9月15日 ▼「ブッシュ政権は米史上最も恐ろしい政府=ノーベル平和賞受賞の米国人が批判」09.14 AFP=時事、【【オスロ13日】地雷廃止運動で1997年度ノーベル平和賞を受賞したジョディー・ウィリアムズさん(米国=写真)は13日、地雷に関する報告書の発表に当たり記者会見し、ブッシュ政権は米国の歴史の中で最も恐ろしい政府だと断言した。ウィリアムズさんは「ブッシュ大統領はレーガンよりも、ニクソンよりも悪い。彼は世界を白か黒かで見る」と述べるとともに、米国のイラク攻撃は国際法違反であり、反対だと強調した。ウィリアムズさんは「ある国が、『これは先制攻撃だ』と言えば軍事侵略を正当化できるだろうか。それは違法だ」と指摘した。/ウィリアムズさんは、この問題で関心があることは、他の諸国がどんな反応を示すかであり、他の諸国は力を合わせて何かをすべきではないか、と訴えた。また、米政府のユニラテラリズム(単独行動主義、一方的行動主義、一国主義)を批判し、「米国はマルティラテラリズム(多国間主義)の定義を『世界のみんなが米国の見解を受け入れる』ことに変えた」と批判した。〔AFP=時事〕】。▼「矢川澄子追悼展」9月9日(月)-21日(土)11:00-19:00、日祝休、ギャラリーイヴ(小田急線経堂駅南口3分、東京都世田谷区経堂1-23-9電話03-5426-2787)。▼「垂直線と水平線の物語+α 石川九楊新作展」9月17日(火)-29日(日)11:00-18:00、24休、ギャラリー白い点(東京都千代田区神田神保町2-14朝日神保町プラザ205電話03-3237-0931)。■中田浩暁「Calligraphy on Demand:計算機によるかな書道の世界」、【ここは、東京電機大学理工学部情報科学科・知能運動システム研究室で開発された「毛筆体かな文章の生成」技術を、WEBを通じて体験していただくためのサイトです。】。
9月14日 承前、犬飼隆『文字・表記探求法(シリーズ日本語探求法 5)』、日本語史上の文字列の分節の項。【文字列に分節を施して文意を一義化しようとする試みは古代から行われていた。近年,奈良時代以前の木簡が続々と出土するが,それらは漢字を日本語の語順にそって並べたものが多く,その筆致をみると,筆に墨を付けて次に墨を付ける位置がおおよそ意味の境界と一致するし,字の並べ方や大きさも意味の単位と一致する場合が多い。また,奈良の正倉院に『正倉院仮名文書』と呼ばれる全文がほとんど万葉仮名だけで書かれた手紙が二通保存されている。そのうち「甲文書」と呼ばれるものは,万葉仮名の行末が文末に一致するように字が配置されている。ただ一ヵ所だけ文末が行中になるが,そこにはわざわざ一字分空白が置かれている。これらの現象は現代の句読法に似た効果をもたらしている。〔……〕/日本語の文に規則的な分かち書きが施された最初は室町時代のキリシタン文献である。それらはポルトガル語式のローマ字活字で出版されたから,当然ながら分かち書きになった。ただ,その方式は必ずしも統一的な方針によっていない。たとえば『天草版平家物語』は,前半部では「nani goto(何事)」のように語源的に綴る傾向があるが,後半部は「fuminaraite(踏みならいて)」のように分節式に近い。なお,キリシタン文献でも,漢字と仮名で書かれた国字本には分かち書きは行われていない。/この後,江戸時代には文雄(1700〜1763年)が『和字大観抄』で分かち書きを説いたりしているが,一般の関心にはならなかった。日本語への本格的な適用は明治以降である。明治16年創設の「かな の くわい」や同18年創設の「羅馬字会」などによる活動が行われたなかで分かち書きも導入された。「かな の くわい」が明治18年に公表した「かなのしるべ」は,句読法は個々人にまかせる方針を述べているが,掲載された実際の文章には句読点を用い,分かち書きを施し,段落ごとの改行も行われている。/現代では一般に漢字仮名交じり文が採用されているので,分かち書きは多くの人の日常の関心になっていない。名詞や用言語幹など自立語の頭に漢字をあてると語の分かち書きとほぼ同じ効果がもたらされるからである。/ある実験による調査では,同じ内容の文章を,漢字を多く使って書いたものと少なく使ったものとを比べると,漢字が少なければ句読点が多くなる傾向がある。上記の効果を裏付ける結果と言えよう。しかし,同じ実験で,分かち書きしたものとしないものとを比べると句読点の使用にかわりがなかった。これは,日頃,多くの人が分かち書きに慣れていないせいではないかと解釈されている。】。
9月13日 承前、犬飼隆『文字・表記探求法(シリーズ日本語探求法 5)』、日本語の補助符号の項。【古代の日本語の文章では句読点を用いることはなく,〔…〕さまざまな手段によって文字列に分節を施していた。中世以後,漢文の訓点を応用して日本語の意味単位の切れ目に点を打つようになったのが句読点のはじめと言える。しかし,近世から明治初期に至るまで,句点と読点を区別しなかったり,用法が人によって違っていた。江戸時代には木版による出版が盛んになり,享受層も大衆化したので多くの種類の表記記号が使われるようになったが,それらにも統一性はみられない。また,中世末期に行われたカソリックの布教活動にともなってポルトガル語式のローマ字で日本語の文章が活版印刷されたとき,補助符号も使われたが,日本語には定着しなかった。/明治維新期には,国語としての日本語の整備・教育と,その正書法の整備・教育の必要性が強く意識されるようになった。明治5年からの義務教育がはじまり,小学校の教科書が編纂されて句点と読点の統一的な使用の試みがはじめられた。民間でもそれぞれに提案が出されたが,なかでも明治18年に創立された羅馬字会が提案した「羅馬字にて日本語の書き方」は,句読点としてピリオドとコンマを用いることを含めて,今日も日本語に使われている多くの補助符号と同じものの使用を定めている。これらは,明治39(1906)年の文部大臣官房図書課『句読法案』によって用法が整理統合され,次第に普及したが,必ずしも一般に統一的な句読法が行われていたわけではなかった。使い方の違いは次第になくなったが,どの補助符号を使うかは個人により分野によりそれぞれであった。たとえば新聞各紙が文末に句点を必ず打つようになったのは昭和20年代中頃からである。現在でも,「 」で引用された文の末尾に新聞記事は句点を打たないなど,政府や文部科学省が奨励する句読法が厳密に実行されているとは言えない。】。
9月12日 犬飼隆『文字・表記探求法(シリーズ日本語探求法 5)』2002年9月、朝倉書店。【〔…〕多くの欧米の学者の間では,文字に関する研究は文献学であって言語学の対象ではないとされてきた。対象であるとしても周辺部門にすぎないという認識が一般的であった。〔……〕しかし,ここまでに多くの観点からさまざまな問題を取り上げてきたとおり,文字言語は音声言語とは違う独自の構造をもっている。〔…〕とくに,情報化時代にあって,視覚的な媒体によるコミュニケーションの重要性が,ある意味で今まで以上に大きくなる。とすれば,文字に関する研究も言語学の一部門として正当に位置付ける必要があり,そのためには術語や概念的な定義を整備しなくてはならない。】として、犬飼は音声言語における音素論 phonology、形態論 morphology、統語論 syntax に対応させて文字言語研究の諸部門として字素論、字態論、統字論と立てて整理、字素論では次のように書いている。【〔…〕「字」は個々のものを指し,「文字」はそれを言語的な体系としてとらえたものを指す。また,「字体」は標準的な字の形の観念であり知的・論理的意味を視覚的にあらわす機能をもつものを指し,これに対して「字形」は具体的に実現された字の形を指す。字体の要素に関する研究は字素論であるが,これは音韻論で言う「弁別音素 phoneme」の研究に相当する。字形の視覚的なデザインの研究は純粋音声学に相当する。そのデザインと弁別機能との関係を考えることは音韻の「示差特徴 distinctive features」の研究に相当する。英語にはそれにあたる distinctive graphological features という術語がある。/字素論のなかでも表音文字を対象として研究するとき,音韻論そのものになってしまわないように注意しなくてはならない。個々の字は音韻と対応するが,文字言語の研究としては,字体の system とその用法を対象に据えなくてはならない。個々の字と音韻との対応関係だけでなく,仮名の字体が相互に張り合って負担している機能を考察するべきである。〔…〕】。
9月11日 広河隆一通信のサイトで、10月刊行予定の2巻組写真集『写真記録 パレスチナ』プレビュー写真展が始まった。9月11日、第1回「消えた村と家族」公開。〔10.13補記:10月11日、第2回「激動の中東 35 年」を公開〕
9月10日 ▼田中宇「米イラク攻撃の謎を解く」09.09。▼「テロとの戦いを口実に、強化されていくインターネットの取締り」09.06 WIRED NEWS。▼貨幣博物館「日本銀行開業120周年記念企画展「にちぎん誕生〜日本銀行の創立と業務の開始〜」開催のお知らせ」。期間:2002年9月28日(土)〜12月15日(日) 月祝休(ただし土日と重なる場合は開館)、9:30-16:30、無料、【日本銀行は、今から120年前の1882年(明治15年)10月10日、永代橋際(現在の日本橋箱崎町)にあった旧北海道開拓使出張所の建物を本店として開業しました。/今回の企画展では、明治政府が近代化政策を進めるなかで中央銀行である日本銀行が設立された経緯や、日本銀行券発行などの業務を開始していく永代橋時代の日本銀行(明治15年〜明治20年代)を、日本銀行金融研究所アーカイブおよび貨幣博物館が所蔵する歴史的資料とともに、ご紹介します。〔…〕】。▼国立歴史民俗博物館「企画展示/中世寺院の姿とくらし 密教・禅僧・湯屋」。期間:2002年10月1日(火)〜11月24日(日) 月休、9:30-16:30、420円、【(1) 館蔵史料の中から未紹介の中世寺院文書をわかりやすく公開します。〔……〕/(2) 中世寺院史研究の成果を生活史の視点から整理して、中世寺院の果たした多様な機能と役割を総括的に展示します。/近年における中世寺院史研究はこれまでの宗教史や教学的研究から脱して中世寺院の多様な姿を社会史像として明らかにするようになりました。これまで中世仏教=鎌倉新仏教という歴史像に代わって、密教による国家法会や禅僧による外交交渉などが明らかにされ、新しい中世寺院像が描かれるようになっています。そうした新しい中世寺院の実像を中世人の宗教と生活との関係を中心に展示し、現代人の生活を考える契機としてもらいます。】。
9月9日 帝国データバンクのサイト(TDB Watching)に「特別企画:2002年のベンチャー企業倒産実態調査」(2002.08)。【ベンチャー企業倒産、過去最悪のペース〜ネットベンチャーの倒産多発、ベンチャー投資で企業規模肥大〜】と題するレポートは【1995年頃から始まった第3次ベンチャーブームも成熟期に入り、ネットバブル崩壊も過去のこととなりつつある現在、ベンチャー企業の破綻が目立っている。/95年に施行された「中小企業創造活動促進法」を皮切りに、不況打開策として政府が中小企業の創業支援に乗り出し、99年秋の「中小企業国会」を経て、ベンチャー企業を支援する施策が多く打ち出された。金融システム不安による間接金融の機能不全から、中小企業による直接金融利用の必要性も叫ばれ、「東証マザーズ」や「ナスダック・ジャパン」が創設され、ベンチャー企業の資金調達に新たな道が開かれた。/こうしたなか、インターネット関連を中心にベンチャー企業が乱立、そして消えていった。多くは未熟すぎるが故に、手形を使用できず不渡りも出さず、資金調達難から資産も零細で法的な倒産処理に頼るまでもなく、文字どおり、人知れず消え行くのみであった。/しかし、一部のベンチャー企業が年月を経て、一般企業と肩を並べるほどに成長し、ここへ来て「倒産」という形で破綻する例が増えてきた。水面下に隠れていたベンチャー業界の惨状が、ようやく目に見えるようになってきたのである。〔……〕/調査結果によると、(1)ベンチャー企業の倒産は近年増加傾向を示し、特に2002年1月〜7月は74件の高水準となった。これは、年間合計が83件で過去最多だった99年の同期(99年1月〜7月、49件)、2001年の同期(2001年1月〜7月、48件)をそれぞれ上回っており、同期の件数としては過去最悪。今年のベンチャー企業の倒産はかつてないハイペースで発生している。(2)インターネット関連ビジネスを手がける、いわゆる“ネットベンチャー”の倒産は2002年1月〜7月までで27件に達し、すでに年間合計で過去最悪を記録するとともに、ベンチャー企業全体に占める構成比も36.5%と飛躍的に増えている。(3)倒産したベンチャー企業と、倒産企業全体を比較すると、ベンチャー企業は資本金・負債額ともに大型倒産の比率が高く、(4)倒産要因では、ベンチャー企業特有の「経営計画の失敗」「放漫経営」「新商品開発の失敗」が相対的に多い。(5)ベンチャーキャピタルなどのベンチャー投資機関から出資を受けていた企業の構成比は47.3%、官公庁よりベンチャー振興策の認定を受けていた企業は24.3%で、多くの資金がベンチャー企業育成に流れ、霧散したことを表している。】と述べている。
9月8日 ペシャワール会のサイトに、中村哲「アフガン・プロジェクト報告」(08.20付、09.06up)。【飢餓に帰される難民 アフガニスタンに帰還する難民が春から急増し、6月中旬で百万人を超えた。さらに帰還は続いているが、8月に入ってややペースが落ちている。少なくともペシャワール周辺では、出稼ぎ難民が殆どで、厳冬を過ぎ、国際援助を当てにして帰った者が多かった。特に、北部の非パシュトー住民は、政府関係の雇用を期待して帰還した。/しかし、激しい旱魃が収まる気配は見られない。もともと過去数年続きの大旱魃で、職を求めてパキスタンに逃れていた者が多かったので、せっかく帰還しても故郷に帰れず、大都市、特にカブールに人口があふれている。しかも、期待した各国の支援は、日本を除くと寥々たるもので、失望感が広がっている。/悪化する治安と追い詰められる帰還難民 一方、米軍の地上軍事活動は拡大しており、アフガン東部においても散発的な爆撃があり、「アルカイダ掃討」として地元民に発砲、死傷者を出す事件が相次いでいる。米軍はパキスタンの国境地帯の自治区にも展開し、部族民と衝突、戦火は拡大していると判断してよい。現在、米兵6000名、首都カブールの国際治安維持軍が4000名で、かろうじて点と線を確保している状態である。/アフガン側内部でも党派や部族間の抗争が至る所に現れはじめ、カブールでは欧米兵士による婦女暴行事件が伝えられ、売春が噂されるなど、モラルの退廃と混乱が現実のものとなってきている。市内では、不明の爆破事件が日に日に数を増している。/だが多くの人々にとっては、今冬を如何に乗り切るかが課題である。飢餓に瀕する膨大な人口が動き始めると、収拾のつかない事態となろう。既に、現状に失望した難民たちのユーターン現象が始まっている。実際、ペシャワールに残存する難民が帰還を拒否し始め、25万人が「再難民化」したと報ぜられている。悲観的な観測が国連関係者の間でもささやかれ、「(破局への)時限爆弾が既に時を刻み始めた」とのコメントもある。〔…〕】。
9月7日 尼ヶ崎彬「身体と芸術 身体の脱秩序化と再秩序化」〔『岩波講座現代社会学第4巻 身体と間身体の社会学』1996年1月、岩波書店、所収〕。【詩的言語が文法や論理という秩序を脱して、音韻の枠組などの別の秩序原理に従うように、舞踊の身体もまた日常の身体秩序を脱して別の原理で秩序化される。〔…〕では離脱される秩序と再獲得される秩序とはいかなるものか。〔……〕/私たちが身体の動きそのものについて意識しないで動くとき、身体は既に身についた自然的秩序にはまりこむ。この秩序から離脱するためには、まず自分の身体の動きを意識しなければならない。〔……〕/では身体の動きを「意識的に」コントロールするとはどういうことか。それは動いている身体のようすを受動的に感覚することと、身体が能動的に運動することの両面に意識的であることだ。〔……〕/意識される身体の動きには内外の二面がある。〔……〕再秩序化の原理は外面にあり、それを実現する手段たる実践は内面にあるというのが普通の舞踊のあり方である。〔……〕/舞踊においては、身体の時間的分節と体勢の型という二つの外面の秩序化が同時に並行している。身体は音楽の時間的分節に合わせて型を具現するための動きを進めてゆく。しかし舞踊が成功するとき、観客にとって、二つの外面の秩序は、実は「生ける身体の自己展開」という一つの内面の秩序から生まれたもののように見えるだろう。〔…〕/舞踊の各ジャンル・流派はそれぞれの身体秩序の様式をもっており、舞踊家は訓練によってこれを身につける。〔…〕身体の再秩序化は、この自動化によって完成する。しかし、完全に自動化された身体は却って緊張感を与えないだろう。そこで舞踏家は、自動化可能な身体をもちながら、一瞬一瞬を意識的に動くように要請されることがある。たとえば日本の伝統芸能においては、完全に秩序を身につけた達人は、むしろ意図的にその型を破ることを奨励される。いくら型破りの所作をしようとも、練達の身体はその所作をより高次の秩序へと回収し、結局それは新しい型の創造となるだろう。さらに芸道を極めた名人は型に囚われぬ「遊戯三昧」の境地に至るとされ、むしろ逸脱そのものが賞翫されることがある。これは再秩序化された身体を地にして脱秩序化された身体を図に作るものと言ってもよい。観客はその一挙手一投足が予測不能でありながら、全体として格を外れていないのを感ずるだろう。このような逸脱を喜ぶ芸術観の背後には、すべてが秩序に回収されることを嫌う日本的美意識があるのかもしれない。】【〔…〕西欧の舞踊は何らかの秩序を身体に与えること、即ち再秩序化が当然の課題である。〔……〕これに対して、日本ではなぜか脱秩序化そのものに関心が高いように思われる。暗黒舞踏系の舞踊家のみならず、モダンダンス系のダンサーでさえ、しばしば意識的に身体の脱秩序化を行おうとするもようである。それはある場合には死体のように観客の咀嚼できない身体を現前させ、ある場合には身体を溶解して自然に同化しようとするダンスを生み出した。このことは、常に対象に意味を与え全体に構造を与えようとしてきた西欧に対し、意味を剥奪し構造を逸脱するところに美や真実を見出そうとしてきた日本の文化的伝統と関係があるのかもしれない〔…〕。】。
9月6日 李長波『日本語指示体系の歴史』2002年5月、京都大学学術出版会。【上代語から近世後期の江戸語までの指示表現とその史的変化の流れを考察の主な対象と】して【一般的に「コソアド言葉」といわれている指示表現のうち、特に「コ・ソ・ア(カ)」という三つの系列の指示詞と人称体系との関わりについて歴史的な観点から考察するもの】という李はその結果を次のようにまとめている。【一、古代中国語と古代日本語の人称体系においては、三人称代名詞が成立するまでは、「一人称対非一人称」の人称対立が人称体系の中心であった。〔…〕上代語と中古、中世語の和語文献における「カレ・アレ」の指示対象に二人称的なものと三人称的なものが共存していたのは、二人称と三人称とはまだ未分化のまま融合していたためであり、この時代の指示体系はまだ「一人称対非一人称」の対立をなしていたためと考えられる。この人称の対立は人称代名詞へ転用した「カレ・アレ」においても同じであった。いわゆる「遠称」は実は「非一人称」であったのである。〔…〕 /二、平安時代の訓點資料においては、「カレ」は「彼」の訓として用いられたが、物語などの和語文献においては会話文にも用いられ、性格的にはむしろ当時の和語であったと思われる。 /三、一方、中世前期や中世後期の説話集や仮名法語には、「カレ」はもっぱら三人称代名詞に用いられていた。〔……〕全体的に、古代中国語の三人称代名詞と古代日本語との関わりは、まず訓点資料において「カレ」が「彼」の訳語として用いられることに始まり、続いて僧侶の法語や仏教説話集で三人称代名詞として用いられるようになった。中世後期にはさらにキリシタン関係の翻訳物にもその用法が広がり、近世に入っては、読本や通俗物、漢文笑話の翻訳にも用いられるようになり、少しずつその使用範囲が広がっていった。このように、文体的にも内容的にも漢文の影響を強く受ける和漢混淆文またはそれに近い文体においては、「カレ」が少しずつその使用を広げていくのに平行して、和語文献では、上代以降続いていた「非一人称代名詞」に転用した「カレ」からは、ついに中世後期において「二人称」を指す用法が失われ、もっぱら「三人称代名詞」として用いられるようになった。 /四、明治時代の言文一致運動の中で「カレ」が三人称単数・男性の代名詞として用いられ、「カノジョ」が新たに生み出された。これはもちろん近代におけるヨーロッパの言語の影響によって日本語の三人称代名詞に男女の区別がもたらされたことを意味するものである。しかし、我々は、上代語以降長い間「非一人称代名詞」に転用され、とりわけ中世前期、中世後期の法語や説話集、近世においては白話小説・漢文笑話の翻案物や翻訳だけでなく、読本のような近世の小説にも三人称代名詞として盛んに用いられていた「カレ」を抜きにして、言文一致の小説における三人称単数・男性を表す代名詞「カレ」を語ることはできない。両者はやはり連続しているものと考えなければならない。】。
9月5日 承前、山田奨治『日本文化の模倣と創造 オリジナリティとは何か』。「第二部 著作権は何を守っているのか 著作権制度の光と影」では【著者が精神的な苦労をして生み出した著作物だから保護するのだというロマンチックな幻想は、「法人著作物」が認められたときに、すでに崩壊している。】とする山田は英米の著作権の歴史の再検討にもとづいて【著作権を誕生させて動かしてきたものは、メディアテクノロジーなのである。〔……〕国民国家の形成に必要だったメディアと経済システムは、同時に著作権という思想を生み出した。著作権と国民国家に共通することは、個人や国家にある種の統合された主体を想像して、メディアと経済システムそして外部と交渉すること、そしてそこから得られた利潤を回収し、個人や国家の主体をいっそう強くするという構造である。】と指摘。日本における著作権の歴史の再検討から【他国に文化を輸出して、市場化する意志を国家が持ったときに、著作権制度は国家を越える。】とする山田は【不平等条約の改正という国家力学のなかで、日本はベルヌ条約加盟により著作権を受容させられた。それは、著作権による欧米の文化進出の構図に、日本が取り込まれたことを意味した。ところが、〔……〕日清・日露の戦争を経て日本が清国での支配を広げ、韓国を併合する流れのなかで、著作権は、清国・韓国を文化的に支配する手段として日本から両国へと国境を越えた。それは、列国が不平等条約の撤廃の一条件として日本をベルヌ条約に加盟させて、日本に対する文化的な支配を強化したことと同じベクトルを持つものであった。】と指摘し、また沖縄の著作権法の一九六一年改正での【「非琉球人の著作権に付ても本法の規定を適用す」という短い条文には、多くの意味が込められている。非琉球人とはアメリカ人であり、本土の日本人である。行政府による著作権法の改正勧告の背景には、アメリカ人の無体財産を無条件で保護せよとのアメリカ政府の意向が反映されていた。〔…〕改正は、権利の一方的な保護という琉球の不利益を捨てて、支配者であるアメリカへの従属と、日本復帰への憧憬を示した切ない事件だったといえる。】、一九七二年の【〔…〕本土復帰にいたって、ようやく本土法との調和が取られた。しかし、その調和を取る過程には曲折があった。梶井基次郎や宮沢賢治の作品は、本土では保護されていたが、沖縄の著作権法ではすでに著作権が消滅していた。本土への復帰に際して、沖縄では自由利用となっていたこれらの著作物の複製を、情を知って本土において頒布する行為は、「沖縄復帰に伴う特別措置に関する法律」によって禁止された。また、沖縄法ですべて保護されていた外国人の著作物は、保護対象からはずす措置が取られた。これによって、ソビエト連邦や韓国人の著作物は、本土復帰後は沖縄で保護されないことになった。】という国家力学を指摘している。
9月4日 ▼東浩紀「情報の二つの意味」hirokiazuma.com 08.31公開(初出:『DiVA』第3号、夏目書房、2002年)。▼山田奨治『日本文化の模倣と創造 オリジナリティとは何か』角川選書341、2002年6月、角川書店。【妖怪がはやりうるのは、「妖怪はみんなが知っていて、誰のものでもない」からである。〔…〕この「パブリシティがあるコピー自由な素材」であること】を導入に【わたしたちは独創的であることを絶対善のように考えているが、その背景には近代のオリジナリティ神話がみえ隠れする。】と問いかける山田は【コピーの復権】【文化的な贈与】として【再創主義】を提起している。とくに「第一部 模倣と創造 オリジナルとは何か」では【ひとの成長の段階に着目した観点】と【模倣と創造を人類の歴史のなかでみつめなおす】という二つの観点から考察している。似たものをみつける力が人間の認識の基礎になっているというのだ。【人間が成長しながらことばを獲得していく過程のなかで、ものまねがどのような役割を持っているのか】について心理学(池上貴美子、今井むつみ)、比較行動学(正高信男)の成果を紹介、【認知科学の研究成果によると、人間はさまざまな「制約」を用いてことばの概念を学習するという。〔…〕/子どもは、はじめて聞いたことばの意味を瞬間的に推測して、とりあえずの意味をことばに与える。これを「即時マッピング」といい、それを可能にする仕組が「制約」である。ことばを学習する過程で子どもは、聞こえた音を単純にまねしているのではなく、音をまねしながら積極的に意味を探している。ことばを学習するさいに制約を用いれば、意味を探索する範囲を狭めることができる。さまざまな実験の結果、人間は語彙数が五〇語を超えて「語彙爆発」が起こるころ、年齢でいうと生後二〇ヵ月ごろから「制約」を使いはじめることがわかってきている。/〔……〕「制約」には「概念的制約」と「認知的制約」とがある。「概念的制約」とは「人間が概念についてもっている素朴な考え」を「制約」にして、素朴に考えたらありえない可能性を最初から排除することである。それでは「人間が概念についてもっている素朴な考え」とは何だろうか。すべての概念的な存在は、物理的な実在、出来事、抽象的概念に分けられる。物理的な実在は自然物と人工物に分けられ、出来事は意図的なものと非意図的なものに分けられる。世界についてのこのような原始的な分類木が、「人間が概念についてもっている素朴な考え」である。たとえば、自然物と人工物は素朴に考えたら別のものであるから、あるものが自然物ならば、おなじものが人工物である可能性を捨てることができる。こういったことが「概念的制約」である。/一方、「認知的制約」とは、知らない対象に意味を与えるときに用いられる「制約」である。〔…〕】、【〔…〕子どもがことばを獲得していくなかで、似たものとそうでないものの分類の基準が、子どもの心のなかに出来上がっていく。そして、似たものの判断の基準は、ことばとともに獲得されていくものであるから、子どもの母国語の文法構造が類似性の判断にも影響してくる。〔……〕英語文化圏に比較して日本語文化圏では、形状的な特徴よりも色彩・素材・質感・肌触りといった非形状的な特徴に着目しようとする傾向があるといえないだろうか。この傾向は、一見似ても似つかないもののあいだに類似点を発見する能力、すなわち「見立て」につながる。日本で「見立て」の文化が華開いたのは、案外、日本語が持つ文法構造のせいなのかもしれない。】。
9月3日 『図書新聞』02.09.07付に「戸籍制度の桎梏 インタビュー佐藤文明氏に聞く『戸籍って何だ』」(聞き手・米田綱路)。【総背番号やカードというのは、一部分の人が持っていても総背番号や総背番号カードではないんですね。私たちはいろんなカードを持っていますけれども、それらは皆があまねく持っているものではない。ですから提示を求めることができない。車に乗っている人に運転免許証を見せろとはいえますが、街を歩いている人に見せろとはいえないです。けれども、政府はどうも結局それがやりたいわけなんですね。〔…〕カードの導入というのは動態管理、つまり人が暮らしている生活で動いているその状態で管理していこうということに他ならない。〔…〕歩いている人を道端で止めたいわけですよ。そのときに、皆カードをあまねく持っているということが大事なんですね。〔……〕カードをあまねく持つというのは、どこでも人が止められることであり、カードを「人があまねく持っているもの」として管理をしてくることは、これまでの管理とは全然違うものになるのだという怖さを知っておくべきだと思うんですね。そのことを含めて、私たちはいまの住基ネットの恐ろしさを潰していかなければいけない。〔……〕日本で住基カードの導入が大きなテーマになってきた背景には、「朝鮮有事」に対して日本がどうするかという問題が急に浮上してきたという状況がある。つまり、日本人も外国人カードを持つ、そうすればカードを持っていない人は密入国難民であり、朝鮮から来た連中だとして強制送還、或いは隔離することが可能になる。政府はそれを早くしたいわけです。そのシステムを早く作りたいというのが彼らの本音でしょう。】と警鐘を乱打する佐藤はまた【結局、こうしたシステムが支配しているのは人間の意識であり、それが戸籍によってコントロールされていることが問題なのです。先ほど「道徳」の押しつけといいましたが、いわばこのシステムは「道徳」を人間に血肉化させてしまうわけです。だから、縛られているということを疑わないのです。〔……〕日本はいま単一住所主義をとっていますけれども、単一住所主義なんて世界の学説のなかではほとんどゼロです。〔…〕ところが管理されている人たちは、住所を求められれば「どこの住所を言えばいいんですか」と答えることなど思いもよらず、単一住所主義に疑問を持たないんです。その意味でも、役人よりもふつうの人の方がだめだといえる。もう意識からしてそうなっているんですよ。同じことが名前についても言えます。戸籍名が本当に本名だと思いこむ、どうしようもないしがらみがある。〔……〕私たちは登録のコピーを生きることを疑わない人間になってしまっている。疑問を持たず不満を持たない。そんなおかしな話はないと私は思いますが、それにほとんどの人は気づかない。】と指摘している。
9月2日 丸川哲史「「小さな」存在への関心 七〇年代に花開いた「路上」路線のリレー」〔『週刊読書人』02.09.06付「論潮」欄〕。【このような時代、私たちは、どのように正気でいられるのか、正気の自分を取り戻すためには、一度はひきこもってみることも必要なのかもしれない。矢部史郎「追悼機械とひきこもり」(『現代思想』特集「ドゥルーズの哲学」青土社、2002/8)による指摘は、興味深い。矢部によれば、いわゆる「ひきこもり」問題の本質とは、実は十分にひきこもることを許さない社会状況があるということ、ひきこもりが不可能になっていることだと言う。矢部の言うとおり、人は、ひきこもることで自分の「領土」を作り出し、その自分なりの「領土」を通じてしか他者に触れ合えないのだろう。〔……〕/ところで、矢部の提起した「領土」は、七〇年代においては、「アンダーグラウンド」とも、あるいは「反世界」とも言われていたものかもしれない。七〇年代における反体制文化の象徴であった足立正生と平岡正明による対談、「『反世界』の大道芸」(『現代思想』2002/8)を読むと、彼らが如何にかつてのテーマをしぶとく持続させていたかを確認することができる。足立正生にしても、平岡正明にしても、七〇年代の都市中心部における活動から、それぞれの「辺境」(あるいは「路上」)へと転戦を敢行したわけであるが、帰ってきた彼らが注視するのは、コンビニの前で「うんこ座り」をする若者たちの動向である。対談を最後まで読んでみると、結局、日本社会にとって一九八〇〜一九九〇年代とは何であったのかが、炙り出される感覚がある。七〇年代のサブカルチャーシーンを知らない筆者にとって、いわゆるかつての「オルグ」活動というものも、「批評」というものも、さらには「大道芸」というものにしても、言わば相手を如何にその気にさせるか(あるいはカネを出させるか)という話術であったということだ。八〇年代を通じて衰弱した文化(その代補として興隆するメディアファシズム)とは、そういったものではないか。】と書く丸川は【「9・11以後の世界」というとかなり大げさな話になってしまうが、アメリカ合衆国やイギリス、あるいはイスラエルが放つ夥しい爆弾によって踏み潰される者たちがおり、また今も世界中で、何の補償もなく売り飛ばされる者たちの列が尽きることはない。かつて、そして今も、それらは、「虫けら」や「奴隷」と呼ばれたり、あるいは「プロレタリアート」とも呼ばれる「小さな」存在たちである。二〇〇〇年代の現在の社会において、そういった言葉は、死語に近いものと受け取られているかもしれない。しかし、私たちの前の世代は、農民も含めれば、過去においてほとんどが、それら「小さな」ものであったし、また今もそうであるかもしれない。しかしそうであるにもかかわらず、私たちは、すぐ隣にいる者や世界のどこかにいる者たちが踏み潰されたり、売り飛ばされそうになることに無関心を決め込んだり、またむしろ自らは、踏み潰したり、売り飛ばしたりする側にあると考えているのかもしれない。】と指摘している。
9月1日 吉本隆明『吉本隆明が語る戦後55年(9) 天皇制と日本人』2002年8月、三交社。内田隆三のインタビューにこたえて吉本が述べている。【近代以降の、産業的には資本主義以降の、人間のヒューマニズムというか、人間性の尺度で、人間のありさまを考えることに対しては、少なくとも僕は実感では不安になってきました。人間の歴史を、人権宣言よりずっと以前に人間がもっていたものから理解していかないと、どうも不安になってきたという実感があるのです。/さしあたり無意識を発掘しなければだめだと思っています。〔…〕近代的人間とかヒューマニズムとかいう以前にあった人間性がどうなのかを確かめていく以外にないのではないでしょうか。/たとえば、家で飼っている猫がメス猫で、ノラさんのオス猫と一緒になり、それで子供が産まれると、親にとってはわかるわけです。弱い子猫と強い子猫と、母猫の乳房で吸いつくところが違います。良いところは強いやつが手でのけて、自分の場所にする。そしてある時、旦那だと思われるオス猫が窓から入って来て、一番弱い猫をくわえて連れて行って、たぶん食べてしまうのです。/ヒューマニズムの観点からいうと、それは残酷だということになるのですが、少し違うように思います。〔…〕動物性と言ってしまえば動物性なのですが、想像力では理解できないのです。動物とはすごいものだというところで了解を止めてしまう。〔……〕/〔…〕動物的無意識まで遡ってつくらなければ間尺に合わないということだったら、単に残酷だとか、動物性だとかで片付けないで、やはりきちんと言えるようにならなければならないと思います。そうでなければ嘘になります。なぜなら、人間のヒューマニズムもそれと連続性できているわけですから、それがわからなかったらおかしいということになるように思います。/そこまで行かなくても、プレ・アジア的段階では相当に残酷なことをやっています。〔…〕/それは何だとなり、残酷なことをやってもいいのかとなってくるのですが、プレ・アジア的段階と言われているアフリカや南北アメリカの先住の人たちのなかには、それは残酷なことではなくて、うんと優しいことだという人もいるわけです。残酷の裏側に何があるかを確かめなければいけない。無意識を探ると言いますか、意識化すると言いますか、無意識を作らなければいけないという課題があるならば、プレ・アジア的なところまで課題に乗せて考えないとだめだと思います。人権宣言以降の近代主義でもって、これは残酷だ、これはだめだと言うと間違えるのではないでしょうか。そういう問題は、いまでも提起されているような気がします。】。
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