを去ってから、結局、会社人間になりきって日本の経済発展に狂奔してしまっただけなのか。そして団塊の世代の、その子どもである世代は心に闇を抱え、鬱病やリストカットが静かにひろがっている。むろん、団塊の世代を弾劾することはできない。いまフジ・ロックに集まっている若い人たちも、やがては「イマジン」世代であると自称している親たちと同じ道を辿っていくのかもしれない。放浪に明け暮れていた私だって、白髪になり、いま小説家と客員教授を兼ねているではないか。ふん、名刺だけなら立派なものだ!】と書いている。
9月10日 ▼承前、四方田犬彦「ハイスクール1968」。【わたしは自分より数年年長の、いわゆる「団塊の世代」のなかに、1969年1月の神田解放区の栄光の思い出を高らかに語ったり、デモで逮捕された後の拘置所経験を自慢そうに回想したりする人物に、それこそうんざりするほど出会ってきた。〔…〕彼らに共通していたのは、今は有名になっている誰某が当時どのセクトに属していたといった、瑣末な情報を得意そうに口にすることだった。これではわたしの父親の世代が戦後に復員してきて、旧軍の栄光や同志愛の物語を自慢そうに披露するのとどこが異なっているのだろう。そう考え出すと、わたしは日本人のメンタリティなるものが戦中戦後を通していささかも変化していないのではないかという、暗澹たる思いに駆られてくるのだった。】(8月号)、【〔…〕「高校紛争」という言葉から喚起される居心地の悪さである。「紛争」という語には、どこまでも外側に立って、生起する一切を秩序に対する例外的事態として眺めているといった臭いがつきまとう。では「高校闘争」ならどうだろうか。この語からは逆に、いかにも発生したすべての事件を自分が主体的に統括把握しているといった、一方的な印象を拭い取ることができない。なるほどそれは英雄主義をノスタルジアのもとに回顧するには、凛々しくも美しい言葉であるかもしれない。しかし、いかなる個人や組織の意図も超えて、事態が予期せぬ側へと進展していったことを、後で書くようにきわめて微妙な場所にいたわたしが語るには、けっして適切な言葉とはいえない。もしわたしの今の気持ちに忠実に従いつつ、これを示すのに最適な言葉を探すとすれば、それはスライ&ザ・ファミリー・ストーンがLPの表題とした意味でのriot、つまり「暴動」である。】(9月号)。▼ペシャワール会のサイトに、Tetsu Nakamura"Transcending Ethnicity, Religion and Politics towards Peace"03.09.05。
9月9日 『新潮』8月号、9月号と連載の、四方田犬彦「ハイスクール1968」が10月号で完結。【これから自分はどう生きていくのだろうと、わたしは考えていた。/今から四年前の1968年4月、高校一年生だったわたしにとって、世界は無限の光と勇気に満ち、すべてのことが可能であるかのように思われていた。春休みに高校課程の数学をすべて自習してしまったわたしは、入学式の直後に開かれたホームルームでただちに学級代表に選出された。わたしは素朴な反戦意識を含めて、あらゆる点において模範的な優等生だった。ビートルズのシングル盤が発売されるたびに、一枚ずつ買い溜めた。『ガロ』や『COM』に掲載される新しい漫画に心躍らせたり、未知の海外文学の翻訳を手にして、夢中になって読み耽った。そして最初に書いた詩を若い教師に褒められたことが契機となって、文学というものに朧気ではあるが畏敬と期待とを抱き、自宅ではローズガーデンの手入れに余念のない十五歳の少年だった。/だが四年後のわたしは、かつて自明だと信じていたすべてのものを、みごとに喪失していた。わたしはもはや「政治」とか「歴史」という言葉に、重い疲弊感しか感じることができなかった。詩を読むことにも、また書き続けることにも情熱を喪ってしまい、いつしか庭の手入れも蔑如にするようになった。バリケード封鎖が曖昧な終わり方をして以来、わたしとかつての文学仲間の間には微妙ではあるが、けっして埋められることのない亀裂が生じていた。わたしは彼らと一線を画するかのようにケーキ工場に向ったが、彼らもまたわたしを置き去りにして、さっさと大学へ進んでしまった。一年の後、わたしは彼らに追いついたが、もはやかつてと同じ親密な言葉を回復させることはできなかった。唐代の李賀の詩を引くならば、わたしは二十を待たずして「心が朽ちてしまった」のである。/だが朽ちてしまったのは、わたしだけではなかった。わたしを取り囲む世界の全体が、およそ実験的なるものを排除し、冒険を道徳と見なすことから遠ざかろうとしていた。『ガロ』では『カムイ伝』がいつの間にか中断され、『COM』は休刊となった。岡田史子は沈黙し、宮谷一彦はとめどもない試行錯誤に陥っていた、『現代詩手帖』はすっかり印象を変え、無政府主義的な脱線を制御して、真面目な詩の雑誌に戻りつつあった。大映の倒産と日活の路線変更は、日本映画における撮影所体制がすでに死に瀕していることを告げていたし、鈴木清順はどこまでも撮れず、黒澤明は自殺を企てて失敗した。草月の実験映画祭は中止となった。/実験的なるもの、前衛的なるものの衰退は、何も日本にかぎられた話ではなかった。政治の興奮の波がひとたび引いてしまうと、パリでも、ニューヨークでも、60年代の文化的偶像たちの凋落が次々と起き、かといってそれを埋めるほどのものはまだ出現していないという、空洞状態が生じていた。ビートルズは解散し、地下に潜行したゴダールの足取りは見えなくなった。アイラーがハドソン河に屍体で浮いたころから、フリージャズは凋落を開始し、かわって万人の耳に優しいフュージョンが台頭しようとしていた。/もう遊びの時間は終わったのだと、わたしの耳元で誰かが囁いていた。一杯のコーヒーを前にジャズの難解さを理解しようと耳を傾けたり、ユートピアをめぐって終わりなき対話を続けるような時代は、政治の季節の凋落とともに幕を降ろしてしまったのだと。60年代には孤立した前衛でありえた芸術は、来たるべき70年代には、大衆消費社会のなかでほどよい面白さとほどよいスリルを備えた暇潰しと成り下がろうとしており、そこで基準とされるのは、何よりもその場かぎりでの、パッケージ化された驚きであり、面白さでしかなかった。芸術が完全に消費財と化してしまう状況が、もうそこにまで来ていたのである。/70年代という時代のとば口に立ち、しかも周囲からは、いかなる意味でも未来の期待に満ちた十八歳の若者と思われながらも、わたしは寄るべない気持ちから自由になることができないでいた。すべては終わってしまったのだ。もう一度、最初からやりなおそうと、わたしはつとめて自分にいい聞かせようとした。だが、いったい何が終わってしまったのかを正確に見定めることすら、できなかった。ただ眼前に黒雲のように横たわる巨大な混迷だけが現実のものであり、わたしはひどく疲れた心を引摺りながら、独力でそれに立ち向かっていかなければならないのだった。】。
9月8日 山形国際ドキュメンタリー映画祭2003(03.10.10−.10.16)のサイトに「沖縄特集 琉球電影列伝/境界のワンダーランド」、【多くの映像作家たちが熱い視線を送る沖縄は、まさに映画的な島である。今回の特集では、ドキュメンタリー、劇映画、TVドキュメンタリーの枠組みを越え、「琉球電影列伝」をお届けする。沖縄戦とアメリカ占領、日本復帰前後の激動を描いた映像を挟み、戦前の貴重なフィルムから沖縄イメージが乱反射する現在の映像まで、10のテーマで構成。ゲストに沖縄映画史に一線を画した映画監督・高嶺剛、現代思想の領域で沖縄と映像を巡る批評活動を行っている批評家・西谷修、島唄歌手・大城美佐子、独自な視点で記録活動を行っている「琉球弧を記録する会」のメンバーを迎え、「異化と越境/沖縄・映像のトポロジー」をテーマにしたシンポジウム、トーク、ライブ上映を交えた多彩なプログラムを予定。クロニクルな映像の森で、境界のワンダーランドとなった〈沖縄〉が立ち昇ってくる時、モノリンガルな〈日本〉の前提が揺らぎ、人は〈鏡〉と〈窓〉になる。沖縄を通して映画の旅が新たに始まる。】。
9月7日 人権・報道・インターネットのサイト(情況に対して発言する)に、山下幸夫「犯罪被害者による刑事裁判への参加の是非について考える」03.08.30。政府と国家権力がすすめる被害者保護・支援立法の動きに対して、山下は【我が国の刑事裁判に、このような被害者が参加する制度を導入することは、原理的にも、実際的にも、極めて大きな問題がある】と指摘し、【まず、被害者側の言い分として、「被疑者・被告人は手厚く保障されているのに比して、犯罪被害者は何も保障されていない」という主張がなされている。しかしながら、そもそも、被疑者・被告人と犯罪被害者を単純に対置すること自体が問題である。/被疑者・被告人に防禦権を与えたのは、彼らは国家権力を背景にした強大な国家刑罰権の行使の対象とされることから、国家刑罰権の適正・公平な行使を確保するためには、防禦権を実質的に保障することが不可欠だからである。これに対して、被害者は国家権力と向き合い、国家刑罰権の行使の対象になるという立場には全くないのであるから、被疑者・被告人に与えられた防禦権と同じ権利を犯罪被害者に与えるべき必然は何ら存しないのである。〔……〕/次に、刑事裁判への参加制度導入論者が真に目指しているのは、「加害者」に対する応報感情を満足させる制度の創設であると考えられる。/しかしながら、現在の刑事司法制度は、近代国家が私的復讐を禁止して公的刑罰に昇華していった歴史の中で生まれてきたものであり(田宮裕『刑事訴訟法〔新版〕』165頁参照)、それは犯罪被害者の応報感情を否定する歴史であったはずである(このため、現在では、私的制裁や自力救済が完全に否定されている)。/ところが、最近の刑事裁判への参加制度導入論者は、この歴史を完全に逆行させ、犯罪被害者の応報感情の復活を認め、刑事裁判の公開の法廷において、犯罪被害者が被告人を糾弾させること等を認めさせて、犯罪被害者の応報感情を満足させる制度の創設を目指しているのである。〔……〕最近になって、政府が刑事裁判に被害者が参加する制度を創設しようとしているのは、むしろ犯罪被害者に対する経済的補償等の国家の責任を完全に放棄し、極めて安易で安上がりな方法で犯罪被害者に対する支援をしたことにしようとする不誠実な態度の現れであると言わなければならない。/〔……〕司法改革の中で被害者問題にも取り組もうとする政府の姿勢は、実は、被害者からの要望を最大限に利用しながら、被疑者・被告人の防禦権を完全に骨抜きにすることを意図しているとしか考えられないのである。/それは、我が国がいつでも戦争することができる有事国家体制を強化する中で、戦後の日本の民主主義が勝ち取ってきた無罪推定原則を含むデュープロセス(手続的保障)を完全に否定し、起訴された被告人は必ず有罪にすることができる必罰主義を支持することを意味している。〔……〕】と書いている。全文必読!
9月6日 ▼『東京新聞』03.09.06付(特報)に、「監視社会 会社員・片山さんの1日は…」、【IT技術の発達で、とても便利な世の中が約束されているようだが、一方で、心配なのがプライバシーの問題だ。自宅でも街でも、そして職場でも、すでに個人の情報は結構無造作に流れ出しているようなのだ。“監視社会”の実態を、東京都武蔵野市に住む架空の会社員片山純一郎さん(36)の一日で追ってみると−。 (取材を基に構成した)〔……〕】。▼日本印刷産業連合会のサイトに、「’03印刷文化典のご案内」9月22〜26日、「第1回世界印刷技術者会議」9月24〜26日。
9月5日 読書録08.27付 09.03付既報の『インパクション』137号(特集:「北朝鮮」異論)、(インタビュー)金時鐘「「拉致」、お互いを見つめなおす契機」(聞き手・鵜飼哲)。【〔…〕北があんな状態であることを知らなかった人はいない。総連幹部が北へ行ったら、特別待遇を受ける。自分の家族が北へ帰ったら家族たちがいい目を見るからということで、金日成・金正日万歳をしてきたわけだ。/これは北がどうこうという問題ではなくて、自分たちの身内の安立のために万万承知のことを糊塗して、「将軍さま」を称えてきた北共和国尊奉者たちの志の低さ、人としての卑しさをまず己れに問うてみることだ。僕が言いたいことは、僕も当然そこに含まれるけど、人間的な体面とか誇りみたいなものを在日定住者として呼び起こしていきたいんだ。結局は自己保身だ。事態は全部早くから知っていた。拉致だけはありえないと思っていた。他はみんな知っていたことだ。/だから僕の場合はまずは僕につながる、僕が日本に生き越し五〇年の組織がらみでつながっている組織関係の人たちの、人としての恥ずかしさを自覚する人間に迫りたい。とりわけ組織活動家に対して、君の人間的誇りというのは何なのかを自ら問えと。僕はそればかりが、露呈した「拉致」以後の僕の対内の闘いです。後は身を低くして、日本人の荒らいた心情や昂ぶった気持を逆撫ですることはしない。自己に徹したこれだけの思いを抱えとおしている私たちであるかぎり、拉致事件はお互いを見つめ直す契機となって、必ずや日本人自らが抱えている国家的なこの百年の暗がりについて自問自答せずにはいられないだろうと、祈りのように信じている。突き詰めれば自分の恥ずかしさにも行き当たってくれるはずだ。】。
9月4日 「企画展「燐光群の20年」」ポスター展:2003年9月16日(火)〜2004年2月5日(木) 演劇博物館3階「現代」コーナー、企画展:2003年12月21日(日)〜2004年2月5日(木) 演劇博物館2階企画展示室 II、協力:燐光群。【演劇博物館では、継続的に開催している「現代」シリーズの一環として、燐光群の活動を紹介する企画展示を開催いたします。1983年に旗揚げした燐光群は、坂手洋二の作・演出作品を中心にジャーナリスティックな視点と斬新なテーマ性を併せ持つ意欲的な新作公演を重ねる一方、舞踏・音楽・映像や美術・現代詩・古典劇との交流を図る様々な試みや20世紀の出来事を検証する作業なども展開しています。近年は海外から俳優や演出家を招いての『天皇と接吻』『南洋くじら部隊』『白鯨』の上演や三度にわたるヨーロッパ・ツアーなど、活動の幅を世界に広げ、2002年には『屋根裏』や『最後の一人までが全体である』で多くの演劇賞を受賞して話題となりました。今回の展示では、燐光群の全面協力を得て、ポスター・ちらし・舞台写真などの他、12月からの企画展では舞台装置も展示する予定です。また、関連企画として、坂手洋二氏による演劇講座も開催する予定です。】。→早稲田大学坪内博士記念 演劇博物館 / 燐光群。
9月3日 ▼(韓国)「貨物連帯「車両動員デモ」に突入」03.09.02中央日報、「平和的な生存権ストは対話で解決すべき 50の社会団体、警察力の投入を白紙化して対話への復帰を要求」03.08.29韓国人権ニュース。▼読書録08.27付既報の『インパクション』137号(特集:「北朝鮮」異論)、森宣雄「「拉致問題」をめぐるわたしたちの背中あわせの共同性 金時鐘と佐藤勝巳」が末尾の「付記」で【なお、本稿の再編過程で、太田昌国『「拉致」異論』太田出版、二〇〇三年が刊行された。同書では太田による佐藤勝巳論の新稿が収められている。そこでは、かつて「ある切実さをもって、いまなお私たちが考えるべき問題群を提示していた」人物が、「いま、もっとも醜悪な、反省なき植民地主義のイデオロギーをふりま」くにいたるまでの戦後史の歳月を、「佐藤に固有のものとしてではなく、普遍化できる内容のものとして」振り返るという課題と方法論が立てられている。すなわち「佐藤が行なうふりかえり方を通して、朝鮮に関わるある時代の思想と運動の問題点」を顧み、「現在という時代の特徴」とその問題を明らかにするということだが、「思考を転換する」佐藤に「何があったのか」という論点の方は、あまり追究されていない。嫌気がさし、運動を離れたがゆえに、植民地支配の「事実を重視せず」その「責任を回避する」「転位」が起こったのだという素朴な因果律の説明だけで、あとは突き放している。そこには、これまでも目にしてきた「無数の佐藤勝巳」たちに対して取ってきた、「去る者は追わず」というような自他の距離の取り方があるのかもしれない。それは運動論的なある種の倫理、あるいは見識でもあるだろう。/だが本稿では、「かつての近親に対する憎悪で、北朝鮮の脅威を煽るだけのデマゴーグになり果て、植民地主義と帝国主義の犯罪をすべて許してしまう」転落者として、佐藤勝巳を外部に捉え、むこう側へ突き放すような捉え方はできなかった。そこには植民地主義の継続する歴史−現在の拭い切れなさ、損なわれた世界像に抗いつづける一筋の道行きが、いまにいたるまで続いているからだ。そしてこの、ふあったび燃え上がる地平線のもとで、わたしたちは植民地主義にそこなわれた世界像から解き放たれるためのたたかいを、結ばなければならない。この継続する植民地主義との闘いの舞台においては、佐藤はすでに〈去った者〉でも、向こう側の者でもない。】と書いている。▼京極夏彦『姑獲鳥の夏』四六上製版(講談社)の帯に【京極夏彦の職人仕事。/読みやすい書体。美しい版面。/京極世界の原点。】、装丁は菊地信義、本文使用書体は游明朝体R。
9月2日 ▼「市川で路上禁煙条例案 来春施行目指す」03.08.29東京新聞 / 「市川市、路上禁煙へ 来月、県内初の条例提案」03.08.29千葉日報 / 「現場を行く 路上禁煙条例、福岡市パト隊に同行」03.08.25佐賀新聞 / 「東京の玄関も路上禁煙に 千代田区が条例適用拡大」03.08.01京都新聞 / 「広島市、路上喫煙を罰則付きで禁止する「ぽい捨て等の防止に関する条例」可決」03.07.08行革国民会議 / 「東京駅周辺もついに路上禁煙に、罰金2000円」03.05.11サンスポ / 「福岡市の路上禁煙条例、愛煙家の居場所狭まる…… ポイ捨て・歩きたばこ…マナー違反絶えず規制招く」03.05.07読売(九州) / 「路上禁煙条例、今日一日の反応あれこれ 「払えばいいんだろう」1万円札投げつけや、逃げる人も」02.11.01 ZAKZAK / 「路上禁煙条例:ポイ捨て過料2千円 東京・千代田区で1日実施」02.11.01毎日 / 「秋葉原地区の「路上禁煙地区」指定について」秋葉原ホームページ / 「路上禁煙条例:初日の指導167件 東京・千代田区」02.10.01毎日 / 「千代田区たばこ問題」2002年度早稲田大学法学部水島ゼミ(憲法)後期 / 「千代田区都市サミット「条例による市民の生活環境改善の試み」−生活環境条例施行1年目の現状と課題−(主催:千代田区・上智大学公開学習センター、協賛:千代田区・11大学連携協力会議)」上智大学公開学習センター / 「千代田区生活環境条例」(公式)。▼状況20〜21のサイトに太田昌国「明かされていく過去の「真実」 「T・K生」の証言を読む」〔『派兵チェック』131号 2003年8月15日発行 掲載〕。▼「〈関東大震災-朝鮮人虐殺から80年〉 留学生かくまった2人の日本人」03.09.01朝鮮新報 / 「〈関東大震災-朝鮮人虐殺から80年〉 過去清算回避の今日」03.09.01朝鮮新報 / 「〈関東大震災-朝鮮人虐殺から80年〉 千葉で報告会」03.09.01朝鮮新報 / 「〈関東大震災-朝鮮人虐殺から80年〉 東京で真相問うシンポジウム」03.08.30朝鮮新報 / 「関東大震災朝鮮人虐殺関連の日弁連勧告書発表受け総聯中央副議長が談話」03.08.30朝鮮新報 / 「〈関東大震災-朝鮮人虐殺から80年〉 総聯中央がアピール」03.08.30朝鮮新報。
9月1日 「在日僑胞ら200人、観音寺で関東大震災追悼行事」03.08.31中央日報。関連:震災関連の集会・追悼会(関東大震災80周年記念集会のページ)。80周年記念・関東大震災朝鮮人犠牲者追悼会、9月1日(月)午前11:00、東京都墨田区横網町公園(JR両国駅から徒歩5分)、内容:鎮魂の舞、献花など、連絡先:日朝協会東京都連合会(電話/FAX:03-3230-2382)/9・1集会実行委員会、9月1日(月)18:00、韓国YMCA(JR水道橋8分、千代田区猿楽町2-5-5)、内容:李鍾元氏(立教大学)講演/関東大震災80周年朝鮮人受難者追悼式、9月6日(土)15:00、荒川河川敷(京成線八広下車5分)、グループほうせんか・遺骨を発掘し追悼する会共催/関東大震災80周年朝鮮人犠牲者追悼式、9月6日(土)13:00、埼玉会館集会室(JR浦和駅西口5分)、日朝協会埼玉県連合会主催/福田村・田中村事件追悼碑除幕式、9月6日(土)13:00、野田市三ツ堀・円福寺大利根霊園(14:00よりチサンホテル大利根にて追悼集会)/朝鮮人犠牲者追悼・慰霊祭と「お話と懇談の集い」、9月7日(日)10:00、10時から八千代市内慰霊碑巡回 高津観音寺駐車場発、13時から慰霊碑前の慰霊祭 観音寺、14時から講演(講師:大日方聰夫日本大学教授)、千葉県における朝鮮人犠牲者追悼調査実行委員会主催/亀戸事件80周年追悼会、9月7日(日)13:00、赤門浄心寺(亀戸4-17、亀戸駅北口10分)、亀戸事件追悼会実行委員会主催/関東大震災80周年記念集会−戒厳令と有事法制を考える、9月14日(日)13:00、亀戸文化センター(カメリアプラザ)、内容:今井清一氏講演 寸劇 ほか、中国山地教育を支援する会(旧・大震災で殺害された中国人労働者を悼む会)主催。関連読書録:08.31付、08.26付、08.10付。
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