8月15日 『毎日新聞』08.15付に「住基ネット:長野県が離脱を表明 都道府県レベルで初」、【田中康夫・長野県知事が、住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)から離脱し、県独自で情報管理する方針を固めたことが分かった。「個人情報漏えいの危険が現実化している」というのが理由で、都道府県レベルの離脱は初めて。長野県が離脱しても、県内市町村がネットから切り離されるわけではなく、従来通り業務が可能だという。しかし、国側との中継役となる県が離脱することで、25日に本格稼働する住基ネットや他の自治体に大きな影響を与えそうだ。〔…〕】。関連:「住民基本台帳ネットワーク」 /「住基ネットワークの廃止等を求める運動」(自治体情報政策研究所)、「反住基ネット連絡会」、「日弁連住基ネット自治体アンケート結果」、「平成15年8月25日住基ネットがさらに便利になります【PDF】」2003.05総務省/住民基本台帳ネットワークシステム推進協議会〔住民基本台帳ネットワークシステム全国センター〕。
8月14日 ▼益岡賢のページに、エリック・フィチトル、益岡賢訳「ベトイェスの虐殺」03.08.12〔03.08.04コロンビア・レポート〕。▼日本モンゴル文学会のサイトに、芝山豊「村上春樹とモンゴル もうひとつのオリエンタリズム」〔佐野正人「POSTCOLONIAL NEWS(今週のニュース/など)」の紹介で知る、感謝〕。
8月13日 ▼「連行された先祖を「教育所」跡で供養−関東アイヌ民族団体」03.08.11道新、【明治政府がアイヌ民族に日本語や農業などを教えるため東京に開設した「開拓使仮学校付属北海道土人教育所」に連行されたアイヌたちを慰霊するイチャルパ(先祖の供養祭)が十日、学校跡の東京都港区・芝公園内で初めて行われた。/関東のアイヌ民族団体「レラの会」の主催。首都圏在住のアイヌの人たちら約百人が参加した。/民族衣装を着た二十四人がカムイノミ(神への祈り)の後、祭壇にイナウ(木幣)、料理、酒などを供え亡くなった人たちを供養した。/同会事務局長の長谷川修さん(55)=山梨県=は「教育所はアイヌ民族を否定し破壊するものだった。この歴史を若いアイヌたちに伝えていきたい」と話す。今後、毎年イチャルパを行うという。/長谷川さんらによると、一八七二年(明治五年)にアイヌ民族の男女三十八人が同教育所に強制的に就学させられたが、病気などで四人が死亡、二年後に廃止された。】。「北大収集遺骨を慰霊 道ウタリ協会が供養祭」03.08.09道新、【北大医学部が研究のために収集したアイヌ民族の遺骨九百六十九体を慰霊する「イチャルパ」(供養祭)が八日、北大構内のアイヌ納骨堂で営まれた。〔…〕】。▼「文化体験通じ交流 東アジア共同ワークショップ 幌加内」03.08.08道新、【五日に札幌で始まった「東アジア共同ワークショップ」は七日、空知管内幌加内町に舞台を移し、日本と韓国の学生や在日韓国・朝鮮人の若者が、アイヌ民族や朝鮮民族の文化体験を通じて交流を深めた。〔…〕】。「強制連行の跡たどる 東アジアの若者交流ワークショップ 札幌で開幕」03.08.06道新、【日本と韓国の学生や在日韓国・朝鮮人の若者が交流し、過去の歴史を見つめる「東アジア共同ワークショップ」が五日、札幌市内を皮切りに六日間の日程で始まった。初日は同市内の強制連行の歴史跡をたどるなど、五つのフィールドワークが行われ、若者たちが国境を超えた出会いと対話をスタートさせた。/夏の道内開催は三回目で、今回は韓国の大学生二十五人を含め、東京や大阪、道内から日本と在日韓国・朝鮮人の若者ら約百人が参加した。〔…〕】。
8月12日 ▼『噂の真相』2003年9月号の井家上隆幸「ジャーナル読書日記」が『「拉致」異論』にふれて【時流に抗して毅然と正論を語る気迫、出版する勇気。いまジャーナリズムに決定的に欠落しているのはこれだ。多分書評欄は敬して遠ざけるだろうな。】。▼アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名運動のサイトに同事務局「「米兵を連れ戻そう」−−米兵家族が反戦運動に立ち上がる。」03.08.09。【ブッシュ大統領は相次ぐイラク人のゲリラ攻撃に「かかってこい」(Bring 'em on)と言った。こうした発言に対して、米国内の米兵の家族たちは「BRING THEM HOME NOW!」(今すぐ彼ら[米兵]を連れ戻せ!)という反戦運動を開始し、大きな広がりをみせている。イラク戦争の泥沼化と、「大量破壊兵器」のウソが露呈したことで、開戦前には戦争を支持していた部分も、多くがブッシュ批判を始めている。/運動の中心になっているのは、昨年11月に結成された「Military Families Speak Out (軍人家族は反論する)」という、米軍に身内や恋人を持つ人々の反戦組織である。結成以来、全米および世界中の軍人家族との連絡を築いてきたが、会員数を急激に拡大し、数百家族、数千人規模の組織に成長した。/(MFSOのサイトより) MFSOは、「United for Peace and Justice(平和と正義のための連合)」や「Veterans for Peace(平和のための退役軍人)」などのグループとともに、新たな運動「BRING THEM HOME NOW!」(http://www.bringthemhomenow.org/)を立ち上げた。BRING THEM HOME NOW! は、米兵家族、退役軍人、現役軍人、予備役兵、その他の進行中のイラクでの戦争に反対する運動である。最近立ち上げられたHPのトップに掲載された彼らの「声明」は、次のように述べている。/「真実が露呈しつつある。米国の人民は、ブッシュ政権によってイラク侵略の欲求と意図についてだまされた。」「多くの米国人は我々の軍隊がそこにいることを望まない。多くの軍人の家族は我々の軍隊がそこにいることを望まない。多くの兵員自身もそこにいることを望まない。圧倒的多数のイラク人も米軍隊がそこにいることを望まない。」/「もうこれ以上一人の兵員も殺させるな。」「もうこれ以上一人の兵員も、恐ろしい屈辱的な、無辜の人々を傷つけ殺戮する行動で精神的に傷つけられるな。」「もうこれ以上一人の兵員も、もう一日も劣化ウランを吸わせるな。」〔…〕】。
8月11日 本庄重男・新井秀雄「サーズ(SARS)問題をバイオハザード予防の視点から」〔『技術と人間』2003年7月号 掲載〕。バイオハザード(生物災害)の典型例としての今回のSARS流行について【WHOは四月、新型コロナウイルスがSARSの病原体であることを確認したと発表し、それをSARSウイルスと命名する旨の意見を表明した。しかし、何故そのような新種のウイルスが出現したのか未だ確定していない。新種コロナウイルスの出現について考えられる仮説として、/(1)既知のヒトコロナウイルスの病原体関連遺伝子が変異して、病理性の激しいコロナウイルスになった。/(2)既知の家畜・家禽や野生動物のコロナウイルスがヒトに対しても感染し、病気を起こすようなウイルスに突然変異した。/(3)ある種の野生動物と本来は共生関係にあったか、または病気を起こしていたかもしれない未知のコロナウイルスの一種が、人間社会に侵入し、激しい病原性を発揮した。/(4)既知のコロナウイルスの遺伝子工学的実験(バイオテクノロジー)をしている過程で、意図的であれ、非意図的であれ、人為的に作り出され(または、作り出されてしまった)産物が実験室から環境中に漏れ出て、人間社会に入り込み、病気を起こしている。/現時点では(3)の仮説が最も有力視されているようである。しかし、(4)の新型コロナウイルスがバイオテクノロジーの産物であるという説についても十分に調査・検討すべきである。近年のバイオテクノロジーの活用は日常的であり、毒力の強いウイルスを遺伝子工学的技術で作り出すようなことは、理論的にも実際的にも可能である。現にわが国でもヒトのエイズウイルスとサルのエイズウイルスを遺伝子操作して雑種ウイルスであるSHIVを作って研究しているところもある。また、中国農業省関係で動物コロナウイルスを研究しているグループの存在も確認され、人口作出説を主張するウイルス学・疫学の専門家もいる。/なぜ、SARSウイルスが突如出現したのかは是非とも解明せねばならない課題であり、そのためには全ての考え得る可能性を包括的に捉える視点を持たねばならない。それ故、SARSウイルス=バイオテクノロジーの産物説についても十分な調査・検討が行われねばならない。】と指摘する本庄・新井は【●SARSウイルスハバイオテクノロジーの産物であるとする説についても十分な調査・検討を行うこと。/●感染症指定医療施設や病原体の分離・検査や研究する施設が新たな感染源とならないための予防措置(施設の立地への配慮、教育・訓練など)を徹底すること。/●施設内環境や外部環境への病原体の漏出を常時監視(モニタリング)する体制を確立し、監視状況を公表すること。/●以上を国家的に保障するものとして、病原体の取り扱いとバイオ施設に対する法規制を行うこと。】を求めている。関連サイト:「バイオハザード予防市民センター」。
8月10日 ▼山田昭次『関東大震災時の朝鮮人虐殺 その国家責任と民衆責任』2003年9月、創史社。【日朝平壌宣言以後の日本の精神状況は、関東大震災時の朝鮮人虐殺事件の意味を深く考える必要性をいっそう強く感じさせた。】という問題意識から【この本は関東大震災時の朝鮮人虐殺事件のあやゆる側面を述べる概説書ではない。日本の植民地支配責任をなんとか清算したいと思う日本人たちとの対話のための本である。】とする山田は関東大震災時の朝鮮人虐殺事件関係の墓碑、追悼碑21件を精査し【日本の国家と民衆が虐殺主体であることを明記したのは、四七年に在日本朝鮮人連盟千葉県本部が建立した追悼碑のみである。その後は、在日韓国人が独自に建立した碑でも、あるいは在日朝鮮人、在日韓国人が日本人と共同で建立した碑の碑文でも、虐殺主体に触れたものは現れなかった。日本人が虐殺主体を碑文に書かない日本社会の精神状況が、在日朝鮮人・韓国人も虐殺主体に言及しにくい状況をつくり出しているのである。/日本人民衆が朝鮮人を虐殺した罪を告白しない限り、日本民衆をそこに追い込んだ日本国家のより大きな罪は隠され続ける。日本人民衆は朝鮮人虐殺に自己が加担した責任を直視しつつ、自己をそこに追い込んだ国家責任を明らかにし、問うという同時的課題を負っている。これが今日の日本人民衆に課せられた責任であろう。/民衆といえども虐殺に加担したのだから、日本国家の責任追及は痛苦なしにできることではないが、しかし私たちがその課題を痛苦のゆえに避けて残してきていることを朝鮮人犠牲者の墓碑、追悼碑の建立の歴史が示している。最も痛苦を味わったのは虐殺された本人であり、肉親が日本のどこで生命を奪われたのか、知らされないままに長い年月を過ごしてきた遺族達である。】と書いている。▼韓統連のサイト(ホットニュース)に「韓総連の学生、米軍ストライカー部隊訓練を奇襲」08.07「韓総連、ストライカー部隊訓練に抗議 米軍装甲車を占拠しデモ」08.09。関連:「ストライカー部隊訓練場奇襲【動画】」03.08.08統一ニュース / 「韓総連が米軍装甲車占拠デモ」03.08.08中央日報。▼〔再掲〕吉川勇一「秋の反戦共同行動に向けて――第一期WPNの成果と問題点」03.08.05、必読!▼『新潮』2003年9月号に、四方田犬彦「ハイスクール1968」(連載・第2回)、私と一学年ちがいでほぼ同じ空気を吸ってたという不思議な共感!
8月9日 ペシャワール会のサイトに中村哲「水源事業担う若者の挑戦 新たな世界観の芽生え」03.08.06〔沖縄タイムス03.07.27〕。【農民たちは、伝えられる政治的動きとは無縁である。作業現場を見ているとよく分かる。ここには表層の報道とは無縁に、アフガン社会の巌のごとき動かぬ構図がある。元タリバン政権下の者が現場監督をし、新政権の要人・関係者が激励にくる。旧タリバン兵、元北部同盟兵、果ては元米軍傭兵に至るまで和気あいあい、共に汗を流す。この複雑怪奇な人間関係を読み取るのは至難の業で、米軍は敵・味方の識別ができず、ジャーナリストも困惑する。/しかし、一歩彼らの中に入れば、ことは非常に簡明だ。まず自ら生きることなのである。政治スローガンなど、傭兵にでもならぬ限り食えない身には、どうでもいいことである。外国人は適当にあしらって、頼りにしない。村を侵す者には一致して戦い、心からの協力者なら、外国人であっても、客人として命懸けで守る。/このような世界に触れる日本人ワーカーたちは、水路関係が11人、すべて20代の若者である。医療関係は4人、沖縄出身の仲地医師が2年目の長期ワーカーとして、すっかり現地になじんで、指導的な役割を果たしている。/最近感ぜられるのは、これら若者たちの間で胎動する新しい動きである。本人たちには失礼だが、日本社会で満たされず、自分の生き方に行き詰まりを感じ、現地で生きがいを見いだそうとする者が少なくない。適切な場所を得れば、別人のように生き生きとなってゆく。一世代前のような野心や功名心、欲望は薄いが、まるで何かに飢えた者のように、現地に惹かれてゆく。/「アフガニスタン」を通して、彼らの心に人として大切なものが刻まれてゆくのだろう。そして、それこそが日本で失われたものなのである。/日本の状況は。宮沢賢治が70年前に書いた「注文の多い料理店」である。西洋かぶれした紳士が山中で迷い、立派な西洋館に遭遇して喜ぶ。中に入ると、厳かな金文字で、金物を取ってください、服を脱いで体を洗ってください、体中にクリームを塗ってください、と次々と注文が出される。土壇場になって、自分がとって食われる準備だったと気付く。恐怖で狼狽したところに、地元の者が現れて、犬がほえ、猟師が「だんなあ、だんなあ」と呼び掛ける。実は立派な西洋料理店は幻で、林の中で勝手に金文字に躍らされて、裸になって震えていただけなのだ。/今、「文明の辺境」たる現地から見れば、このさまがはっきりと分かるのである。ニューヨーク・多発テロ以降、「文明」は凶暴化した。「遅れて貧しい」者を力で圧服し、人間を解放すると称して人間を殺す、奇怪な論理が横行している。だが、これはより複雑な形で先進国内部をむしばむものと軌を一にしている。だがそれもまた、しばしば実体のない亡霊におびえているにすぎない。/多感な青年たちは心のどこかで、それに敏感に気付き始めているのだ。たとえ反戦を叫ばなくとも、それこそが貴重なものである。私たちの現地事業が若者たちを触発して、真に根源的な世界観が芽生え始めている。それは単なる過去への郷愁ではなく、新しい世界を切り開くための模索である。】。
8月8日 『週刊読書人』第2500号(2003年8月22日付)に『「拉致」異論』書評として伊高浩昭「〈右翼〉論調の攻勢に対して 〈本物の正論〉が巻き起こるために」。【昨秋の小泉訪朝と拉致被害者の帰国を境に、「拉致問題」が異常なほどマスメディアで伝えられるようになった。以来「醜悪で反省のない植民地主義イデオロギー」を振りまく〈仕掛け人〉たちによる「理性に基づかない、自民族中心主義的な〈反北朝鮮〉キャンペーン」が展開され「異論を許さぬ不自由な空気」が充満していると捉える著者は「まるで一億数千万人全員が被害者であるかのような演出を仕掛ける者がいる」、「問題の本質に迫る発言がもっと出てこなければ駄目だ」とみて、本書を構成する文章を書くことにした。/「朝鮮植民地支配終了後五八年にわたり、一切の清算がなされていないことによって、植民地支配責任は継続状態で留まっている。これが日本と南北朝鮮の二一世紀初頭における関係性の本質だ」と提示。その上で「拉致問題は、固有の問題として解明と責任追及がなされなければならない」と同時に、「他者に突き付ける要求は自らにも突き付けるべきであり、植民地支配と侵略戦争の問題を現段階でどう捉えるかは避けて通れない」という論理を展開。「拉致問題と(日本の〈国家テロ〉が現出した)植民地支配とを相殺してはならず、両方をそれぞれ別個な問題として解決しなければならない」と強調する。/「もはや(拉致被害者の)家族会の人々の心情を慮って、私たちが言葉を慎むべき段階は終わった。個人としては当然の怒りが、政治、外交、軍事政策を、向かうべきではない方向へと突き動かす運動に転換しつつあり、明らかに社会的責任を問われるべき領域の発言にまで踏み込んでいるからだ」という指摘は、本書にみなぎる危機感を象徴する。/だが一方で「北朝鮮の支配体制に関し、日本の運動圏と〈進歩的〉ジャーナリズムで、〈社会主義〉圏に対する批判は差し控えるという歴史が繰り返された。そこには、植民地支配をめぐり謝罪、賠償、総括を終えていない日本社会に居る後ろめたさが心理的に働いていたはずだ。運動圏のそんな脆弱さと、〈拉致〉問題をめぐる〈産経〉、〈正論〉、〈諸君!〉レベルの言論が社会全体を席巻する現在の情況を招いたことが無縁だとは思えない」と、積年の〈左翼〉の問題点をえぐる。常に自戒を忘れない著者は、同支配体制への厳しい批判の欠如や「植民地支配責任への無自覚」が自身にもあったとして、自己批判する。/〈右翼〉論調の攻勢に対し「従来以上に困難な場所で向き合うことになる」と覚悟しながらも、「私が心がけるのは、この倒錯した状況自体に対する(自己批判を含む)批判作業であり、このような貧しい社会・思想的状況からでも、未来に向かう希望のひとかけらなりとも見出そうとする作業だ」と述懐する。深く豊かな読書歴を基に、状況を社会科学として分析する著者の正統的立場が、全編を貫いている。かすかな希望は、そこから生まれるだろう。その希望とは、〈本物の正論〉が巻き起こることだとみたい。】。
8月7日 『SWITCH』AUGUST 2003 Vol.21 No.8(スイッチ・パブリッシング)が“特集・クレイジーケンバンド[昭和歌謡と呼ばないで]”、インタビュー・横山剣「紡ぎだす人生の陰と陽」。【歌謡曲っていうのが一番いいですね。J-POPっていう言葉もあるんですが、要するに歌謡曲とJ-POPは僕の中では一緒なんですよ、呼び方が違うだけで。日本のポップスっていう意味が伝わればそれでいいので。いろんなものを取り込んで作り上げられた昭和の歌謡曲がかつて放っていた雑多なエネルギーとか、あと筒見京平さんのように洋楽のアニマックなことを消化しなければできないもの、そういった昭和歌謡のいい部分を継承しようと思うことからすると、今で言うとそれが「J-POP」になるわけですね。J-POPの中でも、ちょっとCKB的なアプローチができるかなと思ったりする。だから棚で置かれるんだったら昭和歌謡っていう棚に置いて欲しくなかった。そういう意味です。(CKBには)ソウルっぽい曲もあるけれど、ジャパニーズソウルっていう棚がもしあったとして、そこに置かれても困る。歌謡曲かJ-POPコーナーに置いてもらって、いわゆる普通のポップスの仲間入りをしたかった。CKBっていうスタイルが打ち出せていれば、逆にその自信からジャンルにこだわる必要なんてなくなるんですけどね。〔……〕エゴ・ラッピンさんとかも某音楽誌の『昭和歌謡な気分』っていうコーナーでCKBと同じく取り上げられていたんですよ。エゴ・ラッピンさんなんかうちよりさらに昭和歌謡とほど遠いところの位置なのに。うちはまだ誤解を含んだ部分も多々あったと思うんですけど、エゴ・ラッピンさんに至ってはまるでそうでないのにそういうふうになったっていうのがあると思うんです。何か古着っぽいとかビンテージ感があるとか、そういうものが全部ひと括りにされちゃったんです】【〔…〕チャンネル変えるだけで昭和のものが嫌になったり、ますます好きになったりするんですけど。だから、うちが今ちょっとヒップホップっぽいものをサウンドでかじったからといって、『ヒップホップのCKB』と言われては非常に困る。うちヒップホップじゃないから。それと同じで、昭和歌謡って言われちゃ困る。だったらいろんなものを内包してるんで、歌謡曲かJ-POPって言って欲しい。あるいはロックって言われてもいいんですけど、ロックっていう程ピュアではない。不純物だらけ。だったら、チクロ(昭和に使用されていた合成甘味料)入りってことで言ってみれば歌謡曲が正しいかなと。チクロ感っていうか、駄菓子によく入ってるああいうちょっと原色の、ロックンロールのヤバさみたいな、梅ジャムみたいな色っていうかああいう感じなんですよね。オーガニックなものももちろん好きなんですけど、あんまりそこは担わなくても、そこはオレンジ・ペコさんとかいますから。うちはもう赤マムシとかそういう感じなんで】。
8月6日 ▼亀井秀雄「1970年代の日本における歴史と言語」03.07.31〔03.07.04韓国日本学連合会第1回国際学術大会〕。【日本の1970年代は、このように言葉そのもののあり方が、人文科学のいろんな領域で問われ始めた時代だった。/蓮実重彦が「表層の回帰と作品」(『展望』1975年6月)という評論において、代表、代理、代弁、表示などの意味を持つrepresentationという行為の権力主義的機能に警告を発していた。これは1970年代に言語の問題と取り組んだ人間の共通理解だったと思う。なぜなら、自分の立場や思いを言葉によって伝えることができない人たちに代わって「代弁」することや、無権利状態に置かれた人たちの代表者となることは、一面では善意あふれた大切な行為とも言えるが、その反面、その人たちの言葉を自分たちで専有してしまう危険を孕んでいるからである。もっとどぎつく言えば、「代弁」とか「代表」とかいう行為は、その人たちを沈黙の側に押しやったまま、その人たちの言葉を奪って、自分の言葉に翻訳し、対立する相手を責めたてる口実に変えてしまうことだからである。/それでは、果して私たちは他人に代わって発言することができるだろうか、それはどのような資格と権利よって可能なのだろうか。代弁者や代表は、自分が口にする言葉に対して、どのような態度を取るべきか。このように、他人の言葉を媒介し、翻訳することに関する倫理の問題が起こってきた。〔……〕1970年代は、さまざまな学問領域が、自分の存在理由を、ただ社会的な需要や必要性だけに見出すことに疑問を覚え、学問それ自体としての権利を問い始めた時代だったと言える。歴史学に関して言えば、一般的な通念として、〈社会問題をより正確に認識するには、歴史的な経緯を知ることが必要だ〉という常識があり、だから歴史学の存在理由は、この需要に応えて、歴史的な知識を提供することにある。そう意味づけることはできる。あるいは、何か新しい社会現象が話題になる度に、同時代の世界情勢や過去の経緯に照らし合わせて、何らかの社会的な警告を発したり、他の歴史学者の発言をイデオロギー的に非難したりして、大いにその役割を果しているかのように装うことができる。しかし、果して歴史学には、他の学問ジャンルに伍して、それ固有の存在理由を主張する権利があるのか。もしあるとすれば、どのような学問的な基本単位を持っているからなのか。】。▼さざなみ通信のサイト(トピックス)に「(03.8.4)綱領改定案の討論報第1号が発行される」として、天皇問題、自衛隊問題、帝国主義論、労働者の闘い、少子化問題その他についての批判意見、討論を紹介している。
8月5日 ▼「学生と在日コリアンが語り合う戦争 神戸で集会へ」03.08.04神戸。「〈関東大震災-朝鮮人虐殺から80年〉 山田昭次氏(立教大学元教員、歴史学者)に聞く」03.08.02朝鮮新報。▼再掲、「DOP(Defend Our Party)」、03.07.22付「ストリートパーティーへの弾圧に抗議する声明」、【渋谷15号の仲間の勾留理由開示公判が決定しました。8月6日(水)16時から東京地裁。】。▼アジア放送研究会のサイトに「「救国の声放送」のあゆみ」03.07.31-08.01訂。▼「スペースインベーダー、誕生25周年 - 名古屋にてイベントが開催」03.08.04 MYCOM PCWEB。
8月4日 『朝日新聞』2003.08.03付に『「拉致」異論』書評として高橋源一郎「「正論」の渦に抗して あえて言う」、【苦しい本だ。読んでいるこちらまで息苦しくなってくる。/社会主義国家北朝鮮に好意的なあまり、「拉致」問題へ明確な回答が出来なかった「左翼・進歩派」を、著者は厳しく批判する。同時に「拉致」問題を政治的に利用して「民族主義的情動」を呼び起こそうとするあらゆる言論に反対する。/けれど、いま必要なのは、そのことではなく、洪水のようにあふれる「正論」に誰もがぼんやり感じているだろう異和感を言葉にすることだ。だが、それは難しい。「異論を許さぬ、不自由な空気」が流れているから。けれども、著者は全身をかけてその困難に立ち向かうのである。/「金正日自身が拉致を認めて謝罪したことを踏まえて交渉が開かれた。ようやく日本は『過去の植民地支配の贖罪』という呪縛から放たれ、拉致問題解決に本気の姿勢で臨むことができた」/拉致家族のひとりが書いたこの文を読み、著者は、ここに拉致事件と植民地支配を「相殺」できる「心情」を発見する。だが、と著者はいう。そもそも拉致と植民地支配は「相殺」、いや「交換」できるものなのだろうか。「本来的に別個な問題であるふたつの出来事が出会うべき場所」は「他者に要求することは、自らにも突きつける」ことを通してしか見つからないのではないだろうか。/拉致と植民地支配は交換できない。ある個人の死と別の個人の死も交換できない。それは、死者の「代弁」は誰にもできないということでもある。/死者を「代弁」して憎しみの報復がエスカレートする中、イスラエル軍に殺されたパレスチナ人家族のグループとパレスチナゲリラに殺されたイスラエル人家族のグループが共同の反戦活動を立ち上げた。彼らはそれぞれの同胞からの(「敵を利するのか」という)批判に対してこう答える。「わたしも彼らも家族を失いたくなかった。だから、わたしたちは殺すことを望まないのだ」/彼らは死者を「代弁」したのではない、「敵」といわれる人びとと同じ立場に立とうとしたのだ。それより他に、戦いを終わらせる方法はなかったのである。】。08.07補記:→asahi.com リンク。
8月3日 ヴァルター・ベンヤミン、今村仁司・三島憲一ほか訳『パサージュ論 第1巻』2003年6月、岩波現代文庫。巻末の「解説」で今村仁司は【ベンヤミンは、歴史を自然として、自然を歴史として見るという独特の視線の保持者であった。より正確にいうと、彼は、最も歴史的なもののなかに最も自然的なものを、また最も自然的なもののなかに最も歴史的なものを、洞察するのである。それは、自然と歴史が同じものだということではない。反対に、ベンヤミンにおいては自然と歴史は根源的に切断しており、人間の歴史であるかぎりでの歴史は自然の歴史の腐食でしかない。人間の歴史は廃墟になる。廃墟としての歴史は、最も人間的な歴史でありながら、最も自然史的に現われる。この切れ目こそが「根源の歴史」(根源の出来事、根源の言葉、根源の物語)である。ベンヤミンの歴史への問いは、この根源へと差し向けられている。このとき、彼にとって、近代の等質的で連続的な時間に基づく「進歩の理論」は、あるがままの事実を書き留める実証主義の思想でしかなく、「テーゼ」の言葉で言えば「勝者の歴史」でしかない。生き残り勝利したものたちの物語が歴史を横領しているが、歴史とは「敗者」の歴史でなくてはならない。催眠術にかかった「歴史」から目覚めの歴史を呼びもどすためには、「根源の歴史」の呼び声に耳をかたむけなくてはならない。歴史の敗者とは、なによりも「個物」である。個物は事物でも人間でも事件でもありうるが、それらはいずれにしても「このもの」という性格をもつ。個物の「このもの」性は、等質的な時間や空間のなかには位置づけられない。それぞれの物は凝縮した時間と歴史を保存している。こうして個物への問いは、そのまま歴史への問いになる。/したがって歴史への問いの方向が変更されなくてはならない。時間への問いも空間への問いも、個物のあり方への問いになる。個物のあり方とは、人間と物とのつき合い方である。ベンヤミンの言葉を使えば、物とのつき合いは、物との「知り合い」〔…〕である。したがって、ベンヤミンにおける物への問いは、物とのつき合い方・知り合い方への問いになるほかはない。「根源の歴史」はしばしば「太古史」あるいは「前史」とも理解されているが、言葉の表面上の類似がそうさせるのだろう。しかし彼の本来の感じ方に即してみると、「根源の歴史」とは、物との根源的なつき合い方であり知り合い方であろう。どのように物とつき合い、知り合うのか。「根源的な知り合い方」〔…〕は「根源の歴史」そのものである。】と書いている。
8月2日 ▼池袋・新文芸坐で8/2(土)〜22(金)“社会派映画特集 スクリーンが告発する社会の歪(ひず)み”、上映作品:不毛地帯、にっぽん泥棒物語 / 松川事件、少年 / 儀式、日本の夜と霧 / 絞死刑、米 / キクとイサム、真昼の暗黒 / 証人の椅子、日本の熱い日々 謀殺・下山事件 / 帝銀事件・死刑囚、私は貝になりたい / 壁あつき部屋、TOMORROW 明日 / 黒い雨、日本の黒い夏 冤罪 / サンダカン八番娼館 望郷、白い巨塔 / 人間の壁、豚と軍艦 / キューポラのある街、告訴せず / 金環蝕、さよならCP / ゆきゆきて、神軍、日本解放戦線 三里塚の夏 / 日本解放戦線 三里塚、海盗り 下北半島・浜関根 / 不知火海。▼千都フォントライブラリー(大日本スクリーン)のサイトに「ヒラギノOpenTypeとMac OS Xのバージョン相関表」03.07.24。▼旧「ベ平連」運動の情報ページのサイト(談話室)に吉川勇一が対CHANCE!(小林一朗)問題で貴重な発言。「64 ベ平連が警察と仲良し? ベ平連のデモは警察に花束を贈ったか」ほか。08.09追記:吉川勇一「秋の反戦共同行動に向けて――第一期WPNの成果と問題点」03.08.05、必読!
8月1日 ▼【私は半分あの世にいる。】との書き出しで『日本経済新聞』「私の履歴書」で8月1日から水木しげる連載開始。▼多民族共生人権教育センターのサイトに飛田雄一「多文化共生社会への道のり」2003.08〔03.05.12同センター第4回総会記念講演〕。「在日韓国人S青年の『強制送還』事件―1973年」「国民年金法改正(1982年)と在日朝鮮人障害者の年金問題」「『指紋押捺』制度のなし崩し的消滅−1980年代」「阪神大震災と外国人」などとともに「スリランカ人留学生・ゴドウィンさんの治療費問題−1990年〜1995年」をふりかえる飛田は【私はこの裁判に関わり、初めて原告団長をしました。これは、外国人労働者が増えてきたことに関する象徴的な事件です。なぜ原告団長になったかといいますと、市民がものを申すことができる住民訴訟をしたからです。ゴドウィンさんは神戸YWCAの日本語学校で勉強していた留学生ですが、くも膜下出血で倒れました。下宿で倒れたゴドウィンさんは、神戸大学の付属病院に運ばれ、手術をして成功しました。しかし、保険に入っていなかったので160万円のお金を治療費として払わなければならなかったのです。ゴドウィンさんはお金がなく、身元保証人にもお金がありませんでした。行きついたところが神戸・灘区の福祉事務所で生活保護を適用するということでした。生活保護が適用されると医療費はそれで払うことができるのです。そうすると厚生省が、神戸市にプレッシャーをかけました。「生活保護というのは、永住や定住をしている人には馴染むものであるが、留学生には馴染まない」というのです。生活保護の費用は、75%は国が出して、25%は地方自治体が出すので、とりあえず神戸市が立替払いした医療費160万円のうちの120万円が国から下りてこないことになったのです。実際、外国人労働者を生活保護で救う事例はいくつもありました。最後の砦として生活保護で救っていたのですが、外国人が増えだした時に時代に逆行して厚生省が生活保護の範囲を狭めようとしたというのが、ゴドウィン事件の象徴的なことだと思います。結局、最高裁までいきましたが負けてしまいました。一審の神戸地裁の判決では、「原告の敗訴であるけれども、これはゆゆしき事態であり、留学生に高額の治療費がかかる緊急医療が必要な時、生活保護がないと救う方法がない」という付録がつきました。しかし、二審、三審では門前払いの判決でした。第2のゴドウィンさんがくも膜下出血になったら救う方法がないという怖い状況にあるのです。未だに生活保護で救えない一部の外国人がいますから、支援しているグループは苦慮しています。そこで、道で倒れた人を救わなければならないという「行路病人法」を利用するなどして救っているのです。日本にはそれなりの医療制度がありますが、外国人には最低の命の保障がない、といえます。〔…〕/「生活保護」の原則について、ゴドウィン裁判で意見書を書かれた、当時大阪府立大学の庄谷先生が強調されていたのは、「生活保護というのは『最低限度の保障』というが、命の保障であり、最後の砦であるからそこに国籍条項があってはいけない」ということでした。生活保護の原則として、福祉事務所関連の他の施策で救えないとなったら、そこの福祉事務所が最終的に救済するというのがあります。ゴドウィンさんの場合、裁判では門前払い的になりましたが、そういう生活保護の原則からいっても救われるべきものであったということです。】と指摘している。
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