読書録 1999年10月後半(敬称略)

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  • 10月31日 浅野健一ゼミのページに浅野健一「天皇の軍隊の時代から不変の日本社会、『反オウム』からあらあゆる異端を排除へ」。【東京の天皇一家の住む皇居の近くにある神道の靖国神社には、アジア太平洋で二千万人の無辜の市民を死に至らしめた侵略戦争のA級戦犯、東条英機元首相らが「神」として祭祀されている。天皇を神として、アジア諸国の人民に「あなたたちは天皇の子供だ」と教え込み、「大東亜圏」建設に狩り出したカルト宗教である。天皇は戦争責任を免責され、皇国史観を支えた神道も、解体を免れ、戦後、宗教法人として存続した。…天皇を赦し、神道を復活させた日本社会は、半世紀後に、オウム真理教という宗教団体が、弁護士一家を殺害し、二つのサリン事件を起こすなどのテロを行ったとして、オウム真理教に宗教法人としての解体を命令し、今も信仰を続ける信者に「住む権利」も認めない情況をつくりだしている。検察の主張によると、オウム信者によって殺されたのは二十人である。…昭和天皇の戦争責任がタブーになった日本では、小さなカルトとされる麻原彰晃氏が率いるオウム真理教に裁判の決着を前に、「吊るしてしまえ」という世論ができあがり、オウム信者にも人権があるという人はほとんどいないのである。……オウム新法阻止の闘いの原点は、オウム破防法反対の時と同じように、松本サリン事件被害者の河野義行さんが私に教えてくれた人権思想だと信じる。その思想とは、第一にどんな犯罪も社会的なものであり、一定の個人を責め非難するだけでは社会は前進しないということ。第二に、国家には犯罪を犯したとされる人の思想や信条を裁く権利は絶対にないのだということだと思う。】とする浅野は【戦後の法体系を根幹から否定し、団体の思想信条を取り締まりの対象とする新法の攻撃を目前にしながら、「オウムはまだ謝罪していないから反対運動を組織しにくい」などという呑気な議論をしている「市民運動」情況もまた怖いのである。】と的確にむすんでいる。

  • 10月30日 インタビュー・吉田司「〈時代〉の記録者として」〔『図書新聞』1999年10月30日付〕。〈ゲバルトの季節〉のその後を問われた吉田は【…山口組壊滅作戦と東大の安田講堂決戦(機動隊八千人導入)でヤクザと学生が敗北して、国家の近代化路線が勝利する。そして出来上がったのが、衛生的で先進的な工業都市=科学技術万能の時代だよ。経済大国化するための〈総動員体制〉が始まったといってもいいと思う。多くの日本人が、マイホームや「くう・ねる・あそぶ」の都市的快楽と引き換えに“二四時間戦えますか”の〈産業戦士〉化させられていった。全共闘系の人たちの就職傾向が相次いだのも、この頃だったろう。……快楽か禁欲か――その問題をクリヤーして七〇〜八〇年代の経済大国が成立していったと思うね。】

  • 10月29日 小松英雄『日本語はなぜ変化するか―母語としての日本語の歴史』1999年1月、笠間書院。【〈ら抜きことば〉…〈敬語の乱れ〉…それらの二つの〈乱れ〉は連動して生起していること、そして、どちらも日本語の堕落/崩壊などではないことを、言語史の経験則に基づいて明らかにし、日本語の歴史の流れを素描してみたいというのが、本書を執筆した動機である。……国語史から日本語史への実質的脱皮が急務である。】と主張する小松は「国文法とは?」として次のように指摘している。【日本には、言語学と無関係に、明治期以来、国語学者による独自の文法論がいくつもある。いずれも、先行学説を承けず、批判せず、独自に立論され、山田(孝雄)文法/松下(大三郎)文法/橋本(進吉)文法/時枝(誠記)文法など、提唱者の姓を冠した名称で、多神教的に受容されてきた。それらは、一括して伝統文法ともよばれている。……文法には二つの種類がある。一つはかくあるべしという規範文法であり、もう一つは、現実に使用されている言語の実態を体系的にまとめた記述文法である。…規範文法を記述文法に組み替えることは原理的に不可能である。……多くの教科のなかで、国文法ほどわけのわからないものはない。内容がつまらないから、こんなことをなんのためにという疑問がつきまとう。しかし、退屈で難解なのは学校の国文法であって、日本語によるコミュニケーションを可能にしている洗練された運用規則ではない。規範文法から、言語の生きた姿は見えてこない。】

  • 10月28日 安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』1999年10月、平凡社。【勤勉、倹約、謙譲、孝行など…通俗道徳の広汎な人々にたいする強い強制力は、たんに上からの教育・宣伝・強制だけによってうみだしうるものではない。…それがある歴史的発展段階における広汎な民衆の自己形成・自己解放の努力がこめられる歴史的・具体的な形態であった……通俗的で前近代的な道徳とみえるものが、ある歴史的段階においてはあらたな「生産力」なのである。】とする安丸は【人間の精神の無限な可能性にたいする驚くべき信念が広汎な民衆のうちにめざめたことに、まず注目しなければならない。それは、近世の儒教と仏教の宿命論にたいする能動性・主体性の哲学の樹立だった。その能動性・主体性が、勤勉、倹約、正直、孝行などという形態をとり、しばしば儒教の通俗化と結びついたために、モダニストたちは、そこにこめられた厖大な人間的エネルギーを認識できなかった。丸山真男氏が『日本の思想』において、日本人の思想構造を鋭く分析して、その病理をえぐり、近代日本の思惟構造の基底をなすものを伝統的共同体意識としては把握したさいにも、そのような錯誤があったと思われる。丸山氏は、近代日本社会のもっとも通俗的な意識が、広汎な人々の主体的エネルギーをこめて歴史的に形成されたものであることを理解しない。そのために、一方では、日本の近代化の根源的エネルギーを把握できず、また通俗的な意識の強靭な規制力の根源が十分に解明されない。他方では、共同体意識のガンジガラメのワナのなかから未来へ向かって解放をかちとってゆく道がみつからない。】

  • 10月27日 小松美彦「科学技術先進国であるはずの日本の実態」〔『図書新聞』1999年10月30日付・科学時評〕。JCO使い事業所の臨界事故について【事故直後は現場の作業員に、「裏マニュアル」発覚以降はJCO本体にといった具合に、考えるべき諸問題を事故の責任問題に、しかも特定の一部分に帰着させ、問題の拡張を封じるかのような姿勢】を批判する小松は、【今回の事故を機に、すべての原子力関連施設に対して調査を実施すべきだということである。……調査の対象は、安全性と事故対策に留まってはならない。「ホームレスが狩り出される原発現場」(『週刊宝石』10月28日号)が一部告発したように、最深部の労働実態や、産廃問題と重なる被差別問題にまでメスを入れるべきであろう(森崎東監督「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」[一九八四]も参看されたい)。さらには、対象領域を拡張して、同種の事故をもたらしかねない「遺伝子組み替えP4施設」などにも調査の手を及ぼすべきではあるまいか。】

  • 10月26日 承前、安丸良夫『一揆・監獄・コスモロジー ―周縁性の歴史学』。【…例外状況が訪れても、現在の天皇制がその単純な延長線上で大きな役割を果たすかどうかは疑わしいと思います。現在の日本の社会には、広い意味での精神的な行き詰まり感があって…社会全体を考えたときにどうも不安だと思っている】という安丸は【…危機的な例外状況では、心なおしはたいして有効ではないかもしれないし、宗教的な心なおしと社会とはきびしい対立関係を構成するかもしれません。そして対立や緊張が高まるとき、人間の中の平常では気づかない深層的なものが発現して、思いがけないような活動性が発揮されてしまうのでしょう。こうした深層的なものは平常はあまり見えないから、とかく軽く見逃すことになりやすいのですが、それはぼくたちが世俗化された現代社会の通念に捉えられているからでもありますね。しかしほんの少し私たちの日常性の基底にあるものを透視してみれば、そこには思いがけない厖大なエネルギーが秘められていることがわかるはずだ、そのエネルギーが私たちの社会を思いがけない方向に導くかもしれない、とぼくは考えます。神を殺してから私たちは限りない相対主義と世俗化の大洋を漂流しており、オウムはそのような私たちへの天譴だといえば、陳腐なもの言いをしたことになりますが、ぼくの言いたいことにすこしは当たっています。宗教研究を、人間や社会についてのより深層的なもの、その意味で危うく制御しにくいものへ接近するための通路にするというのは、やはりかなり生産的で有望な研究スタイルではないでしょうか。】と指摘している。

  • 10月25日 安丸良夫『一揆・監獄・コスモロジー ―周縁性の歴史学』1999年10月、朝日新聞社。近世から近代への「監獄」成立の歴史をまとめた安丸は【一見の限りでは、国家は公共的正義と秩序を代表し、犯罪者はその対極にあって悪と反秩序とを集約しているように見えるかもしれない。しかし、それぞれの国家がなにを犯罪とし誰を犯罪者とするかを選ぶとともに、犯罪と犯罪者のあり方が国家を規定し返す。国家と犯罪とは社会という同一物から生まれた双生児であり、一見対極的に見えて、じつは明快に照応しあっているともいえる。そして、どの国民もみずからに相応しい政治をもつといわれるように、どの国民もおのれに相応しい犯罪をもつ。こうして、権力と犯罪と国民(私たち)という三つの次元は、それぞれにまったくの異相を呈しながらも、じつはより根源的には完全な同一存在なのであり、おなじものが分化して三つの次元を構成しているのだといえる。……どんな社会においても、犯罪と刑罰は、数からいえば少数派に属する特殊な問題でありながらも、じつはより一般的な問題の集約され尖鋭化された表象であり、犯罪と刑罰のなかにその社会の特徴がもっとも明截に表現されるともいえる。……いったいこの私たちとは本当は何者なのか? 歴史学はこうした問いにゆっくりと媒介的に応答しようとするひとつの技法である。犯罪と刑罰の社会史は、そうした問いを担おうとする歴史学的探究にとって、まだほとんど未開拓の、しかしもっとも有望な領域のひとつだと考える。】

  • 10月24日 『aala』第21号(1999年10月19日)に太田昌国「おまえの敵はおまえだ」。太田は、大江健三郎の【〈…「日の丸」「君が代」の法制化に力をえた、歴史家でも教育者でもない人々が歴史教科書を作りかえるという、他者の痛苦をくみとる「仁」とも、フェアの精確さの「義」とも無縁な動き…〉(1999年10月5日付け『朝日新聞』夕刊)】という自由主義史観批判の立場、観点を批判している。【私自身も幾度も書いてきたように、私も小林や西尾の歴史観には深い批判をもつ。だが、それは「歴史家でも教育者でもない」彼らが歴史に口出しすることに対する批判では、決してない。内容に対する批判である。むしろ、小林たちの表現が大きな「成功」を収めてきたのは、「歴史家や教育者」などの口舌の徒=インテリ=言葉や文字をもてあそび、行動しない人間への敵意を煽ることで、硬直した学校教育に苦しみ、…エリート主義への怒りを燃やす人びと(とりわけ若者)の共感を獲得できているからだと考え、この事実の重大性に注目している。「たかが漫画家」が社会・政治問題から、若者の性・エイズ問題に至るまで、知の高みにいる者たちを辛辣に当て擦りながら〈本音で〉描く。「たかがドイツ思想家」が「日本の歴史」などという大それた一書の執筆に果敢に取り組む。立派な専門家としての歴史家や教育者が、上から描く空疎な歴史書には欠けている何かを、内容の当否以前に、人びとはそこに感じているのだ。この種の表現がなぜかくも大勢の人びとの心を捕らえているのかを掘り下げること、そのうえで内容の当否を問い、批判する有効な道を探ること。そのことこそが求められている時に、大江は手垢にまみれた〈専門性〉の囲いの中から〈敵〉を撃とうとしている。驚くべき時代錯誤、というべきである。…だが、自由主義史観への批判を行ないながら私は、ほかならぬ私自身が読み込み、影響を受け、信じた時期もあった歴史観には、〈日本ナショナリズム〉に収斂していくという一点において、批判されるべき自由主義の歴史観と通底するものがあるということを省みざるをえなかった。】そして、太田は【ナショナリズム批判とは、自分の中にも巣食うそれともたたかわなければならぬ困難な作業だとあらためて思う】とむすんでいる。

  • 10月23日 国際シンポジウム「言語帝国主義の過去と現在」がはじまった。配布されたプログラムの「言語帝国主義の過去と現在」に【世界には3,000から5,000の言語があるといわれますが国家の数は200足らず、したがって「一言語=一民族=一国家」はむしろ例外で、多言語状況こそが常態です。世界の諸言語のうち…消滅の危機にさらされているものもあり…多くは交換不能な通貨のように特定の国の外では使われない小言語です。世界の諸言語のあいだの関係は決して平等ではなく、メジャーな言語とマイナーな言語の非対称的な関係が幾重にも重なり合い、かつての植民地帝国の言語を中心に、中心・半周辺・周辺からなる世界の言語の階層秩序を形づくっているのです。しかも冷戦が終わり経済と情報のグローバリゼーションが進行する今日、アメリカの一極支配に対応するように言語ピラミッドの頂点には英語が君臨しており、欧州連合(EU)でもアジアでも共通語は英語になりつつあります。……3世紀以上の年月をかけてイギリスに次ぐ一大植民地帝国を築き上げたフランスと、極東の後発国として欧米列強の脅威に対抗しつつ、わずか50年で東アジアの隣国を勢力圏に収めた日本では、植民地化の条件が歴史的にも地理的にも大きく異なります。 第二次大戦後、独立戦争を伴う困難な脱植民地化プロセスが人々の関心であり続けたフランスとは対照的に、日本は敗戦で一挙に植民地を失い、日本語を「東亜の共通語」にする計画は挫折して、今日、日本はフランコフォニー(仏語圏)に比肩し得る日本語圏をもっていません。それにもかかわらず、フランスと日本の国民国家形成における「国語」の成立過程を振り返り、植民地における言語普及のイデオロギーと政策を比較することは、英語によって周辺化されながらも中心にとどまるフランス語と、半周辺の中の孤立から脱けきれないように見える日本語の将来を考える上で、大きな意味があると考えます。本シンポジウムでは、内外の専門家を集め、英語の場合を参照しつつもフランス語と日本語を中心に、「内地植民地主義」の延長として言語帝国主義を分析し、フランスによって支配されたマグレブや西アフリカやカリブ海、日本の植民地だった韓国のポストコロニアル状況における言語と文化の複雑なありようを検討します。さらにイヌイット、ロマ、ベルベルなどの少数言語の事例にもとづいて、新しい人権として主張されるようになった「言語権」の概念を明らかにし、大言語のヘゲモニー支配に対抗しうる真の多言語主義の条件を展望したいと思います。】

  • 10月22日 ビル・トッテンのページにウィリアム・パフ「スキャンダルではなく、国家の略奪だ」(『ジャパン・タイムズ』紙1999年9月2日)。【ロシア資金のスキャンダルは、エリツィン大統領率いるロシアが改革と国際社会との統合に向かっているとの主張に逆らうものである。このスキャンダルで、西側諸国と今日ロシアを支配する者たちとの関係はまさにくわせもので、責任は両者にあるということが露呈した。ロシア政府とその関係者は、ロシア国民を騙して援助資金を着服した。同様に主要国際金融機関や西側政府も、ロシア国民だけでなく西側諸国の納税者をも欺いて国際支援金として提供された推定100億ドルを騙し取った。その100億ドルは今、租税回避地の個人口座に流れている。……1991〜92年以降、西側の政府関係者や観測筋は、いわゆるロシア産業の民営化と呼ばれるプロセスから利益を得る寡頭政治の執政者たちによって、ロシアから資金が絞り取られていることに気づいていた。そのプロセスは民営化などではなく、実際は政権に就いている者およびその仲間たちによるロシア資産の横領にほかならなかった。……ビル(クリントン)とボリス(エリツィン)、アル(ゴア)とビクトル(チェルノムイルジン元首相、民営化された天然ガス独占企業のガズプロムのオーナー)という関係は、新生ロシアの支援者、そして国務を司る者として、自分達自身そして有権者の目にそう映っていると思っていた。彼らは米国の資源、さらには、米国が支配する国際金融機関の資源を利用して、友人であるエリツィンを政権に引き留めてきたが、その政権そのものが腐敗の温床だった。…】

  • 10月21日 ▼JAGATのページに「Unicodeの最新動向」。▼河上イチロー「インターネットに流出した公安調査庁内部文書コレクション」。【1999年8月以降、公安調査庁の内部文書や名簿がインターネットの掲示板等に流出しまくっている。このページはその流出状況をできる限りで把握し、その内部文書をコレクションしたものである。ちなみに、名簿に関してはそのデータをこのページに保存していないので、変な言いがかりはやめていただきたいと思う。また、これらの情報・名簿等の真偽に関しては公安調査庁から「積極的に肯定する見解」が出されていないので、「本当かどうかわからない」ということを添え書きしておく。もし、このページが圧力によって消されるようなことがあれば、これらの一連の文書が本物であったという証明となろう。】

  • 10月20日 野村秋介追悼6周年“群青忌”野村秋介を偲ぶ会〔日時:10月21日(木)午後6時30分、会場:ホテルセンチュリーハイアット(Tel.03-3349-0111)〕。【拝啓 新涼の候、皆様には益々ご健勝のことと拝察申し上げます。平成5年10月20日白昼、朝日新聞東京本社において、野村秋介は自らの命を断ちました。その衝撃的な自裁より早や6年が過ぎようとしています。野村の遺作となりました著書「さらば群青」にちなみ、その命日を群青忌と名付け、爾来5回の追悼集会を行ってまいりました。東京を皮切りに、札幌、横浜へと場所を移しての開催には、故人を偲び毎年多くの方々が出席してくださいました。七回忌にあたる本年は“野村秋介を偲ぶ会”として装いも新たに、 再び東京にて開催致します。 まためぐる 秋のさみしさ 天の濃さ 秋介 政治の不毛、経済・産業界の波乱混濁、著しい環境破壊など、現代日本の抱える課題はますます深刻化を極めています。皆様の心に残る野村秋介を通して、新たな日本の再生を、語り合える追悼の会を催したいと存じます。今回は広く一般の方々にも呼びかけ、真に野村の遺志に添うものとし、既成の概念を超えた“場”となれば幸いです。ご繁忙の折り誠に恐れ入りますが、ご来臨の栄を賜りますよう謹んでご案内申し上げます。平成11年10月佳日】

  • 10月19日 JAGATのページに塚田益男「印刷ビッグバンのエネルギー」。【印刷産業は工業化時代にたくさんの業種を誕生させ,大きな産業に成長した。この産業が5年ほど前から始まったビッグバン(大爆発)により,多くの業種が吹き飛び,新しい秩序がまだできていない。ビッグバンはまだ終わったわけではないので,これから崩壊しようとしている業種もある。……もちろん,ビッグバンは火山や地震の爆発と同じで,今回が初めてというものではない。30年前にもビッグバンはあった。そのエネルギーは「活字よ,さようなら,コールドタイプ今日は!」という技術エネルギーであった。その爆発のエネルギーは限定的で,今回より小さなものだったけれど,それでも活字鋳造販売業,紙型鉛版業,活版印刷業,亜鉛刷版研磨業などが消えてしまった。今回のビッグバンは大きな津波を発生させており,写真植字業,写真製版業が第1波の被害を受けている。第2波は表面光沢加工業,製本業,小ロット印刷業,BF(ビジネスフォーム)印刷業,第3波は一般印刷業ということになるのだろう。特殊印刷のグラビア,シール・ラベル,スクリーン,パッケージ,フォイルスタンピングなどは一般印刷業をシェルター(避難小屋)にしているから第4波の影響を受けるのだろう。…】

  • 10月18日 安田さんを支援する会 東京(東京都港区赤坂2-14-13港合同法律事務所気付)の『安田さんを支援する会 News』No.9、1999年10月15日付に、安田好弘弁護団団長・土屋公献「安田好弘弁護士保釈に関する声明」。【昨年12月、強制執行妨害の疑いで逮捕、起訴された安田好弘弁護士は、本年9月27日、9度目の保釈請求がようやく認められ、約10ヶ月近い身体拘束から解放されました。……最高刑期が懲役2年にすぎない強制執行妨害事件において、10ヶ月もの長期の勾留が行われたのは、憲法34条や国際人権自由権規約9条3項に定める「身体不拘束の原則」を理解せず、刑訴法89条4号の「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」を不当に拡大解釈して、訴追を受けた者の身体拘束状態の下で、訴追運営、立証活動を自己に有利に進めようとする検察、裁判所の姿勢に起因するものであることは疑う余地がありません。このような保釈が中々認められない実情から、本件に限らず、「人質司法」という言葉さえ生まれております。……われわれ弁護団は、今後、安田弁護士の無罪獲得のために全力を傾注するとともに、同弁護士の保釈を機に、本件に端的に示された嘆かわしい現状を打開すべく、全国の弁護士、弁護士会とともに、あらゆる場で積極的に活動することを、ここに改めて声明するものです。1999年10月1日】