読書録 2002年9月後半(敬称略)

Jump to [読書録(月前半)] [トップページに戻る]
[特集] [盗聴法問題] [安田弁護士問題] [石原慎太郎1] [石原2] [石原3]
[石原4] [反戦日録] [備えあれば戦争] [強制連行の朝鮮人遺骨]
* 過去の読書録の検索への手がかりは[読書録人名索引] [読書録月別索引]へ。

  • 9月30日 「photo-eyes」(写真/美術についての情報:深川雅文)02.09.29書き込みに、四方田犬彦「拉致と帰属――日本海を渡航する」。【〔…〕今回の大騒ぎでわたしが奇妙に思ったのは、日本、南北朝鮮のいずれもが、拉致に先だって日本海で生じた、きわめて大規模は人間の移動にいささかも言及しないことであった。1959年から84年の間に、およそ9万人の在日朝鮮人が、北朝鮮こそは「約束の土地」であり、地上の天国だというスローガンを信じて、「故郷」に帰還している。彼らはただちに新国家の実態に幻滅したが、もはや日本に戻ることはかなわなかった。それどころか彼らはスパイの可能性をもった危険分子と見なされ、ごく少数の例外を除けば辺境の鉱山や荒地、さらには収容所に住むことを強制された。日本に残された家族は、人質同然となった彼らの安全を願ってせっせと日本円を送金し、日本国内の北朝鮮人組織に献金することを強いられた。それはこの奇妙な独裁国家を支える強力な経済基盤となったばかりでなく、在日朝鮮人の生活を歪んで不自然なものとした。ひとたび「祖国」を信じて渡航した人々にいかなる悲惨が到来したかは、日本ではほとんど報告されていない。かつて日本国籍をもち、日本人として戦地に赴いた人たちの末裔が、11名の日本人と同じく恐怖と孤独のうちに生き延び、死んでいったことには、いささかも関心を払おうとしない。だが、この「帰国者」の存在は北朝鮮の問題である以上に、日本社会の問題であるのだ。/わたしが真に恐れているのは、現在の加熱した拉致報道が契機となって、日本の若い世代に新たなるracismの動きが生じることである。日本が朝鮮を植民地支配して9年目の1919年3月、朝鮮半島の全域にわたって独立運動が生じ、日本人ははじめて抵抗する朝鮮人の姿を目の当たりにして、強い恐怖を体験した。その反動として生じたのが、4年後の東京での大地震にさいに生じた朝鮮人大虐殺であった。今回の拉致騒動がこうした日本人の無意識に眠る恐怖心をふたたび覚醒させてしまうとすれば、その後にいかなる心理的補償作用が生じるのか。それがグロテスクな憎悪の形をとらないことを、わたしは願ってやまない。繰り返していう。日本海は実に渡航の簡単な海である。近い将来に、アドリア海や南シナ海のように、この海がわずかな全財産を手にした人々の乗る小舟で溢れないという保障は、どこにもない。日本政府も日本社会も、予想されるべき北朝鮮からの難民の対応をめぐって、いかなる共通了解をももちえていない。現在に日本社会がもっとも必要としているのは、日本人の帰還である以上に、逃げ延びてくる朝鮮人に対していかなる歓待の掟を築き上げるかという問題である。】。

  • 9月29日 飛鳥井雅道『日本近代精神史の研究』2002年9月、京都大学学術出版会。「第二部第四章 幸徳秋水の天皇像」で【戦後民主主義はテロリズムを嫌ったし、戦後マルクス主義は天皇制の問題をややもすれば避けがちだったから、秋水が処刑された肝心カナメの理由たる天皇の問題があまり分析されずに過ぎてきたことは、秋水を理解する上で、まさに不当だった。わたしは、秋水を、暗殺主義者に祭り上げたり、貶めたりしたいのではないが、秋水の天皇像の実体を確認する事が一度は必要だと考える。】との立場から【秋水の天皇像を、可能な限り具体的に考え、そのロシア・ツアーリズムへの理解・関心を跡づけながら、秋水の思想というより発想の基礎の襞を追ってみたい。】とする飛鳥井は【秋水を天皇批判に進み出させたのは、ロシア革命運動であり、ロシア社会革命党だったが、その天皇批判を気分的な、情動的な段階に押しとどめたのは、自由民権期以来のツアーリズム理解であり、ロシア理解であった。秋水はその意味で、善くも悪しくも民権運動の跡継ぎであったといわざるを得ない。/わたしが今後取り組まなければならないのは、民権運動と社会主義の接点をいかに理解するかにあると考える。】と指摘している。
    「第一部第四章 テキストとしての神話」で【小林秀雄の大著以来、宣長があまり持てはやされるので、宣長はそれほど独創的な思想家ではなかった、という論も現われている】として【子安宣邦の宣長批判は、その代表例であり、本居宣長の小林秀雄的解釈を今後許すまいという、ある意味での使命感にすら貫かれている。】と註記する飛鳥井は【結論的にいえば、子安宣邦は宣長が、自己循環的で、専断的・閉鎖的だとくりかえして述べ、それ自体が、すでに、自己循環的になっているとすら思われるが、それでは、宣長の強い部分は把握できはしないといわざるをえない。】として本居宣長・上田秋成論争を検討し、【宣長の古学・古道論というのは、儒学への不信と同時に、近世神道を一貫して退け、そこから一貫して現れる『古事記』絶対化、それも、宣長流に解釈される事になった『古事記』絶対化につきるといってよい。】【秋成の神話論・古代論は、一見、客観主義的でかつ近代的に見えるが、本来の近代精神とはかなり違うこと〔……〕、また、宣長の『古事記伝』が、一見、神代絶対主義で、神がかりの主情主義、主観主義のように見えても、実は古典のテキストに密着して論じつつ、またそれならばこそ、その歪みを正面に浮き出させてしまう性格をもっていたこと、近代と性格を違えてはいても、きわめて論理的な法則性をもち「合理的」なものであること】と指摘、【古典のテキストに没入することでテキストの論理を明らかにしてゆく学問の方法は、ある意味で都会や時代との距離を必要とするのかもしれない。同時に、この一八世紀後半の神話解釈がかかえていた問題は、そのまま近代日本がかかえる問題に、紙一重のところまで迫っていた。日本の近代は、宣長や秋成を充分に受け継ぎえたかどうか大変疑問だと思われる。近代にヨーロッパから輸入された学問の方法は、一九世紀いっぱい、この分野で容易に成果をあげることができなかったことを想起するだけで十分であろう。】と書いている。

  • 9月28日 ▼総務省統計局統計センターのサイトに「労働力調査(速報)平成14年8月結果の概要」02.09.27公表、【就業者数は6371万人。前年同月に比べ72万人の減少。17か月連続の減少/男性は48万人,女性は24万人の減少】【完全失業者数は361万人。前年同月に比べ25万人の増加。17か月連続の増加】【完全失業率(季節調整値)は5.4%と,前月と同率/男性は5.7%と,前月に比べ0.2ポイントの上昇/女性は5.1%と,前月に比べ0.1ポイントの低下】。▼ISIS立紙篇(編集工学研究所)サイトの松岡正剛の長期連載「松岡正剛の千夜千冊」第六百ニ十六夜(02.09.26)が宮崎市定『アジア史概説』をとりあげている。【『アジア史概説』の誕生の苦難と意外】をたどったうえで【このような前歴を知ったうえで本書の中身をどう伝えるかというと、きっとアジアという大陸が自身の歴史を自己記述したらどうなるかというような、いわば“地球上で最も大きな歴史教科書問題”に立ち向かうということにな】り【本書こそは現代日本人のアジア史ステーションとしたほうがいいということだ。】とする松岡は【ステーションという意味は、これが正しいアジア史だという意味ではない。このような宮崎市定の記述にしばし浸ってアジアの歴史を一挙に通過する無数の列車に乗るために、この一書というテキスト体験をステーションとしてみたら、ここから派生するどんな問題にも濃くも薄くも、速くも遅くも自由に飛び乗れるようになるのではないか、そういう意味である。/そもそも宮崎史学の特徴は「交通」なのである。交通史観あるいは交渉史観という評判もある。/宮崎にとってはヨーロッパと西アジアは同時に見るべき歴史の屏風であり、インド・中国・ベトナム・日本も同時交通的に眺めるべきパノラマなのである。宮崎には「地上人類の知能はほぼ平均しており、先進国つねに先進国たらず、後進国つねに後進国たらず、先進国の優位は交通によってたちまち後進国の奪い去るところとなるのである」というような根本的な視点が貫いている。/この動く視点が、ここをステーションとしてもびくともしないほどのアジア史中央駅をつくっている。〔…〕】と書いている。

  • 9月27日 「ル・モンド・ディプロマティーク」日本語・電子版のサイトに掲載の、ジェイミー・ドーラン、斎藤かぐみ訳「アフガンの砂漠の砂の下に」〔2002年9月号〕がマザリ・シャリフの虐殺を暴露、告発している。▼『日経流通新聞』02.09.26付に「センス競うフリーペーパー/イラスト・コラム満載のクリエーター系」(石森ゆう太)。【街にあふれるフリーペーパー。店舗情報やクーポン券が主流であることに変わりはないが、これまでになかったしゃれたフリーペーパーも登場している。〔…〕】として数紙誌を特集ルポ。【業界団体の日本生活情報紙協会は、全国で約1200のフリーペーパーが2億2000万部発行されているのを確認しており、まさに隠れた巨大媒体。ただ「50メートル歩くうちに捨てられる」(ある編集者)ような中身の薄いものも多く、コレクターまでいるクリエーター系ペーパーへの注目度は高い。/渋谷や青山などでは、多くの店にフリーペーパーを並べた平台や専用ラックがある。不況下で「(プロ作家が)商業誌で自由な表現がやりにくくなっている」(アライさん)こともクリエーター系急増の背景になっている。/無料だけに、課題はやはり採算面だ。サルマガジンはカラオケ店「ビッグエコー」を展開する第一興商が「ビジネスにつながる表現の育成」を狙って1号約300万円の発行費用を負担しているが、これは珍しい事例。/カエルブンゲイは経費の半分はアライさんの持ち出しで、T&Mも「企業に費用対効果を納得させられなければ、広告主確保が難しい」(黒川さん)という。クリエーターへはほぼ無報酬とはいえ、収支を合わせるのは容易ではない。】。関連「日本生活情報紙協会」には【日本生活情報紙協会(JAFNA)が平成13年8月から12月にかけて実施した「第2回全国フリーペーパー実態調査」によりますと、全国で発行されている新聞タイプのフリーペーパーの数は、日刊紙から年刊紙まで含めると合計633社で発行されており、紙数(題号)で727紙、版数で918版、発行部数は1億2,046万9112部】とある。

  • 9月26日 『サンデー毎日』02.10.06号に「「ニッポン自殺率世界一」の衝撃 世界精神医学会で報告/他の先進国ではありえない事態が/「豊かだが貧しい国」/“心の問題”にカネを使わぬ日本」(池上正樹)。【関係者にショックを与えたのは、今年8月24日から29日にかけて横浜市で開かれた第12回世界精神医学会(WPA)である。4年に1度行われている国際会議で、アジアでの開催は初めて。話題になった分裂病から統合失調症への病名変更問題をはじめとして、精神医学に関するさまざまなシンポジウムが企画された。/そのひとつが、世界の自殺予防に関する討議で、世界中から自殺問題の関係者約80人が参加した。イギリスの先進的な自殺予防プログラム研究の第一人者を招いた研究会で、世界各国の自殺率が議論になった。/WPAでは、昨年の各国の人口10万人当たりの自殺率を独自に推計したところ、日本は25人超となった。これに対し、他には25人を超える国はないと推計され、討議の結果、日本が実質的に、世界で最も高い自殺率の国であることが浮かび上がったという。〔……〕/今年7月に警察庁が公表した昨年1年間の日本の自殺者数を見ても、3万1042人。前年よりは915人(2.9%)減少したものの、4年連続で3万人を超えた〔…〕。こんな状況から、WPAでは「東欧などでも国家の政策で下がってきているのに、日本だけが自殺者3万人のまま放置されているのは問題だ」などという議論が交わされたという。/警察庁の統計によれば、男性は自殺者全体の71.3%。また、60歳以上が35.1%、50歳代が25.4%、40歳代が15.0%で、働き盛りの40〜50代で4割以上を占めている。原因・動機別では「健康問題」が40.1%、「経済・生活問題」が31.5%と、このふたつが圧倒的に多い。/さらに時代的な推移を見ていくと、日本の自殺率はほぼ完全失業率に沿って動いていることが分かる〔…〕。特に、男性のほうが完全失業率に強く相関する関係にあった。/ただ、例えば失業率が5%台になったアメリカなど、同じ先進国で不況に見舞われた時期の欧米の国々でも自殺率はほぼ10人前後で、増えていない。なぜ日本だけが高いのか。〔…〕】とする記事で池上は【「痛みを伴う構造改革」もいいが、その痛みは確実に、自殺予備軍へのプレッシャーになっている。日本も国家的な自殺予防プロジェクトに力を入れる必要がある。】と指摘している。関連:asahi.com 秋田[自殺の周辺]「検証:上 「助けて」届かぬ叫び」02.09.13付 「検証:下 こころのケア、命救う」02.09.14付/「リンク集」(国立公衆衛生院)。

  • 9月25日 ▼「9.28個人情報保護法案拒否!東京頂上決戦」9月28日(土)18時〜21時、よみうりホール(千代田区有楽町1-11-1)、1000円。→個人情報保護法案拒否!共同アピールの会。▼『中央公論』2002年10月号が“情報管理社会はここまで来ている”を特集し、宮台真司「911で見えてきた「すべて管理可能」な技術」(聞き手・東浩紀)、森健「ルポ・顔認証システムが生活に浸透する現場」、山下幸夫「「サイバー犯罪条約」が日本の捜査活動を拡大する」、東浩紀「イデオロギーなしのセキュリティの暴走」。インタビューで宮台は言う。【宮台 〔…〕アメリカ憲法学会が、憲法的原則から逸脱しつつあります。憲法的原則は刑事訴訟法上の「推定無罪」という規定に象徴される。「一〇〇人の罪人を放免するとも、一人の無辜の民を刑するなかれ」。つまり、社会に犯罪者が放免される危険よりも、国家がわれわれの自由を侵害することのほうがはるかに恐ろしいという考え方です。〔…〕ところが9・11以降、国家よりも社会が信用ならないと変わった。一匹でもねずみが紛れ込んだらどうなるか分からない。だから、それこそ「一〇〇人の無辜の民を拘束するとも、一人の罪人を逃がすなかれ」。アメリカ憲法学会は、憲法の理念を貫徹するにはまず社会全体が守られねばならないから、国家が一匹のねずみを逃がさないことが何よりも優先するという議論に転換した。〔……〕/内務の拡大を怖がるのは悪いことをやる奴だけじゃんと。四年前も、盗聴法を怖がるのは悪い奴だけじゃんという話になって、盗聴法の反対世論に火が点きにくかった。僕は、「健全な社会が必要とする異議申し立て動機が、情報管理行政の肥大でスポイルされる」と言い続けたけれど、なかなか理解されなかった。/ だから、情報管理行政の強化によって何が失われるのか、根本から考えないといけないと思う。自由やプライバシーが失われる、という主張が一般的だけど、本当はそうとも言いがたい。〔…〕でもやはり僕たちは何かが失われているように感じる。ではそれって何だろう、と考えているのですが、それは結局「匿名性」なのではないかと思う。】。

  • 9月24日 湯地朝雄『戦後文学の出発 野間宏『暗い絵』と大西巨人『精神の氷点』』2002年7月、スペース伽耶(かや)(東京都文京区本郷3-29-10飯島ビル2F 電話03-5802-3805 FAX03-5802-3806)。戦後文学の出発に自己肯定をおいた『暗い絵』とは反対に、『精神の氷点』は徹底した自己否定から出発したとして敗戦観をつうじて大西の自己超克の思想の検討を深める湯地はさらに【「抵抗」を自認することと自認を拒否することと】の違いについて【状況に合わせた現実的戦術として抵抗線を次第に後退させていけば、状況のいっそうの悪化により、ついにはこれ以上後退出来ないというラインに行き着く。それ以上の後退は抵抗の放棄であり、重ねての後退はすなわち屈伏である。しかしながら、こういう場合、人々は往々にして、自己の敗北・屈伏をみずから認めたがらず、認めるのを回避しようとする。もはや抵抗とはいえないところまで後退している――つまりすでに屈伏しているのに、まだ「抵抗」していると意識しようとする。】という戦時中の「転向」マルクス主義者の意識構造として指摘している。湯地は連載の終わりに出会った大西の自註【『精神の氷点』は〔…〕戦争=絶対主義がそれに反対的・批判的な瑞々しい精神をどんなに歪み果てた境地へ追い詰めたかの容赦ない探究である。本来、それは、敗戦後新出発一般のために必須不可欠の思想的・文芸的営為であった。だが、その糧の「容赦ない探究」営為は、ほとんど実際には行なわれなかった。約五十年後・二十世紀末近年の満目荒涼たる精神現実風景が、それを如実に物語っている。】をひきながら【『精神の氷点』における水村宏紀の自己否定=自己超克の思想は、『暗い絵』の作者野間宏に代表される自己肯定の論理、思想と全的に対立する。作者の大西さんも言うように、本来「戦後」がここから出発しなければならなかったのである。戦後革命運動の挫折も、ここから出発せず、戦前・戦時下の革命運動の敗北を教訓とすることができなかったことがその重要な一因であり、また戦後民主主義の風化も、ここから出発しなかったために、戦争責任の追及・戦後責任の解明がほとんどなされなかったことが一つの大きな要因である。】とむすんでいる。

  • 9月23日 ▼「黒 La Nigreco」サイト掲載の「パレスティナ〈人間の楯〉News」09.22付に「90日間包囲されたままのナブルスより――暴力の新しい波」。▼『ぴあ』02.09.30号。「インタビュー・元ちとせ」、今夏13本のイベントライブをつうじての「新しい発見」を問われた元は【「裸足はいいなぁってこと(笑)。前はゲタとか履いて歌ってたんですけど、ある日リハで裸足になったら、すごくイイ感じで歌えたんです。何か履いてると、転びそうとか滑りそうとか、よけいなこと心配しちゃうんですよ。それがないから集中できるし、お腹の底から声が出る。でも大阪のライブではそのせいで大変でした。すごい暑い日で、ステージのガムテープが溶けて足の裏にくっついて。おまけにそのテープが黒い色でおもいっきり熱くてジューって感じ。思わず「熱っ!」て言っちゃうところでした。お願いです。夏の暑い日は白いテープにして!(笑)。〔…〕」】と発言。「インタビュー・桑田佳祐」、ヒット曲「東京」について桑田は【「そうですね、このセッション、この流れの中で、ですね。前の日に作った曲を、真夜中にみんなで演ってたんですよ。破綻してる、とかグチャグチャ、とか、そういう言葉を使って演ってましたけど、その言葉に何か、呼び起こされるものがありましたよね。でもその時は歌詞はまだなかったんですよ。“東京はいつも雨降り”という言葉だけがありまして。やっぱり、東京に対する思いって言うのはあるんでしょうね。それで…。そうだそうだ、“最近、夕立がないのは異常気象のせいだ”って言う話を聞いたんですよ。そういう中で、クラクションがビービー言ってるような東京の慌ただしさを、大粒の雨が全部かき消してくれないかな〜なんて。ちょっと疲れてたんですかね。その疲れが気持ちいいんですけどね(笑)。そういうところからきた歌詞だと思います」】と発言している。〔09.25追記:桑田佳祐「ROCK AND ROLL HERO」全曲試聴〕

  • 9月22日 「NUMBER GIRL 解散のお知らせ」2002.09.20〔09.23補記:かちゃくちゃ「NUMBER GIRL BYE BYE」09.21付「大衆決断」〕。▼『図書新聞』02.09.28付に、「電子版・人権宣言 緊急インタビュー吉田司氏が語る《電子版・人権宣言》」(聞き手・米田綱路)。【要するに〈ムラ〉とは、逃れることのできない〈大地の記憶装置〉だったのさ。村のデータ・バンクの魔界から抜け出すには、古くはヤクザとなるか流浪の旅芸人となって“被差別”の道をたどるか、都市に夜逃げするか、基本的にはそんな道しかなかったんだよ。/ところが、〈大地の記憶装置=アナログ・コンピュータ〉としてのムラ共同体が破壊・解体される時代が来る。それがつまり、七〇年代の列島改造ってわけだ。〔…〕/それが戦後日本の“魂の民族大移動”さ。農村共同体の情報支配から“解放された個人”が、ウキウキ・ワクワク胸をときめかせて東京や大都会に飛び出してゆく。そしてこの解き放たれた大量の〈個〉が、都市の大企業共同体の中に受け入れられ、八〇年代バブル経済大国を形成する原動力になったわけだ。アメリカはもちろんアジアへの経済進出で《経済版・大東亜共栄圏》と呼ばれた時代を演出したモーレツ社員たちは、この“魂の民族大移動”から生まれたってわけ。/おまけにさ、国や企業はね、この時代にこれまでの持家制度(給与体系で家やマンションをローン化させて、企業の中にサラリーマン人生を取り込む“会社忠勤制度”)を越えて、個人の心の中の欲望=快楽を全面解放させる方向に大勢〔?ママ〕イデオロギーの転換をはかる。欲望を根底から刺激することによって、それを保障する金銭=会社体系への更なる服従を組織化させたわけ。シロート女性のアルサロ化や売春が激化し、バブル経済が「のむ・うつ・かう」の色きちがい天国になっていったのはそのためなのさ。/実はこの時代こそ、日本近代始まって以来、ようやく到来した大衆的「個人主義」の時代だったんだけどね。個人主義=快楽主義として組織化されてしまったからさ、援交少女売春では「他人にメイワクかけなきゃ、イイじゃん」という個人主義と売春で金稼ぐ快楽主義が結びついても、大人たちも国もその少女たちの屁理屈に誰も反論できないってミジメーな結果を招いている(笑)。】。

  • 9月21日 『週刊読書人』02.09.27付に、姜尚中×大澤真幸「対談 9・11から一年=「野蛮」への回帰 大澤真幸著『文明の内なる衝突』にふれて」。姜との対談のなかで大澤は次のように述べている。【テロリストも悪いけれど、アメリカも悪いのだから、喧嘩両成敗だと。ところが僕は、こういう問題にニュートラル・コーナーはないと思うんです。〔…〕ニュートラル・コーナーに立とうとすると、結果的にはアメリカ側に立ったのと同じことになる。そこで僕は、誤解を恐れずに言えば、ニュートラル・コーナーではなくて、むしろ向こう側に立たなくてはいけない、それぐらいの覚悟がいるという感じがしたんです。それは喜捨の論理と関係があります。アメリカの空爆を批判する場合に、よくある論としては、たくさんの民間人が死ぬから止めたほうがいいという言い方がありますね。逆に言うと、民間人でなければ殺してもいいということです。しかし民間人を救いたければ、敵の軍人やテロリストも救わなくてはならない。民間人と軍人・テロリストとの明確な境目などないからです。普通、僕の言う「喜捨」という方法をみんなが嫌だと思うのは、テロリストが得してしまうんじゃないかということですね。しかし、それを恐れてはいけない。悪い奴だけ純粋に選り分けて善い人だけを救おうとすると、結局は善い人にも犠牲を強いることになる。悪い奴らが利益を得てもいい、悪い奴らの味方だと思われてもかまわない、というぐらいの覚悟がなければ駄目だと思うんです。しかも、これこそが悪い奴らを真に出し抜く、彼らにとって最も恐ろしい方法なんですね。「われわれ」が悪い奴らにとって「悪い奴」ではないことが実証されてしまうからです。】。

  • 9月20日 杉浦康平×アン・サンス「対談 宇宙には文字がたくさん詰まっている」〔『季刊・本とコンピュータ』2002年秋号、2002年9月、トランスアート発売 掲載〕。【アルファベットというのは、いってみれば西欧的近代性の象徴ですね。それに対して、漢字やハングルなど東アジアの文字や、アラブ文字、インド文字など非西欧的なすべての文字は、近代性という巨大な波によって周辺に押しやられていった。ここでいう「近代的」ということは、「経済的」と一脈通じています。〔…〕しかし、「近代的」「経済的」ということと、その文字文化の価値とは、まるで別の話なのです。この先、近代を解体すると同時に再構築していくために、非西欧的なタイポグラフィーやデザインに真摯な関心を向けていく必要があると思います。】と指摘するアンとの対談で杉浦は【結局、デザインをするということは、自分が手を触れて扱うものに息を吹き込み、生命を与えることだと思うんです。たとえばコピーやファックスされたものは、たいがいの人は読んで、簡単に捨ててしまう。でも、もしこの紙に人の心を捉えるデザインがされていると、すぐ捨てないで二、三日とっておこうとかファイルしようということになりますね。捨てられるはずの紙が、しばらく人間とともに生活する。つまりデザインをするということは、「生命のなかったものに生命を与えて」われわれの社会のなかに送り出すということだと思うのね。ほどよい生命を持つ生き物を産みだす……それがひとつの根本的なことだと思う。〔……〕/現実の問題として、多くのデザインがものを生かすのではなくて、自分が生きるための手段になっている。自らの生活を支えるだけのものになってしまった。しかし本当のデザインとは、数多くの主語をつないでいけるものでなければならない。〔…〕デザインは政治とはまた違った意味で、人びとを結び直し、もうひとつの人の輪をつくっていく大事な仕事だと思っています。】と述べている。

  • 9月19日 ▼JAGATのサイト09.18付に「DTPで失ったもの、ITでカバーするもの」、【DTPは習得が早いのが大きな特徴であった。ではその代償として失ったものはないのか。どうもそれは割付の訓練がなくなったことのように思える。DTP以前は制作を始めた後でのレイアウトの変更は非常に困難なので、事前に割付のスキルが必要であった。レイアウトもいろいろな方法論が考えられて、グリッドという概念もよく取り入れられていた。/今のDTPにはせっかくグリッドという機能が備わっているが、オペレータには意外と知らない人が多い。ではどのようなレイアウトをしているのか? 欧米流のDTPは何字何行で版面を決める流儀でもなかった。何が何でもグリッドが最高の方法とはいわないが、グリッドを越えることを目標にするにくらいならともかく、グリッドを知らないというのも問題だ。〔…〕】。訓練がなくなった?う〜む、DTPのせいなのか? ▼オンラインマガジン『The Incidents』に、寺澤有「最高裁“黒い”交際費(第1回) 最高裁長官の違法行為」(02.08.15)、【最高裁判所長官といえば、誰しもが高潔な人格を思い浮かべるはず。しかし、交際費の使途を見る限り、「税金でうまいものが食べたい」「他人に大盤振る舞いしてよく思われたい」という小役人なみの発想しか伝わってこない。そのうえ、山口繁最高裁長官らは本サイトの追及に対し、まったくアカウンタビリティ(説明責任)を果たそうとしないのだ。〔……〕】。野田敬生「最高裁長官山口繁、撃沈か!」(02.09.17 《公安情報 ESPIO!》Vol.159)。

  • 9月18日 「全国企業倒産集計2002年8月報」09.17up 帝国データバンク。▼板倉聖宣・重弘忠晴『ミニ授業書・靖国神社 そこに祀られている人びと』2002年7月、仮説社、ISBN4-7735-0164-2。【〔問題3〕明治維新のときの戦闘では,薩摩藩や長州藩などの「朝廷=官軍」側の軍隊と,会津藩などの「幕府」側=佐幕の軍隊の間で,激しい戦闘が行われて,両者ともに多数の戦死者がでました。/それなら,靖国神社には,その戦争のときに戦死した人はすべて祀ってあるのでしょうか。/予想/ア.朝廷側(薩摩・長州側)について戦死した人だけを祀っている。/イ.朝廷側だけでなく,幕府側(佐幕側)について戦死した人も祀っている。/「宗教的に死者をとむらう」というときには,「敵・味方の区別なく死者をとむらう」という考え方もありますが,どうでしょうか。】【〔問題8〕「明治維新の功労者」と言えば,坂本竜馬・西郷隆盛・大久保利通がとくに有名です。(1) 坂本竜馬(1835〜1867)は,明治維新の成立する寸前の慶応三年(1867)11月15日に京都で暗殺されて死にました。その坂本竜馬は靖国神社に祀られているでしょうか。/予想/ア.祀られている。/イ.祀られていない。/(2) 西郷隆盛(1827〜1877)は,明治維新後の政府部内の意見の対立のため野におりて,明治10年(1873)に「西南戦争」を起こしましたが,政府軍に負けて自殺して亡くなりました。その西郷隆盛は,靖国神社に祀られているでしょうか。/予想/ア.祀られている。/イ.祀られていない。/(3) 大久保利通(1830〜1878)は,明治維新後,政府の中心になりましたが,明治11年(1878)5月,東京で暗殺されて亡くなりました。この大久保利通は,靖国神社に祀られているでしょうか。/予想/ア.祀られている。/イ.祀られていない。/さて,どうでしょう。/あなたの予想を選んでください。】【〔問題9〕日本は明治27=1894年に清国(中国)と戦争を起こしました。日清戦争です。そこで,これらの国外戦争での犠牲者も靖国神社に祀るようになりました。じつは,この戦争のとき,日本軍の兵士で戦場でチブスや脚気などにかかって,病死した人がたくさんいました。戦場で病気にかかって死んだ兵士の数が,戦闘で亡くなった人の10倍近くにもなったのです。/それなら,それらの「戦病死者」の人びとは,靖国神社に祀られたでしょうか。/予想/ア.祀られている。/イ.祀られていない。】など「仮説実験授業の授業書」の形式によって構成された14の問題と答え。→上記3問の[答え]

  • 9月17日 ▼さざ波通信(日本共産党と現代日本政治を考えるサイト)に『さざなみ通信』第28号(02.09.15発行)、とくに「国労問題と共産党の路線転換――党中央は説明責任を果たせi. 共産党の路線転換とその意義ii. 「4党合意」受諾に共産党が果たした役割iii. いかにして路線転換にいたったのか」。【関連】がんばれ国労闘争団のサイトに08.21付で「共産党が「四党合意」問題で路線転換か ! 」(メモ:日本共産党の国鉄闘争再構築路線について、レジュメ:JR党員会議への方針提起)。▼日仏会館フランス事務所のサイトに案内「日仏会館シンポジウム「グローバル化の中のフランス政治思想」」、【10月11日(金)午後6時―8時30分「グローバリゼーションとマルクスの遺産」(フランス語・同時通訳付)/司会:増田一夫(東京大学)/講演:ダニエル・ベンサイド(パリ第8大学),エチエンヌ・バリバール(パリ第10大学)/討論:D. ベンサイド× E. バリバール(進行:増田一夫)/12日(土)午後1時―6時「共和国・多文化主義・リベラリズム」(日本語)/司会:三浦信孝(中央大学)/報告:北川忠明(山形大学),小野潮(中央大学),井上たか子(獨協大学),堀茂樹(慶應義塾大学)/総合討論:報告者全員/13日(日)午後1時―6時「グローバリズム・正義・民主主義」(日本語)/司会:増田一夫(東京大学)/報告:櫻本陽一(和光大学),三浦信孝(中央大学),松葉祥一(神戸市看護大学),西谷修(東京外国語大学)/総合討論:報告者全員/問い合わせ:財団法人日仏会館/TEL. 03-5424-1141】。

  • 9月16日 広河隆一通信のサイト(COLUMN09.14付)に「プロミス」。映画「プロミス」紹介をつうじて、なぜ「対話の試み」は崩壊したのかを問い、【〔…〕対話を求める運動は、多くの場合、強者の側からなされるということです。弱者に対して現状を認めさせる強者の動き、既成事実化の動きと連動している場合が多いのです。】と指摘する広河は続けて次のように書いている。【それ以前には何があるか。弾圧や占領や差別があるのです。殺戮もあったりします。それは対話が始まらなくては解決できない問題なのでしょうか。それ以前の問題なのではないでしょうか。対話だけでは解決できない問題があるのですが、それの多くは対話以前に解決しなければならない問題なのです。占領の解決は、パレスチナ人が解決しようとしたら、抵抗運動になります。それは対話に敵対する動きです。占領は占領している側が終わらせなければならない問題なのです。/1967年の戦争は、対話不足のために起こったのではありません。和平は対話を必要とするが、対話だけではどうにもなりません。どうしても占領が問題の発端であり、占領地からイスラエルが撤退することによってしか、和平が可能にならないということは事実なのです。/占領に反対するパレスチナ人の抵抗は、投石による抵抗運動(インティファーダ)を生み出しました。それは銃による抵抗にエスカレートしました。しかし占領は終わりませんでした。絶望したパレスチナ人は自爆攻撃を行うようになります。それは多くの場合、市民を対象としたテロになります。テロがユダヤ人に植え付けた不信と恐怖は大変なものでした。しかしイスラエルは、自分たちが「国家テロ」という形でパレスチナの人々にどれほどの恐怖と殺戮を行ったのか、見る視点をなくしてしまいました。12歳のユダヤ人少女が自爆テロで殺されるのを嘆く人が、同じ12歳のパレスチナ人少女がイスラエルの爆撃によって殺されることに対して目をつぶるということが、まかりとおっています。そして占領が根本的な問題であることを考えることもできなくなっています。〔……〕/映画を見た後、もっと対話が必要だというような答えは答えにはなりません。そしてこの「対話の挫折」の後に見える世界は、占領者、富める者が、誰の犠牲で成り立っているのか、まったく「自分の姿を鏡に映してみないで」(チョムスキー)、暴力を欲しいままにしている世界です。/かつて私たちが行った「パレスチナ人とユダヤ人の共存のためのシンポジウム」の共同宣言は、「占領者と被占領者の間に共存はあり得ない。まず占領状態を終わらせることが、共存の出発点」と述べています。/これはユダヤ人とパレスチナ人の間だけで言えることではありません。不気味な9月の今だからこそ、日本の、そしてアメリカの姿に、この問題を重ねて考えることが必要だと思えるのです。】。