問題3、8、9の答え
読書録02.09.18


問題3
 この正答は,「ア」です。官軍側で戦死した人びとだけを祀っているのです。
 先に引用した文章には,〈明治維新達成の犠牲となった人びとを祀る〉とありますが,敗者側について戦った人びとも同じ日本人で,〈明治維新達成の犠牲となった人びと〉であることには変わりがないのに,その人びとは祀られていないのです。
 そのためか,
  会津弔霊義会編『戊辰殉難追悼録』(1978)
というような本も出版されています。
 明治維新の戦争のとき,会津藩の武士たちは会津藩に忠義を捧げて戦争に殉じたのですが,靖国神社には祀られていないので,会津の人びとがそれとは別に殉難者を祀っているのです。
 じつは,福島県会津の人びとは,その後もずっと薩摩・長州藩の人びとを嫌い続けたといいます。そこで,日本が連合国に敗戦してからかなり後になって,鹿児島県側から会津若松市に友好関係の回復を持ちかけて,やっと対立関係が緩和された,という話があります。
 いまの新潟県にあった長岡藩は,明治維新のとき一度は薩摩・長州軍から城を奪い返すという強さを示したことでも知られていますが,明治維新後もずっと薩摩・長州藩の人びとを憎み続けたので有名です。ところが,「大東亜戦争」が始まって長岡市出身の山本五十六元帥(1884〜1943)が日本の連合艦隊司令長官になりました。そこでやっと,それまでの「鬼畜薩長」の感情が「鬼畜米英」の感情に変わることができたといいます。  靖国神社は,戦争で死んだ人のうち一方の人びとだけを祀ったために,日本国内の対立をなくすことができなかったのです。
問題8
 靖国神社ははじめ「明治維新の殉難者」を祀るために設けられたのでしたが,のちに〈黒船来航の1853年から明治維新の1868年までの15年間に「安政の大獄」などによる犠牲者〉も祀ることになりました。
 そこで,(1)坂本竜馬(1835〜1867)も1883=明治16年5月に合祀されています。これは,『靖国神社誌』(1911),56丁に明記されています。
 (2)西郷隆盛(1827〜1877)は,しばしば「明治維新の最大の功労者」と言われますが,最後は「賊軍」として死んだので,靖国神社には祀られていません。
 (3)大久保利通(1830〜1878)は,祀られていません。平和になってから暗殺されたので,戦死に準ずるとはされていないのです。
問題9
 このとき,「戦地で病死した人びとをどうするか」ということは,すぐには決まりませんでした。
 そこで,普通の戦死者については,明治29年11月の陸軍大臣の告示によって「靖国神社への合祀」が決まったのに,その2年ほど後の明治31年9月になってはじめて,「戦地において疾病もしくは災害に罹」った人も「特旨をもって戦死者同様,合祀」することが告示されています。政府が「戦死」にこだわっていたことが分かります。


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