新興仏教青年同盟「宣言」
| 原文:稲垣真美『仏陀を背負いて街頭へ 妹尾義郎と新興仏教青年同盟』
岩波新書青版892、pp.3-6、1974年4月、岩波書店 |
新興仏教青年同盟「宣言」
新興仏教青年同盟結成式(1931年4月5日、東京・帝大仏教青年会館)で発表
現代は苦悩する。同胞は信愛を欲して闘争を余儀なくされ、大衆はパンを求めて弾圧を食らわされる。逃避か闘争か、今や世はあげて混沌と窮迫とに彷徨する。
かかる現代、仏教徒は何を認識し、何を社会に寄与しつつあるか。安価な安心に陶酔しておる多数仏教徒は問題とすまい。(幻想的安心の陶酔、葬儀法要の陳腐なる式典等に満足せる多数仏教徒の愚迷は問うまでもない。)いやしくも、仏教をもって人類指導の最高原理と誇る仏教徒が、果して大衆生活と何の交渉をもちつつあるか。(教界幾多の先覚学匠らが、その得々たる教学の研究、宗制の整備、不断の伝道等々、専横なる支配階級の前に臨んで、畢竟、反動的御用宗教の役割を演ずる以外、抑々何の権威たるぞ!)彼らはいう。「宗教は超階級である。和を尊ぶ」と。だが、その実際は阿片的役割を勧めて大衆の呪詛を買い、若き仏教徒の義憤をそそる以外、何物となりつつあるであろうか。かかる現状は、純信の到底堪えうる道ではない。(止めよ、宗教は超階級的心霊の救済だとのみ叫ぶを。仏教はいまや興亡の岐路に立つ!!)しかしながら、我らはこれが矯正(革正)を既成宗団に求むべく、その因襲と堕落の余りにも深刻であることを知る。
ここにおいてか、我らは断然、新興仏教運動を提唱せざるを得なくなったのである。(新興仏教の提唱!! しかり、新興仏教はかかる状勢下において、若き義憤の爆発せる仏教革命の先駆的運動そのものだ。)
新興仏教は、先ず、自己反省に出発せねばならぬ。新興仏教は既に対立の意義を喪失しておる現既成宗団を否定して、仏徒は一斉に、仏陀に帰一せん事を提唱する。新興仏教は、現社会の苦悩は、主として資本主義経済組織に基因するを認めて、これが根本的革正に協力して大衆の福利を保障せんとする。ブル的仏教を革命して大衆的仏教たらしめんとする。新興仏教は思索と研究とを深めて、仏教文化の新時代的闡揚をはかり、世界和平の実を将来せんとする。(新興仏教は、先ずブル教学者によって観念的に歪曲されたる仏教精神の再吟味に出発して、仏教本来の面目たる科学性を完全に闡明せねばならぬ。即ち、必然の理に即しつつ実践によって愛と平等と自由とを体証されたる仏陀への渇仰と、その教理の自主的実践とを基調として、それの正しき社会的発展を強調し、それの大胆なる実践による人格平等の新社会建設を主眼とする。従って、現代大衆の生活苦悩の主因たる資本主義経済組織改造のごときは、科学的見解に立つも人道的に情操に省みるも、大衆必然の要求、仏徒当然の使命として、文化闘争の分野においてはもちろんのこと、進んでは政治闘争としてもこれが断行に協力せねばならぬ。)
もしそれ、現代流行せる反宗教運動のごとき、新興仏教は少しも恐るるところではない。なぜなれば我らは人間が有限にあって無限を欣求し、闘争に立つも信愛を要求する人生であるかぎり、宗教は断じて絶滅するものではないと信ずるからである。我らの求むる宗教は天地創造の神ではない。万能の神を信ずべく現代はあまりにも矛盾だらけではないか。
我らの信ずる仏教は、必然の理に即しつつ、実践によって愛と平等と自由とを体証されたる仏陀への渇仰である。我らは、かかる渇仰は人間生活の最深処に横たわる全きを求むる生命本然の要求であって、この要求によってこそ人類は不断に人類独自の文化形態を創造しつつあるものであるを確信する。だから、反宗教運動のごときは、それ自身の人生に対する認識不足か、もしくは神秘の殿堂にかくれた幾多の迷信への清算作用でこそあれ、反って真仏教復活のよき資糧であることを確信する。(その他、国際問題、部落問題、女性問題等々、いやしくも人格平等の仏教精神に背馳する凡ゆる社会事象に対して、新興仏教は、断乎、これが改造に邁進せんとする。而して、それらの社会的実践こそは、新興階級の発展的勢力に依拠してのみ可能であることを断然力調する。)
青年仏教徒よ、今こそ我らの起つべき時だ。断然、因襲を捨てて一斉に仏陀に帰れ。而して、愛と平等なる仏教精神を先ず自らに体験しつつ、敢然、資本主義改造へと直進せよ。かくして、我らが理想する仏教社会建設に努力しようではないか!
(見よ! 打ち寄する大衆的思潮を、古き伝統の動揺を。正義は何れぞ、逃避は社会的罪悪だ。起て! 青年仏教徒よ。今こそ時だ。断然起って、宗派的伝統を清算し、因襲の殻を蹴破って、一斉に仏陀の御名に於てガッチリ腕を組もうではないか。而して、これら果敢なる階級的闘争こそ、愛と平等なる仏教精神の現代的体験であり、人格完成の現代的意義であることを確信して、根かぎりの奮闘を誓うものだ。
もしそれ、これによって蒙る迫害非難のごときは、真理の使徒が不断に蒙り来れる名誉の荊冠。もとより覚悟の前ではないか。いざ同志よ!! 新社会の建設へ!!)
注、カッコ内はあとで加筆改訂された部分
Jump to [トップページに戻る]