4月15日 ビル・トッテンのページに、チャーリー・リース「拳銃よりも危険な米国医療」〔『オーランド・センティネル』1999年12月7日〕。【日本の真珠湾攻撃では、約3,000人の米国人の命が奪われた。かつて真珠湾攻撃のあった日の前日である1999年12月7日、医学研究所は米国の医師および病院が、毎年4万4,000〜9万8,000人の米国人の命を奪っていると発表した。読者はこれら2種類の数字をどう思われるだろうか。さらに、米国の医療が小銃/軽機関銃などの小火器よりも危険であることも明らかである。米国では、小火器による事故(つまり誤使用)によって年間約1,400人の命が奪われている。小火器による事故、殺人、自殺の死亡者数をすべて合わせても、年間医療過失数の最低推定値、4万4,000人には及ばない。……公衆衛生の危機なるものをもたらしている原因とは、薬品会社が医療機関にあまりにも大きな影響力を持ち、広告や新しい妙薬に関する情報を医師に浴びせかけることである。この傾向はロックフェラーの時代にまで溯る。ロックフェラー家は薬品に巨額の投資を行い、米国医師会と共謀して、対症療法の医療(薬を使った治療)が、唯一正当な医療だと世界中の人々に信じ込ませることに成功したのである。】
4月14日 浅野健一ゼミのページで、浅野健一「『システム疲労』の記者クラブ『開かれた警察』言う前にメディアの透明性を確保せよ」。警察庁記者クラブが田中警察庁長官の記者会見場から西日本新聞記者を排除した問題について、浅野は【現状のキシャクラブは解体しかない……日本の「記者クラブ」(kisha club)について、ニューヨーク・タイムズのハワード・フレンチ東京支局長は三月二三日、私の取材に対して次のように語った。《記者クラブは、言論の自由という概念そのものと相入れない。記者クラブが、記者と取材源との癒着を促すものであることは、実に明白である。つまり、記者に怠け心や取材対象寄りの偏りを植え付ける役割を果たすのである。日本の新聞が健全倫理感を持たず、これらの「クラブ」を廃止しないのならば、せめて記者個人がプロとしての誇りを持ち、記者としての仕事および職業像が記者クラブによっておとしめられていることを自覚し、記者クラブを非難するべきだ。しかしながら、そのようなことは起こらない。というのも、マスコミは、国民に仕えることが一義的使命であるという意識を喪失しているようだからである。むしろ、マスコミは、日本社会によく見られる、ある種の論理に捕われているようだ。すなわち、よきジャーナリズムの本質であるところの客観性より、チームの一員として調和を保つことに重きを置く論理である。》】として【警察取材のあり方を変えないかぎり、国政などの取材・報道も改善されない。「記者クラブ」問題は、日本の「ジャーナリズム」問題なのである。】とむすんでいる。
4月13日 池田証寿編「古辞書とJIS漢字」第3号が発刊された。2000年3月27日発行、B5版、75ページ。諸橋『大漢和辞典』にない『国書総目録』の漢字……池田証寿・高田智和・木村佳典、『大漢和辞典』における『干禄字書』所収字の収録の状況について……工藤祐嗣、ほか。【入手をご希望の方は、shikeda@lit.let.hokudai.ac.jpまで、送付先(お名前とご住所)をご連絡下さい。頒価1500円(送料とも)。】とのこと。
4月12日 池田証寿のページに、池田証寿「『対応分析結果』のことなど---加藤弘一著『電脳社会と日本語』に触れて---」。「行政情報処理用標準漢字選定のための漢字使用頻度および対応分析結果」とJIS規格開発の経緯をめぐる事実誤認をただしたうえで池田は【「対応分析結果」の価値は、78JISの「原典」として価値である。これはいくら強調しても強調しすぎることはない。/「対応分析結果」の価値が明らかになった現時点において、過去を振り返り、「行政事務のコンピュータ化を研究していた行政管理庁(現在の総務庁)行政管理局は、(中略)「行政情報処理用標準漢字選定のための漢字使用頻度および対応分析結果」をまとめつつあった」(加藤弘一氏)と歴史を語るのは容易なのである。/何事もそうであろうが、評価が定まらない段階において、その資料的価値を主張して行くには種々の困難が伴うものである。いまでこそ、いわゆる典拠未詳字は、地名に残された国字を保存したものとして、JIS漢字の功績として語られるようになったのであるが、当初のJCS委員会においては、得体の知れない漢字があるので、少なくともその典拠を明らかにしなければJISとしての責任を果たせない、というどちらかといえば、消極的な捉え方だったように思う。現在では、JIS漢字は、地名字の保存により日本の文化に対する貢献をなしたのだという積極的が位置付けなされるようになっているが、このことも、調査研究と議論の積み重ねにより、共通の認識に到達したものであり、当初から一貫して高い評価を与えていたわけではないのである。/資料があってもその価値を見抜く目がなければ、その真価は見えてこない。「対応分析結果」の場合にもそうしたことがいえるのである。】とむすんでいる。全文必読!
4月11日 『サンケイスポーツ』2000年4月10日付が「石原都知事、自衛隊に治安維持期待」と題して、4月9日に行われた陸上自衛隊練馬駐屯地の創隊記念式典における石原慎太郎東京都知事のあいさつを報じている。発言要旨:【敗戦後の50年間で日本は見事に外側からも内側からも解体された。敗戦時の米国の新聞を見ると、日本という醜い怪物の姿が書かれており、大きなきばを抜こうとしている。日本を危険視し、解体しようとしたその結果が現在、露呈されている。/自衛隊は社会から途絶、白眼視されながら国民の生命を守るために精励されている。今度震災に向けて陸海空三軍の演習をやる。三国人、外国人の凶悪な犯罪が繰り返されている。震災が起きたら騒擾も予想される。警察だけでは限度がある。災害だけでなく治安の維持も皆さんの目的として遂行してもらいたい。国家にとっての軍隊の意味を国民、都民に示してもらいたい。】
4月10日 JAGATのページに「PDF出力の舞台裏」。【従来のPostScriptイメージセッタ周りを開発してきた出力機器メーカーは、PDFを直接扱えるワークフローを提案するようになった。しかし今まで出力段階で独自の中間フォーマットを用いることで、さまざまな利便性が発揮できたのを継承しているため、PDF出力の舞台裏では各社さまざま独自の工夫をしている。……データの差し替えにどのように対応するか商業物に多いチラシで,値段や絵柄の差し替えが発生したときに,どのような直し方をすると一番速く出るのだろうか。おそらく,ラインワークCTの系統や1bit-TIFFを中間ファイルに置いた場合は,その部分の切り貼り直しのようなかたちで処理ができるだろう。しかし,PDFの場合はどうなのだろう。B全1ページの中の部分差し替えをする場合,それぞれのシステムはどのような直し方になるのか】として、ハイデルベルグ、アグフア、サイテックス、大日本スクリーンのそれぞれについてレポートしている。
4月9日 富田三樹生『東大病院精神科の30年』2000年1月、青弓社。1968年の東大精神科医師連合(精医連)の結成以降の運動史を検証した富田は【疾病(身体)と自由(精神)の二元論が精神医学の根拠である。保安処分思想は、刑法の目的理論から発生しており、その本質は生物学主義的一元論にほかならない。しかも、この一元論は、生来性犯罪人説(ロンブローゾ)に見られるように、生気的生物学主義とならざるをえない。ナチスドイツや戦前の日本の天皇制ファシズムは、民族国家主義的一元論によって、二元論が権力的に「克服」されたものである。また、ソヴィエトロシアにおいては唯物論的一元論によって近代は「克服」され、その実は観念論的一元論と変わるところはなかった。二元論は一元論に「克服」されるべきではなく、三元論的に分節化されなければならない。精神医療において、生物・心理・社会的アプローチが必要であるとする言い方が定着しつつあるかに見えるが、それが、階層構造としてとらえられるならば、二元論に収束し、一元論的に「克服」される対象となってしまう。岡崎伸郎…は、この三つの契機を「巴型モデル」で理解しているが、それを弁証法と呼ぶことも許されよう。生物学的アプローチは、個体論的生物学主義をさしていると理解されるが、個体とはかならず群≒集団≒社会のなかではじめて個体として発生している。そして、この「群・個体」は、自然界のなかで生じている。人間の自由(それは主体性という言葉で置き換えてもいい)は、どんな精神病状態のなかにも貫かれているとともに、徹頭徹尾生物学的規定性を受け、かつ同様に、社会的規定性と意味から逃れることはできないと考えるべきである。触法精神障害者の問題を論じるにあたって、上記に述べた三分節的観点からすれば、「触法精神障害者」という析出のされ方事態〔自体?〕が、疾病(身体)の側からでもなく、心理学の側からでもなく、社会の側からのものであることを忘れてはならない。】
4月8日 「オウム拒否掲示物住民訴訟(埼玉県川越市)原告のページ」で永井広海「オウム真理教に対する埼玉県内市町村の差別的措置」として、1999.11.29現在での埼玉県内92市町村のうち91市町村がとっている対応策一覧のレポート。市町村ごとに、「転入届の不受理、公共施設の貸出不許可、建築確認申請の不受理、信者の子女の転入学拒否、給水契約申込の不受理、庁舎への立入禁止」のそれぞれ(!)が確認されている。「庁舎への立入禁止」にいたっては何をかいわんや…。ひとりひとりが内心で何を信じているか、で差別選別される非合法的「法治国家」の時代がすでにやってきているということが事実で示されている。と同時に、自治体や教組の労働運動など自称革新勢力の死滅も確認することができる。オウム拒否掲示物に対する住民訴訟の第1回口頭弁論は浦和地裁で5月8日午後2時から。
4月7日 JCJ(イベント情報)のページに「土台から揺らぎ出した出版流通、震源をさぐる」。【3年連続のマイナス成長という出版不況の中、昨年末には老舗取次ぎの柳原につづいて「ほるぷ」が倒産、また昨年から今年にかけ、福岡の積文館、関西の駸々堂、静岡谷島屋といった老舗の書店の倒産・身売りが相次ぎました。そして2月には日販の「経営不安」が朝日新聞の1面で報じられ、その激震が業界に走りました。加えて新古書店の登場、インターネットによる新販売経路の開拓など、出版流通は根底から揺らぎだしています。その背景には何があるのか、これからどう変わっていくのか――?業界の事情に明るいお二人の話を聞く機会を設定しました。ぜひ、ご参加ください。◎講師:池田 隆(出版部会世話人、日販)、『出版流通の危機の実情とその背景』、下村昭夫(出版技術講座学校長、オーム社)『インターネットで出版流通はどう変わるか』◎日時:4月21日(金)午後6時〜8時30分◎会場:岩波セミナールーム(神保町・岩波ブックセンタービル3階)◎会場費:500円(資料代を含む)◎主催:日本ジャーナリスト会議(JCJ)出版部会、出版労連・出版技術講座運営委員会◎問合せ:日本ジャーナリスト会議・出版部会 e-mail: jcj@tky.3web.ne.jp 電話: 03-3291-6475(JCJ)FAX: 03-3291-6478(JCJ)】
4月6日 『リトルモア』Vol.12 SPRING(2000年4月)に、上野昂志「腐れ!落ちよ!」。【神奈川県警も新潟県警も、まったく、上に行けば行くほど腐っているわけだが、…単純に警察はケシカラン、綱紀粛正して、清く正しくあれ! などとはいいたくない、ということなのだ。】という上野は【中国にはその昔、役人を指すのに、「清官」と「臓官」という言葉があった。前者は、いずから清廉潔白と信じ、法の執行に使命感を抱いている役人で、後者は、反対に地位を利用して収賄やり放題の貪官という意味だが、庶民にとてはどっちが始末がいいかという問題が、清末の『老残遊記』という小説に出てくる。…収賄大好きの「臓官」のほうが、買収で話がつくだけ、正義は我にありとばかりに法律を振り回す「清官」よりマシ、というのが、この小説の思想である。ここには、法というもの、また官吏という存在に対する中国民衆の徹底した絶望がある。…法も正義も独裁者に奪い取られた「正義非存在の立場」ともいうべきものは、魯迅などにも共通して見られるものである。……要するに、いまの日本の警察も十分に腐ってはいるが、その腐り方が悪い! ということなのだ。どうせ腐るなら、大概のことは金で話がつくというくらいに腐ってしまったほうがいいのではないかと思うのである。…日本の警察の腐り方というのは、上に行けば行くほどヒドイということに加えて、ひたすら自己防御おためにウソも誤魔化しもやるという点に特徴があるのだ。…そこには、外なる他者が存在しないのである。警察という組織の自己保存だけを、唯一最大の目的とした行動原理に従って動いているだけなのだ。】と指摘し、【冷戦体制の崩壊以後、大きな物語はなくなったといわれてきたが、いまでは、誰もが自分の物語を作りたくてうずうずしている。むろん、人間というのは、いつでも何らかの物語を必要とするものではあるが、それが現在の日本ほど卑小に自分の内に篭もり、他者を排除するという病理があらわになった時代もないのではないか。】とむすんでいる。
4月5日 『朝日新聞』2000年4月5日付に英語第二公用語論について丸谷才一「規定なく意味あいまい、まず日本語を論理的に」(インタビュー聞き手・川村二郎)。【「…あの報告の中には、たとえば国会でも英語が使われるとか、税務署も英語で受け付けるようになるとか、公用語とはこういうものをさすという、概念がはっきりと規定されているのですか」「記者発表のとき、そういう質問は出なかったのかねえ。なかったとすれば、ジャーナリズムもおかしいねえ」…「…本式の民主政治をするためには、まず明確な概念規定がなければいけないんですね」「デモクラシーによる政治とは何かといえば、身分だの財力だのにはよらないで、言語の力で民衆を説得して、それによって政治をおこなうことですね。だから言語の使い方が大切になります。しかし言語の使い方には、本格的なのと呪術的なのと、二通りあるんですね」…「『英語を国民の実用語にする』とは、何を考えているのかねえ。しかもはっきり主張して反対されるのはいやなものだから、責任のがれのために『視野に入れる必要がある』なんて、話をあいまいにしているわけでしょう。こういう役人特有のもののいい方がよくない。呪術的と責任回避と、二つ重なっている」…「…言語を呪術的に使うと、たとえば英語第二公用語なんていう意味のはっきりしない言葉ができます。それについて論ずるのは、ストライクゾーンを決めないで野球をするようなものです。それはまったく意味がないから、このインタビューは無理ですといったんだけどねえ」】
4月4日 ▼「盗聴網「エシュロン」をEUが本格調査へ」(毎日INTERACTIVE 3月29日付)。▼毎日新聞労働組合・新研機関紙『奔流』106号(2000年3月22日付)が、1月21日に開かれたシンポジウム「どうする日本での報道評議会〜報道被害救済の道を探る」のもようを報じている。関連URL:大住良太「新聞界は今こそメディア責任制度導入への決断を」。
4月3日 小宮山博史「本文書体明朝体の系譜」〔井上明・小池和夫・小宮山博史・近藤龍太郎・萩野生政『明解クリエイターのための印刷ガイドブック 和文フォントガイド for Macintosh』2000年5月、玄光社刊 所収〕。ヨーロッパで原型がつくられた明朝体の歴史をふりかえり【いずれにしても、日本の本文用書体は築地活版・秀英舎の両者の書体から派生したものに違いありません。】と概括する小宮山は、【本文用書体に要求されるものは、幻想としての透明性ですが、明朝体が唯一それに相当するのは、選択すべき他の書体がなかったことと、その造形が手書きの要素を残しながら整理・定形化されていることにあると思います。欧文書体でも、本文用はローマン体です。洋の東西を問わず手書き文字から出発し、整理しながらもそれを巧みに残した書体が本文用として長い命脈を保っているのは、興味深い一致と言えるのではないでしょうか。そこに流れている人間の書体に対する意識は、整理されすぎた機械的造型では耐えきれず、かといって毛筆そのものに近い造型では、それが持つ歴史的重みが勝ちすぎ、透明性に欠けてしまいます。……本文用書体は、無限の使用範囲を要求されます。現在のところ、その要求を満足させる書体は、明朝体しかありません。そして、そうなった最大の理由は、ただの「慣れ」だと思います。人びとの書体に対する意識は、とびきり保守的です。】。他に小宮山博史「書体の分類と書体の特徴」ほか。類書に比べ、本文組み見本も組んだ姿で比較できるよう工夫されており、推薦する。
4月2日 『実話時代』2000年5月号(メディアボーイ刊)が“緊急リポート[考察]ヤクザと人権、看過できない司直による法の拡大解釈とまかり通る警察のデッチあげ捜査”を特集。とくに、日下部隆一「『共謀共同正犯』で懲役7年の判決」は、ボディガードの組員が拳銃を所持していると同行の組長までが銃刀法の共同所持で同罪、との東京地裁(小倉正三裁判長)判決(3月6日)を「判例をねじ曲げる恐ろしい拡大解釈」だとして批判、【銃刀法だけの問題ではない。この判決の持っている最大の意味は、共謀共同正犯の拡大解釈だ。今回の黙示による共謀についての判断は、これまで最高裁の判例となっていた「練馬事件」の条件をクリアしなくても成立するということを、地裁判事がパイオニアとなって示したことだ。相手が暴力団であるという『予断と偏見』がそこに感じられぬこともない。いま、暴力団とオウムに関することは、マスコミも含めて誰一人声を大にして反対を唱えることができない状況作りがされている。……しかし、我々は決して忘れてはならない。昭和三十年代に成立した「凶器準備集合罪」が、当初の目的はヤクザの抗争阻止が目的であったことを。またこの判決は、共謀共同正犯論の裏で「使用者責任」の影が見え隠れする。改正暴対法にも組み込まれたこの使用者責任については、今はまだ抗争に巻き込まれた被害者の損害賠償訴訟が中心だが、いずれはあらゆる組員の犯罪において、この使用者責任、というよりも「懲罰的使用者責任」が、親分の共謀共同正犯の拡大解釈を伴って、ヤクザ社会に吹き荒れることになるかもしれない。そして、これらの法律解釈は一般的にも適用される時代がやがて来るだろう。】と警鐘を乱打している。
4月1日 家辺勝文「ウェブ・リポート」の「第1回(2000年3月31日):“実用”漢字環境・序説」は、3月16日の情報処理学会大会におけるパネル討論「次世代の漢字環境」をリポートした労作である。「同じ」事実を前にしても、立場観点方法がうち立てられていなければ理解することも報道することもままならないことは、美崎薫「【レポート】見えてきた次世代漢字環境 - 情報処理学会・特別セッション2「次世代の漢字環境」」(MYCOM PC WEB 3月21日付)が実例として「みごとに」示している。家辺は「1.2 差異と対立点を読みとる」「1.3 漢字は本当に巨大文字セットとして機能しているのだろうか?」で大文字セットの登場で問題が解消したかのごとき見方に対して【ともすれば、コンピュータ上でたくさんの文字を扱えるようにするためのプロジェクトとして、道は違うものの同じ目的地に向かっているかのように総括されかねないグループの間で、実際には基本方針の違い、内容に関する説明責任能力についての考え方の違いがあることが具体的な事例を通して見えてくる。……問題は解決したのではなく、より豊富な材料を得て、問題に対するアプローチがより細かく厳密にできるようになったのだ。】と批判し、「1.4 古くて新しい電子メディアの漢字問題」で【JIS X 0213 の開発のように、徹底した用例主義をとり、いわばいくつかの用字環境の突き合わせの上に収録文字を決めていくのは、印刷技術の蓄積の上に立つ方法論といってもいいだろう。…さらに、書体デザインが用字環境と密接な関係をもつことを考慮すれば、符号化文字集合が文字と書体デザインとの関係を固定的に決めないことの積極的な意味も見えてくるだろう。…このように印刷技術を基礎にしながらも、明示された精度における文字と符号との対応の規定、ならびに符号化文字と書体デザインとの分離によって、デジタルコードで符号化された文字からなるテキスト(デジタルテキスト)は、電子メディアとして、活字による印刷メディアとは一線を画することになる。そこでは古くからの漢字使用にともなう問題領域に対して電子メディアでの新しい技術的ソリューションが生まれたと言えるのではないか。】と提起している。「1.5 もっとも厳しい規準としての実用性」で家辺は【三つの大型漢字データベース・漢字フォントプロジェクトと符号化文字集合規格の立場の違いについて、豊島氏は、実用品をめざす工業規格と鑑賞用の作品づくりの違い、という表現(用語は必ずしもそのままではない)で敢えて問題提起を行ったが、……実用品を目指す工業規格としての符号化文字集合は、用字環境でのテストに耐えるだけの作り方が要求される。用例へのこだわりは、誰でも批判できる規準を用意しておくことに他ならない。漢字の数が増えるほど、増えた部分は一般には目にする機会のほとんどない文字であり、特定の用字環境の知識がなければ当否の判断ができないようなものである。これをただその用字環境のハイレベルの専門家だけに検証可能なものとするのではなく、一般的に批判可能なものとするためには典拠・用例・採録規準の明確化が不可欠になる。大型の漢字集合にとって、実用性こそ最も厳しいチェック規準に他ならない。】とむすんでいるが、実用性という規準こそプラスの価値を規格に与えるということ、目的(動機)にそった精度において個々の漢字の情報が交換できることが大切だということがはたしてどれほど当日の参加者に理解されていたのだろうか。ぜひ前記、美崎レポートと比較しての全文の熟読をすすめたい。
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