読書録 2002年8月前半(敬称略)

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  • 8月15日 『琉球新報』08.14付に「知事選、「5党共闘」から共産離脱」、【11月の知事選に統一候補者の擁立を目指す社民党県連、社大党、共産党県委、民主党県連、自由連合沖縄の野党5党は13日夕、那覇市の八汐荘で代表者会議を開き、前参院議員の照屋寛徳氏(57)の擁立について協議した。共産が、ほかの4党が推す照屋氏に難色を示し、「5党共闘」から離脱することが決まった。共産以外の4党は、14日にも照屋氏に出馬要請する。〔…〕/【解説】〔…〕共産とほかの4党の決裂は、人選の基準で「無党派」の定義が双方で異なり、共産が照屋氏擁立に合意しなかったことが決定的になった。前回5日の会議以降、社大が共産に対し、照屋氏とほぼ同時に山内徳信氏に出馬を要請する妥協案を提案、共産も5党の枠組みを重視し、これを検討する方向だったが、組織内の議論を重ねた結果「妥協できない」との結論に至った。〔…〕】。『沖縄タイムス』08.14付に「5野党、知事選共闘解消」、【〔…〕一九六八年の主席公選以来、三十四年続いた主席・知事選挙での革新共闘の灯が消えることが決定的になった。二〇〇一年の参院選でも、社民党と共産党が候補者の一本化ができず、革新共闘が実現できなかった。〔…〕一九六八年の主席公選から始まり、沖縄の政治の枠組みの中で重要な役割を果たしてきた「革新共闘」の灯が十三日、ついに知事選でも途絶えた。新たな枠組みとして、保守層の一角である民主党や自由連合を加え、幅広い勢力の結集を目指した試みは、共産党の離脱という全く別の結果を導き出してしまった。〔…〕/調整役を続けてきた社大党の新垣重雄書記長の心中は複雑だ。「何とか五党の枠組みを残したかったが、非常に残念だ」としぼりだすような声でつぶやいた。共産党退席後の協議では、枠組みを残そうと言う社大党の訴えに、三党が頑として応じなかった。〔…〕/【解説】知事選で、従来の「革新共闘」では盤石の現職陣営に対抗できないとの判断からスタートした野党五党共闘は、県民不在のまま各政党の思惑や主導権争いから、成果を出せないまま、とん挫した。基地問題や失業問題など、沖縄が抱えるさまざまな課題をどう解決するか。現県政への異議申し立てを抱く県民の選択肢の一つを奪いかねない今回の共闘解消。五党の責任は等しく重いと言わざるを得ない。/解消の直接の原因は、四党が推す前参院議員の照屋寛徳氏の過去の選挙に対し、共産党が「わだかまり」を解くことができなかった点にある。/一方の四党も時間をかけ、誠意を持って共産党を説得する意思が本当にあったのか。むしろ、共産党というハードルを除くことで、人選を速やかに進めたいという深意があったのではないか。/各回の会議は、ほぼ二時間。夜を徹してでも互いの意見をすり合わせ、徹底的に議論しようと試みてもよかったはずだが、それはなかった。〔…〕】。〔08.20補記:沖縄社会大衆党「第3回中央執行委員会」02.08.17〕

  • 8月14日 岡野八代『法の政治学』2002年7月、青土社。【〔…〕従軍〈慰安婦〉問題を巡っても、「現在の価値基準によって過去を裁くな」といった議論がある。しかし、そこでもなお前提とされているのは、やはりわたしたちは現在においてようやく、「当時の従軍〈慰安婦〉制度は、採用されるべき制度ではなかった」と判断することが可能となった、ということである。こうした事実からわたしたちは、わたしたちの認識上の限界と、限界が存在するゆえにわたしたちに与えられる可能性を学ぶことができるのだ。/従軍〈慰安婦〉制度を現在批判するのは、後知恵以外のなにものでもない。しかし、後知恵が――同語反復をおそれずにいうならば――つねに遅れてやってくることは、現在わたしたちに見えているもの cansee 、あるいは、わたしたちに現われているもの be present to us が、決して見えているはずの/見えてしかるべきもの should be seen 、あるいは、わたしたちに現れているはずのものと同じではない、という限界をわたしたちに知らせてくれている。しかし、それは、限界であると同時に、わたしたちがいかに「普遍的」で「絶対的」な認識を得たと考えていても、なお、つねに現在においては現れていないものが存在すること、つまり未来がつねに現在の可能性として存在していることを告げてもいるのだ。すなわち、当時は犯罪であるどころか、大日本帝国軍の規律・士気の高揚のためには必要であり、〈慰安所〉設置が一種の英雄的行為であるとさえ考えられていた従軍〈慰安婦〉制度は、人権侵害であると認識されなかった「当時」における未来 the not to come yet として、人権侵害とは何なのかを問い直すために、わたしたちに回帰してきたのだ。つまり、わたしたちの認識の限界に他ならない後知恵とは、つねにわたしたちが未来 future/ the not to come yet への可能性の中で生きている確証でもある。その意味で、後知恵をいっさい認めようとしないことは、わたしたちを、「現在」に閉じこめ、過去と未来とのあいだの往来の中で生きる中でこそ拓かれてくる未来への可能性を根絶してしまうことに他ならないのだ、。/以上のことから、政治的正義が持つ時間的な可能性とはつぎのことである。政治的正義は、過去において現れていなかったもの、正義の領分ではないと考えられていなかったものを、現れていてしかるべきだったもの、正義の領分であるべきだったものと想像し直すことによって、そうした過去においてわたしたちが見過ごしてきたさまざまな事象を、〈あるべき〉/〈来るべき=未来の〉わたしたちの関係性のあり方へとつなげようとすると。】。

  • 8月13日 鷲田清一『時代のきしみ 〈わたし〉と国家のあいだ』2002年5月、TBSブリタニカ。【近代社会において私的所有の権利は個人の自由と社会の正義の基盤をなすものとして設定された。がしかし、自己の財産を他者によってみだりに侵害されないというこの権限が、だからこそそれを意のままにしてよいのだという権限へとスライドされるとき、所有の観念は本来それがなじまないような存在領域にまで及んでゆくことになる。所有主義の浸透である。〔……〕細部にまで〈所有〉の関係が浸透してゆく。ひとびとの〈存在〉が〈所有〉関係という次元に置き換えられることによって、他者、そして物のみならず、なによりもそれを所有しようとするじぶん自身が、意のままにできない存在なのだという事実が、わたしたちの意識から蒸発してゆく。/こうして所有主義の浸透は、主体がじぶんの存在を、「意のままにできるもの」としてみずからの内部に封鎖する。他者が「欠けている」(deprived, privative)閉鎖空間、つまりわたしの内部としての private な空間の形成である。そういう空間、だれもみだりに足を踏み入れることのできない空間を、他者たちのあいだにこじ開けることが、「わたし」という個人的主体にとっての安全であり、充実であると考えられたのであった。こうして私的な場所が公的なものの対極に設定される。消費社会は、まさにこの空虚な空間を「わたしのもの」で埋めるよう私的欲望を煽る。その果てに現われたのが、「ほしいものが、ほしいわ。」という先のコピーだった。〔……〕/イメージとして消費される国際的な政治的事件と、プライヴェイトな次元でシミュレートされるコミュニケーション世界……。こうしたイメージ・ゲームのなかに世界が吸収されてゆく。逆の言い方をすれば、「中間的距離」にある現実にパブリックなことがらへの想像力が枯渇してゆくということだろう。/しかし、私的なものははたしてそのような内閉した空間で生成するものだったのだろうか。わたしというトポスは、内部へと閉鎖されることで画定されるようなものだったのだろうか。〔……〕相互に現前しえないもの、接触しえないものとして同型的に構成されるというパラドックスにおける以外に、わたしが生成する場所はないのではなかったか。】。

    8月7−12日、通信環境不具合のため更新を休止いたしました、すみません。


  • 8月6日 「黒 La Nigreco」のサイト(News)に、パレスティナ国際連帯運動=International Solidarity Movementからの報告として「イスラエル軍 ナブルスで集団的懲罰を実行」(08.05)。〔08.13追記:日本ビジュアル・ジャーナリスト協会声明文「ジェニンで虐殺はあった」2002.08.10〕

  • 8月5日 宮田光雄『ナチ・ドイツと言語 ヒトラー演説から民衆の悪夢まで』2002年7月、岩波新書。【政治の世界では、言葉という武器が大きな働きをする。】としてナチ・ドイツの言語に光をあてる宮田はまた、【ナチズム治下の民衆のあいだで囁かれたジョークという《地下の言語》】をも検証し、ジョークを紹介している。戦時下には食糧不足も深刻になっていく。【一人の紳士がレストランで次々にさまざまの料理や飲み物、タバコを注文したが、そのたびに、もうありませんと返答された。彼は怒って叫んだ。「どれもこれもあの一人の男のせいだ!」。そのとき傍らのテーブルにいた二人の人物がゲシュタポの身分を示した上で、この紳士を逮捕した。訊問調書をつくられた際に、彼は、自分の発言をすべて認めた。「あの男のせいとは誰のことか」と聞かれたとき、彼は「むろん、チャーチルのことです」と言った。めんくらっているゲシュタポに向かって、こうつけ加えた。「いったい、あなた方は誰のことだと考えていたのですか」。】。

  • 8月4日 宮川淳『紙片と眼差とのあいだに』2002年8月、水声社。【一般に新しいメディアがあらわれるとき、それは、当然、これまでの既知のコンテクストないし概念の中で受けとられるのをつねとする。そのとき、その真のアクチュアリティはとりにがさざるをえないだろう。しかし、じつをいえば、新しいメディアのアクチュアリティとはつねに従来のコンテクスト、既知の概念をこそおびやかすところにあるのだとしたら?/複製メディアもまたその例外ではなかった。《複製》という概念はそのようなアクチュアリティを捉え直すにはすでにあまりにも形而上学的な意味を荷わされすぎている。複製メディアと呼ばれるとき、それはつねにオリジナルか複製か、手か機械かというコンテクストで、そしてその中でのみ論じられざるをえないのだ。しかし、そのかぎりにおいて、それはつねに否定的なものでしかありえないだろう。なぜなら、そこではア・プリオリにオリジナルが、あるいは手が優先させられているからである。/複製メディアはつねに《技術》として位置づけられ、しかも技術とは、ここでは、あくまでも先在的な超越的なシニフィエに対して外的な、あるいは二次的なシニフィアンとして位置づけられている。〔……〕しかし、複製メディアは便利な、しかし危険な代用物、技術的な安易さ、それゆえに悪しきものなのではない。それは従来の既知の機能の肩代りをしたのではなく、これまで未知の機能、《引用》のそれを出現させたのだ。複製メディアを引用メディアとして捉え直すこと。/複製メディアによって《創造》という概念がおびやかされたとすれば、それは機械が手に代ること(倒錯)によってではなく、シニフィアンに対して超越的に先在するシニフィエの空位が明かされることによってである。《オリジナル》という概念がおびやかされたとすれば、それはイメージがオリジナルにとって代ること(倒錯)によってではなく、オリジナルの失踪によってである。そして、それはこのメディアの機能がまさしく引用であったからではないだろうか。】。

  • 8月3日 『毎日新聞』青森版02.07.26付から02.08.01付まで連載「[こころを閉じ込めないで]『病者』たちが問う社会」(全6回、第3回をのぞいて Yahoo! ニュースに転載)、【「精神障害者」と呼ばれる人々がいる。その人々が重大な事件を起こしたら無期限で病院に収容するという「心神喪失者医療観察法案」が今、国会で審議中だ。一般には論議が高まっておらず、今秋には成立するかもしれない。「危ない人を病院に入れるのは当然」と思う人も少なくないだろう。だが、あなたはその人々と会ったことがあるだろうか。地域の中で生きようと模索する姿を見たことがあるだろうか。考えてほしい。だれかを閉じ込めることで守られる、私たちの社会こそが問われているということを――。【鈴木英生】/〔…〕】。「1 共同作業所」07.26付、「2 強制入院」07.27付、「4 受け入れの場」07.30付、「5 仲間」07.31付、「6止 信頼感」08.01付。

  • 8月2日 「黒 La Nigreco」のサイト(News)に連日、パレスティナ国際連帯運動=International Solidarity Movementからの速報! 「清末愛砂さんからのメール(翻訳)」(07.30)、「ISM活動家たち、道路閉鎖を妨げたという理由でイスラエル軍に逮捕」(07.30)、「インティファーダの国際化――報告と警報の更新情報」(07.31)。

  • 8月1日 『週刊読書人』第2449号02.08.09付に酒井直樹「思想史を書きかえる 酒井直樹著『過去の声』の刊行を機に」〔02.06.07青山ブックセンターにおける講演〕。【〔…〕国学という学問が一八世紀になって出てきた時には、表音性の限りで考えられた仮名へ還元する作業と同時に、そのようなイデオロギーによって読解したり、了解したり、感受できるような人間を訓練するための様々な仕組みが論じられたわけです。/指示対象と表現媒体との間の相互的な関係が組み直されると、一八世紀の文献の中に新たに「話し言葉」という指示対象が生まれてきます。それまでの言説空間には、直接話法と間接話法を明晰に区別する装置はなかったと思います。〔…〕/一八世紀になるまで、私の知っている限り、引用符にあたるものはありません。ところが一八世紀に入ると、表現媒体が新たに分節化され、間接的な話法と直接的な話法という区別が導入されてきます。〔…〕/こうして、一八世紀の言説空間には、「話し言葉」が思想的な課題として登場します。そうした現象は、一八世紀以前の言説の中には発見できません。しかも「話し言葉」が、当時の儒学や国学のあり方を大幅に変えていく。翻訳という考え方が初めて出てくるのは、話し言葉との関係においてです。というのは、間接的な語り方で様々な情報を処理している時には、引用する際には全部書き替えて引用するわけです。そのような形で儒学の古典を読んでいる限り、儒学の古典がどのように話されたか、どのように語られてきたかという問題は起こってきません。ところが逆に、「話し言葉」という指示対象を設定する装置が出来上がってきた時には、古代の中国の人たちが、古代の日本の人たちがどのように話していたかという問いそのものが可能になってくるわけです。/〔…〕母語の可能性は、先ほど言いましたように、表現媒体がどのようにイデオロギー的に再編成されるかということに関わっています。/このようにして、身体動作、声、書かれた文字といった様々なメディアが環境を作り出し、それが様々なイデオロギーとの交流の中で一定の実践系を組み替えていくという問題として、思想の問題をあらためて考えることができるようになりました。こうした考察をもとにして、私は『過去の声』で日本語が生まれるということはどういう事態であるのかを考えようとしたのです。】。