5月15日 ▼『東京新聞』03.05.15付(特報)に、「茨城・神栖町のヒ素汚染 化学兵器・嘔吐剤の可能性」、【戦後、半世紀以上を経て、旧日本軍の“亡霊”が茨城県神栖町の住民を悩ませている。この地域の井戸水から自然界には存在しない有機ヒ素が検出され、その原因として、化学兵器・嘔吐(おうと)剤の可能性が指摘されているからだ。嘔吐剤そのものは見つかっておらず、国は“物証”探しに乗り出したが−。〔…〕】。▼「MYCOM」のサイト(コラム:東京バイツ)に、福富忠和「マイケル・ムーア作品の読み方、そして日本で知られていない理由の推測」03.05.14、同「ボーリング・フォー・コロンバインを観るときに参考になるかもしれない資料」03.05.08。▼「INTERNET Watch」に、森田秀一「【集中企画】本探しは「オンライン」が定番〜書籍ショッピングサイト」03.05.12。
5月14日 ミュリエル・ジョリヴェ、鳥取絹子訳『移民と現代フランス フランスは「住めば都」か』2003年4月、集英社新書。【この本はルポの形式を取っていて、学術的なものではない。社会に問題提起をする本で、人間にもっと寛容になってほしいと思って書いたものである。】とするミュリエル・ジョリヴェは「背景を数字で見ると」「フランス人は人種差別主義者か」「ブールのアイデンティティ」「フランスにおける巧妙な差別の実態 二つの速度」「女性は同化の原動力? ブールの女性たち」「フランスの一夫多妻制」の各章につづき「デリケートな問題 サン‐パピエ」で【正式な滞在許可証を持たない外国人、サン‐パピエ】の人びとを取材し、【「〔…〕移民の波を制限すると、蛇頭団を太らせるだけで、移民の生活は悲惨なままだ。移住してくるというのは、誰にとっても非常に大変なことだ。祖国を捨てた寂しさに加え、常に恐怖にさらされている。仕事でくたくたになり、受け入れ国の規則で縮みあがっている。〔…〕フランスが抱える他の大きな政治問題に比べたら、不法滞在者の問題はマイナーであるために、未だに多くの人が暗闇のなかで苦しみ、天国にも、地獄にも行けずに歎き悲しんでいる。本当に恐ろしい時代だ……」】との温州出身の中国人の証言や【「〔…〕私たちが耳にするのは、フランス政府もそう言っているけれど、サン‐パピエをなくす解決法は、移民の理由を根絶することだということ。つまり、発展途上国をできるだけ援助して、その国の人たちが必要とする仕事を、現地で見つけられるようにすること。これはとてもいい考えなんだけど、フランスがアフリカでしていることは全く違う。〔…〕フランスは、移民の原因を根絶するなんてことは、全く頭にない。非常に現実的な経済的利益を守るためにいる。新植民地主義のフランスと、アフリカのブルジョワと、双方が得するために。〔…〕」】とのセネガル女性の証言を始め多数の人びとの声を紹介。【結論】で【「フランス人は人種差別主義者ですか?」という質問に、私はケダドゥーシュの答えを繰り返そう。「他の国の人並みですね」。つまり、「ごく普通に」人種差別があるということだ。〔……〕闇で低賃金で搾取される人たちがいるということだ……しかし、これも必要とされているのだ。結局フランスは、人権の国という評判を利用しているのではないだろうか? ベネディクト・グーソーが書いているように、「人権の国フランスは、現在、幻想でしかなく、多くの人が失望している」。】と指摘し、【東京に住む外国人に「東京は住めば都ですか?」と聞いたら、何と答えるだろうと、想像せずにはいられない。】とむすんでいる。
5月13日 「第88回訓点語学会研究発表会」5月16日(金)大阪女子大学七十周年記念ホール。「国語学会2003度春季大会」5月17日(土)堺市民会館/18日(日)大阪女子大学。
5月12日 絓(すが)秀実『革命的な、あまりに革命的な 「1968年の革命」史論』2003年5月、作品社。『早稲田文学』連載(読書録02.06.08参照)をベースにまとめられた労作。【〔…〕七・七「華青闘告発」の核心が、日本のニューレフトのナショナリズムへの批判であったとすれば、部落問題へのシフトは、そのナショナリズムを温存する傾向を内包するものだったのである。】と指摘する絓はラカンを援用しつつ津村喬に対する吉本隆明の批判にふれ【〔…〕津村の視点は、同時に吉本への批判たりえていると捉えることが、今日では重要だろう。国民という「主体」にとって、部落民がおのれの欲望が生み出した享楽の対象であるとすれば、それについて――たとえ差別糾弾闘争というかたちであれ、吉本のように、その欺瞞を暴き立てる文脈であれ――語ることは、スラッシュを入れられた主体としての「己れの不安」について語ることだからである。そして、不安な主体として世界に対峙しているわけだから、それは「世界について語る」ことに等しいと見なされる。〔…〕/部落問題のみならず第三世界論も、不断にこのような倒錯におちいる危険を孕んでいる。エドワード・サイードが言ったように、オリエントがオクシデントの「己れの不安」についての表象であるとすれば、それについて語ることが、あたかも「世界について語る」こととなるほかないからだ。オリエントもまたオクシデントにとっての「もの」なのである。津村の第三世界論が傑出していたのは、オリエンタリズム的倒錯から、不断に脱出しようとしていたところにある。〔……〕/〔…〕吉本隆明のたちまち暴露されてしまう論理的杜撰さと、津村喬の時として「人道主義」と呼ばれもする享楽的なものへの距離のとり方と「疚しさ」への親和性は、両者がいかに接合困難であるかを示している。スラッシュを入れられた主体が生み出した欲望の対象たる「もの」へのフェティシズムは、論理的な享楽という撞着的な方法によって、漸進的にしか解決できないのだ。そのような撞着性を生きるほかないことは、「錯乱のバリケード」における「児戯」に共鳴しながらも、津村がそこに「他者」の論理を導入しようとした時、すでに予科されていたものであったはずである。そしておそらく、それが転倒されて享楽的な論理が生み出された時、「一九六八年の革命」は再び、その持続が現実であることを、われわれの前に示すことになるはずである。それは、一九七〇年七月七日の非同一的な回帰であり、新たな「開戦」にほかなるまい。/そもそも、「錯乱」というランボー的視点は、同時に「私は他者である」というもう一つのランボー的視点と相補的なもののはずではなかったか。そして、六八年とは「規律/訓練」型から「監視/管理」型へと移行しつつあった大学にあって「他者」として闘争することであったのだし、それゆえに、在日や女性等々の「他者」を見いだしえたのである。それは「他者」たちの社交=群れがおこなった戦争であった。】と書いている。
5月11日 「INTERNET Watch」に「連続インタビュー:W3Cの技術スタッフに聞くWeb標準化動向」として、「(1) VoiceXMLとマルチモーダルへの発展〜英Canon ResearchのDave Raggett氏〜」03.04.30、「(2) Webサイトも“バリアフリー”の時代へ〜MITのMatt May氏〜」03.05.01、「(3) Webサイトにおける“国際化”への道のり〜MITのMartin Duerst氏〜」03.05.02。
5月10日 ペシャワール会のサイトに、中村哲「報告:実事業をもって平和に与す アフガン東部で15年計画の水利事業開始」03.05.08。【昨年の今頃は、明るい「アフガン復興」の話題で日本中が沸いていました。「アフガニスタンはそのうち、忘れ去られるだろう。だがペシャワール会の方針はこれまでも変わりなかったし、今後も変わらないだろう」と述べたのは、その頃だったと思います。/事実その通りになりました。話題性に振り回されて付和雷同、その後アフガニスタンがどうなったか、実情を知る日本人は少ないのではないでしょうか。ペシャワール会=PMSは、昨年1月に「緑の大地」計画を発表、アフガニスタンの復興が「旱魃対策=自給自足」の農村の回復にあることを訴え続けてきました。これまで継続してきた、医療活動・飲料水源確保はそのままペースを落とさず、さらに灌漑用水の確保に力を尽くしています。この1年で、ほぼ将来事業の見通しが立ち、2003年2月、灌漑用水確保15カ年計画が検討され、既に実施段階に入りました。/ここに会員・募金者の皆様に計画を明らかにし、ご理解を得たいと存じます。】として「2003年からの水利事業の概要」「現段階の進行状況」「飲料水源事業」「沖縄ピース・クリニック」について報告がなされている。全文必読!
5月9日 「 ! 韓国・朝鮮文学への窓口」のサイト(三枝壽勝の乱文乱筆)に三枝壽勝「よいどろぶねよさようなら 惨酷演戯:災有酔壷功労無(むざんやなわざわいのかげさけありてろうくはむなし)」〔『綜合文化研究』、東京外国語大学総合文化研究所、2003.3.25発行、改定2003.1.22-2.12〕。【- 戦争の後で、自分はだまされてたとか、知らなかったとか、ずうずうしいやつらもいたな。/- だから、だまされていたことがそんなに自慢になるかって言われたんだよな。最近も、地上の楽園に帰還させる運動を支援してたやつらが、自分は知らなかった、だまされていたとか言ったとか言わなかったとか。いつまでたっても同じだ。知らなかったって責任のがれるわけにいかないのに。責任ってのは、本人が責任を引き受ける覚悟があるかないかが問題だろにね。単にあいつには責任があるだのないだの、そんな理窟や論理で決まるなんて未だに考えてるやつがいるらしいよな。こういう単細胞の発言こそ無責任なのちっとも分ってないんだよな。/- いつやて、おのれのこと棚上げにしてもって他人のこと批判できる思うとんや。その程度のこっちゃから単純な政治の話にしかならんのやろな。/- まあな、国家的な規模であれ、個人的であれ、犠牲者が恨み骨髄に染み込んで復讐心に燃え上がるってのはありうるよな。/- だけど、そういう犠牲者の感情をてめえらが儲けるために利用したり、じぶんらの宣伝に使おうってのが汚えやんか。/- おれはね、そういう個人的なことや国家の威信なんて事も、そんなにつまんねえことだとは思ってないけどね。でも最近は関心が全然違ったとこに飛んでっちゃうのね。/- たとえば? /- まずな、拉致ってさ、日本だってとっくの昔もっと大規模にやってんじゃないか。強制連行っていうじゃない。朝鮮人に対してならあの何百・何千倍もの規模でな。/- だからって北朝鮮が同じことやっていいってこちゃないやろ。/- もちろん。ただね、日本のやったあれだけのことに対して、かなり批判がされてんのに、根本的に反省した日本人ってどんだけいるんだろうかってことさ。たいていの日本人ってなんにも感じてないんじゃないかな。そのこと大袈裟に言う日本人もいるけど、どうも信用できない雰囲気の人間が多くてさ。おれは政治のことに発言できないけど、要するに日本人のこと見たら、北朝鮮がどういう態度をとるかほぼ予想できるんじゃないかってこと。/- そやからって何もせんでええ言う話にゃならんやろ。/- もちろん、ただちょっと違ったことに関心あるってこと。ほら北の工作員が日本人をさらったってんだろ。あれってさ純粋の日本人が必要だったから拉致したんだろ。それも国家的な事業として。要するにさ、ある国でどっかの人間が必要だと思えば、どこであってもそこまで行ってさらってくるってことじゃないか。こんなこと別に今に始まったことでもないし、北朝鮮だけがやってることじゃないだろうってこと。人間、人間って言うけど要するに国家が必要としている人的資源なんだよな。おれってさ、大昔から人間の歴史じゃこんなこと繰り返されたと思ってんの。ほら文化の伝播っていうじゃないか。おれは皆がちょっと誤解してんじゃないかと思ってんの。複数の文化圏の間で文化が伝わるってとき、皆どう考えてんのかな。素朴にお互いの文化圏のあいだで人が交流して技術や学問を学んだり、使節が文化を伝えにやってきたなんて考えてるんじゃないのかな。/- 昔、日本に中国や朝鮮から人がやってきて先進文化を伝えたり、先方に留学生を派遣して学びに行ったってことじゃないの? /- そんなことがあったことは否定しないよ。だけどね、もっと古くはそんな悠長なやりかたしてなかったと思うよ。戦争やって先方の文明を滅亡させると同時にそこにいた人的資源をそっくりさらって来たんじゃないの。相手が滅亡しなくたって文禄・慶長の役のように陶工をさらってきて日本の陶芸を発展させたこともあるよな。もともと主として官窯だったせいもあるけど、韓国での陶芸なんてあれから未発達で青磁・白磁なんていいながら、肝心の一般家庭での陶磁器なんて最近までお話にならないありさまだったじゃないか。/- それで? /- ようするにさ、民族や国家ってのが、今おれたちが見てるような具合に不変の存在であって、その間で文化現象だけがやり取りされて伝わるって考えは一面的すぎるってこと。文化の伝播にはその文化の担い手である人間の移動も伴うってことだし、その際に民族や国家の構造の変化も伴うってこともありうるんだってこと。そうすりゃ、ある彫刻の様式が伝わる時、なぜ技術の手法だけでなく、その様式の中にもとの担い手たちの顔つきまでそっくり伝わったのかとか、ある文化現象が他の地域に伝わったあと、なぜもとの地域ではその文化が絶滅してしまったのかってことがかなり理解しやすくなるんじゃないの。】。
5月8日 『週刊読書人』第2487号(2003年5月16日付)に「大西巨人氏に聞く 『神聖喜劇』、それ以後」(聞き手=鎌田哲哉)。大西は【〔…〕最近は、たとえば「Aがいい」と思っても、それを直接言わない方がいいという論調があるね。「AでもないBでもない」というふうに言っておく方がいい。本当は、「世の中はAじゃなきゃいなん」という「A」を探り求めていかなければいけない。むろん、なかなか不動のものに到達しないということもあろうが、それを見つけて、言わなきゃいかんわけ。ところが今は、どうもみんなが、「AでもなければBでもない」というようことを言う。わかりやすく世の中に当てはめたら、「右翼でなければいかん」という奴がいて、一方に「左翼でなければいかん」という奴がおる、そうではない「右翼でも左翼でもないのがいい」という論調がいっぱい出てきているように思うがね。その右翼でもない、左翼でもない、AでもないBでもないという言い方が、実は戦争やらファシズムやらを呼び招くんだと思うが。でも、一生懸命、「不動のA」を追究して、そのことを言う人間がおらんといかんな。】と指摘する大西は記憶と『深淵』について【〔…〕『深淵』の場合は、事柄が、社会的な場面と個の場面とふたつあるでしょう。裁判の問題と女性問題とに分かれていて、そのうちの社会的な問題というか、従来の権力というものに対する闘争を考えれば、とにかく勝てばいいということになる。そうすると、手段を選ばず闘うということになりかねないわけでね。しかし、そんなやり方ではだめだということを、『深淵』では書こうと思った。そのために、個の問題として言うと、記憶回復を求めないという方法が求められるわけよね。そして「俗情との結託」という点から見れば、あの主人公は、権力に都合のいいように結託した人間に思われるかもしれない。もちろんそうじゃないんだけれど、しかしながら、間違ったやり方では、本当の意味で相手を打ち倒すことはできないということであってね。つまり、見た目には反権力とか反国家のように見えて、まったく違うものもあるわけ。それを分かりやすく言えば、代々木であり、文学で言うと、小田切秀雄みたいな存在であるとも言えようが、。】と述べている。
5月7日 ▼「タグテキスト生成によるInDesignの自動組版」03.05.04 JAGAT、【(株)フクインでは,InDesignによる中国語辞典の制作に取り組んでいる。テキスト&グラフィックス研究会では,印刷会社から見た制作システムとして,製造部ディレクターの増田隆氏にお話を伺った。〔…〕】。▼益岡賢のページに、ダグ・ストークス、益岡賢訳「対ゲリラ作戦・クーデター・強制 ラテンアメリカにおける帝国の歴史」03.04.02 ZNet(邦訳03.05.05)、ミッキー・Z「誰も潔白ではない」03.04.25 ZNet(邦訳03.04.28)、ウェード・ハドソンとスコット・ハリス、益岡賢訳「戦争後、イラクの人々は自らを組織する」03.04.28 ZNet(邦訳03.05.01)、エドワード・ハーマン、益岡賢訳「ベトナムからイラクへ 我々は、イラクを解放するために、イラクを破壊しなくてはならない:イラクとベトナムの不気味な類似」03.04.30 ZNet(邦訳03.05.05)。▼〔再掲〕季刊『d/SIGN』no.4(2003年5月、太田出版)→読書録04.27付。▼〔再掲〕「「LEFT ALONE」プレミア上映会のお知らせ」、監督:井土紀州、出演:すが秀実、松田政男、柄谷行人、西部邁、津村喬、鎌田哲哉ほか、2003年5月10日(土)16時から(上映時間180分)、アテネ・フランセ文化センター(アテネ・フランセ4階)、料金:一般1200円(「重力02」持参者1000円)。
5月6日 森明子編『歴史叙述の現在 歴史学と人類学の対話』2002年12月、人文書院、に、成田龍一「ナショナリ・ヒストリーへの「欲望」」。【「日本」におけるナショナル・ヒストリーの創出期である一八九〇年前後と、ナショナル・ヒストリーの概念が問われるいくつかの時期の一つとしての一九三〇年前後以降の時期】の二つの時期を取り上げて【ナショナル・ヒストリーをその歴史的文脈において考察する】という成田は1930年代後半以降の検討をつうじて【構成主義に対抗し本質主義を持ち出し、西洋近代への批判に対し近代の擁護を持ち出す『歴史学研究』の批判の論理は、「最近「近代の超克」など言ふ事が一部で言はれ、近代は日本歴史上最も誤謬に充ちた時であるかに言ふものがあるのは特にこの文化思想史の方面である」「明治以来教育学問は欧米文化の輸入が目的とされ従つて独創的でなく追随的に、創造的でなく静的博識的になり、其の他すべて間違つて来た様に言ふもの少しとしないが果たしてさうであらうか、近代史家は之を検討する任務があらう」(井上清「近代史」〔…〕)という批判的言辞となる。〔……〕/こうした『歴史学研究』では「科学」にかける「国民」が前提にされ、よい「国民」へのよい「ナショナル・ヒストリー」の提供が、皇国史観や「世界史の哲学」への対抗軸とされていた。『歴史学研究』第一〇巻第四号(一九四〇年四月)は、「歴史のない情熱史観の横溢や、歴史主義への逃避」を憂え、「ひとびとが現在史家に要求するものは単なる史料集でもないし、事実の羅列でもない。行動実践の指針として創造と建設への導標として、真実な歴史的現実的認識こそ一般より切実に要請」せられていることを言う――「われわれ歴史家は、現在における国家及び国民へ対する任務を瞬時も忘れてはならない」。そして、「大陸のかなたに描き出される現実への深遠な意識と西欧の歴史によって与へられる史的省察とを、祖国の正しい歪曲されない史的認識によって統一し総合せねばならない」(三島一「巻頭言」〔…〕)とする。ナショナル・ヒストリーへの、ナショナル・ヒストリーによる対抗であり、そのゆえに「日本人」主義と「国民」主義との双方を貫いていたナショナリズムに、その批判の射程は届き得ないこととなる。たしかに『歴史学研究』の主張は、主語と論理、統辞法の点において皇国史観と「世界史の哲学」とは異なる歴史像ではあるが、ナショナル・ヒストリーの引力圏にある。ナショナル・ヒストリーの磁場はかくも強力、引力はかくも巨大であり、ナショナル・ヒストリーが抵抗の根拠のように見えてしまうのである。/こうして一九四〇年代には、「国民」の歴史をめぐる複雑な対抗関係がかたちづくられている。皇国史観と「世界史の哲学」というナショナル・ヒストリーへの対抗、政府から=上からの歴史像の提供というナショナルな歴史の制定の仕方に対抗して、実証主義を根拠とし、いまひとつの「国民」の歴史学(ナショナル・ヒストリー)が位置するのである。この「国民」の歴史学が、総力戦を遂行する体制に対応する歴史学への対抗となっていることは疑いない。しかし、その対抗的・批判的歴史学でさえ、「国民」を根拠としナショナル・ヒストリーとして提供されたことは「戦後歴史学」の歴史的位相を考える際に見逃せないことであろう。このあと、一九四五年の敗戦は、抵抗の歴史学を公然化させ、その観点から戦時を描き出すこととなる。】と書いている。
5月5日 承前、「対談=永原慶二・中村政則 歴史学は時代にどう向きあってきたか」〔『週刊読書人』2003年5月9日付〕。【歴史学界では一九八〇年代に史学史が出ていません。】という中村は永原との対談のなかで【日本は貧しい国だという認識が、ある時期までの日本の社会科学の前提でした。ところが日本は豊かな国だと考えている社会科学者がたくさん出てきて、日本資本主義の構造的脆弱性が強靭性に替わっていく。それとアメリカの近代化論が入ってきて、日本の近代がアジアにおける近代のモデルだとかいう話が出てくる。〔……〕/言葉を換えて言えば、高度成長を境にして日本の歴史が変わったということですね。だけど僕は、戦後の歴史学が終わって現代歴史学へというのではなく、戦後歴史学と現代歴史学の重層的発展というか、戦後歴史学と現代歴史学の二重構造が現在の歴史研究者の方法や意識を規定していると思うのです。】【網野さんの『「日本」とは何か』(講談社)を読むと、現在人類は壮年時代に入ったと書かれています。経済が発展しても自然破壊や環境破壊があって、人類がこれから生きていけるかどうか分からない。つまり「死」が視野に入ってきた。それが壮年時代という意味です。しかも時代はだんだん悪くなっている。マルクス歴史学を中心とする戦後歴史学は、発展とか進歩とかを社会構成体論をベースにしてやってきた。それがもう信じられないという話です。マルクス主義からの訣別と、人類は壮年時代に入ったという考えが重なっている。/戦後の歴史学は、農業とかこう業とか生産中心で社会像を描いてきた。ところが非農業民がたくさんいて、自由に動き回っていたというのですが、ただ、網野さんの『日本社会の歴史』(岩波新書)を見ても、鎖国がうまく位置づけられないですね。それと政治史の枠組みが意外と古い。当然、バランスが悪くなります。それから近代が書けない。さきほど一九六〇年代にいろんなものが出揃ったという話をしましたが、原始、古代、中世、近世、近代、現代という時代区分はだいたいその時期に定着して、教科書もそれで括るようになります。だけど網野さんは、それに奴隷制や封建制や資本制という社会構成体論を重ねるとおかしくなってしまうと言い出すわけです。それでどうなるかというと、東国と西国は違う、進歩から切り離された老人や女性や子供や被差別の人を取り込まなければいけないという話になって、自分で時代区分の試案を出すのですが、これは僕に言わせると駄目ですね。つまり、網野史学では通史は書けないし、教科書も書けないだろうと思うのです。統合の契機をはずすからいけないというのが先生の意見ですね。確かに統合の契機はない。それは国民国家批判が網野さんにはあるからでしょう。】と述べている。
5月4日 ▼五四運動84周年の輝かしい記念日! 日本青年学生運動が「1月激闘(東大安田講堂攻防戦)を五四運動の地平とせよ」との旗を掲げて果敢に闘った昂揚から34年が経った。▼『メキキ・ネット通信』メール・ニュースvol.14(1)(03.05.03付)に、板垣竜太・鈴木香織「「北朝鮮」「拉致」報道を批判的に読み解くために−検証記事目録Ver.1.0」、【【単行本】◆人権と報道・連絡会編『検証・「拉致帰国者」マスコミ報道』(社会評論社、2003年1月)/I「拉致報道」が隠すもの 山際永三:「拉致帰国者」報道の「犯罪」、浅野健一:欧州で考える「拉致」報道、山口正紀:拉致一色報道が隠す〈未清算の過去〉、大庭絵里:帰国報道と個人・家族・国家、浅野健一:『週刊金曜日』が問題なのか?、片桐元:「現地」から見えるもの、II日録・「拉致帰国報道」ドキュメント(中嶋啓明)/いちはやくこの問題をまとめた単行本として注目される。ドキュメントもよく整理されており、必読書。また、昨年来の報道の問題ではないが、その報道の基調を形成している「知」の領域を検証したものとして、同時期に出た以下の本も注目すべき。/◆和田春樹・高崎宗司編著『北朝鮮本をどう読むか』(明石書店、2003年2月)/【署名記事】(順不同)◆小田桐誠(ジャーナリスト)○「拉致報道最前線でのメディアの攻防」(1)〜(4)(『創』2002年12月号、2003年1・2月号、3月号、4月号)/◆丸山昇(フリーライター)○「拉致報道で試された雑誌メディアの牙と知恵」(『創』2002年12月号 拉致報道と集団的過熱取材)○「時事通信社は誤報をどう総括したか」(『創』2003年1・2月号 これでいいのか!拉致報道)○「検証「拉致報道」:自由で真実の報道はできているか」(『世界』2003年5月号)/◆山口正紀(読売新聞社)○「外部の圧力で「記者職」剥奪」(『週刊金曜日』2003.1.24、444号)○「〈被害者の立場〉の二重基準」(『週刊金曜日』2003.2.7、446号)○「新聞記者の〈言論の不自由〉」(『創』2003年5月号)註:『週刊金曜日』444号に収録された内部告発記事に対して、読売側も同誌誌上で反論した。楢崎憲二(読売新聞東京本社広報部長)「読者の混乱を招いた「記者」の肩書き」(『週刊金曜日』2003.3.21、452号)/◆中嶋啓明(共同通信社記者)○「公安の手で踊る別件報道」(『週刊金曜日』2003.2.14、447号)○「メディア・ファシズムを生み出すメディア・スクラム」(『市民の意見30の会・東京ニュース』76号、2003.2.1)/◆篠田博之(『創』編集長)○「『週刊金曜日』袋叩きの意味するもの」(『創』2003年1・2月号 これでいいのか!拉致報道)/◆神保哲生(ビデオジャーナリスト)○「映像が煽る感情的世論と世論に呑み込まれるテレビ」(『論座』2003年2月号)/◆日下部聡(サンデー毎日記者)○「週刊金曜日問題で大困惑 筑紫哲也キャスターの弱点」(『サンデー毎日』2002.12.15)*1/◆筑紫哲也○「会わなくてよかった"拒否リスト"の新顔」(『週刊金曜日』2002.12.13、440号)*2/註:*1への反論が*2。/【取材班記事および匿名記事】○『噂の真相』特別取材班「『週刊朝日』地村夫妻独占取材での全面謝罪の舞台裏で「救う会」が暗躍」(『噂の真相』2003年3月号)○「『週刊金曜日』曽我さんの家族を取材」(『朝日新聞』2002.11.15朝刊)○『金曜日』編集部「曽我さん家族インタビュー なぜ私たちは掲載したのか」(『週刊金曜日』2002.11.22、437号)○『週刊金曜日』取材班「北朝鮮報道を考える」(『週刊金曜日』2002.11.29、438号)○Public split on abductee's family interview(拉致被害者家族のインタビューに世論は分裂)(『the Japan Times』2002.11.17)○「北朝鮮報道をめぐる「メディアへの提言」」(『論座』2003年2月号)】。
5月3日 『週刊読書人』第2486号(2003年5月9日付)に「対談=永原慶二・中村政則 歴史学は時代にどう向きあってきたか」。【歴史研究をやっている人間は、自分が今日の学問状況あるいは社会が要求する歴史学への期待の中でどういう場所に立っているのか、自分の向いている方向や姿勢を自覚し点検していく責任があ】るとする永原は【一昨年、西尾幹二氏の「自由主義史観」による新しい教科書が出ましたね。あそこで出された問題は、実は西尾氏のグループだけの問題ではなく、明治以来の歴史思想を念頭において考えるとよく分かるのです。一八九二年に起こった久米邦武事件の時から神道−国学派の主張というのがあって、それ以来これがずっと日本歴史研究の一つの大きな流れになっていた。「自由主義史観」を批判してゆくためには、歴史学に関わる思想の歴史を整理しながら、その中できちんと受け止め批判することが大事だと思ったのですね。〔……〕/久米邦武の事件と南北朝正閨論で、実証主義歴史学はきびしいダメージを受けました。大筋としては政治に対して臆病になって、それに背を向けるか、距離を置くようになった。だけれども半面〔反面?〕、皇国史観の流れが強まってくる中で、頑強にそうしたイデオロギーや政治からの距離を維持し続けたために、かえって実力を蓄えたという面もあります。そのことを見ておかないと、戦後の歴史学の中における実証主義歴史学の力量とか役割は理解できません。】と指摘し、【一九世紀以来の近代歴史学は、ランケに代表される国家の政治、外交に関わる年代記的なことから始まりました。あるがままに事実を掴むというのがランケの目標であり、確信でもあった。正確な史料の考証の上に年代記が確定されれば、それで真実もわかる。こういうのは今日に至るまで実証主義政治史の一貫した流れですが、それに対する不信を社会史が決定的に付き付けたわけです。日常性の問題やメンタルな問題を見ていかない限り歴史の全体認識は不可能だということが、社会史の登場以来、明確になったことは大切だと思います。だからといって、絶対の真理はないのだから自分の思ったことだけを書けばよいという考え方をとると、歴史は物語だという考えも肯定されることになります。歴史の研究は常に実証的な手続きを経て、その共通の土台の上に歴史像をめぐり自由に議論しあえるから真実に迫れるのだと思います。その場合、個々の歴史家の認識はどこまでもア・ヒストリーです。歴史は物語だと言う人はこの学問としての約束から飛び出そうとしている。】と述べている。
5月2日 ペシャワール会のサイト(現地の報道から)に、中村哲「2003年冬から春にかけての記事総括(現地の報道から 2003年4月28日(月))」。【2.対テロ戦争=タリバン討伐の泥沼化/東部、南部では米兵が安全に地上を移動できなくなっている。圧倒的多数民族であるパシュトゥン民族が、少数民族に支配されるという現状は、力の上でもいずれ破綻するだろう。米軍が終始、安全な空中にとどまり、危ない地上戦闘は地元軍閥に下請けさせている。それが、中央に帰属せぬ軍閥の存続を助けている。/カルザイ政権は米軍が居る限り、国家統一ができない。しかし、米軍が去れば速やかに崩壊するという矛盾の中で延命している。収拾のつかぬ事態は、誰の目にも明らかになっているが、一般民衆は生きることに精一杯である。しかし、少なくとも農村部では、米軍の存在を快く思うものは、米軍協力者を含んで、殆ど居ない。/タリバン勢力は、隣接するパキスタン北西辺境州の原理主義州政府を背後に、徐々に力を強めている。このため、英米軍は増派を余儀なくされている。〔……〕アフガンでもパキスタンでも、「圧倒的多数の反米的な民衆、一握りの親米政権」という図式が定着しつつある。】【4.帰還せぬ難民、Uターンする難民/昨年1月にパキスタンに200万人いた難民は、02年3月から12月まで170万人が帰還したと報告された(UNHCR発表)。だが180万人が現在パキスタンにいて、「今年は帰る者が少ない」と述べている。/すなわち、復興の成果が上がらず、ほとんどの帰還難民がUターンしてパキスタンへ戻ったのである。みなに過剰な期待を持たせた昨年の東京復興会議は、謙虚に総括されるべきだ。綺麗事が多い割に、実がなかった。「人権」や「民主主義」で人々は生きられない。援助各国の押し付けのアイデアは、ひんしゅくを買っている。しかも、話題性と共に彼らが去ることは、過去の難民支援などで、人々は骨身にしみている。事実、かなりのNGOがイラクに移ったり、大幅な規模縮小の傾向にある。/5.それでも、全ての復興計画が悪い訳ではない。農業、畜産、給水、灌漑らのプロジェクトに携わる人たちの中には、未曾有の旱魃に危機感を持つ者が増えている。国際人権委員会は、劣化ウラン弾、クラスター爆弾の犠牲者の調査にのりだし、少しずつ「対テロ戦争」の実体を明らかにしようとしている。】【PMS(ペシャワール会医療サービス)では、東部の限られた地域ではあるが、より規模の大きな灌漑計画を実施し始めている。先ず、水と食糧自給である。旱魃で飢餓に直面する人々が安心して生きられるようにすることだ。自給自足ができる農村の回復が急務である。/米軍はいずれ旧ソ連と同じ道をたどることになるだろう。しかし、表層の政治的動きとは無関係に、人々の関心は「いかに耕し、いかに生き延びるか」という、平和な農村共同体の回復にあることは、知っていたほうが良い。/「アフガンを成功例に」イラクまで戦火を拡大し、「日本占領をモデルに」復興を図るなら、たとい忘れ去られても私たちは「アフガンの実情」を伝え続け、米国の優等生・日本のなりゆきに注目してゆきたい。】。
5月1日 ▼「ニーナ・シモンの葬儀、フランス南部でしめやかに」03.04.26ロイター(@nifty)、【21日に亡くなったジャズとソウルの歌姫二ーナ・シモン(享年70)の葬儀が、自宅のあるフランス南部の町カレ・ル・ルエでしめやかに営まれ、友人やファンらが故人との別れを惜しんだ。/地元のカトリック教会には数百人の弔問客が詰め掛け、長年シモンと親交のあった南アフリカ人歌手ミリアム・マケバは、「単なるアーティストにとどまらず、自由を求める戦士だった」として、市民権運動家でもあったシモンの死を悼んだ。/英ポップスターのエルトン・ジョンからは、数十本の黄色いバラの花束と、「あなたは最高」などと書かれたメッセージが届けられた。/現在ブロードウェーの舞台「Elton John and Tim Rice's Aida」に出演中の一人娘リサ・セレステ・ストラウド(芸名シモン)が喪主を務め、故人を偲んでゴスペルを歌い上げた。/代理人によると、シモンは生前火葬を希望し、アフリカ数カ国での散骨を望んでいた。】。▼MSNエンターテイメントのサイトにマドンナ連続インタビュー、「マドンナ: ハリウッドにいると大切なものが見えなくなるわ。記憶も、未来への展望も・・・。」03.04.23、「マドンナ: 世の中は変わる必要があると思う。真面目にね。それで革命を思わせるアイコンを探していたのよ。」03.04.30。関連:「ワーナーミュージック公式マドンナ・プレーヤー」、「madonna.com -launch website-」。
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