読書録 2002年6月前半(敬称略)

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  • 6月15日 『週刊金曜日』第415号02.06.14付に、針生一郎・大浦信行「対談/異端の批評家を封印された美術家が撮る」。【大浦 〔…〕八六年の富山の事件〔…〕以降も、裁判を含めて、針生さんと僕とのつながりは深い。それは日本の美術評論家には、天皇制の問題に真っ正面から取り組もうなんて人が、ほかにいないからなんです。針生さんだけが突出して見えてくる。孤軍奮闘状態ですよ。/その背景には、美術界自体が日本の社会とまったく遊離してしまっていることがあります。「美術」の枠の中で「美的なものを愛でる」という態度。そういう美術批評ばっかりになって、作品論に行ってしまう。作品を構成している、さまざまな社会的な背景は無視してしまう。/〔……〕戦後、日本の絵描きたちは、天皇・天皇制を表現に取り込まずに、回避しています。あれはなぜなんでしょう。/針生 日常感覚では天皇制というのは捉えられなくなってきている。かなり論理的に分析しないといけないけど、そういうことは、絵描きは不得手だからね。/大浦 ニューヨークに長く住んでいたせいもあって、自分と世界を取り巻く時間や空間を、新たに捉え直したいと考えて、「遠近を抱えて」の連作をつくったわけですが、あれは天皇批判を第一義にしたわけではなく、「自画像」を書こうとしたんです。/針生 自分を構成しているものは何かっていうんで、それをコラージュで表現した。僕の論では、大浦君が「内なる天皇制」を自分を構成する無視できない要素として取り上げたことに、非常に新しい意味がある。天皇制を避けたり、意識しないということは、想像力が国家を超えられないわけだからね。芸術の自由にとってはかなり問題なんだけど。それを日本の美術界の連中は自覚しないんだ。/〔……〕僕は変化の手がかりを常に他人の論に求めてきたが、論では動かないね、人々は。やっぱりイメージとして提出しないとだめだね。/――それには、大浦さんがいつも言う、芸術の究極形態としての「皇居前での爆死」しかないですか/大浦 表現の究極は自爆テロだと思うんです。それは現実や芸術からの逃避でも何でもない。その覚悟がなかったら表現はできないはずなんですよ。】。再掲:映画「日本心中」(監督・大浦信行)は6月29日までシネマ・下北沢でレイトショー(21:00-)。

  • 6月14日 原子力資料情報室(CNIC)のサイトに「国際熱核融合実験炉ITER日本誘致決定に対して抗議する」(02.05.29)、【総合科学技術会議は5月29日、日本が国際熱核融合実験炉ITERの誘致国となり、青森県六ヶ所村を建設地として推進することを決定した。/ITERの日本誘致に反対してきた私たちは、総合科学技術会議の決定に強く抗議する。/核融合研究は、世界各国が過去50年以上も多額の資金や人的資源を投入しているものの、その理論的・技術的な解決策の見通しは得られていない。/ITERは核融合反応の原理を検証する実験装置に過ぎないが、1兆円を越す予算と10年程度の長い建設期間を必要とする。約20年間の運転の後も5年程度の除染期間を要し、その結果、残されるものは現実のエネルギー問題には適用出来ない研究結果と多額の債務、そして放射性廃棄物である。/青森県六ヶ所村にITERを誘致することは、この危険な核施設と核のゴミ、そして膨大な財政負担や放射性物質トリチウムの被ばくのリスクを地元住民に押し付けることになる。/にもかかわらずITERの日本誘致問題に地元の意思は全く反映されず、全国からの数万以上にも及ぶ反対署名を無視し、既得権益に絡んだ一部の人間だけで誘致が決定された。/国民全体でのITER誘致に関する議論もないまま、総合科学技術会議でITER日本誘致が決定されたことに私たちは強く抗議し、この決定の撤回を強く求める。/青森県反核実行委員会・ITERを青森県へ持ってきちゃだめ!ネットワーク・核燃料廃棄物搬入阻止実行委員会・原子力資料情報室・原水爆禁止日本国民会議・脱原発とうかい塾・地球救出アクション97・日本婦人会議茨城支部・反原子力茨城共同行動(連絡先 原子力資料情報室)】。「ITER問題に関する青森県知事への要請書」(02.06.07)。

  • 6月13日 ▼広河隆一通信のサイトに広河隆一「ジェニン難民キャンプを廃墟にした男」(02.06.13)。▼東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所のサイトに案内。AA研棟竣工記念シンポジウム「だれが世界を翻訳するのか−アジア・アフリカの未来から」期日:平成14年6月29日(土)、場所:東京外国語大学 研究講義棟1階 マルチメディアホール、主催:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所。【10:00〜10:40 基調報告「だれが世界を翻訳するのか」真島一郎(AA研)/10:40〜12:10 セッション1「だれのための言語科学か−普遍文法という幻想」[座長]豊島正之(AA研)[報告]峰岸真琴(AA研)[コメント]上田雅信(北海道大)・富盛 伸夫(東京外大)/13:20〜14:50 セッション2「21世紀に国民国家をつくる―反復と翻訳の向こう側へ」[座長]小熊英二(慶應義塾大)[報告]永原陽子(所員)[コメント]佐原徹哉(明治大学)・根本敬(AA研)/15:10〜16:40 セッション3「多元性の海を泳ぎわたる通訳たち−言葉、モノ、権力の媒介者」[座長]大澤真幸(京都大)[報告]黒木英充(AA研)[コメント]杉島敬志(京都大)・崎山政毅(立命館大)/17:00〜18:15 総括討論 [座長]宮崎恒二(AA研所長)[コメント]大澤真幸・小熊英二・豊島正之・西谷修(東京外大)/・レセプション(於 大学生協ホール)総合司会:三尾裕子(AA研)】。

  • 6月12日 『國文學』2002年7月臨時増刊号「発禁・近代文学誌」が“発禁本とその周辺をめぐる問題系”を特集、近藤典彦「大逆事件、社会主義運動冬の時代へ」。大逆事件に対する【すべての文学者のなかで啄木のかかわりは別格】として「はてしなき議論の後」をとりあげる近藤は【啄木の大逆事件認識の骨子は、(1)かれらの社会運動の出発点は正当なものであった。(2)しかし強権はその社会運動を徹底的に弾圧し、かれらから言葉を奪った。(3)言葉をうばわれた人たちの血路がテロリズムだった。(4)したがってこの事件の真犯人は強権である。(5)強権は事件を引き起こした当事者であるのみならず、事件を口実に十数名の無辜の人々をも殺しあるいは無期懲役の地獄におとした。(6)この悪辣な強権の核心には天皇制がある。(7)幸徳らはこの天皇制と正面から対峙しようとした勇気ある者たちであった。(8)勇気ある者たちの中心に女性、労働者がいたということは日本の今後を考えるとき刮目すべきことである。/大逆事件はナショナルな構造内の事件であった。二〇〇一年九月一一日の事件はグローバルな構造内の事件である。しかし啄木の認識は九一年後の世界史的事件を認識するための正確な指針たりうる。//大逆事件以後一九一九年(大8)・米騒動までの期間は、社会主義者の冬の時代であった。しかしそれは民本主義者の春の時代でもあった。大正デモクラシー運動が最高潮に達したとき、社会主義運動も高揚した。日本人は自分たちの言葉をある程度取り返すことに成功した。天皇制軍国主義がそれを再度、徹底的にうばいとった。大逆事件はこの天皇制軍国主義下の圧制の原型である。/一九四五年八月一五日以後、日本人はアメリカ占領軍の力を借りつつ自らの言葉をとりもどしていった。数十年かけてアメリカ民主主義を摂取した。その民主主義の極北USAはいま外に向かっては独裁国となり、日本はその傘下におさまっている。九月一一日が自らにとって何であるのか、きわめて見えにくい位置に日本人はいる。】と書いている。

  • 6月11日 ▼JAGAT(日本印刷技術協会)のページに「字種/フォント増加と需要の謎」(02.06.10)。【DTPの立ち上げ期から、フォントが少ないとか字種が足りないという声は絶えなかった。それが今日では逆転して、そんなに多くの字種がいるのかとか、どうやって使うのかという声が聞かれるようになった。これはDTPのフォント環境が成熟したことの証と率直に受けとっていいものだろうか?/これらの背景には、JISの第3第4水準、Unicodeの拡張、OpenType、Mac OS X の日本語対応、などそれぞれ全く別個に動いているいくつかの要素があるので、これらを総合して日本の文字環境が一体どうなるのかを思い描くことは非常に難しい。このままでは個々の努力が実らないで店晒しになる危惧さえあるように思える。/数年前までなら、例えば日本語文字環境コンソーシアムというような、欠けている部分を補って活用できるようにする横断的なプロジェクトが興されたであろうが、今はユーザ・ベンダーとも金欠状態なので、手弁当で研究調査などしていられなくなったことは残念である。/可能性の低い期待をもたずに、現状をよくみてみると、どのようなことがいえるのだろうか。AppleはMac OS X という大きな契機があるので、上記の最近の動向をなるべく多く取り込んで、さらにDTPの世界を意識して写植の文字まで積んで、一挙に扱える文字の拡張を図ったが、同じOpenType環境に移行しつつあるWindowsはあわてて動く様子はない。〔……〕とすると、この世の中で圧倒的に使われているWindowsでニーズがないものが、DTPでニーズがあるのだろうか。/確かに印刷用約物などDTP固有のニーズはあるが、それは原稿を書くなどコンテンツ生成側には関係ない。このように印刷用と、Windowsなどをベースのブラウザの世界が異なるとすると、電子文書の交換やマルチメディアにおけるワンソースマルチユースという点では要注意なことが増えてしまう。/この文字種増加に対応するようにツールをコツコツ作って少しづつ使用範囲を広げれば次第に妥当なものになっていくだろうが、各社の思惑に引きずられ過ぎると歪なものとなって頓挫するかもしれない。】。▼gooがこのほど韓国・中国語翻訳検索を開始。【翻訳検索、日英翻訳、検索結果のタイトルの翻訳には、NTT研究所の翻訳技術を利用しています。Webページとテキストの英日、韓日、日韓翻訳にはAmikai社のシステムを利用しています。また、Webページとテキストの日中、中日翻訳の翻訳エンジンには高電社のシステムを利用しています。】。
  • 6月10日 「オウム対策条例案に反対 世田谷の市民団体ら声明」(02.06.09付『河北新報』)。▼『現代思想』2002年6月臨時増刊号(総特集・思想としてのパレスチナ)に、板垣雄三「ジェニーンの死者たち」(聞き手・平井玄)。1948年シオニスト武装勢力による【〔…〕パレスチナのアラブ住民の間で恐怖心を煽って恐慌状態をつくりだし、避難場所を求めて逃げまどうよう彼らを追い込む、こうして彼らを土地と家屋から切り離し、組織的・系統的・効率的にパレスチナから追放するという筋書きの軍事作戦】としてのデイル・ヤースィーン村事件を教訓に板垣は、今回【人道と人権の観点から重大な違反や逸脱があったのではないかという疑いから、国際社会がジェニーンにおける「虐殺事件」なるものの真相究明を求める可能性に期待をつなぐだけでは、問題を捉えたことにはならない】として次のように指摘、警告している。【〔…〕ここから、イスラエルはジェニーンで起きたことの実相を隠蔽しようとしていると思う人がいるでしょう。ただ、隠すかと見えて、瓦礫の山あるいは更地と化したジェニーンの映像を見るようにさせ、からくも生き延びた人の断片的証言を聞くようにさせれば、外部の者には、そのような破壊のプロセスと規模を再現的には実感できず、子どもや老人を含む住民たちの非業の死を看取り直すため掘り起こすことはできないとしても、否むしろ、できないからこそ、出来事の衝撃性は高まるのです。それは、アラファートが戦車砲の狙っている数メートル先に監禁されているという異常な情景だけを切り取ったニュースの効果とも、通じ合うことでしょう。パレスチナ人にある「結末」を知らせる、そして世界にもそれを通告する。それがもたらす広告効果を冷徹に計算する機構が働いている可能性があるのです。一九八二年サブラー・シャーティーラーの虐殺現場に誰よりも早く到達してその映像を世界に提供した広河隆一が、後年そのときの模様を振り返り、「あのとき私は写真を撮ったのではなく、撮らされたのかも知れない」(見えざる権力の監視と策略が働いていたのかも分からない)と述懐したのを思い起こします。】。

  • 6月9日 長野英子のページに「ワールドカップ開催県において精神科救急を利用した「精神病」者弾圧の通知出される」。【私たち全国「精神病」者集団は結成後すぐ名古屋植樹祭で弾圧を受けた経験から、また各地での国体等皇族の移動に伴う弾圧報告から、常に皇族の移動や重大な外交行事のたびに各県の警察に対し「精神病」者弾圧をしないよう申し入れをし、日本精神神経学会にも申し入れするよう要請してきました。/念のため弾圧の実態をご説明すると、名古屋屋植樹祭の際に全国「精神病」者集団事務所周囲を警察に包囲されすべての出入りを尾行されるという状態でした。ちなみにこの弾圧では名古屋弁護士会が県警本部に対して人権侵害であるとして「警告」を出しております。また各地での国体等の弾圧では、突然強制入院が増える、あるいは精神病院の外泊外出が禁止となる、特定の「精神病」者に対して執拗な尾行がつくなどの実態が報告されています。/さて今回のワールドカップでは精神科救急の需要増大という形で見えにくい文書ですが、明白に「精神病」者弾圧を強化する文書が出されていること、開催県での監視救援体制の構築が(すでに弾圧が始められているでしょうが)必要です。できることすべききことなど意見を集約してくださるよう緊急に要請します。〔…〕】。通知本文「障精発大0510001号/平成14年5月10日」。【関連】→「精神障害・精神障害者 2002年」〔立岩真也「arsvi.com」〕 / →「心神喪失者医療観察法案を巡る関係団体の動向」一覧表〔全国精労協〕 / →「池田小学校事件および特別立法に関連する声明一覧」〔全国精労協〕。

  • 6月8日 ▼『早稲田文学』連載中のすが秀実「革命的な、あまりに革命的な――六八年史論」が同誌2002年7月号の最終回「一九七〇・七・七という「戦争」」で完結。階級は形成さるべきものとした先進的哲学者・藤本進治と六八年の毛沢東主義をとりあげ、「七・七」の問いかけの歴史的意義への称揚、入管闘争からシフトしていった反差別闘争に対する【六八年を契機にして顕在化した日本のマイノリティ運動も、フェミニズムのみならず、報酬分配という問題に潜在的に規定されていくほかはなかったのである。】との指摘、でもって六八年史論の最終回とすることには同意。全文必読! 連載をまとめ公刊されることを強く期待する。▼SuoPei 中国人戦争被害者の要求を支える会のページに、6月28日午前11時から東京地裁で平頂山事件訴訟の判決言渡しとの報。▼『朝日新聞』02.06.08付「電脳用語 中台造語知恵比べ」(台北=田村宏嗣)。【日本ではコンピューターカン連用語はカタカナ語が氾濫。オジサンたちを悩ましているが、「漢字の本家」の中国・台湾では造語能力を発揮して意味や英語を巧みに翻訳した用語をひねり出してきた。〔…〕中国語でも、英語の原音を漢字のもつ音を当てた音訳語はあるにはあるが、日本のように英語をそのままカタカナにして使うほど横着ではない。】として【電脳(コンピューター)用語の日中比較(日本/中国/台湾=)、@(アットマーク)/圏a/小老鼠、eメール/電子郵件/伊媚児、インターネット/国際互聯網/国際網際網路、ウイルス退治/殺毒/掃毒、お気に入り/収蔵/我的最愛、カーソル/鼠標/遊標、ごみ箱/回収站/資源回収桶、ディスク/磁盤/磁片、ネットカフェ/網[口巴]/網珈、ブリーフケース/我的公文包/我的公事包、プリンター/打印機/印刷表機、プログラム/程序/程式、ホームページ/主頁/首頁、マウス/鼠標器/滑鼠、ヤフー(YAHOO)/雅虎/雅虎、リンク/鏈接/連結】。

  • 6月7日 ザ・スクープ〔テレビ朝日〕のページに【長野智子のパレスチナ報告 前編(1)潜入検証・「ジェニン大虐殺」の真実(2)「自爆テロ」をめぐって・・・2人の少女の死が語るもの】と6月8日放送の予告。【一説には、イスラエル軍によって数百人規模の虐殺があったともいわれるジェニン難民キャンプ。番組では、イスラエル軍占領下の緊迫のジェニンに潜入取材。また、国連調査団の立ち入りが拒否された解放後のジェニンやベツレヘムの一家惨殺現場を再度訪れ、虐殺疑惑の真相に迫る。/一方、果てしなく続く「自爆テロ」と「報復」という名の血と憎悪の連鎖。18歳のパレスチナ少女の自爆テロでは17歳のイスラエル少女が巻き添えとなった。パレスチナ少女の自爆直前映像やイスラエル少女の平和を求める詩から見えてきたやるせないほどに過酷な現実。一体、何が2 人の未来を狂わせたのか・・・/ゲスト:ジャーナリスト 浅井久仁臣】。▼映画「日本心中」(監督・大浦信行)が6月1日からシネマ・下北沢でレイトショー(21:00-)。▼『毎日新聞』02.06.06夕刊、往復書簡「時代のあわいにて 松浦寿輝から古井由吉へ」。【「映像の時代」に特有のこうした言葉のインフレーションは、きわめて新しい現象】という松浦は【〔…〕だが、「イメージ」に従属する言葉の氾濫(はんらん)は、きっと何かを覆い隠しているのではないか。そうも思います。屈託のないお喋りの賑わいと見えるものの裏側には、実は血の臭いのする沈黙の闇が潜んでいるのではないか。人々の無意識の奥底には、発語を咽喉(のど)もとで凝(こご)らせる、陰鬱(いんうつ)なニヒリズムが淀(よど)んでいるのではないか。およそ無内容な紋切り型ばかりをひっきりなしに言い交わしている携帯電話の若者文化があり、しかし他方、その陰画のようにして、コミュニケーションをみずから遮断する「引きこもり青年」たちの大量の発生があるように。】と書いている。

  • 6月6日 広河隆一通信のサイト(コラム)に「帰国しました」(02.05.26)。【〔…〕パレスチナ人からは、「イスラエル兵だ」という言葉よりも、「ユダヤ兵だ」「ユダヤ人だ」という言葉の方をよく耳にしました。/ジェニンでもどこでも、「ユダヤ人が来た」「ユダヤ人が殺した」「ユダヤ人は残虐だ」という言葉を聞きます。「イスラエル兵が来た」「イスラエル軍が殺した」とは言わないのです。/私の心の中では、こだわりが残ります。「ユダヤ人が」というと、「そんなユダヤ人ばかりではない」と言いたくなるのです。/実際、イスラエル兵のほとんどがユダヤ人であることに違いはないのですが (ドルーズ派イスラム教徒が国境警備兵に入っています)、「ユダヤ人は人殺しをする」「ユダヤ人は残虐だ」というようにはユダヤ人という言葉を使いたくありません。/パレスチナ人たちは、今現在ユダヤ人に殺されているのですから、彼らがそのように言うのは仕方ないのかもしれません。彼らにユダヤ人をイスラエル人に言い換えるよう言うことはできません。/しかし同僚のジャーナリストたちが、そのような言い方をすると、私は非常に抵抗します。私の子供 2 人は、イスラエルの法律ではユダヤ人なのです。「ユダヤ人は残虐な人間だ」とか「ユダヤ人は戦争を好む」という言葉は、いつか「ユダヤ人を海に追い落とせ」という言葉に結びついていきます。ヨーロッパではユダヤ人差別が台頭しています。/しかし今、パレスチナの現場で起こっていることは、イスラエルという言葉とユダヤ人という言葉をいっしょにすることに、役立ってしまっています。/イスラエルでは、「ユダヤ人が自爆テロでどんどん殺されていく、だから世界のユダヤ人は、イスラエルを支援しなければならない」という声が大きくなっています。そうしたときにイスラエルの占領政策を批判する人に対しては、多くのイスラエルのユダヤ人は、「ユダヤ人差別主義者だ」と言います。このような意見が新聞に満ち溢れています。「いいや、そうではない。イスラエルを批判する声にも耳を傾けなければならない」という声も掲載されますが、それは『ハアレツ』紙などの良識派の新聞だけです。/ところでイスラエルの世論調査では 67 %が、67 年の第 3 次中東戦争の前の国境線まで引き下がるべきだと考えているといいます。これはラビン元首相でさえ言わなかったことです。/この人々の多くは、同時に、シャロンの戦争を支持した人々でもあります。/人々はパレスチナの独立を支持するという理由ではなく、イスラエルの安全を守ると言う理由で、撤退すべきだと考えているのです。こんな人々は 3 ヶ月前には、きわめて少数派でした。なぜ急に、多数派になったのでしょうか。それはおそらく自爆テロのせいだと思います。/自爆テロは防ぎようがないと、イスラエルのユダヤ人は、いやというほど思い知ったのです。武力ではどうしようもないと考えたのです。そしてこの動きを制するために、右翼である与党のリクード党は、「パレスチナ国家の建設を支持することを禁止する」というタガを、シャロン首相にはめました。しかしシャロンはリクードよりも世論を選びました。政権に残るために一番必要なのは、世論の支持を得ることだというわけです。この結果、どのような動きが起こるのか。/間もなく、答えが出るかもしれません。】。

  • 6月5日 ▼『図書』連載中の屋名池誠「縦書き/横書きの日本語史」。第6回“縦書き対横書き(一)”(2001年12月号)、第7回“縦書き対横書き(二)”(2002年1月号)、第8回“ある過渡期”(同2月号)、第9回“右か左か(一)”(同3月号)、第10回“右か左か(二)”(同4月号)、第11回“左横書きへ”(同5月号)、第12回“「普通」の書字方向”(同6月号)。▼週刊『SPA !』02.06.11号に、大槻ケンヂ選「これがボクらの「声に出して読みたい日本語」」。“平家物語よりも夢野久作、宮本武蔵ではなく猪木!”として大槻は、夢野久作『ドグラ・マグラ』「麻原彰晃マーチ」などとともに早川義夫「この世で一番キレイなもの」を選んでいる。【弱い心が 指先に伝わって / 痛々しいほど ふるえている / みんなの前で 裸になって / 縮こまっている みじめな僕 // なぜに僕は 歌を歌うのだろう / 誰に何を 伝えたいのだろう / もっと強く 生まれたかった / しかたがないね これが僕だもの // この世で一番 キレイなものは / あなたにとって 必要なもの / 僕らを包む 壮大な宇宙 / ひとしずくの泪 求め合う命 // キレイなものは どこかにあるのではなくて / あなたの中に 眠ってるものなんだ / いい人はいいね 素直でいいね / キレイと思う 心がキレイなのさ】。

  • 6月4日 ▼家辺勝文「ウェブノート」サイトで連載中の家辺勝文「欧文組版を考える 第2回 句読点の前後―フランス語の場合」(02.06.04、utf-8)。約物の組み方について“EU公文書スタイル”とも呼ぶべき独自の方法を決めている『EU諸機関共通文書作成要領(仮訳)』というEU公文書作成の手引きをとりあげて家辺は、このルールが約物の種類と用法は簡単な記述にとどめながら【約物の組み方、特に約物に近接する文字との間の空き量の問題については、明示的に統一的なルールを示している】ことに着目し、フランス語の場合の単位記号、数学記号、“&”および注記の合い印を除く、句読点類、括弧類、その他の区切り記号類を検討している。当該約物の空きの組み方から、前後における分割可能性の可不可、空き量調整の可不可、空き量の値によって仏文組版における句読点類をピリオド型/セミコロン型/ゆるいコロン型に分類(“EU公文書ルール”ではすべての句読点類を「ピリオド型」とする)、始めと終わりの括弧類はギィメ以外の括弧型/狭いギィメ型の括弧型/ゆるいギィメ型の括弧型に分類(“EU公文書ルール”ではすべての括弧類を「ギィメ以外の括弧型」とする)、整理している。【手書きやタイプライターで原稿を書き、編集・印刷プロセスにまわす、という作業の流れが主流であった時代には、書き手自身が約物周辺の空き量などに注意する必要はなかった。そのようなことは限られた数の編集・印刷のプロが仕上がりの整形として引き受けていたからである。確かに美しいタイプ原稿の作り方というような話はずっとあったわけだが、所詮、約物まわりのファインチューニングはタイピングとは別の世界の問題である。/ところが、パソコン上のワープロソフトによる原稿作成が主流となってきた現状では、書き手自身にまで仕上がりの整形への関与が多かれ少なかれ期待されるようになり、かつては専門的な工程での技能であったものが、共有されるべき知識として、新たな技術的リテラシーの構成要素になりつつある趣さえある。しかし、いま問題にしている仏文組版における約物まわりの空きの調整というものも、活版以来の道具立てに依存して蓄積されてきた技術であり、ただちにコンピュータ上の道具立てに移転されているわけではない。/一つの解決策は、新しい道具立てを既定の技術条件として、それによる文章の組み方のモデルを創り出していこうとするものであろう。“EU公文書ルール”は、タイプライター執筆の時代からの“読みやすく合理的なタイプ原稿の作り方”の延長線上にあるようなもので、電子文書の時代には、そのままで仕上がりに近い形にまでもっていってしまう、そのような方針をもつものであろう。ノーブレークスペース[13]はなるべく使わない、という方針も中途半端な印刷技術の模倣はしないということにつながる。仏文組版で言えば、約物まわりの空き量の調整が不要になって、簡単といえば簡単になるのである。/もう一つの解決策は、現在おそらく仏文の電子文書作成でかなり一般的に行われている方法であり、パソコンソフト上で使える道具立てによって、従来型の約物まわりの組版方法をできるだけ模倣しようとするものだろう。もっとも単純なのは、約物の前後に空き量があって分割不可能とされてきたケースに対して、ノーブレークスペースを使うという方法である。この場合、従来型では区別されたコロン型とセミコロン型の組み方が同じになってしまい、コロンの前では空き量の調整ができない。ギィメについても同様である。ノーブレークスペースは、空き量の値が定義されているわけではないので espace fine になるとは限らない。/ここで、実務家の間では意見がわかれ、セミコロン型で espace fine が実現できないなら、ノーブレークスペースでなくベタで組んだ方がいいとする意見[14]と、普通のスペースで空きを入れた方がいいとする意見[15]の両方がある。後者をとると、裏技的なテクニックで espace fine をつくることも不可能ではない。】と指摘する家辺はさらに、UCS/Unicodde の GENERAL PUNCTUATION ブロックの中の空き量を表現する12のコードポイントに検討を進めている。全文必読の労作!

  • 6月3日 ▼『別冊幻想文学13 種村季弘の箱』2002年4月、アトリエOCTA、にインタビュー「種村季弘に聞く七つのキーワード」(聞き手=柿沼裕朋)。書くことについて、種村は【〔…〕日本の著作家は、十年一日、同じことを言っているやつが一番信用があるんです。しかし同じことを二度と書かないのは、職業人の倫理だと思うんです。昔、毎号毎号四人の作家が登場して、同じことを言う人生論雑誌があってね。それがベストセラーになりましたよ。つまり世間の人はね、この人は同じことをずっと言ってるから、これは真理なんだと思うわけですよ。毎回同じことを言うのは真理だから同じことを言うんだと。僕みたいにしょっちゅう違うことを言ってるやつは、あれは真理じゃない、あれは嘘だ、インチキだと思うわけだ。その構造をまず変えないと駄目ですよ。単なる知的怠惰ゆえに、同じことしか言えないだけなのに、同じことをあれだけ言ってるんだから真理ななだって思い込んじゃう。それこそペテンにかかってるんであってね、その構造が変わらないかぎり日本人の認識レベルは上がりませんよ。】と発言している。▼反資本主義行動(ACA)のページ(行動報告)に「5・29日韓投資協定批准抗議国会前行動」(02.05.29)。

  • 6月2日 ▼月刊「少年エース」連載中の矢作俊彦・藤原カムイ「気分はもう戦争2」の6話分が角川コミックエース・エクストラ『気分はもう戦争2.1』ISBN4-04-713494-5 として02.05.01角川書店から刊行。▼「微妙な差異がいじめ生む…映画「害虫」の塩田監督が中学生を語る」(毎日中学生新聞02.04.01付、映画『害虫』は読書録04.07付既報)。【「昔は外見で不良と優等生に分かれたが、今は外見だけでは分からない。社会が複雑になって、昔よりも、犯罪領域、闇(やみ)の世界がすぐ近くにある。中学生は、善と悪があいまいになっているところで、生きているのです」/塩田監督は1961年(昭和36年)生まれ。自分の時代の中学生のことを「優等生と不良に分かれていたが、不良にも独創(どくそう)的な魅力(みりょく)があった。反社会的存在としての居場所があった。もちろん、勉強のできる子にも居場所があった」と振(ふ)り返る。「今は不良化しても居場所がない。かと言って、大学を出たからといって就職できるとは限らないように、成績がいいことにもアイデンティティーが見つけられません」/価値観が多様化する社会状況(じょうきょう)で、大げさな言い方をすれば、中学生はどう生きたらいいのだろうか? 「学校という枠(わく)にとらわれないで。だからといって、自分の好きなことだけをやっていればいい、という意味でもない。不登校でも、学校に行かないだけでは意味がないでしょう。とにかく闘(たたか)う以外ないと思います」】。

  • 6月1日 ▼丸川哲史「「シンメトリー」への抵抗 民族的なるものにかかわる想像力の落差」〔『週刊読書人』02.06.07付「論潮 6月」欄〕。【〔…〕民族的なるもの、あの「シンメトリー」への抵抗をどのように思想化するか〔…〕どう問いを伸展させていくべきかという時に、一つは、日本人にとっての「民族」を再定義する方向性があるだろう。】とする丸川は【竹内好による一九五一−五二年の国民文学論争があった。竹内はそこで、戦前の天皇制ファシズムへの否認のため打ち捨てられた「民族」を再び提示しようとしていた。竹内には、韓国(朝鮮)や中国を除外した形でのサンフランシスコ講和条約への反発があったが、そこでは、他民族との関係において過去を克服する主体としての「民族」が待望されていたと言える。こういった批判的「民族」観の構想は、今一度顧みられても良いのではないか。】と提起し、映画『鬼が来た!』の姜文と川本三郎の対話(『世界』6月号)にふれて【ただ情けないのは、対話者の川本である。「鬼が来た!」がいわゆる「抗日映画」とは言えないこと、また「反戦平和の思い」を先験的なモチベーションとしないことをもって美点とし、姜を持上げる身振りを繰り返している。姜の映画が紛れもなく、民族間に横たわる緊張感を表現しているにもかかわらず、川本は、それを映画芸術の枠組みに押し込もうとする。ここにもまた、民族的なるものにかかわる想像力の圧倒的な落差を見る思いがした。】と指摘している。▼『読売新聞』02.05.31夕刊、連載「新 日本語の現場 15」が“「チョー」のルーツは静岡?”として【静岡では、八〇年前後には、すでに「超」を使っていた〔……〕「超」は、静岡で発生して神奈川などを経て東京に入ったと推測できそう】という「超」の静岡起源説を紹介。