読書録 1999年10月前半(敬称略)

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  • 10月14日 承前、緊急シンポジウム「東海村臨界事故を考える 」(1999年10月4日、京都精華大学)。中尾ハジメが発言のなかで、何が隠蔽かについて【情報隠蔽問題。これは隠してる人たちがどれぐらいその罪悪感を持ってやってるかどうか、どれぐらい自覚的にやってるかどうかは別にしてですね、必ずあります。もうすでにどれほど隠蔽されてるかってことはわかってきてる感じが僕はします。それから、線量を測るっていうようなこと、あるいは放射性物質が、どんな核種がどこにどういうふうに飛散したかっていうことを知るのは、奇妙な話に聞こえるかもしれませんが、知ろうとする側がそういう強い動機を持って一生懸命やらなかったら掴めないようなタイプのことがらなんですよ。つまり機械的にそこに線量計を置いて、その数字を機械的に読みとったものを見るだけでは実はわからない。そういうことがここには含まれてます。荻野晃也さんっていう人は大変な達人です。ここに行けば必ずヨウ素131があるだろうってところを目指して行ったんだと思いますよ。人間っていうのは元々そうだと思うんですね。僕らは生物ですから、そこに石のようにあってそこへ放射性物質が飛んでくるわけじゃないんです。生き物だからとりこみますね。今度はその放射線を出すような物質を調べる場合もね、これは機械的な作業じゃあ捕まらないことがあるんですよ。ということはどういうことかって言うと、機械的な作業をした、つまりお役人仕事、いわゆるお役所仕事をした、それは実は隠蔽なんです。】

  • 10月13日 京都精華大学のページに同大学で10月4日行われた緊急シンポジウム「東海村臨界事故を考える 」の記事。パネリストのひとり、京都精華大学人文学部・槌田劭が重要な指摘。【敵もさる者ですね。転んでもタダでは起きないのがしたたかな動き、と思わねばなりません。……つまり今度の問題でもそうですけど、危機管理ということが全面に浮かび上がってきます。要するに危ない、大変だということをただ単にうろたえて大変だという問題として立てれば、危機管理が不充分だからということになるわけです。……情報は遅くてもよい。確かに情報を常に公開しろとは民主主義の原理ですが、100点満点の社会を求めたらファシズムになります。間違った社会、いい加減なことがある社会もまた民主主義にとっては大事なことなんです。だから適確な動きを速くしようと考えれば、軍隊を使ってでも適確に動こうという考え方がでるわけです。もっと素朴な意味でわれわれは何が大事か。それを今問われているという意味において、民主主義なのかファシズムなのかという岐路の問題として、原子力の問題を考えるべきだろう。……危機管理、つまり速くすばやく対処できるそういう指揮命令系統をつくろうということも今回の問題でほのみえてきました。指揮命令系統ができ、自衛隊が出動して解決できる道をあたかもよいことかのごとく受け入れるようになっていくのが、原子力の特色です。……そのことを支えているのは実は何かといえば、科学技術信仰にあると思います。先ほど、プロ意識を持っているかどうかという問題がご質問のなかに出てきましたけど、プロ意識を持つということはどういうことなんだろうか。いいことなんだろうか、問題なんだろうか。物事には多面性があります。プロというのはどういう特徴を持っているかというのはいろんな切り口で見ることができます。私は技術者の全ての特徴を見てるわけではないけれども、技術者というのはですね、自分らができるという世界を大事にする特徴を持ってるもんなんです。したがって、バケツでかき混ぜて手早くやれることができたら、これは誇りではあっても恥ではないんです。技術者にとって。この辺を技術水準が低いことだというふうに言うこともできると同時に、技術というのはそういうものだということもまた承知しておく必要がある。これが一つ重要です。】

  • 10月12日 網野善彦「国旗・国歌法 私は従わない」〔『世界』緊急増刊・ストップ自自公暴走―日本の民主主義の再生のために、1999年11月、岩波書店 掲載〕。【「日本国」…「日本人」が出現するのは七世紀末……今回の国旗・国歌法は、虚偽の歴史と誤った日本人観に裏付けられた国家に即して制定され、虚偽の上に立った国家を讃える旗と歌です。しかも二月一一日にできた国を愛せというのですから、「冗談じゃない」というのが私の本心です。だから、私はこの法律には従いません。……嘘で固めた国を愛せるかということですからね。これは私の「信念」だけではなく、歴史的な事実の問題です。事実はいつかは必ず自らを貫徹しますよ。確実に貫徹します。】という網野は【敗戦の時に日本人は負けていないんですよ。「終戦」なんです。たしかにアメリカには産業力、軍事力で負けたという気持ちはあるでしょうけれども、中国に負けたとは、多くの支配層は毛頭思っていないでしょうね。…だから、いつかはまた「負ける前」に戻りたいと、いう気持ちが潜在しており、衝動的にそういう気持ちが、政治家たちの発言の中にいろいろな形で出てくるわけですよ。…残念ながら左翼のほうにも、そういう意識は稀薄だったと思います。知識人も含めて、敗戦後、戦前の社会の歴史認識から完全に抜け出し切っていなかったのです。】と指摘している。

  • 10月11日 承前、菅井弘「臨界事故について」。【小生にとってジェーシーオーで過ごした時間はこれまでの人生の中でも最も充実した日々であったと今でも思っています。】という菅井は【たった一度の事故でこれまで築いてきたものを全て失いましたが、この点だけはなんとしてもご理解いただきたいと思います。既に原子力産業界は日々の批判にさらされ十分ダメージを受けました。大学では既に原子力工学科などの原子と名のつく学科はほとんどなくなりました。国民のほとんどは、事故を起こす以前の現場の努力など眼中に全くなく一過性の結果のみを見て、上の立場で下を見下ろして議論をしているのが現状です。今回の事故で、当事者たちは当然その行為に対する責めを負うことになります。これは事故の影響を考えれば当然のことで弁明の余地もありません。今後、刑事および民事訴訟を受け処罰されていくものと思います。しかしながら実際に最も痛い思いをしているのは当事者であるジェーシーオーであり、その社員自身かと思います。また原子力に極めて好意的な東海村にお住まいの方々、あるいは近郊で農業や漁業を営んでおられる方々も大変な苦しみを受けたことと思います。安全な東京で批判をされている方以上に地元の苦しみははるかに大きいのです。……今度こそ本質的な部分に目を向けるべきではないのでしょうか。法律や規制はあくまでも器であって本当に大切なのはその中にいる人々です。日本では余りに施設や装置に頼る安全性を重視し、そこで働く人々の人間としての尊厳や仕事への意欲等を高めるためにお金をかけることを忘れています。今回の事故を契機に、原子力界はもとよりマスコミ界を含む社会全体で再度初心に戻り考えていただきたいと思います。日本で原子力発電が不要ならば大きな犠牲を覚悟しても段階的に縮小すべきです。そのために経済活動の停滞が生じても国民は受け入れるべきです。…逆に例え必要悪であるとしても社会にとって原子力が必要と判断するなら、それなりの社会的認知をすべきです。もっと原子力の現場が自分たちの仕事に誇りを持って取り組めるような環境を創出すべきです。情報公開を原子力界に一方的に求めますが、悪いことを隠すのは原子力界に限らない日本国民共通の性質です。最近の金融問題を見てもこの国はうそだらけです。日本はこれまで誠実な者が損をする国であったと思います。かつてのバブルを煽った責任の一端はマスコミにもあるかと思いますが、現在は専ら批判役で責任は全くとりません。より正確には、このような一部の人の意見やマスコミの報道にすぐ踊らされる国民性が問題なのかも知れません。……】として【以前(7〜8年前と思いますが)、米国のEPA(環境保護局)やNRC(原子力規制委員会)を訪問して感じていたのですが、日本の安全監視体制とは全く異なり、実務作業をこなせる監督官庁として機能しております。日本では科学技術庁や原子力安全委員会がありますが実務(例えば自らの手で安全性等の評価を行う)をこなす組織ではありません。したがってとても責任を問える機関ではないと思います。今回の事故を契機に日本版NRCの設立が必要な時期かと思います。その場合には日本原子力研究所や関連機関の安全部門も取り込み最低でも1,000人規模の実務部隊をもつ組織とすべきと思います。また、例えば反対派(このような表現は高木氏に失礼とは思いますが)として最も信頼できる高木仁三郎氏のような方がこの組織に加わるべきではないでしょうか。安全規制は本質的に考えて、中立的というよりむしろ批判的あるいは懐疑的な立場で行うべきと思います。そして、安全維持に対する権限と責任を与えるべきです。】と提案している。

  • 10月10日 菅井弘「臨界事故について」は10月5日付読書録でも紹介した田口ランディ「原子力と共に生きる世代の危機管理」をきっかけにした田口「臨界事故をめぐる元JCO社員との往復書簡(前編)」のなかで紹介されたもの。【小生はこのジェーシーオーに1981年から1986年までの5年間勤務致しました。…この15年間に一体何が起きたのかが小生にとって最大の疑問です。】という菅井は、【多くのマスコミ関係者や反対されている方々は都会に住み、文明を最大限に享受されている方々です。この方々は原子力のマイナス面だけを題材にしており、原子力発電の社会的貢献やその意義を賞賛することはありません。ほとんどの原子力関係者、特に下請事業者らはいつも肩身の狭い思いをしており、当然仕事に対して充実感を持てないケースも多々あります。責任ばかりを押し付けら、社会的に正当に評価されないのが原子力なのです。それでも電気事業者や大手の原子炉メーカーならまだ体力があり耐えられます。それに比べて小規模の下請業者(ジェーシーオーは小生の認識ではこのような下請業者の一つです)は悲惨です。懸命に生き残りをかけて努力し、その過程で事故を起こせば非常に厳しい社会的批判や制裁を受け、場合によっては切り捨てられます。このような扱いを受けているなかでモラルの低下があったとしても、何ら不思議ではありません。今原子力界にとどまっているのは良心的な人々です。……何か事故を起こせば重い社会的責任だけが強調され、日ごろは全く評価されない。このようなことが平気でまかりとおるのが今の日本です。今回の事故で最も傷ついているのは重傷者の3名を含む小生のかつての同僚たちであることも間違いありません。ある番組の司会者はジェーシーオーのことを「こんな会社」と一方的に見下す言い方をされていました。実際に感情的にはほとんどの方が同じように感じておられるかもしれません。これほどの事故を起こしたからには無理からぬカラムこととは思います。ただ小生は、今回の事故は単に「こんな会社」だけに原因があるのではなく、社会の底辺を支える人々を虐げる日本の社会構造に本当の原因があると言いたいのです。】ぜひ全文読んで欲しい。

  • 10月8日 猪野健治『東京闇市興亡史』ふたばらいふ新書、1999年10月、双葉社。【既存の価値観、秩序、法律、思想をのり越えた地平に闇市は出現した。闇市こそは日本の民族がはじめて体験した解放区であった。】とする猪野は【ある意味でGHQ―政府―警察の手による闇市「解放区」の解体は、民衆自身の手による戦後民主主義の構築を骨ぬきにする作業であった。そしてそれによってかわったのがGHQ製民主主義である。吉田茂を祖とする戦後保守本流は論外として、右翼も左翼もその魔手にからめとられ、政治的には五五年体制の確立へと集約されていく。いわゆる自民党と社会党による二大政党時代の幕開けである。社会党が消滅し、五五年体制が崩壊したいま、もう一度闇市「解放区」を戦後史の上にとらえなおすべきときがきている。】とむすんでいる。

  • 10月7日 原子力資料情報室は1999年10月6日記者会見をおこない、「JCO東海事業所における臨界事故に関する原子力資料情報室の見解」を発表した。【核燃料工場における臨界事故は、原子力の歴史の初期にアメリカやロシアなどの軍事施設や一部研究機関で発生したが、最近では全く起こっていなかった。またこの事故のように長時間臨界事故が持続したのは、過去に例をみない。日本の原子力開発史上、最悪の事故である。日本政府は、国際的な事故評価尺度でレベル4としているが、私たち原子力資料情報室の評価では、レベル5であることは間違いない。…沈殿槽には核分裂生成物がまだ大量に蓄積していて、現場には近寄れない状態が続いている。……報道では作業員が作業を短縮するため、ステンレス製のバケツを素手で扱って作業したと伝えられ、それが事故の主因をなすヒューマンエラーのごとく、盛んに言われている。……が、このことが臨界の直接の原因ではない。臨界の原因は、18.8%という高い濃縮度のウランを扱っているにもかかわらず、作業者にもそれを監督する監督者側にも、まったくその認識がなく、5%以下の濃縮ウランと同じように扱って、過剰なウランを1つのタンクに集中させたことである。……しかし、問題はこれだけではない。本来この種の施設は、臨界事故の潜在的危険性を持つので、取り扱い上のミスがあっても絶対に臨界を起こさないように容器の形状や、サイズが制限されて設計されている必要がある。これを臨界防止のための形状管理というが、この形状管理を施していなかったことが決定的なミスであった。不正な作業手順書、規則違反の作業が真の事故原因ではない。……工場から350メートル以内であれば、かなり多くの放射化生成物ができており、待避から帰宅した人々が、例えば残されていた食塩を使ったりすれば、放射能を体内に取り込み被曝する可能性がある。したがって、当分安全宣言を出せるような状態ではない。……市民が参加した公正な第三者機関による、徹底した事故原因の究明、および原子力産業全体の再点検が必要だ。さらに日本のエネルギー政策の全面的見直しが緊急の課題である。……日本の原子力産業の無責任な体質がここまで明らかにされ、日本国民に大きな恐怖を与えた現在、これまでの未知の領域であるMOX燃料の燃焼、いわゆるプルサーマル計画は全面的に凍結すべきである。】

  • 10月6日 Asahi Internet Casterのページに高成田亨「手抜きを認めない文化が招く大事故」。【伝えられているところでは、作業員が不慣れだったことが事故に結びついたようにみえる。しかし、もし、これが本当ならば、今回の事故は、個人の「ミス」ではなく、組織の「犯罪」だと思う。不慣れな人を使ったからではない。不慣れな人が行う作業は、「見よう見まね」しかない。…私が「不慣れな作業員」だったら、自分の判断で、「通常」の7倍近い量のウランを処理したり、「通常」はポンプで「貯塔」に注入するのに、そことは違う沈殿層に手で放り込んだりははしない。いつもの通り、やるしかないのだ。こうした「常識」が導く推測は、ここでは、恒常的に、規程を上回る量のウランを、規程の場所とは違うもっと手軽な場所で処理していた、ということになる。】という高成田は【原発燃料がいくらで売られているのか、私には知識がないが、これだけ手抜きをすれば、相当なコスト削減効果があったのではないか、と想像する。民間企業にこうした作業をまかせれば、利益を追求する企業、もしくはその企業の「現場」が手抜きをするのは目に見えている。それを防ぐには、システムが必要なのだが、どうも日本では、「我が社の人間は、そういうことはしない」という精神主義がシステムより優先されているように思える。……米国の原子力施設は、日本よりも手抜きを前提にしたシステムが組み込まれている、という。たとえば、米紙によると、ウランを溶解させる容器は、規程の数倍ものウランが入らないように設計されている、という。……私は「会社ぐるみ」や「親会社ぐるみ」で、規程に反した作業をしていたとは思わないが、会社やグループ企業内に漂うコスト削減の空気が「現場」に手抜きを強いていた可能性はあると思う。……いま、コスト削減の空気は日本全体に漂っているが、それによる危険の増大は、「ちゃんとやればいいんだ」という精神主義で乗りこえようとしているようにみえる。手抜きの「量」が甚大な「質」の災害に変化する「臨界事故」は、これからも続きそうな気がする。】と指摘している。

  • 10月5日 「原発事故災害サバイバルハンドブック」。▼田口ランディ「原子力と共に生きる世代の危機管理」。▼グリーンピースの10月4日付プレスリリース「グリーンピース、東海村に調査チームを派遣――今もなお事故現場の町には、バックグラウンドを超える放射能がでている」。【グリーンピース・ジャパンから依頼で、グリーンピースインターナショナルは東海村のウラン加工工場で起きた核事故について詳しい情報を収集するために、専門家を含む調査チームを派遣した。チームはオランダ人1人、ドイツ人2人の3名で、10月1日にアムステルダムを出発し、3日に東海村で調査を始めた。「施設周辺の放射能レベルと汚染の程度を明らかにしたい」と、原子力物理学者でありオランダで放射線防護の資格を持っているディードリック・サムソン(チームリーダー)は語った。彼は続けて、「現在、住友グループの子会社であるJCOと日本政府からのはっきりした情報がない」「フランスのラ・アーグとイギリスのセラフィールドにある再処理工場から海に流れ出る放射能の廃棄物を調査した時と同じように安全を最優先している」「独立機関として、積極的に貢献したい」と語っている。/木曜日に臨界事故が起きてから数日間がたち、日本政府は「放射能レベルは通常に戻った」と発言した。しかし、東海村のある区域で放射能レベルは、現在でもバックグラウンドレベルより高いレベルである。3日(日曜日)の午後4時ごろに、グリーンピースの調査チームが測定したところでは、昨日JCOウラン加工工場の横にある県道62号線の中央付近で1時間あたり0.54マイクロシーベルトになっていた。バックグラウンドレベルは、0.1マイクロシーベルトで、昨日の測定は通常より5倍ほど高い。4日(月曜日)に取ったレベルは、0.4マイクロシーベルトになっていて、放射能レベルがゆっくりと落ちていることと考える。工場から100m離れた場所では、バックグラウンドレベルより2.5倍高くなっていて、工場から200m離れたところで、バックグランドのレベルに戻っていた。その他の公道で取った測定に関しては、500〜600m離れたところでバックグラウンドあるいは通常のレベルになっていた。このレベルも昨日と比べて、20パーセント低くなっていた。濃縮ウランが臨界事故を起こしたため、施設から350m以内に住んでいる住民が避難させられたし、10キロ圏内には、屋内待避勧告が出された。しかし、土曜日に野中広務官房長官が「施設から350m半径の区域での放射能レベルは通常に戻ったことを確認した」と発言し、避難勧告が解除された。「日曜日に得た高いレベルの放射能の測定値は、その24時間ほど前に日本政府によって通行禁止が解除された、県道62号線(原研道路)の中央付近でとったものである。バックグラウンドレベルより相当高いレベルが出ている間は、日本政府はこの道路を立ち入り禁止にすべきである」と、グリーンピースの調査チームリーダーであるディードリック・サムソンが語った。この高い値は、加工工場の建物からいまだに核分裂によって生成された核物質からベータガンマ線核種がでているか、あるいは建物内に残留している核分裂生成物からの放射線が原因と考えられる。この放射能を遮蔽するために、建物の廻りには、関係者が3mの高さに砂袋の壁を設けた。現在、この原因を確認するため、グリーンピースの調査チームはサンプルをとっている。残っている放射性物質の除去に関して、グリーンピースは懸念している。撤去計画についての情報はほとんど提供されず、除去計画についての情報公開をグリーンピースは強く要求する。「今回の事故は、日本政府の原子力政策の誤りを象徴する事故だ。この失敗について国民はもとより世界に向かっても、きちんと情報を公開するべきだ」と、グリーンピース・ジャパンの事務局長、志田早苗が言った。】

  • 10月4日 ▼メディアの辺境地帯のページに大住良太「『オウム』を利用した『公共の福祉』の濫用」。【「オウムは怖い」という声もきくが、本当に怖くて、夜中に住居に向かって汚い言葉を大声で浴びせたり、「まきびし」を撒いたりできるだろうか。河野さんも「本当に怖かったら、『お前出て行け』とは言えない。そう言った次の瞬間、命はない」と語った。『怖い』と言いながら排斥運動を進める者には、警察や行政、政治団体がバックにいることの安心感がどこかにあるのではないか。現場にいる警察はトラックの突入を除き、これまでほとんど何も対応していない。 ……ところで、団体規制法案が「過去に無差別大量殺人を犯した集団」というなら、国家としての日本もそれに当てはまるのではないか。/五十数年前の日本が周辺アジア諸国及び自国において「無差別大量殺人を犯し」たことはほぼ間違いない。しかも、いちおう民主国家の体裁をとっている今なお、当時の政治・社会に戻ろうとする傾向が一部の与党政治家や官僚、言論人にみられるなど「その基本的な方針が維持されている疑い」さえある。よって、今回の団体規制法案の対象には「時効」がつけられるかもしれない。/周辺諸国に対する「謝罪と反省」も、行われるようになったのはつい最近のこと。しかも政府は歴史検証をろくにしていないため、「謝罪と反省」の効果は希薄となり、周辺諸国の国民からは今なお不信の目で見られがちである。】▼1999.10.1 安田好弘弁護士記者会見(写真付きで整理されたものが別サイトに掲載されたので再掲)。

  • 10月2日 ▼今井恭平「10/1安田弁護士記者会見速記録」は必読。▼宮崎学のページが紹介していたシネディエ「東海村の事故と日本のメディア」もよい。【他国のニュースというのは冷静に眺められるものである。パリでも9月30日夕方(現地)には第一報がトップ扱いで流れた。「東京から北200キロ」に過ぎない核燃料工場の位置。「先例のない」被ばく事故。どう聞いても事は重大と思える。これを聞きインターネットを見始めた海外在住者は私だけではなかったはずである。ところがネット上の日本の報道は悠長なものだ。「今後の原発立地への影響が懸念される」、「内閣改造は延期」、「対策本部設置」など組織の発表は多いが肝心の実効的な施策はまるでみえない。こうした事故を起こすことが理論的にではあれわかっているのに、「機材も能力もない」と断ってくるような「在日米軍」に協力要請しなければならないほど政府が右往左往していたのは驚くべきことだ。しかし日本のメディア論調は、「人心に対する影響」を考慮してか、きわめて「客観的」だった。/自国のニュースというのは冷静に眺められない。だからセンセーショナリズムを避ける姿勢に出るのも理解できなくはない。だがこれでは事実上取材先の公式発表の伝達をしているだけともいえる。このことは、なぜこうした事故がおき、しかもなぜ行政当局に何の事前の準備もなかったか、という問題を考えるとき一層重要である。今回の「臨界」はたまたま「なんとか」なっただけであり、「危機管理」などはそうした事後の弥縫策を飾る美名に過ぎない。北朝鮮問題についていくら軍備を増しても弾道ミサイルが飛んでくることを考えれば対症療法でしかないのと同様、求められているのは小手先の技術的(軍事的)解決ではなく政治的イニシアチブである。今回の問題で言えば、このような事態を本当に避けたければ、その根本にある原子力政策を見なおすしかない。だがこれには従来の政策が持ってきた利益構造への批判が必要である。危機の時代にあって、公式発表の伝達でなく、その本来の社会的使命を報道機関は果たさなければならなくなってきているのである。】

  • 10月1日 東海ウラン臨海事故にかんして、原子力資料情報室「東海ウラン臨海事故に関する声明」、宮崎学「東海村の事故は『テポドン』よりこわい。とにかく遠くに逃げろ」。宮崎は【まず、「安全が確認されるまで半径10キロ以内の人間は家の中におれ」というのはナンセンスである。これは、「家のなかなら安全だ」というてない。「外にでるな」というておるのだ。パニックを防ぐのが目的で、「ゼッタイ命がたすかる」、とか「そしたら安全だ」ではないのだ。「安全が確認されるまで」は「危険が存在する」ちゅうこっちゃ。その危険の範囲は現時点ではわからん、ちゅうわけやがな。/11キロには、人口25万人10万世帯の水戸市がある。/しやから、これは県庁所在地を意図して外した数字やろ。/県庁までいれたら対策もたたんがな。10キロが危険で、11キロが安全ちゅうようなことはない。安全な範囲なんか誰もわからない。/為替相場とイッショや。これは「半径数10キロ」の中にいる人間は直ちに逃げろ」というメッセージだ、とおもえ。/この場合、政府、行政機関としては、いますぐパニックになるのを防いで、時間を稼ぎたいはずだ。自衛隊だって準備に時間がかかる。それから「秩序を保って」解決にあたる、というのが役人の考え方だ。/しかし、「臨界事故」というのは、「ゆっくり原爆が爆発して、周りの人間が被爆していく」というこっちゃがな。時間がたてばたつほど被爆量は増える、のは別に科学者でなくてもわかる。/で、被爆した場合、すぐ拳銃で撃たれた、ミサイルが爆発したではなく5年後、10年後、にその影響がでる、こともとっくに常識や。/おそらく、今頃自衛隊は出動準備をしてるはずや。しかし、たいしたことはできないだろう。「混乱のないように避難させる」だけや。彼らはあんたの命なんか救ってくれない。救うのは国家の権威であり「秩序」や。】