読書録 2003年4月前半(敬称略)

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  • 4月15日 「拉致被害者:帰国から半年 5人が記者会見 曽我さん手記公表」04.14毎日、に手記「この半年をふりかえり」全文。▼承前、『ユリイカ』4月臨時増刊号(総特集・日本語)に、今村仁司「文字と貨幣」。【文字も貨幣も、広い意味での暴力と内的なかかわりをもっている。】【文字は、「現在まさに語られている」発話から排除される。〔…〕発話が価値的に上位であり、文字はその下位にたつ、という評価がひそかに前提されている〔…〕。〔……〕文字を発話から排除する観念的力は強大である。】とする今村は、【人間がこの世に到来するとき〔…〕、ひとは一定の場所を占拠する。このような場所の占拠は、その振る舞いからいえば、一本の線をひくことに等しい。この世のなかで「生きる」ことは、たえず線を引くことである。様々な線を空間に引きながら、その引かれた種々の分断線を自己のなかに反照的に書き込んでいく。この観点からみれば、人間が世のなかに生きていること自体が「線を引くこと」であり、したがって文字的なものである。おそらく狭い意味での普通の文字は、この原初の線引きとしての文字的実存、あるいは原初的文字の遠い反響ともいえよう。そして「語る行為」(発話)もまた、何かについて語るときに、それに「名前」を与え、その名前で呼ぶ。だから、その名付け行為がすでに語られる以前の「もの」に輪郭線を与えることである。語ることは、与えられたものを想念的存在に切り替えて、所与存在と想念存在という区分線をひくことである。してみれば文字的なものが発話よりも前にあることになる――存在の論理においても、事実においても。/そうだとすれば、人間という存在者ははじめから文字的な存在者である。つまり文字性を原初から、原理的に、抱えていると言わねばあんらない。もし文字的なるものが「死」と通底しているなら、人間の文字性は死を内在させるといえる。文字性とは、分断線を引く、あるいは切断を刻む、要するに分割することであるから、それは任意のものへの暴力であり、暴力は定義によって死をもたらす。人間とその社会のなかにある文字性が、種々の死をもたらす分断と分割を繰り広げるのも、原初的文字性に淵源するともいえる。たとえば、国家とその支配、帝国主義的支配なるものは、身振りからいえば、大地的空間の分割であり、分割された占拠領域を拡大することに帰着する。政治も経済もすべて、人間の行為であるかぎり、文字的であり、暴力的である。人間「であること」あるいは「人間があること」それ自体が、文字と貨幣を必然的に生み出す源泉なのである。】と書いている。

  • 4月14日 広河隆一通信のサイトに、「爆撃下のバグダッド 取材画像」03.04.13。【26日未明にイラクに入り、バグダッドで取材を続けていました。ホテルの窓からはチグリス川がすぐ近くに見え、対岸は毎日大変な爆撃を受けていました。こちらの側が攻撃を受けることもあり、近くで爆弾やミサイルが爆発すると、建物が振動し、驚いて飛び起きます。爆発のひとつひとつで、数百数千の悲鳴やうめき声が上がっているはずですが、それは耳には届きません。しかしそのことを想像する力も私達にはかけているのではないかとよく思いました。爆弾やミサイルの発射装置を操作する人間には、こんな想像力はじゃまなのでしょうけど。/でも日本は発射装置を引く側にいたのだということを、もっと深刻に考える必要があるのではないでしょうか。/たとえば従軍記者がキティホークから実況中継する時に、その爆弾でどのような人々が死んでいったのか、コメントも出来ないようでしたら、中継はすべきではないと言うのは言い過ぎでしょうか。/今回のイラクでの取材画像の一部をここに紹介します。/このページの画像は、個人の方、NGOの方が、反戦、救援の目的で用いられるなら、自由に用いていただいて構いません。/ただし、撮影者の名は必ず明記してください。市販されている印刷物やメディアがなど使用を希望される時は、 hiro@hiropress.net までお問い合わせ下さい。】として写真4点。

  • 4月13日 ▼『東京新聞』03.04.13付特報に「犠牲者か 英雄か/イラク戦争 墓碑銘」。【バグダッドが陥落したとき、ラムズフェルド米国防長官は「イラク国民にとって良い日だ」と宣言した。“戦勝国”は既に“戦後”に向け動きだしている。犠牲になった人々は置き去りにされたかのようだ。しかし、昨日までみんな生きていた。誰かの家族や友人だった。イラク戦争の「墓碑銘」を集めた。(早川由紀美、中山洋子)/■米英軍 135人/米国防総省が十日に発表した犠牲者は百五人で、このうち事故や味方の攻撃で死亡したのは十二人としている。英国防省による英軍の死者は三十人だ。一人ひとりは英雄として、死はドラマチックに伝えられる。〔……〕/■イラク市民 1413―1160人/米国の民間団体「イラク・ボディー・カウント」によると、イラク市民の死者は、開戦から十二日(日本時間)までに最大千四百十三人で、最小千百六十人という。同団体は各国メディアが伝えるデータなどを元に集計している。米英兵士やジャーナリストに比べイラク市民の死は「数」として辛うじて把握されているだけだ。名前が判明するケースはほとんどない。イラク兵に至っては、米軍が「二、三千人」とあやふやな数字を挙げたのみだ。〔……〕】。▼益岡賢「語る立場の略奪」03.04.12。全文必読!

  • 4月12日 ▼社団法人日本書籍出版協会理事長・朝倉邦造「「個人情報保護法案」の国会審議にあたって抜本的な見直しを求める!」03.04.11日本書籍出版協会個人情報保護法案関係ページ。▼〔再掲〕「アラビアンないと2003」、【ここに御覧にいれますのは、ひとりひとりの短い短い物語、いつ終わるともしれぬ長い長い物語。】。

  • 4月11日 ▼必見おすすめ! 「アラビアンないと2003」、【ここに御覧にいれますのは、ひとりひとりの短い短い物語、いつ終わるともしれぬ長い長い物語。】。▼ペシャワール会のサイトに、中村哲「許されない「人命」軽視」〔『沖縄タイムス』03.03.23付寄稿〕。【〔…〕/地方はもちろん、援助団体が殺到した首都カブールでさえ、先行きの見えぬみじめな現状に人々が不安を抱いている。現在、アフガニスタンでは、「米軍が去れば新政権は数日と持たない」と皆信じている。カブール市民を守るはずのISAF(国際治安支援部隊)は、米国によるイラク攻撃が必至とみられた時点から、自分を守ることに忙しい。カブールの治安は著しく乱れており、官庁街で強盗事件が連日起きていると伝えられる。/私たちが農民の生存をかけて、砂漠化した耕作地の回復に躍起になっているころ、奇妙な指示がカブールの日本大使館から伝えられた。水路の着工式の3日前、「万一の場合の邦人避難場所、連絡網の確認」が行われ、「事業規模の縮小」が勧められた。大使館としては邦人保護が使命なので、やむを得ない通達であったろうが、筋違いに聞こえた。「田舎は反政府勢力の巣窟(そうくつ)で、危険だ」という認識があったのだろう。/「いざという時は山奥の診療所に退避する」と伝えると、いぶかられた。最も危険なのは、実は、人の顔が見えない大都市なのである。それに、大方のEU(欧州連合)諸国に反して、日本が米英のイラク攻撃を支持したからこそ、邦人が危なくなったのである。親日感情は確かに陰りを帯びている。/しかし、アフガン東部の農村地帯に根を張る私たちにとって、これほど安全な場所はない。ペシャワール会の診療所や水源事業の行われている地域では、ジルガ(長老会)が絶対の支持と保護を表明していた。アフガン農村を律する掟(おきて)は、この「地区長老会」の決定の徹底した順守である。中央の権力交代は、ほとんど影響がない。/彼らは自らの固有の宇宙が保障される限りにおいて、どんな権力とも付き合うことができる。逆に、彼らの宇宙を脅かす外来者は容赦しない。米国政府の音頭による「タリバン非難」の大合唱は、このタブーに触れてしまった。人権思想が異なるのである。/それは善悪の問題ではなく、文化の相違であることが忘れ去られた。空爆はもちろん、「復興支援」もまた、利用されこそすれ、受け入れられることはないだろう。/私たちもまた、土着化している。どんな政権が生まれようと、仕事の邪魔さえしなければ関係ない。地元が守ってくれるのである。この共同体のあり方を「危険だ」と取るのは、やはり認識不足で、自分たちの方が異物であることを忘れている。/私たちが強調する「人としての一致点」とは、この辺りの問題が絡んでくる。人の命を粗末にする者は嫌われる。戦争に協力してまで「進歩」や「人権」を述べるのは説得力がない。あげくが報復に慄(おのの)くのでは、日本人としてやり切れない。】。04.18追記:ザ・インタビュー「アフガンの現実はこうだ 「ペシャワール会」現地代表・中村哲さん」03.04.14毎日。

  • 4月10日 ▼必読! 【ピンポイント爆撃 これは紛れもなくテロである】03.04.09愛媛新聞社説。▼『ユリイカ』第35巻第7号4月臨時増刊号(総特集・日本語)(石川九楊責任編集、2003年4月、青土社)。石川九楊「鳥瞰・日本語」。【I 鳥瞰・日本語の前提/(1)言葉は人間の表出と表現の中心に位置する。〔……〕/(2)言葉は言〔はなしことば〕と文〔かきことば〕の統合である。〔……〕/(3)声が言葉に内在的であると同時に、文字もまた言葉に内在的である。〔……〕/(4)言葉は語彙と文体からなる。〔……〕/II 日本語とはどういう言語か/(1)日本語とは、東海の孤島で生れた言語である。〔……〕/(2)日本語とは漢字と平仮名と片仮名という三種類の文字をもつ言語である。〔……〕/(3)日本語の語彙は漢語=音語と、和語=訓語と、片仮名語=助詞からなる。〔……〕(4)日本語の文体は、漢詩・漢文体と、和歌・和文体を両極として成立している。(5)漢詩、漢文とそれらの訓読体と音語は主として政治的、思想的、抽象的表現を担い、和歌、和文と訓語は主として性愛と四季と具象的な表現を担う。〔……〕/(6)このような二重複線の日本語の構造は、平安時代中期に生れた。〔……〕/(7)平安中期に成立した日本語は、中世、近世、近代、戦後、一九七〇年代半にそれぞれ転生を遂げている。〔…〕近代において、特記すべきは、近代活字=印刷の成立である。この意味は、江戸時代に成立した印刷出版、書物流通の問題以上に、平仮名が連続・分書体の「語」の姿を崩さなかった江戸時代の木版印刷とは異なり、女手、平仮名の文字も一字を単位に分解され、「語」であることを解かれた点にある。これによって、一字で表語性をもつ漢字と、数字連合しなければ表語性をもつことのできない平仮名とが、あたかも一字単位で等価であるかのような錯覚が生まれ、ローマ字書き論や仮名書き論へと逆流したのである。明治三十三年の改正小学校令の一音一字限定制もこの波及である。/敗戦後の、(1)いわゆる当用漢字による漢字の使用制限、(2)歴史的仮名づかいの廃止、(3)公用文の横書きという三つの日本語政策の導入は、漢語、和語語彙の縮減と西欧語翻訳文体を齎したが、必ずしもこれらは、日本語における言〔はなしことば〕の語彙と文体の向上に結実したわけではなかった。/一九七〇年代半以後の資本主義の超高度化=泡沫化、さらには一九九〇年代以降加速した、米軍事技術の廃物利用たる情報化とともに、米語の経済や技術の語彙は、漢字化の余裕なきまでに高速度での泡沫化をもたらし、いわば文字としての十分な体裁を整えていない軽便な片仮名語が周囲に氾濫する一方、生活語は貧困化の度を加速している。/しかしながら、二〇〇一年九月十一日の事件、ひき続くアフガン戦争、スペースシャトル炎上、そして現在のイラク戦争は、泡沫資本主義の終わりの始まりに位置づけられる事件であり、無力化した(と思われた)若者の反戦運動の登場など、世界中で、濃密な生活語の恢復運動は少しずつではあるが始まっている。/長期的に展望すれば、詩や言葉が無力であった泡沫の時代は四半世紀ほどはもみ合うことはあっても、9・11事件〔…〕で限界を見せた。再び詩や言葉が希望と理想を語る力をもつ時代の姿はおぼろげには見えてきたのではないだろうか。〔…〕】。関連:読書録03.14付

  • 4月9日 「イタリア:反戦ストライキに100万人参加」03.04.08アナキストニュース、【4月2日、イタリアの労働組合(CUB、COBAS、SIN COBAS、USI-AIT、SLAI COBAS)が反戦ゼネストを行った。ゼネストには100万人が参加し、イタリア全土でデモが行われた。/写真はこちら(番号をクリック)】。▼『〈コンパッション〉は可能か?』対話集会実行委員会 編『〈コンパッション(共感共苦)〉は可能か? 歴史認識と教科書問題を考える』2002年11月、影書房。目取真俊「沖縄はすでに「有事」である」(2002年8月)。【今の沖縄でまかりとおっているのは、米軍基地を受け入れることによって日本政府から金を引き出し、経済振興をはかるという倒錯した論理だ。】と指摘する目取真は【山岳部の洞窟に潜むタリバン兵の記事を読みながら、沖縄の洞窟に身を潜めていた日本兵や沖縄の住民と彼らの姿が重なることがあった。そして、高熱と衝撃波で洞窟内の人間も確実に殺傷するという超大型の気化爆弾デイジーカッターをアメリカ軍が使用したという記事を目にして、日本兵や沖縄の住民を焼殺するために米軍が使用した火炎放射器のことを思い出した。/火炎放射器とデイジーカッターの違いは、ハイテク化による殺戮能力の向上だけであり、そこに貫かれている発想に違いはない。報道管制によってマスコミがいっさい報道しなくても、沖縄戦において壕や洞窟の中で殺されていった日本兵と住民のことをもとに、アフガニスタンで何が起こったかを想像することはできる。沖縄戦の記録フィルムではしきりに目にする火炎放射器を、アメリカ軍はヨーロッパ戦線では使わなかったという。炎熱と衝撃波によって洞窟内の人間を殺傷するデイジーカッターをアメリカ軍がアフガニスタンで使用したのも、そこが非キリスト教圏で有色人種の住む地域だからだろう。/沖縄でもアフガニスタンでも、圧倒的な軍事力の差の前に洞窟内に隠れて持久戦とゲリラ戦を挑もうとした兵士と爆撃から逃れた住民が、たどった運命は同じだった。砲撃や空爆が届かないと見るや、火炎放射器とデイジーカッターという、どちらもアルミニウムの粉末で燃焼力を強化された兵器で焼き殺されたのだ。】として【「テロの攻撃のおそれ」に対して厳戒態勢を敷いていた九・一一以降の沖縄の状況は、すでに「有事」そのものだ。〔……〕今、沖縄は米・日両軍の「テロ根絶」作戦の拠点として再編強化が進んでいる。込み上げてくる嫌悪感とやりきれなさ、怒りは強まるばかりだ。】と書いている。

  • 4月8日 姜誠「拉致問題を覆う過剰なナショナリズム 一在日コリアンの立場から」〔『論座』2003年5月号掲載〕。【拉致被害者、それは在日コリアン自身の姿でもあります。〔……〕在日コリアン三世である私には北朝鮮に残っている被害者の子どもたちの痛みも共有できるような気がします。蓮池薫さんら五人が私の祖父母や父母と同じように国家の越境を強要された一世であるなら、北朝鮮で生まれ育った子どもたちと日本で日本で生まれ育った私は拉致された者の末裔でもあります。】という姜は【9・17以降の事態は在日コリアンのコミュニティーや民族運動にも大きな変革を迫ろうとしています。拉致事件を目の当たりにして、「心から謝罪したい」という同胞の声をよく耳にしました。しかし、私はこれは違うと思うのです。良心から滲み出たことばでしょうが、そのことばの背後にあるのは国家と個人、民族集団と個人との混同です。個人が国家による拉致犯罪の責任など取れるはずもなく、私たちにできることは拉致被害者とともに北朝鮮政府に抗議する以外にありません。しかし、そうした声を上げることを憚るようなムードが在日社会の中にあったことは事実です。そうした気分の底流にもナショナリズムが流れています。〔……〕/私たちが民族主義を大切に掲げてきたのは、それが民族自決というアイデアに支えられてきたからです。日本から過酷な植民地支配を受け、個人の尊厳を損なわれた私たちにとって、民族自決はしごくまっとうな要求であり、個人を日本の帝国主義の支配から解放するための大切な旗印でした。そうした動きのなかから韓国や北朝鮮という国家が創建されたのです。/そうした経緯もあって、私たちは一九五二年のサンフランシスコ講和条約で、日本から一方的に日本国籍を離脱させられたことの意味を深く考えることもなく、外国人登録証の国籍記載欄にある「朝鮮」という二文字を受け入れました。その二文字は自由と解放のシンボルだったのです。/そのため、戦後も在日コリアンに同化を強要する日本社会にあって、朝鮮・韓国籍を維持する生き方は一定の共感と価値観を保ってきました。〔……〕/しかし、その一方では自らの民族的な個性を守ろうとするあまり、個人と民族、さらには国家までもが一致すべきだという考えが私たちを強く捉えることになりました。〔…〕その結果、日本に帰化した同胞を「民族の裏切り者」呼ばわりするような、悲しむべき現象も起きました。日本社会同様、在日コリアン社会もナショナリズムにどっぷりと浸かってきたのです。/しかし、その民族主義も、いまではその内実を厳しく問われる時代となってきました。〔……〕民族的な価値は文化・社会的な領域にとどめ、国家という政治的な価値とリンクさせない智恵と度量がいま、私たちに必要とされているのです。】として【私たち在日コリアンは分断の民からまたがる民へと変わるべきです。】と提起している。

  • 4月7日 吉増剛造『吉増剛造詩集』ハルキ文庫、1999年10月、角川春樹事務所。エッセイ・石川九楊「「!」もしくは割註」。【表から見られた書が詩であり、裏返された詩が書である。〔…〕/ならば、細部を捨象して言えば、吉増の詩は好んで描き出す筆蝕「ノ」の虚体であり、この「ノ」の美しさのために、「ノ」の美しさのゆえに、吉増の詩の世界は存在しつづけている。「ノ」とは世界に向かって侵入し、割込み、裂理を入れる力勢の形象喩、力動喩にほかならない。】とする石川は【現在は、戦後の荒地の詩人達のように、折り畳まれた詩史の尖頂で詩が生れることはなくなった。七〇年代以降、詩史の尖頂は、時代の言葉に侵犯されているからである。〔……〕/弾丸を連発する中から、しかし、新しい戦法も生れてきたように思われる。それが、近年の「割註」を多用する詩ではあるまいか。「割註」という言葉が暗示するように、これまた、侵入する力、割込む力、裂理をつくる力「ノ」や「!」の化身である。/無機質の岩石や金属のごとき硬質な世界に対しては「ノ」は有効である。ところが七〇年代以降、世界は紙粘土のごときやっかいな柔剛性の世界へと姿を変えた。紙粘土の世界に対しては、アイスピックもナイフも、鑿も、ハンマーも、鋤も鍬も無効。裂理「ノ」は生じやしない。この世界はこじ開けねばならないのだ。そこに登場したのが、割註の実験である。割込み、世界に位置を占め、これを蚕食する、つまり柔剛世界に埋め込まれた楔が割注なのである。むろん、これまでの解読は、吉増の詩の一面にすぎない。その本姿は、ライフル青年に対して「不謹慎なことかもしれないが」と註記するがごときさりげない言葉の無数の襞の中に隠れている。だがそれに触れる余力は今はない。吉増剛造の割註戦に声援を送り、私もまた書=詩の戦場で、割註戦を戦いたいものだと思う。】と書いている。

  • 4月6日 4月5日、東京・新宿・紀伊国屋サザンシアターで行われた「イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会」の最後に読み上げられたメッセージ。【小泉純一郎首相。/今から六十数年前、アジアの東のはずれにある私たちの日本は、欧米諸国との戦争を始めました。その時、日本の若者たちは、欧米の侵略からアジアを守るというスローガンを信じて戦い、日本は世界の孤児となりました。/その戦争に敗れた日本は、アジアの国々に謝って、「国際紛争を武力では解決しない」と世界に約束しました。/しかし、その四年後には、自衛隊の前身である警察予備隊を作り、「アメリカの正義」のための朝鮮戦争では日本の米軍基地が使われました。その後のベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン爆撃といったアジアの国々へのアメリカの攻撃に、日本は米国の後押しをし、ついには自衛隊をインド洋まで派遣するまでに至りました。/六十年前、日本は「アジアを侵略する米英を懲らしめる戦争」だと偽りを言いました。/しかし、あなたは今、アジアを攻撃する米英を支持しています。そんな日本を、アジアの人々はどう考えるでしょう。/一昨年、アメリカの経済力の象徴である貿易センタービルが自爆テロによって崩壊したとき、アジアの人々が驚喜乱舞する映像をテレビは報じていました。/かつてアメリカが広島・長崎に原爆を落としたニュースを聞いた時、アジアの人々が「よくやってくれた」と、嬉し泣きをしたという事実があります。/私たち日本がどれほどアジアの人々に憎まれていたのか、そして今、アメリカがどれほどアジア五十億の人々から憎まれているかを、私たちは知ることになったのです。/日本がアメリカの友好国なら、その憎しみの結果であるテロは、けっして武力では抑えられないということをブッシュ大統領に教えてあげることが、先の戦争に倒れた日本の兵士たちへのあなたのなすべき償いだと私たちは考えます。/私たちは知っています。地雷だらけのカンボジアでボランティアを続けている日本人たち、ソマリアのエチオピア難民のために灌漑用の風車を作ってきた日本人たち、アフガニスタンで井戸を掘り続けている日本人たちが、いかに現地の人々から信頼されているかを。/あなたのブッシュ支持のたった一言で、フィリピンのネグロス島の、チェルノブイリの、バングラディッシュでボランティアたちが数十年にわたって築いてきた日本人像が、こなごなに崩れました。 あなたには、日本人を爆弾を落とす側に変える権利はありません。/私たちは今、アメリカの戦争を支持する小泉政権を批判し、不支持の行動を全国的に展開することを宣言します。/そして、アジアへの攻撃を支持するアジア唯一の国になって、ふたたびアジアの人々に憎まれる日本には、なってはならないと思います。/私たち「歴史の記憶を語り続ける責務を持った」演劇人は、爆弾を落とす側でなく、爆撃の下に住む人々と共にあり続けることを今日、表明いたします。】。→台本=斎藤憐、演出=渡辺えり子「あきらめない 演劇は非戦の力」(台本全文)。

  • 4月5日 「イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会」4月5日(土)19:00、紀伊国屋サザンシアター、無料。関連:「全国の演劇人への呼びかけ」(呼びかけ人代表:永井愛、斎藤憐、渡辺えり子、坂手洋二、篠原久美子、福島明夫、丸尾聡、くまがいマキ)。▼アナーキー・イン・ニッポンのサイト(4月4日付ニュース)に「自分の良心にそむいてまで人を殺せない!」、【英国ガーディアン紙より。/4月1日朝、カリフォルニア州にある米国海軍基地で初めて、イラクでの戦争に対する良心的拒否兵士が現れた。この兵士は、自分はこの戦争は「指導部が参画した詐欺なのだから、モラルに反している」と思っている、と述べている。/戦闘に参加する事になっていた海軍増援部隊のスティーヴン=イーグル=ファンク(20歳)さんは、現在、自分のユニットを「無断欠勤」している。彼は、自分の行為のために軍法行為に掛けられ、陸軍刑務所に投獄させられそうになっている。/詳しくはこちら(英文)】。追記:ダンカン・キャンベル、益岡賢訳「イラク兵役を拒否した海兵隊員」03.04.02 ZNet(邦訳03.04.03益岡賢のページ)に全訳、必読!

  • 4月4日 『週刊読書人』第2482号(2003年4月11日付)が“緊急特集・「帝国」の戦争が始まった!”、酒井直樹「人種主義と国民主義の台頭 アメリカからの報告」。【それにしても、法務長官アシュクロフト、国防長官ラムズフェルド、副大統領チェイニー、といった極右の政治家を擁するブッシュ政権がこれだけの国民的支持を受けるのはなぜだろうか。これまで集団的な同一性を支えていた様々な歴史的前提が、この二〇年ほどのあいだに急速に崩壊しつつあると合州国の多くの人々が感じ取っている。一九八〇年代以来、白人男性の不安がしばしば指摘されてきたが、それは男性性への不安であり白人性への不安でもあった。この不安は、「拉致問題」に結晶化した日本の中間層の不安とそう違ったものではないだろう。北アメリカの社会で「同じアメリカ人としての団結感」が求められるのは、人種のハイアラーキーと経済的な格差の間に対応関係がますます少なくなってきたこと、即ち、白人だからといって有色人より豊かな生活を享受できるという蓋然性がますます疑わしくなってきて、いわゆる白人の労働者層が相対的に没落してきた事実が挙げられるだろう。さらに労働体制の変化は、これまで男性性の象徴であった男性=家外労働、女性=家内労働という社会的分業体制を根本的に突き崩してしまった。これらの変化は、しかし、近代世界の基本構造となってきた人種主義の消滅の前兆と看倣すことはできない。むしろ、これまで人種や民族同一性に附随するものとして当然視されてきた人種的な特権や経済的な裕福さを改めて顕在化する結果になり、特権や裕福さを失うことを恐れる人々を人種主義や国民主義の方へ押しやる結果になっている。サダム・フセインやアラブ人テロリストのイメージが、とくに白人労働者階級のなかで、彼等の不安を説明するものになってしまっているのはこのためであろう。イラクの政権やアル・カイダを撃つブッシュが賞賛を受けるのは、この様な仕方でサダム・フセインやアラブ人テロリストのイメージが、多くの人々が抱いている多様でお互いに無関係な不安を、一つの対象に向かって投射することによってあたかも一貫性があるかのように見えさせる、圧縮点の役割を果たしてしまったからではないのか。】。

  • 4月3日 ▼4名の仲間の解放を受けて、3・20反戦青年救援会「声明」03.03.31−.04.02。▼益岡賢訳「戦争について チョムスキーへの質問・回答」03.03.31 ZNet(邦訳03.04.01益岡賢のページ)。【質問:この超愛国主義は、どこから来たものでしょうか。この傲慢さ(米国以外の人々はそう見ています)、米国は神のようなもので、悪をなすことなどあり得ず、客観的に見てどれだけ不正なことを言ったりしたりしても、米国がそう言ったりしたりしているのだからOKだという考えは、どこから来たのでしょうか。どこに根を持つものでしょうか。ずっとアメリカの心理の特徴だったのでしょうか。エリートたちとそのプロパガンダ体制が、これを積極的かつ意図的に広めているのではないかと思うのですが、そうなのでしょうか。/回答:これはとても驚くべきことです。たった2年間のあいだに、ブッシュ政権は、米国を、世界で最も恐れられる国に仕立て上げることに成功しました。そして、最も嫌われる、さらには憎まれる国にまで。これは大きな成功です。陰謀主義者たちならば、ブッシュ政権の関係者は、本当に、ビン・ラディンのために働いているのではないかと結論するかも知れません。/超愛国主義については、文化を通して観察されるもので、長い歴史を持ちますが、他に例がないという類のものではありません。英国が太陽の沈まない帝国と言われていた日々には、同じ要なものでした。その名残は今も残っています。ジョン・スチュアート・ミルによる「人道的介入」に関する古典的なエッセイは、とりわけ彼が知的にそして誠実さにおいて例外的であったために、興味深いものです。そして、他国を征服する国々すべてについて、成り立つものです。イスラエルのように小さな例においても。/これがどこに根を持つものなのかというのは、難しい質問です。様々な場所に一貫して見られることから、これが歴史的特殊性に根付くものとするわけにはいかないことがわかります。とはいえ、歴史的な特殊性は明らかに米国の場合、要因として存在していますが。たとえば、米国では、先住民を撲滅し、奴隷制に基づく経済を運営するためにそれなりの正当化が必要でした(奴隷制経済は米国初期の北部でも存在していました。19世紀の産業革命において、綿は石油に相当するものだったのです)。そして、誰かの頭を靴で踏みにじることを正当化する唯一の方法は、自分は本質的に偉大であり、相手は本質的に忌まわしいとすることです。現在まで続いており一般に西洋の文化に極めて深く埋め込まれた人種差別主義の主要な要因は、意識をはるかに超えるものであり、それを指摘されても、適切な教育を受けた人々にはほとんどきちんと理解されないようなものです。〔…〕】。

  • 4月2日 『重力02』(2003年4月、「重力」編集会議編集発行、作品社発売)が“一九六八年革命をめぐって”“もうひとつの六八年”を特集、すが秀実「一九六八年革命小史」。【全共闘運動とは、その「他者」たちの闘争だったのである。/このような環境で初めて、日本においてマイノリティー運動が真の意味で芽生えたのであり、その思想は、既成のインテリゲンツィアではなく、学生アクティヴィストのなかから登場しなければならなかったのは当然である。全共闘運動のなかに「差別論」というかたちで初めてマイノリティ問題を導入し、そのパラダイム〔…〕の刷新を敢行した津村喬は、そのような存在であった。〔…〕津村は、そこで勃発した全共闘運動のなかで、アルチュール・ランボーに倣って「私は他者である」と宣言し、同時に、在日朝鮮人・中国人をはじめとする別種の「他者」にかかわる闘争を、六八年のなかに持ち込んだのである。なお、津村は同じく「他者」の視点から、公害闘争などへの転生をも先駆的に呼びかけた。〔……〕/津村による全共闘運動の「持続と転生」としてのマイノリティー運動の提起は、日本の「六八年」に深甚な衝撃をもたらした。】と指摘するすがは、七〇年七月七日の「盧溝橋事件三十三周年記念 日帝のアジア再侵略阻止人民大集会」をさし【〔…〕この集会を契機に、日本のニューレフト運動は、フェミニズムも含めたマイノリティー運動へとシフトしていくことになる。これは、日本の左翼思想史上の決定的なターニング・ポイントであった〔…〕。/だが、津村が画したニューレフトのマイノリティー運動への方向転換は、決して成功したとは言いがたい。もちろん、さまざまな運動は今なお持続しており、決して消滅したわけではないとしても、である。その理由としては、ニューレフト諸党派の武装闘争が必然的に行きづまっていき、その代補としてのマイノリティー運動に加担していたということもある。それは、「私は他者である」という視点を全く欠いた、それ自体としてナルシシズム的加担に過ぎなかった。〔……〕/その他、日本におけるニューレフトのマイノリティ運動へのコミットメントが失敗した理由としては、スラヴォイ・ジジェクも注目する「部落民」と呼ばれるところの被差別層の反差別運動と、マイノリティー問題へと転回したニューレフトとの結合の失敗も、きわめて重要なポイントだが、〔…〕ここでは、そのような問題が存在することを指摘するだけに留めておこう。】と書いている。関連:読書録02.06.08付

  • 4月1日 五十嵐太郎「セキュリティ戦争の空間」〔『新現実』Vol.02(2003年4月)角川書店 掲載〕。【1990年代に入り、セキュリティの面において、アメリカで注目されているのが、ゲーテッド・コミュニティだ。これは壁や門によって、外界から物理的に区切られたコミュニティである。マイノリティの他者を隔離し、閉じ込めるゲットーではなく、富める者たちが集まり、自らの空間を囲い込む。中世の城塞やルネサンスの戦争都市が壁で守られていたように、ゲーテッド・コミュニティは外部に対して閉ざされている。それが近代以前の都市を想起させるのは、近代の終りを告げる空間だからではないか。/ゲーテッド・コミュニティは、1980年代の後半から出現した。初期は富豪や退職者に限られていたが、現在では中流クラスにも広がっている。開発業者にとっても、売れ行きがよく、しかも回転が早いことから一戸当たりの利益が数千ドル多いという。ロサンゼルスを含むカリフォルニア州が断トツに多く、これにマイアミのあるフロリダ(いずれもディズニーランドがあるのは興味深い)が続き、その他では、ニューヨーク、シカゴ、ヒューストン、フェニックスに集中している。多数の移民が流れ込んだ都市ばかりである。/ブレークリーらによれば、住民がゲーテッド・コミュニティを求める動機は、3つに分類される。1.ライフスタイル型、2.エリート型、3.安全地帯型である。ライフスタイル型は、ゴルフや社交クラブなど、レジャーやアメニティを確保すること。エリート型は、住民の地位と格式を象徴する。安全地帯型は、犯罪への恐怖心から防護手段を求める切実なものだ。そしてゲート化はコミュニティの多様性を失い、居住者の均質化を招くと批判している。だが、推定では、8000万人が、ゲーテッド・コミュニティ的な空間を望んでいるという。アメリカの根本的な精神が危機にさらされている。ちなみに、ブレークリーの論文タイトル「分断せよ、さらば滅びん」は、アメリカ独立運動のスローガン「われわれは団結して立ち上がり、分離すれば倒れるだろう」をもじったものだ。/囲い込みは公共の空間にも浸透する。例えば、通過が簡単なグリッド型の街路を変え、行き止まりや不連続が多い道路に変え、よそ者を閉めだす。あるいは、ロサンゼルスでは公共の道路でさえ、ゲートで閉じてしまう。その結果、「ゲート区画に反対する市民団体」から訴えられ、道路の封鎖は禁じられた。またゲーテッド・コミュニティでは、サービスを自己完結させることから、地方への税金納付拒否の動きもある。公共空間が機能不全を起こし、各コミュニティが独自に警察、教育、娯楽のシステムを整備している。】。関連:読書録02.07.20付02.07.21付