読書録 2002年7月前半(敬称略)

Jump to [読書録(前月)] [トップページに戻る]
[特集] [盗聴法問題] [安田弁護士問題] [石原1] [石原2] [石原3] [石原4] [反戦日録] [備えあれば戦争]
* 過去の読書録の検索への手がかりは[読書録人名索引] [読書録月別索引]へ。

  • 7月15日 「黒 La nigreco」のサイト(News)に「「パレスティナ人の西瓜」対「イスラエルの戦車」――ジェニンにて」(02.07.14)。【イスラエルへの抵抗において、ひどく深刻な基準が、ジェニンの人々の心に忍びよっている。彼らは、こういっている。「24時間の外出禁止令――絶えず家と店を破壊され、発砲に従わされる――私たちは、こんな生活をこれ以上続けることなどできない」。多数の人びと――年寄りから若者まで、女たちから子どもまで――が、通りへぞろぞろと出ていき、戦車に西瓜とトマトを投げつけていた。1人の少年は、戦車の上にのり、西瓜をうまく銃身に詰め込んでいた。自由に生きたいという希望が、死への恐怖に勝るものではなくなった。彼らはいま手元にあるもので、抵抗しているのだ。/〔……〕兵士たちは、ダイナマイトで気まぐれに家々を吹き飛ばす。人々の恐怖をつのらせ、広げることで、パレスティナ人たちに強要しようというのだ。どこかほかの避難所を捜せよ、と。あらゆる世代の人びとが、絶えず逮捕され、拘留され、殴打され、目隠しをされて、さらに手錠をかけられる。〔……〕/ジェニンとジェニン難民キャンプの文化的、状況的な感受性をもつようになったISM活動家の存在は、「ウエストバンクの最も残虐な兵士たち」――ジェニンの人々を殴打し、殺害し、負傷させ、逮捕し続ける――彼らの勢いを削ぐことに成功している。彼らのターゲット――子ども――の間に絶えず立つ1、2人の活動家のために、イスラエル兵は、彼らの弾薬を実弾からゴムで鋼をくるんだもの(100m半径未満では致死能力をもつ)に変えた。しかし、戦車とAPCは、実弾だけを打ち続けている。私たちは、都市やキャンプで、兵士や戦車に付いて行く存在となり、可能などこででも介入を試みようとしている。〔……〕/イスラエル軍が課す生活の状況を、彼らはもはや耐えていくことができない。それゆえ、ジェニンとジェニン難民キャンプの人々のなかに抵抗の意志が成長し続けていく。軍事作戦「決断された道」は、コミュニティ、家々、そして家族の破壊を通して、パレスティナ人の子供の心の中に、憎悪と絶望の種を植えている。アルアクサ・インティファーダの第一段階は終わっているかもしれないが、その次の段階が、すでに生まれている。】。

  • 7月14日 孫歌(訳:丸川哲史・坂井洋史・溝口由己・王智新・溝口雄三)『アジアを語ることのジレンマ』2002年6月、岩波書店。【彼〔竹内好〕は、日本人は近代以来、優等生の原則を奉じて、いかにして世界の列強に追いつくか、ということだけに関心を寄せ、そのために不断に転向し自己を見失った、と批判した。一方、魯迅に代表される「崢扎」の精神は、中国的近代に特有な気質を象徴しているもので、それは自己を捨てて簡単に強者に同化することはせず、また内部の衝突のために、迅速には進路を調整することができない、ということになる。竹内好は、「賢者と馬鹿と奴隷」をこの差異を象徴するものとして読みとった。もし賢者と馬鹿を対立させてヒューマニズムの類型として抽象化したなら、むしろその対立は、ありきたりなものとなる。日本のヒューマニズム作家は、自分を馬鹿になぞらえ、最後に奴隷を救うだろう。ただ魯迅は、寓話において、賢者と馬鹿との間の価値観上の対立を描かなかった。彼が人々に伝えたのは、馬鹿は最後まで奴隷を救えなかったということである。魯迅が提示したのは、奴隷の見る夢が所詮虚構であり、また夢から覚めた後も行くべき道がないというジレンマであり、そしてこのようなジレンマを自己の世界として内在させることであった。竹内好は、明治維新は成功し、辛亥革命は「失敗」した、と言った。後者が失敗したのは、それがまさに革命であったからで、内部の激烈な「崢扎」の結果でもあったということである。また前者では、日本の上層指導者の「優秀さ」から、彼らは明治維新を失敗と見る見方を徹底して打ち破り、あるいはそれを利用して、日本の歴史に無抵抗の道を歩ませ、その結果「日本の文化は、外へ向かっていつも新しいものを待つ」ということになったということである。魯迅によって竹内好は、日本的ヒューマニズムが歓呼するところに堕落を見、また魯迅が表現した「自己であることを拒否し、同時に自己以外のものであることをも拒否」する状態こそ、東洋文化が転換期に際して、自己を保存する最も真実なありようであると自覚した。だから竹内好は、日本的なヒューマニズムは、自己否定を内在させておらず、だからこそ、晴れやかにまた抽象的に「馬鹿」に「奴隷」を救わせることができるのだ、と指摘した。竹内好は、ここにおいて悲痛を込めて、日本文化は何者でもない、と言ったのである。】。

  • 7月13日 状況20〜21のページに、太田昌国「戦争行為をめぐるゴリラと人間の間/今年前半の考古学的発見報道などを読む」(02.07.12)。高知県土佐市で出土した2500年前の人骨に「国内最古の集団同士の戦闘行為の痕跡」が見つかったこと、フランス南西部で見つかった3万6000年前のネアンデルタール人の頭蓋骨の化石に仲間から武器で襲われたと見られる傷跡があること、という今年前半のふたつの考古学上の発見にふれて太田は書いている。【いずれも、戦争の起源をめぐって、従来の「定説」に異論を提起するものとなる。異説もあったにせよ、前者は「集団間の戦争は、農業が始まった弥生時代に起源をもつ」という定説へ問題提起を行ない、戦争の起源を遡らせるものとなる。/後者は、最古の集団的暴力の痕跡を、1万4000年〜1万6000年前のアフリカ・ヌビア地方、ナイル川上流のジェベル・サバハ墓地で見つかった58体中24体の人骨の殺傷痕および凶器としての石器に認めてきた定説に対して異説を唱え、戦争の起源は一気に2万年ちかく遡ることになる。/人類がチンパンジーから分かれて以降の進化史を500万〜600万年前後のものとして捉えると、戦争を是とし/あるいは避けがたいものとして暮らしてきたのは、(仮に今回の新説が認められるとしても)たかだか最近の数万年か数千年のことでしかない。〔……〕/だが、戦争に明け暮れた20世紀の歴史を見届けた人びとは、「戦争は人間の本能の所産なのだ」と、無理にでも信じたがっているように思える。/それは、ついに戦争をなくすことができないでいる人間に対する諦めに似たニヒリズムの表現でもありうるし、またきわめて安易な「戦争不可避論→軍備必要論」へと直結もする。それだけに、戦争それ自体を根源的に批判するために、戦争の時代的起源とその理由についてはもっと大きな関心がはらわれてよいと考える者には、上の考古学上の「発見」と新説は、揺るがせにできない問題を孕んでいる。/〔……〕「戦争の歴史は 600万年の人類史のなかではごく新しい出来事であること、つまりヒトの歴史を 6メートルとすると、戦争の歴史は 1センチ強にすぎないこと」を人間が生きていくうえでの基本的知識にしたいと願う考古学者、佐原真(「しんぶん赤旗」3月2日)は、新説を鵜呑みにせず慎重な検討が必要だと主張する。/佐原は、霊長類学、民俗学、生物学、自然人類学、考古学、歴史学などの学際的な研究グループの代表として『人類にとって戦いとは』と題する意欲的な三部作(東洋書林、1999〜2000年)をまとめたが、私たちも専門家に一任しないで、人類と戦争の歴史に関する視点を定めていきたいものだ。/これらの記事に大いなる関心をいだいたのは、ほかでもない、同時代の事柄として進行する日本と世界の、戦争をめぐる政治的最高責任者の言動の軽薄さに、いたたまれぬものを感じ、奥行のある歴史的眺望の下に「人類と戦争」の問題をおきたかったからだ。〔…〕】。

  • 7月12日 ▼東京大学社会情報研究所 文化研究プログラム 2002年度 日韓連続国際シンポジウム「カルチュラル・スタディーズの新しい地平-グローバルの中の戦争とメディア-」。主催: 東京大学社会情報研究所、ICA(International Communication Association)日韓Pre Conference実行委員会、とき: 2002年7月11日(木)〜12日(金)、ところ: 学士会分館6・8号室(東京大学本郷キャンパス、赤門横)、助成: 国際交流基金アジアセンター、文部科学省研究協力部国際交流課。【〔…〕他方、目を社会状勢に転じるならば、私たちは現在、別の意味で数年前には予想もできなかった歴史的状況に直面しつつあります。2001年9月11日の出来事に端を発し、ブッシュ政権によるアフガン報復攻撃とその後の世界状勢の変化、国内におけるさまざまなネオ・ナショナリズムの動きなど、状況は一段と厳しさを増していますが、そうしたなかでとりわけグローバル化とナショナリズム、戦争、メディア、ポストコロニアルな知の生産といったいくつかのテーマが急速に浮上してきています。/こうした状況に、今日のCultural Studiesはいかに対していくことができるのでしょうか。Cultural Studiesはこれまで、文化とアイデンティティ、メディア、オーディエンスといった問題を、日常生活のなかの権力やヘゲモニーへの問いと結びつけながら具体的に探究してきました。1990年代を通じ、それは社会学と文学研究、映画研究、マス・コミュニケーション研究、人類学、地理学、歴史学を越境する知として、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどから香港、シンガポール、韓国、日本まで、急速にその裾野を広げてきました。そのような今日のCultural Studiesにとって、グローバル化と戦争、メディア、新しい知の生産をめぐる状況は新たな問いを投げかけています。〔…〕】。▼第3種・第4種郵便継続を求める運動「名古屋市議会「第三種・第四種存続を求める」意見書採択」、【第三種・第四種郵便存続問題での地方自治体での意見書採択は初めてで注目】。

  • 7月11日 辺見庸「反時代のパンセ 連載第46回 抵抗」〔『サンデー毎日』02.07.21号所収〕が、横浜市議会が日の丸掲揚に抗議した市議2人を除名処分にした事件(02.06.25)について書いている。【〔…〕期待される模範解答は、「もとより二人の行為が穏当だとはいえない。〔…〕意見表明の場がなかったからといって、こうした行為が許されるはずはない。懲罰の対象にされるのもやむをえまい。しかし、いきなり除名とは何とも乱暴である」(『朝日新聞』社説)あたりか。例によって、みずからは毫も傷つかない絶対安全圏からのご託宣である。沈香も焚かず屁もひらず。けれども、極私的見解によるならば、これはかぎりなく屁に近い理屈である。だって、いつもながらひどく臭いもの。第一、社説は風景の中心を「処分問題」にすりかえてしまっている。処分が軽ければよろしい、とでもいうように。風景の中心には、しかし、あくまでもあの旗があるのだ。かりに百人のうち八十人が日の丸掲揚に賛成したからといって、残り二十人まで日の丸に恭順の意を表さなければならないいわれはない。百人のうち九十九人が君が代斉唱に賛成したからといって、反対する残り一人がともにうたうことを強いられるいわれもない。なぜか。旗の問題も歌のそれも、すぐれて大事な人間の内心の自由の領域に属するからである。それを侵すのは、一見民主的な手つづきをへたにせよ、暴力とすこしも変わらない。/なにも議長席に座りこむことはないじゃないか、六時間もがんばるとはやりすぎだ、という議論は彼女たちを心情的に支持する側にもあるし、井上さん、与那原さんともに、それが最善の選択肢だったなどといってはいない。こうした身体的抵抗の程度の問題もまた、処分の軽重のみを論じるのと同様に、事態の本質を解析することにはつながらないだろう。どだい、ほどよい抵抗、歩どまりのいい表現など、どこの世界にもありはしないのだから。この国にはいま、多数意見による少数意見の切りすてが民主主義だとするまことに野蛮かつ原始的な思いこみが、国会から教育現場まで遍在している。〔……〕こうした時代にあっては、多数者を怖れて沈黙し服従することが、少数者としてどこまでも抵抗することより、何万倍ものひどい害悪を後代にもたらす。】。

  • 7月10日 高木豊『増補改訂日蓮 その行動と思想』2002年7月、太田出版。【一三世紀において、識字能力を所有していた日本人は、二つの文章様式を持っていました。いうまでもなく、漢文と和文のそれです。〔…〕日蓮は漢文という文章様式を選択して、『立正安国論』を書きました。理由は、それがなによりも先ず、権力者北条時頼に提出する事を目的とした「勘文」であったから】としたうえでも【『立正安国論』の災害記述部分を『開目抄』のような和文体で読みたかったというのが、老生の見果てぬ夢】として『立正安国論』を冒頭から読み進める高木は【この部分における鎌倉住民の文字通りの生態が、死者・病人・飢餓者・乞客=乞食=流民で、かれらが充満していたのが、この時の都市鎌倉であった事になり、その状態を克服出来ぬ存在として、諸宗や諸信仰、呪術的祈請などがあげられています。それは、危機に対応する宗教の状況を示していて、見様によれば、宗教に収斂されない諸信仰や、諸宗派のなかから抽出された特効的な修法なども挙げられているのも、この時ばかりでなく、災害興起の時期に浮上する宗教的営為として記憶しておいてよい事でしょう。この意味でも、日蓮は、災害時の鎌倉の目撃者、かつその証言者であったといえるのです。病人・飢餓者の多くは死んでいったでしょうし、飢餓者は当然乞食化し流民になっていきましょう。死者・流民ともに、都市鎌倉の周縁部に集まったでしょう。その周縁部の一つ名越に、日蓮が住んでいた】と指摘し【ひとは、いうでしょう。改信による仏国土の出現ということは、観念や信仰の世界におけることで、現実の世界はなお苦悩に満ちた忍土=娑婆世界であり、なんらの変革ももたらしはしないのだと。〔……〕権力者による社会全体の改信がなければ、現実の世界の中に仏国土を文字通り建設していかなければなりません。ということは、武力行使を伴う権力闘争により、仏国土としての具体的空間を占有していくことです。これを達成したのが、中世末期の法華一揆でした。一揆は曲がりなりにも、仏国土としての自治領を樹立しました。〔…〕短期間で京畿の地域でしか実現しなかったにせよ、現実社会における宗教的世界=仏国土が樹立されたのが、日蓮から遥かに歳月の経った中世末期であったのは、この時期の王権の脆弱さとそれがもたらした権力のアナーキーな状況があったからだと想うのです。】と書いている。

  • 7月9日 ▼佐藤弘夫『偽書の精神史』2002年6月、講談社選書メチエ。【偽書成立のメカニズムを、同時代の思潮とコスモロジーの中で詳細に検討することを通じて、「質」的レベルにおいて日本中世の偽書の独自性を明らかにし〔…〕〈偽書〉を切り口として、それを生み出した中世人の思考方法とその精神世界の奥底にまで光を当ててみたい】という佐藤は次のように書いている。【中世は特権的な宗教者だけでなく、あらゆる人々が神仏の世界と直接の回路をもちうると考えられていた時代だった。〔……〕/中世以前の場合は〔…〕彼らが新たな信仰の可能性を探るとき、文字化された典籍を手がかりとして、師の手ほどきを受けながらそれを読み解いていくという方法をとった。〔…〕/しかし、平安時代の半ばから状況は一変した。仏教は広く衆庶の間に定着し、彼らの世界観や価値観を規定するようになった。末法辺土の意識が定着し、限られた知識人や貴族層だけでなく、民衆の間に救いを求める声が急速に高まった。大陸から新たな教学を移入することだけに汲々とし、その整合的解釈に専念してきた伝統的な官寺の仏教は、こうした大衆の実存的レベルでの救済を求める声に応えることはできなかった。/そうした状況に直面して、時代の要望を真剣に受け止めた仏教者の間に、仏教を学問ではなく信仰として見直そうという気運が高まった。〔…〕仏教の原点に立ち返ろうとした仏教者たちは、長年にわたって築き上げられてきた膨大な教学体系を一気に飛び越えて、ストレートに仏の真意に迫るべく、垂迹の神仏の声に耳を傾けた。古代の仏教者が信仰の探究の歩を進めるとき、テキストを手がかりとして、中国・インドへと水平方向に教学の源流へと遡っていったのに対し、彼らは垂直方向に時空を超えて、直接仏の世界との回路を開こうとしたのである。】。▼厚生労働省大臣官房統計情報部「平成13年産業労働事情調査(経済のグローバル化に伴う企業活動と労働面の対応に関する調査)の概況」(平成14年7月8日発表)、厚生労働省「「平成14年版労働経済の分析」<要約> 最近の雇用・失業の動向とその背景」(平成14年7月)。

  • 7月8日 ▼『文學界』2002年8月号に、金石範「嘘は如何にして大きくなるか」。▼『日本経済新聞』02.07.07付に坂東眞砂子「「楽園」の失業」。【人々は川海老を捕り、渓流沿いに植えたタロ芋や、ココナッツやパンの実を採って食べ、コーヒーまで飲んでいた〔…〕近代文明が達する以前のタヒチの島のことを夢想した。〔……〕自然の中での暮らしは、さまざまな種類の労働がある。〔……〕大家族の構成員には、必ず何かしら役割があった。/それが今、タヒチ島は、仕事のない若者たちで溢れている。ポリネシア語には「働く」という言葉はなかったという。資本主義の流入と共に仕事の概念が入りこみ、金銭獲得の座を得られない者たちに失業者というレッテルが貼られるようになった。/〔……〕仕事のない多くの若者たちは、海辺で日がな一日サーフィンをして過ごしている。/日本もまたポリネシアのように、家族の誰にでも、村の誰にでも、役割があった社会だった。〔……〕/日本人にとって、社会の構成員はすべて家族の一員である。/日本は、資本主義のもたらした「ビジネス」に対しても、共同体意識で臨んできた。】という坂東は【〔…〕失業者は、共同体意識の中では存在してはならない事象だ。日本人は巧妙に、この問題を避けてきた。失業者は社会の恥、家の恥、として、家族が匿い、扶養してきたのだ。/個人主義、競争意識の上に成立している欧米社会は、これとは基を異にする。失業は個人の問題。社会は失業者を「怠け者」とか「生活不能者」とかみなす。そうみなされることによって、欧米の失業者は、個人として、社会の一端に位置することができる。しかし、日本の失業者は幽霊のような存在だ。いるけど、いてはならない。見えるけど、見えない存在だった。だが、経済不況に見舞われた現在、この幽霊が実体化してきた。〔……〕現代日本は、社会とビジネスとの対立という根本的問題を突きつけられている。この対立は、日本にとって死に至る病である。日本社会の中にも、日本人の精神性の内にも、この問題に対する処方箋はないからだ。そして失業者問題は、この病を日本という肉体に急激に広がらせる原動力となるだろう。】と指摘し、【タヒチ島では空き巣が横行している。〔…〕失業状態の若者たちの不満は、サーフィンでは解消できなくなって〔…〕金を求めての犯罪が横行する。/家も食物も、金がないと手に入らない社会となってしまった日本においては、状況はさらに過酷になるだろう。〔…〕世界は資本主義の波にすっかり呑み尽くされている。この流れに逆行して、古き良き共同体社会に戻ることはできない。死に至る病を得た日本は、社会もビジネスもなし崩しになっていくだろう。】と書いている。

  • 7月7日 「ASCII24」02.07.02付に「リンク許可問題、日弁連は「あまり深く考えていなかった」」。【日本弁護士連合会(日弁連、東京都千代田区)がウェブサイトのリンク方針を「原則自由」と改めた問題で、同会広報室長の鈴木啓文弁護士がASCII24編集部の取材に応じ、「あまり深く考えずに、厳しいリンク許可条件を掲げていた。これからきちんと議論していきたい」と語った。/この問題は、日弁連のウェブサイトがリンクの許可条件として、リンク元サイトの管理者の実名と電話番号を同会に事前報告することや、「日弁連が不適切と判断したもの」へのリンクを断るなど、きわめて厳しい内容を掲げていたものだ。これに対してネット掲示板などを中心に「リンクの制限は表現の自由の侵害ではないか」といった批判が集中。日弁連は6月13日、ウェブサイト上の使用条件の文章を「当HPへのリンクは、原則として自由です」と改め、実名や電話番号などの要求を撤回していた。/これに対し、ASCII24にコメントを寄せた後藤斉東北大助教授は「事前報告制や不当な個人情報の収集を取りやめたことなどは肯定的に評価できる。しかし、『原則として自由』といいながら『日本弁護士連合会が判断し、リンクの解除を求めたときには、ただちにこれに応じていただきます』としている点は、依然として不当ではないか」と指摘していた。〔…〕】。なお、当サイト(東亜文字処理ライン・ラボ)は「リンクは、だれがどのページにするのも自由である(“許諾”を前提にすること自体誤りである)。他方、引用は慣行に従って節度をもってなされるべきである。」という立場に立つ。【関連】「日弁連が「リンク」の方針を転換 ネット掲示板での反発に」(ASCII24、02.06.17)、後藤斉「日弁連のリンク「許可条件」に関するコメント」(02.06.17、02.07.02)。

  • 7月6日 ▼『琉球新報』02.07.05付に「有事法案、慎重審議求める意見書可決/県議会」。【6月定例県議会(伊良皆高吉議長)は4日午後の最終本会議で、有事法制関連三法案の慎重審議を求める意見書案を全会一致で可決した。意見書は、沖縄戦で20数万人の命が奪われた過酷な歴史や米軍基地の多くが県民の住宅地域に近接し、米兵らの事件事故が絶えない現状に触れながら、同法案を「地方自治体や国民の生活に重大な影響を与えるおそれがある」と指摘、地方自治体や国民の意見を十分に反映し、慎重を期すよう求めている。有事法案の慎重審議を求める意見書は都道府県で2件目。小泉純一郎首相と外相、防衛庁長官らに送付する。/有事法案の慎重審議を求める意見書は、わが国を防衛し、国土と国民を保護するため必要な法制を整備するとの政府説明に疑問を呈し、憲法で保障する国民の自由と権利に制限が加えられると警戒感を示している。〔…〕】。意見書(要旨)。▼映画『にっぽん零年』(監督:藤田繁矢(敏八)・河辺和夫)きょうから渋谷・ユーロスペースにてロードショー! ▼(再掲)JAGATサイトに、「デジ放談♪番外編/Ayaの往信〜日本語組版への疑問〜(前田@ラインラボへの手紙)」(1)2002.06.23 (2)2002.07.05。次回は私(前田)からの「返信」掲載の予定。ご意見、ご批判をお寄せください!

  • 7月5日 読書録07.02付既報、「デジ放談♪番外編/Ayaの往信(1)〜日本語組版への疑問〜」(02.06.23)につづいてJAGATのサイトに「デジ放談♪番外編/Ayaの往信(2)〜日本語組版への疑問〜」(02.07.05 JAGAT)がアップされた。次回は私(前田)からの「返信」掲載の予定。ご意見、ご批判をお寄せください! ▼国立国会図書館のサイトに「ネットワーク系電子情報に関するプロジェクト」(02.07.04)。【人間の知的営みを記録し普及させるメディアは、従来は、紙(出版物)が中心でしたが、近年の情報技術の急速な進展により、情報通信ネットワークを介したデジタル情報(以下、「ネットワーク系電子情報」という)の流通が飛躍的に増大しています。/こうしたネットワーク系電子情報は、頻繁に更新され、また消失しやすいという性質を持っています。/そのため、国立国会図書館館長から納本制度審議会に対して、こうしたネットワーク系電子情報をいかに制度的に収集するかについて諮問がなされ、検討が開始されています。諸外国の国立図書館等も、とりわけインターネット上のウェブ情報の収集・保存の取組みを開始しています。〔……〕/国立国会図書館では、平成14年10月以降、事業モデル構築のための評価実験及び運用を行う実験事業として、次の二つのプロジェクトを実施します。】として【国立国会図書館データベース・ナビゲーション・サービス(Dnavi)インターネット上のデータベースに対するナビゲーション・サービスです。】および【国立国会図書館インターネット資源選択的蓄積実験事業(WARP)インターネット上のウェブサイトや電子雑誌を収集し文化資産として保存するプロジェクトです。】の二つの計画を公表。▼「医療観察法案:精神障害者らが廃案求めデモ」06.23毎日。【関連】全国精労協のサイトに法案全文法案を巡る関係団体の動向。〔07.07補足:「心神喪失者法案:「らい予防法に似て憲法違反」 反対の弁護士」07.05毎日。07.30補足:前進友の会「精神障がい者に対する差別と人権侵害 長期拘禁・冤罪を許さない!!法案絶対阻止緊急抗議集会」

  • 7月4日 ▼韓統連中央のサイト(ホットニュース)に「[論評]西海(黄海)交戦事態に対する統一連帯の論評」(06.30)、「漁民ら証言、「西海交戦事態は偶発的な事故」」(07.02)。▼『サンデー毎日』02.07.14号に土方細秩子「米国発・緊急リポート テロ後に個人破産が急増、失業者が街に流れ出る深刻度」。【実際に米国社会で生活している者の「実感」】として在ロサンゼルスの土方は次のように報告している。【例えば、スーパーマーケットでの支払いにフードスタンプ(低所得者に配られる無料の食料クーポン)を利用する人をしばしば見かけるし、子供の学校で給食費が免除になっている児童の割合は6割と聞いて驚く。/昨年1年間でフードスタンプの受給を受けたアメリカ人は1000万人以上といい、ロサンゼルスのダウンタウンのミッション(ホームレス救済のための施設)には連日、食事を得るために長蛇の列ができ、ホームレス宿泊施設はどの大都市でもパンク状態だ。〔……〕昨年9月の同時多発テロ以降、新たに増えた失業者の数は全米で140万人に上り、そのうちニューヨーク州での失業保険受給者は全体の1割だが、失業者の多くが新たに仕事を見つけられないまま、失業保険の延長申請を繰り返している。現在、ニューヨーク市の失業率は7.7%という高水準にある。〔……〕テロ直後に3大ネットワークの一つ、ABCが行った意識調査では、60%以上のアメリカ人が、「いつ、何が起こるか分からない。これまで欲しくても我慢してきたモノを、今後は、我慢せずに手に入れたいと思う」と回答したのだ。高級車や住宅への需要が急増したのは、こうした意識変化と無縁ではないだろう。/だが、そのツケが最近になって回ってきた。今年に入って個人の「クレジットカード破産」の件数が記録的に増加しているのである。今年1月時点の調査によると、前年比で約3割も増加しており、今年3月末現在における過去12カ月のカード破産者総数は150万人で、12カ月の数字としては史上最悪だ。〔…〕】。

  • 7月3日 「人権擁護法案、国連が問題視 高等弁務官が首相に信書」07.02 asahi.com。【国連筋は1日、ロビンソン国連人権高等弁務官が、小泉首相あてに、日本の人権擁護法案に懸念を表明する信書を送ったことを明らかにした。同弁務官事務所は、人権委員会を法務省の外局に置くなどの内容が、人権機関の独立性を求める国連原則に合わない点などを問題視しているとみられる。〔……〕/「国連の定めた原則」とは、93年に採択された「国内人権機関の地位に関する原則」(通称、パリ原則)を指す。パリ原則は、政府からの人権委員会の独立性を重視、自前の職員、土地・建物を持てるような財源措置が必要としている。/だが、日本の人権擁護法案では、人権委員会を「法務省の外局に置く」とし、事務局職員についても、主に法務省の役人が就任することが想定されている。/また、パリ原則は人権委員の選任について、多様な意見を反映できるよう「多元的な代表の確保」を求め、非政府組織(NGO)やジャーナリストなど社会各層の協力を得て行うとしている。しかし、法案では、常勤の人権委員は2人(このほかに非常勤3人)しか任命されず、「多元性の確保」は困難な状況だ。/98年には国連規約人権委員会の対日勧告が、「警官、入国管理職員の虐待」を例にあげ、公権力による人権侵害への苦情申し立てを扱う独立した人権救済機関の設立を日本政府に求めた経緯がある。その結果作られたはずの法案が、公権力による人権侵害への対処ではなく、報道による人権侵害を主要な規制対象とするなど、「国際基準」から離れた内容となっていることも「懸念」表明につながったとみられる。〔…〕】。「人権擁護法案に懸念、国連高等弁務官が首相に親書」07.02読売。▼家辺勝文「ローマ数字の書き方」(02.07.01 JAGAT)がJIS漢字字典の前付ノンブルにも言及、増補改訂版でページが増えた前付部分(40ページ以降)が「xxxx、xxxxi、xxxxii、xxxxiii」となっているのは誤りで、40以降は「40:xl、43:xliii、44:xliv、49:xlix」とすべき。知らなかった!

  • 7月2日 ▼JAGATのサイトに「デジ放談♪番外編/Ayaの往信(1)〜日本語組版への疑問〜」(02.06.23up)。今週末に往信(2)掲載のあと、私(前田)からの「返信」掲載の予定です。ご意見、ご批判をいただければ嬉しくおもいます! ▼読書録06.24付既報の沖縄・戦没者追悼式での抗議の続報として『琉球新報』02.07.01付に「有事法制に危機感/「慰霊の日」の抗議発言」。【慰霊の日から1週間余。抗議した本人の今の思いや、周囲の反応を聞いた。】として記事は【〔…〕宮城さんの行動に会場は一時騒然としたが、一部では拍手もわいた。沖縄戦を研究している石原昌家沖国大教授は、会場で宮城さんの抗議行動を見ていた。石原教授は「『有事法制反対』という発言は多くの県民の声を代弁した。拍手が上がったのも県民の危機意識の表れだ。(発言は)戦争で亡くなった人々の声のようにも聞こえた」と語った。】と伝えている。▼ビル・トッテン「グローバル・スタンダード」02.06.25。【まず、グローバル・スタンダードは日本でつくられた造語で、これを使うのは日本人しかいない。私はアメリカ人だが日本で言われるような話をアメリカで聞いたことがない。この言葉は一部の日本人が自国民をだますためにつくった言葉のようだ。〔…〕】、全文必読! ▼ZDNet News 02.07.01付に「Operaは“第2次ブラウザ戦争”を制するか?」。関連:「「Opera 6.03日本語版」がリリース」同 02.05.30付。

  • 7月1日 『朝日新聞』02.06.30付(私の視点)に山本敦久「サッカー解説 「高い身体能力」って何」。【〔…〕「身体能力」という言葉は今回のW杯期間中、テレビの実況解説や新聞記事や雑誌の読み物の中で頻繁に使われている。〔……〕サッカー技芸の複雑さを語り合うことの楽しさが、この四文字熟語の氾濫によって閉塞させられてしまっている。/問題はそればかりではない。】として山本は【より深刻なのは、この言葉によってプレーや身体が言い表される時、意識的、無意識的とを問わず、そのプレーの視覚的表象にあらかじめ人種(差別)的な認識の枠や境界線が引かれているということだ。「高い身体能力」の持ち主である選手やチームは必ずと言っていいほど黒人選手やアフリカのチームである。/ドイツのゴールキーパー、オリバー・カーンのセービングや、イングランドのデビッド・ベッカムの右足が放つキックは、なぜ、「高い身体能力」の現れと見なされないのか。/カーンは「ゲルマン魂」という言葉によってスピリットの側に置かれ、黒人選手は「身体能力」という言葉で身体の側に置かれている。しかも、ここで引かれる「スピリット/身体」という境界線は、「白人/黒人」「ヨーロッパ諸国/アフリカ諸国」という境界線と重なっているのである。/黒人選手のプレーを無邪気に称賛する「高い身体能力」という言葉は、その裏返しとしてプリミティブで野蛮で文明化されていない身体という意味を繰り返し生み出し、その意味に占拠されたプレーを見る視覚は、再び、黒人選手のプレーの表象を身体の能力に還元していってしまう。】と指摘し、【人種の線によって、あらかじめプレーを語る言葉を枠づけてしまうのであれば、私たちは4年後のW杯のピッチ上に、新しいシステムやプレースタイルの出現を見ることなど到底不可能なのではないか。】とむすんでいる。