10月31日 ▼『朝日新聞』10月31日付(eメール時評)に成田龍一「拉致事件は「戦争犯罪」」。【「拉致事件」は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による国家的犯罪というだけではなく、「戦争犯罪」と言える側面があるのではないだろうか。「冷たい戦争」、つまり「冷戦」下での戦争犯罪である。/日本政府と北朝鮮が公式に認めた「拉致事件」10件13人の発生した年は〔…〕78年をピークに70年代末から80年代はじめに集中している。/ポプラの木の伐採をめぐって、板門店の共同警備区域で北朝鮮警備兵と国連軍の米兵が衝突し、緊張が高まったのは76年。韓国、台湾、フィリピンなどの民主化の動きは80年代に入ってからのことだ。/その前夜、70年代後半のアジアと言えば、米ソの緊張緩和がかげりを見せる中、78年には日本が攻撃を受けた際の日米共同対処を定めた日米防衛協力の「指針」が策定され、有事立法が議題に上った。79年、ソ連がアフガニスタンに侵攻し、「新冷戦」が言われた。こうしたアジアの緊迫化と「拉致事件」とは、無関係ではないはずだ。/第2次世界大戦の「戦後」が冷戦という「戦争」を生み出した。大戦下での国家的戦争犯罪の解明も終わらぬうちに「冷たい戦争」は終結し、そして今度は、その下での特異な戦争犯罪が明るみに出始めた。/大きな歴史軸から見ると、「拉致事件」のそんな性格も浮かび上がるのではないか。】。▼「ボヴェさんの共著刊行記念/『パレスチナへの旅』上映会のお知らせ」[aml 30585]。近刊! 『パレスチナ国際市民派遣団 議長府防衛戦日記』ジョゼ・ボヴェ+第11回市民派遣団著/コリン・コバヤシ訳、太田出版刊/予価2300円+税、原著名:Retour de Palestine, Mille Et Une Nuits の日本語版。ドキュメンタリー・ビデオ『パレスチナへの旅』上映会、11月15日(金)18:00〜20:00頃まで、中央大学駿河台記念館510号室(東京都千代田区神田駿河台3-11-5、御茶ノ水駅(JR、地下鉄丸ノ内線)新御茶ノ水駅(地下鉄千代田線)小川町駅(都営新宿線)電話03-3292-3111 WEB 地図)、入場無料。▼広河隆一通信のサイトに「広河隆一写真展「激動のパレスチナ」」。11/1(金)-11/11(月)10:30-19:00(最終日は15:00まで)、コニカプラザ ギャラリー C http://www.konica.co.jp/amuseum/konicaplaza/(東京都新宿区新宿 3-26-11 新宿高野ビル4F、JR新宿東口より徒歩1分)、入場無料、問い合わせ:広河隆一事務所 E-mail: mail@hiropress.net 。
10月30日 ▼黒 La Nigreco のサイト(パレスティナ〈人間の楯〉News)に「家屋破壊の後で――ナブルス・バラタ難民キャンプより」02.10.23、「友人たちへ」02.10.25。▼URCオフィシャルサイトに連載中の黒岩進「URC History 日本のインディーズの原点、その実態と活動の軌跡」が完結。第1回「URCが誕生するまで(1967年) 高石友也と秦政明の出会い」、第2回「URCレコードの設立(1969年) “アングラ・レコード・クラブ”発足、レーベルの設立」、第3回「URC全盛期(1969年〜70年) フォークイベントの隆盛、社名変更」、第4回「URCの終焉と現在(1972年〜74年) 所属アーティストの離脱、音楽舎活動停止」。
10月29日 ▼「労働力調査(速報)平成14年9月結果の概要」02.10.29総務省統計局統計センター、【完全失業者数は365万人。前年同月に比べ8万人の増加。18か月連続の増加/完全失業率(季節調整値)は5.4%と,前月と同率、男性は5.8%と,前月に比べ0.1ポイントの上昇】。▼「特集・出版不況時代に贈るインターネット版・本の買い方選び方」02.10.28 INTERNET Watch。▼『現代思想』2002年11月号が“難民とは何か”を特集し、チョン・ビョンホ、辻弘範訳「分断の狭間で 脱北難民の生命と人権」は韓国社会に新たに形成されはじめた「脱北帰順同胞」と呼ばれる人たちについて【従来は分断状況の中で民族内部の特殊問題としてのみ概念化されてきた南北統一を、半世紀にわたりそれぞれ異なる形で進化してきた社会同士の出会いと交流、そして再統合として概念化するにいたった、私自身の認識の変化を土台として書いた】レポート、他に、稲場雅紀「難民たちの「拒絶の意志」は誰にも止められない 「ニッポンノミライ」を治者の視点から読み解かないために」、王彩香「中国人難民と日本の国境事情」、鵜飼哲「難民問題の現在」ほか。▼『日経サイエンス』2002年12月号が“時間とは何か”を特集。G.スティックス「時間とは何か」、佐藤勝彦「時間はどのようにして始まったのか」、P.デイビス「時は流れない」、G.マッサー「根底に横たわるジレンマ」ほか。
10月28日 承前、笠原和夫・荒井晴彦・絓秀実『昭和の劇 映画脚本家笠原和夫』太田出版。【所帯を持っていたにもかかわらず、愛する女房・子供と引き裂かれてニューギニア戦線にひっぱっていかれて、飢えと暑さの中で餓死していった兵隊たちが、果たして靖国神社に祀られて喜ぶかといったら全然違うと思う。むしろ靖国神社をぶっ壊しにかかるだろうと思いますね。そういう感情というものがあるということを考えると、靖国神社に参拝する連中はデリカシーがないというか想像力がない。それともうひとつは、大臣なんかが日程を八月一五日に定めて参拝に行くでしょ? あれは、ある種のデモンストレーションであって、もう一遍、国家全体主義というものをとり戻そうという意図があるとしか思えないんだよ。〔…〕じゃあ、国家全体主義というのは日本の場合、何かといったら天皇制の護持のことなんだよ。これ以外、何もない。〔…〕これには僕は大反対なんですね。だから、本来ならば、靖国神社は非命にして倒れた兵士の御魂所であると。その霊に報いるためにも、八月一五日は高官は来ないでほしいと神社本庁ははっきり言ったらいいんだよ。また、それを言わないところがズルいところでね。これまた、国家全体主義のまやかしの術に乗っかっているわけだ。僕には、これは救いようのない日本の悪弊としか思えない。もう、腹が立ってしょうがない。】(p.470)と言う笠原は、【戦後の昭和二〇年の一二月に、深川の焼け跡で水中塔婆を見ましてね……本当に何も言葉が出てこないんですよ。何も考えられない。ただ黙って見ているしかないんです。何だ、これは、という。それは凄まじい、鬼気迫る情景でね。人っ子一人いなくて、全部、焼き払われている、見渡すかぎり鉄骨と瓦礫で……。その中に巨大な柱がボーンと立っていて戦災慰霊と書いてある。で、下のほうに骨が散らばってる。それで築地のほうへ歩いていくと、橋の下流にダーッと水中塔婆が何十本、何百本と立ってるわけですよ。それで、船は一艘も通らないしね。ただ風だけがヒューヒュー吹いている。。そこに立ってると何も考えられない。ただ、そういうものがあるというだけを自分の目で見続けるしかないわけですよ。だから、僕は、自分で見たもの、これは事実であると思ったもの、そういう事実があったということを隠さないで伝えることが僕らの役目じゃないかと。それ以上のことは歴史学者だとか思想家だとかに任せるしかないと思うんだけど、ただ、そういう事実があったんだと――例えば、日本のやくざの中にも朝鮮人がいるんだよ、亀戸事件というのがあったんだよと。それは天皇の問題にしてもね……それを出すことが僕らの役目なんじゃないかと。】(pp.496-497)と第四部・戦争映画と天皇をむすんでいる。
10月27日 承前、笠原和夫・荒井晴彦・絓秀実『昭和の劇 映画脚本家笠原和夫』太田出版。書いたのはフィクションのホン(脚本)であったが、書かれたのは取材に裏づけられたノンフィクション以上のノンフィクション『仁義なき戦い』を書くうえで笠原は神代辰巳『一条さゆり』に触発されたとして【今まで僕は、ずっと東映の中で義理人情をやれ、男を書けと縛られてきたわけでしょ。そうやって商売をしてきたわけだけども、その果てにきて『一条さゆり』を見た時、あの露骨さ、エゲツなさというのか、それが、ある種、感動的だったんですよ。つまり、なんでわざわざ自己規制をしなきゃならないのか、おもいきってやったらいいじゃないかというね。〔……〕そういう作家のありようというのもあるんだと。じゃあ、僕たちだって、やくざ映画でそれをやったっていいじゃないかと。今までやってきた任侠だとか何だとか全部ひっくり返しちゃって、実際にやくざがやってることをそのまま出したらどうだと。それは僕が取材していっぱい知ってるわけだし、それを出したほうが暴露性という意味においても一番新鮮なんじゃないかと。やくざ映画というのは、そもそもが通常世間で知られていないようなやくざの世界を暴露して描こうというのが始まりでしょ? それがあるところで詰まっちゃったわけだけど、だったら、もう一遍、元に戻して暴露性みたいなところへ帰ればいいわけであって、それで新鮮になるわけですよ。】(pp.304-305)と語っているが、その後、【けれども結局、『沖縄進撃作戦』は流れちゃって、『暴力金脈』も変なことになっちゃって……。それで僕はやくざ映画の筆を置いちゃったんですけどもね。で、大分、あとになって、松竹で『226』というのをやったんだけど、「秩父宮が上野に到着した」と書いただけで、松竹はとてもじゃないけど映画にはできないと。要するに天皇家、銀行筋、それと右翼の奥深いところ――つまりは反共。この三点をつっつくと必ず企画はツブされます。でも、この三点をやらなかったらツマらんでしょう(笑)。僕がやくざ映画をやめたのは、結局、それが原因なんですよ。要するにおもしろいところは何もできない。今までのように、人情もののような着流しやくざ映画だったら、それは何本でもできますよ。けれども、それがダメになっていって、自分の手でつくったものを破壊してはつくり直し、また破壊してはつくり直しと続けてきたわけでしょ。〔…〕だから残念なのは、僕らのあとの世代の人たちがやくざ映画をいっぱい書いていますがね、そういうところに突っこんでいかないんだな。みんなチョコマカチョコマカした四畳半的なやくざ映画になっちゃったでしょ、『竜二』とかね……。それが僕には納得できないわけですよ。もうちょっと僕たちを乗り越えていってくれないかなあと。やっぱり、やくざというのが社会的存在になってきてるわけだからね」。それなのに『竜二』とか『ちょうちん』〔…〕とか、マイホーム的なところへ入っていったんじゃ逆じゃないかと。作品的にいいか悪いかというのは別ですけどね。】(pp.385-386)と述べている。
10月26日 ▼「絶対許してはならない!! 全動労採用差別事件で東京高裁が超反動判決/団結権、労働委員会制度を全面否定」10.24 国鉄闘争共闘会議。▼新刊! 笠原和夫・荒井晴彦・絓秀実『昭和の劇 映画脚本家笠原和夫』2002年11月、太田出版。博識な荒井と絓によるインタビューに対して【しかし、監督というのは、よう裏切るわね】(p.394)と言いながら「昭和の闇と刺し違えた日本最大の脚本家」(帯のコピー)笠原が約600ページしゃべった濃すぎる本。【大衆という存在はないと思いますよ。〔…〕僕が戦争中に見たものは、天皇陛下のご命令ですといって開戦して、「ほしがりません、勝つまでは」とか「贅沢は敵だ」とか言っておきながら、周りの人間は何をやっていたかといったら、贅沢のかぎりを尽くしてたんですから。〔…〕それが大衆といえば大衆なんです。要するにバラバラの人間のありようというもんでしょうね。】という笠原は、『日本暗殺秘録』で【ただ、僕は本当に思うんですけどね、戦後、もっと暗殺事件があったら政治はよくなったんじゃないかと。つまり戦後になって、暴力はダメ、テロリズムはダメだとみんな否定しちゃって、やたらとガタガタ、口ばっかりで喧嘩してるでしょ。みんな口先ばっかりで言って、何か愚痴ったりしているだけの話で、世の中は何の進歩もしてないわけでね。そういうのは僕ら戦前派はね、耐えられんわけですよ、アホらしくて。やるならやっちゃったらどうなのかというのが僕らにはあるんですよ。まあ、明治以来、いろいろな暗殺事件があったわけで、それが是であったか非であったかということは判定は下しがたいんだけども、暗殺があったからこそ、何か軌道修正がなされていたという気がするんですよ。】(pp.229-230)と述べ、『吉田茂』では【結局、僕の根底には、米軍に戦いを挑むのかと。挑めるわけがないじゃないかというのがありますからね。それは今でも沖縄ではアメリカ兵帰れ、帰れと言ってますけど、「じゃあ、お前さんたち、銃を持ってアメリカと戦ってみてごらん」と。沖縄は独立するんだと中国から鉄砲を仕入れて、沖縄人だけでもってゲリラ隊をつくって、ゲバラや南米のテロリストのように山に籠って、沖縄米軍の海兵隊と戦えと。そうやって、初めて、「沖縄自由を」とか平和だとか言えるんであって、口先だけで「本土は何をしてるんだ」なんて言ってる程度ではダメなんだと。そんな状態じゃないんだと。あのアメリカの膨大な戦力の下に、日本は、まだ完全に占領されてるんだよ。だから、今の社民党だとか、一部の学生たちがやってるような反米運動というのは全く無意味だと思いますね。〔…〕まだ戦前だったら、例えば右翼が暗殺事件を起こしているし、度胸があるというのもおかしいけれども、我が身を捨てて何かをなし遂げるというやつがいたわけでしょ。けれども、戦後はもう、腑抜けでね。ただ旗を持って騒いで何になるんだと。日本の政治家や保守政党に文句を言いたいならデモなんかやるよりも暗殺すればいいんですよ。テロリズムをやればいいんですよ。】(pp.588-589)と述べている。〔つづく〕
10月25日 ▼シンポジウム「二十一世紀の出版文化を考える」、10月29日(火)13:00、大日本印刷研修会館、主催:「本とコンピュータ」編集室。第一部・東アジアの出版の伝統と電子化/第二部・出版ビジネスの未来。▼帝国データバンクのサイト(TDB Watching)に特別企画「印刷業者の倒産動向」。【景気の底打ちが感じられないまま、各企業があらゆる手段で経営努力に努めている。こうした一連の経費削減の取り組みにおいて、まず対象の1つとなるのが広告宣伝費であろう。広告宣伝費はチラシ、パンフレット、カレンダーなどの印刷物を使用するケースが多く、同経費に対する社会全体のわずかな削減傾向は、「印刷業界」に多大な影響を与える結果となる。また、近年はインターネットなどPCを媒体とした通信・広告手段が急激に発達したことから、印刷物によって同手段をとる企業の絶対数が減少してきていることは言うまでもなく、今後の印刷業界の動向に注目が集まる。そこで、帝国データバンクは、96年〜2002年9月までに発生した「印刷業者」の倒産について調査・分析した。】との観点からの調査の結果、【調査結果によると、1996年から2002年9月までに全国で発生した印刷業者の倒産は1438件、負債総額は2668億100万円となった。/負債別動向では、「〜1億円未満」が955件(構成比66.4%)と最も多く、零細企業の倒産が大半を占めたほか、業歴別動向では「30年以上〜」の老舗業者の倒産が396 件(同27.5%)と最も多かった。また、倒産態様別動向では、任意整理が1180件(同82.1%)、都道府県別動向では、「東京都」が444 件(同30.9%)とそれぞれ最も多い結果となった。】、また出版業者の倒産との関連では【1996年から2002年9月までに全国で発生した出版業者の倒産は265件、負債総額は964億9200万円で、倒産件数が最も多かったのは2000年の48件、負債額が最も多かったのは99年の209億3000万円となった。2002年は9月までに34件の倒産が発生しているが、これは、2000年(48件)と並ぶ最悪の水準で推移していることを示している。〔…〕印刷業者と出版業者の倒産件数の変化を比較するとその推移は、ほぼ一致する結果となった。出版業者の倒産が印刷業者の倒産に対し強い影響を及ぼしていることが明らかとなった。】とレポート。詳細は本文(PDF 71.9KB)、必読!
10月24日 ▼02.10.23付『朝日新聞』夕刊文化欄に「「世論の国際化」で暴力の連鎖を防げ 仏の哲学者E・バリバール氏に聞く」(編集委員・清水克雄)。【「米国は問題の解決能力を失っている。というよりアメリカ自身が問題の一部になっていると言ってもいい。アメリカはテロに対抗するために戦争機械を組み立てているが、そのことが恐怖をエスカレートさせている」】と述べるバリバールは【――〔…〕社会主義体制の国家による日本人拉致事件をどう考えるか。】との問いに対して【「マルクス主義の弱点は国家の問題を過小評価してきたことにあると思う〔…〕」】と答えている。▼新刊! 鈴木一誌『ページと力 手わざ、そしてデジタル・デザイン』2002年11月、青土社、四六判392ページ、本体2800円、ISBN4-7917-6000-X、印刷:ディグ 方英社、製本:小泉製本、ブック・デザイン:鈴木一誌、装画:奥山民枝、編集:宮田仁、組版:武井貴行 中里岳広、文字校正:郡淳一郎、組版校正:前田年昭。目次:1 文字/2 デジタル化されるデザイン/3 ページネーション/4 フォーマット/5 法とデザイン/6 テクストから書物へ/7 間メディア。私(前田)の年長の友人でもあり、「ページネーション・マニュアル」(1996-)から『知恵蔵裁判全記録』(2001)までの闘いを共にした鈴木一誌の労作論集。文字と組版、テクストとデザインの二元論に対して正面から対峙しつづけながら、文字(テクスト)一元論、作家主義へ根底的な問いかけを深めつづけた思索の記録として、日本語の文字と組版を考える人びとにとって必読の基本文献である。しかしながら「薄塗り方式(の編集)」「集合名詞としての作者名」は、作家主義への問いかけが反転して木乃伊取りが木乃伊になったとしかいえぬほど“痛々しく”、そのあやうさを私は心から危惧する。
10月23日 ▼新刊!『Developing International Software, 2nd. Edition』、Table of Contents。▼京都大学附属図書館公開展示会「学びの世界─中国文化と日本─」、10月30日(水)〜12月1日(日)月・火曜は休館、午前9時30分〜午後4時30分(入館は午後4時まで)、京都大学総合博物館(2階)展示室、入館料:大人400円大学・高校生300円中学・小学生200円。【本年3月に京都大学附属図書館所蔵の『幼学指南鈔』が重要文化財に指定されたことをうけ、「学びの世界 −中国文化と日本−」と題して、日本人が中国文化から何をどのように学んできたのかを中心テーマに、これまで公開されることがほとんどなかった本学所蔵の貴重資料を一挙に展示いたします。/展示は大きく「幼学・類書」「五山・禅籍」「抄物・清家・訓点資料」の三つの部分に分かれ、平安時代から江戸時代に至る「学びの世界」の変遷を第一級の資料によってたどることができます。/重要文化財を含む古写本・古刊本が多数出品され、これだけの資料が一堂に会することは京都大学百有余年の歴史の中でも初めてのことです。】。主な展示書目:幼学指南鈔(重要文化財)、勅修百丈清規(元刊本・五山版)、景徳伝灯録(元刊本・五山版)、万巻会元(元版袖珍本・陽明文庫蔵)、周礼疏 御注孝経 史記抄 漢書抄 孝子伝 (以上清家文庫)、蘇悉地羯羅経 蘇悉地羯羅経略疏(以上訓点資料)、白氏文集古鈔本、寿岳文庫(寿岳章子氏旧蔵抄物コレクション)。
10月22日 ▼韓統連(在日韓国民主統一連合)のサイトに「米軍装甲車による故シン・ヒョスン、シム・ミソンさん殺人事件」。関連:「事件の経過と闘い」、「ルポ 女子中学生れき殺事件 公務中には殺してもいい?」。▼絓秀実・高橋順一「大学に知の可能性はあるのか」〔『情況』2002年11月号 所収〕。【六八年というのは何かと言ったら、〔…〕極論的に言えば、階級闘争の焦点は「生産点ではなく大学である」という問題でしょ。プロレタリア本隊論ではなくて、学生の方が重要だ、政治的な矛盾の集約点なんだと。それが分かってないから新左翼諸党派はダメなんだと思うんだけどね。〔……〕教授会や自治会というのが何かというと、大学における「規律/訓練」のための組織だったわけですよね。そこに全員が加盟することによって、教授と学生が共に大学を支えると。ポツダム自治会批判というのは、そういう統治のありかたに対する批判だったわけですよね。ところが実は一方で、六八年当時のある種の大学の自治会なんかは、大学の学生統治の先兵としてあったわけだ。そういう意味では、大学は「規律/訓練」型から「管理/監視」型へ、という変化を先行的にやっていたと思う。〔…〕全共闘は、まさに六八年を境にして変わっていく監視・管理型の大学経営への批判としてもあったわけです。〔…〕ところが七〇年代、八〇年代を経過して何が起こったかというと、規律/訓練型の自治会等々という装置はもはや要らなくなったということですよね。コントロール型の大学になってきている中で、大学の共同体を守れみたいな形でしか表現できない批判というのは、何を言おうとも、結局は規律・訓練型の大学へのノスタルジアを糧にせざるを得ないんじゃないかと思うんですね。】との絓の指摘に対し高橋は【六八年の学生運動の一つのポイントとしてあったのは、産学協同への抵抗ですね。ところが今は産学協同――というより産官学協働――へのアレルギーはほとんどない。六八年世代の教員も含めて、どれだけ産業界から研究費、官から補助費を引き出すかと汲々としている。自治という名の特権によって社会からワンクッション置いた形で守られた共同体ではなくなってしまって、大学が直に社会に接合していく状況になってると思うんですね。それは新自由主義的な競争原理という問題が背後にある。〔…〕つまり一方的に管理・監視をされているというより、それこそフーコー的に言えば、主体化と従属化が重なり合っている。大学間の競争に勝とうというのも、みんな主体的にやっているわけですよ。〔…〕直に社会に接合されて、もろに権力の論理や階級の論理の中で動かざるを得ない状況が、しかし一方においては主体的に内在化されている。〔…〕新自由主義的な競争原理と接合されて、大学が完全に社会化というか再政治化されている状況に対して、我々がどうするかという問題じゃなかろうかと思うんです。】と述べている。
10月21日 ▼「読み方が分からない漢字を調べる辞書検索システム〜東工大の田中教授のグループが開発」INTERNET Watch 02.10.21付。▼山下充『工作機械産業の職場史1889-1945 職人わざに挑んだ技術者たち』2002年2月、早稲田大学出版部。【生産管理の歴史的考察】を【技術者と技能者の生産現場における日常的な相互関係においてとらえたいと考えた】という山下は池貝鉄工所や日立精機、篠原機械製作所の戦前から戦後にいたる技術者(「社員」)と技能者(「職人」)との共同作業を検討し、【〔…〕近年,日本企業の現場主義が注目されている。本書の事例でも設計技術者と現場の技能者との間で情報交換の存在が確認でき,また現場の技術者に対して積極的に現場経験を積ませようとする試みや,これを奨励する指導的な技術者の存在が明らかになった。/〔……〕戦前〔…〕技術者たちは当初,管理機構を整備することで,その時々の課題〔…〕を達成しようとしたが,技術者の前には技能者に依存した旧来の生産体制が立ちはだかっており,その成果はすぐには上がらなかった。技術者が求める生産体制を確立するためには単に管理機構を整備するだけでは不十分で,生産技術に踏み込んだ広範な合理化を実行する必要があった。そして,そのためにさまざまな試行錯誤がくり返された。/〔…〕請負制度のもとで働く工員を管理・監督し,期待する合理化の成果を上げることができるようになるまでには,多くの失敗が積み上げられ,現場の技術者はしばしば現場の技能者と対抗的な関係に陥ることもあった。〔…〕技術者の現場主義的態度とは,職場における協調的関係の基盤をなすものというより広範な合理化を実施し,成果を上げるために現場工員の仕事を観察し試行錯誤をくり返すなかで解決策の手がかりを見いだそうとする探求的な態度を意味していた。/このような態度が技術者の中に形成されていったことは,日本の技術者の歴史において大きな転換点を示しているといえる。〔……〕/池貝喜四郎やW.ゴーハムのような当時の優れた技術者による奨励や自分たちの職場経験にもとづきながら,技術者たちは現場に入り込み,時間をかけて現場を解決しさまざまな試みをおこなった。このような技術者たちの解決方法は,現場の技能者のウデに敬意を払いつつも,技術者の主導権確立をめざすという相対する2つの理念に根ざしたものであり,技能者との対峙の中から徐々に形成された技術者の態度であった。このような技術者の意識形成と生産現場における主導権獲得の試み,解決方法の模索がこの時期の生産現場の特徴であったといえよう。】と指摘している。
10月20日 ▼〔再掲〕太田昌国「「拉致」と「植民地」問題の間には……/産経式報道の洪水と、社会運動圏の沈黙の根拠を読む」02.10.17up、同「「拉致」問題の深層 民族としての「朝鮮」が問題なのではない「国家」の本質が顕になったのだ」02.10.17up。全文必読! ▼ZDNet Magazine 02.10.16付「特集:使わなきゃ損するお勧めウェッブサービス(Yahoo! Internet Guide)」が主なオンライン辞書一覧のほか定番地図サイト一覧、主な量販店サイトの特徴をまとめている。
10月19日 ▼〔再掲〕太田昌国「「拉致」と「植民地」問題の間には……/産経式報道の洪水と、社会運動圏の沈黙の根拠を読む」02.10.17up、同「「拉致」問題の深層 民族としての「朝鮮」が問題なのではない「国家」の本質が顕になったのだ」02.10.17up。全文必読! ▼西川長夫『戦争の世紀を越えて グローバル化時代の国家・歴史・民族』2002年7月、平凡社。1999年度歴史学研究会の大会報告でもある「戦後歴史学と国民国家論」において西川は【(1)国民国家論という現代世界に対する批判的観点が形成されつつあるという事実。――〔…〕まず注目していただきたいのは、それが現代世界に対する批判的観点であり、批判理論であるということです。研究がアカデミズムの中で一定の市民権を得ると、たちまち分業体制の一角に収められて初発の批判的な動因を失う傾向があるので、最初にそのことを強調しておきたいと思います。〔……〕/(2)国民国家論は戦後史あるいは戦後歴史学の中から生まれ、戦後歴史学を糧として形成された。――ここで言いたいのは国民国家論は戦後歴史学の鬼子のようなものであって、最終的に戦後歴史学批判の立場をとるが、その批判は外部から突然現れた批判ではなく、戦後歴史学の内部で懐胎形成された内在的批判である、あるいはそうありたい、ということです。〔……〕/(3)国民国家論は戦後歴史学の根底的な批判でありうるだけでなく、近代歴史学の根底を問うことになるだろう。――国民国家論は、国民国家の時代のあらゆる科学・学問・思想・芸術・言語・風俗、等々が国民国家の制度であり、国家のイデオロギーとして機能していることを明らかにしてきました。歴史学もそうした考察と批判の対象であることをまぬがれえません。近代歴史学が国民国家と共に形成され、制度的イデオロギー的に国民国家によって支えられ、あるいは国民国家を支えてきたことは疑いようのない事実だと思います。〔…〕歴史学自体の基盤、歴史学自体の国民国家的基盤が根底から批判的に問われることはほとんどなかった。むしろ反体制的な立場と社会主義への使命感ゆえに、歴史学の国民国家的基盤に対する疑問は意識的無意識的に抑圧・隠蔽されたのではないでしょうか。〔……〕/(4)さらにもう一点つけ加えれば、二十一世紀的世界の考察に国民国家論がいかにかかわるか、という問題が残されています。つまり国民国家と国民国家の時代が生みだしたものの解体と再編の過程を、国民国家論がいかに照らしだすかという問題です。――私はここで国民国家論に限定をつけようと思います。国民国家論は国民国家を批判し、その解体と変質を見とどける理論であって、歴史上のあらゆる現象を説明する包括的な理論ではありません。〔…〕】と“国民国家論についての四つの主張”をまとめ、指摘している。
10月18日 ▼太田昌国「「拉致」と「植民地」問題の間には……/産経式報道の洪水と、社会運動圏の沈黙の根拠を読む」02.10.17up。全文必読! ▼荒井直登「エディカラー奮闘記」02.10.16、【写研手動機の時代から写研電算のバッチコーディングを経て、写研電算「みえ吉」「くみ子」を使って続いている「ある高校の入学試験問題(国語・数学・英語)」を、Windows版エディカラー5で作業し、納品まで終わりましたのでその経過を昨年度まで使っていた写研組版ソフト「くみ子」と比較しながら】まとめた作業記録。▼西谷修『不死のワンダーランド』2002年10月増補新版(1990初)、青土社。【近代の思想が背を向けてきた「人間が死ぬ」ということの考察をベースに、しかし「死ぬことが不可能だ」という逆説的認識を軸にして〔…〕生存の未知の地平あるいはその予兆を、「死に向けて」ではなくはっきりと「生に向けて」できうるかぎり描き出そうと試みた】という立場から【〈共同体〉のテーマを警戒し、それを避けるだけでは何も片付いたことにはならない。〈近代〉の価値を奉じる人びと(近代主義者)がいかに〈共同体〉を無視しようとも、たとえばある言語(日本語なら日本語)を使うかぎり、その言語使用が現勢化させる共同性(コミュニケーション空間)に属していることは否定できないように、何らかのかたちで帰属が問われるとき、誰もがいくばくかの〈共同性〉を分かちもっていることを、近代主義者とて否定することはできないからだ。】と増補部分で問う西谷は【近代主義は〈共同体〉を否定しあるいは否認しようとし、それとまったく同じ理由から反近代主義は〈共同体〉を目的ないしは原理として掲げてきた。〈共同体〉と〈社会〉とが一九世紀末に社会学によって対概念として定式化されて以来、それは二〇世紀世界の主要なイデオロギーの隠れた対抗軸になってきたとさえ言えるだろう。そのために〈共同体〉は、〈個〉の価値やその〈自由〉を擁護する人びとによって胡乱なテーマとされてきたが、問題は〈共同体〉を否認したり顕揚したりすることにあるではなく、人間が基本的に「共同存在」であるとするなら、その〈共同性〉とはいかなるものなのか、そして〈共同体〉の幻想はどのようにして生みだされるのか、あるいは「共同存在」とは〈個〉の〈全体〉への従属や統合を必然的に招来するものなのか、それともそれはひとつの憶見かイデオロギーであって、むしろ「共同存在」であるがゆえにこそ、人間の複数性やそれぞれの存在の差異が、まさに「存在する」ということの要件として消し難いかたちで組み込まれているのではないのか、そしてそのような思考の可能性はないのかと問うことのうちにあるだろう。】と書いている。
10月17日 「早稲田大学一号館地下管理運営委員会事務局・早稲田大学八号館地下サークル連絡会事務局・支援」から10月15日に届いた文書「ご支援・ご協力・ご参加いただいている皆様へ」を私(前田)の責任において連帯の意思表示として公開する。【すべての皆様、お元気でしょうか。/ご支援・ご協力・ご参加いつもありがとうございます。/私たちが早大当局による一方的な部室強制撤去によって活動場所を奪われてから早くも一年と二ヶ月が過ぎようとしています。/早大当局はわれわれの団体に所属する個別のサークルに対して脱退することを強要(新学生会館入居権・公認補助金取り消しなどで露骨に脅しをかけながら!)するとともに、われわれサークルの地下部室に放置されている物品(使おうにも部室には入れない!!)を、メンバーの自宅に一方的に送りつけようとするなどの暴挙・嫌がらせを次々と行っています。/また部室強制撤去阻止の運動を中心的に担ってきたまさにそのゆえに、早大当局・東京地方裁判所によって去年の7月31日に「学内立ち入り禁止処分」とされた仲間はいまだに学内に近づいただけでガードマンに囲まれ、排除されるという状況におかれています。/我々は、この間皆様のご支援・ご協力に支えられながら、上記の困難な状況にも負けず、自主的なサークル活動を地道に継続すると同時に、早大当局への抗議行動・質問状提出・情宣活動などを行っています。/先の2002年7月31日には、早大正門前にて『部室封鎖一周年弾劾!!三名立ち入り禁止処分粉砕!!部室実力奪還を勝ち取ろう!!ビデオ上映と討論の夕べ』を開催し、学生部・総務部職員の介入・弾圧を跳ね返して、集会を無事貫徹する事ができました。/多数の皆様から、カンパ・アピールいただきました。ありがとうございます。/このように、我々を取り巻く問題が山積みになっているだけでなく、我々自身が抱えている問題点も色々あります。今後皆様と討論を深めながら、地道に現場の闘争を積み重ねながら克服していきたいと考えます。/早大当局は、『125周年ー早稲田第二の建学』の旗印の下、白井新総長の下で急ピッチで再編を進めています。/サークル部室の強制撤去と新学生会館の建設に始まったサークル活動に対する規制・管理の強化は、学生サービス改革施策「学びの杜ワセダ-再生プロジェクト-」の美名の下、補助金カットなど『ムチ』の部分だけでなく、自らに付き従うサークルにはさまざまな便宜を積極的に与えるという『アメ』の部分を構造的に確立する段階に進んでしまっています。/その一方で、国際情報通信研究科・情報生産システム研究科(2003年4月開設予定)・早稲田大学ビジネススクール(アジア太平洋研究科国際経営学専攻)(2003年4月開設予定)・公共経営研究科(2003年4月開設予定)などの、国家ー資本の人材要求に無批判に追随する類の『改革』は膨れ上がる財政赤字など何のその、矢継ぎ早に行っています。/日本の自殺者は三万人を数え、いまや世界一の自殺大国の名をほしいままにしています。「行革」「規制緩和」のかけ声の下、労働者は借金漬けにされ、路上に放り出され、若者の多くも早稲田大学が目指す一部の「勝ち組」になるか、なりそこねた「負け組」は根本的な無気力状態に追いやられ「ひきこもり」などの社会問題になっていることは皆さんも知るとおりでしょう。/その一方で、国民総背番号制=住民基本台帳法は広範な反対運動も力及ばず施行されてしまい、『北朝鮮=テロ国家キャンペーン』などでひたすら危機意識を煽りながら有事法制の整備なども策されてしまっている状況があります。/地下部室は多くの学生・サークル員・OB/OGにとって立ち止まって社会と自らを考える契機を与えてくれる場であり、学内外の仲間と連帯をはぐくむ貴重な公共空間でした。/だからこそ早大当局は上記のような再編の「障害物」として地下部室をとらえ、なりふりかまわず暴力的に破壊したといえます。/地下部室を暴力的に破壊した後の荒地に早大当局が作ろうとしている明るく楽しいキャンパス。そこには嬉々としてリストラを宣告し労働者の自殺を経済効率から正当化する『パワーエリート』達の嬌声が響き渡っています。/私たちは、サークル部室奪還!仮処分粉砕!の闘いを、このような流れに抗する闘いとして、執拗に継続していくつもりです。今後も変わらぬご支援・ご協力・ご参加お願いいたします。】。
10月16日 ▼『週刊プレイボーイ』が02.10.29号から“怒りの短期集中連載・ハイテク監視社会をブッつぶせ!”を開始、同号は第1弾「「新宿・歌舞伎町カメラ」でオレたちはここまで警察に覗かれていた!」。気合の入った力作! ▼『ぴあ』02.10.21号(focus! the news「私立探偵 濱マイク」DVDで完結!!」)のインタビューで「――〔…〕タイトルに私立探偵とあるけれど、マイクは事件を解決するより、登場人物や依頼人の心を癒す話が断然多い。マイクってセラピスト?なんて思いました。」との問いに答えて永瀬正敏は【「もしかしたらそれは今の日本の投影なのかもしれない。各回の監督や脚本家の人たちが事件の謎解きよりも、「自分とは?」とか「他人とは?」「人とは?」とか「恋人とは?」とか、そういう方向に関心が向かっているということですもんね。だから映画版の『濱マイク』にはいなかったミントやノリコが出てきたのかもしれない。アメリカなら悩みがあったらすぐにセラピストに会いに行くけど、日本はセラピストという職業はまだそんなにメジャーではないですよね。で、彼女(小泉今日子さん)がある映画の時、風俗嬢の人達と話す機会があって。彼女達は日本の男性の悩みを聞いて支えているという意識がすごくあるから、自分たちの仕事に誇りを持ってて、何よりいつも笑顔を絶やさない……と。ミント&ノリコは実は「マイク」の中でのカウンセラーだったのかもしれない。癒してもらっていたのかも」】と発言している。
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