読書録 1999年11月前半(敬称略)

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  • 11月15日 ▼JCJのページ「視角」欄1999年11月15日付「異様な雰囲気」。【明治維新前夜、「ええじゃないか、ええじゃないか」と叫びながら踊り狂う奇妙な風習が全国に広がった。これは倒幕派が仕掛けたものだともいわれているが、要するに時代の変わり目の不安定な人心を示した現象だった。天皇在位10周年の記念式典と一連の奉祝行事は、眉をひそめる人もいる中で、若者を動員し、マスコミにも社会的にも一定程度受け入れられる形になった点で、どこか似ていなかっただろうか。……対日批判が強くなってきた時期の紀元二六〇〇年の式典は、来るべき太平洋戦争の前夜祭だった。米国追随のガイドラインが法制化され、日の丸・君が代法や盗聴法が生まれた年の天皇在位10周年式典を、新たな戦争の前夜祭にしてはならない。】▼同1999年11月8日付「『会見場の日の丸』とジャーナリストの責任」、および吉川勇一のページの「『日の丸・君が代』ホットラインの文部省での記者会見、『日の丸』を別室に移動させて開催、文部省は会見中に再度運び込む、こちらは、黒幕で覆って記者会見続行」が11月5日文部省内記者クラブで行われた「君が代・日の丸」強制反対ホットライン開設を発表する記者会見のもようを報じている。

  • 11月14日 『Incidents』1999年11月13日付の坂田拓也「『団体規制法』で本当に規制されるのは誰だ!?」が11月9日に衆議院第2議員会館で開かれた「団体規制法案(第二破防法)を考える市民と超党派議員の集い」のもようを報じている。【…「破防法」(破壊活動防止法)は、憲法に定める「結社の自由」を侵すおそれがあるとの批判が根強く、1952年の施行からこれまで団体に適用された例はない。オウム真理教に対しても、公安調査庁の適用申請を、公安審査委員会が「条件を満たさない」として棄却している(1997年1月31日)。この経緯を踏まえ、内藤隆弁護士(東京弁護士会)も「恣意(しい)的な運用に対する縛りがなく、人権侵害の法律でしかない。『破防法』の改悪だ」と力説した。一方、マスコミにも批判が向けられた。「人権と報道・連絡会」事務局長の山際永三氏は、自治体によるオウム真理教信者の転入拒否の実態を調査した経験から、「信者の転入拒否は、すぐ翌日に報道される。公務員の守秘義務はどこへ行ったのか。逆に、信者のクルマがパンクさせられても、その被害は報道されない」と述べた。…】。記事は【猥褻画像の取り締まりを名目として、インターネットという新しいメディアに規制の網をかける改正「風営法」。組織的犯罪対策を口実として、全国民を権力の監視下に置く「盗聴法」。そして今度は「団体規制法」。一見誰もが賛成する大義名分の裏に、どんな真の目的が隠されているのか、くれぐれもを注意を向けなければならない。】としめくくっている。

  • 11月13日 SEYBOLD SEMINARS TOKYO(1999年11月12日、於 幕張)で鈴木一誌「日本語組版の設計」。【ページ(ページネーション)は世界を“内”と“外”とを分けるものであり、ここでは版面の内と外という観点から組版のフォーマットを考えてみるみたい。】という鈴木は【情報とは固定であり、流動に対して固定したとき内と外との境界がみえる。情報を固定することの究極が書物(印刷物)である。書物は世界に対して内側を固定して囲い込むものであり、装丁は表面をガードし、内側を防御するものなのである。神の秩序にしたがった聖書ははじめノンブルがなかったが、印刷を発明したグーテンベルグは版面の外側は発明しなかったのである。余白にノンブルをうつという発明、すなわちページネーションという人間の秩序は、さらに50年後、アルダスによる発明までまたねばならなかった。】として【神なきあとの秩序としてのグリッド・システム】を作例を示しながら説明し、また、版面という“内”を強くガードする組版ルールとしての「強いぶら下がり」ルールを提示した〔【 】内は講演から前田要約〕。

  • 11月12日 毎日Interactiveが「労働力調査:完全失業者のうち、失業期間1年以上が過去最多に 」と伝えている。【今年8月時点の完全失業者320万人のうち、失業期間が1年以上と長期化している人が71万人と、今年2月(前回調査)に比べ1万人増の過去最多を記録したことが、総務庁が11日発表した労働力特別調査で分かった。完全失業率は8月4・7%、9月4・6%と2カ月連続で改善したものの、再就職へのハードルは依然として高いようだ。失業期間1〜3カ月未満は63万人と、前回に比べて13万人減ったが、3〜6カ月未満は78万人と、21万人も増えた。年齢が高くなるほど、失業期間が長引く傾向にあり、55歳以上の失業者のうち1年以上失業している人の割合は30・6%と、15〜24歳の倍だった。完全失業者の離職理由では、「解雇・人員整理」が16・7%と最も多く、「定年」10・9%、「労働条件悪化」10・0%、「会社倒産」7・2%の順。……】

  • 11月11日 内藤昌『近世大工の美学――環境倫理としての日本古典建築学』1997年8月、中公文庫。【江戸という世界一〜二の巨大な〈都市〉をデザインしてきた日本人が〈近代〉で忘却ないしは軽視してきた哲学や美学をふまえた日本建築の学としての〈伝統〉を、評価しなおす必要】を訴える内藤は、【建築というものは、常に時代の文明・文化を結集するかたちで生まれてきている以上、それを造形生産する技術者は、単なる工人=技術者でなくして、環境計画にたずさわるあらゆる職業の統括者】という観点から近世文化史の物的側面を建築中心の生産構造において考察し、和様−唐様という〈共生様式〉の多重文化性を評価すべきとし、【日本的〈型〉文化の多様性ある異文化に対する寛容の精神をもった〈共生様式=Inter-cultural Style〉を積極的に評価すれば、具体的に〈近代〉の文明をこえる情報化社会の未来像を展望できることを主張したい。序章で紹介した木子清敬が帝国大学で「大工の講習会」として否定された歴史を〈近代〉の反省としてかみしめ、日本の近世大工が〈日本古典建築学〉を形成せしめた〈美学〉の伝統を、正統な大学教育の未来に活かすのである。伝統文化の継承者として「人間国宝」に指定されることもなく、〈近代〉で二重構造化したまま上部の大学教育から隔離されて、ひたすら下部の細分化された職人教育のみに押し込められる現状が根本的に改められよう。その将来性を期待して結章とする。】とむすんでいる。

  • 11月10日 原子力安全研究グループのページに小出裕章「JCO事故における被曝と放射能汚染問題」。【裸の原子炉が突然出現してしまった】今回の事故によって周辺環境を汚染した放射性物質を具体的に検証するとともに小出は原子力施設の防災について指摘している。【水俣病にその生涯を捧げて取り組んできた原田正純氏は大佛次郎賞を受賞した「水俣が映す世界」で書いている。「水俣病の原因のうち、有機水銀は小なる原因であり、チッソが流したということは中なる原因であるが、大なる原因ではない。大なる原因は"人を人と思わない状況"いいかえれば人間疎外、人間無視、差別といった言葉でいいあらわされる状況の存在である。」 今回のJCO事故の原因については、作業員の愚かな行為であったかのような主張が当初なされた。しかし、臨界事故に対する知識を全く与えられなかった作業員を責めるのは筋違いであるし、沈殿槽にウラン溶液を投入することについても作業員は「核燃料主任技術者」に相談して許可を得ている。ステンレス製のバケツを使ったことが悪いかのようにもいわれたが、作業員が現場での工夫を凝らして作業することは褒められこそすれ、非難されるいわれはない。その上、バケツの使用は工場のマニュアルとして認められていた。そのマニュアルが悪いとの批判もあるが、扱っていたものが粉体や揮発性の溶液ではないから、バケツを使うこと自体も褒められることではないとしても著しく悪いことでもない。今回の事故でもっとも問題であったことは、私にとっては信じがたいことであったが、臨界を防ぐための「形状管理」がなされていなかったことである。ウランを含めた核燃料物質は臨界形状に制限を付けておけば、決して臨界にならない。「仮に作業員がどんなにミスをしても、原子力ではfool proofになっているので安全だ」といってきたのは、国と原子力産業であった。核燃料加工工場で臨界を防止するための形状管理を行うことは容易なことであり、私ですら当然そうされているものと信じてきた。今回事故を起こした施設は高速炉「常陽」用の燃料加工用の専用施設である。沈殿槽でいえば、20%濃縮ウランの取り扱い制限量である2.4kg以上に入らないような大きさにしておかねばならなかった。しかし、問題の沈殿槽は140リッターもの容量があった。安全審査においてもこの沈殿槽については「質量管理」でよいとされている。そうなったのは、おそらくは作業の効率性、経済性を考えたためであろうが、効率や経済性が安全を犠牲にしたのであった。そのツケを本来は責任のない作業員が生命をかけて負うことになったし、工場や工場の責任者も組織的、個人的な責任を問われることになろう。しかし、この施設に許可を与えたのは、原子力安全委員会であり、審査に携わった委員たちである。その委員会あるいは委員たちが、組織的、個人的に責任を全くとろうとしないのが日本の原子力の現状である。責任の根元を正せないのであれば、世界の物笑いになるのも当然であるし、それを許しておくかぎり、次の事故、一層大きな規模の事故も必然的に準備されるのである。】

  • 11月9日 『Incidents』1999年11月8日付の坂田拓也「『盗聴法』廃止に向けて反対陣営が再結集!」が11月5日に衆議院第2議員会館で開かれた「盗聴法を考える集い――廃止に向けて――」を報じている。【佐藤道夫参議院議員(二院クラブ)が「盗聴法」の強行採決(第145回国会)について、「とても文化国家とは呼べない」と批判……福島瑞穂参議院議員(社民党)は「『盗聴法』に関わる技術と予算の情報公開を迫る」と発言。というのも、1999年10月26日、参議院決算委員会で福島議員の質問に対し、法務省や警察庁が「通信傍受(盗聴)の記録装置は『DVD-RAM』(書き換え可能な光ディスクのデジタルデータ記録媒体)を利用。1セット約700万円」と答弁しているからだ。福島議員は「なぜ『DVD-RAM』を使う必要があるのか。どうして(1セット)700万円もするのか。まったく不明で、法務省や警察の利権が絡んでいる可能性もある」と指摘した。……丸竹洋三氏(技術者)も意見陳述。「『盗聴』というのは他人に気づかれないようにやるもの。そういう目的で私も盗聴器を作り、警察に納めてきた。そもそも『盗聴』を法律で認めることがおかしい。政府は『通信傍受』と言っているが、間違いなく『盗聴』だ」 マスコミ関係者では、新聞労連の中川光夫副委員長が「これまで以上に、ニュースソースの秘匿に努めなければならない」と危惧を表明。ジャーナリスト・斎藤貴男氏は「盗聴法」に対するマスコミの姿勢を説いた。「我々本来の仕事は事実を伝えること。しかし、『盗聴法』はそれをできなくさせる法律だ。もはや『客観報道』などと言っている場合ではない。マスコミは『盗聴法』廃止の論陣を張らなければならない」】

  • 11月8日 『半月城通信』No.65に「ドイツと出生地主義」。指紋押捺義務撤廃要求に対する「異議」に対する反論から出発して【生まれながらにして法的に平等という精神を、国民国家が原則の現状の枠組みで実現するには、各国は出生地主義を採用するしかないのではないかと思います。この観点からすれば、前にも書きましたが、日本のみならず韓国などの血統主義も人権規約の精神に反するのではないかと思います。現在、世界的には出生地主義の国が圧倒的多数ですが、そのなかで珍しく血統主義を採用していたドイツも最近ついに出生地主義を導入しました。……戦前、ゲルマン民族の優秀さを誇らしげに叫び、はなはだしくはユダヤ人とのセックスまで禁じたドイツも、ついに民族的均質性にもとづく国民という概念を根本的に覆す道を選択しました。こうまで激変した背景には、現在、ドイツ在住外国人がトルコ系の211万人をはじめとして730万人、人口の約9%も占め、多文化・多民族共存が日常化していた現実がありました。この新国籍法の施行により、定住外国人の新生児にはドイツ国籍が認められ、法的な差別は完全になくなりました。……】

  • 11月7日 日本労働党のページにインタビュー/技術評論家 星野芳郎氏に聞く「東海村臨界、新幹線コンクリート崩落…、市場主義は大事故を起こす」。【このままでは、原子力や新幹線、ジャンボジェットなどの巨大技術によって大事故が起こるだろうというのは、この一〜二年、技術者の間でも話題になっている。事故の処理の仕方でも、いつも現場が悪かったことにされ、上層部の責任があまりにも問われていない。それが続く限り、さらに危険なことになる。】という星野は【企業の経営者の質が、能力的にも道徳的にも低下しているのではないか。最近の規制緩和や市場万能主義は、それにいっそう輪をかけている。安全を守るために必要な規制はあるはずだ。事故を起こしたジェー・シー・オーでは、事故の前に大規模なリストラがあり、しかも親会社のリストラ人員を引き受けることになっていた。だから、その前に作業の一サイクルを早く終えておきたかった。これも原因になっているのだろう。本来、このような問題を取り上げて労働組合が動くべきだが、その労働組合たるや、何をしているのか。そこにも問題がある。労組は現場を握っているのだから、現場からどんどん言うべきだ。ところが、現場の汚い仕事は下請けに回すことになっているので、大企業の労働者は管理者のようになっていて、現場から離れている。経営者はさらにその上にいる。いままでは下請けががんばっていたから何とかなっていたが、それが効かなくなっているのではないか。生産管理がおろそかになっている。このままでは日本の工業製品の質の低下を招き、経済的にも重大な問題だ。】

  • 11月6日 承前、監修 黒埼政男『情報の空間学――メディアの受容と変容』。【われわれが自然と呼ぶ時は、人間の不自然な手が加えられていない「純粋無垢」なもの、文化や歴史からは独立した「あるがまま」のものと捉えています。…こうした「自然」の発想には、われわれが根本的に歴史的、文化的存在であることの認識が欠如しています。…自然性とは各人のうちにある「保守性」の表明と言えます。】という黒崎は【われわれが現時点で感じている「自然性」は、メディアとの関わりによって可塑的に変化してきたものです。…その意味で、われわれは常に途上の存在であり、現時点の私が判断する「自然性」や「不自然」は、それ自体相対的で歴史的な現象にほかならないのです。】と指摘し、村上陽一郎は【自然性というのは相対的だと言ってしまうと、それは単に虚構だということと同じかというと、決してそうではない。相対的であることと、それが虚構であることとは全然違う話だと思います。…近代化というのは、人間が自分の内部にもっていたものを外部化していく歴史でもあります。例えば、教育は本来なら親がやるべきところを教育制度に委ね、廃棄物は自分で処理すべきなのに市役所に頼んでしまう。これをソリプシズムの立場から言うと、逆に自分が外に向かってどんどん広がっていっていると言えるかもしれません。われわれの感覚自体、じつはかなり外まで及んでいるわけです。…そこには多くの人工的ツールがあり、これらを内部化しているということは、逆に言えば自分が外部化されているということですね。】と指摘している。

  • 11月5日 監修 黒埼政男『情報の空間学――メディアの受容と変容』1999年11月、NTT出版。【一方では、電子メディアの進行が、ポストモダン的状況を加速し、従来の社会のしくみが根本から変わる、という主張がある。そして、他方では、電子メディアの進行で、従来の社会が、そのままで、より便利に、より快適になる、という主張がある】と二分する黒崎は【…ハイパー産業社会的発想と、ポスト近代社会的発想は、今日、平和共存的状態から、具体的な戦闘状態へと突入せざるをえない、ということである。例えば、著作権の問題について、一方で、その存在を自明のものとし、複製が一瞬の出来事となったディジタル時代に、いかにして著作権を保護するか、という法的・技術的議論が進展している。他方で、著作権の発生はそもそも歴史的にどのようなものであり、それはディジタル時代においても、維持されるべきものなのか、という研究も進んでいる。「近代の拡張」か「近代の終焉」か、という論点は、内実を伴いながら目下議論は進行中であると考えるべきであろう。】と述べている。

  • 11月4日 INTERNETオウム真理教のページの「緊急連絡」欄の最近の記事から。【●1999年10月28日、教団広報部《教団松本支部の「退去」報道について》現在の教団松本支部の今後の使用については不動産業者と交渉中であり、現時点で退去については未定です。一部の報道では、東部町の信者住居への移転が伝えられていますが、そのような予定は全くないし、荷物を持ち運んでもいません。また、建物の所有者が名義人の信者に対して明け渡し訴訟を起こしているという事実はありません。以上 ●1999年10月25日、教団広報部《女子大生拉致事件が作り話だったことについて》教団の無実が証明されてうれしい。神々に感謝したい。その反面で、嘘をつなかければならない人たちのこと、嘘をつかれたせいで追いつめられた信者たちのことを考えると、とても悲しく思う。このようなことはなくなってほしいと願っています。以上 ●1999年10月22日、教団広報副部長 荒木浩《木曽福島町・信者住居立退訴訟の和解について》信者は度重なる争いに疲れています。今回の和解が、あくまでも一時しのぎの解決であり、表面的なものにすぎないことを反省しています。この裁判のことも参考にして、これから真の解決法、今後の教団のあり方を探っていきたいと思います。以上 ●1999年10月20日、教団広報副部長 荒木浩《「監禁事件」容疑の信者らの釈放について》彼らの無実が証明されて心から嬉しく思っている。教団としては、神々に感謝したい。教団は信者自身の意思に基づいて純粋に修行や信仰を行なっているだけであり、今回の事件でも監禁の事実は一切なく、「監禁事件」の被害者とされた女性信者を教団が連れ去ったという事実も存在しなかった(10月15日にこの女性信者自身が代理人弁護士とともに警察に出向いて自ら事情を説明している)。以上】

  • 11月3日 ▼『週刊朝日』1999年11月12日号掲載の「あなたの会社が勝手に売られる――新再建法案(民事再生法)、中小企業サラリーマンには危険」との記事(首藤由之)が、始まった「中小企業国会」に提出される見込みの「民事再生法案(仮称)」の問題点を指摘。事業部門の「切り売り」が労組の了解なしにできるようになるという「部門売却」について、全日建運輸連帯労組・小谷野毅書記次長コメントを孫引きすると【「……倒産企業なら、労組は、未払い賃金などを有する債権者として、銀行や取引業者などと対等の立場に立てます。当然、部門売却についても、企業は労組の同意がないと売れない。ところが、今回の法案要綱では、企業は労組に意見を聞くだけで足りるとしています。しかも、企業再建を目指すという名目上、債務超過などの破産原因がなくても、その『恐れ』があれば企業はこの法律適用の申し立てができる。つまり、倒産企業よりも、サラリーマンは弱い立場に立たされる可能性が高いのです」】。▼「労働力調査(速報) 平成11年9月結果」1999年10月29日、総務庁統計局、によると【就業者数は6514万人で,…雇用者は5355万人,自営業主・家族従業者は1138万人……。主な産業別就業者数は,農林業が333万人,建設業が666万人,製造業が1338万人,運輸・通信業が405万人,「卸売・小売業,飲食店」が1505万人,サービス業が1681万人……。完全失業者数は317万人で,前年同月に比べ22万人の増加……。季節調整値でみた完全失業率は4.6%…】

  • 11月2日 朝鮮新報・日本語版のページの「中野重治と朝鮮」シンポが、1999年10月16日に東京・明治学院大学・白金校舎本館で行われた中野重治没後20周年シンポジウム「中野重治と朝鮮」(主催=中野重治の会)のもようを伝えている。【シンポでは、「雨の降る品川駅」「朝鮮の女」などを、女優の岸田今日子さんが朗読し、一橋大学教授イ・ヨンスク氏、京都大学助教授・水野直樹氏、文芸評論家・黒川創氏、明治学院大学教授・滿田邦夫氏が報告した。…中野重治氏と朝鮮との関わりについて、滿田教授は、「彼の父・中野藤作が朝鮮総督府に勤めたことに始まる。そのことから、彼はいつも日本人の心の問題として朝鮮を考えていた」と述べた。幼少時における朝鮮人との日常的な関わりの体験が、詩の生まれる背景としてあった。しかし、植民地朝鮮で、暮らす中で身についた意識は、簡単にはぬぐえなかった。詩中にある、朝鮮人を「日本プロレタリアートの後だて前だて」という表現である。「民族エゴイズムのしっぽのようなものを引きずっている感じがぬぐい切れません」と、自身も述懐している。在日コリアンであるイ・ヨンスク教授は、「中野氏は言葉のもつ危うさに常に意識的であった。彼は、翻訳語と日常語、知識人の言葉と民衆の言葉が、乖離(かいり)する近代日本語への厳しい言語批判を行ったといえる」という。歴史認識を曖昧(あいまい)にし続け、自ら責任をはたそうとしなかった自身に対しても厳しく、かつ民族問題を軽視しつづけてきた日本人の差別意識構造をも問い続けてきた中野氏。「2つの民族をつなぐ環の構築は、朝・日の新しい世代にかかっている」(司会・ 中野重治の会 林淑美氏、在日中国人)のだ。】

  • 11月1日 中村雄二郎『日本文化における悪と罪』1998年6月、新潮社。【天皇制はしばしば〈主体なき権力〉あるいは〈空虚な中心〉と呼ばれることがあるが、その同じ在り様を、いっそう適切には〈場所的権力〉と呼ぶべき】とする中村は【…排除において一般に、場所はいっそうその隠された性格をあらわにする。というのも、場所はおのずとそれに帰属する者と帰属しない者と分かつからである。前者に対しては内部にある者として多くの恩恵を与えるが、後者に対しては、外部にあるよそ者、場違いな者、存在するに値しない者として、冷ややかに扱うからである。…場所の外部に追いやられるのは、そのルールを認めない者たちである。しかもその排除の際に、ルールを認めない者たち、否定する者たちがもともと存在しなかったかのように、振舞われる。彼らを意識しないでいられることが場所の勝利なのであり、場所の勝利こそ、場所の内部で行われる相対立するものたちのあらゆる争いや勝負に先立つのである。場所の勝利が沈黙のうちに、なにもなかったかのように行なわれることは、ある場所に帰属しない者たちは、その場所内ではことばとともに存在を失わせられることを意味している。日本の社会においては、支配的な価値への帰属や従属は、あからさまにではなくソフトに要求される。誰か特定の人間によってはっきり命令されるのではなく、《みんながそうするから、そうした方がいい》というような仕方である。】とし、【場所の支配がどのような構造を持ったものであるかを、明確に認識することなしには、場所の過剰な支配から脱し得ないであろう。】とむすんでいる。