7月15日 『言語』2000年8月号(大修館書店)が「公用語論の視点」を特集し、田中克彦「公用語とは何か」。公用語とは【そこの州や国家に居住する諸民族の母語に対する権利を保証し、その行使を実務の上で認めた概念】であり、【何よりも、言語権と称される基本的人権にふかくかかわる概念】であると指摘する田中は、【日本における公用語論の特徴とはどんなものだるか。まず、日本のどこにも英語を母語とする言語共同体(日本国民の住民グループ)が存在しない。/したがって、日本国民が相互にこの公用語を用いて話し合う機会もないのに、公務につく人はこの公用語を駆使できなければならない。そう考えると、この「第二公用語」なるものの正体は、外むけ公用語、つまり、国際公用語と名づけるべきものであることが明らかになってくる。/それにあえて第二の公用語、つまり、国内公用語の地位を与えるところに新味があるのだが、そのことから政府、財界、学界など、各業界の指導層が、いかに英語の必要性を痛感し、自らの無能をかこっているかという図があらわれてくる。/しかしだからといって、なぜ、国民のすべてを、そこに巻き込まねばならないのだろうか。……このような、英語という外国語をわざわざ国内むけの公用語として課する考えかたには、日本の指導層の、貧しい教養と、せまい世界認識が反映されている。国内に英語の話される地域を一つとして持たない日本のような国が、近隣諸国の言語への興味や関心を封じるかのように、すすんで国民のすべてに、日常はかかわりのない英語を課するという発想は、最も国際的ではなく、偏狭な文化観と無教養を露呈したものとして、国際的な軽蔑の対象となるであろう以前に、深く恥ずべきである。】と書いている。
7月14日 歴史学研究会編『戦後歴史学再考――「国民史」を超えて』2000年6月、青木書店、所収の安田常雄「方法についての断章」。戦後思想史としての戦後の歴史学を概括し【一九八〇〜九〇年代…この時期ひとびとの意識には二重の大きな変化がうまれた。それはかつて昭和初期モダニズムを評した大宅壮一の言葉をかりれば、「昨日」も「明日」もなく、ただ「現在」しかない苛烈な現在主義の感覚的ニヒリズムの浸透であった…。それはひとびとの社会意識と感受性の底に広がり、歴史へのシニシズムとして沈殿していった。いわゆる「歴史ばなれ」に他ならない。しかし、情報化の進展とともに、その「現在」の「自分」はフィクションであり、フィクションのなかの「自分」こそがリアルだというヴァーチャルな意識が、若い世代を中心に広がりはじめたとき、歴史学は一層の困難に直面した。しかしその困難は「歴史ばなれ」ではなく、歴史の「浮遊」という点にある。そこでは歴史は「現在」の「自分」にとって「快適」な要素を自由に引き出せる記憶の貯蔵庫として機能し、逆に「不快」な要素は、嫌われ排除され、歴史のリアリズムは動揺していった。】と指摘する安田は【今、必要なことはいくつもの研究潮流がそれぞれの方法と論理に従って、行けるところまで歩いてみることではないかという気がしている。私はかつて花田清輝氏が書いた、転形期の思考方法としての「楕円的思考」という言葉を思い出す…。なぜなら「楕円的思考」とは自分のうちに抱えた矛盾をゼロにしない両義的思考のことであり、また「弁証法」とは、安易な「止揚」や「統一」を急ぐことではなく、両義的な矛盾を極限まで歩くこと以外のものではないからである。】とむすんでいる。
7月13日 ▼帝国データバンク(倒産情報)のページに「2000/07/12(水)、東証1部上場大手百貨店株式会社そごう、民事再生手続き開始を申請、負債1兆8700億円」。【東証1部上場の大手百貨店、(株)そごう(資本金144億4044万円、大阪府大阪市中央区心斎橋筋1-8-3、山田恭一社長、従業員1901人)ほかグループ21社は、7月12日東京地裁へ民事再生手続き開始を申請した。申請代理人は阿部昭吾弁護士(中央区八重洲2-8-7、電話03-3273-2600)ほか。……今年4月にはメーンの興銀主導で取引行73行に対する総額約6390億円の債権放棄を要請し、経営失敗の責任をとる形で、水島会長の退任や現経営陣の総退陣なども表明。サブメーンの新生銀行が旧・長銀の破綻処理による特約の問題から、預金保険機構が同行の債権約2000億円を買い取り、うち約970億円の放棄に応じる方向でまとまりかけていた。しかし、公的機関が民間企業に対し債権放棄することに国民からの批判が高まるなか、自民党の亀井政調会長から預金保険機構に対する債権放棄要請を自主的に取り下げることを検討するよう要請されていた。また、同社の企業イメージが大幅に傷ついたことで業績に深刻な影響を受け、再建計画の前提条件が大きく崩れたことから計画実施は困難と判断し、今回の措置となった。…】。▼「沖縄タイムスニュース」のページ7月12日付に「米軍人の犯罪多発に沖縄弁護士会が声明」。【相次ぐ米軍人による犯罪に沖縄弁護士会は十一日、亀川栄一会長名で、米軍の綱紀粛正と犯罪の再発防止を求める声明を発表した。/声明は「沖縄県は復帰後二十八年を経た今なお、米軍人軍属の事件・事故が一向にやまないという悲しむべき状況にある。九州・沖縄サミットを直前に控えたこの時期に、このような悪質な事件が相次いで発生することは、米軍当局の綱紀粛正・犯罪再発防止に対する態度の真しさを強く疑わせるもの」と指摘している。/同日、那覇市内で亀川会長、上間瑞穂、三宅俊司両副会長、永吉盛元同会人権擁護委員長が会見した。/また、米軍側が夜間外出禁止などの措置を取ったことに、永吉委員長は「米軍相手の業者からの反発を狙ったいつもの手だが、今回は業者も違った反応を見せている。米軍の犯罪への怒りが県民的に拡大している」とした。】
7月12日 インタヴュー宮崎学(ききて酒井隆史)「隙間のない社会を突破する」〔『文藝』第39巻第3号、2000年8月「緊急特集・赤軍」〕。【宮崎 社会全体が異端の排除に向かっている。きたないやつ、もっと言うと自分と同じじゃないやつはだめなんだ、ということなんですね。/この前、宮台真司と一緒に渋谷のコギャルのインタビューをやったんです。「なんで援交をやるのか」「金が欲しいから」「金は何に使うんだ」「ブランド品を買うんだ」と、徐々に話をしていったら、要するに「だってみんな持ってるもん」ということなんだね。「みんなが持っていたらブランドじゃないんじゃない?」とぼくは言うわけだけれども、みんなと同じものを持っていないと仲間外れにされると言うんだ。/――〔酒井〕この間テレビを見ていたら、いまの渋谷の高校生に聞いたアンケートで、恥ずかしいことのベスト5の一位が「友達といる時に携帯に電話がかかってこないこと」。友達がいないと思われるのが恥ずかしいというのが一番ですよ。「パンツが見える」が五番です(笑)。ちょっと驚きました。】
7月11日 佐々木力『科学技術と現代政治』2000年6月、ちくま新書。近代の日本の科学思想とその歴史を検討し【「科学帝国主義」のエイジェントになった近代日本】とする佐々木は【いま日本は、明治初期、第二次世界大戦直後の戦後期に並ぶ、第三の「開国」の時期を迎え……残念ながら、第三の「開国」期にあって、現代の日本人は、旧来にも増して、いよいよ思想的主体性を喪失させ、時の政治経済競争の強者に歩調を合わせることのみを「国際化」と勘違いしているようです。いな、かつてタゴールが発した日本への警告が当てはまりそうな、戦後日本の理想からの「逆行」、すなわち偏狭なナショナリズムの機運が新たな装いをもって興隆しつつあります。いまこそ、陳独秀や魯迅、さらにはタゴールのような「普遍的」思考の作法を復権させねばなりません。また彼らですら、科学史に関しては、そのような「普遍的」思考形態を十全には展開しえなかったことに鑑みれば、アジアの科学史家の課題が大きいことを再確認せねばなりません。】
7月10日 ビル・トッテンのページに、ロバート・シアー「ベトナム戦争で米国がしたことを忘れてはならない」〔『ロサンゼルス・タイムズ』紙2000年5月2日〕。【25年前のサイゴン陥落では、米国のメディアは大袈裟な報道をしたが、米国はベトナム全土を恐怖に陥れ、300万人の命を奪い、米国にも大きな傷痕を残したベトナム戦争の一番重要な点、つまり米国のしたことは悪であった、という事実をいまだに無視し続けている。……ベトナム戦争は、米国の国家安全保障を目的にしたものでは決してなかった。リンドン・ジョンソン大統領は、殺し合いのために50万人もの米兵を派兵するまでは、それを十分理解していた。彼が大統領の時に録られたテープがそれをはっきり示している。「昨夜は一晩中このことについて考えた。考えれば考えるほど、戦う価値がないと思える。しかし、この戦争から手を引くこともできない。これは最悪の泥沼状態だ」。国家安全保障補佐官のマックジョージ・バンディに1964年5月27日、ジョンソンはこう語っている。……なぜ今、このことを取り上げるのか。ホロコーストについて書いたハンナ・アレントが、人を怪物に変身させる危険な思い上がりはどこにでも存在し得る悪であるといったように、そのことに真正面から向き合わない限り、同じ間違いを繰り返すことになるということを喚起するためである。】
7月9日 村上龍・小熊英二「徹底討議/『日本』からのエクソダス」〔『文學界』2000年8月号掲載〕。【村上 日本の場合は、個人と共同体とか、個人と国家とか必ず二項対立で敵同士のように描かれますからね。/小熊 そうです。…それは日本だけだとは僕は思わないけれども、ある国家の作られ方が行われたときにそういうかたちになるような気がする。たとえばの話、家族や地域共同体が国家と戦った歴史のある国だったら、問題の立て方は「個人と国家」ではなくて、「共同体と国家」になるはずなんです。/村上 ものすごく乱暴に言うと、ほとんどの日本人が、マイノリティーの体験がないっていうことは大きいですかね。/小熊 あると思いますね。みんな個人的にマイノリティーになった感覚は持ったことがある。とくに最近は、どうも馴染めないとか、こう感じているのは自分だけじゃないかとか、そういうのはあると思います。でも集団としてマイノリティーとしての行動を起こしたり、集団としてのマイノリティーのなかに受け入れられたという経験は持っていない。沖縄みたいな場合だと、共同体に受け入れられていながら、国家とは対立しているという状態が平気で成立し得るわけですが、ヤマトの人間にはそういう体験は少ない。もし日本において、個人、あるいは「自立した市民」が結びついた政治組織が、いいかたちで作用して政治を変革するという経験を何度も積んでいたら、そういう感覚にはならなかったでしょう。人間が仕事や政治的関心といったあらゆる公のものから乖離して、消費活動をやっているときしか「個人」であると感じられない社会になっていることが大きいと思います。】
7月8日 姜尚中・宮崎学『ぼくたちが石原都知事を買えない四つの理由。』2000年7月、朝日新聞社。戦後闇市の時代に【…ここに、国籍を問わず当時日本列島に生きるもの全てが直面していた生きんがための物資獲得の闘いの上で、日本人と「第三国人」との間にある種のハンディが現れたのであった。そのハンディが、単なる精神的なコンプレックスにとどまらず、食うおとに結び付いた、物質的な、よりむきだしの怨念をつくりだすことにつながっていったわけである。……民族意識・差別意識は、確かに存在していた。…だが、そのもう一つ底に、「日本人の野郎め」「朝鮮人のくせに」という意識を突き抜けた、両方とも「どっこい生きている」、要は力と意地の張り合いだという、ある種「健康」な裸の個、裸の集団の対抗意識が、そこにはあったのではなかろうか。…それは、民族と民族の怨念の抗争という以前に、むしろ生きんがための裸のぶつかりあいであったろう。事実、親父がかかわった京都七条署襲撃事件でも、襲撃と闘ったヤクザ側に多数の在日朝鮮人が加わっていたのである。】と指摘する宮崎は、アジアとしての日本の立場から右翼の葦津珍彦にもふれ【私は、多くの点で葦津と見解を異にする。だが、葦津のような具体的な「異物」の挑戦を受けとめて応答することから、みずからの責任をもって日本人たりえたい。だが、石原発言には、そういう「異物」の稟質がかけらもない。それなのに、このような、デオドラントな管理社会・日本の「矩」を超えない「三国人」発言が、あたかも彼にしてこそ言いうる「ホンネ」、「異物」の言であるかのようにとらえられていき、そして実際には、それがむしろこの「矩」を強固にする機能を発揮している。そういう状況に異議を申し立てておきたかった。/…私にとって石原は敵として尊重すべき相手ではない。本当の敵は、薄気味の悪い「柔らかな全体主義社会」を推進している部分にある。しかし、石原のような、それとは無縁の「異物」と見られているような者たちを通じて、それが促進されるのを座視していることはできない。】とむすんでいる。
7月7日 宮崎学『神に祈らず――大杉栄はなぜ殺されたのか』2000年7月、飛鳥新社。【困難にぶつかったとき、居直ってそれを愉しむ特技をもってい】たアナキスト大杉栄の生き方に【たった一人ですっくと立ち上がることの気高さを】見出した宮崎は、「あとがき」で自らの経験にてらして日本の左翼運動について次のように書いている。【大杉栄の生きた、そして殺された時間と軌跡をいま振り返るとき、わたしは、なまじの緻密さや整合性、そして自己完結した論理に縛られてきたわたし自身の醜悪な魂の敗北を見る。/共産主義者は組織者であるという一見疑う余地のない理屈に基き「党派」をつくり、「党派性」を純化させることを賽の河原の石積みのごとく繰り返してきた行為は、いったい如何なる意味をもつのであろうか。大杉の魂に触れるとき、そのような行為はまったくの壮大なるゼロの連続であったことに気がつく。/……わたしは歴史を語るとき、「私ならこうする、こうすべきである」という覚悟を語ること以外に意味を見出すことはできないと思う。覚悟なく歴史を語ることがあまりにも多すぎるのではないだろうか。……/一九六〇年…、この年から戦後日本のラディカリズムが開花した。しかし、そのラディカリズムの内実はどのようなものであったのか。国家権力に対峙することを唱えながら、その運動内部には、国家権力よりも酷いものを形成したにすぎなかった。……/自らの今ある「思想」なり「主義」を間違えていないかと疑う精神性、間違えているとすればどこを間違えているのかと考える、きわめて柔軟な思考、つまり「思考のラディカル」を喪失してしまったラディカリズムであった。そしてそれが最後にたどりついたのが党派闘争の徹底という「殺戮」であった。……/党派の組織に身を置いたときから、個人の情熱は退化すると、わたしは思う。話す言葉一つにしても「政治性」を帯びる。言い換えれば、自分の言葉ではなく「奴隷の言葉」を話すようになる。変革のための手段であるはずの組織が「自己目的化」してしまう。…/…大杉栄の短い生涯に触れるときわたしは、思い切り生きた人生だけが人に与えることのできるけれんみのない「爽快感」を受ける。わたしはこの爽快感を求めていたことに、齢五十五歳にして気がついた。党派に加わるのも、この爽快感を求めていたからこそであった。そして党派から離れるのも、この爽快感が得られないからであった。……】。
7月6日 『日本経済新聞』2000年7月6日付(12版18面)に「東京リスマ72%増益――6月中間、DTP事業好調」。【東京リスマチックの二〇〇〇年六月中間期の経常利益は前年同期比七二%増の七億円程度となった模様だ。期初予想を一億一千万円上回る。広告環境の改善を背景に主力のDTP(コンピューターによる出版・編集)データの出力請負事業が好調な上、新規事業のコンピューターによる一貫印刷(オンデマンド印刷)事業の赤字幅縮小も寄与した。……中間期の売上高は予想を約一億六千万円上回り、前年同期比八%増の五十五億円程度となった模様。売り上げの約七割を占める印画紙作成受託などのサービスビューロー事業が新規出店効果もあり、一割程度の増収となった。前期中に九店舗体制を整えたオンデマンド印刷も好調で、売り上げがほぼ倍増した。】
7月5日 ▼文化通信速報版[文化通信]のページ(7月4日付)に【ブックオフ、6月29日に株主総会。売上高130億2000万円、前年比43・4%増、経常利益は10億6200万円で同294・1%増の増収増益。店舗数は516店舗に。】。▼逮捕令状を考える会のページに「治安国家と対決する!! 7・29集会−自由を!団結を!私たちは戦争を拒否する!−」。【●日時:2000年7月29日(土曜日)午後1時、●会場:豊島区民センター大ホール、●基調 小田原紀雄(破防法・組対法に反対する共同行動)、問題提起・コーディネート 足立昌勝さん(関東学院大学)、●パネリスト 海渡雄一弁護士(盗聴法廃止運動)/内藤隆弁護士(組対法と刑事弾圧)/前田裕司弁護士(団体規制法は違憲である)/鈴木達夫弁護士(司法改革問題)●特別アピール 宮崎学さん(作家、石原差別発言と自衛隊の治安出動)●発言 沖縄サミット「戒厳令」、住民基本台帳法改悪、他●主催:破防法・組対法に反対する共同行動/組対法に反対する全国ネットワーク(電話 03-3202-0544 日本基督教団社会委員会気付)。】
7月4日 野村保惠『本づくりの常識・非常識』2000年7月、印刷学会出版部。【『本づくり』は、大きく変わってきています。…今までの仕事の進め方そのままではこの新しい流れに対応できませんが、そうかといって従来の技術・システムをすべて過去のものだとして捨ててしまってはなりません。従来の技術を軽視・侮蔑することから、基準を無視する人、何が正しいかを知らない人が多くなってきています。一知半解の知識を振り回して奇説・珍説を唱える人もおります。常識が常識でなくなり、「そんな馬鹿な」というようなことが大手を振ってまかり通っている悲しい現実があります。】と指摘する野村は、【私は書籍の製作、とくに文字組版の将来に大きな危機感を抱いています。最近のでたらめなDTP組版は、いい加減なソフトをつくってきたプログラマーの責任です。外国の編集ソフトに日本語用をチョコチョコと付け加えれば済むと簡単に考えたのでしょう。電算植字の初期には、活字組版と同じことができなければ相手にされませんでした。そのために勉強・努力されてきた先人プログラマーの功績を改めて讃えたいと思います。】と強調している。内容は、本づくりの基礎知識/原稿の作成と原稿整理/造本設計と文字組版/原稿指定/組版ルール/組版ルール(横組)/文字校正/校了後の作業と製版/カラー製版と印刷の作業/用紙の知識/製本様式と装幀/定価計算と原価管理――の全12章。
7月2日 ★国労情報 by ビデオプレスのページに「13年の人生を賭けた訴えが事態を動かす」と題した7月1日の国労臨時大会のレポート。【国労臨時大会が開かれた社会文化会館前には、1 日の朝8 時半から、心配する人々が続々と詰めかけた。その数はどんどん膨れあがり千名はゆうに超え、会館前の道路は「解放区」状態となった。多数の機動隊が乱闘服姿でやってきた。放水車も来た。緊張が続いた。
昼すぎ、本部執行部が現れると、闘争団の家族の奥さんたちが取り囲み「私たちの13年の人生を奪うな」と涙の必死の訴え。それに押されて、本部役員が逃げ回る事態になった。午後 2時、本部 3役は態勢を立て直し今度は乱闘服の機動隊に守られて、座り込みの闘争団を排除して突破しようとしたが、これも闘争団のスクラムに跳ね返された(この時1 名が逮捕された)。そして、膠着状態が続いた。
しかし、結局5 時間遅れた午後6 時に開会することになった。開会の条件として、本部は闘争団全員(150 名くらい)の傍聴と家族の発言をやむなく認めた。
大会運営はひどかった。賛成派の代議員を主に発言させ、反対派の代議員を少なめにした。会場はヤジと怒号が続いた。そして宮坂書記長が強引に集約・採決に入ろうとした時、会場は騒然となり、多くの人々が抗議の声を上げながら壇上に詰め寄った。防衛隊もその気迫に押された。本部3 役は演壇から逃げだし、闘争団が壇上をおさえた。
「こんなことやりたくなかった。でもどうしても許せなかった」とこれまで幾度も本部に騙され続けた闘争団員はマイクを握って語った。そして大会は「休会」となった。
だれもが予想できなかったドラマのような展開だった。ただ一つはっきりしていることは、闘争団・家族、そして支援の人たちの熱い思いが事態を動かしたということだった。幹部が牛耳る労働運動から、現場の一人ひとりが主人公の新しい労働運動がここから始まる予感がした。】〔当該ページには写真もあり〕
7月1日 ▼山折哲雄『悪と往生』2000年1月、中公新書。【『歎異抄』の世界が親鸞を裏切っているとしか思えなくなった……私は唯円にむかって問いかけずにはいられない気持ちになった。汝は、唯一の師・親鸞を背後から撃つユダではなかったか、と。…そういう声にならぬ声を抱きはじめてから、すでに三十年の歳月が流れた。…その鬱屈した結滞が一挙に吹き払われるときが、まったく突然やってきた。忘れもしない、一九九五年にたてつづけに発生した阪神地域の大地震とオウム真理教によるテロ事件であった。今こそ、唯円と『歎異抄』の存在理由を問い直すべきときだと直覚したのである。】という山折は、「殺仏殺祖」という禅の言葉をひきながら「弟子一人ももたずさふらふ」という親鸞の生き方からは、正統も異端もなく、「異義」の告発もなければ「異端」排除の意志もないから、唯円のような「歎異」の歎きもないはずだと指摘している。▼『福神』第4号(2000年6月、太田出版)の巻頭インタビュー/山折哲雄「悪の救済と『歎異抄』問題」で、山折は【…わが国の歴史上で、国家もしくは政権を「略奪」しようと思った宗教者が三人ぐらいいたのではないかというんです。一人は空海、二番目が蓮如。蓮如はとにかく加賀の一向一揆をテコに仏教王国を作り上げるもとを作った人物なんですから。三人目は、これは申しあげないことにしましょう。…】。
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